正史『三国志』 三十一巻 at WHIS
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450:世界@名無史さん
17/06/12 01:54:07.91 0.net
>>443
宦官死んで趙融が失脚した後って袁紹が筆頭になってて
董卓が袁紹を部下に引き込んでるってことはそこに吸収されてるでしょ
その後曹操と袁紹、淳于瓊が身一つで逃亡してる
行動が不明な人々はキーパーソンじゃないから行動が残ってないのだろうし
結局この逃亡した人々の行動で完全に西園軍が宙に浮いてる形になったから
董卓が吸収以外の消滅理由がないと思うのだけど

451:世界@名無史さん
17/06/17 16:18:25.72 0.net
董卓に軍権持ってかれたからさすがの袁紹も身一つで逃亡か
その後の曹操や袁術の逃亡の理由はまた別のところにありそうだが

452:世界@名無史さん
17/06/19 03:28:52.72 0.net
董卓が私兵をバックにやりたい放題したからな。
何進の死後、中央の軍隊は誰が引き継いだんだろ?
車騎将軍は何苗の後誰が継いだんだっけ?

453:世界@名無史さん
17/06/19 11:46:02.06 0.net
董承?

454:世界@名無史さん
17/06/19 12:06:46.94 0.net
当時董卓は私兵の数が大したことなかったので手持ちの3000を夜に城門の外に出しては
朝に董卓の部下、続々増援!ってのを連日繰り返して大兵力がいるって誤魔化してたから
私兵をバックにというのは正しくもあり正しくもなし

455:世界@名無史さん
17/06/19 12:19:09.60 0.net
何苗
 ↓
皇甫嵩
 ↓
董承
こう?

456:世界@名無史さん
17/06/19 12:34:29.49 0.net
董卓も涙ぐましい努力してたんだなあ
「董卓様の部下が続々と到着しておられるが、宮殿に入っていった兵は出てこないのう」

457:世界@名無史さん
17/06/19 17:42:44.64 0.net
>>455
皇甫嵩って黄巾の乱の後に車騎将軍に昇進してなかったっけ?

458:世界@名無史さん
17/06/19 17:53:59.41 0.net
曹操って呂布を一時撃退したあと袁紹からの援助の申し出断ってるけど
あれって言うほど断る必要かったかな

459:世界@名無史さん
17/06/19 20:18:38.23 0.net
>>432
>皇帝の近侍ともなれば武芸の修練者や軍略に明るい者も混じってたりするんだろうな
軍略はともかく武芸は無理だろ
類宦官症の人のサイトがググれば見つかると思うけど女に腕相撲で負けるほど脆弱と書かれてるし
十常侍も戦闘は全部配下の兵に任せてるだろ

460:世界@名無史さん
17/06/19 23:04:20.36 0.net
類宦官症で参考にできるのは幼少時に去勢された場合じゃね?
成人後に去勢された場合だとあまり参考にならなさそう

461:世界@名無史さん
17/06/20 01:45:13.43 0.net
武人として鍛えた高名な武士を去勢して近侍にするのって色々とやばくねーか

462:世界@名無史さん
17/06/20 18:36:33.71 0.net
>>458
袁紹は張バクとはなあなあで済ませたがってたようにも見える
東郡太守の人選とか

463:世界@名無史さん
17/06/21 21:04:04.42 0.net
>>461
現代の倫理観からしたらいろいろやべーと思うけれどw
それでもいくら男子禁制の後宮とはいえ、帝や妃の護衛や宮内の警備の需要はあるだろう
日本の大奥にも別式女のような武芸を担当する女官がいたようにさ

464:世界@名無史さん
17/06/22 00:42:33.11 0.net
需要はあるだろうけど、武士として名を売るために厳しい鍛練に耐えてきた奴が
腐刑受けて宦官になりたがるだろうか?という
そういう人を無理やり宦官にしたら普通に恨みで寝首かかれそう

465:世界@名無史さん
17/06/22 07:05:52.91 0.net
死刑になるところを腐刑で済んだなら我慢もできるだろ

466:世界@名無史さん
17/06/22 15:50:04.04 0.net
戦争捕虜とか冊封国からの生口とか
そういうルートから宦官になる例もあるね

467:世界@名無史さん
17/06/24 13:00:11.01 0.net
曹操が中国で有能でも人気がないのは
中国で人気出るのに大きな要因となる悲劇が曹操には足りないし
しかも三国志では一番の英雄だけど結局覇王になってない
もっと有能は他の時代にいくらでもいるしなって感じじゃね
チビの不細工なのもつらい
日本人って三国志を、演義や正史を元にした横山三国志やら吉川三国志で知ってるから
曹操をまず乱世の奸雄というか有能な奴としてみてるけど
中国人って場面場面を切り取って劇にした京劇とか講談で知るからな
そこで描かれる曹操は常に卑怯でズルいやつで、そのイメージがまあ強い
変な話だけど、日本のゲームやマンガというメディアを通じて
初めて三国時代の流れを知ったという中国人も多い

468:世界@名無史さん
17/06/24 19:10:36.05 0.net
>>463
>日本の大奥にも別式女のような武芸を担当する女官がいたようにさ
中国でも後宮の護衛は女官が行うのが普通だけどね
孫武が呉王から宮女の訓練を承ったとか石虎が女官に弓術を習わしたとかいくらでも伝わってるだろ
>>466
>戦争捕虜とか冊封国からの生口とか
こういう場合は普通は子どもが献上されるのが普通
「大越史記」でも中国がたびたび攻めてきては多くの幼男が宦官として金陵に連行されたという記述がある
朝鮮や琉球も宦官を貢いでるけど何れも子ども
通常、大人で宦官になるのは刑罰を受けた者か自宮した場合

469:世界@名無史さん
17/06/25 11:11:08.02 0.net
それは全然女官を護衛に使う普通の証明になっていないような

470:世界@名無史さん
17/06/25 15:34:52.27 0.net
つうか秦漢の頃は女にも戌兵の役があったろ
労役も課せられていたし
実際に漢代の長城から出土した兵員名簿にも女の名前がでてるし

471:世界@名無史さん
17/06/25 16:31:20.69 0.net
孫武のアレがガチ訓練ということになってるでござる
んなアホな

472:世界@名無史さん
17/06/26 03:27:42.29 0.net
孟姜女涙目

473:世界@名無史さん
17/06/28 00:07:33.59 0.net
女の兵士とか扱いが面倒だし、男と一緒の軍隊生活なんて送れないだろ。
体力もないしな。
衛生兵とか慰安婦じゃないの?

