仏教哲学総合スレ3 ..
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371:考える名無しさん
17/11/27 19:05:05.60 0.net
いやどう考えても法華が真髄でしょ

372:考える名無しさん
17/11/27 20:16:24.79 0.net
冷静になって考えろ、紀元後700年に創作された無量義経が、法華三部経の序論となる訳がないだろう
しかも、驚くことに無量義経には法華経が最高の教えだ、などという記述などどこにも入ってない
天台が仏教を五段階に分類して、無量義経の中で正法と記述された箇所を、最終段階に据えた法華経のことに
相違ないと推測したにすぎない、事実は釈迦の教義全般を正法とするのが一般的解釈だ

373:考える名無しさん
17/11/27 20:33:13.79 0.net
霊鷲山に


374:ィけるブッダは ウッドストックにおけるジミヘンみたいなもの 人類史における頂点であることに変わりはない



375:考える名無しさん
17/11/27 20:51:34.72 0.net
そんなアホな通説はない

376:考える名無しさん
17/11/29 10:15:26.28 0.net
法華なくしては仏教は無価値

377:考える名無しさん
17/11/29 10:29:35.41 0.net
法華なくして創価学会なし

378:考える名無しさん
17/11/29 11:27:52.50 0.net
天台の五時八教より、空海の十住心論の方が正確。

379:考える名無しさん
17/11/29 11:51:35.98 0.net
空海も晩年には法華経の偉大さに気付いたみたいだな

380:考える名無しさん
17/11/29 11:52:58.65 0.net
日本の僧には、インドまで言って原典に向き合うという経験がなかったからそれが限界

381:禊健太郎
17/11/29 12:34:34.13 0.net
日本において、仏教が果たした役割は、今で言うと西洋近代化の
科学技術、民主主義、自由主義に近いんだよね。
ここがわからないと日本の仏教はまったくわからない。
仏教が広がる以前の日本は、迷信、ドグマの世界。
特に日本人は祟り、穢れを恐れた。
人を死に貶める伝染病みたいな感じ。
空海が名をあげたのも、雨乞いの祈祷だった。
祟りによる日照り、飢饉を、回避する。
仏教の一番の力は、清めること。
怨霊を成仏させたり、穢れを清めたり、
それによって、いままで人が近寄れなかった暗部を清め、開拓した。
昔話でも、鬼とか妖怪を、坊さんが退治するという話しがあるが、まさにそれ。
その最大が死。いままで穢れると避けられていた死を、
清めて、成仏させる。
人々は葬式を上げることができるようになった。
そして、倫理。
偏見、差別、欺すなど、まだ野蛮な日本人を、
慈悲を教えることで、倫理的な人間に、いまでいうリベラルな人間に作り替える。
さらに仏教はその時代の実働的な能力もあった。
読み書きを教える。
法など、社会の仕組みを教える。
また実際に多くの僧侶は全国ネットワークを使って、商人としての流通を担っていた。
村々に、貨幣を流通させる。あるいは金貸しのようなこともする。
すなわち野蛮な日本人を、リベラルで知的な人間へ変える。
そして生活も迷信をドグマを取り払い、文明化させる。

382:禊健太郎
17/11/29 12:35:19.75 0.net
進歩史観風に言えば、
自然信仰、倫理的に低い野蛮な日本人 
→ 仏教により倫理的、客観的、知的 (庶民レベルでいえば、戦国時代〜江戸時代) 
→西洋近代化、科学技術、民主主義

しかし一部では、むしろ仏教による改革の方が進んで面がある。
それが慈悲。職分主義。勤勉。
西洋近代化は、科学技術の進歩によって、物質的に豊かにするが、
個人主義に陥り、経済的な格差を生む。孤独を生む。

383:禊健太郎
17/11/29 12:36:14.80 0.net
そう、日本で庶民レベルで仏教が広まった一つが、平安時代、源信の往生要集。
これは、死後の極楽、地獄を絵的に臨場感たっぷりに書かれている。
良いことをすれば極楽に、悪いことをすれば地獄に落ちてこんなひどい目に合う。
だから生きてるうちに慈悲を施しなさいと言うわかりやすい道徳本。 空もなにもない。
このわかりやすくが受けて、庶民レベルに仏教倫理が受け入れられた。
鎌倉時代の歎異抄はいわば、この幼稚な仏教観への対向になっている。
善行をすれば極楽に、そんなもんじゃない。
鎌倉以降が新仏教と言われる一つが、庶民レベルに仏教の真髄である空が教えられていくところにある。
それでも、この極楽、地獄観のわかりやすさは、日本人の死生観としていまも当たり前に根付いている。

