数学を初めとした理系の学問と哲学について 16 at PHILO
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200:考える名無しさん
22/01/13 07:13:15.71 0.net
江戸時代の土木工事なんて数学ないと不可能だぞ
江戸時代の数学「和算」は当時世界最高峰レベル
平和な時代は文明レベルが上がるからな
数学ブームがあって神社に和算の問題を奉納するのが
庶民の趣味だったんだぞ

201:考える名無しさん
22/01/13 07:13:52.64 0.net
数学はできる方が日常の生活も効率的に
行っているはずだ
四角形の対角線はルート2だから1辺の1.4倍程度
あるので、何か物を入れたい時は斜めに入れると
入れ易いとか、直角に行くより斜めに横切った方が
0.2倍程度早くつくとか普段から数学やってる方が
なんでも効率的に処理できる

202:考える名無しさん
22/01/13 07:18:18.63 0.net
公式何個か暗記すりゃ、自分であたらしい公式を思いつくけど、その公式が誰かが
既に考えてた公式で、同じ経験を持つ中学生が何人もいるのが灘中だよ。

203:考える名無しさん
22/01/13 07:19:34.18 0.net
数学専門じゃないけど、大学レベルの数学勉強してて思うのは 兎に角苦痛
その先で理解すると感動とか面白さとか分かるんだけど、それまでが本当に苦行
結構誤解している人多いけど、高校までの数学は大学以降の数学と全くレベルが違うから高校の数学は算数と言った方がいいと思えるぐらい レベルが全く違う

204:考える名無しさん
22/01/13 07:21:40.32 0.net
大多数の東大生ってこの高校中退の殺人犯より数学できへんの?

205:考える名無しさん
22/01/13 07:23:19.37 0.net
>>203
全然そんなことはない
中学受験の算数はあくまで楽しいと思うきっかけだけど、大学以降の数学の方が
もっと面白い
高校までの数学とレベルが違うとも思わない
そうやって教師に脅されたけど、高校生の時点で大学の教科書はスイスイ読めた
高校と大学のレベルが違うと感じる人は高校の数学を理解できてないだけだと思う

206:考える名無しさん
22/01/13 07:24:14.27 0.net
>>204
できないよ
圧倒的な才能の前では刑務所で独学に負ける

207:考える名無しさん
22/01/13 07:24:38.99 0.net
まさに、数学は人間精神栄光そのものだな

208:考える名無しさん
22/01/13 07:25:27.12 0.net
結局の所、「何を目的に学ぶか?」でずいぶんと難易度変わるよな。数学って
繰り返し作業になるのは確定な訳で、よっぽど深いモチベーション無いと中途半端な所で挫折する

209:考える名無しさん
22/01/13 07:26:14.09 0.net
学校で教わる数学は屁のようなものと思っている
熱心に勉強した事は無かったが80点以下になった記憶が無い物理も同じ

210:考える名無しさん
22/01/13 07:27:59.80 0.net
一つ言うと俺は受験数学の人ではないぞ
大学以降の数学は得意だが、受験数学は苦手
決まった時間の中で解くとか寄り道できないから嫌い
それでも人よりは成績良かったが
苦手でも全国一桁

211:考える名無しさん
22/01/13 07:28:27.96 0.net
ダ・ヴィンチも35歳で知の爆発が起きたというし
ある時いろいろ繋がったりするんだろうな

212:考える名無しさん
22/01/13 07:29:34.12 0.net
難しいと聞いてたのに、全然分からないところがないから、
自分には浅い理解しかできてないからだろうと思って悩んだ
そこで大学の先生に会いに行って、どの辺が難しいのか聞きに行った
いくつか質問されて、君は十分によく理解できていると言われた
独学で一人で読んでも十分に理解できるし、そもそも読み物として大学の数学の教科書は面白い

213:考える名無しさん
22/01/13 07:30:12.81 0.net
受験数学と「『数学できる自分』に酔ってマウントかけてくる奴」が数学嫌いを
生み出す
これ真理だと思うね

214:考える名無しさん
22/01/13 07:31:21.66 0.net
解析概論(高木貞治)
線型代数入門(齋藤正彦)
集合・位相入門(松坂和夫)
高3は受験勉強メインだったから主に高2のときだけど、高校時代はここまで

215:考える名無しさん
22/01/13 07:32:09.44 0.net
>>214
解析入門1,2(杉浦光夫)は高校時代は全然理解できなかった

216:考える名無しさん
22/01/13 07:33:43.26 0.net
解析概論は高校生で読んでる人けっこういたよな
俺は大学用の物理学演習読んでたわ
高校の授業でも線型微分方程式とかテーラー展開と習って面白かった

217:考える名無しさん
22/01/13 07:34:45.53 0.net
数学の天才が実生活で生きやすい訳ないだろ

218:考える名無しさん
22/01/13 07:35:35.76 0.net
高校の大学受験用数学は大嫌いだったが大学で学んだ微分方程式やテンソルは
その美しさに魅せられた
やっぱり何に使うかを理解して学ぶのは重要だな
だがラプラス変換、お前はダメだ
sって何だよこのクソ野郎!とぼやいていたら親父も俺もラプラス変換は苦手だったと言っていた

219:考える名無しさん
22/01/13 07:37:08.14 0.net
アルキメデスなー 哲学と数学って背中合わせなのかなぁ
ブラーマグプタもわりと

220:考える名無しさん
22/01/13 07:37:46.80 0.net
ラマヌジャンは数学者として扱えぬ
どうやってこんな公式を導いたのかと問われても「神が教えてくれた」だのの
回答をするやつをどないせえというのか

221:考える名無しさん
22/01/13 09:11:46.87 0.net
ボケ防止のために親父に計算ドリルを買ってやったんだが
最近、自分で青チャートを買いだしたんだが
親父の方向性がみえない…

222:考える名無しさん
22/01/13 11:31:22.33 0.net
ものすごくどうでもいいけど少し前の
高1の駿台模試で青チャートの問題が
そのまんま出たらしい。

223:考える名無しさん
22/01/13 14:59:04.21 0.net
>>220
それって要は思考の末公式を閃いたってことなんじゃないの?

