ユダヤ人総合スレ at WHIS
[2ch|▼Menu]
409:世界@名無史さん
17/03/21 22:15:57.95 0.net
原セム人に海の民成分が混ざってできたのがフェニキア人
混ざらなかったほうの一部がユダヤ人

410:世界@名無史さん
17/03/21 23:46:13.05 0.net
>>409
海の民はペリシテ人だっけ
多民族の海賊だったらしいからカナンは実際ただの寄留地だったんだろな
だから言語もそのままカナン語

411:世界@名無史さん
17/03/21 23:59:43.26 0.net
>>410
ペリシテ人だけじゃなくてエーゲ海の民族やらアドリア海の民族やらいろいろいる
船を使っての略奪と貿易で稼いでた当時の海洋民族の総称
オデュッセウスみたいな連中だと思ったらいい

412:世界@名無史さん
17/03/22 02:01:18.17 0.net
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した
理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから
女達は犯され
老人と子供は燃やされた
悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ
そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた

朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人虐殺
URLリンク(goo.gl)
URLリンク(youtu.be)

413:世界@名無史さん
17/03/22 20:31:14.66 0.net
>>407
とりあえずメソポタミア史を一からやり直しとけ

414:世界@名無史さん
17/03/22 22:41:03.64 0.net
そういう煽りレスはやめようよ

415:世界@名無史さん
17/03/23 00:01:22.24 0.net
イスラエル警察の現長官は中東系ユダヤ人との事。
URLリンク(en.wikipedia.org)
中東系のユダヤ人も要職に就くようになりましたが(以前から?),
エチオピア系ユダヤ人もそうなってくんだろうか。

416:世界@名無史さん
17/03/23 18:29:39.40 0.net
ペルシャを引き入れてバビロニアを滅ぼしたのが真相かもね
加害者なのにいつの間にか被害者にすり替ってるのが奴らの習性だから

417:世界@名無史さん
17/03/23 18:44:57.34 0.net
フェニキア人もユダヤ人もアラム人も結局同じなんだよ

418:世界@名無史さん
17/03/23 21:14:56.70 0.net
そして毎回無視されるモアブ人であった

419:世界@名無史さん
17/03/23 21:31:56.06 0.net
イスラエルに移住したユダヤ人の中でもギリシャやブルガリアから
やってきた人々ってイスラエル国内ではドイツ,オランダからの人達同様
”西洋系”と見なされてたんでしょうか。
そこら付近はオスマントルコの支配が長かったですけど”中東系”とも
なんか違うような・・
(フランスのサルコジ元大統領も母方がギリシャ系ユダヤ人でしたっけ)

420:世界@名無史さん
17/03/23 21:35:19.35 0.net
グノーシス主義的一神教のマンダ教ってユダヤ教の分派なんでしょ?

421:世界@名無史さん
17/03/23 21:41:29.61 0.net
>>420
あれ一神教化したのはイスラム教政府の弾圧を逃れるためだから多分違う
まずアブラハム敵対視してる時点でね...

422:世界@名無史さん
17/03/23 22:00:08.17 0.net
1世紀、ヨルダン川流域で成立したユダヤ教徒自らが「旧約聖書」を批判して起こった宗派でグノーシス主義的なマンダ教がある。
モーゼは詐欺師、イエスも悪であり「新約聖書」もキリスト教も否定する。

423:世界@名無史さん
17/03/23 22:07:21.79 0.net
マンダ教の歴史に関する史料は、彼ら自身による東アラム語文献しかない。
外部資料にはまったく記載がないので当時よほどマージナルな集団だったのだろう。
内部資料によるとマンダ教集団の祖先は他のユダヤ教徒と同様にパレスティナのヨルダン川流域に住んでいた。
ほどなく内陸シリアのハッラーン(現在のトルコ東南部)へと移住した。
恐らく、ユダヤ教徒なのに旧約聖書を否定したので周囲のユダヤ教徒との軋轢の故に移住せざるをえなくなったのだろう。
だが何らかの理由で内陸シリアのハッラーン(現在のトルコ南西部)にも安住できず、
更に東方のメディア山中(現在のイラン高原西部)に逃れ、パルティア王国(紀元前247〜紀元後224年)のアルダバーン王の保護を求めた。
インド・イラン系の宗教伝統の中にあるパルティア王国でなら旧約聖書を否定しても自由だったはずである。
ただ、パルティア王国にはアルダバーンという王が四人は存在しており、どのアルダバーンに庇護されたのかはわからない。
東アラム語で「叡智」を意味する「マンダーの教え人(マンダーイェー)」と名乗るようになった(発音的にはマンダーが正しい)。

424:世界@名無史さん
17/03/23 22:39:15.82 0.net
塚田孝雄 「ギリシア・ローマ盗賊きたん」
『海軍と貿易と海賊は三位一体だ。これが分らない奴は航海の素人』
ゲーテ「ファウスト五幕」より メフィストフェレスの言葉
 
