正史『三国志』 三十一巻 at WHIS
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200:世界@名無史さん
16/11/17 00:08:39.52 0.net
誰か雲南からミャンマーの間にあったという諸葛亮城について調べてくれ。

201:世界@名無史さん
16/11/17 05:45:28.69 0.net
何でお前はいつも他力本願なんだ?

202:世界@名無史さん
16/11/18 00:31:41.08 0.net
違う、これは三国志オタへのミッションなのだ!

203:世界@名無史さん
16/11/18 08:18:30.21 0.net
なになに?諸葛亮城ってなぁに?
教えて>>200さん!(棒

204:世界@名無史さん
16/11/18 15:39:16.31 0.net
>>199
そいつらより実子が養子になった関平の方が驚くと思うが

205:世界@名無史さん
16/11/18 17:36:17.83 0.net
実子を養子にするってのは、華々しい戦果の無い長男をリストラして
大活躍した嫡子をねじ込むとかそういう類のだと思うんだけど、
関興も関索もそこまでするほどの重要人物じゃなかったよな?

206:世界@名無史さん
16/11/18 18:50:22.30 0.net
関平は字が伝えられていないから
恐らく成人する前に死んだ可能性もあるんだよな
活躍はしたが、まだ若いから演義では養子扱いにしたんじゃないのか?

207:世界@名無史さん
16/11/18 20:45:50.40 0.net
諸葛亮、司馬懿の両名から称賛された黄権
魏延と並ぶ名将と評された呉懿
生きていれば夷陵の大敗も無かったと言われた法正
劉備から忠義と武勇を惜しまれながらも劉璋に殉じた張任

そしてそれらの名士を塩漬けにしてた劉璋・・・

208:世界@名無史さん
16/11/18 20:54:42.22 0.net
劉璋に殉じた張任

209:世界@名無史さん
16/11/18 22:38:12.23 0.net
諸葛亮城は漢の哀牢県の地、ミャンマー国境にほど近い場所にあるようだ。

210:世界@名無史さん
16/11/19 00:55:36.97 0.net
張松「あの」

211:世界@名無史さん
16/11/19 17:13:13.06 0.net
孟達「ただし張松、テメーはダメだ」

212:世界@名無史さん
16/11/19 18:00:23.12 0.net
そいつらって全員蜀生まれの蜀育ち?
江南の武官文官は地元民多いけど

213:世界@名無史さん
16/11/19 20:47:55.27 0.net
劉焉自体が下って来た存在だからなぁ

214:世界@名無史さん
16/11/23 01:59:19.39 0.net
花関索

215:世界@名無史さん
16/11/24 09:49:50.65 0.net
関索ってイケメンでモテモテで優秀なオリキャラだから完全にメアリー・スーだよね

216:世界@名無史さん
16/11/26 05:38:27.89 0.net
劉表って豪族なの?

217:世界@名無史さん
16/11/26 13:52:54.62 0.net
yesでもありnoでもある

218:世界@名無史さん
16/11/27 19:49:27.27 0.net
劉封って異姓養子ですよね 姓が違う人を養子にするのって当時の見方からしてどうなんですか?
それとも、劉封は多少でも劉姓の人と家の繋がりがあったんですか?(あまり詳しくないです。すいません。)

219:世界@名無史さん
16/11/28 05:22:07.44 0.net
曹操の父

220:世界@名無史さん
16/11/28 08:43:13.75 0.net
珍しいけどたまにある

221:世界@名無史さん
16/11/28 09:36:13.10 0.net
朱然も

222:世界@名無史さん
16/11/28 11:24:00.17 0.net
>>218
おそらく劉表の親戚だから政略的な何かもあったんだろ

223:世界@名無史さん
16/11/28 18:23:44.93 0.net
メアリー・スーって思春期少女受け狙った悲劇のヒロインキャラのことだから
関索に使うのは大分ズレてる

224:世界@名無史さん
16/11/28 20:34:36.33 0.net
>>215が言ってるのは作者の願望背負わせた自己投影キャラってことじゃないの?
いやそれでも結局ズレてるんだけどさ

225:世界@名無史さん
16/11/29 12:41:36.15 0.net
>>218
母方が長沙の劉氏、劉備の自称する中山靖王と同じ頃に分岐した一族

226:世界@名無史さん
16/12/14 01:16:08.24 0.net
王匡のwikiで胡母斑が娘婿になってる
妹婿だよね?

227:世界@名無史さん
16/12/19 00:05:27.89 0.net
顔良・文醜は孔融曰く袁紹軍の勇将らしいけど・・・正史三国志にこの二人の具体的な活躍って一切ないわけじゃん?
こんな実績の一切ない奴が筆頭武将なんて、実はこの時から袁紹軍って大した将がいなかったんじゃないのか?

228:世界@名無史さん
16/12/19 01:13:26.02 0.net
張コウ「せやな」

229:世界@名無史さん
17/01/18 07:19:51.98 O.net
>>83
亀レスだが、礼記には人の名前を、国号や主の名前、日、月、隠疾(病気)、山、川の名前をつけるのは良くないみたいな記述がある
曹氏は曹嵩(嵩山。本当は別の字だったらしいが)、夏侯氏も夏侯惇次男のボウみたいに礼記のルールを逸脱しかけてるんで、その絡みじゃないかとも思ったり
というか何でそんな名前なんだろう?字でなら子山とか明とか聞くけと

230:世界@名無史さん
17/01/26 20:11:17.34 0.net
正史(ちくまの翻訳)読んで呂蒙が大好きになった。
人気者の関羽殺したせいでこの先永遠にワルモノ扱いなんだろうか。
不憫すぎる…。

231:世界@名無史さん
17/01/27 00:18:08.18 0.net
あの国は関羽に踏まれ跪く呂蒙の石像とか作りそうだしな

232:世界@名無史さん
17/01/27 13:50:47.51 0.net
呂蒙は極貧の母子家庭から身を立てて孫策に見いだされた。
張昭の推薦で別部司馬に任じられた。
無学文盲で役人殺しの前科もちにもかかわらず。
主君の勧めで軍中に学問を始めてその読書量は学者も及ばぬほどになった。
江東の2大困ったちゃん、甘寧と虞翻をなにかとかばってあげた。
病を得てからは主君自ら宮殿内に住まわせ介護した。
呂蒙死後、陸遜に語ったところの孫権の評価は、周瑜>呂蒙>魯粛であった。
YDK呂蒙 やればできる子

233:世界@名無史さん
17/01/27 19:17:26.50 0.net
無学だったのに勉強して一時は呉の軍事のトップにまでなったわけだからな
最前線から最高司令官と上から下までを経験して現場も会議室もわかる軍人だ

234:世界@名無史さん
17/01/27 21:59:28.94 0.net
呂蒙は叩き上げの武将だっただけに
スリーキングダムの最期の扱いが酷すぎると感じた
まあスレチだからスルーで