224:考える名無しさん
22/01/18 11:36:23.70 0.net
学校数学や受験数学は数学ではない
いくらやったところで哲学にならない

225:考える名無しさん
22/01/18 11:42:56.12 0.net
数学をやって哲学になるなら望月教授が
日本の哲学界を代表する人物になってるんじゃないかな。

226:考える名無しさん
22/01/18 11:44:52.54 0.net
初等幾何は哲学にならないか

227:考える名無しさん
22/01/18 11:48:20.63 0.net
学校数学や受験数学は数学ではない
いくらやったところで哲学にならない

228:考える名無しさん
22/01/18 11:49:23.41 0.net
>>225
あれはそもそも数学じゃない、宇宙際論だ

229:考える名無しさん
22/01/18 17:48:32.07 0.net
今年の数1A、灘高で満点取ったの4人だけだってさ。
ジャイアントキリングだなw

230:考える名無しさん
22/01/18 18:19:30.34 0.net
物理学の先生が概念的思考のできない学生ばかりで困っているんだってさ。
URLリンク(www.inter-edu.com)
大学受験生の学力低下が今回顕在化したような気がします。
新井先生は尊敬する研究者の一人であり助教授の時代から注目していました。
しかし、今回は新井先生の指摘はあまり念頭にありませんでした。
むしろ、友人の地方国立大学教授(物理系、複数)から、因数分解を理解しない学生が居て
教育に困る、とか、古典力学や電磁気学を暗記で乗り切ろうという学生が多く
概念を理解しないので全く応用が効かない、とか、悲鳴を聞いていて、
そちらの方が印象に残っています。
因数分解を理解しない物理の学生にマックスウェルの方程式とか
ラグランジアンとかハミルトニアンとか教えるのは不可能だと思うのですが。

231:考える名無しさん
22/01/18 18:34:12.80 0.net
まあ、抽象的思考を司る哲学の出番が来たということなのかもしれないな。

232:考える名無しさん
22/01/18 20:04:48.72 0.net
数学さえ出来なくなる後進国日本
すぐ故障するゴミスマホを作る訳だ、技術者のレベルも下がっているから
ついに哲学というIQ80でもできる
ポエムしか出来ない国になるのか、恐ろしい

233:考える名無しさん
22/01/18 20:15:43.29 0.net
でも西田幾多郎や西谷啓治って大事。
西谷が教えていた大谷大学とかあたりの哲学は馬鹿にできないよ。
やっぱり直観力とか文章力に訴求力がある。

234:考える名無しさん
22/01/18 21:22:21.33 0.net
小林秀雄も概念的思考を鍛えるのに良いから
国語の教材に使われていたんだと思う。

235:考える名無しさん
22/01/18 23:38:11.95 0.net
数TAの得点分布
URLリンク(i.imgur.com)

236:考える名無しさん
22/01/19 10:53:21.70 0.net
数学力を鍛えるのには国語力も必要だよな。

237:考える名無しさん
22/01/19 11:05:40.36 0.net
国語力w 小学生かい
英語力の間違いだろ

238:考える名無しさん
22/01/19 11:31:00.11 0.net
英語力にしたって、抽象的思考が母国語でできないと英語でもできないだろ。
哲学者で言えば酒井直樹が日本語と英語の両方で仕事ができるのは
日本語で哲学できるからじゃないか。
まあ、日本語で国語力とか言うと文学的表現の理解とか言外の意味を推測するとかいう
狭い範囲のものばかり想像されるような昨今ではあるが。

239:考える名無しさん
22/01/19 11:40:08.29 0.net
日本語は抽象的な思考に全然適していない
それは欧米圏が得意とするもの
日本人から有名な哲学者は出ないのもそうしたこと

240:考える名無しさん
22/01/19 11:42:43.49 0.net
日本語は感性的言語なので、もののあはれとか、情緒や空気、行間を表すことに適した言語
明証性や自明性でなく、空気や奥の細道や言外の言を表現するイメージに近い
よって、概念的なこと、理数的なこと、プログラミング関係に日本語は基本、適していない

241:考える名無しさん
22/01/19 11:43:13.72 0.net
だから日本人は英語を初めとした外来語を摂取することで、
例えば「哲学」などという言葉を編み出すことで、
欧米世界の抽象思考について行ったわけだよな。

242:考える名無しさん
22/01/19 11:44:51.72 0.net
昨今、英文和訳は英語力を鍛えることにつながらないと言われるが、
日本語を抽象的思考に適するようにする役割を担ってきたと思われる。

243:考える名無しさん
22/01/19 11:48:09.21 0.net
ユダヤ人の例が顕著だけど、彼らは安住の地や祖国を持たない流浪の民なので、
汎用性や普遍性が必然的に求められる。地域に依存しない抽象概念や理念、定理が
自然と求められる
ユダヤ人に理数系や科学の天才が多いのはそういう理由
日本人は常に祖国があるので、別に抽象的な概念など必要ない
同じ日本人なら話せば分かる、ややこしい理屈はいらないので、
抽象的な思考にそもそもニーズがない。だから、すぐにガラパゴス化して
グローバルからズレていく

244:考える名無しさん
22/01/19 11:52:03.36 0.net
でも日本には方言があって、
結構上の年代の人とは日常会話をするのが困難だったりする。
だから標準語って大事なんだなと関西人の俺は福井の人と喋った時に痛感した。

245:考える名無しさん
22/01/19 15:53:20.89 0.net
芭蕉の俳句でも読めばいいんじゃない?

246:考える名無しさん
22/01/19 16:02:18.03 0.net
奥の細道、小学校の頃絵本で読んだな。

247:考える名無しさん
22/01/19 16:08:29.48 0.net
なんか江戸時代の遠隔地同士の侍が意思疎通する際には
能だか歌舞伎だかの言葉を共通語にして喋っていたとかいう話を思い出した。

248:考える名無しさん
22/01/19 17:14:28.34 0.net
戦前の旧制高等学校では文科系でも双曲線や楕円を学んでいたんだな。
小林秀雄や梅本克己もそういう裏打ちがあってこそ一見とっつきにくいけれども、
体系性のある著作を書けたわけだな。
公田藏 「近代数学」 と学校数学 (その2) 旧制高等学校の数学
URLリンク(www.kurims.kyoto-u.ac.jp)

249:考える名無しさん
22/01/26 11:38:52.99 0.net
整数論とか線形代数学は大学より前の知識しかない段階から
大学レベルへ連れてってくれる本があるから買った。
今年はそれを多少は勉強できるといいな。

250:考える名無しさん
22/01/28 13:22:16.33 0.net
4/((1+1/(3+(1+3)/(5+(1+3+5)/(7+(1+3+5+7)/(9+(1+3+5+7+9)/(11+(1+3+5+7+9+11)/(13+...))))))))≒4/(4/π)=π

251:考える名無しさん
22/01/28 13:44:06.86 0.net
だれか幾何学的に分かるように図示して説明してください。

252:考える名無しさん
22/01/28 13:59:15.49 0.net
なんかむずかしいな

253:考える名無しさん
22/01/28 15:37:53.67 0.net
>>250
単純に数値の関係から見れば、この式の分母は、円周長を4とする
円の直径を、算出された円周率の近似値の精度まで無限に近似する
ことになるわけだけど、どのような考え方からこの式が導き出された
のか、それを知りたいわけです。

254:考える名無しさん
22/01/28 15:56:11.18 0.net
1+1/(3+(1+3)/(5+(1+3+5)/(7+(1+3+5+7)/(9+(1+3+5+7+9)/(11+(1+3+5+7+9+11)/(13+...))))))≒4/π
となり、単に順に数えられた奇数の足し算と割り算の再帰によって4とπの比に近づいていく
ことが面白く感じられます。

255:考える名無しさん
22/01/28 16:08:35.81 0.net
4/(4/π)=π
は、打ち間違いだよな?

