正史『三国志』 三十 ..
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2:世界@名無史さん
15/09/18 13:01:18.23 0.net
おっつおっつ

3:世界@名無史さん
15/09/20 11:40:29.45 0.net
青州兵の論議って青州兵が元から強かったか、曹操の元で強くなったか
ってことを議論しているの?

4:世界@名無史さん
15/09/20 20:37:31.68 0.net
そもそも青州兵が強かったってどこからわかることだ?
数に任せてエン州に押し寄せている時は強いと言えば強いかもしれないが、それでも独力で追い返している太守もいるし
そもそも兵として強かったのか?

5:世界@名無史さん
15/09/20 21:37:14.23 0.net
青州黄巾から精鋭だけを抜き出して作ったのが青州兵なのだから
まあそりゃ精鋭なんだから強いだろう

6:世界@名無史さん
15/09/20 21:38:47.03 0.net
青州兵・・・
戦国で言うと斉の兵か。
あんまり強いイメージがない。

7:世界@名無史さん
15/09/21 23:08:53.35 0.net
燕人に駆逐されそう

8:世界@名無史さん
15/09/21 23:55:47.27 0.net
>>7
今の私にはプロ野球の話にしか見えない。

9:世界@名無史さん
15/09/21 23:59:40.49 0.net
燕の方が格段に弱そうだけど。楽毅の時がすご過ぎただけで、基本的にはやられ役の弱小国というイメージしかない。

10:世界@名無史さん
15/09/22 00:04:16.28 0.net
燕人のイメージ
一騎当千、酒呑み、虎髭、権威に弱い、せんだみつお

11:世界@名無史さん
15/09/22 01:22:03.26 0.net
盧植と劉備も燕人

12:世界@名無史さん
15/09/22 14:42:13.63 0.net
燕人の程普や韓当はどういう経緯で孫堅の部下になったのだろう

13:世界@名無史さん
15/09/22 14:45:03.7


14:7 0.net



15:世界@名無史さん
15/09/22 18:26:22.07 0.net
張温が集めたんじゃね?

16:世界@名無史さん
15/09/25 12:19:10.59 0.net
三国志の人物って若い頃父が無くなって貧しかったという人がやたらと多くね

17:世界@名無史さん
15/09/25 21:37:48.84 0.net
そりゃ医療も発達してないし、戦争もあったから
若くして親を亡くした奴自体がたくさんいたってことじゃね

18:世界@名無史さん
15/09/25 21:40:06.32 0.net
親がいないからこそ一か八かの挙兵に参加できるというのもあるかと

19:世界@名無史さん
15/09/26 01:22:55.59 0.net
日本がドイツ・イタリアと同盟を結んで英米仏蘭中を
相手に開戦したのって、蜀がクシャン朝と結んで魏呉
と異民族を相手に同時に戦争するようなもんじゃね?

20:世界@名無史さん
15/09/26 01:55:38.81 0.net
ドイツと手を結べば、刺激をしないようにと米国が介入してこないと考えたが、
逆に米国国民を刺激してやぶへびになっただけのただの大誤算。

21:世界@名無史さん
15/09/26 02:03:56.02 0.net
イヤ、普通に日本から先制攻撃したしw

22:世界@名無史さん
15/09/26 17:07:14.08 0.net
演義オリキャラの孔秀・韓福・卞喜・王植には史実でモデルとかあるん?

23:世界@名無史さん
15/09/26 19:32:09.89 0.net
水滸伝とかなら十節度使とか韓伯龍とかは元ネタあるらしいけど、三国志ではそういうの聞いた事ないなぁ
普浄和尚とかはなんかありそうな感じもするけど

24:世界@名無史さん
15/09/26 19:49:27.84 0.net
宋や元に元ネタがあるのかもしれない

25:世界@名無史さん
15/09/28 15:14:58.76 0.net
滎陽太守王植
滎陽は河南尹に属する1県でしかないため、「滎陽太守」という
地位は実際には存在しない。郡太守級であれば河南尹、滎陽県
の長であれば滎陽県令または県長でなければならない。
これは、同じく関羽の千里行で登場する「洛陽太守」韓福についても、
同様である。
とかなりの出鱈目キャラであることが判明。

26:世界@名無史さん
15/09/28 15:19:11.75 0.net
曹操の詩といい、建安の文学と言いこの時代の文学は
太宰治的だな

27:世界@名無史さん
15/09/28 16:05:54.13 0.net
>>24
それを言ったら徐栄も 「滎陽太守」 だし、
存在しない官名を理由にデタラメ認定は勇み足だと思う

28:世界@名無史さん
15/09/28 16:40:12.61 0.net
三国志も聖書にはかなわないよなw三国志の人物は天下の統治を求めたが
キリストは世界の支配を退けた、曹操曹植の詩もイエスの御言葉に比べれば格段に劣る
「剣を取るものは剣にて滅ぶ」「汝、右のほほを打たば左のほほをも差し向けよ」
これらの言葉は神聖であるだけでなく孫子にも勝る兵法の言葉としても読める

29:世界@名無史さん
15/09/28 16:46:33.15 0.net
そもそも中国文化はユダヤ文化を基盤にしているふしもある
孔子や老荘の説く天や道の思想はユダヤ教の一神教の概念と似ている
三国志の時代に入っても曹ヒがワインを飲んでいたなど西方の匂いが漂う
もしかしたらキリスト教も伝わっていたかもしれない

30:世界@名無史さん
15/09/28 18:16:26.56 0.net
なにいってんだこいつ

31:世界@名無史さん
15/09/28 18:58:19.76 0.net
董卓に仕えた


32:徐栄や、呂布に仕えた高順は高い実力がありながら三国志序盤で死んじゃったけど 別の主に仕えてたら呂布→董卓→曹操と仕えた張遼や、呂布と同盟→曹操に仕えた臧覇みたいにもっと活躍できたのかなぁ



33:世界@名無史さん
15/09/28 20:05:06.12 0.net
>>24
西晋には滎陽郡がある
曹操は郡県の分置、増置をやってるから
一時的に滎陽郡があった可能性自体は否定は出来ない

34:世界@名無史さん
15/09/28 20:16:38.43 0.net
演義の成立した時代を考えると、行政区画が異なるってのも影響してるんかな

35:世界@名無史さん
15/09/28 20:18:53.40 0.net
徐州か

36:世界@名無史さん
15/09/28 21:36:03.89 0.net
そういえば許昌が都だった時期って
河南尹に相当する官職はどうなってたんだろう

37:世界@名無史さん
15/09/28 21:57:44.86 0.net
献帝が許昌にいるときだってずっと河南尹は設置されていた(ように史書では読める)
東晋では丹陽尹が置かれたし、公孫述は成都尹を置いたけど
呉や蜀が同様のことをしていたかは不明
はっきり言って、太守だろうが尹だろうが、大して違いはないんじゃないか