235:世界@名無史さん
17/01/27 22:25:02.74 0.net
スリーキングダムは周瑜も扱い酷かった

236:世界@名無史さん
17/01/27 22:38:57.76 0.net
スリキンは曹真も結構酷かった

237:世界@名無史さん
17/01/28 00:06:25.08 0.net
暗いって意味の蒙の字が子明ってのは奥深く感じる

238:世界@名無史さん
17/01/28 09:35:56.84 0.net
名と字って関連性もたせたり逆の意味をもたせたりするしな

239:世界@名無史さん
17/01/28 23:33:35.50 0.net
>>234
スリキンの呂蒙は周瑜のマネージャー兼付き人から魯粛の付き人になって
介護ばっかしてたよなw
これはきっと、呂蒙が孫権に看病してもらえるってことの複線か?
って勝手に期待してたのに…。
ダークサイドに堕ちた孫権によるまさかの毒殺とは…。
呂蒙、ほんっとにかわいそう。

240:世界@名無史さん
17/01/29 21:26:35.16 0.net
>>237
孫権の末子孫亮の字が呂蒙と同じ子明だね
名も字もとにかく明るいw

241:世界@名無史さん
17/01/31 19:55:07.07 0.net
>>232
なんでそんなやつを張昭が推薦するわけ?
孫策にケツでも貸してたんじゃないか

242:世界@名無史さん
17/02/01 16:37:09.73 0.net
地方山賊愚連隊の親分みたいな奴だったんじゃないの

243:世界@名無史さん
17/02/01 18:03:53.30 0.net
>>242
それは甘寧だなw
>>241
役人殺しの件は、15〜6歳のころ、義兄(孫策配下)の軍に無理矢理入れてもらった
が、義兄配下の役人からのしつこいパワハラに耐えかねての犯行だった。
おとなしく自首するとおまわりさんがかばってくれて、孫策に引き合わせた。
孫策は呂蒙を気に入って側に仕えさせた、といういきさつ。
孫策から張昭への口添えはもちろんあったんだろうけど、自分の名前を出すからには
張昭自身も呂蒙の素質に見るべきものを感じたんじゃないか。
無知だが胆力と知恵があったんだよ、きっと。
呂蒙の学問が進んだのも、張昭のサポートがあったんじゃなかろうかと推測する。

244:世界@名無史さん
17/02/05 21:32:18.49 0.net
>>231
関帝廟には関羽を裏切ったビ芳、傅士仁、カク普が縄目にあってる
屈辱的な像がある、らしい。どこの関帝廟か知らないけど。

245:世界@名無史さん
17/02/06 00:31:46.09 0.net
まあ岳飛に対する秦檜の扱いからして関羽死亡に関わった連中もそんな扱いなんだろうなぁ、とは予想してた

246:世界@名無史さん
17/02/13 14:45:32.81 0.net
孫権夫人の藩夫人ってすごいな。
宮中の奴隷部屋(機織り部屋)に入れられてたのに、どういう経緯か
孫権に見染められ、生んだ息子が太子にたてられて皇后にまでなるんだからな。
孫権が危篤になったときは、呂太后が政治の実権を握った事跡を調べさせ、
自分もそれにならおうとする気満々。孫権が死ぬ前に殺されちゃったが。

247:世界@名無史さん
17/02/16 00:32:43.72 0.net
三国時に最も価値ある10人(SHZXGOV)
shzxgov.com/lishi/2017/021…
1、張文遠
2、曹子廉
3、太史子義
4、馬孟起
5、高順
6、趙子龍
7、呂子明
8、于文則
9、郭奉孝
10、張任

248:世界@名無史さん
17/02/16 00:33:19.59 0.net
URLリンク(www.shzxgov.com)
リンク失敗した

249:世界@名無史さん
17/02/16 22:59:31.28 0.net
曹仁と曹洪の区別もつかんのか

250:世界@名無史さん
17/02/17 16:52:23.94 0.net
強い方が曹仁で、ケチな方が曹洪

251:世界@名無史さん
17/02/17 21:45:46.18 0.net
曹仁って三国志ゲーでも他の名称、猛将の影に隠れがちだけど堅実に強い
曹洪はちょっと得意分野が重要だけど地味なパートだったな

252:世界@名無史さん
17/02/17 21:47:50.82 0.net
蒼天の曹仁は異色だったね、急成長キャラだった

253:世界@名無史さん
17/02/22 19:05:12.45 0.net
魏…曹操のカリスマ。ホンダ
呉…世襲と同族経営。トヨタ
蜀…何度もコテンパンに負けてる。マツダ
なるほど

254:世界@名無史さん
17/02/22 22:52:41.69 0.net
スズキは!スズキはどうなの!?

255:世界@名無史さん
17/02/22 22:56:27.58 0.net
日産・中島飛行機「・・・」

256:世界@名無史さん
17/02/23 00:00:34.91 0.net
魏…外国から来た社長に簒奪される。日産

257:世界@名無史さん
17/02/23 00:05:02.76 0.net
董卓・呂布…親子喧嘩で存亡の危機。大塚家具

258:世界@名無史さん
17/02/23 18:46:57.26 O.net
蜀書ってなんでこんなに短いの?

259:世界@名無史さん
17/02/23 18:57:40.05 0.net
>>258
書くことがないからじゃね?

260:世界@名無史さん
17/02/23 20:16:37.52 0.net
趙雲は老将のイメージが強い。

261:世界@名無史さん
17/02/24 11:03:03.95 0.net
蜀は記録残さなかったんじゃなかったっけ

262:世界@名無史さん
17/02/24 11:27:23.79 0.net
史官を置かなかったし、劉備自体が怪しい存在だからなぁ
最初の頃は臨邑侯劉復の子孫って言ってたけれど、皇帝になる時は中山靖王劉勝の後になってるし

263:世界@名無史さん
17/02/24 14:42:24.96 O.net
出自が怪しいんならなおさら史官置いてもっともらしい
記述しとかないとあかんのにな。
陳寿がオール破棄してしまったのか。
てか、ハイチュウもなげやりな感じに少ない。

264:世界@名無史さん
17/02/24 15:17:45.47 0.net
陳壽は益州で書いてたわけではないっぽいし
蜀時代には無官の身であった者が持ち出されるレベルの史料と
晋で手に入るものを合わせて書いたんじゃないかな

265:世界@名無史さん
17/02/25 07:57:31.15 0.net
陳寿自身、蜀時代は姜維の属官(衛将軍主簿)だったし蜀の名士である譙周の弟子でもあるから資料や取材はその辺がネタ元やからな。

266:世界@名無史さん
17/03/02 19:33:14.28 0.net
孫策って、戦争ばっかやってて26で死んだのに男1女3も子供いるんやな
孫権が娘3人とも豪族に嫁がせてる(陸、朱、顧)

267:世界@名無史さん
17/03/02 19:33:51.76 0.net
上げてしまったスマン

268:世界@名無史さん
17/03/03 18:29:26.63 0.net
孫策が殺しまくった陸氏に嫁ぐのはどんな気持ちだろうな

269:世界@名無史さん
17/03/04 19:51:11.23 0.net
親父がしたことどころか親父の顔さえ知らない可能性もあるかも
むしろ陸一族が複雑だろうな
主君の姪っ子下賜されたら正妻にしなくちゃいけないだろうし
陸遜のもとの名の議から遜(=へりくだる)に変えたその心情を思うと
なんかせつないな