256:考える名無しさん
22/01/28 16:11:57.50 0.net
なぜ?

257:考える名無しさん
22/01/28 16:15:58.44 0.net
別に4と4/πでなく、yとy/xでも、y/(y/x)=xだと思いますが。
ただし、最初に書き込んだ式は誤記で余計な()が入っています。

258:考える名無しさん
22/01/28 16:16:07.63 0.net
あれ、俺分数が分母に来る時の計算の仕方を間違えたのかな・・
何かよくわからなくなってきた。

259:考える名無しさん
22/01/28 16:17:19.69 0.net
ああやっぱり()が余計に入ってたのか。すっきりした。

260:考える名無しさん
22/01/28 18:23:21.77 0.net
なにか誤解しているようだけど、誤記で()が余計に入っているというのは、
>>250の"4/(())"のことだよ。4/(4/π)=πは別に打ち間違いではない。
4/xの分母の連分数計算が4/πに相当することを明確に示すために
カッコに入れている。

261:考える名無しさん
22/01/28 18:34:25.22 0.net
誤解が解けました。ありがとう。

262:考える名無しさん
22/01/28 18:39:22.10 0.net
ππくんは連分数の専門家だから、舐めちゃいけないよw

263:考える名無しさん
22/01/28 18:43:14.86 0.net
ていうか、パイは5chでそんな風に表示されるのを初めて知ったわ

264:考える名無しさん
22/01/28 21:17:30.38 0.net
連分数的なアプローチ法
nとmが互いに素で、nが5で割り切れない奇数ならば、
m/nは小数点以下一桁目から循環周期に入り、その周期の長さは
分子mの数によらず一定である。
例 : n = 7, m = 3 の場合
m/n は 3/7 = 0.4285714285714285714285714285714285714285714285714285714285714285
となって、小数点以下の428571の箇所が循環していることが分かる
例2 : n =11 , m = 6 の場合
m/n は 6/11 = 0.5454545454545454545454545454545454545454545454545454545454545454
となって、小数点以下の54が無限に繰り返されることが分かる
例3 : n =29 , m = 13
m/n は 13/29 = 0.4482758620689655172413793103 4482758620689655172413793103 44827586
となって、4482758620689655172413793103 の箇所が循環して出現すると思われる

こうした規則性を持つ分数は、数の構造として案外奥が深そうだ

265:考える名無しさん
22/01/28 21:37:50.34 0.net
循環小数懐かしいな。

266:考える名無しさん
22/01/28 23:25:55.13 0.net
>>250-254
数学的な手続きとしては、まだよく分からないんだけど、計算の数字の並び
から見たら、タイルを並べたときの正方形と円の面積の対比から円周率を
求めているような気もする。というのも、この連分数計算で算出される
4/πは、半径1の円の面積π*1^2=πとその円周に接する正方形2×2=4の
比にもなっているからだ。それに連分数計算の分母の
...+1/3、...+(1+3)/5、...+(1+3+5)/7という並びは、
...+1^1/3、...+2^2/5、...+3^3/7でもあることから分かるとおり、
ちょうど、まず、タイルを1枚置いて、その外側を3枚のタイルで覆い、
次に、その正方形になった1+3枚、つまり、2^2枚のタイルの外側を
5枚のタイルで覆い、次に、その正方形になった1+3+5枚、つまり、
3^3枚のタイルの外側を7枚のタイルで覆うのと同じ順序になっており、
その増える面積を覆う側のタイルの数で割って、タイル数が増えるに
つれて増える面積の割合を算出し、その割合を計算の分母に加えて
いるように見えるからだ。すると、最初の1+1/3=4/3の分母の3
に次々に補足が行われて、3+...でπに近づくように計算されている
ことになるように思える。いずれにしても、この計算の式は、何らかの
そのような具体的なイメージに沿って構築されているはずだろう。

267:考える名無しさん
22/01/28 23:31:09.67 0.net
肝心なところで大きな誤記が入ってしまった。
誤:...+1^1/3、...+2^2/5、...+3^3/7
正:...+(1^2)/3、...+(2^2)/5、...+(3^2)/7

268:考える名無しさん
22/01/28 23:32:52.75 0.net
数式によって図形のアルゴリズム?が示されているというわけですね。
大昔は数式と図形を表す道具も整っていなかっただろうから、
日常生活の中で生まれたようなものなのかもしれませんね。

269:考える名無しさん
22/01/28 23:33:46.76 0.net
誤:3^3枚のタイルの外側を7枚のタイルで
正:3^2枚のタイルの外側を7枚のタイルで

270:考える名無しさん
22/01/29 08:42:21.46 0.net
ああそうか、最初、"^"じゃなくて、"*"で、つまり、もっと分かりやすく
単純に辺としてのタイルの数の掛け算として面積を表示するように
"1*1"、"2*2"、"3*3"と書こうと思っていたから書き間違えたんだ。

271:考える名無しさん
22/01/29 16:44:35.48 0.net
>>266
何らかの数を数える具体的なイメージに沿って連分数の計算式が構築されている
のは間違いないだろうけど、どうも私が思いついたイメージとは違うようだね。
ずぶの素人がリバース・エンジニアリングをやろうとしているのと同じだから、
うまく勘が働かない。

272:考える名無しさん
22/01/29 17:06:03.85 0.net
数式が残されているのだから、それを導き出したプロセスを記録した試行錯誤
の草稿などの資料も存在するはずで、そういうものが長い年月を経ても未だに
十分にオープンにはされていないということだろう。

273:考える名無しさん
22/01/30 00:46:37.79 0.net
>>253
円周率の連分数展開でググってみたけど
arctanがガウスの超幾何関数の比で表せることと
ガウスの超幾何関数の比がそういう連分数展開で表せることから
その公式が証明できるらしい
幾何学的な意味は知らない
URLリンク(www.juen.ac.jp)
この4章から(連分数の近似とか連分数同士の等式とかの準備は3章)

274:考える名無しさん
22/01/30 01:11:15.03 0.net
円周率の連分数計算の方は、
ウィリアム・ブラウンカー 1620年頃 - 1684年4月5日で、
ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウス 1777年4月30日 - 1855年2月23日
は、時代的にその150年も後に生まれた人だから、証明の方法がどうであれ、
もともとの計算の発想はぜんぜん別なのだろうと思う。
そういえば、三角関数で以前に何か確かめてみたことがあるような気も
するけど、もともと数学とはほとんどまったく縁がなく、普段も使わない
から、すっかり忘れてしまったな。で、そういうことで頭を使うように
なると、やっぱり、他のことを考える余地がなくなるんだよね。