474:世界@名無史さん
17/06/28 00:18:45.84 0.net
>>473
趙の平原君が邯鄲包囲された時に李同が提案で
「今君誠能令夫人以下編於士卒之閨vとか言ってて
意外に中原近辺だと女性兵士が抵抗なく受け入れられてた可能性はある

475:世界@名無史さん
17/06/28 19:28:10.60 0.net
墨子とか商君書といって兵法書みると女は女だけで別に一軍を作って壮男軍とは混じらぬようにせよ
なんて書いてある
墨子 号令篇
諸男女有守於城上者,什、六弩、四兵。丁女子、老少,人一矛。(中略)女子到大軍,令行者男子行左,女子行右,無並行,皆就其守,不從令者斬。
商君書 兵守篇
壯男為一軍,壯女為一軍(略)壯男過壯女之軍
>>473
ウェイトリフティング部だった時の記憶だけどさぁ女子のトップクラスは自分より階級上の男子の記録抜いたりするんだぜ
訓練次第では兵士として十分役に立つ人材もいくらでもいると思うし思うし武器もたせたら余計関係ないと思う
呂布や関羽でも女4〜5人に四方から槍で突かれたらイチコロよ

476:世界@名無史さん
17/06/28 23:45:08.85 0.net
秦軍にも女部隊とかいたんか?
キングダムの作者が喜びそうなネタだな。
防衛戦は総力戦だから女も戦わざるを得ないだろうね。

477:世界@名無史さん
17/06/29 00:40:13.95 0.net
史記の平津侯主父列傳 に「秦禍北構於胡,南掛於越,宿兵無用之地,進而不得退。行十餘年,丁男被甲,丁女轉輸」
ってあるな
つうか商君書も墨子も秦でまとめられたものでしょ

478:世界@名無史さん
17/06/29 01:39:33.21 0.net
後宮物語

479:世界@名無史さん
17/06/29 02:15:09.71 0.net
秦漢以外だとどのくらい普遍的だったのかようわからん

480:世界@名無史さん
17/06/29 14:29:56.98 0.net
一般的なら兵馬俑に女兵士とかいるだろ。

481:世界@名無史さん
17/06/29 20:15:33.18 0.net
>>480
あれは皇帝の近侍や直属軍がモデルのはずなので、郡兵と一緒に考えるとちょっとズレるんじゃねえかな

482:世界@名無史さん
17/06/30 00:58:54.53 0.net
ちくま学芸文庫の正史三国志を読んだのですが、
当方、高校生で、大学では東洋史を学びたいと思っています。
そんな私がこの次に読むべき本は何でしょうか?
おすすめがあれば教えてください。ちなみに曹操が好きです。
また、専門的に三国志を学ぶ上で三国志集解は避けて通れないものだと、
三国志で卒論を書いた高校の先生に聞いたのですが、本当ですか?
三国志集解という本は調べても日本語訳は出ていないですし、
私には白文を読む能力はありません。大学へ行けば知識がついて読めるようになるものなのでしょうか?

483:世界@名無史さん
17/06/30 01:08:43.60 0.net
おなじちくま学芸文庫の史記と漢書でもよんでください
集解ぐらい読めて当然ですし
東洋史やるなら現地の語学も必要です
外国語の学習と同じで辞書もって努力してください
>大学へ行けば知識がついて読めるようになるものなのでしょうか?
読めません。英語本が大学入って読めるわけがないのといっしょです

484:世界@名無史さん
17/06/30 01:12:08.75 0.net
曹操が好きなら
曹操―三国志の奸雄 (講談社学術文庫) 文庫 ? 1996/3
竹田 晃 (著) でも読んでください

485:世界@名無史さん
17/06/30 01:15:25.46 0.net
>私には白文を読む能力はありません
あとなら東洋史なんか日本語の本だけ読んで趣味にして
法学部か経営商学部で学んだほうが就職にいいでしょう
研究するなら読めて当然ですので

486:世界@名無史さん
17/06/30 01:43:38.20 0.net
>>482
大学行けば白文読めるようになるかっていう意識だと一生ならない
高校生なら受験でも有利に働く局面もあるだろうし本気なら今からガッツリやっておけよ
大学入試で出る問題程度なら満点取れる程度の漢文読解力は東洋史で食おうと思うなら必須に近い
専門でやってこうとするなら他にいくらでも身に付けるべき言語やスキルが存在するから
漢文読む能力なんて最低限度のものは高校時代にやっとかないと時間足りなくなるぞ
今読めない自覚あるなら猶更、今学習しとかないと後悔するからな、本当だぞ
そういう意識で今から勉強できないなら上で書いてくれてる人がいるように歴史は趣味に留めた方がいい
史学なんて金にならない学問やっても卒業したらクソニートか教員か
クッソどうでもいい三流企業を何十何百と回って内定を求めるゾンビになるだけだからな
歴史が好きで集まった史学科で学業で勝ち抜き、自分の席を勝ち取るにはそれくらいしないとダメだし
席が無けりゃ卒業後本気で路頭に迷うんだってことを肝に銘じてくれよ

487:世界@名無史さん
17/06/30 07:06:07.15 0.net
皆さん叱咤激励ありがとうございます。目が冷めました。
高校時代に白文を読めるように頑張って勉強します。
やはり、東洋史を大学で学びたいですから。
史記はもう読んであるので、漢書と曹操三国志の奸雄も読んでみます。

488:世界@名無史さん
17/06/30 14:37:46.91 0.net
曹操なら石井仁の「魏の武帝」もいいんじゃない?

489:世界@名無史さん
17/06/30 15:01:08.52 0.net
大学卒業した後の心配もされてるからな
よほどの覚悟が必要だよ

490:世界@名無史さん
17/06/30 17:10:54.63 0.net
少子化だし大丈夫じゃね?
むしろ助言してるヤツのがやばそう。

491:世界@名無史さん
17/06/30 17:43:51.37 0.net
研究者の席って20代から60代までの分厚い層が奪い合ってるのに
どうして少子化だからと言って安閑としていられようか

492:世界@名無史さん
17/06/30 17:51:50.76 0.net
少子化→学生数の減少→教育に必要な教員数の減少
少子化進行中はライバルの減少よりもポストの減少の方が深刻
さらに文系(文学部&教育学部)軽視で学部再編する大学が出てきてて状況がさらに悪化中

493:世界@名無史さん
17/06/30 18:05:59.91 0.net
日本史はそれでも国内に博物館とか研究所ポストあるけど
東洋史なんてそれもねぇからなぁ

494:世界@名無史さん
17/06/30 21:52:34.66 0.net
少子化だから史学科卒でも一般企業に就職しやすいって意味だよw

495:世界@名無史さん
17/07/01 12:27:28.72 0.net
研究者目指してる人に対してそれって慰めにもならんけどな

496:世界@名無史さん
17/07/01 12:37:57.66 0.net
高校生の時に白文読めないのは問題じゃないよ
就職とかは絶望的になることと、「曹操が好きだから」みたいな意識だと後に行けば行くほど辛い事だらけになっていく事の方が問題

497:世界@名無史さん
17/07/01 16:37:11.30 0.net
もともとお金になることじゃないからなぁ
小説や漫画にしてひと山当てるでもしない限り
そっちも割りと飽和状態だし

498:世界@名無史さん
17/07/01 17:35:19.59 0.net
曹操好きと劉備好きってどっちが出世しそう?

