数学を初めとした理系の学問と哲学について 16 at PHILO
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250:考える名無しさん
22/01/28 13:22:16.33 0.net
4/((1+1/(3+(1+3)/(5+(1+3+5)/(7+(1+3+5+7)/(9+(1+3+5+7+9)/(11+(1+3+5+7+9+11)/(13+...))))))))≒4/(4/π)=π

251:考える名無しさん
22/01/28 13:44:06.86 0.net
だれか幾何学的に分かるように図示して説明してください。

252:考える名無しさん
22/01/28 13:59:15.49 0.net
なんかむずかしいな

253:考える名無しさん
22/01/28 15:37:53.67 0.net
>>250
単純に数値の関係から見れば、この式の分母は、円周長を4とする
円の直径を、算出された円周率の近似値の精度まで無限に近似する
ことになるわけだけど、どのような考え方からこの式が導き出された
のか、それを知りたいわけです。

254:考える名無しさん
22/01/28 15:56:11.18 0.net
1+1/(3+(1+3)/(5+(1+3+5)/(7+(1+3+5+7)/(9+(1+3+5+7+9)/(11+(1+3+5+7+9+11)/(13+...))))))≒4/π
となり、単に順に数えられた奇数の足し算と割り算の再帰によって4とπの比に近づいていく
ことが面白く感じられます。

255:考える名無しさん
22/01/28 16:08:35.81 0.net
4/(4/π)=π
は、打ち間違いだよな?

256:考える名無しさん
22/01/28 16:11:57.50 0.net
なぜ?

257:考える名無しさん
22/01/28 16:15:58.44 0.net
別に4と4/πでなく、yとy/xでも、y/(y/x)=xだと思いますが。
ただし、最初に書き込んだ式は誤記で余計な()が入っています。

258:考える名無しさん
22/01/28 16:16:07.63 0.net
あれ、俺分数が分母に来る時の計算の仕方を間違えたのかな・・
何かよくわからなくなってきた。

259:考える名無しさん
22/01/28 16:17:19.69 0.net
ああやっぱり()が余計に入ってたのか。すっきりした。

260:考える名無しさん
22/01/28 18:23:21.77 0.net
なにか誤解しているようだけど、誤記で()が余計に入っているというのは、
>>250の"4/(())"のことだよ。4/(4/π)=πは別に打ち間違いではない。
4/xの分母の連分数計算が4/πに相当することを明確に示すために
カッコに入れている。

261:考える名無しさん
22/01/28 18:34:25.22 0.net
誤解が解けました。ありがとう。

262:考える名無しさん
22/01/28 18:39:22.10 0.net
ππくんは連分数の専門家だから、舐めちゃいけないよw

263:考える名無しさん
22/01/28 18:43:14.86 0.net
ていうか、パイは5chでそんな風に表示されるのを初めて知ったわ

264:考える名無しさん
22/01/28 21:17:30.38 0.net
連分数的なアプローチ法
nとmが互いに素で、nが5で割り切れない奇数ならば、
m/nは小数点以下一桁目から循環周期に入り、その周期の長さは
分子mの数によらず一定である。
例 : n = 7, m = 3 の場合
m/n は 3/7 = 0.4285714285714285714285714285714285714285714285714285714285714285
となって、小数点以下の428571の箇所が循環していることが分かる
例2 : n =11 , m = 6 の場合
m/n は 6/11 = 0.5454545454545454545454545454545454545454545454545454545454545454
となって、小数点以下の54が無限に繰り返されることが分かる
例3 : n =29 , m = 13
m/n は 13/29 = 0.4482758620689655172413793103 4482758620689655172413793103 44827586
となって、4482758620689655172413793103 の箇所が循環して出現すると思われる

こうした規則性を持つ分数は、数の構造として案外奥が深そうだ

265:考える名無しさん
22/01/28 21:37:50.34 0.net
循環小数懐かしいな。

266:考える名無しさん
22/01/28 23:25:55.13 0.net
>>250-254
数学的な手続きとしては、まだよく分からないんだけど、計算の数字の並び
から見たら、タイルを並べたときの正方形と円の面積の対比から円周率を
求めているような気もする。というのも、この連分数計算で算出される
4/πは、半径1の円の面積π*1^2=πとその円周に接する正方形2×2=4の
比にもなっているからだ。それに連分数計算の分母の
...+1/3、...+(1+3)/5、...+(1+3+5)/7という並びは、
...+1^1/3、...+2^2/5、...+3^3/7でもあることから分かるとおり、
ちょうど、まず、タイルを1枚置いて、その外側を3枚のタイルで覆い、
次に、その正方形になった1+3枚、つまり、2^2枚のタイルの外側を
5枚のタイルで覆い、次に、その正方形になった1+3+5枚、つまり、
3^3枚のタイルの外側を7枚のタイルで覆うのと同じ順序になっており、
その増える面積を覆う側のタイルの数で割って、タイル数が増えるに
つれて増える面積の割合を算出し、その割合を計算の分母に加えて
いるように見えるからだ。すると、最初の1+1/3=4/3の分母の3
に次々に補足が行われて、3+...でπに近づくように計算されている
ことになるように思える。いずれにしても、この計算の式は、何らかの
そのような具体的なイメージに沿って構築されているはずだろう。

267:考える名無しさん
22/01/28 23:31:09.67 0.net
肝心なところで大きな誤記が入ってしまった。
誤:...+1^1/3、...+2^2/5、...+3^3/7
正:...+(1^2)/3、...+(2^2)/5、...+(3^2)/7

268:考える名無しさん
22/01/28 23:32:52.75 0.net
数式によって図形のアルゴリズム?が示されているというわけですね。
大昔は数式と図形を表す道具も整っていなかっただろうから、
日常生活の中で生まれたようなものなのかもしれませんね。

269:考える名無しさん
22/01/28 23:33:46.76 0.net
誤:3^3枚のタイルの外側を7枚のタイルで
正:3^2枚のタイルの外側を7枚のタイルで

270:考える名無しさん
22/01/29 08:42:21.46 0.net
ああそうか、最初、"^"じゃなくて、"*"で、つまり、もっと分かりやすく
単純に辺としてのタイルの数の掛け算として面積を表示するように
"1*1"、"2*2"、"3*3"と書こうと思っていたから書き間違えたんだ。

271:考える名無しさん
22/01/29 16:44:35.48 0.net
>>266
何らかの数を数える具体的なイメージに沿って連分数の計算式が構築されている
のは間違いないだろうけど、どうも私が思いついたイメージとは違うようだね。
ずぶの素人がリバース・エンジニアリングをやろうとしているのと同じだから、
うまく勘が働かない。

272:考える名無しさん
22/01/29 17:06:03.85 0.net
数式が残されているのだから、それを導き出したプロセスを記録した試行錯誤
の草稿などの資料も存在するはずで、そういうものが長い年月を経ても未だに
十分にオープンにはされていないということだろう。