270:世界@名無史さん
17/03/04 20:43:32.97 0.net
これで手打ちにしようや?っていうヤクザっぽいやり取りを想像してしまう

271:世界@名無史さん
17/03/04 20:54:56.44 0.net
孫策の孫の陸抗が最後まで勇猛に孫呉を守ったことを思うとなんか胸熱

272:世界@名無史さん
17/03/12 09:39:19.05 0.net
主君も孫策の再来といわれてましたな

273:世界@名無史さん
17/03/13 14:14:06.70 0.net
孫策の風がある、とされるのは孫翊(堅の三男)

274:世界@名無史さん
17/03/13 15:11:11.53 0.net
全盛期の孫策伝説で国が一つ滅びそう

275:世界@名無史さん
17/03/14 15:54:21.54 0.net
孫翊も謎だよな
張昭に後継者候補とされたこともあるらしいし、
若くしてあの呉景の後任の丹陽太守に大抜擢されたと思ったら
突然の暗殺

276:世界@名無史さん
17/03/14 19:56:11.60 0.net
孫翊の暗殺の下手人がその場で殺されたっていうのが、なんかいろいろ
陰謀めいた匂いあるんだよなぁ
裴松之は「呉歴」の注で異説を記してるけど

277:世界@名無史さん
17/03/20 23:58:28.54 0.net
孔明って儒学的素養あったのかな?
科挙の時代だと役人になれなかったりしてw

278:世界@名無史さん
17/03/21 00:52:32.91 0.net
釣りかな?

279:世界@名無史さん
17/03/21 18:44:48.99 0.net
朱然の身長は七尺に満たなかったって陳寿にディスられてるが、
この時代、170cm以下はチビ扱いだったのか?
でかい男ばっかりだと、戦闘用の馬はかわいそうだな。

280:世界@名無史さん
17/03/21 18:54:55.15 0.net
あの時代の1尺がどのくらいなんだろうかと思って調べてみたけど結構まちまちだなぁ
七尺に満たずとなると160cm前半位になるんじゃないかな

281:世界@名無史さん
17/03/21 19:56:33.97 0.net
三国時代は23センチぐらいと思ってたけどチビとまではって感じ

282:世界@名無史さん
17/03/21 20:17:53.43 0.net
「七尺に満たなかったが、性格はからりとして云々」と身長の後の記述が
性格の褒め言葉だから、チビだった、とディスってるんだと思った。
23×7=161=チビだったら、現代の(日本人の)感覚に近いな。
墓には本人の遺体も残ってたのかな?だったら、身長も推定できる?

283:世界@名無史さん
17/03/21 20:20:26.89 0.net
墓からの推定だと朱然は169以下じゃなかったっけ?
つか書かれ方は袁紹の體長婦人のが何かアレじゃね?

284:世界@名無史さん
17/03/21 22:34:22.08 0.net
率いられる大将はいかにも強そうな大男の方が頼もしいだろうから
比較的華奢で弱そうに見えたとかあったのかも

285:世界@名無史さん
17/03/21 23:32:21.90 0.net
中国の度量衡の統一ってどの程度信頼性あるものなの?

286:世界@名無史さん
17/03/22 08:10:10.00 0.net
1800年前だったら160pってチビなのかなーって思っちゃうよね

287:世界@名無史さん
17/03/22 08:52:54.62 0.net
当時なら160pは平均だろ

288:世界@名無史さん
17/03/22 09:54:31.13 0.net
曹丕の與王朗書「生きてるときは七尺の肉体をもつが〜」
管輅別伝「人間七尺の体を万物の変化の中に遊ばせ〜」
当時は7尺くらいが平均かもな

289:世界@名無史さん
17/03/22 12:19:38.69 0.net
あ、でも7尺に満たないだから150ぐらいだったのかな

290:世界@名無史さん
17/03/22 12:51:10.55 O.net
陳寿「朱然、性格男前だがチビww 袁紹、女みてえwwww」
って感じ?

291:世界@名無史さん
17/03/22 13:18:33.27 0.net
裴松之「平均は8尺くらいじゃね?
それよか陳寿は荀ケさんのイケメン描写カットすんじゃねーよ」

292:世界@名無史さん
17/03/22 16:44:40.79 0.net
太史慈は七尺七寸

293:世界@名無史さん
17/03/22 17:03:51.17 0.net
語呂がいいからって適当に決めてる感じがする
きちんとした身長計なかったら自称だろ?

294:世界@名無史さん
17/03/22 17:47:27.50 0.net
何皇后は7尺1寸

295:世界@名無史さん
17/03/26 00:52:13.96 0.net
ここで言うのもアレだが、日経電子版のCMの劉備が
池沼みたいな声としゃべりにされててムカつく。

296:世界@名無史さん
17/04/02 11:59:31.13 0.net
張飛がバビル2世の神谷明さんだっけ

297:世界@名無史さん
17/04/09 18:10:12.47 0.net
シャア「日経電子のバーン!」

298:世界@名無史さん
17/04/15 00:13:41.66 0.net
金正恩はリアル孫皓だな。
トランプ司馬炎が杜預と王濬の艦隊に進撃を命じたような状況か。

299:世界@名無史さん
17/04/15 10:25:16.42 0.net
袁術じゃね?

300:世界@名無史さん
17/04/15 10:27:43.44 0.net
孫皓はもっと骨がある感じだな

301:世界@名無史さん
17/04/15 11:37:29.55 0.net
司馬炎はトランプじゃねーだろ

302:世界@名無史さん
17/04/15 14:37:49.64 0.net
立地的にも三代目の僭主という意味でも金正恩は公孫淵に似てると思う
でもトランプは司馬懿ではないなw

303:世界@名無史さん
17/04/15 21:37:25.48 0.net
金正恩の粛清ぶりは孫皓そのものじゃないか。
やたら自信たっぷりで行動が派手なトコも。

304:世界@名無史さん
17/04/16 09:43:13.19 0.net
すると安倍は黄皓あたりか

305:世界@名無史さん
17/04/16 17:34:22.58 0.net
なにがなんでも安倍総理に文句付けたいキチガイがここにもでるのか

306:世界@名無史さん
17/04/16 23:25:50.01 0.net
こんなトコにまでネトサポが来る方が恐いわ

307:世界@名無史さん
17/04/16 23:42:26.66 0.net
レッテル貼って自己正当化する前に
支持率とか見ればひたすらケチつけてる奴らがいかに嫌われているかわかるだろうに
悪口しか言わない奴なんて嫌われるのが当たり前だ

308:世界@名無史さん
17/04/17 00:43:13.00 0.net
はい板違い

309:世界@名無史さん
17/04/17 01:06:36.25 0.net
<丶`Д´>通貨スワップ中断した安倍は許せないニダ

310:世界@名無史さん
17/04/17 06:13:08.50 0.net
夜中に「ニダ」とかつけて2chへ書き込み、親が見たら泣くだろうなあ

311:世界@名無史さん
17/04/17 09:19:56.34 0.net
はいはい、時代違いなんで現代の政治家とかに例えるのはやめましょねー
で終了では?
他の人は以降反応しないでね

