え?この時代からあるの?という技術・発明 Part.2 at WHIS
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1:世界@名無史さん
15/05/05 17:01:25.48 0.net
※前スレ
え?この時代からあるの?という技術・発明
スレリンク(whis板)
前スレ折り返し辺りからネタ切れ感あったけどとりあえず

2:世界@名無史さん
15/05/05 19:52:49.22 0.net
ガム
古代ギリシア人がすでに愛好していたよ
URLリンク(ja.wikipedia.org)マスティック・ガム
ちなみにこのガム、今も健康食品みたいな扱いで通販で入手できるよ

3:世界@名無史さん
15/05/07 01:46:28.37 O.net
「新聞」とWikipediaで調べてみると、唐の時代からあったようだな。あれは今で言う官報に近いものだと思うが。
事件報道とかの記事が載った新聞って何処の国でいつ頃始まったんだろう。

4:世界@名無史さん
15/05/07 01:53:40.71 0.net
いつも思うが連続性があるものとないものを分けて欲しい
唐のものは新聞類似のものの最初かもしれんが
後の新聞ではないだろう
酒場の掲示板とかが始祖だろうか

5:山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/
15/05/07 20:26:38.87 0.net
オランダの世界遺産、シュレーダー邸(1911)
URLリンク(www.k3.dion.ne.jp)(4).jpg
今ならあってもおかしくないが、日本でいう明治時代の建築とは思えない斬新さ。
>>4
定期的な刊行物としては、17世紀のドイツに始まるようですね。1650年、日刊紙創業。
現存する最古の瓦版は大坂夏の陣の結果を伝えたものですが、勿論定期刊行ではない。
それどころか、江戸も後期にならないと業者が組合に名を列ねていない。

6:世界@名無史さん
15/05/07 22:57:45.79 0.net
>>5
バウハウス思い出したなんとなく
用の美ですか

7:世界@名無史さん
15/05/08 20:13:16.20 0.net
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)
↑1900年頃のドイツ帝国・帝都ベルリンの都市風景
こんな時代のカラー映像が存在しているなんてシンジラレナイ
しかし、真実味に欠けるという
まるで映画の世界にいるようで
URLリンク(www.youtube.com)
  ↑
1922年撮影のこんなに鮮明なカラー映像があることも驚きだが

8:世界@名無史さん
15/05/08 22:06:56.69 O.net
>>5
逆に言えば江戸後期には株仲間所属の出版業者が定期的に報道物を刊行していたということですかね?

9:世界@名無史さん
15/05/08 22:11:54.35 O.net
古河の歴史博物館に行くと、蘭学の街らしくストリートオルガンが展示されている(学芸員に頼むと演奏もしてくれる)。
古河のものは大型だけれど、家庭用の小型オルガンもあったらしいね。家庭で合奏曲を聴けるというと、レコードの魁かな。

10:世界@名無史さん
15/05/09 00:29:50.42 0.net
>>7
これ着色じゃなくて?

11:世界@名無史さん
15/05/10 01:58:43.02 O.net
>>9
録音技術の無かった時代、家庭で音楽を楽しみたい人は(楽団抱えられるほどの富豪は別にして)自ら演奏した。
家庭用ストリートオルガン(変な言い方だけど)によって、自ら演奏すること無く家庭で音楽を観賞できるようになったのだから、レコードやCDはその延長線上だと思う。

12:世界@名無史さん
15/05/10 08:26:24.09 0.net
15年位前白人の爺さんが酒に酔っ払いながら手回しオルガン回してたの思い出すな
隣に6歳くらいの幼女がないてて
ナンダこれアニメのひどい場面の再現か?とあたりを見回した記憶がある

13:世界@名無史さん
15/05/10 08:51:04.82 0.net
なんかおしゃれだなーw

14:世界@名無史さん
15/05/10 10:17:09.48 0.net
>>11
堺屋太一本によれば、最初の録音物の販売はビスマルクの演説
だったそうだからww
エジソンも自分の発明によって興行がここまで巨大産業に
なるとは思ってもみなかったのだろうなww

15:山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/
15/05/10 11:14:01.09 0.net
>>8
定期的な収入は上がっていたのでしょうね。
史料を探しても出て来ないのですが。処分してしまったかな。
>>9
中国のオルガンは、フビライの中統年間(1260-1264)に、「回回国」から贈られた
「興隆笙」が最初だと言いますね。
本物の羽を用いた孔雀が飾られた、異国情緒のある品物であったという。
もっとも、マテオ・リッチ(1552-1610)は「中国には鍵盤楽器がない」と言ってお
り、自らもクラヴィコード(一説にチェンバロ)を献上していますが。
どちらも欧州では14世紀末にはあったので、どちらでもおかしくない。
日本にも、同時期に天正少年使節が両者を持ち帰っていますが、出発の前年である
天正9年(1581)に、安土のセミナリオを訪れた信長は、ハープシコードの演奏を
耳にしたということですから、鍵盤楽器の伝来はより古いのでしょう。
遠藤周作は信長の前で演奏した日向の領主の息子を伊東マンショとしていますが、
彼の親類のジェロニモだろうと思います。
ピアノは1823年にシーボルトが持ち込んで日本人に贈った物が現存最古。
しかし、最初の伝来はより古いかもしれません(発明は17世紀末)。
ベートーヴェンは1827年没。ひょっとしたら生前に日本で演奏されていたやも。

16:世界@名無史さん
15/05/10 12:06:54.35 O.net
>>15
>ベートーヴェンは1827年没。ひょっとしたら生前に日本で演奏されていたやも。
あり得ますね。
ヨーロッパ情報の日本伝来は意外と速くて、頼山陽が「仏郎王詞」を詠んだのは1818年。ナポレオンは存命中に日本でも知られていた。

17:世界@名無史さん
15/05/13 23:23:11.78 0.net
Wikipedia「サウロマタイ」より
サウロマタイの住居は荷車と一体であるので、古代のギリシア人は同じ習俗を持つアガテュルソイとともに彼等を
「ハマクシビオイ(車上暮らし族)」とも呼んだ。
俺も去年の今頃はやっていたよ車中泊の連チャンを・・・
全国の公園駐車場を渡り歩いたものさ・・・

18:世界@名無史さん
15/05/14 00:19:22.99 0.net
どうやって脱出したのかをぜひ詳しく。
明日は我が身である。

19:世界@名無史さん
15/05/14 07:55:17.94 0.net
>>18は、強いられたホームレス的生活として解釈してるようだけど
>>17 は、定期預金1000万ぐらいあって、田町の2LDKのマンションも
確保したうえで、趣味として全国放浪してたのかもよ

20:世界@名無史さん
15/05/14 09:32:04.36 0.net
遊牧騎馬民族はテント暮らしが定番かと思いきや、
紀元前からキャンピングカーを持っていたとは
URLリンク(wildfiregames.com)
俺も定年になったら気ままに車で日本一周したいな。

21:世界@名無史さん
15/05/14 11:21:01.60 0.net
つうかそれってロマの原型じゃないの?

