フビライ>>>カエサ ..
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150:世界@名無史さん
21/02/17 20:18:41.76 0.net
>>149
右翼、右陣、左翼、左陣どの様な表記にしろ伏兵を後方に隠し、寡兵に見せかけて敵にあたる部隊は先鋒だよ。
敵を油断させる為一万以下の部隊だったと見るのが当然。
> 論点はバイバルスの率いた軍が大軍だったかどうか。「大軍」かどうかが勝利の要件だったかどうか。
バイバルスが直接指揮する軍勢だけで勝利したのでは無いのだから大軍が勝利の条件だったのは明らか。
>無敵の「僕がかんがえる武将論」だねww
議論をしに来たと言い、馬鹿は罵倒しか出来ないと言ったのに自分も罵倒しか出来てないじゃんw

151:世界@名無史さん
21/02/17 21:08:08.16 0.net
>寡兵に見せかけて敵にあたる
その寡兵の出典は?なぜ寡兵だと決めつける?
カンネーの戦いでは敵を引き付ける中央の兵数が多かったぞ
右翼でも先方でも同じなんてのは単なる思い込みだぞ
>自分も罵倒しか出来てないじゃんw
先に「文盲」「馬鹿」と罵倒したのはオマエの方なんだよ
なのに自分が言われると「自分も罵倒しか出来てないじゃんw 」などと吠えるのはなんなのか
突然「文盲」だの「馬鹿」だの罵ってきた奴にこっちは永遠に我慢してなきゃいけないのか
当然だの明らかだの根拠のない表現を使いだすのはもう議論できていない証拠だろ

152:世界@名無史さん
21/02/17 21:36:04.60 0.net
別の論文にはバイバルスはモンゴル軍敗北後の掃討戦だけやったみたいに書いてあるな
クトゥブだけで勝ったみたいに読める
Battle was joined at dawn on Friday 25 Ramadan 658/3 September 1260.17
At first the left wing of the Mamlūk army was overcome by the Mongols’ right
wing. Quṭuz managed to regroup his forces and mounted a successful second
attack, but the Mongols recovered and once more the Mamlūks were close to
defeat. Quṭuz again regrouped and this time, in a frontal charge, apparently
after several attempts, the Mamlūks defeated the Mongols. Kitbughā’s death
in the battle was a contributory factor in the collapse of the Mongol camp.
Mamlūk sources note that Kitbughā’s body was found on the battlefield after
the battle and his head was sent to Cairo and hung next to one of the city
gates. After the battle the Mongols scattered in all directions, and most o
f them were killed in their hiding places either by local villagers or by Baybars,
whom Quṭuz dispatched in pursuit.

153:世界@名無史さん
21/02/17 21:47:51.63 0.net
ウィキペにはバイバルス軍は囮部隊で少数の軍だと書いてあるな
Qutuz capitalized on that by hiding the bulk of his force in the highlands and
hoping to bait the Mongols with a smaller force, under Baibars.

154:世界@名無史さん
21/02/17 21:55:47.66 0.net
バイバルスがモンゴルを破ったと明確に書いてある史料は、やはりバイバルスの部下が書いた伝記とのこと
Baybars’ biographer, Muḥyī al-Dīn Ibn ʿAbd al-Ẓāhir (d. 726/1326), related that his master defeated
the Mongol reinforcements to the north of Ḥamāt.

155:世界@名無史さん
21/02/18 01:09:34.73 0.net
>>151
敵より大軍ならば敵は警戒して攻めにくい。
敵が余りに少数ならこれも怪しんで警戒する。
だからモンゴル軍よりやや少ないか同数程度と考えられる。
カンネーの戦いの様に先鋒が大軍だとは考えられない。カンネーの際はハンニバル側が寡兵の為先鋒を弱く見せて釣る必要はなかった。

> 右翼でも先方でも同じなんてのは単なる思い込みだぞ
伏兵部隊が後方、先に敵に当たり追撃される部隊が先鋒。書き方は関係ない。
そして後方部隊は先鋒部隊より兵力を温存出き、敵の虚をつける有利な部隊。最悪先鋒を捨て石にする事も出来る。だから歴史上殆ど2手に分けた先鋒の指揮を総司令官が直接とる事はない。
> なのに自分が言われると「自分も罵倒しか出来てないじゃんw 」などと吠えるのはなんなのか
自分が非難した相手と同じ事をしているのはおかしいわな。
大体相手に疑問をぶつける前に自分が根拠、理論を展開すべき。
根拠のない表現だと思うならお前自身が根拠を示すべきだわ。