312:世界@名無史さん
17/04/17 12:26:52.21 0.net
陸抗はよく孫晧に殺されなかったよな
羊祜の件を口実に殺されても不思議じゃない

313:世界@名無史さん
17/04/17 14:21:30.03 0.net
陸凱を殺せなかった孫皓に陸抗を殺せるわけがなくて
軍事においても政治においても孫呉政権が陸家にそれだけ依存していたってこと

314:世界@名無史さん
17/04/17 15:28:33.25 0.net
具体的にどう依存してたんだろ
ここらへんの微妙なパワーバランスを具体的に理解するのがホント難しい

315:世界@名無史さん
17/04/17 16:29:52.99 0.net
力も人望もある部下が最前線で敵と仲良くしてますって報告受けたら、
孫晧じゃなくても、殺そうとするんじゃと思っちゃう

316:世界@名無史さん
17/04/17 17:15:44.74 0.net
孫皓も暴君とよく言われるけど大司馬荊州牧という地位にある陸抗を殺したらどうなるのかわからないほど暗君ではなかったと思うよ
陸抗病死後も荊州の守りは陸抗の息子たちに任せている(任せざるを得なかった)し

317:世界@名無史さん
17/04/17 17:52:30.42 0.net
頭切れないと暴君を続けられないからね

318:世界@名無史さん
17/04/17 20:11:17.99 0.net
陸抗伝読み直したら陸抗の次男、陸景は孫皓の妹を妻としたと書いてあった
つまりは、互いが互いを内心どう思っていたかは別にしても、孫一族と陸一族は沈没寸前になるまで呉越同舟だったんだな

319:世界@名無史さん
17/04/17 22:26:13.73 0.net
呉における陸家自体名門貴族なのに、さらには陸遜も陸抗も有能で、
呉での権勢も高いのにいきなりブチ殺されたりすることあるんかな

320:世界@名無史さん
17/04/18 11:27:45.74 0.net
ちょっと話はずれるけど、陸績が孫氏に復讐心を持たなかったのはなぜなんだろう?
学者肌の人間だったから?
陸氏一族と孫氏って、遺恨因縁を封じ込めるために無理矢理婚姻関係重ねてる感が
あるわ

321:世界@名無史さん
17/04/18 12:39:04.02 0.net
>>316
ちょっと部下の皮をはいだだけだしな

322:世界@名無史さん
17/04/18 13:37:51.92 0.net
>>320
陸績が孫呉政権に仕えたのは年長の陸遜よりも早く、孫策の代の時だった
正史の記述が正しいとしたら陸績はこの時十三歳以下だったと思われる
陸績が自分の意思で仕官したというよりは陸家から孫家に出された人質に近い扱いだったんじゃないかなと思う
孫策が陸康を殺してしまったばかりに、孫家と陸家の付き合いは最初から拗れてしまってるんだよね

323:世界@名無史さん
17/04/18 13:46:15.54 0.net
陸遜は陸遜で自分の大叔父を殺した孫策の娘と結婚している(させられた)し、陸抗はその間から生まれた
陸遜は晩年の孫権に疑われて憤死しているし陸抗は孫皓に警戒されてる中で病没している
孫家と陸家って本当に仲が良いのか悪いのかわからんね

324:世界@名無史さん
17/04/18 15:41:11.20 0.net
呉の豪族たちがなんで孫氏の政権に付き合い続けたのかって言うことに関わる問題だね

325:世界@名無史さん
17/04/18 16:40:59.55 0.net
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326:世界@名無史さん
17/04/18 21:51:30.18 0.net
>>322
陸氏は孫策に征伐された後に袁術に仕えてる
袁術の勢力は単なる群雄の勢力と言うようなものではなく
「袁術帝国」、もしくは「仲帝国」とでも呼ぶべき新興国家としての体を為してたんだと考えてる
劉ヨウが袁術配下として攻めて来た孫策にあれだけ執拗に抵抗したのも
単なる群雄の勢力争いではなく漢対仲という構図が出来てしまったからなんではないかと思う
孫権が帝号を称する段階になってすら「袁術帝国の後継者」として
袁術の娘を皇后にするという発想が呉にはあったのがその傍証と出来ると思う
そこから考えると袁術死後の孫策の猛烈な拡大というのは単純な征服じゃなくて
「袁術帝国」の跡目争いとして既存の袁術帝国の勢力の再糾合となるし
勝者となった孫策に周辺豪族は従う形を取ったという説明が出来ると考えてる
陸績が孫策に仕えるというのは人質というのもあるだろうけど
「袁術帝国」の後継政権と陸氏が孫策を認定したというのもあるのではないだろうか
>>324
元々官界だと江南の人々というのはあまり尊重されて来なかったし
漢初の呉楚の乱以来の反目も感情としては微妙にあったと思う
そこに袁術が新しい国を作った
そして漢に絶望した南方の人々はそこに夢を託して新しい国に喜んで参画して行ったんじゃないかな
袁術の死後も孫氏がそれを繋いで行く事に江南の人々も賭けた、という説明が
「袁術帝国」の存在を補助線として引くとかなり分かり易くなる
袁術の残した帝国というものが残滓のような記録しかないので
推測と想像のツギハギになっちゃうけど、「袁術の作った国」というものは確かにあったと思うんだよね

327:世界@名無史さん
17/04/18 22:08:13.60 0.net
孫策の娘を嫁にやるのが、孫家と陸家の手打ちってことなんだと思うけど
それで陸家から送られてきた陸遜って陸家の秘蔵の若者だったのか、
適当なのを送ってお茶を濁そうと思ったら実は大当たりだったのか気になる

328:世界@名無史さん
17/04/18 22:11:03.25 0.net
>>327
地元じゃ若いころから名声は高かったので順当な人選

329:世界@名無史さん
17/04/18 23:09:56.67 0.net
>>327
陸康が包囲されて敗死した時に陸一族は半数が餓死したという
陸康の息子(陸績の兄)陸儁、陸康の孫の陸尚は陸康の忠節を認められて郎中として(朝廷に?)出仕することを許された、とあるがおそらく朝廷へ行くまでの道のりで難に遭ったのか、或いは朝廷に着いたものの李カク郭シの争いに巻き込まれたのかその後の音沙汰がない
(陸尚の妻の徐夫人は後に孫権と再婚していることから陸尚が早くに亡くなったのは確実)
あと史書に残る陸遜と同世代と思われる陸一族の人間は陸遜より年少の陸績と陸遜の弟の陸瑁だけ
消去法的推測ではありますが、陸康死後に陸一族を取りまとめる当主となったのが陸遜であったと思われます

330:世界@名無史さん
17/04/18 23:14:03.52 0.net
当主は陸康の末子で陸績では?
陸遜は年長の後見役ではないかな
その後陸績の病死、夷陵での大勝利等を経て陸遜が当主になったっぽいのは確かだけどさ