22:世界@名無史さん
15/05/14 11:44:38.80 0.net
今ググったら、馬車の鋼製バネ(サスペンション)の起源は欧州17世紀、と
あったけど、確かその前は、車軸と本体の間に何かを詰めた袋みたいな
ものを置いて、クッションにして振動を減らしてたんだよね・・
当時の道路事情で、サスペンション無しの馬車に長時間乗るとか
拷問っぽい気がする 想像だけど

23:世界@名無史さん
15/05/14 11:48:46.14 0.net
乗用馬車の車輪が大きいのは、車輪時代が撓んでサスペンションとして働くのかもね。
もちろん、車輪が大きいと悪路の走破性も良くなる。

24:山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/
15/05/14 20:09:03.42 0.net
>車軸と本体の間に何かを詰めた袋みたいな
>ものを置いて、クッションにして振動を減らしてたんだよね・・
それは初耳ですが、15世紀後半になるとハンガリーでコチ(地名だが、馬車名にもなった)
が生産され、西欧にはフランスのシャルル7世に送られて伝わっていますね。
運ぶ、導くことから、指導員(コーチ)の語源でもあるとか。
それでも、17世紀までは欧州で馬車はあまり使われていなかったはず。
アッティラの時代のフン族の婦女子もほとんど荷車の上で過ごすと書かれていましたが、
これは誇張があるでしょう。
しかし、それほど当時の西欧の人間には車上生活が珍しかったと見える。
我が国では、源頼光配下の三人(後に四天王と呼ばれる面子の内、源綱を除く三人)が、
賀茂の祭の行列を見物したいが馬を列ねて見るのは悪目立ちするし、徒歩では疲れるとい
う理由で牛車に乗ったところ、初体験で乗りなれていなかった上に牛が逸物だったのが悪
い方向に作用してしまい、車内で前後左右に揺られ、酔って烏帽子も落とし、死に掛かっ
たので徒歩で帰還したという話があります。
平季武いわく、「猛き武者でも、車に乗る戦いは不要。自分はあれ以来、車には近づいて
もいない。」と。
牛車に乗って移動していた女性たちは記録していませんが、あれも乗り方を教える人間が
いないのに乗ると、歩いた方がましな目に遭わされたということです。
源義仲も酷い目に遭わされたという逸話がある。

25:世界@名無史さん
15/05/15 13:22:54.74 0.net
馬車の振動を防ぐために、椅子を本体に固定せず、
ブランコやハンモック方式で、上に立てた横棒から吊ってたのもあったらしい
シンプルかつ安価な良い解決方法だ・・ 
俺じゃ昔に生まれてても多分思いつかんわ

26:世界@名無史さん
15/05/15 19:24:42.62 0.net
バネよりもダンパーを工夫しないと、あっちこっちに揺れてかえってつらい。
ハンモック式だと、重りぶら下げて質量稼ぐくらいしかダンパーが思いつかないな。どうしてたんだろう。

27:山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/
15/05/15 21:01:33.20 0.net
>>25
私が以前読んだ本では、15世紀のハンガリーのコチはハンモック式でスプリング式が17世紀の
発明とあったのですが、今検索してみるとコチがスプリング式であると説明されていますね。
ブランコで思い出しましたが、「鞦韆」の名でこの「北方山戎之戯」が南北朝時代以降の中国
で行われ、平安時代には日本にも伝来していたことはあまり知られていませんね。
鎌倉時代以降は長く記録上に現れず、江戸時代になると房総半島や南九州に民俗として存在し
たことが知られるのは、周圏論的な形で古俗を伝えたものか。
江戸時代になると、和漢の書の研究が進んだためか、民俗にない土地でも知名度が上昇。
ぶらこ、ふらとど、ふらんど等と呼ばれた。
 ふらんど(ブランコ)や 桜の花を もちながら  一茶
 鞦韆院落夜沈沈(ブランコがぶらぶらとして夜は耽る) 蘇軾「春夜」
中国では鞦韆といえば春に(女子が乗って)するものであり、朝鮮や日本でも春のもの。
とりわけ火を焚かぬ寒食の頃、月下でゆれている姿が好まれたようです。

28:世界@名無史さん
15/05/16 07:00:04.63 0.net
ブランコの起源は遊牧民っぽいってことなのか

29:山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/
15/05/16 09:00:01.25 0.net
URLリンク(www.aozora.gr.jp)
古代ギリシャでも行われたようです。
ギリシャから遊牧民経由で伝播したのか、元々遊牧民の祭りに使われたのかは分かりませんが。
ブランコをポルトガル語とする説は、ぶらここなどの語が江戸時代からあり、ブランコという
言葉より古い例ほどポルトガル語と似ていないので、否定的に見られています。
欧州の例も、17世紀から西欧で盛行したのはいいとして、古代ローマとどう繋がるのかがよく
分かりませんね。

30:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/05/16 09:11:31.16 0.net
>>24
馬の場合も
人間が家畜化以降に最も重視して選抜した特性は
乗り心地だったらしいww
たしか馬の歩き方が
上下の重心移動を避けるようにするんだったっけな

31:世界@名無史さん
15/05/16 09:57:39.89 0.net
>>30
それは駆けさせ方によるね

32:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/05/16 18:19:35.74 0.net
>>31
ほんとだ、走り方って書いてあった
URLリンク(jp.sciencenewsline.com)
Swedish University of Agricultural SciencesのDr. Leif Anderssonによってリードされた研究チームは、
馬の歩行様式を規定しているDMRT3 の遺伝子の特異分布について調査を行った。
DMRT3は「gait keeper」として知られている馬の遺伝子となる。
その結果、DMRT3が人間が馬を利用するにあたって馬の移動がスムーズに滑らかに進むように中心的な役割を担ってきたことが判った。
レース用の馬から、レジャー用の乗馬用の馬まで、人間は馬がスムーズに走行することを最大の目標に置いてきたのである。
研究チームは世界中の馬、141種類の品種、4396頭を対象に調査をすることでこの「gait keeper」の遺伝的変異は、
東は日本から西はブリテン島まで世界中の馬が有していることを発見した。
「人間はこの遺伝的変異を世界中に広めていったのです。
なぜならば、この遺伝的変異を有する馬は、乗り心地が滑らかで、
ブリーダーからは「running walk(歩くように走る)」ことができると称されるに至ったからです」
「こうした滑らかな走りをすることができる馬は常に1本の脚を接地する走り方をすることができ、
このことにより乗り手には最小限の揺れしか与えることのないことを可能にしたのです」とDr. Anderssonはまとめている。