156:世界@名無史さん
21/02/18 01:11:55.46 0.net
>>152
クトゥブだけで勝ったとは思えないな。
もしそうならクトゥズがバイバルスを恐れて約束した褒美を反故までした事の説明がつかない。

157:世界@名無史さん
21/02/18 01:28:22.52 0.net
だからやはりこの作戦はバイバルス立案だと思うわ。
バイバルスが約束の褒美が貰えず怒った事を考えるとwlkiの通りバイバルスが寡兵で危険で難しい先鋒だったと考えられる。
クトゥズはバイバルスの作戦立案の知謀、難しい先鋒囮部隊を見事にこなした手腕に恐れをなし褒美を渋ったのでは無いだろうか?
そして作戦立案者がこの戦争の指揮者と俺は考えバイバルスが敵より大軍を指揮したと思った訳。
手勢の軍隊が寡兵でも、別働隊もバイバルスの手筈通り動いたならそれはバイバルスが指揮をとったと言ってよいと言うのが俺の考え。
クトゥズが作戦を立案して、バイバルスにどう動くか指示を出したなら君の言うとおりバイバルスは大軍を指揮していない。
クトゥズが大軍を指揮したと改めなくてはいけない。

158:世界@名無史さん
21/02/18 01:58:53.46 0.net
初戦ではモンゴルの先鋒1万をマムルーク側が寡兵で釣って伏兵で包んで倒したんじゃないか?
モンゴルの後方部隊残り1万は右翼、左翼と言う風に堂々と布陣して倒した。これなら論文、wlki何方とも矛盾しない。

159:世界@名無史さん
21/02/18 10:20:51.26 0.net
>>155
>自分が根拠、理論を展開すべき
なんか偉そうにいってるが、お前のは単なる所感。理論だなんて主張は単なる美辞で逃げてるだけ
>お前自身が根拠を示すべきだわ
何度も論文に言及しておる
The Men Who Stopped the Mongols
The Battle of Ayn Jalut:
A Paradigmatic Historical Event in Social and Political Discourses during the Mamluk Period
これまで論文名を出さなかったのは、お前が「お前の好きなWiki」などと俺ばWikiだけを参照していると馬鹿にしたから
お前は当然Wiki以外のソースを参照してるのだろう?だったらこれらの論文も読んでる筈だろう?
なのに今更論拠を示せとはふざけるな
左翼と先方は違うだろ。左翼が潰され、クトゥズが大勢を建てなおして勝利したのとバイバルスが大軍で勝利したのとでは
まったく違うわ
あとクトゥズな。お前はこのあたりについて無知なことを証明した。誘導にはまってくれてありがとう
「思われる」「考えられる」「だろうか」なんて話お前の所感はどうでもいいんだよ

160:世界@名無史さん
21/02/18 10:34:11.25 0.net
これまででわかっていることは
日本語のウィキの記事は出典の記載がなく、論文を参照すると間違いが多いと思われること
当時から複数の史料があって、戦争の内容は諸説あること
バイバルスが勝利したと書いてあるのはバイバルスの部下による伝記
各者がおおむね一致していると思われるのは
バイバルスが遊撃軍を健作したこと
モンゴル軍に攻め込まれたのは左翼か先方のいずれかであること
モンゴル軍は2万で、マムルーク軍の方は12000から20000まで諸説あること
モンゴル軍は本体ではなく分遣隊で、アルメニアやグルジア軍などの混成部隊であったこと
マムルーク軍の勝利の要因は、軍の数、地の利、作戦の三者であったと思われること
クトゥズとバイバルスの間で功名争いがあったと思われること
論者でわかれていること
バイバルスが右翼/先方/殿/遊撃軍のどれを指揮していたかのソースが明確ではないこと
攻め込まれて体制を立て直したのはクトゥズ、或いはバイバルスと、意見がわかれていること
あんたが手前勝手な理論を開陳しつづけるのは好きにしろ
俺は俺なりにウィキより信頼できる資料を探してその内容の話をしている
今この議論に必要なことは、諸説あるそれぞれの根本ソースをつきとめることだろう
その作業をする方向で議論するならともかくこれ以上お前の俺理論をきかされるのはごめんだ