「彼らは・・・ 一体なんだって、あそこまでやられたの?
 カルタゴの最後にしても、ティルスの最後にしても、ムゴスギじゃないの?
 ローマはカルタゴを滅ぼした時、ほとんど皆殺しにしてるよね?
 ローマという国は普通、他の国にはあそこまで残虐に出ないよね?
 またアレクサンダー大王のティルス攻略も、明らかに異常だよね?」
「ティルスというのは、フェニキア諸市の盟主にあたる都市国家で、
 港の沖合いに島があって、そこに全部の都市機能があったから、
 昔から「難攻不落」を誇った要塞都市だったんですね。
 現にアッシュルバニパルや ネブカドネザルもここを攻めて敗退してます。
 べネチアも多分、ここをモデルに作った町だったんでしょう。」
「でも大王は、港から島まで海に堤防を築くほどの異様な執念で
 強引に攻め入って来て、フェニキア人8000人を皆殺しにしたよね?
 残った2000人は島の城壁の周囲に磔にした。もの凄い光景だよね。
 元々アレクサンダー大王は人格者で、占領地の文化を尊重して
 ギリシアと中東の融合に努めたヘレニズム文化の生みの親だよね。
 現地女性と結婚し、部下もそれを真似た。降伏した敵にも寛容で、
 ましてや、一般人の大量殺害なんて絶対しなかった人じゃないの?」
「大王にとって彼らは『敵』の範疇に入らなかったんでしょう」
「フェニキアが『敵』でなかったら一体なんなの?」

425:世界@名無史さん
17/03/23 22:42:51.82 0.net
「あのひとたちは人さらいですよ。
 ホメロスやヘロドトスでは、彼らは人さらいの代名詞ですよ。
 買い物をするためにフェニキア商船に乗った王女と侍女が
 そのまま連れ去られた記述がヘロドトスの「歴史」にあります。」
「フェニキア人はなんだって人さらいなんかするの?」
「あのひとたちは奴隷商人ですよ。
 これはちゃんとした論文にも書いてますが、世界最初のオークションは
 フェニキア人による『奴隷のオークション』だったそうです。
 最初は自分たちで人間をさらってたんですが、時代を下るにつれ、
 『下請』に人さらいをさせて、自分達は『元請』として獲物を買い取り、
 地中海の交易網を利用して、それを全然別の地域で捌くようになりました。
 北アフリカの例ではガラマンテス族に、トログロデュタイという蕃族を
 奴隷狩りさせてるんです。これはトカゲを食べてる様な未開の人たちです。
 それが、ガレー船の中で船こぎ奴隷として一生を送ることになるわけです。」
「なんだってフェニキア人にはそんなことができるの・・・」
「あのひとたちは、海賊ですよ。
 マラトンの戦いの時も、ギリシアの神殿から像を略奪しています。
 彼らは「貿易」と「海賊」を兼業しそれはもはや国家ぐるみというより、
 フェニキア全市が完全に連携していて、王や神官も公認の下、
 地中海最強の艦隊がバックアップしてます。誰も止めれられない。
 それと、彼らが世界から忌み嫌われるには、別の理由もあります。
 有名なコドモの人身御供です。これは伝説でもなんでもなく、
 現実にカルタゴからは子供の頭蓋骨が大量に発掘されています。
 紀元2世紀頃の文芸作品に「フェニキア海賊」の話は多く出てきます。
 クセノフォンの「エフェソス物語」、ロンゴスの「ダフニスとクロエ」
 タティウスの「レウキッペーとクレイトフォン」なんかには
 フェニキア人海賊に捕まって切り刻まれて食べられた話が満載です」

426:世界@名無史さん
17/03/23 22:46:49.79 0.net
繁栄したテュロス・カルタゴの裏に潜む恐ろしさには身の毛もよだつものがあり、
ギリシア人は彼らを天道にも人道にも反する民族として心の底から畏怖していた
事だろう。アレクサンドロスが海賊帝国テュロスの覆滅に異様な執念を見せたのも
戦略上、経済上の理由によるものばかりではなさそうだ。

「つまりアレクサンダー大王にとって彼らは犯罪組織に過ぎなかったと?」
「あのひとたちは基本的に人の物と自分の物の区別がつかない人なんです。
 一般にフェニキア人は薄利多売を行なって、現地の産業を潰して市場を独占する
 貿易戦略をとっていました。現にティルスでは派手な製品が量産されて、
 それが現地の素朴な商品を駆逐しています。
 他の民族でも似たような事例は有りますが、他の場合は資本主義のルールに
 従って活動していくうちに、ついつい公共性をはみ出すといった感じですよね。
 でもフェニキア人は、元々が人食い人種に近い海賊だから、彼らにとって貿易は、
 最初から「略奪行為を偽装して行なう手段」に過ぎなかったのかもしれない。
 ギリシアやローマなど、同時代の人間から見たフェニキア人の印象は
 『何を考えてるんだか判らない』存在です。彼らの証言には色々矛盾があります。
 『裏切り』『嘘つき』『ずる賢い』『陰謀』『信心深い』『敬虔』『質素』『残忍』などなど。
 私はこれが全部事実だと思うんです。私はこのひとたちの考えていた事がわかる
 ような気がします。それは、それほど間違っているとは言えないのではないか?
 とさえ感じます。つまり、彼らは他民族を「同じ人間」とは見ていないのかもしれない。
 豚や牛を屠殺する人も、個人的に信心深くもありうるし善良でもありうる。
 ただ、それが結果的に他民族の怒りを買い、やがてはナチスドイツによるユダヤ人
 大虐殺にまでつながってくるわけです。
 フェニキア人はある意味で今のユダヤ人の『原初の姿』なんです。
 フェニキアを知らずに、ユダヤにおける「ゴイム」という言葉を正確に理解する事は
 おそらくできないと思いますよ」