38:世界@名無史さん
15/09/28 23:15:13.26 0.net
厳密には許は都じゃなかったと思う

39:世界@名無史さん
15/09/29 00:08:33.83 0.net
都になっているようにも思えるが、どうなんだろう
まあ都の定義もよく分からないが
武帝紀
洛陽殘破,董昭等勸太祖都許。九月,車駕出轘轅而東,以太祖為大將軍,封武平侯。自天子西遷,朝廷日亂,至是宗廟社稷制度始立。
後漢書 地理志
許[一四]左傳莊二十八年楚伐鄭,鄭奔桐丘,杜預曰縣東北有桐丘城。獻帝徙都,改許昌 。獻帝徙都改 許昌  按:集解引周壽昌說,謂考獻帝改都許在建安二年八月,改許縣為 許昌縣在魏文帝黃初二年,非獻帝徙都時改名也。注誤。

40:世界@名無史さん
15/09/29 03:29:38.46 0.net
俺的には裏切り者の宋憲・魏続・侯成や、范彊・張達のその後が気になるな 特に宋憲は戦功や従軍の記録が全くない謎人物だし

41:世界@名無史さん
15/09/29 12:56:49.61 0.net
>>29
中国の文化は劣化ユダヤ教、キリスト教だということさ
老子の説く上善は水の如しなどの柔弱の姿勢はキリスト教にたっぷり入っている
中国の社会はヨーロッパでいわば中世がずっと続いてるようなものなのさ

42:世界@名無史さん
15/09/29 19:45:18.77 0.net
侯成は侯音に転生した説

43:世界@名無史さん
15/09/30 13:04:50.49 0.net
曹操って星座は何座?血液型は何型?

44:世界@名無史さん
15/09/30 13:11:05.16 0.net
血液型は劉備はB型、孔明、曹操はABだろうな

45:世界@名無史さん
15/09/30 17:34:20.74 0.net
星座って二十八宿のことか?

46:世界@名無史さん
15/10/01 01:44:22.56 0.net
そういや、孫堅の親父が孫鍾なのかどうかはやっぱりあんましはっきりしてないのか 陳寿は「孫武の子孫、かも・・・」みたいな曖昧な書き方してたけど

47:世界@名無史さん
15/10/01 10:08:20.98 0.net
孫鍾の名前が出るのはだいぶ後の書籍だからね

48:世界@名無史さん
15/10/01 12:03:20.67 0.net
三国時代の後を継いだ西晋のモラルは最低だったらしいな
女性を捕まえたら犯して逆さづりにしたり、これが神仙の道だとか


49:言っては 麻薬や酒をかっくらっては暴れまわったり、西晋からそうだったんだから 魏も似たようなものだったんだろ、やはり曹操みたいな奴が勝利者となった 世界は邪悪なものになるんだろうな



50:世界@名無史さん
15/10/01 13:55:20.59 0.net
建康実録か
孫氏の先祖は衛から出たことになってるらしいけど、
田氏から出たという説もあったよね
どっちやねん

51:世界@名無史さん
15/10/01 17:55:09.01 0.net
同じ姓で由来がいっぱいあるのは普通だよ
中国なんて1字姓がいっぱいあるんだから

52:世界@名無史さん
15/10/01 19:41:50.37 0.net
>>48
孫堅の先祖はどちらか(またはどちらでもない)でしょ

53:世界@名無史さん
15/10/01 19:43:48.03 0.net
孫堅の孫氏以外の孫氏の話なんて誰もしてないし

54:世界@名無史さん
15/10/01 19:50:05.99 0.net
>>44
陳寿は「孫武の子孫とされている」と言ってるだけでそこまで曖昧には書いてないよ
蓋孫武後也、だからそれなりに信憑性はある書き方

55:世界@名無史さん
15/10/01 23:01:05.84 0.net
孫武から孫堅まで随分間が空いたな。
中間に誰か活躍した人物はいなかったのか?

56:世界@名無史さん
15/10/01 23:02:36.63 0.net
新王朝の孫建

57:世界@名無史さん
15/10/02 23:09:09.19 0.net
>>47
建康実録より先に、宋書に名前が出ている
たぶん呉書には載ってたんじゃないか
で、陳寿と裴松之がシカトした

58:世界@名無史さん
15/10/03 11:35:08.59 0.net
陳寿が書いた以外の三国志の資料なんて信憑性あるの?

59:世界@名無史さん
15/10/03 11:43:20.64 0.net
後漢紀とかもあるがむしろなんで陳寿に信憑性があると思うんだ?

60:世界@名無史さん
15/10/03 11:58:51.08 0.net
ここのスレタイが読めないの?「正史」三国志でしょ?
これを書いたのを誰だと思ってるの?陳寿だよ
陳寿がいなければこのスレ自体が存在していないんだよ
後漢紀なんて東晋に成立した文献じゃない
陳寿よりずっと後でしょ、そんなものに価値なんてないよ

61:世界@名無史さん
15/10/03 12:06:04.31 0.net
スレの存在と史書の信憑性は何の関係もねぇよ
成立時期と信憑性だって、そんなに単純なものではない
っつうか、陳寿がいなかったら別の史書が正史認定されてるだけだろ

62:世界@名無史さん
15/10/03 12:21:51.16 0.net
陳寿の記述だけ信じて裴松之の引用は信じるなよこら
そしたら三国志なんてめちゃめちゃ無味乾燥とするぞ

63:世界@名無史さん
15/10/03 13:00:30.04 0.net
>>57
ここのスレタイが読めないの?
正史三国志の信憑性を至上に置くスレなんてどこにも書いてないだろ
正史三国志のスレだけど正史三国志を語る上で他の史書も引くし
当たり前のように資料批判もするというスレの文化無視してアホな主張するなら
今すぐ回線切って氏ね

64:世界@名無史さん
15/10/03 13:16:46.98 0.net
>>59
読んでないよ、初めからな、それでも十分面白かった
特に劉禅の降伏以後の話が裴松之の引用だと分かったら
注意して読んでなくて正解だと思った
>>60
同じくスレタイには他の史書も引くし当たり前のように資料批判もするというスレ
とは書いてないんだが、そして行き着くところは資料なんか無視の曹操マンセーだろ
そしてお前らは演義を否定した上に正史まで否定するのか
漫画から三国志に入ったくせに演義を否定し正史を否定し次は何を否定しようというんだ

65:世界@名無史さん
15/10/03 15:45:52.16 0.net
成立年代で言うなら英雄記や東観漢記、呉書呉歴のほうが早く
魏書や魏略、続漢書は三国志ど同時代だろうな

66:世界@名無史さん
15/10/03 16:45:01.15 0.net
>>61
30スレ続いてるんでその暗黙の了解が判らんなら書き込むな
百年でも二百年でもROMってろ

67:世界@名無史さん
15/10/03 17:02:30.20 0.net
信用性低いから注は鵜呑みにしないってのなら解るけど、
読まないってのもまた極端な人だね

68:世界@名無史さん
15/10/03 17:09:09.28 0.net
何かと勝手に戦ってる人みたいだから無視するが吉

69:世界@名無史さん
15/10/03 21:16:12.67 0.net
三国志DVDデータファイル買っちゃった、CMで林先生がドヤ顔してたんで莫迦にしてたんだけれど
中見て自分の大好きな河内の侠客、王匡が載ってたんでつい。

70:世界@名無史さん
15/10/04 12:06:28.25 0.net
やっぱり馬超のピークは龐徳と一緒に郭援討伐するとこと潼関の戦いで曹操追い詰めるとこか
なんで入蜀後はほとんど戦場に出してもらえなかったんだ 漢中攻略戦くらいなんじゃないか
しかも漢中攻略戦も張飛・呉蘭と一緒に参加して曹洪・曹休に阻まれて終わり、くらいだしさ

71:世界@名無史さん
15/10/04 12:55:47.02 0.net
そりゃ入蜀後は漢中戦くらいしか戦場ないじゃん
あと馬超って「督臨沮」になってるけど、これって荊州の臨沮じゃないよね?

