フビライ>>>カエサルだろ、普通 at WHIS
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1:世界@名無史さん
21/01/23 11:44:20.05 0.net
カエサルはどう考えても過大評価だと思う。
西欧人ならまだしも、日本人までカエサルを過大評価するのは
未だにヨーロッパ中心史観から抜け出せていない証拠である。
カエサルよりも趙匡胤とフビライの方が能力や人間的スケールが大きい。

183:世界@名無史さん
21/02/18 21:05:47.77 0.net
バトル当日の様子について現代の学者の解析を読んでいるが
モンゴル軍側に同行していたサリーム・アッディーン・ウズベクの史料を論じて4ページ目で
ようやく信ぴょう性は低いと結論
記されてる太陽の位置と騎兵の動きを実際の地形と比較して細かく分析している
モンゴル軍の顔に陽があたりマムルーク軍が影になるにはいついつの時間のどこどこ
と論じていくがどうにも記述に矛盾がでてきて
と割と面白い
この後もしばらくサーリムの解析が続いてその後マムルーク側の史料の解析に移るのだろうが
章の冒頭でマクリーズィーの史書自体、既に3人以上の史家の伝聞の伝聞で現在では信頼性は
高くないとある…

184:世界@名無史さん
21/02/18 22:08:24.54 0.net
ユナーニー、クトゥビー、カスィール、ヌワイリー、フラートがクトゥズ主体の勝利だったと書いてる史料
左翼が崩壊し、中央軍のクトゥズが立て直したとする バイバルスは登場しない
隊列は両軍とも北から南に向かって広がって対面していたので、左翼が先方ということにはならない
フラートはクトゥズの背後にいた目撃者の証言を載せてるとのこと
このフラートの証言がマクリーズィーに継承された
続いてラシードウッディーンによるとクトゥズが少数の先方隊にいて
後退したけど押し返して勝利したという前嶋信次が引用しているエピが登場
バイバルスには言及はない
上述のマムルーク側の史料とモンゴル側史料の話から離脱している
この話はモンゴルの敗北とキトブカのその後の運命をモンゴル上層部や読者に
説明する目的で、遊牧民のよくある作戦をラーシドが取り入れ改変したものと
分析され信ぴょう性の低いエピとされる

185:世界@名無史さん
21/02/18 23:21:58.48 0.net
ザヒール、ワースィル、ユーニーニー、クトゥビー、タグリービルディーでくキトブガが打ち取られ、
二手に分かれたモンゴル軍の追撃隊としてバイバルスがようやく登場
同時代史料とその少し後(14世紀初)の史料によると戦いにおけるバイバルスの役割は不明とのこと
ただ武勇だけが指摘されている
ほとんど彼一人の力で勝利したとの話はザーヒルのバイバルス賞賛演説に登場するだけとのこと
このザーヒルは他の論文にバイバルスの部下の伝記作家だと書いてあった人物
(にもかかわらず今読んでる論文ではクトゥズとバイバルスの二人による意思決定やアスィールの
裏切り等が勝利に影響した、と記載しているがこの部分の詳細はなし
軍のサイズは重要ではないとも記している)
バイバルスがシリア軍に影響を持っていた可能性が高いのでバイバルスの貢献も高いのだろうが
バイバルスの部下の賞賛演説以外はバイバルスの役割が明記されているのは追撃だけとは驚いた


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