33:世界@名無史さん
15/06/12 23:56:53.65 0.net
痔の手術は中世から行われていた
URLリンク(static1.squarespace.com)
このやり方で治ったかどうかは知らんが

34:世界@名無史さん
15/06/13 02:21:31.38 0.net
>>33
血豆状の静脈瘤を潰すだけの治療なら当時でもイケたんじゃない?
死ぬ程痛いだろうけど

35:世界@名無史さん
15/06/13 02:36:17.35 O.net
>>33-34
これ、痔瘻の切開じゃないかな。
私は痔瘻になったことは無いけれど、膿を出すと驚くほど苦痛が軽減するらしい。こんな手術でも効果はあったと思うよ。

36:世界@名無史さん
15/06/13 07:59:04.33 0.net
>>33-35
痔の治療法として、熱した鉄を患部に当てる方法もあった。
URLリンク(hypescience.com)
どうしてもやるなら、こっちがいいな。
>>33の絵では出血多量で死んだかもしれん。

37:世界@名無史さん
15/06/13 09:14:10.65 0.net
>>32
その走り方で選択されたってのは今のアラブ種ってことなのかな?
馬の走り方は、ネイティブでは片側の前後脚を一緒に送るのに対し、
アラブ種は互い違いに送る。
アラブ種は高速で走るのには適しているけど、上下動が激しくて馬もしんどい。
一方たとえばモンゴル種はそんなに速くは走れないが上下動が少なく長時間乗るのに適してる。
モンゴル帝国がユーラシアを席巻できたのはこの馬の走り方があったからこそ。
という内容で40年ほど前だったかNHKの歴史番組でやってた。

38:世界@名無史さん
15/06/13 09:27:19.31 0.net
んで今、流鏑馬は上下動の大きいサラブレッドでやるもんだから当たらない当たらないw
在来馬だったら走りの迫力は減少するけどもっと当たりやすくなるはず。

39:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/06/13 09:29:09.80 0.net
>>37
へー、なるほどぉ
そしたらサラブレッドの系統は完全に選択されちゃってますねww
より自然に近い走り方だったのかな、
背中に荷物載せることなんてありえないし

40:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/06/13 09:33:08.34 0.net
ちなみに「名馬千里を走る」も
単純に計算すると
速く走る馬じゃなくて
長距離を移動できる馬のことになるらしいww

41:世界@名無史さん
15/06/14 11:40:39.31 0.net
流鏑馬って当たらないのか
ニュースだと当たってる絵ばっかだからそういうもんだと思ってたわ

42:世界@名無史さん
15/06/16 14:59:43.96 0.net
テレビ番組で流鏑馬をやっていた女性がモンゴル版流鏑馬(名前失念)に挑戦してたが本番では一〜二回当たったかどうかだったな馬も小さいし弓も小さい、距離感覚も短ければ的はかなり低い位置にあるから大分勝手が違うようだった

43:世界@名無史さん
15/06/17 18:21:41.48 0.net
>流鏑馬って当たらないのか
5mしか離れていない的を外すとか神業だなw

44:世界@名無史さん
15/06/17 21:59:49.98 O.net
>>43
射的屋で外しまくりの私に謝って下さい。

45:世界@名無史さん
15/06/17 22:09:51.09 0.net
>>43
なら、君もその「神業」ができるよ
簡単そうに見えるけど、和弓って、けっこうむずかしいんだ
弓道未経験者なら、狙った方向に飛ばすことができるだけでも立派なもの

46:世界@名無史さん
15/06/18 00:07:03.09 0.net
そんな欠陥兵器なのか和弓って
しらなかった

47:山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/
15/06/18 00:51:47.30 0.net
和弓でない弓でも、銃器でも揺れた・走らせた状態からだと5m先は至難の業では。

48:世界@名無史さん
15/06/18 08:52:27.91 0.net
>>47
騎射の大会は世界各地にあるけど、的からの距離で言えば流鏑馬は難易度が低い方だよ。
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)

49:世界@名無史さん
15/06/18 09:35:00.83 0.net
外国人が驚く和弓の特徴は弓が非常に大きいこと。
弓を使うとき問題になるのは左胸肉を削ること。
それを回避するために、モンゴルは弓を小さくして体から遠ざけ、
アーチェリーは矢の持ち方を反対側にして体から遠ざけ、
和弓は射ると同時に弓を半回転及びプロテクター使用。

50:世界@名無史さん
15/06/18 10:49:46.02 0.net
日本の弓って馬で走りながら射るのには大きすぎるんじゃね
パルチアンショット的に後方に弓を引こうとすると馬の尻にひっかかるし

51:世界@名無史さん
15/06/18 10:52:59.03 0.net
>>50
お前が古い弓術知らんだけやろ
結構アクロバティックな射形あんだけど弓道に採用されんかったからな

52:世界@名無史さん
15/06/18 11:20:02.86 0.net
>>51
アクロバティックな事をせねば使えぬとは
おぬしガラパゴス化という言葉を存じ居るか

53:世界@名無史さん
15/06/18 12:26:05.24 0.net
>>52
そりゃ現代弓道からの視点で見ればアクロバティックなだけで
体の操作法としたら別に不自然なもんじゃないから
本当無知って怖いな

54:世界@名無史さん
15/06/18 12:29:50.30 0.net
>>53
苦しい言い訳乙w

55:世界@名無史さん
15/06/18 12:42:28.19 0.net
いや言い訳じゃなくて事実だから
あとガラパゴス化云々て指摘も間違いだろ
目的に応じてそれぞれ適応してくからイングランドロングボウなんかも
下半身使った遠射モーションとかもあるし
てか弓を横に倒したりする古式の射法も知らんのに馬のケツに引っかかるとかアホな事言われてもなぁ

56:世界@名無史さん
15/06/18 17:37:45.63 0.net
>>55
和式弓術で弓を横に倒すのってあったっけ?
いやアニメ以外で。

57:世界@名無史さん
15/06/18 18:44:52.76 0.net
外国の弓はどんなに大きくても真ん中を引いて射るけど、和弓は馬の首に引っ掛からないように、下側を持って引いて射るようになったと聞いたな。
馬の右側に射る技術もあって、弓手切りって呼んでたような。
うろ覚えですまない。