161:世界@名無史さん
21/02/18 10:47:05.05 0.net
>自分が非難した相手と同じ事をしているのはおかしいわな
罵倒した奴が相手を諭すなど片腹痛い
当初は俺が無知そうだからと罵倒し、いろいろ詳しいとわかってきたら丁寧語になる
お前は弱いものいじめがしたいだけ
もし議論を続けたいならまず「言い過ぎた」「当初は荒らしだと勘違いした」等の言葉くらいあってしかるべきだろ
自分の所感を理論と弁護し相手に論拠を示せだの
自分の罵倒はさしおいて相手を諭すだのどこまでも手前勝手な野郎だ

162:世界@名無史さん
21/02/18 12:14:09.33 0.net
>>159
そのwlkiすらまともに読めず何故何だっての質問を根拠を示さずぶつけて来たのはお前だがな。
先鋒と言うのは先に敵に当たった部隊な。
右左は何度も言う様に同時に敵に当たったので無ければ何方が先鋒かと言う話になる。
>左翼が潰され、クトゥズが大勢を建てなおして勝利したのとバイバルスが大軍で勝利したのとでは まったく違うわ
何故左翼が潰れたか?左翼が先鋒だったから。
バイバルスが左翼を指揮していてそれが全てなら潰れた左翼で勝利は得られない。
つまり右翼の兵、大軍で勝利を得たと言う事。
そして軍を立て直し、再編成するとはどう言う事か?
敗走せずに踏み止まり、配下の諸将に再び兵士を割り振ると言う事だ。
つまりバイバルスは左翼の兵1万が潰された後再び兵士の補充を受けたと言う事でこの時点でモンゴル軍先鋒1万を上まっている。
論文にバイバルスの名前がないのも当然だ。
何故なら簡略に記すなら配下の武将の手柄は省略し司令官の名前だけ記すのが常識だからだ。
例えば秀吉が黒田官兵衛を使って敵を打ち破っても歴史的には秀吉が勝ったと記すのが普通。
又これを官兵衛が軍勢を指揮して勝利したと言っても間違いではない。
名前が書いてないからと言ってバイバルスが指を咥えて傍観していた訳はない。
>あとクトゥズな。お前はこのあたりについて無知なことを証明した。誘導にはまってくれてありがとう
名前打つのダルいからコピって貼ってただけなんだが?お前のレスからな。
>「思われる」「考えられる」「だろうか」なんて話お前の所感はどうでもいいんだよ
君は一切自分の頭で推論せずにソースを出すからかえってそれが俺の主張を補強する事になるんよ

163:世界@名無史さん
21/02/18 12:25:26.13 0.net
>>161
いや今も全く無知そうな文盲だとは煽り抜きに思ってはいるよ。
唯議論がしたいと言うから極力罵倒せず丁寧に書く様にしてるだけ

164:世界@名無史さん
21/02/18 12:52:54.85 0.net
>>161
>そのwlkiすらまともに読めず何故何だっての質問を根拠
Wikiの誤りを確認できない無知が何いってる
>バイバルスは左翼の兵1万が潰された後再び兵士の補充を受けたと言う事でこの時点でモンゴル軍先鋒1万を上まっている
お前のオナニー推論とやらではなく、論拠を示せよ
バイバルスが補充されたとは俺も思うが、バイバルス軍が1万を越えたソースを提示しろよ
都合が悪くなると推論だの理論だの、根拠を示せだのしか言えない無知にはどうしようもなかろうがな
>自分の頭で推論せず
歴史はソースが基本だからな。これが精査できてない段階であれこれ理屈をつけても意味がないということも知らない無知相手ではね~
>無知そうな文盲だとは煽り抜き
俺もお前があまりに無知なので教え諭そうと思ってたよ
自分の論拠は推論とやらだけ。ソースはウィキだけ。馬鹿丸出し
こういう馬鹿が自分は罵倒できると思い込んでるだからな
頑張ってお山の大将続けてくれ

165:世界@名無史さん
21/02/18 12:54:10.65 0.net
訂正
>>164の161は162

166:世界@名無史さん
21/02/18 12:57:23.69 0.net
>>164
論点はバイバルスの率いた軍が大軍だったかどうか。「大軍」かどうかが勝利の要件だったかどうか。
お前は全く自分の議題を進展させれてないんだが?長々とソースを並べて何も解りませんでは世話ないわな。