273:考える名無しさん
22/01/30 00:46:37.79 0.net
>>253
円周率の連分数展開でググってみたけど
arctanがガウスの超幾何関数の比で表せることと
ガウスの超幾何関数の比がそういう連分数展開で表せることから
その公式が証明できるらしい
幾何学的な意味は知らない
URLリンク(www.juen.ac.jp)
この4章から(連分数の近似とか連分数同士の等式とかの準備は3章)

274:考える名無しさん
22/01/30 01:11:15.03 0.net
円周率の連分数計算の方は、
ウィリアム・ブラウンカー 1620年頃 - 1684年4月5日で、
ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウス 1777年4月30日 - 1855年2月23日
は、時代的にその150年も後に生まれた人だから、証明の方法がどうであれ、
もともとの計算の発想はぜんぜん別なのだろうと思う。
そういえば、三角関数で以前に何か確かめてみたことがあるような気も
するけど、もともと数学とはほとんどまったく縁がなく、普段も使わない
から、すっかり忘れてしまったな。で、そういうことで頭を使うように
なると、やっぱり、他のことを考える余地がなくなるんだよね。

275:考える名無しさん
22/01/30 01:44:35.50 0.net
ああそうか。計算の方法としては数年前に確認してたんだな。
でも、関心があるのが、数学の技法そのものではなくて、
それを言葉にして表現することだから、すっかり忘れてしまっていた。
で、同じ考え方の間違いを繰り返してしまう。この場合、哲学として
基礎になるのは、微分積分と連分数計算の関係をしっかりと言葉で
とらえて表現することなのだろう。
>574考える名無しさん2019/11/18(月) 08:19:26.530>>588
[...]
哲学として求めているのはやはり、こういう技法についても
日常言語における表現とつながるようにしようとすることなのです。
URLリンク(en.wikipedia.org)
The series 2F1
arctan z
>575考える名無しさん2019/11/18(月) 08:26:21.130
そのようなつながりを考えるという意味では、こちらが役立ちそうですね。
URLリンク(univ-study.net)

276:考える名無しさん
22/01/30 01:48:33.12 0.net
関心があるのが哲学の方だから、いくら円周率の計算方法を数学の技法として
覚えても、それをうまく言葉にできなければ、無意味なんだよね。

277:考える名無しさん
22/01/30 01:55:24.79 0.net
それにしても、微分積分を数学の手法として確立したことで
知られるニュートン、ライプニッツの方が世代的には一世代後だ。
ウィリアム・ブラウンカー 1620年頃 - 1684年4月5日
アイザック・ニュートン 1642年12月25日 - 1727年3月20日
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ 1646年7月1日 - 1716年11月14日

278:考える名無しさん
22/01/30 10:34:49.30 0.net
なぜ何年か前に考えた数学の技法についての問題を今さらに思い出したか
というと、この問題が、つい最近読んだフェルスター、『哲学の25年』の
p.507に図示される数概念もしくは単位概念についてヘーゲル的な捉え方の
説明と直接に対応しているはずだと感じられたからである。そして、その
対応関係は、ヘーゲルの哲学における「数の概念」の理解という限定された
ことではなく、より広く哲学全般にわたる重要性をもっていると思われる
からだ。

279:考える名無しさん
22/01/30 10:47:00.01 0.net
フェルスター、『哲学の25年』のp.507で数概念もしくは単位概念の
ヘーゲル的な捉え方として図示しているのは、数を無限に数えるとは、
単に既定の単位を際限なく積み重ねるようにすることではなく、
与えられた大きさを、数nを数えるのに応じて無限に1/nに等分して
いくことである。
フェルスターが示しているのは、与えられた大きさを、そのように
等分しようとすることによって生じる相互的な規制の関係がどのように
ヘーゲルの考え方に対応しているかまでであって、それを円周率の算出
などの、より数学的に込み入った問題に関係付けているわけではない。
それでも、そのように、「既定の単位を積み重ねるように数」えるのでは
なく、無限に数えることに応じて、与えられた大きさを当分するのに
暫定的に「単位として用いられる数値の方が調整される」ことが、
連分数による円周率の算出方法にそのまま対応するだろうことが、数学
に関しては、まったく素養のない私にも直ちに感じられる。

280:考える名無しさん
22/01/30 11:17:29.75 0.net
与えられた大きさを、その都度、数えられる数で等分しようとすることは、
その数を暫定的な単位として用いるということであり、それによってその
大きさが、等分されるとういことは、その用いられる数が周期とされる
ということだろう。円周率の連分数による算出は、順に数えられる数が
増えるにつれて、円周率として求められる近似値の精度が高まる。
円周率の値を求めることも、順に無限に数を数えるのに応じて、与えられた
大きさを等分しようとし、それで数えてぴったりと合う、つまり、周期
となるように単位の大きさの方を調整しよとすることを、無限にその
精度を高めるように追求することではないのか。すると、円周率の
近似値の精度を高めることは、すなわち、順に数を数えることにおいて既に
現れている数の倍数ではない数、つまり、新たに現れる素数をその都度、
周期として新たに組み込むことと同義となるのではないか。
数学の素養がなく、数学記号をうまく用いることのできない私が、
言語表現で連分数計算による円周率の近似値の算出がどのような行為であるのか
を記述しようとするなら、暫定的に、そのように表現されるように
思われる。

281:考える名無しさん
22/01/30 11:20:51.46 0.net
>>280
誤:大きさの方を調整しよとすることを、
正:大きさの方を調整しようとして、

282:考える名無しさん
22/01/30 11:27:46.20 0.net
数学記号を用いた操作による記述が念頭にあると、それが日常言語の用法
に干渉して、うまく言語表現ができなくなり、言語表現で考えていると
数学記号を用いた操作に余計な干渉が生じて、混乱するので、私自身は
数学をやらないが、数学者が日常言語による干渉を嫌い、微妙な感覚を
言語表現しようとする人々が、数学表現によってあらかじめ単純化された
規定を嫌うのは、自然なことであると感じられる。それでも、哲学として
重要なのは、うまく対応する言語表現を見出すことである。

283:考える名無しさん
22/01/30 11:40:38.62 0.net
>>279
誤:大きさを当分するのに
正:大きさを等分するのに

284:考える名無しさん
22/01/30 12:54:47.23 0.net
「同じ大きさの互いに異なる等分」同士の相互調整を無限に繰り返すことによって近似されて現れる単位

285:考える名無しさん
22/01/30 13:48:31.74 0.net
日常的な言語表現を隠喩として用いるなら、「間尺に合わない」、
「割に合わない」と感じられることによって「尺度」の相互調整が必要とされ、
すべて「丸く収まる」ようにすることが円周率の近似値を求めることに
対応するだろう。