331:世界@名無史さん
17/04/19 10:43:30.69 0.net
陸家も壊滅状態だったのか
それでも嫁を送って縁を復活させたいくらい力を持ってたというのも凄い

332:世界@名無史さん
17/04/19 12:44:36.37 0.net
陸康が包囲前に親族に故郷に逃がしてるから壊滅は無いでしょ 残った連中が壊滅しただけで
豪族としても顧雍に陸康娘、顧邵に陸駿娘を送れるくらいで家格は落ちてる感じもしないし

333:世界@名無史さん
17/04/19 12:48:05.84 0.net
豪族ってことは陸康等の主だってプレイヤーしてる連中とは別に
本貫地にきっちり残ってる連中が居たってことでしょ
陸績、陸遜もそっちに退避して生き延びてるんだし

334:世界@名無史さん
17/04/20 08:53:46.78 0.net
殺してくれたから陸遜が一族内での地位が向上したのだから孫策は恩人

335:世界@名無史さん
17/04/20 11:17:24.28 0.net
陸遜の父の陸駿は九江郡の都尉だったらしいから、もしかすると孫策の従兄の孫賁が袁術の命令で九江郡の太守周昂を攻撃した時に殺されたのかもしれない
あくまで推測だけれど

336:世界@名無史さん
17/04/20 19:48:11.59 0.net
孫堅が見つけた玉璽は、袁術に渡った後にどこへいったの?

337:世界@名無史さん
17/04/20 21:46:51.32 0.net
袁術の息子だか親族だかが漢王朝へ返したんじゃなかったっけ

338:世界@名無史さん
17/04/21 00:32:36.80 0.net
孫堅が玉璽持ち逃げしたのって史実なの?
ハイショウシ注で忠義を称えられる呼び名を貰っていた人がそんなことするだろうかとか反語してたけど

339:世界@名無史さん
17/04/21 00:39:19.99 0.net
後漢書徐璆伝によると、袁術に捕縛監禁されていた後漢の廷尉徐璆という人が袁術死後、玉璽を見つけて朝廷に返したそうな
でもそもそも孫堅が洛陽で玉璽を手に入れたって話自体が眉唾だろ
孫堅が玉璽を持っていたとしたら、孫堅が敗死した時に玉璽は劉表の手に渡っていたのではないか

340:世界@名無史さん
17/04/21 02:18:50.19 0.net
別に孫堅が肌身離さず持ってた訳じゃないでしょ、そんな危ない事出来る訳がない

341:世界@名無史さん
17/04/22 17:20:16.86 0.net
>>336
発見してないから

342:世界@名無史さん
17/04/22 23:43:30.65 0.net
だいたい急な遷都とはいえうっかり玉璽を洛陽に置き忘れるなんてことあり得るのかな?責任者は誰だ
皇帝の玉璽を管理していたのって宦官?

343:世界@名無史さん
17/04/23 01:34:02.61 0.net
その前は何皇后派の皇帝と宮廷だったわけだし、
聡明の評判が高かったとはいえ献帝は董卓に擁立された偽皇帝とも言える
そんな連中に伝説のアイテムを渡したくないから意図的に隠したってのはまあありえるかなと

344:世界@名無史さん
17/04/23 11:42:03.86 0.net
演義では井戸に落ちてた人が持ってたんじゃなかっけ

345:世界@名無史さん
17/04/23 21:47:58.54 0.net
Eテレの100分de名著、5月は陳寿の三国志とりあげるそうだ

346:世界@名無史さん
17/04/23 22:10:17.11 0.net
最近の朝日系文化人は幼稚化しているからなぁ
先日の素粒子には驚いた
どんな珍妙な理屈で『三国志』を北朝鮮擁護に持ち込むのか
今から楽しみだw

347:世界@名無史さん
17/04/24 19:03:39.62 0.net
>>345
講師がね

348:世界@名無史さん
17/04/26 19:54:46.71 0.net
100分de名著
公式ページにも来ました。
URLリンク(www.nhk.or.jp)

349:世界@名無史さん
17/04/28 10:24:03.38 0.net
玉璽は孫堅が井戸から見つけたって後漢書徐キュウ伝注
に書いてあるじゃん。
それを疑うなら全部注に書いてあるの疑わないと。

350:世界@名無史さん
17/04/29 03:46:47.23 0.net
いや史料批判ってどこが信用出来てどこが信用できないかもちゃんと検討するもんやぞ

351:世界@名無史さん
17/04/29 07:33:21.61 0.net
井戸から見つけたの何が信じられないのか・・・
別に光が立ち上ってたとかは書いてないのに。
袁術が盗んだという本伝の記述も疑うの?

352:世界@名無史さん
17/04/29 19:41:45.94 0.net
今でこそ伝国璽なんて伝説の存在だが范曄が後漢書を書いていた時代には現存していたのかな

353:世界@名無史さん
17/04/29 21:59:07.60 0.net
伝国の玉璽は五代後唐の時代まで残ってたっぽいよ。
後唐が滅んだ際燃えたか消失したらしい。

354:世界@名無史さん
17/04/29 22:31:15.81 0.net
正直ホンモンの玉璽なのか怪しいと思ってたけど
五代の後に玉璽が出てないのを見ると本物だったのかねえ

355:世界@名無史さん
17/05/01 11:54:45.78 0.net
しょうもない疑問だけど
太皇太后
って太皇・太后と読むのか太・皇太后と読むのかどっちなん

356:世界@名無史さん
17/05/01 12:14:11.14 0.net
太・皇太后

357:世界@名無史さん
17/05/01 13:16:24.93 0.net
上皇后って呼称はあったのかな

358:世界@名無史さん
17/05/01 14:06:30.10 0.net
生前退位した皇帝は太上皇、太上皇の后は太上皇后なんじゃない?

359:世界@名無史さん
17/05/02 07:13:24.65 0.net
>>351
注釈の出典不明な辺り
誰それ曰くじゃなくていきなり玉璽は井戸かためっかったんだよ!ΩΩΩ Ω
みたいな書き方だと胡散臭く感じちゃう

360:世界@名無史さん
17/05/05 09:55:13.28 0.net
別に李賢が自分で作った訳じゃないだろう。
何らかの出典があったが、載せ忘れたんじゃないの?
徐キュウが届けた玉璽が本物認定されたんだから消失して
たのは事実だろうし。

361:世界@名無史さん
17/05/10 23:49:18.30 0.net
■『三国志事典』
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―――――――――――――――――
【著者】渡邉義浩
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 全文掲載。
◇索引や年表、資料類も完備。

362:世界@名無史さん
17/05/12 16:44:12.69 0.net
ここで言うのもなんやけど実は正史三国志に触れるきっかけになったのが五星戦隊ダイレンジャーなんや すまんな

363:世界@名無史さん
17/05/13 18:14:35.39 0.net
どういうことですか

364:世界@名無史さん
17/05/14 00:15:22.98 0.net
三戦板に移住しよう

365:世界@名無史さん
17/05/15 12:49:12.28 0.net
三戦は三戦、中英は中英の空気があるから単純に一方化できない

366:世界@名無史さん
17/05/15 13:05:04.55 0.net
日本人の一般論的に過大・過小評価されてる人達
張角は過小評価されてるのではないだろうか
何も無いところから大勢力作って、政権を揺るがす大反乱を主導した人物ってすげー有能だと思う