58:世界@名無史さん
15/06/18 20:12:25.31 0.net
日本人は不便なものを不便なままに、その制約の中で奇妙な工夫を凝らし使い続ける傾向があるような
草鞋とかさ。下駄とか思いつく前に普通の皮靴でも作れば一発で不便さ解消なんだがそういう発想の転換が何故かないんだな

59:世界@名無史さん
15/06/18 20:23:39.21 0.net
皮ぐつは猟師やさむらいがつかってたやん
しか皮

60:世界@名無史さん
15/06/18 20:44:18.17 0.net
>>58
肉食が少ないので皮がそんなに手に入らない。
湿度が高いので蒸れる。
治水されていないと、川が氾濫し、川筋も変わり、湿地だらけで水浸し。
当然、橋も掛かって無いから、川を渡るには入るしかない。
草履が一番良いみたい。

61:世界@名無史さん
15/06/18 23:16:50.69 0.net
>>56
鎌倉とかの古い弓術ならな
体ごと弓を横にしたりとかもあるし

62:世界@名無史さん
15/06/19 10:22:05.04 0.net
>日本人は不便なものを不便なままに、その制約の中で奇妙な工夫を凝らし使い続ける傾向がある
似たようなことを、煙管に関して呼んだな・・ 煙草を吸う道具としては
キセルは優れているとはいいがたいのだが、むしろその不便のまま、
キセルでの吸い方が妙なスタイルと言うか美学になって、結局改善されなかった、と
内心は変えたいものを、美学であるとか胡麻化して、変える努力を怠る、という
傾向は日本文化でかなり見受けられる気がする
別の例を挙げれば、AVのモザイクとか。モザイクがエロ心の成長のために有用である、
みたいな議論が制作側からも出るのが不思議

63:世界@名無史さん
15/06/19 17:04:13.50 0.net
中国とかと貿易もしてたんだから絶対普通の靴作って売ろうとした奴も大昔から何人もいたんだろうなぁ

64:世界@名無史さん
15/06/19 17:18:13.51 0.net
高下駄だよタカゲタ、ゲタ
糞尿まみれの京の都を歩くには高下駄でなければ無理
これならウンチを踏み潰しても小便溜まりにはまっても被害を防げる
革靴であれば踏んづけたウンチの飛沫がくるぶしまで達してしまう
だが下駄も買えない庶民は裸足でウンチにまみれながら都を走り回っていた
これが日本の文明えんがちょ

65:世界@名無史さん
15/06/19 17:49:08.27 0.net
>>58
走ることを職業としていた「飛脚」は、紐で足の甲や足首をしっかり結べるタイプの草鞋(わらじ)
を履いていたようです。
「飛脚の草鞋」と「革底の革靴」とで、今の道路を走って比べてみても飛脚の草鞋に軍配が上がるでしょう。
それに加えて当時の道路事情を考えれば >>60さんの言うとおりです。
現代の布製でゴム底の運動靴ならば飛脚の草鞋に勝てますが、ゴム底の革靴だとどっちが勝つか?飛脚の草鞋が
勝ちそうな気もします。

66:世界@名無史さん
15/06/19 18:24:21.16 0.net
>>61
弓を横に倒すという和式弓術のソースは?
いや脳内じゃなくて。

67:世界@名無史さん
15/06/19 20:21:48.21 0.net
>>66
鎌倉から室町辺りの絵巻の戦争風景を調べるといい
結構弓を横にして撃ってるものがあり、当時の人には
弓は地面に垂直に構えるものと考えてないことがわかる

68:世界@名無史さん
15/06/19 20:39:22.60 0.net
>>67
結局ソースを出せないの?

69:世界@名無史さん
15/06/20 00:00:01.33 0.net
>>62
餡子と胡粉が双璧だと思いますが、江戸時代以降の日本の工業技術の不合理さは錬金術に通じるものがあります。「祖先伝来の秘法」に拘泥し、イノベーションを受け付けない。
鍛冶や日本酒、油など、戦国期までの創意工夫と比較すると同じ国とは思えないほど。幕府の方針もあったのでしょうが、新規技術によるコストダウンの必要がないほど国内経済が安定していた証拠と見ることもできるでしょう。

70:世界@名無史さん
15/06/20 05:36:04.43 0.net
>>68
んだから絵巻の資料色々見てきなよ
そういう撃ち方してるものがあるから
web上だとイメージ検索したけどあんまこれってのがなかったから提示できないわ

71:世界@名無史さん
15/06/20 07:54:00.09 0.net
>>70
「弓を横に倒す和式弓術」というおぼろげなイメージについて、
皆の前に出せるようなソースを見つけられなかったわけね。
ご苦労さん。

72:世界@名無史さん
15/06/20 08:17:45.49 0.net
>>71
いや単に妥当な資料がオンライン上にないってだけなんで
結城合戦絵詞とか塀の上から腕だけ出して垂直?何それ?おいしいの?状態で射たりしてるんだがな

73:世界@名無史さん
15/06/20 09:47:31.95 0.net
>>72は結城合戦絵詞のいったいどこを見たの?
君の言い方だと、登場する武者がみな水平に弓を射てそうな口ぶりだがw
URLリンク(www.yamada-kouji.com)

74:世界@名無史さん
15/06/20 10:33:13.93 0.net
その絵巻もっと長いから

75:世界@名無史さん
15/06/20 10:34:15.86 0.net
これ左端の人物が変な射ち方してんね

76:世界@名無史さん
15/06/20 10:45:45.49 0.net
塀から腕だけ出してとか、弓の実物を見たことがない人間の発想じゃね。
伸ばした腕の力だけで弓を引くなんてムリだよ。

77:世界@名無史さん
15/06/20 11:54:45.39 0.net
>>76
そりゃお前の発想が狭いだけだわ
別に弓で狙撃するわけでなく、それで射殺すわけでなく、最大射程でなく
ただ近くに適当に射掛けるだけならそんなに全力で引く必要はないよ

78:世界@名無史さん
15/06/20 11:59:34.37 0.net
弓の特徴の一つに「自由に曲射ができること」があるはずだが、塀の上から射掛ける必然性がよくわからないな。

79:世界@名無史さん
15/06/20 12:02:22.04 0.net
>>78
視界の確保だろ

80:世界@名無史さん
15/06/20 12:07:28.10 0.net
最近のアニメやドラマで見た、拳銃を横に構えて撃つ中二的なポーズに影響されて、
日本のサムライも昔から弓を横に構えて射かけていたんじゃという妄想が生まれたのですね・・・
わかります。