72:世界@名無史さん
15/10/04 13:51:14.68 0.net
>>63
「正史」『三国志』と書いてあるので、正史三国志のことを語るスレだという
事は了解できるけど、それ以外のことは了解できないな(笑)
>>62
三国志以外ほとんど散逸して後代に編纂された史料じゃん、そんなの信用できないね
>>64
いや本当に裴松之の註なんていらないから、正史三国志を読んだことが無いの?

73:世界@名無史さん
15/10/04 13:54:03.05 0.net
曹操が悪人だったか善人だったかって議論されるけど
墓を隠してる時点で自分が善人ではないことを自覚し告白してるよな

74:世界@名無史さん
15/10/04 14:02:30.70 0.net
東晋以後の中国なんて異民族に征服されまくりでルサンチマンむき出しで
文化の質も劣化してるし、それ以後の資料で陳寿のように客観的で正確な
視点は期待できないよ

75:世界@名無史さん
15/10/04 14:28:42.82 0.net
墓荒しに善人とか関係ないから

76:世界@名無史さん
15/10/04 14:35:01.25 0.net
>三国志以外ほとんど散逸して後代に編纂された史料じゃん、そんなの信用できないね
なんでこんなウソつくの?
陳寿の元ネタで陳寿が採用しなかった記事が山ほどあるだろ
んで、それは信憑性が薄くて採用されなかったってわけでもないわけ
スレタイの正史表記は演義との区別のためのものに過ぎない
そもそも陳寿の三国志を正史としたのも後代

77:世界@名無史さん
15/10/04 21:09:00.31 0.net
そういや正史区分も24史とか21史とかあるしなあ
史記の思想を受け継いで書いたものなんだろうけど
公的に正史制度があってそのルールにのっとって書いたものじゃないんだろうし
あくまでその時代の歴史書だな

78:世界@名無史さん
15/10/04 22:20:14.89 0.net
そういや演義はスレ無いのね

79:世界@名無史さん
15/10/04 22:47:15.31 0.net
ここ世界史板だし

80:世界@名無史さん
15/10/04 22:50:19.33 0.net
いや、別全部の板から探しても演義そのもののスレは無かったからさ 俺が見落としてただけかもしれんが

81:世界@名無史さん
15/10/04 23:04:16.83 0.net
立てるとしたら三戦板だろ。

82:世界@名無史さん
15/10/04 23:16:08.20 0.net
演義は吉川派vs羅貫中派の戦いとかが凄そう

83:世界@名無史さん
15/10/05 00:32:43.57 0.net
文学系の板で立ててもいいかもな

84:世界@名無史さん
15/10/05 01:17:26.28 0.net
戦国時代板はできたのにいまだに三国志・三国時代板は
頑なに作らない件・・・

85:世界@名無史さん
15/10/05 01:50:01.70 0.net
中国英雄板の手の施しようのない過疎っぷりを見るに不要だと思うよ
むしろいつ中国英雄板が閉鎖されるのか戦々恐々としているくらい

86:世界@名無史さん
15/10/05 01:59:46.33 0.net
2chで消滅した板ってあったか?

87:世界@名無史さん
15/10/05 12:05:06.79 0.net
>>75
三国志演義のここがつまらないってスレあったでしょ
で、今度は正史三国志のここが信頼できないってスレが立つのか(笑)

88:世界@名無史さん
15/10/05 12:23:49.66 0.net
>>73
何にせよ、この世界史板で30もスレ数を数える、この正史『三国志』スレで
いやこのスレに限らず三国志の全ての研究において、最も参考にされたのは何だと思ってるんだ?
陳寿が執筆した三国志だろ?その陳寿を否定するお前らこそ回線切って首つって死ね
百年も二百年もROMってろ

89:世界@名無史さん
15/10/05 12:56:26.09 0.net
>>85
「三国志全ての研究」だったら正史より演義のが題材になってると思われ
史学じゃなくて文学研究だが

90:世界@名無史さん
15/10/05 17:59:29.28 0.net
>>75
演義スレあるにはあるよ。過疎り気味だけど
スレリンク(warhis板)l50
スレリンク(warhis板)l50

91:世界@名無史さん
15/10/05 18:01:41.15 0.net
陶謙についてはどう見るべきかな
やっぱり陳寿の記述が全て?

92:世界@名無史さん
15/10/05 18:40:55.87 0.net
そういや陳寿の三国志には出てこず、後漢書にしか出てこない波才や李儒の扱いはどうなるんだ
まあ李儒はともかく、大敗しただけの黄巾党武将の波才を話題に出す人なんてほとんどいないだろうけどさ
いや世の中広いしもしかしたら波才のファンがいるかもしれない・・・いややっぱいるわけないか

93:世界@名無史さん
15/10/05 20:11:01.84 0.net
卜己のファンスレなら

94:世界@名無史さん
15/10/05 21:37:42.30 0.net
正史以外の史料なら、それこそ考古学からの一次資料に期待したいところ
紙だったら残りにくいだろうけどさ

95:世界@名無史さん
15/10/05 22:06:12.87 0.net
石碑とかは結構あるんだが基本あんま話題にはならんよな

96:世界@名無史さん
15/10/05 23:27:31.47 0.net
天発神讖碑の字体のかっこよさは異常
漢〜晋にかけての拓本も結構出版されてるので書道方面から攻めると楽しいよ
それこそ鍾ヨウ体とか人気高いし

97:世界@名無史さん
15/10/06 00:00:53.63 0.net
曹全碑

98:世界@名無史さん
15/10/06 12:41:10.60 0.net
紙は発明されてたけど普通に使えたのか?

99:世界@名無史さん
15/10/06 21:11:09.82 0.net
紙って口走ったけど、三国時代ならおそらく帛の方が多いんじゃね

100:世界@名無史さん
15/10/06 22:25:35.02 0.net
竹簡のほうが多いんじゃない?

101:世界@名無史さん
15/10/07 00:11:28.19 O.net
三戦板なんてゴミ板じゃんw

102:世界@名無史さん
15/10/07 01:33:01.43 0.net
劉備って袁術とも組んだことがあったんだな・・・

103:世界@名無史さん
15/10/07 02:45:27.92 0.net
>>98
最近じゃ世界史板も大差ないわw

104:世界@名無史さん
15/10/07 16:50:00.06 O.net
>>100
でも廃墟になってない分マシだろう

105:世界@名無史さん
15/10/07 18:15:35.13 0.net
新規の三国志ファンって大体無双とか出身で、そういう人は歴史ゲーム板いってるんじゃないかね

106:世界@名無史さん
15/10/08 00:23:20.56 0.net
孫堅:37歳で死去 孫策:26歳で死去 孫翊:20歳で死去
孫登:33歳で死去 孫慮:20歳で死去 孫休:30歳で死去
孫匡や孫希も若くして死んだって記述だしこの一族戦死・病死合わせると早死にしすぎだろ・・・

107:世界@名無史さん
15/10/08 00:25:22.26 0.net
孫酷は?