286:考える名無しさん
22/01/30 14:13:51.23 0.net
これまでに何があろうと、現状ですべてが自らの身体性において
「間尺に合っている」、「割に合っている」とするのが、ニーチェの永劫回帰
であるとすれば、自らにとってだけでなく、汎世界的にあらゆる事物が現状で
そのように実現されているとするのが、ライプニッツの最善世界説であり、
世界の歴史に理性の働きが貫徹することによりそのような状況が完成する
とするのがヘーゲルやマルクスの理性主義であり、現状で「間尺に合わない」、
「割に合わない」と感じているのは、分不相応な欲望に囚われている自分の
せいであり、無限の神に対して自らの「間尺」が「無」であることを認識して、
自戒すべきであるとするのが禁欲主義的なニヒリズムであると見ることも
できるのではないか。

287:考える名無しさん
22/01/30 14:38:12.24 0.net
ハイデガー的に表現するなら、「間尺に合わない」、「割に合わない」と
感じられることは、»unzuhanden sein«であることを示していることに
なるだろう。したがって、逆に言えば、単位として物事を測るのに用いられる
円周率の近似値は、»zuhanden sein«/「手頃にある」在り方をしているはず
であり、それによって測られる事物は、不都合が生じない限り、
»vorhanden sein«/「目の前にある」在り方をしていると言うことができる
だろう。しかし、「間尺に合わない」、「割に合わない」と感じられる
ような不都合が生じると、その関係は崩れ、何かが»unzuhanden sein«/
「違和感がある」ようになったことが示されるわけだが、それの「違和感」
がどのように生じるのかは、自明ではない。世界が依然として
»vorhanden sein«/「目の前にある」在り方をしているように見えるのに
»unzuhanden sein«/「違和感がある」ようになったとすれば、自らが
世界にとって「異物」となったと感じられ、自分は何も変わらないのに
何もかもが不都合になれば、世界の在り方の方がいつの間にかすっかり
変わってしまった、異世界になってしまったと感じられるだろう。

288:考える名無しさん
22/01/30 14:41:15.91 0.net
しかし、古典を読めば、そのような感覚を体験することは、なんら特殊な
ことではなく、人の世の常であることが分かる。それが一般に「無常」と
呼ばれる感覚だろう。

289:考える名無しさん
22/01/30 14:43:52.50 0.net
「無常」はいくら「人の世の常」として恒常的に繰り返されても、
その都度、身に沁みるような「はかなさ」を感じさせるものなのだろう。

290:考える名無しさん
22/01/30 14:51:09.02 0.net
誤:それの「違和感」
正:その「違和感」

291:考える名無しさん
22/01/30 23:53:40.32 0.net
円周率πの近似値を求めるとは、結局のところ、順次に数を数えるのに応じて
直径を等分する数を増大させながら、直径をより小さく細分する単位によって
円周長を測る、つまり、その単位数がいくつになるかを数えることだろう。
その際、既に数えた数の倍数で直径を細分する単位では、近似の精度は
高まらない。例えば、直径を1で分割すると、直径を細分する単位は
直径の1/1=1であり、1を単位として円周長を数えると3であり、
連分数計算ではπ≒3/1=3として計算されるわけだが、その1を1/10
に細分して、それを単位として円周長を数えたところで、30となる
だけで、円周率の近似の精度は高まらない。したがって、連分数計算
によってであれ、他の計算方法によってであれ、円周率のより高い精度
の近似値を求めることは、数を数えるのに応じて、次々により大きい
素数を周期として組み込み、それによって直径を等分する1/nを単位として
円周長の単位数を数えることになるだろう。具体的には、連分数において
5まで数えて計算すると、直径は1/205に分割され、これを大きさの単位
として円周長の単位数を数えると644となり、円周率の近似値は、
π≒644/205≒3.14146341463となるが、素数として見ると
π≒644/205=((2^2)*7*23)/(5*41)である。同様にして連分数に
おいて15まで数えると、直径は1/990466892415に分割され、これ
を大きさの単位として円周長の単位数を数えると3111643512832となり、
π≒3111643512832/990466892415=
((2^19)*17*23*43*353)/((3^2)*5*7*11*13*21988387)≒3.14159265359
と計算される。

292:考える名無しさん
22/01/31 00:07:36.93 0.net
このプロセスに終わりはなく、直径を等分する数により大きな素数が組み込まれる
のにしたがって、無限にπのより高い精度が近似により求められることになり、
その近似値としての数値は、nがどれほど大きくなろうと、直径を1/nに等分
する大きさを単位として円周長の単位数を数えたものに対応するのだから、
πの数値を、極限として大きさのない点に収束するというようなものとして
イメージすることは誤っている。したがって、円周上の任意の位置も、
大きさのない点にではなく、πの近似の精度に応じた(1/n)*πの大きさに対応
していることになるだろう。

293:考える名無しさん
22/01/31 00:11:15.61 0.net
さすがππくんは連分数のエキスパートだね。区分求積法的なアプローチだね

294:考える名無しさん
22/01/31 00:13:45.75 0.net
誤:πの近似の精度に応じた(1/n)*πの大きさに対応していることになるだろう。
正:πの近似の精度に応じた大きさに対応していることになるだろう。
数式を書いているとすぐに頭が混乱して、誤りが混入してしまい、
かえって分かりにくくなるので、計算は省く。

295:考える名無しさん
22/01/31 00:23:19.21 0.net
πやeは超越数だから、ある一点への収束ではなく、発散のイメージに近い。永遠であり、延々と後続する数が連なるということ。すなわち、インフレーションし続ける宇宙と同じ

296:考える名無しさん
22/01/31 00:27:01.63 0.net
実は計算はとても苦手だ。というか、計算に集中するような神経の
使い方が性に合わない。

297:考える名無しさん
22/01/31 00:36:10.36 0.net
∫[0→∞] ((e^0)/((e^0)-((-e^0)^((e^0)/((e^0)+(e^0))))n)+(e^0)/((e^0)+((-e^0)^((e^0)/((e^0)+(e^0))))n)) dn=π

298:考える名無しさん
22/01/31 00:42:55.75 0.net
書いている当時は、どういう計算をしているのか意識していたのだろうけど、
今見ると、何をどう考えていてこれを書いたのかまったく思い出せない。
というか、哲学の問題について考えるのとは違って、思い出しても
私にとって何の利益にもならないだろう。

299:考える名無しさん
22/01/31 01:18:49.96 0.net
数学は厳密なのに対して、人間社会は雑そのもの。ベイズ統計出来ても日本だとデータ改ざんだらけなので、絶望と不信しか生まない