499:世界@名無史さん
17/07/01 18:39:18.24 0.net
好きってだけで何が解るというのかね

500:世界@名無史さん
17/07/01 22:35:33.16 0.net
横山三国志読んだから劉備好き
蒼天読んだから曹操好き
それだけでは何も

501:世界@名無史さん
17/07/01 22:46:05.58 0.net
途中まではまともな叱責だったのに
段々ただの陰湿な嫌味になってるじゃねえか

502:世界@名無史さん
17/07/02 00:02:19.10 0.net
>>501
最初の方で言ってることの方がおかしいと思うが

503:世界@名無史さん
17/07/05 12:52:55.59 0.net
横山光輝の漫画読んで適当にやっときゃok

504:世界@名無史さん
17/07/05 15:32:16.36 0.net
むむむ

505:世界@名無史さん
17/07/06 00:35:08.20 0.net
話を戻してすまんが、女兵士を率いていたのは女将軍だったのかな?
男だと、同僚からからかわれたりすんのかな?
ハーレム気分を味わってたりすんのかな?

506:世界@名無史さん
17/07/06 19:42:50.20 0.net
殷の婦好とか西周代の金石文では女でも兵を率いて戦功をあげて報償されるようなことがしばしばあったようだが
春秋時代になるとなくなるので全部隊の指揮をとるような将軍は普通は男なのでは
卒長や伯長とか末端の下士官は女がやってたかもしれんけど

507:世界@名無史さん
17/07/06 21:07:03.70 0.net
漢代の女将軍なんて徴姉妹くらいしか知らんわ・・・

508:世界@名無史さん
17/07/06 21:21:26.38 0.net
官僚の時代になったら、女をきちんと教育して将軍にするプロセスを持ってないと使えないよな

509:世界@名無史さん
17/07/06 21:29:04.60 0.net
将軍つうか女酋長だろ徴姉妹

510:世界@名無史さん
17/07/07 01:38:37.24 0.net
県の有力者の妻だろ?
郡県を攻め落としてから王を称してる。

511:世界@名無史さん
17/07/07 06:04:54.54 0.net
>>508
儒教下であるわけないだろ

512:世界@名無史さん
17/07/07 11:37:51.80 0.net
秦良玉「・・・」

513:世界@名無史さん
17/07/07 16:16:50.68 0.net
彼女は非漢人じゃなかったっけ

514:世界@名無史さん
17/07/07 20:08:46.11 0.net
>>513
苗族だよね。

515:世界@名無史さん
17/08/08 02:42:21.11 0.net
何この過疎・・・

516:世界@名無史さん
17/08/11 08:58:02.29 0.net
宦官って霊帝の時は目立つけど
その後の魏、蜀、呉にもいたんですか?

517:世界@名無史さん
17/08/11 10:01:01.29 0.net
いた

518:世界@名無史さん
17/08/11 21:01:23.73 0.net
演義で宦官にされた呉の人がいましたね

519:世界@名無史さん
17/08/12 03:04:18.07 0.net
魏晋の宦官はあんまり有名なのいないね。

520:世界@名無史さん
17/08/12 08:44:58.11 0.net
黄皓の名前が挙がらないとは。

521:世界@名無史さん
17/08/12 09:54:16.52 0.net
知名度があるのは黄皓だけか
後漢の後期の悪い印象が強いから魏晋では出世しないようにされたか

522:世界@名無史さん
17/08/12 13:03:19.88 0.net
蜀は漢の伝統を引き継ぐために宦官も引き継いだ
って一般論でよく言われる

523:世界@名無史さん
17/08/12 13:52:25.29 0.net
>>522
宦官引き継がない方がおかしいんやで

524:世界@名無史さん
17/08/12 16:36:53.71 0.net
後漢の宦官vs豪族の抗争は魏晋南朝の貴族制樹立で豪族の勝利

525:世界@名無史さん
17/08/12 18:36:44.56 0.net
貴族は朱全忠にぶっ殺されて宦官が勝利だろ

526:世界@名無史さん
17/08/12 23:13:07.79 0.net
宦官が居なかった王朝なんてない

527:世界@名無史さん
17/08/13 01:06:51.66 0.net
すれ違いだけど五胡十六国の異民族王朝にも宦官はいたんだろうか

528:世界@名無史さん
17/08/14 01:07:03.63 0.net
つ南漢

529:世界@名無史さん
17/08/26 20:45:29.15 0.net
皇帝と後宮と宦官はワンセットみたいなもんまし

530:世界@名無史さん
17/09/17 02:04:34.50 0.net
孔明と司馬懿って若い頃は特に接点ないよね?

531:世界@名無史さん
17/09/17 06:37:03.85 0.net
ない

532:世界@名無史さん
17/09/17 10:41:40.05 0.net
黄権は快男児です

533:世界@名無史さん
17/09/17 10:58:34.23 0.net
黄権が快男児との手紙を書いたころの司馬懿は若く見積もっても40代中盤

534:世界@名無史さん
17/09/17 11:49:46.75 0.net
二人をよく知るのは黄権だけか

535:世界@名無史さん
17/09/17 11:57:13.06 0.net
司馬懿と諸葛亮は顔合せたことないし

536:世界@名無史さん
17/09/17 12:19:10.02 0.net
曹操と諸葛亮も手紙のやり取りしてたよね

537:世界@名無史さん
17/09/17 12:22:13.17 0.net
>>536
いつの話?

538:世界@名無史さん
17/09/17 18:30:07.93 0.net
>>82
キって鬼?

539:世界@名無史さん
17/09/17 21:38:15.61 0.net
趙雲は老将のイメージが強い。

540:世界@名無史さん
17/09/18 10:14:24.63 0.net
>>537
いつ頃かは知らないけれど、鶏舌香五斤ありがとうの手紙が曹操から諸葛亮に送られてる

541:世界@名無史さん
17/09/18 14:01:20.34 0.net
鶏舌香は老人の口臭をごまかす香だから、「口臭いジジイ早く引退しろよ」っていう諸葛亮からのメッセージだったんだろ

542:世界@名無史さん
17/09/18 14:11:59.68 0.net
>>541
諸葛亮ごとき若造が何程のことあらんかと曹操の激怒する姿が見えてくるわ

543:世界@名無史さん
17/09/18 15:17:14.14 0.net
趙雲は味が十分に染みたのり弁がぎっしり詰まった四角いアルマイトの弁当を食ってるイメージ

544:世界@名無史さん
17/09/18 18:38:27.92 0.net
お前ら趙雲を何だと思ってるんだ

545:世界@名無史さん
17/09/18 19:51:46.39 0.net
山田太郎

546:世界@名無史さん
17/09/18 19:59:04.33 0.net
>>538
キっていうのは殷の甲骨文に出てくる最高神、杖を持った一本足の猿の象形とされる
後に帝俊、派生して五帝の帝コクや舜、さらに派生して楽正(音楽を司る)后キになる。
後世になるとただの一歩足の動物になり、黄帝が蚩尤を破るためにつくった太鼓の皮にされたりしてる。
孔子と弟子の問答に、どうしてキは一足なりって書いてあるんでしょう?と弟子が聞いたところ
孔子は「優れた人物は一人でも足りるという意味(決して一本足の事ではない)」と怪力乱神を語らない孔子の性格を表現される話としてよく使われる。