81:世界@名無史さん
15/06/20 12:13:58.31 0.net
>>78
曲射出来る道具だからと言ったって常に出来るとは限らないんだがな

82:世界@名無史さん
15/06/20 13:07:08.54 0.net
アニメそのものの影響じゃね?
もののけ姫のアシタカが横構えで矢を放って敵兵の首をすっ飛ばしてたアレw
蝦夷だかアイヌの人ならそれでいいと思うよ。
しかし上下非対称な和弓であれと同じ構えをするとかなり間抜けだな。
まともに矢が飛びそうにないし、わざわざ非対称に弓を作った意味が無くなる。

83:世界@名無史さん
15/06/20 13:14:48.24 0.net
遮蔽物の陰からの面制圧射撃って、それこそ曲射の出番じゃないか。

84:世界@名無史さん
15/06/20 13:24:17.53 0.net
んで結局>>72は、結城合戦絵詞のいったいどこを見て弓を横にして射ていると主張したいわけ?
どの場面で誰が?

85:世界@名無史さん
15/06/20 21:09:13.92 0.net
>>84
壁から腕出して射てるところは今の弓道とは全然違うやり方しないと射れない
他の合戦絵巻は馬首より身を乗り出して射てるものがあるが
これをやろうとすると弓と体が横向きにならないと出来なかったりして
弓道とは全く違うやり方しないといけないんだわ

86:世界@名無史さん
15/06/20 23:58:49.49 0.net
昔の絵巻物の表現技法では、縦向きと横向きの見分けがつかないんじゃないかな。

87:世界@名無史さん
15/06/21 01:35:18.50 0.net
>>86
実際に棒状の物持ってその姿勢取ればいいさ

88:世界@名無史さん
15/06/21 03:26:17.80 0.net
弓道のことなんて何も知らないけど
絵巻物から正確な仕草なり型なりを見て取ろうというのはちょっと無理がありそう

89:世界@名無史さん
15/06/21 06:34:01.42 0.net
鵜呑みにはできないだろうな
ただよく出来た絵巻物なら弓に関する当時の「通念」を読み取ることができるかもしれない

90:世界@名無史さん
15/06/21 09:27:11.36 0.net
>>85
>壁から腕出して射てるところ
弓を横に倒して射ていると判断できる描写は見当たらないな。
念の為にここに絵を貼って端から何人目の人物って書いてみてよ。

91:世界@名無史さん
15/06/21 10:04:31.47 0.net
弓を縦に構えれば左手いっぱいから右肩まで引けるが、横構えだと
左手の付け根までしか引けず、その威力は半分でしかありませんな。

92:世界@名無史さん
15/06/21 10:40:12.16 0.net
>>91
勘違いしてるようだけど弓を横にするのと弓と体の位置関係が横になるのは別だぞ?

93:世界@名無史さん
15/06/21 13:21:13.00 0.net
古墳時代の出土品に靴あったよなごてごてと飾りついてる奴、弥生時代だっけ?

94:世界@名無史さん
15/06/21 13:38:38.77 0.net
自分が書いてあるようにようはい付きの靴は古墳時代だぜ

95:世界@名無史さん
15/06/21 13:41:23.24 0.net
単純にもちにくいので横にもつことはあんまなかったでしょうね
とりあえず弓を横にする派はソースだしなさいな
絵は解説もないしソースになってない
ソースだせないなら妄言で確定

96:世界@名無史さん
15/06/27 23:53:43.93 0.net
どうでもいいけど
長弓と短弓の関係は周圏分布っぽいな

97:世界@名無史さん
15/06/28 23:08:31.12 0.net
以前もどっかで尋ねた気がするけど
なんで北条氏ってコンクリートで総構え作んなかったのかな?
コンクリって、石灰、砂利、水の混合でそ。秩父で材料幾らもあるし
ローマ人も使ってるので16世紀の日本で作れないはずない。
コンクリで5m壁の総構えとか作ったら、当時の攻城術だと為す術もないんでないか

98:世界@名無史さん
15/06/29 08:41:30.27 0.net
金がかかる上に小田原城の総構え最北端の土壁は
5メートルなんて余裕であるぞ
実際20万の秀吉軍も抜けなかった

99:世界@名無史さん
15/07/05 04:20:55.22 0.net
日本の城は近代兵器相手でもタフだよ
会津若松城は戊辰戦争でボロボロになっても
最期まで落ちなかった
熊本城も西南戦争で天守が事前に焼失したにもかかわらず
堀、土塁が健在で落ちなかったし

100:世界@名無史さん
15/07/05 11:32:54.29 0.net
天主はたぶん戦争中に燃えると面倒だから
前もって防御側が燃やしたんだろう

101:世界@名無史さん
15/07/06 08:32:36.39 0.net
この時代からあるのという事でいえば、西日本各地にある古代山城(朝鮮式山城)。
城壁の延長が数キロメートル以上というのがざらにある。
ところによっては、戦国期の山城よりも立派な石垣があったりもする。
URLリンク(upload.wikimedia.org)

102:世界@名無史さん
15/07/06 09:09:16.17 0.net
何で朝鮮式なんだろな
朝鮮なんて李氏朝鮮まで存在しないのに

103:世界@名無史さん
15/07/06 09:58:41.82 0.net
>>102
朝鮮半島に多かった築城形式が日本に輸入されたからだろ常考

104:世界@名無史さん
15/07/06 10:56:31.60 0.net
>>103
じゃあ百済式とかだろ
何で朝鮮式なんだか
おかしいよ

105:世界@名無史さん
15/07/06 11:16:29.03 0.net
朝鮮でも百済でもどっちでもいいじゃん
百済ない

106:世界@名無史さん
15/07/06 11:24:39.73 0.net
どっちでもよくはないだろ
不正確だし

107:世界@名無史さん
15/07/06 11:37:19.09 0.net
>>104
ああいう山の天辺を城壁で囲むのは、
元は唐の大軍相手に戦った高句麗の戦術だろ。
それが百済や新羅との抗争で朝鮮半島全体に広がり、
日本にも波及したという流れだ。

108:世界@名無史さん
15/07/06 11:56:30.21 0.net
朝鮮式だな

109:世界@名無史さん
15/07/06 14:10:39.69 0.net
じゃ、高句麗式やん

110:世界@名無史さん
15/07/06 22:59:10.43 0.net
ハイキングのつもりで福岡の大野城に登ったことがあったが、
ああいう山城は登るだけで疲れる。
そのうえ戦なんかしたくないわ。