300:考える名無しさん
22/01/31 01:31:04.32 0.net
だからそうした雑な忖度人間の代わりに、忖度不可能なAIに政治なり経済社会、教育を運営させたら、案外、いいのかもしれない。
日本の裁判所は加害者には寛大で再犯率も高いから、司法も一度AIで運用させてみたらどうだい。アメリカでは黒人差別になって失敗したようだが、日本は後発なのでその失敗を参考にして試験運用すればよかろう
教師が人工知能になれば、日本にやたら多い盗撮する変態ロリコン教師も消えるだろうし

301:考える名無しさん
22/01/31 07:47:59.97 0.net
数学の抱えている哲学的な問題は、数学で用いられる技法が哲学に
基礎づけられていないとか、数学の技法によって導き出される等しさの
証明に誤りがあるといったようなことでは全くない。数学に対して
哲学的な不信感が表明されるとき、数学者は、哲学的に投げかけられる
疑問に対して、哲学によってあたかもそのようなことが根拠なく
不当に主張されているかのように言葉巧みに偽の疑問にすり替えを
行って批判をかわしてきた。しかし、本当の問題は、数学者が
数学の技法を言葉によって説明し、言葉によって説明するとき、
例えば、単に「πなどの超越数が存在する」という極めて簡単な
言明でさえ、数学において実際に用いられている技法に忠実に
対応しておらず、言語表現のレトリックとして哲学的に明白に誤り
であることにある。そのことにより、日常言語によって数学の技法
を理解しようとする場合に著しい困難と矛盾が生じるのである。

302:考える名無しさん
22/01/31 07:50:47.15 0.net
誤:言葉によって説明し、言葉によって説明するとき
正:言葉によって定義し、言葉によって説明するとき

303:考える名無しさん
22/01/31 08:03:23.32 0.net
数学において極限値が厳密に求められる場合でも、何らかの値として
表現される極限値は点としては存在しない。なぜなら、点は、大きさがない
ものとして定義されるのに対して、値はつねに単位だからである。
計算が極限値に収束して完全に等しさが証明されることは、大きさのない点
の存在を示すものではなく、数値における1対1対応を示すものである。

304:学術@死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医師悪魔召喚居士
22/01/31 09:11:18.46 0.net
数学は中学でもできるぞ。理系じゃないのかスレッドは。
生理学でもよければ、地学天文学でもいいのに。

305:学術@死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医師悪魔召喚居士
22/01/31 09:11:57.40 0.net
天文科学館もあるよ。プラネタリウム。

306:学術@死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医師悪魔召喚居士
22/01/31 09:12:39.98 0.net
例えば鬱のときは動けないから囲碁を打つ。とか。人事な。

307:考える名無しさん
22/02/01 11:08:17.69 0.net
内容の「B量と測定」の(1)のウ及び「C図形」の(1)のエについては、
円周率としては3.14を用いるが、目的に応じて3を用いて処理できるよう
配慮する必要がある。
— 平成元年公示学習指導要領
かつて、この指導要綱によって学校の授業では円周率を、π≒3.14ではなく、
π≒3と教えるように教育が制約されることになったと話題なったことがある。
しかし、哲学的に見れば、円周率は約3.14であると教えることが正しく、
円周率は約3であると教えることは誤りであるなどということはなく、
それどころか、「円周率は3.14159265359...として、小数点以下の値
が無限につづく数値として存在する」などと教えたとすれば、そちらの
表現の方が決定的に誤っていることになる。円周率は、あくまでも数
を数えるのに用いられる単位と、それによって測定される円周の長さ
の比として現れる比率であり、その具体例として円の直径を1単位と
数えるなら、すなわち、直径を1と数え、1/10^0の単位に分割する
(つまり、まったく分割しないように)なら、その単位によって
測られる円周長は、約3として近似され、直径を100に等分して、
1/10^2の単位で数えるなら、円周長は約3.14として近似され、
同様に10000000000等分して、1/10^10の単位で数えるなら、
円周長は、約3.1415926535として近似され、以下同様である。
円周率の理解に関して重要なのは、数えるのに用いられる単位
とその単位を用いることによって近似される円周長の関係、
すなわち、1とπの関係を把握することであって、円周率の小数点以下
の数値を何桁まで暗記できるかということなどではない。

308:考える名無しさん
22/02/01 11:43:39.93 0.net
円周率の近似は、数を数える単位の方を、より大きな数まで順に数えること
に応じて、同じ大きさを等分する単位として見なして調整すること
によって実現されるわけだが、計算において円周率の近似の数値の方が変化
しつづけるのに対して、測るのに用いられる単位は、そちらの方が
調整されているにもかかわらず、1として揃えられて表示されたままとなる
ため、πと1は、そのいずれもが数値として常に既に「目の前にある」/
»vorhanden sein«かのような奇妙な錯覚を生じることになる。
しかし、その近似においては、円周長の方が与えられてそこにあるもの
とされるのだから、「目の前にある」/»vorhanden sein«ように扱われ、
「近似の精度を高める」/"approximate"ように調整されている単位として
の1の方が、円周率が「都合の良い」/»zuhanden sein«精度まで求められる
ように自らを「適合」/《adéquation》させつづけているのだから、
測るのに用いられる単位の方が、「手頃となる」/»zuhanden sein«
ように使われていることになる。

309:みづから(身づ柄/自ら)ををさ(治/収)むたまご(卵)
22/02/01 11:53:03.17 0.net
ところで、卵(たま・ご)はなぜ丸いのか。
角が立つとぶつかって割れてしまうので、自らが丸く「をさ(収)まる」ようにして
いるとも言えるし、「みづから(身づ柄/自ら)」に使うことの許された空間の
容積をできるかぎり有効に使い切るように丸々と「みづから(身づ柄/自ら)を
「をさ(治/収)め」ているとも言えるのではないか。

310:考える名無しさん
22/02/01 12:25:02.52 0.net
「環境」/《environnement》に対する自らの「適合」/《adéquation》の
プロセスは、数学における、単位の調整による円周率の近似に喩える
こともできるだろう。ただし、単位に用いられる1と円周率πが表裏の
関係にあり、円周長を用いて与えらえれた大きさを測ろうとするなら、
その与えられた大きさの方が無限に近似されるべきものとして現れる
ように、「環境」/《environnement》と、通常、生物の個体という
単位として、「環境」/《environnement》に一方的に「適合」/
《adéquation》するプロセスにあるかのように思える「みづから
(身づ柄/自ら)」も、むしろ、「適合」/《adéquation》のプロセスを
介して、「環境」/《environnement》と表裏の関係にあると見る方が
適切だろう。
つまり、「みづから(身づ柄/自ら)」は、単純に「環境」/《environnement》
に取り巻かれて、それに適合するように振る舞うように迫られる存在で
あるわけではなく、その「適合」/《adéquation》のプロセスそのもの
によって変化しながら主体として生成されつづけるものであり、そのように
変化しつづける「みづから(身づ柄/自ら)」にとって、自らを取り巻く
「環境」/《environnement》も、それまでと同様に「目の前にある」/
"vorhanden sein"ように現れることはない。