367:世界@名無史さん
17/05/16 00:19:37.69 0.net
100分de名著、孫権の回見た。
孫堅から孫策・周瑜への流れを10分もかけて説明するとは思わなかったw
映像はスリキンとレッドクリフ使ってたけど、どっちかに統一した方が良かったんじゃぁ。

368:世界@名無史さん
17/05/16 05:32:41.00 0.net
まだ未見だけどアル中とか二宮とかはスルーなんだろうな

369:世界@名無史さん
17/05/16 14:45:48.81 0.net
何キ伝に出てくる、一回しか名前が出てこないのにはっきりと「袁術の謀臣」と書かれている李業(術謀臣李業)
一体何者なんだ・・・想像することしかできないが謎の存在すぎて気になる

370:世界@名無史さん
17/05/16 23:11:25.60 0.net
あ、李業だったか
昔、とある小説ネタ考えてた時、韓浩をスカウトをする袁術の使いをそいつにしようと思ったんだけれど
名前思い出せなかったんだよなー、姓は李だというのは覚えてたんだけれど

371:世界@名無史さん
17/05/17 06:05:24.00 0.net
李術ってのもいたなぁ

372:世界@名無史さん
17/05/19 23:51:18.94 0.net
敗者が歴史に名が残ることはないから仕方のないことではあるが袁術麾下の武将たちって出身地も生年も没年もよくわからない奴らばかりだよなぁ

373:世界@名無史さん
17/05/20 01:39:04.98 0.net
孔明は忠義を尽くしたから歴史に残ったが逆に尽くさずに、皇帝になればチャンスはあった
劉家は趙匡胤みたいに、宗家としてきちんと保護する姿勢を見せれば下の者は付いてきただろう
兄貴と通じて呉で革命を起こせば荊州どころか江南も手に入り
天下を取ることは可能だったはずだ

374:世界@名無史さん
17/05/20 04:45:31.21 0.net
三国志において「名士」という概念は渡邉義浩だけが使っているのですか?

375:世界@名無史さん
17/05/20 08:06:56.90 0.net
>>374
んなこた無い

376:世界@名無史さん
17/05/20 12:23:11.71 0.net
>>373
無理言うな

377:世界@名無史さん
17/05/20 12:46:39.42 0.net
>>373
趙匡胤のそれは、当時の王朝は前王朝根絶やしがデフォだから評価されてるんであって
デフォになる前の三国時代とは比較できんよ

378:世界@名無史さん
17/05/20 13:23:53.33 0.net
デフォにしたのが宋の劉裕なんだよな・・・
ただ魏がデフォにしてもおかしくない

379:世界@名無史さん
17/05/20 14:26:29.17 0.net
魏がやったら支持ガタ落ちだし無理だろ

380:世界@名無史さん
17/05/20 18:31:21.94 0.net
>>373
むしろ孔明は呉の尖兵として荊州で派閥作りやってたように見えるんだよなぁ
劉表と距離を置く水鏡グループ入りしたり、サイボウに近い黄承彦に婿入りしたり、
怪しげな流れ者の将軍と昵懇になった上、後継者争いに負けかけてた劉キにも接触してる

381:世界@名無史さん
17/05/20 20:18:21.20 0.net
孔明の兵法って史実だとどんな感じなの?
孫呉の兵法に基づいたもの?

382:世界@名無史さん
17/05/20 20:54:39.52 0.net
>>380
諸葛亮呉の間者というか諸葛瑾のエージェント説は面白い着眼点とは思うけど
諸葛亮が本当にエージェントだったとしたら
赤壁直前まで孫権は当初曹操と昵懇だったという点を反映して
もっと親曹操の派閥作りしてないとおかしいと思う
当時の劉表が反曹操だったという事から考えても
親孫を大前提として親曹な勢力を糾合するべきで
劉備取り込みなんて一番無理ある行動を成功させてるのが変
しかも劉備に兵力を蓄えさせる提案までして入り込んでその兵力でもって
許昌にほど近い葉まで攻め寄せてるのでエージェントどころか足を引っ張っちゃってる

383:世界@名無史さん
17/05/20 23:59:22.14 0.net
呉の視点から見れば
そもそもなぜ諸葛亮を使おうという気になるのか

384:世界@名無史さん
17/05/21 00:38:49.72 0.net
諸葛瑾が、弟のひきこもりをなんとかしたかったから、とか?

385:世界@名無史さん
17/05/21 00:50:59.84 0.net
孔明はトップとしては器が小さいよね

386:世界@名無史さん
17/05/21 01:14:00.60 0.net
晴耕雨読は引きこもりどころか普通に外で農業に従事しとるやろw

387:世界@名無史さん
17/05/21 01:41:32.37 0.net
>>385
つうか、蜀書に伝が立ってる人をひとつひとつ検証してくとキチガイが多すぎるって結論に至るな
陳寿が意図的に曲筆していたのを差し引いても
諸葛亮だけでなく蒋琬や費禕も持て余していたんだもの
能力のわりにプライドばかり高い人材を宥めすかして使いこなした苦労を思うと、劉備か曹操クラスの器でなければ蜀で諸葛亮以上の成果を挙げることはできなかったと思う

388:世界@名無史さん
17/05/21 04:00:36.11 0.net
農事に勤しんでるのによくニート扱いされるよな

389:世界@名無史さん
17/05/21 10:58:00.66 0.net
諸葛亮と曹操との手紙のやり取りがどんなのだったのか気になる

390:世界@名無史さん
17/05/21 20:03:49.01 0.net
諸葛亮伝には兄の瑾の名前はずいぶん後ろにならないと出てこないんだな

391:世界@名無史さん
17/05/21 22:33:45.83 0.net
諸葛瑾伝にも孫策没後に孫権の姉婿の推挙で孫権に仕えたってあるだけで前歴は謎だよね
呉書には若い頃に京師で遊学していたってあるけど時期的に董卓専横の混乱期と丸かぶりしてるし
どういう経緯で揚州に流れ着いたのか、何故諸葛亮ら一族と行動を共にして荊州に移住しなかったのか、行動が謎

392:世界@名無史さん
17/05/24 06:09:18.22 0.net
華キンとか鄭泰あたりにくっついてきたとか

393:世界@名無史さん
17/05/29 00:49:00.77 0.net
呉書は韋昭のコピペとか言われてるけど、韋曜伝は陳寿が書いたんだよね?

394:世界@名無史さん
17/05/29 05:17:41.55 0.net
呉のであきらかに原典が違ってそうなのは陳寿自作っぽいな

395:世界@名無史さん
17/05/30 01:01:39.74 0.net
陶謙討伐の曹操の詔ってどの部分に載ってる?