108:世界@名無史さん
15/10/08 00:53:20.81 0.net
42だった気がする
不惑こそ超えたが早死にと言って差し支えないだろう
孫亮も20歳前に死んでるし早死に一族だな

109:世界@名無史さん
15/10/08 01:25:09.87 0.net
孫堅って袁術に呉夫人を人質にされて玉璽を
奪われてるんだよな。

110:世界@名無史さん
15/10/08 20:07:17.67 0.net
洛陽が焼き払われた時、白馬寺の僧とかはどこに行ったのかな?

111:世界@名無史さん
15/10/09 00:59:25.95 0.net
>>106
それ眉唾だろ
孫権は長命だし、戦死や横死をもって早死に一族とか言われてもな
孫瑜兄弟の死にっぷりの方はアレだが

112:世界@名無史さん
15/10/09 01:29:19.24 0.net
孫権も滅茶苦茶な行動結構してたし、止めてくれる周囲の人達がいなかったら他の孫一族同様早死にしてたんかなぁ

113:世界@名無史さん
15/10/09 09:14:41.69 0.net
血気盛んなところがあって、それを止められる人がいなかったらもっと早く死んでただろうな
色々と運が悪ければ合肥で死んでた

114:世界@名無史さん
15/10/09 09:55:10.07 0.net
張昭:ワイのおかげやな

115:世界@名無史さん
15/10/10 08:01:48.50 0.net
ついでに大酒も止めててくれれば

116:世界@名無史さん
15/10/10 17:37:41.87 0.net
孫権「俺の酒乱要素が演義で張飛に取られてしまった・・・」

117:世界@名無史さん
15/10/10 17:58:29.83 0.net
孫権は酒乱と言ってもマシな方だろ

118:世界@名無史さん
15/10/10 19:22:46.47 0.net
孫権「俺が酒席で言った命令は全部ノーカンだかんな」

119:世界@名無史さん
15/10/10 19:31:03.88 0.net
三国志に出てくる長寿の皇帝って短命な人多いな
長寿な二人は晩年がなぁ・・・
献帝はいただけだし

120:世界@名無史さん
15/10/10 19:38:31.12 0.net
>>116
君は何を言っているんだ

121:世界@名無史さん
15/10/10 19:40:30.39 0.net
>>117
ごめん、書き直してたら消し忘れた。
短命な皇帝多いなってそれだけ。

122:世界@名無史さん
15/10/10 20:37:29.24 0.net
皇帝業が相当なストレス案件か、衣食住の環境がよっぽど劣悪だったのか気になるな

123:世界@名無史さん
15/10/10 21:23:46.80 0.net
劉備も曹操も65まで生きれば十分だろ。

124:世界@名無史さん
15/10/11 01:29:28.58 0.net
劉備は在位期間が短いし、曹操は後からだからなぁ

125:世界@名無史さん
15/10/11 03:27:30.57 0.net
呉は風土的に病気になりやすいんじゃないの?

126:世界@名無史さん
15/10/11 03:42:55.26 0.net
後漢まで含めると、戦死しないかぎり戦場に出る君主は長生きするって感じ
宮廷や後宮に人が健康に暮らしていくのに重大な欠陥があるような気がしてならない

127:世界@名無史さん
15/10/11 04:11:07.07 0.net
黄河の黄砂の方が病気になりやすい気がするが

128:世界@名無史さん
15/10/11 08:06:05.79 0.net
黄砂は九州に住んでる俺でさえ調子が悪くなる事があるからな

129:世界@名無史さん
15/10/11 09:07:19.19 0.net
短命と言っても日本の総理の任期よりは長い治世だがな

130:世界@名無史さん
15/10/11 09:19:57.28 0.net
韓遂はあれだけ反乱の人生だったのに70歳くらいまで生きたんだよな
麹演と蒋石に殺されたとも、病死した後に首を斬られたとも言われてるらしいが

131:世界@名無史さん
15/10/11 10:56:18.11 O.net
在位が長かった劉禅、盆暗君主だが長かった

132:世界@名無史さん
15/10/11 15:29:41.42 0.net
劉禅って十代で即位したわりに長寿だなって印象
なんか十代そこそこで即位した君主って、寿命を全うできてもや30〜40代で
亡くなる事が多い気がして

133:世界@名無史さん
15/10/11 17:25:45.98 0.net
劉禅以外って曹叡みたいに先代が若死にしたか
臣下に無理やり担ぎ上げられた幼い傀儡皇帝かじゃない?
彼らが即位した背景に比べれば劉禅は恵まれてたと思うし
良くも悪くも白糸だから心労も溜まらなかったんだろう

134:世界@名無史さん
15/10/11 18:30:24.75 0.net
辣腕を振るうリーダー → 中華の陰険な宮廷で毒食わされたり、ストレスで若死に
一代で成りあがった君主 → 生命力は人より高いけど戦場に出るため戦死したり、苦労が祟ったりする
宮廷の実力者と懇ろな君主 → 本人の能力は関係ないが、邪魔にされないためストレスも溜めず、良い物食って精力つけられる

135:世界@名無史さん
15/10/11 18:56:14.53 0.net
劉封「関羽の援軍要請拒否したら見殺しにしたことにされるし上庸も失うし色々大変なことになった・・・」
諸葛亮「(後継者問題が起きる前に消しておきたかったから好都合だ)関羽敗死、上庸も失陥したから責任取って自殺してな」
劉封「(俺は何のために養子になったんだ)孟達の言う通りにしておくべきだった」
括弧の中は妄想やけど劉封があまりにもかわいそうすぎる

136:世界@名無史さん
15/10/11 19:50:57.91 0.net
孟達って諸葛亮の義兄殺してるんだよなー
その辺負い目無かったんだろうか

137:世界@名無史さん
15/10/11 20:15:42.23 0.net
正確には劉封激怒し、孟達に房陵城攻撃を厳命→孟達は諌めるが止むなく房陵城を陥落させてしまう→劉封、魏延に命じて一族皆殺し、だったか
蒯祺の他にも諸葛亮の姉まで殺したんじゃ恨まれても仕方ないわな 関羽と上庸の件は仕方ないとしても諸葛亮の恨み買ってたのが駄目だったな

138:世界@名無史さん
15/10/12 11:47:17.90 0.net
魏延?

139:世界@名無史さん
15/10/12 12:16:23.64 0.net
襄陽耆舊記とか信憑性ないだろ
まして裴松之が採用しなかった時点で、後代の編纂で紛れ込んだ与太話の可能性が大

140:世界@名無史さん
15/10/13 00:55:36.67 0.net
馮習って一応夷陵の戦いでの蜀軍の指揮官だよな?それなのになんで馮習に関する記述がこんなに少ないんだろう

141:世界@名無史さん
15/10/13 04:18:07.18 0.net
経験の浅い若手のホープだったから。
たまには張南のことも思い出して下さい。

142:世界@名無史さん
15/10/13 18:53:05.59 0.net
呉懿ってちょっと調べたが謎な人物だよな、皇帝の外戚で尚且つあれだけの実績と実力(しかも人格者)があるのに独立した伝がないとか
やっぱり旧劉璋軍の人間だから余り良く思われてなかったのだろうか

143:世界@名無史さん
15/10/14 08:52:37.36 0.net
>>139
一応は魏延と並ぶくらいの武将だったらしいけど、単純に独立した伝が立てられるほどの文献が残ってなかったと聞いたな
仮に伝が立てられていたら恐らく公に知られてる名前は「呉壱」だったって認識でいいのかな?