311:考える名無しさん
22/02/01 12:31:22.24 0.net
誤:"vorhanden sein"
正:»vorhanden sein«
日本語と英語とドイツ語とフランス語の間で混乱が生じないように
可能な限り、それぞれの言語に使う括弧を分けるようにしているんだけど、
書き込むときにドイツ語の» «は、変換候補に含まれず、コピペしなければ
ならないから、どうしても面倒で混乱しがちになる。

312:考える名無しさん
22/02/02 03:05:38.69 0.net
Limit[(1 + (1/x))^x ] as x -> ∞
= e
Limit[(1 + x)^1/x ] as x -> 0
= e 
Limit[log(1 + x)/x ] as x -> 0
= 1 
Limit[((e^x)-1)/x ] as x -> 0
= 1 
URLリンク(ja.wolframalpha.com)

313:考える名無しさん
22/02/02 03:42:36.12 0.net
exp(1)=2.7182818284590452353602874713526624977572470936999595749669676277240766303535475945713821785251664274274663919320030599218174135...

314:考える名無しさん
22/02/02 08:11:10.60 0.net
いのち(命)はまずなによりも、めぐ(巡)りあ(合)はせにおける
ゐ(居)ごこち(心地)のよ(良)さとしてある。

315:考える名無しさん
22/02/02 08:39:49.54 0.net
自然のめぐ(恵)みは、つねにすでにめぐ(巡)り(合)はせにおいて
みづから(身づ柄/自ら)があた(能/与)ふ/あたひ(値/価)する
こた(応)へ(こた(応)への「を」、すなわち、呼びかけの「を」に
呼応してそれを満足させるう(請)けあ(合)ひ)としてま(先)ずある
というあらは(現)れ方をする。

316:考える名無しさん
22/02/02 08:51:56.56 0.net
主体は、そのつねにすでにめぐ(巡)り(合)はせにおいてみづから
(身づ柄/自ら)があた(能/与)ふ/あたひ(値/価)するこた(応)へに
よ(依)り、みづから(身づ柄/自ら)をあるじ(主)することによって
絶えず変化しながら生成される。そのプロセスが「適合」/《adéquation》
であり、主体を取り巻くものとされる「環境」/《environnement》も、
そのようにして生成される主体と表裏の関係にある。

317:考える名無しさん
22/02/02 08:59:38.09 0.net
「呼びかけの『を』に呼応してそれを満足させるう(請)けあ(合)ひ」とは、
より具体的には、て(手)ごた(応)へ、み(見)ごた(応)へ、く(食)ひごた(応)へ、
き(聴)きごた(応)へなどである。

318:考える名無しさん
22/02/02 10:42:13.83 0.net
「こた(応)への『を』、すなわち、呼びかけの『を』に呼応して
それを満足させるう(請)けあ(合)ひ」は、声としては呼びかけの
「を」と同じものであるにも関わらず、「を」−「を」の呼応
関係において明確に呼びかける者とそれに応へる者の非対称性を
表現することになる。この「を」は、呼びかけにおいても、
応へにおいても、現状における欠如/"void"を指し示し、英語で
言えば、"why not?"、ポルトガル語で言えば、"pois não"に
対応し、ポルトガル語のTVドラマをしばらく見ていると、
何かを要請されて、それに応へる"pois não"は、発音としては
まったく違うにもかかわらず、その用法から、そのまま日本語の
古語の応への「を」に対応しているものと実感されてくる。
発音としては同じ「を」が明確に非対称的な関係性を表すこと
からも分かるとおり、日本語における「を」は、極めて
巧みに用いられ、様々な関係性を表現するように多用され、
それらの用法を関係性を数学やプログラミング言語によって
表現することは、人々に数学表記やプログラミング言語だけ
によって日常会話をするような能力が備わっているのでない
限り、不可能だろう。例えば、「梅ををき」という表現には、
「梅」という名詞とそれを対象として指し示す「を」と、
「を・く」という、最初の「を」と語源的には同一の
呼びかけの声である「を」を活用した動詞しか現れない。
にもかかわらず、それによって伝へられる関係性をプログラミング
言語で表現しようとしたなら、とてつもない困難が伴うことに
なるだろう。そのことは容易に示すことができる
(ただし、今は時間がないので、続きは余裕のあるときにまた
書き込むことにする)。

319:考える名無しさん
22/02/02 10:48:45.16 0.net
参考資料として私自身の書込みの引用をコピペしておく
41考える名無しさん2022/02/01(火) 14:29:29.210
日常言語の表現は、哲学的な言説がいくら名詞的な概念を捏ね繰り回しても
なかなかうまく捉えることができない関係性をいとも容易に捉えて
表現する。例えば、次のフランスのコメディ・ドラマでは、
URLリンク(www.youtube.com)
Fais pas ci, fais pas ça - Saison 9 Episode 6 - Intégrale #FPCFPC
32:20の買い物の場面で、Madame Lepicが店で野菜を売る男性から
《Madame, Vous désirez?(何にいたしましょうか?)》と尋ねられて、
本当に自分の《désire》を表現してしまう様子が描かれている。
このフランス語の《Vous désirez?》に相当する「『さそ(誘)ひの
呼びかけを生じる』作用をする」というのが、枕草子で頻繁に用いられる
「をかし」という表現の意味合いであり、「をかし」の「を」が
呼びかけの声であるとともに、《désire》/《vouloir》に相当する。
そのような「さそ(誘)ひの呼びかけの作用」に応じたいという欲望
の感覚が「ゆかし」と表現され、これが、いわゆる「エロスとしての
愛」に相当するものである。

320:考える名無しさん
22/02/02 10:54:37.64 0.net
>>319
この《Vous désirez?》には、「いらっしゃいませ」という日本語訳も当てられる。

321:考える名無しさん
22/02/02 11:03:06.66 0.net
>>318
誤:それらの用法を関係性を
正:それらの用法によって示される関係性を

322:考える名無しさん
22/02/02 15:39:32.04 0.net
>「を」−「を」の呼応関係において明確に呼びかける者とそれに
応へる者の非対称性を表現することになる。<
なぜ、どのように非対称的な関係性を生じるのかについては、
「御意」、「御用達」などの表現を呼応関係から考えてみると
分かりやすいだろう。

323:考える名無しさん
22/02/02 15:57:43.75 0.net
数学をやるのならレトリックに逃げないこと
ポエマーでお茶を濁さないこと
水と油をごちゃ混ぜにしないこと
レトリックは誰でも扱える、占いと同じ

324:考える名無しさん
22/02/02 16:02:23.21 0.net
数学は規則の体系だから、いわばマシーンと同じものだ
正常に組んであればマシーンが目的通りに動くように、
正常に扱えば数学も解へ向かって規則的に動き出す