111:世界@名無史さん
15/07/07 02:51:24.12 0.net
おれものぼったが大変だったなw

112:世界@名無史さん
15/07/07 19:36:06.64 O.net
>>110
敵もそう考えたら大成功。

113:世界@名無史さん
15/07/07 19:42:16.17 0.net
昔の人は一日中戦っててすげえわ
特に行軍のあとすぐの戦闘とかよくやる気出るわ

114:世界@名無史さん
15/07/07 19:45:29.77 0.net
行ったらわkるけど水城とつながってるから意味がある城やで

115:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/07/07 19:51:11.45 0.net
昔の人は1日中山道を歩き続けたらしいぞ

116:世界@名無史さん
15/07/08 08:27:19.76 0.net
行軍すぐあとの戦争は一般的ではないやん
行軍直後の戦争は名将なら奇襲&勝利フラグだが
一般的には敗戦フラグだよね
クラウディウス・ネロの話はどうも信用できん

117:世界@名無史さん
15/07/09 04:14:22.81 0.net
ナポレオン戦争では普通
アウステリッツのときなんか第三軍団は110kmを48時間行軍して
即戦闘突入して勝利

118:世界@名無史さん
15/07/09 08:55:02.92 0.net
あえて名将を除外したのはそういうのを想定したからやで
第一あれが世界史的に一般的かね

119:世界@名無史さん
15/07/09 09:02:30.40 0.net
110kmを48時間行軍って時速3km切ってるんですが
この行軍時間と距離だと20時間5.5km行軍+28時間の休息と睡眠、食事
くらいの配分になるだろうし、行軍即勝利ってのはちょっとおかしい話

120:世界@名無史さん
15/07/09 09:57:32.35 0.net
装備背負って2日で100キロはご勘弁頂きたい。
1日50キロって、歩くだけならなんとかこなせる、って距離だぞ。

121:世界@名無史さん
15/07/09 13:56:20.94 0.net
1日30キロで勘弁してほしい

122:世界@名無史さん
15/07/09 15:55:46.54 0.net
>>120
そりゃ現代人の貧弱な足ならな
あと最低限の装備は手に持つが輜重くらいあんだろ
ナポレオンは輸送重視してたんだし

123:世界@名無史さん
15/07/09 19:29:30.82 0.net
落伍者続出がナポレオンの行軍だろ。

124:世界@名無史さん
15/07/10 04:00:51.61 0.net
ナポレオン戦術イケイケ強行軍
リヴォリの戦いでヴィクトール旅団を強行軍で増援させ勝利
マレンゴの戦いでドゼー旅団を強行軍で増援させ勝利
ウルムの戦いでオーストリア軍がフランス軍のスピードが速すぎて
補足しきれずに包囲されてしまい、フランス軍勝利
イエナ・アウエルシュタットの戦いでは、プロイセン軍がやっぱり
フランス軍のスピードが速すぎて補足しきれずに背後に
回り込まれて、フランス軍勝利
「最良の兵隊とは闘う兵隊よりもむしろ歩く兵隊である。」
「戦闘の翌日に備えて新鮮な部隊を取っておく将軍はほとんど常に敗れる。」
byナポレオン言行録
そんなナポレオンも最期はワーテルローに強行軍で現われた
プロイセン軍の増援により敗れるのであった

125:世界@名無史さん
15/07/10 04:20:22.47 0.net
>>119
強行軍は寝ないよ。飯も歩きながら食う
当然、兵は3割から5割は脱落するが、兵力が戦場に
間に合わないよりは遙かにマシと考える
徹夜行軍は現代の軍隊でも普通に訓練する
自衛隊死の行軍事件
URLリンク(ja.wikipedia.org)
>1957年(昭和32年)2月5日夜、広島県賀茂郡八本松町(現東広島市)陸上自衛隊原村演習場にて、
「行進競技会」と呼ばれる夜間行軍演習が開始された。その演習は、80Kmの道程を、
約10Kgの完全装備で行軍するという過酷なものであった。加えて、行軍時は強い雨が降っており、
その過酷さから落伍者が相次いだ。しかし、行軍は続行され、翌2月6日、第7連隊所属の
自衛官2人が過労で倒れ死亡した。
こういう訓練をしているから東北三陸沖地震のときも迅速に展開できた
あと運が悪いと会社の新人研修でやらされるからなw

126:世界@名無史さん
15/07/10 04:46:28.78 0.net
これからはそういうのはロボット二等兵にやらせてほしい

127:世界@名無史さん
15/07/10 12:38:39.87 0.net
>>125
うん、だからこれは全然強行軍ではないという話

128:山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/
15/07/10 18:20:05.71 0.net
>>126
三等兵と思われます。
農薬
桃山時代の日本でトリカブトなどの有毒植物の混合物が使用され、明末の『天工開物』にも砒素を利用したことが見えている。
江戸時代にはやはり有毒植物であるアセビを煎じ、水で薄めて撒くことも行われたが、これは汲み取り式の便所に撒くことでも
殺虫効果が重宝されていた。

129:世界@名無史さん
15/07/10 19:37:42.89 O.net
>>128
そういえばズバリ「除虫菊」という花がありますね。
私は子供の頃「女中菊」だと思っていました。番町皿屋敷の話を知っていたからですかね。

130:世界@名無史さん
15/07/10 21:25:59.22 0.net
汲み取り式でウジ虫を根絶すると溜められた糞便が軟化せず詰まりやすくなる

131:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/07/11 00:12:18.99 0.net
>>126
今は現代なのにサラ・コナーさんがロボット犯罪について報道したらしいww

132:世界@名無史さん
15/07/11 01:19:46.49 0.net
除虫菊って古くからあるイメージだったけど、日本に入ってきたのは
明治時代だったんだね

133:世界@名無史さん
15/07/12 22:55:52.85 0.net
ヨモギはかなり古くから防虫に使われてたんじゃないかな。
ちなみに見た目がかなり違うが、ヨモギもキク科の植物。

134:世界@名無史さん
15/07/19 00:16:42.81 0.net
農薬の歴史については、農薬工業会のホームページが面白い。
URLリンク(www.jcpa.or.jp)
ギリシア・ローマ時代から燻蒸法(今で言うバルサンみたいな?)を
使っていたとか、江戸時代の日本でウンカ対策に鯨油を使っていた
というのは知らなんだった。

135:世界@名無史さん
15/07/19 15:31:40.45 0.net
小学校のときの国語の教科書で読んだな注油法

136:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/07/20 22:36:54.60 0.net
>>134
これ、おもしろいですね
書いた人はもっといろいろと言いたそうなww