167:世界@名無史さん
21/02/18 13:01:42.93 0.net
>議論がしたいと言う
議論したいなどとも一言も書いてない
認知症か?
途中から議論ぽくなってきたので「議論」という用語は使ったが、俺がやってたのは
議論ではなく無知を教え諭すことだ
だが馬鹿は諭すことはできない

168:世界@名無史さん
21/02/18 13:05:18.72 0.net
>>166
アインジャールートの戦いは議論があると何度も書いてるが?論文もある
論拠?
ググレカス

169:世界@名無史さん
21/02/18 13:08:42.21 0.net
>>166
>論点はバイバルスの率いた軍が大軍だったかどうか。「大軍」かどうかが勝利の要件だったかどうか。
バイバルスの率いた軍が大軍だったかどうかは断定できる根拠はない
兵士の数は複数の要因のひとつでしかない
という話をしてるのだが?
お前の脳みそでは意味がわからんのだろうが

170:世界@名無史さん
21/02/18 13:15:40.03 0.net
>>169
いやいやこれはお前の上げた議題じゃん
結局お前は俺の揚げ足をとって色々は説の中から推敲して自説も固めれず、全て鵜呑みにしようとして1人でわけわかんなくなってるだけじゃんw

171:世界@名無史さん
21/02/18 13:22:51.20 0.net
俺は議題の通り議論してるよ
アインジャールートの戦いは議論があるとわかった時点でこりゃソースと論争史を精査しないと
確かなことはいえないな〜とおもって手元の情報で結論を出そうとしてないだけ
お前さんは自説が固まってるんだろうから論拠もあるんだろ?
御託をならべてないでバイバルスが直接指揮した軍が1万を越えたソースを提示しろよ

172:世界@名無史さん
21/02/18 13:25:07.28 0.net
>モンゴル軍先鋒1万
とやらもウィキーソース以外に見かけないねどねww

173:世界@名無史さん
21/02/18 13:32:03.94 0.net
>アインジャールートの戦いは議論があるとわかった時点
もう少し詳しくいうと、論争史を簡単にかいてる論文みても、当然その論文主は
自説が正しいと書くか、「諸説あります」で終わるかどちらかであり、
いくら読んだところで、>>160以上の確たる内容はなさそう、というのが今の段階
だが、>>160くらいの内容がわかっただけでもウィキ情報とはかなり違う
ウィキに比べれば相当前進してるがね
ウィキを絶対視して仮説論破合戦にコダワル無知には縁遠い話なのだろうが

174:世界@名無史さん
21/02/18 13:53:32.98 0.net
>>171
君は俺と議論しているんじゃなく無知で馬鹿な俺を教え諭してくれるんだろ?
最も自分の自説さえ持たず後からソース漁っても何もわからない奴が何を教えてくれるのか馬鹿で無知な俺にはわからんが…

175:世界@名無史さん
21/02/18 14:02:25.00 0.net
>>174
まず認知の問題をなんとかしろ
>だが馬鹿は諭すことはできない
と書いてあるだろ?
>ソース漁っても何もわからない奴
仮説を振り回すのが「わかった」と思い込んでる空頭だね〜
わかったことはいろいろあるが、
>アインジャルートの戦いですらバイバルスはモンゴル軍より大軍を指揮して勝利したのであって
の文章は根拠がないこともその一つ
もっともこれが君には意味がわからないようなので君は文盲と判断せざるを得ない
その上
>バイバルスが直接指揮した軍が1万を越えたソース
については逃げ続けるってwww

176:世界@名無史さん
21/02/18 14:05:53.12 0.net
このやり取り、何かに似てると感じていたがアレだ
バイデンは不正だ!トランプは勝っていた!と法的にも有効なソースを示せず
あってもツイッター投稿ばかりを根拠に仮説ばかりを振り回すトランプ信者のアレだな
Q相手ではどうにもならないわ〜