547:世界@名無史さん
17/09/20 07:11:44.11 0.net
趙雲はジジイすぎる

548:世界@名無史さん
17/10/12 19:32:04.47 0.net
>>53
孫権は日本列島を襲って倭人を拉致して兵員補充をした。

549:世界@名無史さん
17/10/12 19:38:35.73 0.net
台湾だろ
日本へはこれなかった

550:世界@名無史さん
17/10/12 23:01:34.92 0.net
澶洲とは日本のことで朝鮮式山城はその時に日本人が造ったもの!
朝鮮人は関係ない!!って強弁するネトウヨおばちゃんが日本史板で暴れてて鬱陶しかったな
たとえ日本だったとしても「澶洲者所在絶遠不可往来 」って明記されてるから意味ないんだが

551:世界@名無史さん
17/10/13 01:16:09.20 0.net
兵員だっけ?まぁ人口が増えれば兵員も増えるんだろうけど
失った兵のほうが多くて補充にならなかったかと

552:世界@名無史さん
17/10/14 04:26:13.02 0.net
>>526
つ東方帝国ヤ〜マ〜ト〜

553:世界@名無史さん
17/10/15 00:02:25.63 0.net
日本出土の赤烏年鏡は明らかに呉からもたらされたもの。

554:世界@名無史さん
17/10/15 03:54:34.65 0.net
金石文は文書よりも信用できる

555:世界@名無史さん
17/10/15 07:02:43.38 0.net
作られた時期と渡来の時期って一緒なの?

556:世界@名無史さん
17/10/15 17:07:58.03 0.net
赤烏年鏡は呉から公孫経由で入って来たものとされている
そもそも三国時代に東シナ海つっきるほどの航海技術ないし

557:世界@名無史さん
17/10/15 17:27:47.22 0.net
普通に朝鮮半島東南から最短距離で日本に来れるだろ。
400年以上前に徐福も来てるしな。

558:世界@名無史さん
17/10/15 18:03:09.89 0.net
元寇成功できなかったモンゴル帝国は呉以下だぬ

559:世界@名無史さん
17/10/15 18:52:32.45 0.net
>>557
徐福が日本に来たとか言うのは俗説
更に言うと当時の朝鮮半島南部は馬韓が支配して帯方郡と抗争を繰り広げていたから猶更無理

560:世界@名無史さん
17/10/15 19:01:46.57 0.net
つうかそもそも鳥居原狐塚古墳は5世紀と呉が滅んでから200年近く後のものだから
普通に半島からの伝来品だろ
邊津鏡と辺津鏡という前漢代と後漢代の鏡があるんだが
これも古事記によると新羅のアメノヒボコからの伝来品

561:世界@名無史さん
17/10/15 22:40:00.90 0.net
徐福の船に乗っていたとか言う少年たちはその後どうなったんだろうな
徐福が楽しんだのだろうか

562:世界@名無史さん
17/10/16 00:45:30.73 0.net
徐福は行く行く詐欺野郎で、出航せずに港でうだうだしてたのが
始皇帝にばれて大目玉食らったんだよ
そのあとまもなく始皇帝が死んじゃって話はうやむや
徐福は丸儲けw
あの始皇帝がよくその場で殺さんかったと思うよ

563:世界@名無史さん
17/10/16 02:52:48.97 0.net
帯方郡って魏じゃねえの?
その前は公孫氏だけど、別に馬韓と呉が敵対する理由はないっしょ。
韓半島東南は辰韓じゃなかったっけ?

564:世界@名無史さん
17/10/17 13:00:44.29 0.net
普通に敵対しまくってるが
帯方郡はもともと公孫康が戦乱で韓に逃れていた遺民をたきつけて
侵略して置いた郡だし仲良くできるわけないんだが

565:世界@名無史さん
17/11/04 20:39:46.67 0.net
魏が滅ぼしたって書いてあるのは馬韓という解釈が一般的なの?

566:世界@名無史さん
17/11/10 00:09:06.74 0.net
どこをどう読んだらそんな頓珍漢な解釈が出てくるんだ

567:世界@名無史さん
17/11/17 18:00:44.42 0.net
潘濬って文官より武官としての才能が高いよな

568:世界@名無史さん
17/11/17 22:46:42.57 0.net
西成高速鉄道(西安~成都)が開業するけど
所有時間が16時間から3時間に短縮されるそうだ
日帰りで北伐できるねw

569:世界@名無史さん
17/11/18 01:06:25.54 0.net
木牛号流馬号

570:世界@名無史さん
17/11/18 02:07:04.78 0.net
西成ってw
大阪かと思った

571:世界@名無史さん
17/11/18 12:13:31.18 0.net
>>562
代わりがいないからな

572:世界@名無史さん
17/11/19 06:24:13.78 0.net
中国の高速鉄道とか怖くて乗れん・・・

573:世界@名無史さん
17/11/21 22:57:46.01 0.net
孔明の南蛮討伐の専門家の研究とか無いの?

574:世界@名無史さん
17/11/21 23:00:35.10 0.net
>>556
赤烏(238- 251)年号の鏡が238年に攻め滅ぼされた公孫氏経由で
渡来とかあり得なくね?

575:世界@名無史さん
17/12/10 18:20:27.95 0.net
教えてください
孫権の長男の孫登の教育係だったという支謙の伝は三国志にはないようですが、
(伝どころか一言も言及されてない)彼の伝が読める書物はなんでしょうか
和訳本はあるのでしょうか?
また、孫権はなぜ仏教僧を教育係にしたのでしょうか?
よろしくお願いします<(_ _)>

576:世界@名無史さん
17/12/10 18:39:20.52 0.net
高僧伝読むしかないんじゃないの?

577:世界@名無史さん
17/12/10 23:53:36.81 0.net
wikiを見ると上の方が書いているとおり「高僧伝」巻1に載っているみたいですね。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
で、高僧伝のwikiによると岩波で完訳も出ているようです。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

578:世界@名無史さん
17/12/11 00:14:37.28 0.net
>>576-577
ありがとうございます。
密林で見たらびっくりするほどの値段だったので、図書館で探してみます。
なぜ、呉書には支謙が登場しないのでしょうね?
捜神記や世説新語にも出てこないですよね。

579:世界@名無史さん
17/12/11 22:45:15.53 0.net
>呉書に伝がない理由
支謙の功績は、呉の家臣としてよりも、訳教によるものだから、
順番が劣後してしまったのでは?
一言くらい言及があっても良さそうなものだけど、孫登の教師というだけなら、
その他大勢のうちの一人になってしまったのかも。
>呉と仏教
三国時代の仏教というと、地域も近い悪名高いサク融が思い浮かびますが、
それくらいしか分からん。
孫権としては仏教の専門知識ではなく、単に博学なところに期待したのかも。

580:世界@名無史さん
17/12/12 00:37:18.43 0.net
江東は怪異の国だし

581:世界@名無史さん
17/12/12 02:15:35.48 0.net
URLリンク(zh.wikisource.org)
原文で読めるならこれどうぞ

582:世界@名無史さん
17/12/12 11:23:31.27 0.net
維基文庫の漢字のいい加減さはひどいな

583:世界@名無史さん
17/12/12 22:51:09.47 0.net
>>579
孫登が太子になったのは221年、支謙が訳経作業を始めたのが222年で、
ほぼかぶってるんですよね。孫登の教師といっても、訳経作業の片手間程度の
ものだったかも知れませんね。孫登には是儀や陸遜がそばについてましたし。
孫権はスピリチュアルwなものに興味示す人だから、仏教にも関心あったんでしょうね。
>>581
ちうごく語読めませんがありがとうございます。
康僧会って、あの孫晧と対話した記録が残ってるんですね。こちらにも興味湧きました。

584:世界@名無史さん
17/12/12 23:29:54.53 0.net
于吉みたいな怪しいヤツに洗脳されるよりマシって感じじゃね?