137:世界@名無史さん
15/07/21 07:21:29.76 0.net
使い方は書いてないのか?
どこかで書いたが、一応書いておくと
クジラの脂を水面に広げてから稲を揺らして落とす
ウンカは水に落ちても死なないが
脂に落ちると死ぬ
であとは脂を水と一緒に排水する

138:世界@名無史さん
15/07/21 22:13:13.79 0.net
グスコーブドリの伝記では、石油を沼ばたけに撒いていたな

139:世界@名無史さん
15/07/22 01:02:39.10 0.net
俺はこうした故事に学んで、台所で油虫を見たら洗剤(界面活性剤)か油をかけるな

140:世界@名無史さん
15/07/22 07:34:41.71 0.net
油虫は油に強いような気もするが

141:世界@名無史さん
15/07/22 08:04:41.36 0.net
虫の体は細かい毛が水を弾くので濡れない。だから雨も水に落ちるのも平気だ。
しかし、油や界面活性剤など表面張力の低い液体には濡れるので、窒息したり動きが取れなくなったりする。

142:世界@名無史さん
15/07/22 21:23:30.53 0.net
>>133
俺の母親は毎年お灸用のヨモギ綿を作ってたよ。
秋になってヨモギが堅くなると刈り取って乾燥させ、
葉を揉んで綿だけを残し、お灸綿として一斗缶で保存。

143:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/07/22 21:38:20.58 0.net
>>139
台所のアブラムシは
テカテカじゃんぷ
って感じですかね?

144:世界@名無史さん
15/07/22 22:48:09.21 0.net
>>142
言うこと聞かないとお灸据えるよ!と脅された口ですかね

145:世界@名無史さん
15/07/22 23:11:17.90 0.net
いんや、爺さんと親父がおっそろしい肩凝り症だったためとか

146:山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/
15/07/23 02:18:19.45 0.net
>>144
私の世代ですと、脅しではなく実行されましたが。

147:世界@名無史さん
15/07/23 03:03:31.27 0.net
うわっ、山野先生だ! お目にかかるの15年ぶりくらいですね
お元気にしてらっしゃいますか? また蘊蓄うかがわせてくさい

148:世界@名無史さん
15/07/23 03:26:01.82 0.net
お灸って跡がのこらないのか?

149:世界@名無史さん
15/07/23 14:52:41.27 0.net
残らないようにニンニクの薄切りに乗せる

150:世界@名無史さん
15/07/23 22:23:56.51 O.net
>>148-149
一般的には149さんの仰るとおり。
但しわざと傷口を化膿させる「打膿灸」という手法もあって、これは当然、火傷の跡が残る。
元々は廱や感染創傷を早急に排膿させる手法だったらしいが、今では頑固な凝りや深刻な体調不良を治療するのに使うとか。

151:山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/
15/07/23 22:39:12.26 0.net
>>147
流石に15年前だと2ちゃんねるに出て来る前になってしまいますが、まあぼちぼちと。
>>148
特に何かしてもらった記憶はありませんが、物心ついた頃には何もありませんでしたよ。
今なら児童虐待扱いでしょうね。

152:世界@名無史さん
15/07/23 22:49:29.40 O.net
>>151
悪いことすればするほどお灸据えられて健康になりませんでしたか(笑)。
私は40歳ですが、子供時分に悪さをすると、明治生まれの祖父に頭の形が変わるほど殴られたものです。
私はつい最近大学院に行って、昭和最後や平成に生まれた諸君と机を並べましたが、この話をしても信じないか、よほど悪逆な祖父だったと思われるかですね。
随分と私を可愛がってくれた祖父なのですが。

153:世界@名無史さん
15/07/24 06:53:43.53 0.net
頭の形って所謂たんこぶってことかな?
なんかぞっとするはなしだぜ

154:世界@名無史さん
15/07/24 07:25:45.24 0.net
>>153
さすがに頭蓋骨が粉砕されるほど殴られた訳じゃ無いよな。

155:世界@名無史さん
15/07/24 11:39:14.47 0.net
俺が思ったのは子供は頭蓋骨かきちんとかみ合ってないから
そういう意味で変わったのかなと

156:山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/
15/07/24 21:23:59.00 0.net
健康に、なったと思えばそうかもしれません。
>頭の形が変わるほど殴られた
(事実ではなく、普通にある言い回しだと思っていましたが、ひょっとして若い人には通じない?)
私はいよいよ口で言っても分からないという時には、親から「お前は牛や馬か」と言われました。
要するにぶたないと言われた通りに動かないのかという意味でしたが、牛馬が廃れた今ではもう通じないでしょう。
>よほど悪逆な祖父だったと思われるかですね。
普通ですよねえ。
私の祖母の思い出は、家事を手伝っていたら「男の子のすることではない」と『怒られた』ことです。
祖父も父も、配膳どころか己の飯をよそう事にすらまるで関わらずに座っている男でしたが、今時の人は非難するでしょうね。
スレタイに沿って言うと、声だけで演じる、今でいう「声優」の芸でしょうか。
石田彰さんが女子高生も含めて演じた一人芝居を披露しておいででしたが、清末の江蘇省には、声による一人芝居の名人がいたそうです。
暗闇で観衆が耳を傾ける中、男一人で若い男、老人、人妻、商売女、田舎者、家畜の声まで真似てみせ、違和感がなかったという。

157:世界@名無史さん
15/07/25 06:47:10.71 0.net
>>156
言い回しだったのか・・・

158:世界@名無史さん
15/07/25 06:47:44.93 0.net
弁士も声優かねぇ

159:世界@名無史さん
15/07/25 12:55:27.45 0.net
今の若い人は知らない人かもしれないけど、その昔赤塚不二夫という人が居て
天才バカボンというマンガがあった。当時はマンガは、紙に印刷してあって
今あるデジタルコミックのアナログ版で子供に人気があった
で、そこにバカボンのパパと言うキャラが居たわけだけど、その人の有名な台詞に
「たりらりらんのこにゃにゃちわ」というものがあった。こにゃにゃちわは不明だけど
たぶんこんにちわ、の口語だと思う
たりらりらん、の方は中世の神楽などに見える多分古くからの囃しのことば。
バカボンのパパにはハジメ(=初め)という一人息子が居る等、色々隠喩に溢れている

160:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/07/25 13:06:47.32 0.net
落語なんかも声が似ているかどうかは別として
特に違和感はないですね

161:世界@名無史さん
15/07/25 13:11:28.46 0.net
有名どころでは三代目の金馬が声色のバラエティーに富んでて面白いね

162:世界@名無史さん
15/07/25 14:29:23.66 0.net
>>159は30世紀人にモノ言ってるのか?