144:世界@名無史さん
15/10/14 11:26:56.08 0.net
蜀は史官おかなかったんだっけ

145:世界@名無史さん
15/10/14 13:43:26.94 0.net
史官が諸葛亮時代に一回廃止されたっぽいことは伺えるけど
中期後期の蜀の官僚の多さを考えると復活したと考える方が妥当だとは思うがね

146:世界@名無史さん
15/10/14 17:48:11.29 0.net
>>95
1996年長沙市の古井戸から数万点の竹簡・木簡が発見された。
内容から孫権時代の郡の役所の行政関係の書類。
紙が普及していないと判断されている。

147:世界@名無史さん
15/10/14 20:28:05.35 0.net
洛陽の紙価なんて話もあるように晋代入ってすら紙は
ちょっといい詩をまとまった人数が書写したいというだけで値段が大変動する貴重品

148:世界@名無史さん
15/10/14 20:58:21.69 0.net
詩ではなく手紙だけど平復帖は紙だよね?
陸機ほどの人物ならば個人的な手紙にも紙を使えたんだろうか
(確実に陸機の書とは言い切れないけど)

149:世界@名無史さん
15/10/15 06:14:08.97 0.net
呉壱は司馬懿の名を避けてだから蜀では普通に呉懿。

150:世界@名無史さん
15/10/15 07:36:21.87 0.net
張昭とかは司馬昭の名を避けていないのに

151:世界@名無史さん
15/10/15 08:13:34.36 0.net
>>146
140はもしも伝が立てられていたらあなたが言っている理由で呉壱って呼び方が後世広まってたんじゃないかって事じゃないの?

152:世界@名無史さん
15/10/15 08:44:30.61 0.net
結構な頻度で呉壱呼ばわりされてるのに呉懿って
呼ばれてるんだから関係ないでしょ。

153:世界@名無史さん
15/10/15 11:30:14.84 0.net
呉懿の他に呉班、陳式、高翔あたりも資料があれば陳寿も伝を立てたかった様にも

154:世界@名無史さん
15/10/15 15:42:42.95 0.net
呉懿は張懿と同じパターン
後世が勝手に避諱と思いこんで修正しただけ。

155:世界@名無史さん
15/10/15 19:47:04.53 0.net
士仁って幽州出身だっけ 糜芳に比べると記述は少ないけど実は劉備軍の中でも古参だったりするのかね

156:世界@名無史さん
15/10/16 00:45:36.77 0.net
士仁って虞翻に「やらないか?」って言われて
ホイホイついて行っちゃうようなヤツだぜ。

157:世界@名無史さん
15/10/16 14:34:26.61 0.net
糜芳は兄貴と一緒に20年以上の付き合いだったし、もし士仁が古参だったとしたら、そんな二人が降伏するほど心が折れたんだな

158:世界@名無史さん
15/10/16 16:30:28.41 0.net
本当に大敗だったんだなあ。
あそこをうまく乗り切れば、長安も見えたかもしれないのに…。
って言うのは劉備贔屓の見方かな。

159:世界@名無史さん
15/10/16 16:36:37.07 0.net
荊州から北上していくより、それこそきっちり守って涼州取りに行くべきだったんじゃない?

160:世界@名無史さん
15/10/16 18:10:03.77 0.net
涼州の価値ってどうなの?
強兵と馬は一目置かれるものがあると思うけど、経済基盤も弱そうだし
反乱ばっか起きそうだし。
魏も実効支配はほとんどしてないんじゃなかった?

161:世界@名無史さん
15/10/16 19:25:39.09 0.net
あそこは魏の領土にしておいて、
反魏勢力が湧いたら同盟結んで兵馬を補給する方がいいかもな
変に支配すると反蜀勢力が湧いてくるだろう

162:世界@名無史さん
15/10/17 00:04:18.36 0.net
こうも絶望的な状況をあそこまで盛り上げれるんだから演義も大したものだな

163:世界@名無史さん
15/10/17 14:02:45.06 0.net
演義だけ読んだら袁紹の一族は根絶やしにされたっぽくなってたけど、袁煕の子孫は生き延びて続いていったのね
しかしその子孫・・・袁恕己だっけ、それが唐の宰相にまでなったというのは本当かね 眉唾ものと言われることがあるが

164:世界@名無史さん
15/10/17 15:36:03.23 0.net
大刀 関必勝:せやな

165:世界@名無史さん
15/10/17 15:59:57.90 0.net
蜀なんて40年以上存続してるんだから絶望的じゃないだろ全然
宰相世系なんて眉唾だし、血筋途絶えても傍系が継ぐから
子孫がいても血がつながってるとは限らない
もっとも袁紹一族が根絶やしにされたってことは無いと思うけど

166:世界@名無史さん
15/10/17 17:27:48.24 0.net
絶望的というより
蜀を殆ど無視していた魏に自分から挑んでいっただけだからな

167:世界@名無史さん
15/10/17 18:06:14.59 0.net
ほとんど無視って意味がわかりません

168:世界@名無史さん
15/10/17 18:08:30.73 0.net
それが蜀漢の大義名分と言うか存在意義というか・・・

169:世界@名無史さん
15/10/17 18:08:45.44 0.net
魏から攻めることはなかったし
諸葛亮が北伐を始めるまで魏は呉しか相手にしていない
諸葛亮に降伏の誘いをかけたくらいしか、外交的なちょっかいも知らんな

170:世界@名無史さん
15/10/17 18:34:57.46 0.net
そういえば近代だと袁世凱は汝南袁氏を自称してたっけ 近代アジアの歴史はあんま知らんから真相がどうなのかは知らんけど

171:世界@名無史さん
15/10/17 19:44:58.25 0.net
>魏から攻めることはなかったし
ゲームでしか三国志しらないボクちゃんか

172:世界@名無史さん
15/10/17 20:53:05.20 0.net
はあ・・・ゲームに諸葛亮に降伏の誘いをかけたことが載ってるのかな

173:世界@名無史さん
15/10/17 22:49:59.16 0.net
>>169
相手の意図を読み取らずに揚げ足とれると見るやつっかかるバカはどこにでもいるものさ

174:世界@名無史さん
15/10/17 23:26:08.38 0.net
魏はCP的に鶏肋せせる意味ないしな
美味いけど

175:世界@名無史さん
15/10/18 10:00:05.55 0.net
>>169
で、魏から攻めることはなかったってのは明らかに妄想でしょ?
あと呉と事を構えたのは外交的経緯があるのであって、蜀を無視していたという根拠がないわ、ボクちゃん

176:世界@名無史さん
15/10/18 12:06:44.34 0.net
馬に乗ったことないから分からんのだけど、馬上で矛とか戟って扱えるもんなの?