275:考える名無しさん
22/01/30 01:44:35.50 0.net
ああそうか。計算の方法としては数年前に確認してたんだな。
でも、関心があるのが、数学の技法そのものではなくて、
それを言葉にして表現することだから、すっかり忘れてしまっていた。
で、同じ考え方の間違いを繰り返してしまう。この場合、哲学として
基礎になるのは、微分積分と連分数計算の関係をしっかりと言葉で
とらえて表現することなのだろう。
>574考える名無しさん2019/11/18(月) 08:19:26.530>>588
[...]
哲学として求めているのはやはり、こういう技法についても
日常言語における表現とつながるようにしようとすることなのです。
URLリンク(en.wikipedia.org)
The series 2F1
arctan z
>575考える名無しさん2019/11/18(月) 08:26:21.130
そのようなつながりを考えるという意味では、こちらが役立ちそうですね。
URLリンク(univ-study.net)

276:考える名無しさん
22/01/30 01:48:33.12 0.net
関心があるのが哲学の方だから、いくら円周率の計算方法を数学の技法として
覚えても、それをうまく言葉にできなければ、無意味なんだよね。

277:考える名無しさん
22/01/30 01:55:24.79 0.net
それにしても、微分積分を数学の手法として確立したことで
知られるニュートン、ライプニッツの方が世代的には一世代後だ。
ウィリアム・ブラウンカー 1620年頃 - 1684年4月5日
アイザック・ニュートン 1642年12月25日 - 1727年3月20日
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ 1646年7月1日 - 1716年11月14日

278:考える名無しさん
22/01/30 10:34:49.30 0.net
なぜ何年か前に考えた数学の技法についての問題を今さらに思い出したか
というと、この問題が、つい最近読んだフェルスター、『哲学の25年』の
p.507に図示される数概念もしくは単位概念についてヘーゲル的な捉え方の
説明と直接に対応しているはずだと感じられたからである。そして、その
対応関係は、ヘーゲルの哲学における「数の概念」の理解という限定された
ことではなく、より広く哲学全般にわたる重要性をもっていると思われる
からだ。

279:考える名無しさん
22/01/30 10:47:00.01 0.net
フェルスター、『哲学の25年』のp.507で数概念もしくは単位概念の
ヘーゲル的な捉え方として図示しているのは、数を無限に数えるとは、
単に既定の単位を際限なく積み重ねるようにすることではなく、
与えられた大きさを、数nを数えるのに応じて無限に1/nに等分して
いくことである。
フェルスターが示しているのは、与えられた大きさを、そのように
等分しようとすることによって生じる相互的な規制の関係がどのように
ヘーゲルの考え方に対応しているかまでであって、それを円周率の算出
などの、より数学的に込み入った問題に関係付けているわけではない。
それでも、そのように、「既定の単位を積み重ねるように数」えるのでは
なく、無限に数えることに応じて、与えられた大きさを当分するのに
暫定的に「単位として用いられる数値の方が調整される」ことが、
連分数による円周率の算出方法にそのまま対応するだろうことが、数学
に関しては、まったく素養のない私にも直ちに感じられる。

280:考える名無しさん
22/01/30 11:17:29.75 0.net
与えられた大きさを、その都度、数えられる数で等分しようとすることは、
その数を暫定的な単位として用いるということであり、それによってその
大きさが、等分されるとういことは、その用いられる数が周期とされる
ということだろう。円周率の連分数による算出は、順に数えられる数が
増えるにつれて、円周率として求められる近似値の精度が高まる。
円周率の値を求めることも、順に無限に数を数えるのに応じて、与えられた
大きさを等分しようとし、それで数えてぴったりと合う、つまり、周期
となるように単位の大きさの方を調整しよとすることを、無限にその
精度を高めるように追求することではないのか。すると、円周率の
近似値の精度を高めることは、すなわち、順に数を数えることにおいて既に
現れている数の倍数ではない数、つまり、新たに現れる素数をその都度、
周期として新たに組み込むことと同義となるのではないか。
数学の素養がなく、数学記号をうまく用いることのできない私が、
言語表現で連分数計算による円周率の近似値の算出がどのような行為であるのか
を記述しようとするなら、暫定的に、そのように表現されるように
思われる。

281:考える名無しさん
22/01/30 11:20:51.46 0.net
>>280
誤:大きさの方を調整しよとすることを、
正:大きさの方を調整しようとして、

282:考える名無しさん
22/01/30 11:27:46.20 0.net
数学記号を用いた操作による記述が念頭にあると、それが日常言語の用法
に干渉して、うまく言語表現ができなくなり、言語表現で考えていると
数学記号を用いた操作に余計な干渉が生じて、混乱するので、私自身は
数学をやらないが、数学者が日常言語による干渉を嫌い、微妙な感覚を
言語表現しようとする人々が、数学表現によってあらかじめ単純化された
規定を嫌うのは、自然なことであると感じられる。それでも、哲学として
重要なのは、うまく対応する言語表現を見出すことである。

283:考える名無しさん
22/01/30 11:40:38.62 0.net
>>279
誤:大きさを当分するのに
正:大きさを等分するのに

284:考える名無しさん
22/01/30 12:54:47.23 0.net
「同じ大きさの互いに異なる等分」同士の相互調整を無限に繰り返すことによって近似されて現れる単位

285:考える名無しさん
22/01/30 13:48:31.74 0.net
日常的な言語表現を隠喩として用いるなら、「間尺に合わない」、
「割に合わない」と感じられることによって「尺度」の相互調整が必要とされ、
すべて「丸く収まる」ようにすることが円周率の近似値を求めることに
対応するだろう。

286:考える名無しさん
22/01/30 14:13:51.23 0.net
これまでに何があろうと、現状ですべてが自らの身体性において
「間尺に合っている」、「割に合っている」とするのが、ニーチェの永劫回帰
であるとすれば、自らにとってだけでなく、汎世界的にあらゆる事物が現状で
そのように実現されているとするのが、ライプニッツの最善世界説であり、
世界の歴史に理性の働きが貫徹することによりそのような状況が完成する
とするのがヘーゲルやマルクスの理性主義であり、現状で「間尺に合わない」、
「割に合わない」と感じているのは、分不相応な欲望に囚われている自分の
せいであり、無限の神に対して自らの「間尺」が「無」であることを認識して、
自戒すべきであるとするのが禁欲主義的なニヒリズムであると見ることも
できるのではないか。