163:世界@名無史さん
15/07/25 18:33:11.29 0.net
たりらりらんが囃しことばに由来するのは知らなかったわ

164:世界@名無史さん
15/07/25 20:48:48.45 O.net
>>153-155
ピンピンしてますよ。頭の形、結局変わらなかったみたいです(笑)
>>156
私も祖父には良い思い出しかありませんね。
叱り方こそ陸軍式の鉄拳制裁でしたが、叱られた理由も「弱い者(人間に限りません)を虐めた」「人の大切にしているものを故意に壊した」といった、誰が見ても妥当なものでした。
将棋を教えてくれたり、小さい頃は一緒にお昼寝してくれたり、とても優しい祖父だったと思っています。

165:世界@名無史さん
15/07/26 03:12:51.14 0.net
>>159
そもそもバカボンからして「薄伽梵」という仏教用語由来

166:世界@名無史さん
15/07/26 08:58:43.23 0.net
平成の大馬鹿門ってあったな

167:世界@名無史さん
15/07/26 20:02:44.53 0.net
平成天才バカボンを見てた世代がアラサーだよな

168:山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/
15/08/01 23:42:27.22 0.net
バスローブの歴史というのがよく分からないのですが、どなたかご存じないでしょうか。
大黒屋光太夫がロシアに行った際、現地ではサウナ風呂に入ってから直接寝巻きに着替えていた
ので寝巻きが濡れていたが、光太夫が浴衣を伝えたので皆真似をして広まったという。
ひょっとして、浴衣が(バスタオルも含めて)由来かなどと考えてしまうのですが。
ルイ14世(1715年没)は即位後2回しか入浴しなかったといい、西欧で王族が湯の風呂に浸かる
のが当たり前になったのが1740年代以降。光太夫の帰国が1792年。
余談ながら、それまでロシアには鬼灯はあっても口で鳴らす遊びがなかったのを、光太夫が伝
えたということです。

169:世界@名無史さん
15/08/02 06:40:14.01 0.net
フェルメールの絵画などでヤポンロックの話が出てましたね

170:世界@名無史さん
15/08/02 06:41:06.52 0.net
ヤポンスロックだったw

171:山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/
15/08/02 08:11:56.97 0.net
仰る通り、室内着としての着物(一時は外出着)はかなり知られていたようですね。
ただ、水滴と汗をぬぐう用途はなかったと思ったので。

172:世界@名無史さん
15/08/02 18:02:01.05 0.net
タオル地自体かなり後の発明だしね

173:世界@名無史さん
15/08/02 22:19:50.24 0.net
ロシア男性の外套「シューバ」がキモノ系衣服に似ている(襟を斜めに交差)が、
これはたぶん和服とは関係なくて、テュルク系民族の男性の外套「チャパン」あたり
が中央アジアから北上したものなのかもしれません。(
アフガニスタンのカルザイ大統領がいつもはおっていたあの長袖のガウンね)

174:世界@名無史さん
15/08/03 22:03:17.85 0.net
余談がおもしろい
光太夫が伝えた鬼灯を鳴らす遊び、本家の日本ではもはや忘れ去られてる
に近いですが、彼の国ロシアではいまだ健在、ってなこともあるんですかね

175:山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/
15/08/08 15:26:30.83 0.net
>>173
仰るとおりだと思います。
>>174
どうなのでしょうね。
本国ではとっくに廃れたというものでは、中国では明代までだった蹴鞠が思い浮かびます。
食事制限の歴史
10世紀半ば(現存する記録は12世紀前半のもの)
藤原朝成(917〜974)、肥満過ぎたので医師から「冬は湯漬け、夏は水漬けを食べる」ように言われる。
しかし量が多過ぎた上に、鮎の鮨まで食べるものだから効果はなかった。
1224年
イタリアの医師が、患者に干し肉とパスタを食べることを禁じる。
なお、これが現存する最古の「パスタ」の記録だという。

176:世界@名無史さん
15/08/21 11:35:22.28 0.net
URLリンク(www.youtube.com)

177:世界@名無史さん
15/08/23 22:44:34.45 0.net
世界初の4コマ漫画本は14世紀のハンガリーで著され
今はバチカンの図書館に秘蔵されているという
アンジュ―・ハンガリー伝説(Hungarian Anjou Legendary)

178:世界@名無史さん
15/08/23 23:40:49.23 O.net
>>168
ルイ14世の話ですが、本当でしょうかね。
クセジュ文庫の「ヴェルサイユの歴史」という本によると、ルイ15世の時代には湯と水の蛇口つきの浴槽が宮殿に設けられて、衛生的に「満足のいくものになった」という記載があります。
ではそれ以前はというと、そのルイ15世が先王を真似して遠くで沸かした湯を浴槽に張って入浴したら冷めていて風邪を引いた…と。
勿論、ルイ14世がたった2回入浴した際の真似だと言われればそれまでですが。

179:世界@名無史さん
15/09/05 23:46:27.12 0.net
常磐線が高速で走行する有名な撮影スポットで特急と特快がすれ違い
URLリンク(www.youtube.com)
……………………

180:世界@名無史さん
15/09/06 02:49:48.98 0.net
直線じゃ、いくらスピードが出てても面白くもなんともないんですが。

181:世界@名無史さん
15/09/07 03:04:54.33 0.net
>>168
イギリスのバース市の古代ローマ浴場の遺跡から
「私のバスローブを盗んだ者に呪いを!」と書かれた
金属片が出土した
ソースは
2013年3月10日放送 THE世界遺産「バース市街」

182:世界@名無史さん
15/09/07 07:01:34.41 0.net
ポンペイの壁みたいな落書きならまだしも、
金属片に刻み付けるとはw

183:世界@名無史さん
15/09/07 23:41:08.18 0.net
フルチンで家路について風邪をひいたのだろうかw

184:世界@名無史さん
15/09/09 13:01:31.80 0.net
>>182
当時は紙がなかったから
今日の感覚だと、半永久的に残るよう金属片に刻み付けて
と考えるのかもしれないが
ひょっとしたら、あの時代だと紙がなかったし、金属類は高価なもので
すぐにリサイクルされただろうから、どうせ溶かしてリサイクルされるのだから
と考えていたのかもしれない。

185:世界@名無史さん
15/09/11 22:41:23.35 0.net
>>182
壁の落書きと言えば、「ぁぁ、今日も俺はレンガ積みなんかしてるし…俺の人生こんなもんかよ」
って落書きがあって、技術ではないけど、え?この時代からあるの?と言うは感じはした


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