177:世界@名無史さん
21/02/18 14:08:45.18 0.net
>>173
俺はwlkiが正しくて君の提示した論文が間違っているとかは思ってない。
唯君の出したソースは君の提示した議題を進展させる物では無いし、俺の自説を否定する材料にもなってないと言う事が言いたい。
大体そりゃ誰も当時を見て来た訳じゃないんだから断定は出来んよ。
君は俺の推論を馬鹿げた物だと否定するがそれは化石を調べて生前を想像する動物学者を馬鹿にする様な物だ。
俺は他人からの受け売りをそのまま貼るんじゃ無くて其れに基づく君自身の推論を聞きたいんよ

178:世界@名無史さん
21/02/18 14:32:53.68 0.net
冷静に議論をしたいのなら、と>>161で過去の発言を訂正したらどうだと水を向けたのを
>全く無知そうな文盲だとは煽り抜きに思ってはいる
と返してきたのはそっちだろ
今更なにいっとる
俺も君の仮説が妄言とは思っていない
そういう議論をする段階もあるだろう
だが今回の議論ではそこまでいかない>>160でいったん整理したが、それ以降も新しい論文が
見つかる
それらの論文はそれぞれちょっとずつ意見や観点が違う
こういうのは原史料を辿るしかないが、中世の史料でさえ見解の違うものが多いようなので
確認するとしたら時間がかかる
そこまで時間はかけられない専門じゃないしね
俺ができる推論は
>アインジャルートの戦いですらバイバルスはモンゴル軍より大軍を指揮して勝利したのであって
の文章は誤りを含み、不正確だということ
>バイバルスが直接指揮した軍が1万を越えたソース
は君が典拠としているのだからソースを出さないと先へ進めない、ということ
くらい
それ以上の想像や仮設をこの段階で君がするのは構わないが、俺は根拠のない推論や想像をしても仕方がないと思っている
「確実なところ」を堅実に追及しているのに罵倒されるのはおかしいと考えてる
君の姿勢は井沢元彦みたいだな
俺は普通に歴史学の手順を踏んでる

179:世界@名無史さん
21/02/18 14:33:06.93 0.net
仮にこの通りだとすると本来なら文盲とか無知とか罵倒し合う話ではないわけだ
想像ならそうかもね〜、でも史料があるのはここまでだからね〜
でいいのではないか
でアインジャールートの戦いについては複数の史料があり、錯綜しているのだから
あれやこれやの理屈を持ち出して強弁すればできてしまう
例えば俺がクトゥズを持ち上げている論文側に立って強弁しまくればできないこともないが、
君にとってはその方がわかりやすいだろう
だがそういう一方的な姿勢は俺の取るところではない

180:世界@名無史さん
21/02/18 15:46:19.03 0.net
頭蓋骨比較
猿人→原人→旧人→新人の流れで頭蓋骨を比較すると
その延長として黒人→白人→黄人の順で脳容量増大=顔が平面化
知能指数比較
黄人>白人>黒人
URLリンク(uploader.xzy.pw)
URLリンク(uploader.xzy.pw)
頭の良い国ランキング
URLリンク(f.easyuploader.app)
世界IQランキング最新版
URLリンク(f.easyuploader.app)
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頭蓋骨比較と知能指数比較の両面によって
脳容量と知能指数が
黄人>白人>黒人
の順に比例していることが判明している
さらに、猿時代は尻の大きさがメスの性的アピールポイントだったが
ヒトになって二足歩行になり尻の代わりに胸の大きさが女性の性的アピールとして追加
だから猿に近いほど尻が大きく、人類進化によって尻は小さくなっていった
つまり
人類進化:猿人→原人→旧人→黒人→白人→黄人
知能指数:猿人<原人<旧人<黒人<白人<黄人
脳の容量:猿人<原人<旧人<黒人<白人<黄人
顔平面度:猿人<原人<旧人<黒人<白人<黄人
尻の大小:猿人>原人>旧人>黒人>白人>黄人

181:世界@名無史さん
21/02/18 16:24:57.73 0.net
兵力
モンゴル軍
ペルシア史家 イブン・ビービー 5000、
ユダヤ史家 バール・ヘブラエウスとアルメニア人史家ヘトゥム 10000
アラブ史家(バイバルスとカラーウーン)の伝記作家 シャフィー・ビン・アリー 10000
アラブ史家 ヌワイリー 12000騎士
アルメニア人史家 キラコスとヴァルダン 20000
現代の学者は概ね1-20000人としている
10000人説は、モンゴルのテュメンの数をそのまま兵力と見なす場合、20000人説は、被占領現地軍がモンゴル兵と1;1の割合だったと推定している
マムルーク軍
ペルシア史家 ワッサーフ 12000(不明瞭な記載で議論がある。Howorthは12万と読解したが、現在では誤読だと考えられている)
現代の学者 アイユーブ朝末期のエジプト軍が10000-12000、これにシリア軍が加算される。シリア軍の数値はまったくないため、エジプト軍と同じ程度とすると10000、マムルーク軍は合計2万となる
バイバルスのキャリアからするとシリア軍を指揮していた可能性があるが、当日の戦場での軍隊配分は、史料のバトルの記述を追う必要がある