287:考える名無しさん
22/01/30 14:38:12.24 0.net
ハイデガー的に表現するなら、「間尺に合わない」、「割に合わない」と
感じられることは、»unzuhanden sein«であることを示していることに
なるだろう。したがって、逆に言えば、単位として物事を測るのに用いられる
円周率の近似値は、»zuhanden sein«/「手頃にある」在り方をしているはず
であり、それによって測られる事物は、不都合が生じない限り、
»vorhanden sein«/「目の前にある」在り方をしていると言うことができる
だろう。しかし、「間尺に合わない」、「割に合わない」と感じられる
ような不都合が生じると、その関係は崩れ、何かが»unzuhanden sein«/
「違和感がある」ようになったことが示されるわけだが、それの「違和感」
がどのように生じるのかは、自明ではない。世界が依然として
»vorhanden sein«/「目の前にある」在り方をしているように見えるのに
»unzuhanden sein«/「違和感がある」ようになったとすれば、自らが
世界にとって「異物」となったと感じられ、自分は何も変わらないのに
何もかもが不都合になれば、世界の在り方の方がいつの間にかすっかり
変わってしまった、異世界になってしまったと感じられるだろう。

288:考える名無しさん
22/01/30 14:41:15.91 0.net
しかし、古典を読めば、そのような感覚を体験することは、なんら特殊な
ことではなく、人の世の常であることが分かる。それが一般に「無常」と
呼ばれる感覚だろう。

289:考える名無しさん
22/01/30 14:43:52.50 0.net
「無常」はいくら「人の世の常」として恒常的に繰り返されても、
その都度、身に沁みるような「はかなさ」を感じさせるものなのだろう。

290:考える名無しさん
22/01/30 14:51:09.02 0.net
誤:それの「違和感」
正:その「違和感」

291:考える名無しさん
22/01/30 23:53:40.32 0.net
円周率πの近似値を求めるとは、結局のところ、順次に数を数えるのに応じて
直径を等分する数を増大させながら、直径をより小さく細分する単位によって
円周長を測る、つまり、その単位数がいくつになるかを数えることだろう。
その際、既に数えた数の倍数で直径を細分する単位では、近似の精度は
高まらない。例えば、直径を1で分割すると、直径を細分する単位は
直径の1/1=1であり、1を単位として円周長を数えると3であり、
連分数計算ではπ≒3/1=3として計算されるわけだが、その1を1/10
に細分して、それを単位として円周長を数えたところで、30となる
だけで、円周率の近似の精度は高まらない。したがって、連分数計算
によってであれ、他の計算方法によってであれ、円周率のより高い精度
の近似値を求めることは、数を数えるのに応じて、次々により大きい
素数を周期として組み込み、それによって直径を等分する1/nを単位として
円周長の単位数を数えることになるだろう。具体的には、連分数において
5まで数えて計算すると、直径は1/205に分割され、これを大きさの単位
として円周長の単位数を数えると644となり、円周率の近似値は、
π≒644/205≒3.14146341463となるが、素数として見ると
π≒644/205=((2^2)*7*23)/(5*41)である。同様にして連分数に
おいて15まで数えると、直径は1/990466892415に分割され、これ
を大きさの単位として円周長の単位数を数えると3111643512832となり、
π≒3111643512832/990466892415=
((2^19)*17*23*43*353)/((3^2)*5*7*11*13*21988387)≒3.14159265359
と計算される。

292:考える名無しさん
22/01/31 00:07:36.93 0.net
このプロセスに終わりはなく、直径を等分する数により大きな素数が組み込まれる
のにしたがって、無限にπのより高い精度が近似により求められることになり、
その近似値としての数値は、nがどれほど大きくなろうと、直径を1/nに等分
する大きさを単位として円周長の単位数を数えたものに対応するのだから、
πの数値を、極限として大きさのない点に収束するというようなものとして
イメージすることは誤っている。したがって、円周上の任意の位置も、
大きさのない点にではなく、πの近似の精度に応じた(1/n)*πの大きさに対応
していることになるだろう。

293:考える名無しさん
22/01/31 00:11:15.61 0.net
さすがππくんは連分数のエキスパートだね。区分求積法的なアプローチだね

294:考える名無しさん
22/01/31 00:13:45.75 0.net
誤:πの近似の精度に応じた(1/n)*πの大きさに対応していることになるだろう。
正:πの近似の精度に応じた大きさに対応していることになるだろう。
数式を書いているとすぐに頭が混乱して、誤りが混入してしまい、
かえって分かりにくくなるので、計算は省く。

295:考える名無しさん
22/01/31 00:23:19.21 0.net
πやeは超越数だから、ある一点への収束ではなく、発散のイメージに近い。永遠であり、延々と後続する数が連なるということ。すなわち、インフレーションし続ける宇宙と同じ

296:考える名無しさん
22/01/31 00:27:01.63 0.net
実は計算はとても苦手だ。というか、計算に集中するような神経の
使い方が性に合わない。

297:考える名無しさん
22/01/31 00:36:10.36 0.net
∫[0→∞] ((e^0)/((e^0)-((-e^0)^((e^0)/((e^0)+(e^0))))n)+(e^0)/((e^0)+((-e^0)^((e^0)/((e^0)+(e^0))))n)) dn=π

298:考える名無しさん
22/01/31 00:42:55.75 0.net
書いている当時は、どういう計算をしているのか意識していたのだろうけど、
今見ると、何をどう考えていてこれを書いたのかまったく思い出せない。
というか、哲学の問題について考えるのとは違って、思い出しても
私にとって何の利益にもならないだろう。

299:考える名無しさん
22/01/31 01:18:49.96 0.net
数学は厳密なのに対して、人間社会は雑そのもの。ベイズ統計出来ても日本だとデータ改ざんだらけなので、絶望と不信しか生まない

300:考える名無しさん
22/01/31 01:31:04.32 0.net
だからそうした雑な忖度人間の代わりに、忖度不可能なAIに政治なり経済社会、教育を運営させたら、案外、いいのかもしれない。
日本の裁判所は加害者には寛大で再犯率も高いから、司法も一度AIで運用させてみたらどうだい。アメリカでは黒人差別になって失敗したようだが、日本は後発なのでその失敗を参考にして試験運用すればよかろう
教師が人工知能になれば、日本にやたら多い盗撮する変態ロリコン教師も消えるだろうし

301:考える名無しさん
22/01/31 07:47:59.97 0.net
数学の抱えている哲学的な問題は、数学で用いられる技法が哲学に
基礎づけられていないとか、数学の技法によって導き出される等しさの
証明に誤りがあるといったようなことでは全くない。数学に対して
哲学的な不信感が表明されるとき、数学者は、哲学的に投げかけられる
疑問に対して、哲学によってあたかもそのようなことが根拠なく
不当に主張されているかのように言葉巧みに偽の疑問にすり替えを
行って批判をかわしてきた。しかし、本当の問題は、数学者が
数学の技法を言葉によって説明し、言葉によって説明するとき、
例えば、単に「πなどの超越数が存在する」という極めて簡単な
言明でさえ、数学において実際に用いられている技法に忠実に
対応しておらず、言語表現のレトリックとして哲学的に明白に誤り
であることにある。そのことにより、日常言語によって数学の技法
を理解しようとする場合に著しい困難と矛盾が生じるのである。