427:世界@名無史さん
17/03/23 22:48:37.61 0.net
「それはなぜなのかな?」
「あのひとたちは民主主義の生みの親ですよ。
 民主主義のデモクラシーという言葉には、かなしい響きがあります。
 この言葉のもとになったギリシア語の『デーモス』という言葉には、
 元来『別れ』という意味があったんです。
 なぜ民主主義が、『別れの政治』なのか?
 なぜ『別れ』という言葉が、民主主義そのものを意味するようになったのか?
 一般に、古代ギリシアで人類最初の民主主義が誕生したのは
 紀元前9世紀頃とされています。ところがその誕生の経緯自体が
 あまりハッキリしない。本当ははっきりしているのかも知れないが、
 とにかく「あまりはっきりとは」教えられてはいない。
 実は古代ギリシアには暗黒の200年といって歴史に大きな断絶の時期があるんです。
 それより前の時代の史料は多く残ってる。それより後の時代の史料も多く残ってる。
 なのに、その間だけはなぜか異常に史料が乏しい。
 そして、古代ギリシアが王制から民主制に移行したのは、実はこの謎の時期なんです。
 人類初の民主制がどういう経緯で誕生したのかは、歴史の闇に包まれてるんです。」
「史料がなぜか『消失』しているこの暗黒時代を過ぎると、それ以前にギリシアを
 支配していたミケーネ王国という「領域国家」はどこかへ姿を消してしまって、
 どこからともなく現われた数百の「都市国家」が、いつのまにか、ギリシア全土に
 成立しているんです。驚くのは、そのほとんどが、民主制だってことです。
 領域国家としてのミケーネが、数百のポリスに「分割」されたのはなぜなのか?
 王家の人たちが消されて、いつのまにか民衆たちが支配している異常事態は
 どうしてなのか?  この間、いったいどんな事が起こったのか?
 ひょっとすると民主制というのは、もともと植民地統治の一形態だったのではないか?」

428:世界@名無史さん
17/03/23 22:50:41.29 0.net
「学界ではタブーですが、フェニキアがギリシアを植民化していた説は昔からあるそうです。
 例えばギリシアは最初ミケーネ文字を使用してたんですが、この暗黒時代以後には
 いつの間にかフェニキア文字(アルファベット)を使用しています。ギリシアの古代文学にも
 フェニキアがギリシアを支配していた事を仄めかしている作品がいくつかあります。
 考古学的にも、ギリシアからはフェニキア製遺物が多く出土しています。
 また、ギリシアがフェニキアの支配から解放された9世紀頃というのは、
 フェニキア本土がアッシリアの支配下におかれた時期にちょうど重なってるんです。
 そしてこの時期、ギリシアは『民主主義ポリス群』として世界史に華々しく登場します。
 この頃はフェニキア自身がもう植民地どころではない状態だったんでしょうね。」

「もし・・・、それが事実だったとしたら・・・
 なぜ、フェニキアはギリシアを支配するためにそんなことをしたの?」
「あのひとたちは海の向こうからやってきた異邦人ですよ。
 外からやって来たまったくのよそ者が、同じ血の繋がった民族同士としての
 家族的な紐帯をもつ「王家と民衆」を切り離すためにはどうすればいいでしょう?、
 王という民族全体の総本家の代表による行政上の統治を、「加害行為になぞらえて」
 「大衆を煽動」するレトリックは、たぶんこのときから始まりました。現在でも、
 民主主義の正当性を讃える場合は、いまだにこうしたやり方が行なわれてますね。
 おそらく徹底した教育を行って、民衆に必死で叫ばせるわけです。
 そこは日頃、人間を動物のように調教していた奴隷商人ならではのウデマエです。」
「私には、太古のギリシアの浜辺で、横一列に並ばされて、声の限りに民主制の
 素晴らしさを叫ばされている人たちの姿が目に浮かびます。エーゲ海の残酷なぐらい
 真っ青な海から風に乗って、今でもその絶叫が耳に響いてくるようです。
 事実、ギリシアはフェニキアの支配を脱した紀元前9世紀以後になっても、
 なお民主制を正しいものだと「信じ続け」、後々までずっとこの制度を保ち続けるんです。」

429:世界@名無史さん
17/03/24 05:30:05.44 0.net
ローマ本土に入ったハンニバルは裏切り者を探したが見つけられなくて失敗したんだよな
実に10年以上ローマ本土を彷徨った


最新レス表示
スレッドの検索
類似スレ一覧
話題のニュース
おまかせリスト
▼オプションを表示
暇つぶし2ch

2590日前に更新/121 KB
担当:undef