177:世界@名無史さん
15/10/18 12:56:58.18 0.net
たしか三国時代は鐙が無かったから馬に乗るだけでも一苦労でもっぱら脇に構えた槍で突進して突き刺すって感じだったそうな

178:世界@名無史さん
15/10/18 13:38:47.54 0.net
趙の騎射とかどうしてたんだろ

179:世界@名無史さん
15/10/18 14:10:09.18 0.net
兵馬俑から出土した鞍には簡易


180:的な滑り止めがついてたらしいけど 鐙がない以上は腿で馬体を挟んで踏ん張るしかないんじゃないかな 戦国〜秦は鞍というよりも革製の座布団みたいな敷物で 漢代になると鞍橋がついて尻がずれないようになったらしい



181:世界@名無史さん
15/10/18 15:34:46.79 0.net
鐙がないからこそ個人の技量が物を言うってことだったんだろうよ

182:世界@名無史さん
15/10/18 23:54:43.55 0.net
子どもの頃から馬に乗ってるような奴は鐙が無くても馬上で格闘もできるし、投げ槍や騎射も自由自在
ただ、項羽とか呂布みたいに有名な豪傑が実際にどの程度馬上戦闘できたかってのは気になるところだな

183:世界@名無史さん
15/10/21 11:11:46.25 0.net
猿とかは馬に乗れるというよね
孫悟空が最初についた役職の弼馬瘟って馬の病気除けに猿を載せる事からっていう話を聞いた事ある

184:世界@名無史さん
15/10/22 13:25:10.73 0.net
馬上戦闘は普通にできたっぽい。
アレクサンドロスの一騎討ち
ダレイオス(3世)の娘婿ミトリダテスが戦列から大きく馬を進め、
楔形になった騎兵の一団を率いているのを認めるなり、彼の方もまた
他に先んじて馬をとばしてこれに立ち向かい、真っ向からミトリダテス
の顔に槍の一突きを加えて、一撃の下に彼を地上に突き落とした。
このときロイサケスが馬を駆ってアレクサンドロスに近寄りざま、
手にした偃月刀で彼の頭を激しく斬りつけた。その一撃は彼の兜の
一部を跳ね飛ばしたものの、兜その物は打撃を良く持ちこたえた。
これに対しアレクサンドロスのほうは手にした槍で相手の胸甲を心臓
まで刺し貫いて、この男もまた地上に倒した。しかしその時既に
スピトリダテスが背後からアレクサンドロスに向かって偃月刀を高く
振りかぶっていた。この時一瞬早くスピトリダテスの肩先を薙ぎ払って、
その手にした偃月刀もろとも彼の利き腕を切り落としたのは、ドロピデス
の子クレイトスだった。

185:世界@名無史さん
15/10/22 14:31:09.46 0.net
マケドニア王国は貴族は子どもの頃から乗馬をするのが嗜みらしいが
どの程度の鍛練だったのだろうなあ

186:世界@名無史さん
15/10/22 15:22:48.65 0.net
馬上で生まれ、馬上で死ぬってことよ

187:世界@名無史さん
15/10/22 18:50:30.75 0.net
>>166
魏による蜀侵攻とか知らんキッズなのかな?
曹真と曹爽による蜀侵攻作戦は重大な事件だったんだけども
あと諸葛亮の北伐前に司馬懿による上庸攻略があったりして
国境地帯では結構バッチバチな関係なんやけども

188:世界@名無史さん
15/10/22 19:56:31.93 0.net
曹真の動きは諸葛亮の北伐以後だよ

189:世界@名無史さん
15/10/22 20:14:50.39 0.net
諸葛亮の北伐以後の侵攻は除くとは書いてないね
諸葛亮の北伐までは呉しか相手にしていないとあるけど
あと蜀成立から諸葛亮の北伐ってほんの数年しかないのに
その短期間だけ魏が蜀に攻めかからないのを「魏から攻めることはなかった」と言ってるなら本気でアホ

190:世界@名無史さん
15/10/22 20:17:48.64 0.net
あともう一つ
その短期間の間に蜀に鞍替えした孟達をきっちり攻めてるから
結局魏から攻めることはなかったってのは間違いだね

191:世界@名無史さん
15/10/23 14:05:27.39 0.net
>>186
国内の反乱討伐だろ

192:世界@名無史さん
15/10/23 15:16:27.16 0.net
反乱じゃなくて普通に鞍替え済みだが

193:世界@名無史さん
15/10/23 20:41:47.92 0.net
韓玄の墓が残ってたのは、祟りみたいな現象が起きたからなのか、それとも韓玄が立派な人物だったのか 理由はなんなんだろうな

194:世界@名無史さん
15/10/23 23:16:40.00 0.net
>>188
そんなこと知ったことかよw

195:世界@名無史さん
15/10/23 23:54:54.55 0.net
知らないのに無理に語ろうとするなよ

196:世界@名無史さん
15/10/24 00:31:42.08 0.net



197:>>191 また機知がいじみた返答だな



198:世界@名無史さん
15/10/24 01:15:41.27 0.net
h URLリンク(d.hatena.ne.jp)
韓玄墓記訳

199:世界@名無史さん
15/10/24 21:33:51.37 0.net
荊州の四人組って曹操が新たに任命した太守なの?
元劉表配下だったヤツはなし?

200:世界@名無史さん
15/10/24 22:48:13.26 0.net
不明としか
推測はできるが確定は不可能

201:世界@名無史さん
15/10/24 22:52:47.49 0.net
>>195
金旋だけは曹操が新たに任命したということで間違いないから全員が不明というわけでもない

202:世界@名無史さん
15/10/25 01:22:44.47 0.net
よく考えてみれば、劉表に仕えてた黄忠は曹操が荊州を降伏させたから一時期曹操配下だったのか
何故か黄忠にそんなイメージ無かったな 定軍山で夏侯淵の部隊を破ったとこのインパクトが強いせいだろうか

203:世界@名無史さん
15/10/25 01:25:01.16 0.net
蜀漢組はだいたい演義補正のせい
より強い奴についていく離散集合の繰り返しなんだけど、一度イメージが出来上がると脱却がなかなか難しい

204:世界@名無史さん
15/10/25 10:54:31.68 0.net
関羽より年上で、息子は早死、実際どのくらいの年だったのか

205:世界@名無史さん
15/10/25 11:07:35.82 0.net
あくまでも漢王朝の臣であって曹操配下とは別だろ

206:世界@名無史さん
15/10/25 12:52:53.07 0.net
金旋と言えば光栄のアレでハードモードの代表格だけど
曹操が任命したくらいだから優秀だったんだろうな

207:世界@名無史さん
15/10/25 20:14:14.52 0.net
優秀っつーか正史で少ししか名前出てこない奴でも天才とか呼ばれてたりしたからな
韋康とかもKOEI式三国志では多分低能力だけど前評判は高かった
逆に言うと評判の高さと実際の功績が一致しないのが乱世かもしれん

208:世界@名無史さん
15/10/25 20:58:29.66 0.net
蜀は人材が少なすぎて適材適所ができなかったのが悲しいな 諸葛亮や姜維が評価落としがちなのはそのせいか

209:世界@名無史さん
15/10/25 22:55:47.70 0.net
何かに秀でてても上が適所に任命してくれないで生涯を終えた人も勿論いるんだろう

210:世界@名無史さん
15/10/25 23:26:21.51 0.net
李厳・廖立「せやな」

211:世界@名無史さん
15/10/26 00:39:59.29 0.net
益州一州にそんな過度な期待をされても困ります。

212:世界@名無史さん
15/10/26 23:10:36.48 0.net
公孫サンさんとか群雄の器じゃあないよな 武勇には優れてて戦闘力は高かったけど、知略や外交はダメダメだった