396:世界@名無史さん
17/05/30 22:10:10.12 0.net
>>395
陶謙伝の呉書からの注釈部分かな?
裴松之先生は、曹操と陶謙が争ってた時に、曹操には帝に詔勅を出させる権力はないだろ!と否定的だけど

397:世界@名無史さん
17/05/31 07:26:09.54 0.net
>>396
袁紹は勝手に詔書出してたって言われてたんじゃなかったけ
つまり

398:世界@名無史さん
17/05/31 08:37:05.49 0.net
よく公孫サンって劉虞殺害したことで人望失ったとか言うけどさ
対外的には帝位僭称した大逆無道の存在なんだから
むしろ処刑した公孫サンを誉めたりせんのかったんかいな

399:世界@名無史さん
17/05/31 09:57:53.19 0.net
劉虞が公孫サン殺そうとしたのは確かだから自衛っていえば自衛なんだけどね
あと劉虞は帝位僭称してない、その時点の袁術と同様に長安政権側の人間だよ

400:世界@名無史さん
17/05/31 10:10:27.71 0.net
袁紹のプロパガンダ?

401:世界@名無史さん
17/05/31 12:22:10.80 0.net
橋瑁「三公の公文書見つけました」

402:世界@名無史さん
17/05/31 12:25:59.07 0.net
袁紹は勝手に勅書作ってたから誰の勅書って事にしてたかって考えると
劉虞を勝手に祭り上げてた可能性はあるんだけど確定ではないからな

403:世界@名無史さん
17/05/31 15:17:02.49 0.net
袁紹は劉虞に皇帝に奉り上げようとしたが拒絶され、そのあと領尚書事として官爵の任免をするように頼んでるけどこれも断られてる(公孫瓚伝)
劉虞の立場からすると最初から傀儡にする気満々の袁紹に協力する謂れもないわな

404:世界@名無史さん
17/05/31 17:58:10.26 0.net
公孫瓚「そもそも董卓が暴れるすきを作ったのって袁紹のせいじゃん・・・」

405:世界@名無史さん
17/05/31 18:39:25.61 0.net
袁家は漢王朝のことはどうでもいいんだね…(・´з`・)

406:世界@名無史さん
17/06/01 00:19:19.37 0.net
この頃に天帝の姓が劉から張に変わるとか、帝舜の子孫が帝位につくとか、漢に代わるは当塗高なんて予言が溢れたら勘違いする人も出てくる

407:世界@名無史さん
17/06/01 00:49:36.57 0.net
袁家の人間が四世三公の名家なんて威張ってられたのも漢王朝の権威があってのこと
後世の人間の後知恵に過ぎないかもしれないが、袁紹や袁術が積極的に漢王朝の権威を守ろうとしなかったことは結果的に致命的な失策に繋がってしまったと言わざるを得ない

408:世界@名無史さん
17/06/01 11:38:21.67 0.net
一時は大勢力として君臨したわけで、袁家は知らんが袁紹には王者の器があったと考えていいんじゃないだろうか
皇帝だけすげ変わった第二漢帝国でしょ袁紹が作りたかったのは

409:世界@名無史さん
17/06/01 20:26:42.90 0.net
袁紹が10年たらずでいち郡太守から河北四州を傘下に収める大勢力になったことを過小評価するつもりはないけど、でも曹操と違う時代に生まれてたら天下を取れた程の器ではないとも思う
袁紹の評価って難しいね

410:世界@名無史さん
17/06/01 21:24:25.52 0.net
青年期、十常侍に抗い、党錮の禁の犠牲者を助けんと世直しのごとく暗躍
宦官一掃という誰もが夢見てもなし得るわけがないと思っていた義挙を実現
自らを取り込もうとする梟雄董卓に一括し、無官の身で出奔しながら関東軍盟主に衰退
自らを妾服と罵る弟の決裂
韓プク、公孫瓚、曹操みな袁紹に敵対すると内部分裂を起こして崩壊していく王道
北の遊牧民すら懐ける度量
若くして、信念を違えども友として、部下として慈しんだ曹操との決戦
どう見ても主人公だね

411:世界@名無史さん
17/06/01 22:24:51.36 0.net
もちつけ 誤字ばっかやぞ

412:世界@名無史さん
17/06/02 00:46:00.88 0.net
>>409
まあなんていうか優秀だけど、乱世を一気に終息させて帝王になるようなとびぬけたエネルギーがないよな
周囲に天才が一人もいなかったら地味ーに全土統一した可能性はあるけど
大国の乱世って思いもよらなかった英傑が突然出てくるからそれには勝てない感が強い

413:世界@名無史さん
17/06/02 01:01:04.15 0.net
後漢書じゃ二袁は普通に強キャラやからな

414:世界@名無史さん
17/06/02 02:31:08.83 0.net
群雄ってのがまず異常な存在だからね。
袁家は代々中央で大臣を務めた。
袁紹が朝廷でそのまま出世してたらどうなったかだな。

415:世界@名無史さん
17/06/02 08:33:10.57 O.net
董卓は、何進が十常侍に討たれ、城外に二十万の西涼軍で
すぐさま洛陽を占領したが、暴政が故すぐ追討軍が結集
した。追討後力をつけたのは曹操。百万の軍勢は平原を
縦横無尽に駆け回り 十年のちに中国
の三分の一を支配した。董卓追討軍後の 戦果のメリットは
李確、郭巴を打ち破り洛陽、長安をいち早く占領し帝
陳留王を得た事。哀紹、哀術という強大勢力に引かなかっ
たワケ。

416:世界@名無史さん
17/06/02 08:39:07.34 0.net
>>414
袁術陛下は確か二十代で太守やってたはず。

417:世界@名無史さん
17/06/03 06:25:24.84 0.net
袁紹は乱世でこそ輝く器じゃないかな
宦官との折り合いが最悪すぎるからいずれ中央からははじきだされてただろ

418:世界@名無史さん
17/06/03 14:53:11.56 0.net
世が乱れた時に伝統と進取性を併せ持った袁紹が宦官を放逐する程度で終われば中興の祖と称えられた
戦国の時代になるとタケノコのように生えてくる位も名声も無い有能の士を使いこなす度量が無かった
袁紹が産まれてくるのが遅かったな、トウコの禁あたりで活躍してれば漢帝国のその後も袁紹の運命も変わってたかも

419:世界@名無史さん
17/06/04 11:09:59.19 0.net
西園七校尉で軍の中央集権化をめざしたのが何進・袁紹だと思う
皇帝や宦官サイドの横槍でだいぶ骨抜きになってはいるけど

420:世界@名無史さん
17/06/04 12:46:46.07 0.net
蹇碩:宦官
趙融:太鼓腹
曹操:宦官の孫
鮑鴻:横領で獄死
淳于瓊:鼻削ぎ
馮芳:袁術の義父
夏牟:?

421:世界@名無史さん
17/06/04 15:23:46.81 0.net
淳于瓊は
「俺も昔はよう、袁紹や曹操とタメだったのに・・・」って烏巣で酒浸りなイメージ

422:世界@名無史さん
17/06/07 21:26:28.78 0.net
西園七校尉って何か活躍の機会あったの?