302:考える名無しさん
22/01/31 07:50:47.15 0.net
誤:言葉によって説明し、言葉によって説明するとき
正:言葉によって定義し、言葉によって説明するとき

303:考える名無しさん
22/01/31 08:03:23.32 0.net
数学において極限値が厳密に求められる場合でも、何らかの値として
表現される極限値は点としては存在しない。なぜなら、点は、大きさがない
ものとして定義されるのに対して、値はつねに単位だからである。
計算が極限値に収束して完全に等しさが証明されることは、大きさのない点
の存在を示すものではなく、数値における1対1対応を示すものである。

304:学術@死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医師悪魔召喚居士
22/01/31 09:11:18.46 0.net
数学は中学でもできるぞ。理系じゃないのかスレッドは。
生理学でもよければ、地学天文学でもいいのに。

305:学術@死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医師悪魔召喚居士
22/01/31 09:11:57.40 0.net
天文科学館もあるよ。プラネタリウム。

306:学術@死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医師悪魔召喚居士
22/01/31 09:12:39.98 0.net
例えば鬱のときは動けないから囲碁を打つ。とか。人事な。

307:考える名無しさん
22/02/01 11:08:17.69 0.net
内容の「B量と測定」の(1)のウ及び「C図形」の(1)のエについては、
円周率としては3.14を用いるが、目的に応じて3を用いて処理できるよう
配慮する必要がある。
— 平成元年公示学習指導要領
かつて、この指導要綱によって学校の授業では円周率を、π≒3.14ではなく、
π≒3と教えるように教育が制約されることになったと話題なったことがある。
しかし、哲学的に見れば、円周率は約3.14であると教えることが正しく、
円周率は約3であると教えることは誤りであるなどということはなく、
それどころか、「円周率は3.14159265359...として、小数点以下の値
が無限につづく数値として存在する」などと教えたとすれば、そちらの
表現の方が決定的に誤っていることになる。円周率は、あくまでも数
を数えるのに用いられる単位と、それによって測定される円周の長さ
の比として現れる比率であり、その具体例として円の直径を1単位と
数えるなら、すなわち、直径を1と数え、1/10^0の単位に分割する
(つまり、まったく分割しないように)なら、その単位によって
測られる円周長は、約3として近似され、直径を100に等分して、
1/10^2の単位で数えるなら、円周長は約3.14として近似され、
同様に10000000000等分して、1/10^10の単位で数えるなら、
円周長は、約3.1415926535として近似され、以下同様である。
円周率の理解に関して重要なのは、数えるのに用いられる単位
とその単位を用いることによって近似される円周長の関係、
すなわち、1とπの関係を把握することであって、円周率の小数点以下
の数値を何桁まで暗記できるかということなどではない。

308:考える名無しさん
22/02/01 11:43:39.93 0.net
円周率の近似は、数を数える単位の方を、より大きな数まで順に数えること
に応じて、同じ大きさを等分する単位として見なして調整すること
によって実現されるわけだが、計算において円周率の近似の数値の方が変化
しつづけるのに対して、測るのに用いられる単位は、そちらの方が
調整されているにもかかわらず、1として揃えられて表示されたままとなる
ため、πと1は、そのいずれもが数値として常に既に「目の前にある」/
»vorhanden sein«かのような奇妙な錯覚を生じることになる。
しかし、その近似においては、円周長の方が与えられてそこにあるもの
とされるのだから、「目の前にある」/»vorhanden sein«ように扱われ、
「近似の精度を高める」/"approximate"ように調整されている単位として
の1の方が、円周率が「都合の良い」/»zuhanden sein«精度まで求められる
ように自らを「適合」/《adéquation》させつづけているのだから、
測るのに用いられる単位の方が、「手頃となる」/»zuhanden sein«
ように使われていることになる。

309:みづから(身づ柄/自ら)ををさ(治/収)むたまご(卵)
22/02/01 11:53:03.17 0.net
ところで、卵(たま・ご)はなぜ丸いのか。
角が立つとぶつかって割れてしまうので、自らが丸く「をさ(収)まる」ようにして
いるとも言えるし、「みづから(身づ柄/自ら)」に使うことの許された空間の
容積をできるかぎり有効に使い切るように丸々と「みづから(身づ柄/自ら)を
「をさ(治/収)め」ているとも言えるのではないか。

310:考える名無しさん
22/02/01 12:25:02.52 0.net
「環境」/《environnement》に対する自らの「適合」/《adéquation》の
プロセスは、数学における、単位の調整による円周率の近似に喩える
こともできるだろう。ただし、単位に用いられる1と円周率πが表裏の
関係にあり、円周長を用いて与えらえれた大きさを測ろうとするなら、
その与えられた大きさの方が無限に近似されるべきものとして現れる
ように、「環境」/《environnement》と、通常、生物の個体という
単位として、「環境」/《environnement》に一方的に「適合」/
《adéquation》するプロセスにあるかのように思える「みづから
(身づ柄/自ら)」も、むしろ、「適合」/《adéquation》のプロセスを
介して、「環境」/《environnement》と表裏の関係にあると見る方が
適切だろう。
つまり、「みづから(身づ柄/自ら)」は、単純に「環境」/《environnement》
に取り巻かれて、それに適合するように振る舞うように迫られる存在で
あるわけではなく、その「適合」/《adéquation》のプロセスそのもの
によって変化しながら主体として生成されつづけるものであり、そのように
変化しつづける「みづから(身づ柄/自ら)」にとって、自らを取り巻く
「環境」/《environnement》も、それまでと同様に「目の前にある」/
"vorhanden sein"ように現れることはない。

311:考える名無しさん
22/02/01 12:31:22.24 0.net
誤:"vorhanden sein"
正:»vorhanden sein«
日本語と英語とドイツ語とフランス語の間で混乱が生じないように
可能な限り、それぞれの言語に使う括弧を分けるようにしているんだけど、
書き込むときにドイツ語の» «は、変換候補に含まれず、コピペしなければ
ならないから、どうしても面倒で混乱しがちになる。

312:考える名無しさん
22/02/02 03:05:38.69 0.net
Limit[(1 + (1/x))^x ] as x -> ∞
= e
Limit[(1 + x)^1/x ] as x -> 0
= e 
Limit[log(1 + x)/x ] as x -> 0
= 1 
Limit[((e^x)-1)/x ] as x -> 0
= 1 
URLリンク(ja.wolframalpha.com)

313:考える名無しさん
22/02/02 03:42:36.12 0.net
exp(1)=2.7182818284590452353602874713526624977572470936999595749669676277240766303535475945713821785251664274274663919320030599218174135...