213:世界@名無史さん
15/10/26 23:21:06.78 0.net
駅に着きドアが開くと、蕎麦汁のにおいが流れ込んでくる
たまらなく腹が減る瞬間

214:世界@名無史さん
15/10/27 03:14:03.56 0.net
>>207
有能なブレインが居なかったのが痛かったのかな。あ、でも名士層を軽視してたみたいだし自業自得か
あとその頃対峙してた時の袁紹も君主としてはある意味全盛期だったように思える

215:世界@名無史さん
15/10/28 01:09:35.17 0.net
かの戦が滅茶苦茶強かった項羽だって次第に人心を失って敗死したからな 言うなればスケールを大幅に小さくした項羽みたいなもんだな

216:世界@名無史さん
15/10/28 01:19:44.54 0.net
より遊牧民に近い位置にいたってのも関係してそうな気はする

217:世界@名無史さん
15/10/31 14:28:22.93 0.net
公孫サンで思い出したが、そういや関羽一族以外の関姓の人物って公孫サン配下の関靖くらいしか見たことないな 他なんかいたっけ?

218:世界@名無史さん
15/10/31 14:56:38.28 0.net
関平

219:世界@名無史さん
15/10/31 17:03:13.08 0.net
関平は関羽の実子
関羽は若い頃犯罪を犯して改名したから、そこから関性が生まれたと勝手に思ってたんだけど>>212見てどう


220:竄辷痰、ようだね まぁ冷静に考えれば改名したとして実在しない苗字を名乗らないか



221:世界@名無史さん
15/11/01 11:02:18.97 0.net
三国志、横山光輝でいえば孔明新野を焼く、辺りからつまんないんだけど
それまでと比べて計略が稚拙に思えたし、最大の決戦と言われる赤壁も
ダラダラ長いし、その後の孫夫人のくだりもグダグダだし
その流れがその後もずっと続いてるっていう感じ

222:世界@名無史さん
15/11/01 11:17:59.62 0.net
ちょっと自分語りするけど、私はねじまがった三国志の接触をしてしまって
横光三国志から入ってそれを中途でやめてしまって、全部読み切らずに
ネットやゲームで三国志に触れ、妙な先入観を持ってしまい
それで遅れてやっと横光を読んだら前述した所からつまらない
で、皆さんに聞きたいんですけど、皆さんは横光でいう孔明新野を焼く以後の
三国志も楽しめましたか?

223:世界@名無史さん
15/11/01 12:07:58.39 0.net
末期でも姜維と鍾会のタッグの反乱未遂、諸葛誕、毌丘倹、文欽の反乱、対呉では陸抗、羊祜、杜預とか結構面白いだろう
赤壁かて魏にとっては地方戦みたいなもんやし仕方ないとは思うがその辺はまだまだ有名な武将も健在やし 面白かったと思うぞ

224:世界@名無史さん
15/11/01 12:46:19.86 0.net
>>216
それ接触がねじまがったとかじゃなくてあんたに合わないってだけじゃないかな

225:世界@名無史さん
15/11/01 13:34:58.32 0.net
横光のは読んだことないや

226:世界@名無史さん
15/11/01 15:54:02.66 0.net
横光三国志は蜀漢が魏に降伏して、姜維とその配下らが剣閣で泣きながら剣を岩に叩きつけて終わりじゃなかった?
鍾会の乱やら、呉滅亡の下りは全て描かれてなかったと記憶してる
まぁかなり前に1度だけ読んだだけだし、ひょっとしたら勘違いで途中までしか読んでなかったのかも

227:世界@名無史さん
15/11/01 19:07:33.91 0.net
姜維ももう蜀が詰み状態でどうしようもなくなって、北伐厨と呼ばれるほど北伐しまくるしかなくなってかわいそうだな
後世では蜀の国力を衰退させた張本人として槍玉に挙げられるし 正直諸葛亮も内政の人なのにオーバーワークすぎると思う

228:世界@名無史さん
15/11/01 20:52:42.79 0.net
諸葛亮一人に張良と蕭何と韓信三人分の役割を求めるのは酷ってもん
北伐も死に方も全部ひっくるめて、三国志に立伝されてる人物の中では姜維が一番好きだよ

229:世界@名無史さん
15/11/01 21:11:50.90 0.net
それが蜀の限界だからしょうがないね

230:世界@名無史さん
15/11/01 21:30:45.48 0.net
蜀が詰み状態とか何を根拠に

231:世界@名無史さん
15/11/01 21:43:21.26 0.net
魏はもとより、呉と比べても結構というかかなり国力に差があるのに、関羽が死んだあたりからは散々だよな 麋芳、士仁、潘濬は呉に降り、孟達は魏に走った
范彊と張達は張飛を殺して呉に走り、夷陵で黄権と龐林が魏に、杜路と劉寧が呉に降る そして馮習、張南、傅彤、馬良、王甫、程畿、沙摩柯など多数が戦死・・・

232:世界@名無史さん
15/11/01 21:43:27.60 0.net
国力が弱いから一度の敗北がとてつもなく大きい。それ故、一度の失敗がその人物の評価を大きく下げたりもする。

233:世界@名無史さん
15/11/01 22:07:22.53 0.net
黄権に与えた鎮南将軍ってのはどういう意味なんだろ
蜀の投降兵をまとめさせてたんだろか

234:世界@名無史さん
15/11/01 22:29:16.18 0.net
馬良が生きていれば馬謖は山に登らなかったかもしれない

235:世界@名無史さん
15/11/01 23:01:34.20 0.net
劉備が北伐してたらどうなったろう?
多分敗走だろうなぁ

236:世界@名無史さん
15/11/01 23:33:50.48 0.net
劉備の北伐を


237:、蜀からの北伐っていう意味なら 背景として荊州の関羽が健在かつ漢中防衛戦後の蜀内のゴタゴタを一掃した後ということになる ので、諸葛孔明の北伐より大規模で情勢が蜀有利ってことになりますな そういう背景がどうやって成立するのかが微妙に想像しにくいけど



238:世界@名無史さん
15/11/02 07:52:23.67 0.net
どういう状況下でかは分からないが、夷陵での敗戦の後に劉備健在でっていうなら結果はそう変わらない気がする
そもそも228年の出兵の僅か6年前に約5万?の兵力と使えそうな人材を失っているのがどう考えても厳しい

239:世界@名無史さん
15/11/02 10:26:26.09 0.net
>>218
じゃあ、あんたは何から三国志に入ったの?私は中原で争ってた所までは楽しめたよ
登場人物達の策略もリアルだったし、でもまあざっくりいえば赤壁前後からかな
つまらなくなったと感じるのは、例えば呉の扱い雑すぎでしょ、前半では孫策をあんなに格好良く描いていたのに
それ以降も色々と雑で、横山先生もあまりやる気が感じられない
あんたは赤壁前後以降の三国志も楽しめた?蒼天航路なら面白く描かれてるのか?