182:世界@名無史さん
21/02/18 16:51:32.04 0.net
バトル当日の史料を見なくてもバイバルスが1万以上の兵を率いていたらその数が研究書に出てくる筈だから
それがないということは出典も根拠もないのではないかな
ウィキの記載は削除した方がいいね
ウィキペのキト・ブカの記事ではクトゥズは12万の大軍を率いていたとあるが、これが
「マムルーク軍が大軍で勝った」という言説が拡散した背景じゃないかね
その根拠は1927年に死去した学者の誤読だったとww
両軍とも1-2万で幅がありほぼ互角にしか見えない
バトル当日の個別の戦闘ではバイバルス部隊がモンゴルの分隊の兵力を上回ったことがあったかも知れないが、
戦い全体ではマムルーク軍が大軍で破ったとはいえない

183:世界@名無史さん
21/02/18 21:05:47.77 0.net
バトル当日の様子について現代の学者の解析を読んでいるが
モンゴル軍側に同行していたサリーム・アッディーン・ウズベクの史料を論じて4ページ目で
ようやく信ぴょう性は低いと結論
記されてる太陽の位置と騎兵の動きを実際の地形と比較して細かく分析している
モンゴル軍の顔に陽があたりマムルーク軍が影になるにはいついつの時間のどこどこ
と論じていくがどうにも記述に矛盾がでてきて
と割と面白い
この後もしばらくサーリムの解析が続いてその後マムルーク側の史料の解析に移るのだろうが
章の冒頭でマクリーズィーの史書自体、既に3人以上の史家の伝聞の伝聞で現在では信頼性は
高くないとある…

184:世界@名無史さん
21/02/18 22:08:24.54 0.net
ユナーニー、クトゥビー、カスィール、ヌワイリー、フラートがクトゥズ主体の勝利だったと書いてる史料
左翼が崩壊し、中央軍のクトゥズが立て直したとする バイバルスは登場しない
隊列は両軍とも北から南に向かって広がって対面していたので、左翼が先方ということにはならない
フラートはクトゥズの背後にいた目撃者の証言を載せてるとのこと
このフラートの証言がマクリーズィーに継承された
続いてラシードウッディーンによるとクトゥズが少数の先方隊にいて
後退したけど押し返して勝利したという前嶋信次が引用しているエピが登場
バイバルスには言及はない
上述のマムルーク側の史料とモンゴル側史料の話から離脱している
この話はモンゴルの敗北とキトブカのその後の運命をモンゴル上層部や読者に
説明する目的で、遊牧民のよくある作戦をラーシドが取り入れ改変したものと
分析され信ぴょう性の低いエピとされる

185:世界@名無史さん
21/02/18 23:21:58.48 0.net
ザヒール、ワースィル、ユーニーニー、クトゥビー、タグリービルディーでくキトブガが打ち取られ、
二手に分かれたモンゴル軍の追撃隊としてバイバルスがようやく登場
同時代史料とその少し後(14世紀初)の史料によると戦いにおけるバイバルスの役割は不明とのこと
ただ武勇だけが指摘されている
ほとんど彼一人の力で勝利したとの話はザーヒルのバイバルス賞賛演説に登場するだけとのこと
このザーヒルは他の論文にバイバルスの部下の伝記作家だと書いてあった人物
(にもかかわらず今読んでる論文ではクトゥズとバイバルスの二人による意思決定やアスィールの
裏切り等が勝利に影響した、と記載しているがこの部分の詳細はなし
軍のサイズは重要ではないとも記している)
バイバルスがシリア軍に影響を持っていた可能性が高いのでバイバルスの貢献も高いのだろうが
バイバルスの部下の賞賛演説以外はバイバルスの役割が明記されているのは追撃だけとは驚いた


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