325:考える名無しさん
22/02/02 16:30:07.32 0.net
数学が物理などの理科と違っていいところは、
試行錯誤で失敗しても許される範囲がかなり大きいことだろうな。

326:考える名無しさん
22/02/02 16:31:03.54 0.net
神田沙也加はなぜ死んだのかという問いに、術者がアカシックレコードを調べて
それに答えるとする。彼は、これこれの理由で彼女は自殺し、また、死後の世界で
どのように過ごしているかについて答える。
つまり、この術者の行為はポエマー的な営為同じことだ。術者の想像力次第で、
どんな答えでも導き出される。それとは違って、数学はそこに証明が要請されるので、ポエマーや占い師のような恣意的自由はない。アナロジーで良いのなら、
そこに無限の置換ができるわけで、それは一つの表現ではあっても、一つの科学的な解ではない
すなわち、ポエマーは恣意的カタルシスを楽しんでいるに過ぎない

327:考える名無しさん
22/02/02 16:34:42.35 0.net
機械が生活の役に立つように使われるべきであり、
生活が機械の役に立つように機械化されるべきではない。

328:考える名無しさん
22/02/02 16:37:09.08 0.net
>レトリックは誰でも扱える、占いと同じ
では、「梅ををく」とは、レトリックとしてどのような表現なのか
きちんと分かるように説明してごらん。

329:考える名無しさん
22/02/02 17:07:32.87 0.net
自分で説明することができないなら、自分が妥当であると判断する
専門家の解釈を引用するコピペ(ただし、ソースを明示すること)
でも別に構わないよ?
その解釈がなぜ妥当でないのか、または不十分なのか説明して
あげますよ。

330:考える名無しさん
22/02/02 17:51:12.71 0.net
「令和」という元号に関連しているらしいから、いくらでもソースが
ころがっているでしょう。

331:考える名無しさん
22/02/02 18:30:51.43 0.net
数学の問題を解くのと何らかのテーマに沿って文章を書くのとの決定的な違いは、
数学は出だしでつまずけば後も全部失敗するのに対し、
文章を書くのは出だしがいまいちでも後で挽回できることもごくたまにあるし、
最初は良くても後でおかしくなるということもあるという点にあるだろうな。

332:考える名無しさん
22/02/02 18:41:11.41 0.net
個人的には、書物を読むのも数学の問題を解くのと一緒で、
前書きや序論をかなりしっかり読んで上でないと本文の読解は困難を極め、
わからない単語がたくさん出てきすぎると詰まるようになり、
慎重にやらざるを得なくなると思う。

333:考える名無しさん
22/02/02 18:49:06.43 0.net
速く読んで即解するのが理想だけど、
初めから丁寧に読んだ方が後の方で言っていることの推測ができるから、
多読とかあんまり頑張りすぎない方がいいのかもな。

334:考える名無しさん
22/02/02 22:53:26.13 0.net
検索すればいくらでも専門家による現代語訳と説明が示されていて、
自分でどの解釈が妥当か判断できるはずなのに、それすらできないようですね。
待っていても時間の無駄なので、説明しましょう。
「梅ををき」という表現の出典は、以下の万葉集の歌
URLリンク(manyoshu-japan.com)
>武都紀多知 波流能吉多良婆 可久斯許曽 烏梅乎乎<岐>都々 多努之岐乎倍米
正月立ち春の来らばかくしこそ梅を招きつつ楽しき終へめ
むつきたち はるのきたらば かくしこそ うめををきつつ たのしきをへめ<
この歌の終わりの「乎倍米(をへめ)」は、ここでは「終へめ」と
現代語訳されているものの、実際に「終へめ」と読むのが正しいのかどうか
を含めて、どう解釈するのが妥当であるのかははっきりしていない。
しかし、「梅を招(を)き」という表現には、普通に考えても不明瞭な点
はないのです。にもかかわらず、検索する限り、この表現に適切に
十分な解釈が与えられている例を、少なくとも私は見たことがない。
それは、ここに引用したサイトの現代語訳の場合も同様で、この歌には
>正月になり、春がやってきた。こうして梅花を愛でつつ
楽しいひとときの限りを尽くそうぞ。<
という現代語訳が与えられている。ここで「梅を招(を)き」に
当てられている「梅花を愛で」という訳は、解釈の「ごまかし」以外の
何ものでもない。

335:考える名無しさん
22/02/02 23:04:57.87 0.net
梅や和歌のスレじゃねえーんだよ

336:考える名無しさん
22/02/02 23:14:27.55 0.net
他に検索してヒットする現代語訳として、「梅を迎(むか)えて」や
「梅を招(まね)きながら」などがあるが、「迎(むか)え」という表現は、
意味的に「を(招)き」に対応しておらず、「招(まね)き」は、歴史的にも
「をき」の「を」に「招」が当てられてきたのだから、誤りとまでは
言えないでしょう。しかし、「を(招)き」の「を」は明らかに呼び声
であるのに対して、「招(まね)き」は、「招(まね)き猫」に代表され、
漢字の構成が「手+召」であることにも見てとれるとおり、「『手』で
招(まね)く動作をする」(猫の場合は前足ですが)ことを表現している。
「梅(の花)を手招(まね)きする」というのはイメージとしてよく分から
ないし、より広く「客人を招く」ように「梅(の花)を招く」と理解しても、
梅の木は最初からそこに植わっているものだろうから、梅が客人の
ように別の場所から移動してくるわけではなく、現代語の訳として
文法的な誤りではないにしても、よく分からない。例えば、
春に桜見をするのに「桜を招く」と表現して、通用するかどうかを
考えてみるといい。

337:考える名無しさん
22/02/02 23:20:31.79 0.net
年号の「令和」の発案者とされる中西進による現代語訳は以下のとおり。
>古今異るはずとてなく、よろしく庭の梅をよんで、いささかの歌を作ろうではないか。
「梅をよ(呼)んで」という解釈は、「梅を『を』き」の「を」が呼び声であること
は確かなのだから、直訳としてはそのままであるとは言える。しかしそれでも、
この訳では「梅をよ(呼)ぶ」というのがどのような行為であるのか不明でしょう。