314:考える名無しさん
22/02/02 08:11:10.60 0.net
いのち(命)はまずなによりも、めぐ(巡)りあ(合)はせにおける
ゐ(居)ごこち(心地)のよ(良)さとしてある。

315:考える名無しさん
22/02/02 08:39:49.54 0.net
自然のめぐ(恵)みは、つねにすでにめぐ(巡)り(合)はせにおいて
みづから(身づ柄/自ら)があた(能/与)ふ/あたひ(値/価)する
こた(応)へ(こた(応)への「を」、すなわち、呼びかけの「を」に
呼応してそれを満足させるう(請)けあ(合)ひ)としてま(先)ずある
というあらは(現)れ方をする。

316:考える名無しさん
22/02/02 08:51:56.56 0.net
主体は、そのつねにすでにめぐ(巡)り(合)はせにおいてみづから
(身づ柄/自ら)があた(能/与)ふ/あたひ(値/価)するこた(応)へに
よ(依)り、みづから(身づ柄/自ら)をあるじ(主)することによって
絶えず変化しながら生成される。そのプロセスが「適合」/《adéquation》
であり、主体を取り巻くものとされる「環境」/《environnement》も、
そのようにして生成される主体と表裏の関係にある。

317:考える名無しさん
22/02/02 08:59:38.09 0.net
「呼びかけの『を』に呼応してそれを満足させるう(請)けあ(合)ひ」とは、
より具体的には、て(手)ごた(応)へ、み(見)ごた(応)へ、く(食)ひごた(応)へ、
き(聴)きごた(応)へなどである。

318:考える名無しさん
22/02/02 10:42:13.83 0.net
「こた(応)への『を』、すなわち、呼びかけの『を』に呼応して
それを満足させるう(請)けあ(合)ひ」は、声としては呼びかけの
「を」と同じものであるにも関わらず、「を」−「を」の呼応
関係において明確に呼びかける者とそれに応へる者の非対称性を
表現することになる。この「を」は、呼びかけにおいても、
応へにおいても、現状における欠如/"void"を指し示し、英語で
言えば、"why not?"、ポルトガル語で言えば、"pois não"に
対応し、ポルトガル語のTVドラマをしばらく見ていると、
何かを要請されて、それに応へる"pois não"は、発音としては
まったく違うにもかかわらず、その用法から、そのまま日本語の
古語の応への「を」に対応しているものと実感されてくる。
発音としては同じ「を」が明確に非対称的な関係性を表すこと
からも分かるとおり、日本語における「を」は、極めて
巧みに用いられ、様々な関係性を表現するように多用され、
それらの用法を関係性を数学やプログラミング言語によって
表現することは、人々に数学表記やプログラミング言語だけ
によって日常会話をするような能力が備わっているのでない
限り、不可能だろう。例えば、「梅ををき」という表現には、
「梅」という名詞とそれを対象として指し示す「を」と、
「を・く」という、最初の「を」と語源的には同一の
呼びかけの声である「を」を活用した動詞しか現れない。
にもかかわらず、それによって伝へられる関係性をプログラミング
言語で表現しようとしたなら、とてつもない困難が伴うことに
なるだろう。そのことは容易に示すことができる
(ただし、今は時間がないので、続きは余裕のあるときにまた
書き込むことにする)。

319:考える名無しさん
22/02/02 10:48:45.16 0.net
参考資料として私自身の書込みの引用をコピペしておく
41考える名無しさん2022/02/01(火) 14:29:29.210
日常言語の表現は、哲学的な言説がいくら名詞的な概念を捏ね繰り回しても
なかなかうまく捉えることができない関係性をいとも容易に捉えて
表現する。例えば、次のフランスのコメディ・ドラマでは、
URLリンク(www.youtube.com)
Fais pas ci, fais pas ça - Saison 9 Episode 6 - Intégrale #FPCFPC
32:20の買い物の場面で、Madame Lepicが店で野菜を売る男性から
《Madame, Vous désirez?(何にいたしましょうか?)》と尋ねられて、
本当に自分の《désire》を表現してしまう様子が描かれている。
このフランス語の《Vous désirez?》に相当する「『さそ(誘)ひの
呼びかけを生じる』作用をする」というのが、枕草子で頻繁に用いられる
「をかし」という表現の意味合いであり、「をかし」の「を」が
呼びかけの声であるとともに、《désire》/《vouloir》に相当する。
そのような「さそ(誘)ひの呼びかけの作用」に応じたいという欲望
の感覚が「ゆかし」と表現され、これが、いわゆる「エロスとしての
愛」に相当するものである。

320:考える名無しさん
22/02/02 10:54:37.64 0.net
>>319
この《Vous désirez?》には、「いらっしゃいませ」という日本語訳も当てられる。

321:考える名無しさん
22/02/02 11:03:06.66 0.net
>>318
誤:それらの用法を関係性を
正:それらの用法によって示される関係性を

322:考える名無しさん
22/02/02 15:39:32.04 0.net
>「を」−「を」の呼応関係において明確に呼びかける者とそれに
応へる者の非対称性を表現することになる。<
なぜ、どのように非対称的な関係性を生じるのかについては、
「御意」、「御用達」などの表現を呼応関係から考えてみると
分かりやすいだろう。

323:考える名無しさん
22/02/02 15:57:43.75 0.net
数学をやるのならレトリックに逃げないこと
ポエマーでお茶を濁さないこと
水と油をごちゃ混ぜにしないこと
レトリックは誰でも扱える、占いと同じ

324:考える名無しさん
22/02/02 16:02:23.21 0.net
数学は規則の体系だから、いわばマシーンと同じものだ
正常に組んであればマシーンが目的通りに動くように、
正常に扱えば数学も解へ向かって規則的に動き出す

325:考える名無しさん
22/02/02 16:30:07.32 0.net
数学が物理などの理科と違っていいところは、
試行錯誤で失敗しても許される範囲がかなり大きいことだろうな。

326:考える名無しさん
22/02/02 16:31:03.54 0.net
神田沙也加はなぜ死んだのかという問いに、術者がアカシックレコードを調べて
それに答えるとする。彼は、これこれの理由で彼女は自殺し、また、死後の世界で
どのように過ごしているかについて答える。
つまり、この術者の行為はポエマー的な営為同じことだ。術者の想像力次第で、
どんな答えでも導き出される。それとは違って、数学はそこに証明が要請されるので、ポエマーや占い師のような恣意的自由はない。アナロジーで良いのなら、
そこに無限の置換ができるわけで、それは一つの表現ではあっても、一つの科学的な解ではない
すなわち、ポエマーは恣意的カタルシスを楽しんでいるに過ぎない

