仏教哲学総合スレ3
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500:考える名無しさん 17/12/10 21:54:19.64 0.net >>488 の夜盗伝授は、 >>213 のキサー・ゴータミーの話を想起させる (ゴータミーの出典は法句経の注釈書) 501:禊健太郎 17/12/11 08:35:39.62 0.net 仏教の最大の謎は、価値相対化の先に、西洋のように相対化、神経症の精神崩壊に陥らず、慈悲が立ち上がってくることだ。 しかしそうではなく、慈悲は空に至る唯一の方法であり、慈悲により初めて、価値相対化が可能になるのではないだろうか。 どちらにしろ、仏教の悟りは論理ではなく、体験なので、言葉では表せない。 慈悲の実践とは、見返りなくより知らない人により多くを与えること。 返礼を期待してより身近な人により多くを与えるという文明の原点と言われる法則、すなわち贈与交換に逆らうこと。 価値相対化であり、これはまさに神の行為とされてきた。 502: 慈悲の特別さのもう一つは、これが自然の恵みのメタファであること。 自然の恵みは見返りなく、分け隔てなく与える。 しかし人が見返りなくより知らない人により多くを与えることは、頭がおかしい。 やはり我が大切だから我に近い人に見返りを期待して与える。 ここでは、自他が解体されている。生死しかり、そして有無も。まさに空である。 自然の恵みは空である。西洋の相対主義はどこにもいかない。ただの崩壊でしかない。 しかし慈悲は空に近づく。相対主義でありつつ、崩壊しない地点。 慈悲は自然の恵みのようなものだとしても、 仏教は慈悲を語るのではなく、慈悲の実践すなわち空に至ることを目指すものだ。 たとえばそのための有名な言葉は、親鸞の 善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。 これは、 弱者こそ強者に慈悲を施さなければならない。 と言ってもいいだろう。 日本人は現に実践しているこの意味を、西洋人は理解できないだろう。
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