338:考える名無しさん
22/02/02 23:45:35.03 0.net
岩波古語辞典で「を(招)き」を引くと、
>神や尊重するものなどをまねき寄せる。
と記載されている。またしても「まねく」という表現が使われていて、
表現によって想起されるイメージのズレが生じてしまうわけだが、
「を(招)き」に関連して同辞典で「をかし」の説明を参照すると、
>動詞ヲキ(招)の形容詞形。好意をもって招き寄せたい気がするの意。
ヲキ(招)・ヲカシの関係は、ユキ(行)・ユカシ、ヨリ(寄)・ヨラシ(宜、
ヨロシとも)、ナゲキ(歎)・ナゲカシの類<
と記載されている。「好意をもって招き寄せたい気がする」という
記述は、参考にはなるが、「をかし」が表現する関係性を逆さ向きに
解釈する誤りを犯している(このことは、随分以前に指摘したとおり)。
なぜなら、「をかし」において呼び寄せるようにアピールする作用を
発揮しているのは、「をかし」と感じられるように評価される対象
の方だからである。「をかし」の「をく」は、>>319で指摘した
とおり、「さそ(誘)ふように呼びかける」ことであるが、そのような
呼びかけの作用を発揮する対象が「をかし」と評されるのである。
したがって、「を(招)く」という表現も、フランス語で、日本語の
「いらっしゃいませ」に対応するように《Vous désirez?》という
表現が用いられるように、フランス語を用いるなら
《Vous ne voudriez pas 〜》に対応する意味合いで用いられる
さそ(誘)ひである。

339:考える名無しさん
22/02/02 23:53:58.02 0.net
誤:《Vous ne voudriez pas 〜》に対応する意味合いで
正:《Vous ne voudriez pas 〜?》に対応する意味合いで

340:考える名無しさん
22/02/03 00:08:45.41 0.net
「を(招)く」が、《Vous ne voudriez pas 〜?》に対応する意味合いで
用いられることを意識したなら、「梅をを(招)き」が表現として、
どのようなレトリックであるかは、一目瞭然である。「梅(の花)」は、
まだ満開で「さ(咲)いている」わけではない。蕾がほころび始めたか、
せいぜい、そろそろ咲きはじめようかとする程度にしか、花は
開いていない。「梅をを(招)き」とは、そのような状態にある梅
に対する《Vous ne voudriez pas éclore?》というさそ(誘)ひの
呼びかけである。したがって、この表現は、梅の「花を咲かせよう
とする『意』」に働きかけていることになるが、このようなレトリック
が用いられることに、何か日本の文化に特有のアニミズムが現れて
いるというような特別な解釈をする必要はない。そのような
形で「意」の働きを認めることは、特に日本語に限定されるように
特徴的なことであるわけではなく、例えば、フランス語で、
《Comment fermer une fenêtre qui ne veut pas se fermer》
と表現されるとき、この《vouloir》はやはり、閉じようとしない
《une fenêtre》に、そのような「意」を帰属させていること
になる。

341:考える名無しさん
22/02/03 10:47:21.62 0.net
数学とは何の関係もないことを述べているように見えるかもしれないが、
言語表現を理解するのに、辞書に記載される意味の定義をそのまま
機械的に適用して解釈することは、円の直径を100単位として定義し、
それを固定したままで円周長を測って、円周率は3.14に決まっている
ものとするようなものであるのに対して、人文的な試行錯誤による
解釈は、単位としての「コモンセンス」を固定したものとは見なさず、
連分数計算もしくは互除法による「適合」/《adéquation》のプロセス
によって、その都度、用いるのに「手頃な」/»zuhanden sein«
対比の関係性、すなわち、理性としての「比」が得られるように
単位としての「コモンセンス」を調整しながら追求することである。
これは、その都度、繰り返される試みであり、究極の単位として
普遍的なコモンセンスの追求などではない。そのような追求が
無意味であるのは、すべての整数の周期がπに含まれるので、
すべての整数の秩序は円に包含されるとか、すべての形象は
円形に包含されるとか言ってみたところで、その都度、与えられる
形象を具体的に捉えるのには役立たないのと同じことだろう。

342:考える名無しさん
22/02/03 10:51:10.97 0.net
球体は、形象の喪失であり、生物の個体が仮死状態や生まれる前の形態として
丸くなることも、そのことと無関係ではないだろう。

343:考える名無しさん
22/02/03 14:24:29.10 0.net
無関係です

344:考える名無しさん
22/02/03 14:38:21.96 0.net
そうでしたか。

345:考える名無しさん
22/02/04 00:01:03.39 0.net
日本語の呼応関係における呼びかけの「を」は、本来的には、現状に
おける「欠如」/"void"を指し示す声に過ぎない。にもかかわらず、
その「欠如」/"void"を同様に指し示すことによって確認する
こた(応)への「を」が発せられると、呼びかけの「を」とこた(応)へ
の「を」の関係は、そのまま、意向にそ(沿)ふようにする自発的従属
関係となる。このことは、哲学的にとても重要なことだ。なぜなら、
この自発的な従属関係の生成こそが「意識の働き」であるからだ。
呼びかけの「を」とこた(応)への「を」、意欲を呼び覚ますように
さそ(誘)ふように呼びかける「を(招)く」こと、「をび(誘)く」こと、
「を(召)す」こと、「をし(教)ふ」こと、「をさ(治/収)む」こと、
「をさ(長)」の関係を考えてみると、「まず主体が存在して、その主体
が『意識』を統制している」のではなく、「『欠如』/"void"を指し示し
てそれに気づかせる作用の効果が求心的に働くことにより、主体が
『意識』を統制する中心として現出して累加的に形成される」ことが
分かる。

346:考える名無しさん
22/02/04 00:12:06.17 0.net
気づいてしまうことは、その効果が求心的に働かないなら、「うるさい」のである。

347:必見!☆アセンションコピペ☆
22/02/04 13:18:24.19 0.net
お前ら!進化の時間だぞ!!
☆アセンション(悟り開花)する方法☆
困った時、悩んだ時、いつもキリストさん、ブッダさんになり切って考えてみて!
デヴィルのような心は捨ててね☆
スピリチュアルや、男らしさ、女らしさへの固執も捨ててOK!(執着や煩悩を捨てるのだ)
スピリチュアルは、捨てても霊聴は残ります☆
私はこれで、アセンション(次元上昇=進化成長)できました\( 'ω')/


我欲は捨ててね☆
自意識過剰も捨ててね☆
裏表を捨てましょう!
(誰とでも本音で話せるようになってね)
性欲・物欲も捨ててOKです☆
(動物から、理性的な生き物へ進化して下さい)

☆アセンション達成者が、地球を改革するのが、地球の大規模アセンションです☆
世のため人のために、ベスト(最善)を尽くしましょう。

348:考える名無しさん
22/02/05 10:56:47.81 0.net
>>345
>呼びかけの「を」とこた(応)への「を」の関係は、そのまま、意向にそ(沿)ふ
ようにする自発的従属関係となる。<
そのように「意向にそ(沿)ふ」ことこそが、「意味」/"meaning"/"le sens"
でもある。
URLリンク(www.wordreference.com)
meaning n (intent)  vouloir [être] vtr
>It's hard to tell with a typed message if someone's meaning
is literal or ironic.
>Il est difficile de dire avec un message écrit si quelqu'un veut
être ironique ou pas.