585:世界@名無史さん
17/12/13 17:54:38.31 0.net
曹叡って本当に曹丕の子どもだったのか
自分は袁熙の子ども説の方が後々考えると納得してしまう
生年の謎に加え
曹丕の死の直前まで皇太子宣言をハッキリと明言しなかった
曹丕が実母のスウ氏何故か殺してるし
スウ氏に曹丕がやった事を曹叡は郭皇后にやり返してるし

曹叡自身その後の暴走もあるし(大宮殿増設など)
自分の出生にまつわる真実を知ってしまった曹叡が自暴自棄になったのかのも

586:世界@名無史さん
17/12/13 19:26:16.78 0.net
>>585
そもそもあいつ長男じゃないな
あざなに仲って入ってるから

587:世界@名無史さん
17/12/13 20:01:32.36 0.net
誕生日といえば卞氏や曹髦のもおかしいな
少帝弁は後漢書と資治通鑑で生年が違うんだっけ?

588:世界@名無史さん
17/12/13 22:10:35.50 0.net
曹昂が死ななかったら、曹操の次に魏のリーダーになったのって曹昂だったのだろうか

589:世界@名無史さん
17/12/13 22:13:32.00 0.net
曹沖

590:世界@名無史さん
17/12/13 22:22:50.60 0.net
>>589
曹丕でも危ういのに、曹昂がいるのに曹沖を後継者にしたら袁紹死後真っ青の大混乱が起こるだろう

591:世界@名無史さん
17/12/14 00:43:30.40 0.net
なんだかんだ曹植みたいに後継げない気がするなあ
10代前半の弟は可愛くても後半以降になるとライバルになるって生々しいな

592:世界@名無史さん
17/12/14 02:37:53.78 0.net
曹芳って本当に曹叡の子どもだったのか

593:世界@名無史さん
17/12/14 02:54:46.56 0.net
曹芳は養子

594:世界@名無史さん
17/12/14 06:31:26.65 0.net
曹沖に跡を継いで欲しかったと一番強く望んでたのは案外曹丕かもと
誄や追贈や逸話から思う

595:世界@名無史さん
17/12/14 06:47:23.73 0.net
>>585
鄴が包囲されていた時期を考えると袁熙の子説は無理がある

596:世界@名無史さん
17/12/14 11:20:50.65 0.net
呂蒙は荊州侵攻で魯粛の三分の計を危うくしたといわれるが蜀を魏の牽制役に封じ込めたという意味ではむしろそれを完成したといえる

597:世界@名無史さん
17/12/15 18:35:08.64 0.net
魯粛は後継者指名してないよね。
魯粛の賛同者がいなかった(つくれなかった)のが大きいのかな。
孫権は荊州問題以降は劉備に対して悪感情しか抱いてなかったし。

598:世界@名無史さん
17/12/15 19:56:10.39 0.net
>>596
誰がそんなこと言ってるの?
魯粛の戦略ってそこまで劉備に融和的じゃないよ?

599:世界@名無史さん
17/12/15 21:53:14.06 0.net
魯粛って正史でもお人好しなの?

600:世界@名無史さん
17/12/15 23:35:55.81 0.net
クソ腹黒

601:世界@名無史さん
17/12/16 00:13:28.99 0.net
むしろ赤裸々腹黒

602:世界@名無史さん
17/12/16 01:09:04.03 0.net
自分の陣営のことしか考えない近視眼的な人間じゃなくて
劉備ってそれなりの軍雄を上手く使って呉の援護させようって戦略立ててたんだろう
だからどうしても孫家陣営の中じゃ劉備よりって立ち位置になるんじゃない

603:世界@名無史さん
17/12/16 12:47:12.67 0.net
そもそも劉備を対立軸にして親劉備、反劉備という見方で魯粛を分析するのがどうかと思う

604:世界@名無史さん
17/12/16 16:08:10.82 0.net
孔明の三分の計は最終的には三番目の漢による再統一だからな
だから三分自体が目的の呉としては当然に蜀から中原への最短コースを塞ぐ必要がある
そして外来政権の蜀漢としては名分的にも北伐を繰り返さねばならない
台湾に逃げた国民党政権が大陸光復を唱え続けたのと同じに

605:世界@名無史さん
17/12/17 11:10:39.30 0.net
>>603
蜀漢正統の演義からすれば親劉備ですら問題にならないからな
それこそ服劉備でなければ褒めるに値しないって
途中の三者会談で孔明が魯粛に孫権などさっさと劉備に降伏して引っ込んでれば良いんだと暴言する場面はまさに作者の本音だろう

606:世界@名無史さん
17/12/17 22:08:08.37 0.net
劉備の死後に結ばれた新たな蜀呉同盟の最大眼目は蜀の荊州放棄
これによって隆中対は不可能となり以後の蜀漢政権は益州での政権維持自体が目的となる

607:世界@名無史さん
17/12/19 02:18:29.66 0.net
演義の魯粛嫌い
正史の魯粛好き

608:世界@名無史さん
17/12/19 19:08:43.97 0.net
演義の魯粛嫌いなんてないやろ
演義でも正史でも魯粛は諸葛亮の大恩人

609:世界@名無史さん
17/12/19 19:23:45.98 0.net
演義の魯粛って、読者の劉備ひいきを外せば
劉備に肩入れし過ぎて呉に数々の負債を作っただけのおっさんだからな
周瑜と呂蒙に挟まれていつ死んだのかすらわからないレベル

610:世界@名無史さん
17/12/19 23:45:53.36 0.net
昔学習漫画の周瑜がチビのヒゲのおっさんにされてたのには笑った。

611:世界@名無史さん
17/12/20 13:25:39.30 0.net
呉は統一ではなくあくまで江東割拠主義だからな
いわば初期の東国政権としての鎌倉幕府みたいな物で
だから魯粛は三分の時点で皇帝を名乗れと孫権に勧めた

612:世界@名無史さん
17/12/23 17:58:38.60 0.net
正史の霊帝って今じゃ再評価進んでる見たいだけど献帝はどうなのかな

演義じゃ初期は小帝との対比で持ち上げられてるけど結局のところ中の下?

613:世界@名無史さん
17/12/24 13:49:10.54 0.net
献帝の時点では既に後漢政権は実質崩壊しており比較は出来ない

614:世界@名無史さん
17/12/24 16:27:48.16 0.net
劉備応援して前面に出し弾避けにするってのは悪くないと思う

615:世界@名無史さん
17/12/25 01:31:00.78 0.net
献帝の墓の場所がわかるの?