240:世界@名無史さん
15/11/02 10:29:38.78 0.net
>>217
それらはマイナー過ぎだろ、あんた自身も最初からそれらが面白いと思ってた訳じゃないだろ
ネットに触れて色々議論を深めていくうちに発見した面白さだろ

241:世界@名無史さん
15/11/02 11:46:03.12 0.net
劉備が魏攻撃を開始したらやっぱり劉備が陣頭指揮を執るのかねえ
そうしたら街亭の敗戦は無いだろうな

242:世界@名無史さん
15/11/04 18:35:49.69 0.net
逆に劉邦はよく漢に押し込められた状態から勝ったもんだ

243:世界@名無史さん
15/11/04 20:06:49.78 0.net
>>235
項羽が失政と無理の連続だったからな

244:世界@名無史さん
15/11/04 23:06:45.34 0.net
しかし、夏侯覇もよく父を討った蜀に亡命する気になったよな(黄忠の家は既に断絶してたとはいえ)
龐会は親父の龐徳を殺した関羽を恨み続けて蜀降伏後に関羽の一族を皆殺しにしたのに

245:世界@名無史さん
15/11/04 23:20:57.77 0.net
>>235
漢に押し込められた状態は開戦初期だけ
しかも本来劉邦の蓋になるはずの旧秦の三王は分割された上にそれぞれ各個撃破に近い形でやられてる
関中の生産力や防御力を恐れて分割したはいいけど、肝心の漢王がノーマークだったの運の尽き

246:世界@名無史さん
15/11/04 23:49:08.42 0.net
>龐会は親父の龐徳を殺した関羽を恨み続けて蜀降伏後に関羽の一族を皆殺しにしたのに
この信憑性は高くない

247:世界@名無史さん
15/11/05 12:40:32.94 0.net
本来の敵より身近な敵の方が憎くなってしまうのはよくある
内乱で外国の力を借りるとか

248:世界@名無史さん
15/11/05 12:56:32.49 0.net
宦官退治に諸国の将を呼ぶとか

249:世界@名無史さん
15/11/05 13:20:41.47 0.net
諸国つっても一応はみんな帝の配下のはずなんだけどな

250:世界@名無史さん
15/11/05 13:31:20.87 0.net
三国志の原典ばかりではなく三国志の研究書でもたまには読んでみようかと思って
ある本を読んだんだが、面白かったんだが、三国志の時代は壮大な無駄な時代なのではないかと思ってしまってな
科学的貢献のない、現代文明に何の貢献も無い無駄な時代だと思ってしまった
まあそれには数学史の本を併読していたせいもあるだろうが

251:世界@名無史さん
15/11/05 13:55:45.67 0.net
>>243
地図、分類法、連弩、投石器、輸送機、方位計測器、数学解釈、円周率、暦法、詩、文学、筆法、宗教、貴族社会基礎、南朝基礎、
兵法解釈、陣法、医学、薬学、健康体操、剣術理解、酒造法、九品官人法など

252:世界@名無史さん
15/11/05 14:14:31.43


253: 0.net



254:世界@名無史さん
15/11/05 14:34:32.32 0.net
>>244
三国志時代に発明されたものじゃないのもかなり含まれてるぞw
文学笑、宗教笑、筆法笑、九品官人法笑、全て東アジアの片隅でしか受け入れられず
今では忘れられた学問、制度じゃないかw
それ以外の例えば自然科学に関する語を見ても全て西洋起源のものになってるじゃないかw

255:世界@名無史さん
15/11/05 14:40:54.60 0.net
>全て西洋起源
全て今では、ね
まあしかし、三国志の現代への最大の貢献はその人間ドラマにあると言えるかな
人生の指南書と呼べよう、特に興味深いのは劉備の生き方だな
謙虚に謙虚に生きて、最後は一国の皇帝になったこんな人物は中国にしか生まれないだろう

256:世界@名無史さん
15/11/05 14:42:35.58 0.net
>>246
現代文明への貢献は完全な発明しかだめなのか
東アジアに現代文明はないのか
浅学にて知らなかった。申し訳ない

257:世界@名無史さん
15/11/05 14:45:25.15 0.net
あと曹操も文学サロンを、近世ヨーロッパにかなり先駆けて作ったっていうのも凄いことだな
ただ辺境ゆえのガラパゴス的先鋭化とも呼べるかもしれんが
あと文学の質も大して高くないし

258:世界@名無史さん
15/11/05 14:50:32.41 0.net
文学サロン時代は古代ギリシャにもローマにもあるだろ

259:世界@名無史さん
15/11/05 14:52:55.97 0.net
>>248
中国由来の発明が無いといっているだけなのに、なぜ東アジアに現代文明が無いなんて話になるんだw

260:世界@名無史さん
15/11/05 14:57:50.62 0.net
中国の発明品としてよく紙が上がるけどこれは現代でいう和紙だろ
今普及してる紙を作ったのは西洋だろ

261:世界@名無史さん
15/11/05 15:40:40.27 0.net
>>252
ちゃうよ
紙は唐代にタラス河畔の戦いで唐の捕虜から製紙法がイスラム帝国に伝播した
ここから西洋に技術伝播してった
現代で言う「和紙」は明治時代に機械製紙が入ってきた時にこれを「洋紙」と呼び
伝統的な技法と素材で作るものを「和紙」と呼ぶようになっただけで
製法そのものの根本は蔡侯紙から始まってる

262:世界@名無史さん
15/11/05 16:10:11.04 0.net
>>253
そんな事説明してもこの子はわからない気がするの

263:世界@名無史さん
15/11/05 16:57:22.00 0.net
三国志っていう世界でもトップクラスのロマンスを残しただけでもすごくないか?
三国志のおかげで現代の中国への憧憬のようなものも大きく世界に影響してる
日本だって戦国がもたらしたものだけじゃなくて、戦国のロマンがあるから
そこから色んなことを得て成りあがった人もいるだろうし

264:世界@名無史さん
15/11/05 19:17:34.14 0.net
>>254
わからないなら説明してやりゃいいだけさ
砂漠の水撒きでもやらんよりは、ね

265:世界@名無史さん
15/11/05 19:33:58.11 0.net
そして塩害で追い打ちをかけるのか

266:世界@名無史さん
15/11/05 21:27:58.55 0.net
>>252
そうだよ。パルプからの連続。
和紙のパワーアップ版じゃない。

267:世界@名無史さん
15/11/05 23:34:26.74 0.net
結局三国のどこも統一できなくて、晋もすぐ滅びて英雄たちの努力は無駄になり・・・
その後は1700年以上という人類にとっては果てしなく長い年月の間紛争や革命が繰り返される、そんな儚さがいい

268:世界@名無史さん
15/11/06 00:42:59.58 0.net
三国の勝者が魏蜀呉ではなく晋で、更にそれに勝ったのは異民族という虚しさ
水滸伝も宋に最後に勝ったのは異民族の金だしな・・・

269:世界@名無史さん
15/11/06 00:52:14.94 0.net
黄巾の乱の時に援軍で来たり曹操に大敗したりした三国志序盤のチョイ役・於夫羅の孫に晋が滅ぼされるなんて締まらねぇオチだよなぁ・・・

270:世界@名無史さん
15/11/06 03:


271:12:23.00 0.net



272:世界@名無史さん
15/11/07 00:06:49.23 0.net
>>258
ちゃうよ
和紙は和紙で日本で独自発展してるから、古代中国発の紙ともまた別物だよ


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