349:考える名無しさん
22/02/05 11:08:14.22 0.net
>>315
生きることは、つねにすでに呼応関係の心地よさ、すなわち、良好な
求心性の働きとして、「欠落が意識されることなく」成立している。

350:考える名無しさん
22/02/05 16:06:47.73 0.net
このことから、「理由」は、まずなによりも、なぜか「意にそ(沿)はない」
こと//»unzuhanden sein«として現れることが分かる。呼びかけの「を」/
《Pourquoi pas?》に対応するのがこた(応)への「を」/《Pourquoi pas?》
ではなく、「なぜか」/《Pourquoi?/Parce que/Puisque/》であるとき、
それは、その「内容」にかかわらず、とりもなおさず「拒絶」であり、
この「拒絶」は、自らが「意にそ(沿)ふように『つか(使/仕)ふ』」存在
であることの否認である。

351:考える名無しさん
22/02/05 16:07:39.97 0.net
誤:「意にそ(沿)はない」こと//
正:「意にそ(沿)はない」こと/

352:考える名無しさん
22/02/05 16:57:57.71 0.net
>呼びかけの「を」とこた(応)への「を」の関係は、そのまま、意向に
そ(沿)ふようにする自発的従属関係となる。<
人は、《Vous ne voudriez pas 〜?》に相当する呼びかけの「を」に
対して、こた(応)への「を」/《Pourquoi pas?》で応じるとき、
そのさそ(誘)ひかけが、自らの自発的な「意」/《vouloir》に沿ふものでも
あることを確認していることになるのだが、それは、そのまま、
そのように「さそ(誘)ひ導く/『をす』相手の意に同意する」ことにもなる。
したがって、呼応関係から、こた(応)へとして「なぜか」/《Pourquoi?/
Parce que/Puisque/》が排除されるなら、こた(応)へることそのものが
相手に一方的に「つか(仕)ふ」関係の確立となる。「つか(仕)ふ」関係が
確立されたなら、自らの「意」はつねに相手の「意のまま」であることが
あらかじめ決まっている。

353:考える名無しさん
22/02/05 18:34:47.57 0.net
誤:『をす』相手
正:『をく』相手
解釈によっては必ずしも誤りではないと考えるが、ここでは、話を不必要に
複雑にしないために、訂正して「をく」に戻しておく。

354:考える名無しさん
22/02/05 20:07:57.27 0.net
>>350
「理(ことはり)」はまずなによりも、「ことは(断)り」として用ひられる。

355:考える名無しさん
22/02/05 20:12:00.66 0.net
誤:「理(ことはり)」はまずなによりも、「ことは(断)り」として用ひられる。
正:「理(ことわり)」はまずなによりも、「ことわ(断)り」として用ひられる。

356:考える名無しさん
22/02/05 20:24:17.25 0.net
数学で使われる技法が哲学的基礎を持たないとか、数学による等しさの証明に誤りがある、
というような事柄が、数学の抱える哲学的問題なのではない。
数学に向かって哲学的な不信感が表明されるとき、数学者はその疑念に対し、
あたかも哲学側による不当な疑念であるかにすり替え、こうした批判をかわしてきた。
本当の問題は、数学者が数学の技法を言葉によって説明しようとするとき、
例えば「πなどの超越数が存在する」という単純な命題でさえ、
数学のしかるべき技法を使っておらず、言語のレトリックとしても、哲学的な表現としても誤りである。
以上の議論を見ても、
日常言語によって数学の技法を理解する際には著しい困難と矛盾が生ずるのだ。

357:考える名無しさん
22/02/05 20:36:05.72 0.net
数学の世界で日常言語を使おうとするから駄目なんだよ
君が言っているのは、ロシアで日本語が通じないと文句言っている馬鹿と同じ
ロシアにいるならロシア語使え、数学やっているなら数学語使え、という単純な話

358:考える名無しさん
22/02/05 20:40:46.55 0.net
それで済むのなら、宇宙際タイヒミュラー理論によってABC予想が
証明されたのか否か、とっくに決着がついているはずでしょう。

359:考える名無しさん
22/02/05 20:43:01.42 0.net
数学の抱えている哲学的な問題は、数学で用いられる技法が哲学に基礎づけられていないとか、
数学の技法によって導き出される等しさの証明に誤りがあるといったようなことでは全くない。
数学に対して哲学的な不信感が表明されるとき、数学者は、哲学的に投げかけられる疑問に対して、
哲学によってあたかもそのようなことが根拠なく不当に主張されているかのように
言葉巧みに偽の疑問にすり替えを行って批判をかわしてきた。
しかし、本当の問題は、数学者が数学の技法を言葉によって説明し、言葉によって説明するとき、
例えば、単に「πなどの超越数が存在する」という極めて簡単な言明でさえ、
数学において実際に用いられている技法に忠実に対応しておらず、
言語表現のレトリックとして哲学的に明白に誤りであることにある。
そのことにより、
日常言語によって数学の技法を理解しようとする場合に著しい困難と矛盾が生じるのである。

360:考える名無しさん
22/02/05 20:44:02.31 0.net
数学者の間でさえ手続きを説明する言語が共有されていないので、
時間が経てば、問題が決着するのかどうかすら不明。

361:考える名無しさん
22/02/05 20:45:10.99 0.net
だいたい、何で他人の書込みを、断りもなく、訂正済みの誤記も含めて
そのままコピペするのか?

362:考える名無しさん
22/02/05 21:18:32.76 0.net
5chの書き込みには投稿者の著作権は発生しないらしいが、
俺は自分のレスぐらいしかコピペしないようにしている。

363:考える名無しさん
22/02/06 09:54:05.86 0.net
「理由(〜だから)」というのは、まずなによりも、さそ(誘)ひの
呼びかけにこころよく応じることをこば(拒)む「理(こと・わり)/
ことわ(断)り」であり、割り切りである。理(ことわり)が
断(ことわり)りであることが、偶々、日本語だけにおいて成立する
単なる言葉遊びではないことは、英語やフランス語の表現を見ても
分かる。
>"Why can't you do it now?" "Because I'm too busy."
ロングマン現代英英辞典
URLリンク(en.wiktionary.org)
>(by ellipsis) Used alone to refuse to provide a full
answer a question begun with "why", usually taken as
an anapodoton of the elided full phrase "Because I said so".
URLリンク(www.merriam-webster.com)
>But the Conservatives voted against the amendment
—because politics. And so did the Liberals.— Michael Spratt
これらは、英語における"because"の用法の典型であるが、その
用法に与えられているメタ言語的な説明から、英語を母語とする
人々でもその用法がどのように生じているのかをうまく把握できて
いないことが分かる。
>Pourquoi refusez-vous cela? Parce que, répondit-il
「なぜこれを断るのですか」「でも...」と彼は答えた
(クラウン仏和辞典)
ただし、ここで当てられている「でも...」という訳はあまり
適切なものとは言えないだろう。《Parce que》が示しているのは、
「〜だから」という何らか開示されないそれなりの「わけ/
ことわり」があることである。


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