616:世界@名無史さん
17/12/25 20:22:02.37 0.net
漢愍帝陵
URLリンク(www.geocities.jp)

617:世界@名無史さん
17/12/26 22:57:02.81 0.net
>>614
劉備を対魏の前線に出すんなら合肥戦に駆り出してやればよかったのに
まさかそこから丹陽や蘆江の領地をかすめ取ったりはできないでしょ
劉埼が死んだ時点で荊州から引き離しとけばなぁ

618:世界@名無史さん
17/12/27 02:11:16.79 0.net
劉備が、今の状態で呉の庇護下に入ったら一生飼い殺しだって判断して距離を保ったなら流石の嗅覚だな
呉よりはるかに強かった袁紹の元には身を寄せて、劉表の元にも入ったのに

619:世界@名無史さん
17/12/27 22:20:44.93 0.net
霊帝の再評価って何?
無上将軍になったこととか?

620:世界@名無史さん
17/12/28 00:27:15.79 0.net
軍隊を再編成したって事じゃなかったっけ

621:世界@名無史さん
17/12/28 00:33:46.44 0.net
霊帝は商人ごっこをしたり面白いオッサンというイメージ。

622:世界@名無史さん
17/12/31 23:18:31.10 0.net
>>618
孔明のおかげもあるかな

623:世界@名無史さん
18/01/01 14:20:15.99 0.net
袁家を滅ぼした時点で曹操は中原を制したといえるんですか?

624:世界@名無史さん
18/01/05 06:48:35.57 0.net
袁家を滅ぼした直後の話ならば、三輔はまだ馬騰韓遂ら関中軍閥がのさばってるし司隷校尉鍾ヨウも司州を完全に掌握しているとは言い難いし、厳密に言うのなら中原を制したと言えるほどではなかったのかも
徐州青州も昌稀とか曹操に反抗的な勢力を滅ぼして統治は臧覇らに丸投げしてるような状態だし

625:世界@名無史さん
18/01/05 10:14:00.77 0.net
政治的には荊州侵攻前が、中原を制し終わったから南進を開始したんじゃないかなって思えるけど

626:世界@名無史さん
18/01/05 11:00:55.74 0.net
>>574
だよな。当時は朝鮮半島南部も倭国の領土なんだから、そこから日本列島に持ち込まれている。

627:世界@名無史さん
18/01/05 11:01:22.26 0.net
河首平漢王:ん?

628:世界@名無史さん
18/01/08 02:26:48.42 0.net
やっぱカリスマってのが一番身につけるの難しいよな。

629:世界@名無史さん
18/01/10 11:16:52.13 0.net
>>628
劉備はもとからカリスマがあったと思うけど
中原をさまよって、さらにカリスマがついたと思う

630:世界@名無史さん
18/01/17 22:10:53.43 0.net
公孫サンって、演義のイメージで勝手にいい人かと思ってた
正史読んだら頭おかしい人で正直ショック

631:世界@名無史さん
18/01/17 23:18:38.27 0.net
人望のあった劉虞を殺すくらい時勢を読めてなかったらしいなそのおかげで袁紹に簡単にボコされた
演義では劉備様のお友達ってことと、作者お気に入りの趙雲の最初の飼い主ってことですげー優遇されてる
コーエー三国志だとまあまあ能力高めにされる

632:世界@名無史さん
18/01/18 00:40:35.07 0.net
あと白馬陣が少年漫画っぽくてグッとくる

633:世界@名無史さん
18/01/18 09:33:09.35 0.net
武器をくっつけるとか格好よくない?

634:世界@名無史さん
18/01/27 17:16:42.76 0.net
劉備絡みで演義序盤の補正入ってる人物と言えば陶謙もだよなあ

635:世界@名無史さん
18/01/28 14:54:28.59 0.net
どうなんだろ?史料を追っていくと陶謙はどうにも評価が難しい気がするんだよね
過去の経歴をみると寒門の出身ながら清廉で剛直な官僚として順当に出世しているのだけれど
徐州牧に就任して以降は子飼いの小人官吏を重用して地元の不評を買っていただの、地元の名士を僻地に左遷しただの、天子を自称する妖賊とつるんでただの、取ってつけたような悪評が並べられている
それは正当な評価なのか、徐州虐殺の後ろめたさを軽減させたい曹操さんサイドのネガキャンなのか、個人的に判断できないんだよね
同じことは公孫瓚あたりにも言えるけれど

636:世界@名無史さん
18/01/28 19:30:40.01 0.net
陶謙って、孫策を敵視してたし張昭や呂範を獄に繋いだこともあったし、
呉側から見てもディスっていい人物じゃないかと思うんだけど、
なぜか張昭は哀悼の辞の中で陶謙を持ち上げてるという…

637:世界@名無史さん
18/01/30 07:50:09.38 0.net
世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
NSYGR

638:世界@名無史さん
18/01/31 08:53:49.41 0.net
>>635
非常に興味深い話だ

639:世界@名無史さん
18/01/31 12:09:58.76 0.net
孫策を敵視する人物は呉の内部にも結構いるのでは
表に出すかどうかは別として

640:世界@名無史さん
18/01/31 12:28:56.89 0.net
陶謙は孫策というより、孫策のバックの袁術を敵視してたんだろう

641:世界@名無史さん
18/02/03 01:50:13.63 0.net
孔明って平和な世ならどんな人生を歩んだんだろうな?
普通に一族のコネで中央の官吏となり、うまくいけば
二千石ってトコか?

642:世界@名無史さん
18/02/03 10:10:55.46 0.net
腐敗した中央にはつかえねーぜ晴耕雨読タイプだから仕えなかったんじゃないの?
という疑問が割と抜けない

643:世界@名無史さん
18/02/03 14:16:42.37 0.net
二千石は家柄からして別にそこまで出世じゃないな。
九卿くらいまでは行けたか。

644:世界@名無史さん
18/02/03 20:27:42.11 0.net
嫁と二人で発明に明け暮れ、後漢書の方技伝に載せてもらえるのを目標に日々励む

645:世界@名無史さん
18/02/03 21:30:50.09 0.net
徐州のアレを経由しない孔明が
その後どういう人生を指向するのかいまいち想像できん

646:世界@名無史さん
18/02/03 21:37:14.01 0.net
>>643
父諸葛珪は泰山の郡丞、叔父諸葛玄は袁術の元で(?)豫章郡の太守、その他の親族は前漢代の諸葛豊まで遡るまで目ぼしい人材なし
瑯琊諸葛氏は簡単に孝廉や茂才で推挙される程の名族ではなかったと思う
諸葛瑾は若い頃京師に遊学に出ていたらしいから相応の教育を受けさせる蓄えはあっただろうけれど

647:世界@名無史さん
18/02/04 17:42:28.60 0.net
茂才って学識による推挙じゃないの?
家柄関係あるの?

648:世界@名無史さん
18/02/04 19:51:38.91 0.net
>>647
むしろ家柄のほうが大事だろ
仲間内で推挙しあうんだから

649:世界@名無史さん
18/02/04 20:24:28.98 0.net
茂才は州刺史による推挙、孝廉は郡太守による推挙、でよかったはずだよね?
これらは郷里の評判、郷論を元に選考されるから各人の実力や品行そのものよりも家柄や学問の師匠の格が重視される選考になりがちだったと聞いた

650:世界@名無史さん
18/02/04 20:57:45.69 0.net
孔明の学問の師匠って誰?
水鏡先生じゃないよね?