423:世界@名無史さん
17/06/07 21:57:43.89 0.net
西園八校尉ね
下軍校尉の鮑鴻が豫州の黄巾討伐に派遣されたんだけど討伐後に兵糧を横領したのが発覚して獄死してる
西園八校尉はその後特に出番もなく霊帝の崩御とともに一年足らずで自然消滅した

424:世界@名無史さん
17/06/08 01:00:13.53 0.net
もともと霊帝が私財を投げ打って無上将軍として立つという話だったからなー

425:世界@名無史さん
17/06/08 09:05:06.91 0.net
最初、西園軍って中央軍構想かなんかかと思ってたけど霊帝の私兵だったぽいんだよな
霊帝崩御でなんの意味もなくなって、後で実権握る董卓の私兵に再編されちゃったようだし

426:世界@名無史さん
17/06/08 12:45:01.16 0.net
>>425
私兵っていうかさ、そもそも中央軍って皇帝の直属であることが大前提だろ
大将軍(外戚)にフリーハンドで指揮権を委ねたらどうぞクーデターを起こして下さいって言っているようなものだぞ

427:世界@名無史さん
17/06/08 14:04:12.71 0.net
そうだ八校尉だった、素で間違えてたw

428:世界@名無史さん
17/06/08 16:10:07.65 0.net
>>426
ところがその従来整備されてた漢王朝の近衛と中央軍は
有力豪族子弟のキャリアのための踏み台にしかなっておらず
しかも構造上は朝廷と外戚挟んでて皇帝直属でもなくなってたわけで
本来君主は最高位の指揮官であったはずなのに
皇帝が無上将軍として指揮官を兼ねる形にして
わざわざ従来の指揮系統から切り離して作ってるのは
これは新規の中央軍編成ではなく、皇帝の私兵を作った、と表現する方が合ってるかなと

429:世界@名無史さん
17/06/08 18:40:32.20 0.net
曹操政権になってから太尉が任命されなくなったのはなんでだろ

430:世界@名無史さん
17/06/08 22:13:35.76 0.net
>>428
なるほどありがとう
勉強になりました

431:世界@名無史さん
17/06/09 18:45:52.01 0.net
漢王朝の場合皇帝の真の親衛隊は宦官だからね。

432:世界@名無史さん
17/06/09 20:05:30.39 0.net
宦官って男性器の無いナヨナヨしたオカマ野郎みたいに思われてるけど、皇帝の近侍ともなれば武芸の修練者や軍略に明るい者も混じってたりするんだろうな

433:世界@名無史さん
17/06/09 20:23:40.53 0.net
そら宋代には髭も生えてる童貫やら、正体は蛙の楊ゼンなんかもいますから

434:世界@名無史さん
17/06/09 21:04:20.02 0.net
八校尉は蹇碩以外、何進の腹心じゃねえの?

435:世界@名無史さん
17/06/09 23:06:23.13 0.net
夏牟が夏ツの一族の可能性が

436:世界@名無史さん
17/06/10 09:23:05.45 0.net
和帝の腹心の鄭衆とかは軍略や謀略も長けてるやろな

437:世界@名無史さん
17/06/10 20:20:43.26 0.net
八校尉は霊帝の改革っていうより
皇帝の政治意欲を引き出して宦官から引き離したい何進の思惑と、無上将軍ごっこがやりたい霊帝の欲求が合致しただけのように見えるけどな
さほど私兵が必要になってないし
私兵として捉えると謎な人選だし

438:世界@名無史さん
17/06/11 00:13:55.72 0.net
>>437
宦官と官僚両方の顔の効く曹操
反宦官ながら袁基と別流で官僚たちへの牽制役も期待できる同世代の袁紹とか
かなり両睨みな人選だと思うよ
加えて皇帝の私的な召使である宦官の蹇碩を一番上の席次として置き
私兵色を相当色濃く打ち出してると思うんだがな
私兵が必要になってないということはないでしょう
後漢後期は豪族の軍に地位を与えて懐柔しつつ使い倒す対応をしてるけど
自分の軍隊無けりゃ最終的にはそういう軍閥に食われるだけなの皆わかってるはずだし

439:世界@名無史さん
17/06/11 00:59:44.41 0.net
>>438
いやいや、そもそも私兵で何のためにそういう睨みを効かせる必要あるんだ
むしろ結局は豪族に骨抜きされてしまうじゃないか
どういう意味で軍閥と言う表現を使っているのか分からないが
官軍としてまとめあげられない限り豪族の軍なんて弱小で別に巨大な連合なんて気づいてないでしょ
自分の軍隊というけど大将軍を通じて反乱軍なんて普通に潰せるでしょ
革命を警戒しての軍制改革って言う解釈はかなり飛躍してるように思う

440:世界@名無史さん
17/06/11 01:07:49.14 0.net
軍閥なんてそもそもあったのか?
州牧や郡太守が独自に兵を動かすようになったのは、
董卓が朝廷を牛耳るようになってからじゃないの?

441:世界@名無史さん
17/06/11 14:24:21.75 0.net
>>439-440
>>438の下二段見てくれ
あと西園軍は豪族に骨抜きにされるもなにも作ってすぐに霊帝が死んで
董卓に吸収されてるから豪族に骨抜きされたことなんてないよ

442:世界@名無史さん
17/06/11 14:37:39.13 0.net
豪族の軍って具体例で言うとどれ?
黄巾の乱以前でお願い。

443:世界@名無史さん
17/06/11 15:14:59.13 0.net
いや。そもそも西園軍がどうなったかって具体的に不明じゃ
吸収されたのは何進の軍でしょ
董卓が入洛した頃には袁紹ももう西園八校尉じゃないしまともに存続してたのかすら謎でしょ

444:世界@名無史さん
17/06/11 15:39:36.72 0.net
西園八校尉がどのようにして解散したのかイマイチよくわからないが霊帝死後、大将軍何進と元帥蹇碩が帝の後継を巡って対立して、蹇碩が何進を暗殺しようとして逆に返り討ちになった辺りで体をなしてなかったと考えていいのかな
そのすぐ後に何進が十常侍に暗殺されて、虎賁中郎将袁紹がその報復に宦官勢力を全て粛清して、最終的な勝利者になったのが董卓なんだから訳がわからねえ

445:世界@名無史さん
17/06/11 16:00:08.46 0.net
董卓が宮中の兵力集めに工夫しているように重要な要素のはずではあるんだけどね

446:世界@名無史さん
17/06/11 16:29:25.30 0.net
>>442
以前て
以後に統治乱れまくってるところに導入された西園軍語るのに

447:世界@名無史さん
17/06/11 22:07:14.78 0.net
西園軍って豪族の軍なの?
軍閥と呼べる豪族の軍について教えて・・・

448:世界@名無史さん
17/06/11 23:14:19.39 0.net
西園軍の兵は張楊や毌丘コクや劉備が并州や丹陽で募兵した兵士が主力なんじゃない?
劉備は赴任中に下ヒで黄巾軍に出くわして任地まで行かなかったようだが
軍閥がそれに結びつくのかは知らん
そもそもどういう流れなんだよ


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