327:考える名無しさん
22/02/02 16:34:42.35 0.net
機械が生活の役に立つように使われるべきであり、
生活が機械の役に立つように機械化されるべきではない。

328:考える名無しさん
22/02/02 16:37:09.08 0.net
>レトリックは誰でも扱える、占いと同じ
では、「梅ををく」とは、レトリックとしてどのような表現なのか
きちんと分かるように説明してごらん。

329:考える名無しさん
22/02/02 17:07:32.87 0.net
自分で説明することができないなら、自分が妥当であると判断する
専門家の解釈を引用するコピペ(ただし、ソースを明示すること)
でも別に構わないよ?
その解釈がなぜ妥当でないのか、または不十分なのか説明して
あげますよ。

330:考える名無しさん
22/02/02 17:51:12.71 0.net
「令和」という元号に関連しているらしいから、いくらでもソースが
ころがっているでしょう。

331:考える名無しさん
22/02/02 18:30:51.43 0.net
数学の問題を解くのと何らかのテーマに沿って文章を書くのとの決定的な違いは、
数学は出だしでつまずけば後も全部失敗するのに対し、
文章を書くのは出だしがいまいちでも後で挽回できることもごくたまにあるし、
最初は良くても後でおかしくなるということもあるという点にあるだろうな。

332:考える名無しさん
22/02/02 18:41:11.41 0.net
個人的には、書物を読むのも数学の問題を解くのと一緒で、
前書きや序論をかなりしっかり読んで上でないと本文の読解は困難を極め、
わからない単語がたくさん出てきすぎると詰まるようになり、
慎重にやらざるを得なくなると思う。

333:考える名無しさん
22/02/02 18:49:06.43 0.net
速く読んで即解するのが理想だけど、
初めから丁寧に読んだ方が後の方で言っていることの推測ができるから、
多読とかあんまり頑張りすぎない方がいいのかもな。

334:考える名無しさん
22/02/02 22:53:26.13 0.net
検索すればいくらでも専門家による現代語訳と説明が示されていて、
自分でどの解釈が妥当か判断できるはずなのに、それすらできないようですね。
待っていても時間の無駄なので、説明しましょう。
「梅ををき」という表現の出典は、以下の万葉集の歌
URLリンク(manyoshu-japan.com)
>武都紀多知 波流能吉多良婆 可久斯許曽 烏梅乎乎<岐>都々 多努之岐乎倍米
正月立ち春の来らばかくしこそ梅を招きつつ楽しき終へめ
むつきたち はるのきたらば かくしこそ うめををきつつ たのしきをへめ<
この歌の終わりの「乎倍米(をへめ)」は、ここでは「終へめ」と
現代語訳されているものの、実際に「終へめ」と読むのが正しいのかどうか
を含めて、どう解釈するのが妥当であるのかははっきりしていない。
しかし、「梅を招(を)き」という表現には、普通に考えても不明瞭な点
はないのです。にもかかわらず、検索する限り、この表現に適切に
十分な解釈が与えられている例を、少なくとも私は見たことがない。
それは、ここに引用したサイトの現代語訳の場合も同様で、この歌には
>正月になり、春がやってきた。こうして梅花を愛でつつ
楽しいひとときの限りを尽くそうぞ。<
という現代語訳が与えられている。ここで「梅を招(を)き」に
当てられている「梅花を愛で」という訳は、解釈の「ごまかし」以外の
何ものでもない。

335:考える名無しさん
22/02/02 23:04:57.87 0.net
梅や和歌のスレじゃねえーんだよ

336:考える名無しさん
22/02/02 23:14:27.55 0.net
他に検索してヒットする現代語訳として、「梅を迎(むか)えて」や
「梅を招(まね)きながら」などがあるが、「迎(むか)え」という表現は、
意味的に「を(招)き」に対応しておらず、「招(まね)き」は、歴史的にも
「をき」の「を」に「招」が当てられてきたのだから、誤りとまでは
言えないでしょう。しかし、「を(招)き」の「を」は明らかに呼び声
であるのに対して、「招(まね)き」は、「招(まね)き猫」に代表され、
漢字の構成が「手+召」であることにも見てとれるとおり、「『手』で
招(まね)く動作をする」(猫の場合は前足ですが)ことを表現している。
「梅(の花)を手招(まね)きする」というのはイメージとしてよく分から
ないし、より広く「客人を招く」ように「梅(の花)を招く」と理解しても、
梅の木は最初からそこに植わっているものだろうから、梅が客人の
ように別の場所から移動してくるわけではなく、現代語の訳として
文法的な誤りではないにしても、よく分からない。例えば、
春に桜見をするのに「桜を招く」と表現して、通用するかどうかを
考えてみるといい。

337:考える名無しさん
22/02/02 23:20:31.79 0.net
年号の「令和」の発案者とされる中西進による現代語訳は以下のとおり。
>古今異るはずとてなく、よろしく庭の梅をよんで、いささかの歌を作ろうではないか。
「梅をよ(呼)んで」という解釈は、「梅を『を』き」の「を」が呼び声であること
は確かなのだから、直訳としてはそのままであるとは言える。しかしそれでも、
この訳では「梅をよ(呼)ぶ」というのがどのような行為であるのか不明でしょう。

338:考える名無しさん
22/02/02 23:45:35.03 0.net
岩波古語辞典で「を(招)き」を引くと、
>神や尊重するものなどをまねき寄せる。
と記載されている。またしても「まねく」という表現が使われていて、
表現によって想起されるイメージのズレが生じてしまうわけだが、
「を(招)き」に関連して同辞典で「をかし」の説明を参照すると、
>動詞ヲキ(招)の形容詞形。好意をもって招き寄せたい気がするの意。
ヲキ(招)・ヲカシの関係は、ユキ(行)・ユカシ、ヨリ(寄)・ヨラシ(宜、
ヨロシとも)、ナゲキ(歎)・ナゲカシの類<
と記載されている。「好意をもって招き寄せたい気がする」という
記述は、参考にはなるが、「をかし」が表現する関係性を逆さ向きに
解釈する誤りを犯している(このことは、随分以前に指摘したとおり)。
なぜなら、「をかし」において呼び寄せるようにアピールする作用を
発揮しているのは、「をかし」と感じられるように評価される対象
の方だからである。「をかし」の「をく」は、>>319で指摘した
とおり、「さそ(誘)ふように呼びかける」ことであるが、そのような
呼びかけの作用を発揮する対象が「をかし」と評されるのである。
したがって、「を(招)く」という表現も、フランス語で、日本語の
「いらっしゃいませ」に対応するように《Vous désirez?》という
表現が用いられるように、フランス語を用いるなら
《Vous ne voudriez pas 〜》に対応する意味合いで用いられる
さそ(誘)ひである。


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