651:世界@名無史さん
18/02/04 21:07:07.24 0.net
独学じゃない?
鄭玄は190-196年ぐらいまで徐州にいた頃があったみたいだけれど

652:世界@名無史さん
18/02/05 02:13:00.63 0.net
荊州の晴耕雨読族みたいなのってみんな相互に教え合ってるんじゃないの?議論って形かもしれないけど
司馬徽もなんかのことでは諸葛亮に教えたこととかあると思う

653:世界@名無史さん
18/02/05 10:19:09.81 0.net
司馬徽と孔明って5才くらいしか離れてなくね?

654:世界@名無史さん
18/02/05 21:35:30.37 0.net
孔明はあんまり経書の学に打ち込んでなかった気がする

655:世界@名無史さん
18/02/06 11:47:27.29 0.net
風を読むんだから野タタラの関係者だよね

656:世界@名無史さん
18/02/06 12:42:05.82 0.net
占いは独学じゃ無理だろう
占学者に習ったはず

657:世界@名無史さん
18/02/06 16:40:18.05 0.net
正史に風を読んだ記述があるのか?

658:世界@名無史さん
18/02/06 19:52:58.26 0.net
中国人って予定調和好きなのかな
なんか爺さんとかのエライ人が若者の今後を予言して果たしてその通りになった(美談)っての多い気がする
予見できない未来を見通したエピソードって中国式嘘松なんだなと

659:世界@名無史さん
18/02/06 23:51:53.03 0.net
風占いは呉にいるし

660:世界@名無史さん
18/02/07 01:20:51.05 0.net
曹操とか馬超って長子は長子でも庶長子の噂もあるみたいだけどどうなんだろう

661:世界@名無史さん
18/02/07 07:13:48.17 0.net
あざなの「孟」の字は庶長子を示すらしいな
董卓の兄貴の董擢(字は孟高)や陳留太守張邈(字は孟卓)なんかも庶長子だったのだろう
他に誰かいたっけ

662:世界@名無史さん
18/02/07 07:42:11.31 0.net
>>661
それは理念だから当てはまる人もいれば当てはまらない人もいる

663:世界@名無史さん
18/02/07 08:09:10.40 0.net
まあ嫡男、正夫人って概念自体が曖昧だからな
後付けで嫡男、正夫人に昇格、或いは嫡男、正夫人から庶子、側室に降格することもあるだろう
庶子に生まれたとされている公孫瓚も字は孟珪ではなく伯珪だ

664:世界@名無史さん
18/02/07 08:26:27.15 0.net
でも、曹操は詩文「善哉行」の中で自らの半生を、賤しい身分に生まれ孤独に苦しみ両親からの愛情に乏しく身が裂ける思いをした(意訳)と述懐しているし、はっきりと庶子の生まれと明言していないが、恵まれた少年時代を過ごしたわけではなかったのはガチっぽい

665:世界@名無史さん
18/02/07 08:33:14.93 0.net
まあ宦官の家に産まれたからだと思うけどね

666:世界@名無史さん
18/02/07 12:01:48.32 0.net
宗家以外だと長男でも孟なんて法則があるわけでもないのかね

667:世界@名無史さん
18/02/07 22:05:03.33 0.net
叔父さんをてんかんの振りして騙した話もあるし
曹操なんて基本的に子供のころからやりたい放題だよ
宦官の家に生まれた俺って苦労人でかわいそーってアピールしてるだけw

668:世界@名無史さん
18/02/07 22:22:48.48 0.net
あれは曹瞞伝のエピソードだろ、どれだけ信憑性があるんだろな
ところで曹操の叔父って何者なんだろうか?

669:世界@名無史さん
18/02/07 22:28:57.96 0.net
他の正史だと
島夷 劉裕伝 とか最初から叩きが入ってるけど
あれ見るとああこれそういうもんなんだwってわかるけど
三国志や史記あたりだとあんまり感じられないのかね

670:世界@名無史さん
18/02/07 23:40:05.99 0.net
曹洪の父?

671:世界@名無史さん
18/02/08 20:31:55.76 0.net
URLリンク(i.imgur.com)
205 名前:名無し
なんでも女性化すれば良いもんでも無いと思うな
207 名前:名無し
せやな
URLリンク(i.imgur.com)

672:世界@名無史さん
18/02/09 00:13:00.48 0.net
曹丕の息子の曹協って、劉協が皇帝やってる時には
そんなん名付けられないだろうから魏朝成立後に生まれたんだろうけど、
仮にも自身に禅譲した皇帝の名を息子に付けるって
当時のモラル的に問題なかったんやろか

673:世界@名無史さん
18/02/09 17:24:21.73 0.net
陶謙の配下に曹宏ってのがいて(曹豹の親族だろうか?)、王允にも王宏っていう兄がいて、両方とも霊帝劉宏と諱が被っている
これが問題にされなかったのかはわからないし当時は避諱という概念がどれだけ浸透していたのかはわからない
案外皇帝に諱が被ってても不問にされていたのかも

674:世界@名無史さん
18/02/09 20:33:13.91 0.net
>>673
ふたりとも霊帝より先に生まれたんじゃね?

675:世界@名無史さん
18/02/09 21:01:46.26 0.net
>>674
でも孟達みたいに劉備の叔父とあざなが被ってるから改めたって例もあるし
案外ガバガバだったのかも

676:世界@名無史さん
18/02/09 21:07:02.71 0.net
王朗と張昭が議論してます

677:世界@名無史さん
18/02/09 21:11:07.06 0.net
韋曜「」

678:世界@名無史さん
18/02/10 10:23:24.28 0.net
>>675
改名が伝わってない人は、仕方がないからわかっている範囲で書いたんじゃないかな。

679:世界@名無史さん
18/02/10 11:18:54.76 0.net
法で定めてない限りはモラルの範囲内ってことなんじゃない
戦乱の時代だからモラル破り気にしない人も出るしそれをとがめて
とばっちり食うのも割に合わないし
不遜な乱暴者はやりたい放題

680:世界@名無史さん
18/02/10 16:33:27.46 0.net
献帝ならともかく霊帝のときに戦乱だからってのは違わないか?
即位から黄巾まで16年あるぞ

681:世界@名無史さん
18/02/10 18:38:58.27 0.net
霊帝の時代は宦官の専横と本人のやる気のなさが下々にまで伝播してモラル崩壊
モラル崩壊の一端で諱かぶりがする者が現れたとか?

682:世界@名無史さん
18/02/11 02:04:40.15 0.net
王允の一族がその手のモラル崩壊起こすとは思えん

683:世界@名無史さん
18/02/13 22:48:09.98 0.net
呉壹も宣帝・司馬懿への避諱で実の名は呉懿だってのは
本当なのかどうか

684:世界@名無史さん
18/02/13 23:23:26.73 0.net
邪馬壹国

685:世界@名無史さん
18/02/13 23:58:26.34 0.net
司馬懿や司馬昭は三国志本文中で避諱されてる形跡があるけれど司馬師はされてないのは何故だろう
軍師将軍とか出師表とか普通に使われてるよな

686:世界@名無史さん
18/02/14 19:57:28.84 0.net
>>685
張昭とか胡昭とかも普通に使われている

687:世界@名無史さん
18/02/15 05:43:10.20 0.net
呉壹は華陽国志では呉懿と書かれる。
張壹は後漢書では張懿と書かれる。
だからといって呉壹は呉懿が正しいとは限らない。華陽国志も後漢書の編纂者が、これは司馬懿の諱を避けたと思い込んで改めただけかもしれない。

688:世界@名無史さん
18/02/15 09:33:59.75 0.net
呉懿とかいうよく分からんけどとにかく凄かったらしい武将

689:世界@名無史さん
18/02/15 09:43:10.67 0.net
呉懿のつっぱりはいらんですよ
言葉の意味はよく分からんがとにかく凄い武将だ

690:世界@名無史さん
18/02/15 10:52:24.60 0.net
呉懿は確かに謎が多い…実績もあって皇帝の外威っていう地位なのに正史に伝が無いのは妙な勘繰りを入れてしまう
伝を残すにはなにか不都合な点があったのかなあ

691:世界@名無史さん
18/02/15 12:16:00.83 0.net
・諸葛亮に警戒されてあまり要所を任せてもらえなかった
・外戚呉氏が古参組から嫌われてた
・伝が紛失した
・陳氏との確執
・呉漢の子孫という理由で実は益州人に嫌われてた

692:世界@名無史さん
18/02/15 22:58:00.08 0.net
「失其行事,故不為傳。」
って言ってるけどその割に季漢輔臣賛への補足ではちゃんと姓名字、本貫、来歴、魏延と共に挙げた戦功、
官位・爵位に没年まで書いてあるんだよな陳壽。
短いといや短いが蜀志なら黃忠伝や尹默伝の文字数を見ると十分伝は立てられそうに思えるんだが、後どんな事績が足りなかったのだろう。
それとも>>691みたいな別に理由があってそれの言い訳にしただけなのか。

693:世界@名無史さん
18/02/15 23:14:29.12 0.net
>>692
張コウに対しても事績がよくわからんって書いてるし根本的にあちこちの資料が足りないんでは

694:世界@名無史さん
18/02/16 12:00:03.09 0.net
史官を置かない蜀が悪い

695:世界@名無史さん
18/02/16 12:25:52.40 0.net
置かなかったのか孔明が置かせなかったのか
その意味でも史官の意味は大きそうだが

696:世界@名無史さん
18/02/16 13:58:16.85 0.net
呉懿の子孫が陳寿への賄賂を怠ったんだろうな

697:世界@名無史さん
18/02/16 14:37:54.92 0.net
ポジション的に盛られているだけで
実はそれほどでもなかったとか

698:世界@名無史さん
18/02/16 15:41:12.54 0.net
>>>694>>695
後主伝に気象の記録が残ってるから史官がいなかったというのは諸葛亮時代の約10年間という可能性もあるがね

699:世界@名無史さん
18/02/16 16:40:05.47 0.net
陳寿自身、蜀漢の東観秘書郎、史官だったんじゃなかったっけ
なんで蜀は史官を置かなかったなんて嘘ついたんだろう

700:世界@名無史さん
18/02/16 16:48:16.97 0.net
だから諸葛亮時代だけの話なんだろ

701:世界@名無史さん
18/02/17 15:29:50.34 0.net
だから孔明はなぜ史官を置かなかったのかが問題になる

702:世界@名無史さん
18/02/17 16:20:24.21 0.net
陳寿は父親が孔明に処刑されてるし
孔明の息子に虐められていたから恨みがあるんだよ
体裁を整えるために時々は孔明を褒めてるけど

703:世界@名無史さん
18/02/17 17:38:17.98 0.net
晋書陳寿伝によると、陳寿は蜀漢に仕え黄皓に屈しようとせずに左遷され、その後父親の喪中に婢女に丸薬を作らせていたことが不孝として失脚している
時系列に直すと、諸葛亮の死(西暦234年)→陳寿仕官(時期不明)→黄皓の専横(董允が死んだ西暦246年以降)→陳寿の左遷(時期不明)→陳寿の父親の死(時期不明)→陳寿の失脚(時期不明)ということになる
俗に言われてるような陳寿の父親が諸葛亮に処刑されたっていう説はこれで見るとまったく根拠のない出鱈目だと思う
陳寿が諸葛亮の評価に辛いのは北伐反対論者だった師匠の譙周の影響だったのでは?

704:世界@名無史さん
18/02/17 18:00:15.62 0.net
連弩ってベルセルクのガッツが装備してるようなヤツ?

705:世界@名無史さん
18/02/17 19:10:13.96 0.net
本当かどうかは別として
普書で陳寿の父親がされたというのは
コン刑(断髪の刑)だから別に矛盾はしない。
個人的には陳寿の評価は客観的だと思ってる。

706:世界@名無史さん
18/02/17 19:19:17.83 0.net
晋書は「壽父為馬謖參軍」
と書くが参軍は馬謖なので
よく知らない人が書いていると判断すべき

707:世界@名無史さん
18/02/17 19:28:36.02 0.net
参軍って何人いるの?
馬謖擁護してる人物に参軍李?がいるけど

708:世界@名無史さん
18/02/17 21:01:47.44 0.net
>>707
定員はないよ

709:世界@名無史さん
18/02/17 22:47:53.71 0.net
陳壽が最初に就いたのは衛將軍主簿らしいけど
この衛將軍とは姜維(247〜256)なのか
それとも諸葛瞻(261〜263)なのか
はたまた記録に残ってない第三の人物なのか。

710:世界@名無史さん
18/02/18 00:35:48.53 0.net
陳寿の諸葛亮評は辛いか?
妥当だろう

711:世界@名無史さん
18/02/18 20:03:38.10 0.net
なみの諸葛亮ファンじゃ、晋全盛期に『諸葛亮集』とか出せないし
宣帝・司馬懿さまに「天下の奇才」と言わせられないよ

712:世界@名無史さん
18/02/19 17:29:33.35 0.net
関羽のフィグマ買う?

713:世界@名無史さん
18/02/19 23:50:29.45 0.net
>>710
全面礼賛以外は全て誹謗にするのが孔明信者
南宋の朱子なんか悪いのは全部劉備のせいに

714:世界@名無史さん
18/02/23 11:37:02.92 0.net
>>712
もう持ってるから買わない

715:世界@名無史さん
18/02/25 14:54:52.06 0.net
三国志群雄録
正史三國志群雄銘銘傳
コレって両方共坂口和澄著だけど
内容的には似通ってるの?

716:世界@名無史さん
18/03/05 22:07:56.15 0.net
劉備と高誘が仲良かったっていう話ってどっかにのってる?

717:世界@名無史さん
18/03/06 07:23:59.48 0.net
>>715
正史三國志群雄銘銘傳こっちだけでよい
もう一個のはこの中から抜粋してるようなもん

718:世界@名無史さん
18/03/08 14:43:14.42 0.net
渡邉義浩の名士論って一般的な考えかたなの?

719:世界@名無史さん
18/03/22 21:44:27.68 0.net
>>718
井ノ口哲也氏の書評,津田資久氏の書評,村田哲也氏の論文(書評が主)を読めば,
渡邉氏の学術的態度に対する周囲の評価が見えてくると思います。


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