384:禊健太郎
17/11/29 12:37:00.73 0.net
>>
善人でさえ浄土に往生することができるのです。まして悪人はいうまでもありません。
ところが世間の人は普通、「悪人でさえ往生するのだから、まして善人はいうまでもない 」 といいます。
これは一応もっともなようですが、本願他力の救いのおこころに反しています。
なぜなら、自力で修めた善によって往生しようとする人は、ひとすじに本願のはたらきを信じる心が欠けているから、
阿弥陀仏の本願にかなっていないのです。
しかしそのような人でも、自力にとらわれた心をあらためて、本願のはたらきにおまかせするなら、
真実の浄土に往生することができるのです。
「歎異抄」3章
<<
親鸞の歎異抄にしても、読みやすいが精神的に高度にリベラルだよね。
親鸞は地方に飛ばされて、そこで教えを広めたが、
倫理的に低い野蛮な人々の世界だったと思う。
そこでわかりやすいように、倫理を広めていった。
リベラル的な人間改造を行っていった。
それはまた教育となって、生産性の向上にも繋がる。

385:禊健太郎
17/11/29 12:38:08.37 0.net
日本人も空を学び覚醒するにも長い時間がかかっているということ。
そんな簡単なことではない。
空を学ぶというのも、知識としてではなく、勤勉の実践によりにだし。
平安時代の幼稚な仏教観の時は、慈悲ポイントを貯めるみたいな気軽さがある。
いじめられた亀を助ける。慈悲ポイントを5点!
死ぬまでに100点貯めて、極楽に行こう!的な。

386:考える名無しさん
17/11/29 12:46:23.97 0.net
参考:
河口慧海 (1866-1945)
チベット旅行記
URLリンク(www.aozora.gr.jp)
原書の存在地 ところでこのごろ原書はインドにはほとんどないらしい。もっともセイロンには小乗の仏典はあるけ
れどもそれはもちろん我々にとって余り必要のものでない。最も必要なのは大乗教の仏典であります。しかるにその
大乗教の仏典なるものは仏法の本家なるインドには跡あとを絶って、今はネパールあるいはチベットに存在して居ると
いう。その原書を得る為にはぜひネパールあるいはチベットに行かなくてはならぬ。なお欧米の東洋学者の説による
とチベット語に訳された経文は文法の上からいうても意味の上からいうてもシナ訳よりも余程確かであるという。
その説はほとんど西洋人の間には確定説かくていせつのようになって居ります。はたしてチベット語の経文が完全
に訳せられてあるものならば、今日の梵語ぼんごの経文は世界にその跡を絶ったにしてもそのまたチベット語に訳さ
れた経文によって研究することが出来る。なおチベットの経文と漢訳の経文とを比較して研究するのも余程学術上
面白い事でもありまた充分研究すべき価値のある事であるから、これを研究するにはぜひチベットに行ってチベット
語をやらなければならぬという考えが起りました。この考えがつまり
入蔵を思い立った原因 でありまして、ちょうどその時が明治二十六年の四月で今より満十年余以前のことでござり
ますけれども、チベットは厳重げんじゅうに鎖国主義を実行して居る国で、有力なる西洋人が沢山の金を費やし多く
の光陰こういんを費やし種々の準備を調ととのえて行ってすらも今日失敗に帰して居る者が多い中に、我々ごとき
一介の貧僧が出掛けたところがはたして目的を達することが出来るかどうか。


ちなみに河口慧海はインドへも行っている

387:学術
17/11/29 12:51:05.96 0.net
インドへ誰の助けもなくいけるものではない。感謝が大事だ。自分を消す。

388:考える名無しさん
17/11/29 12:55:18.10 0.net
仏教もヒップホップもそうだけど
本流無視し過ぎじゃね?
仏教はインド
ヒップホップはアメリカ

389:学術
17/11/29 12:58:42.70 0.net
本流も渓流なり。すでにはね。

390:考える名無しさん
17/11/29 13:03:13.85 0.net
ネパールでは九法宝典の一つである法華経
法華経はグローバルかつ本流

391:考える名無しさん
17/11/29 15:26:40.65 0.net
広まってるということと価値あることは全く次元が異なる
週刊プレイボーイがいくら広く読まれても学術的に権威があるなどとは言わないだろう

392:考える名無しさん
17/11/29 15:37:35.88 0.net
>>379
頭から大乗仏教しか価値がないと判断してそれしか探しにいってない
しかも、イスラム制圧後に仏教が退廃したインドに渡ってもね
インドで仏教研究が盛んなりしとき中国からは何人も僧が研学に訪れている

393:考える名無しさん
17/11/29 16:18:35.93 0.net
>>371
空海の根拠ない密教優位論よりも円密一致を説く最澄の方が進んでいるな

394:おじゃる?
17/11/29 17:08:00.64 0.net
 
実相般若の世界からの
般若の智慧によって観照して
URLリンク(www.mikkyo21f.gr.jp)
空海
護摩の思想
火を真理とし、薪を煩悩とし、真理をもって → 煩悩を焼く
(涅槃に触れて)白い光をもって → 黒い煙を(焼き尽くし)滅する
URLリンク(repository.meijigakuin.ac.jp)
チベットに伝わる心の訓練法
ゲシェ・チェカワ『七事の心の訓練法』
無明している世界の中の
すべて一切の諸法は夢の如し
息を吐く時に自分の幸せを白い光の形で衆生に与え
息を吸う時には衆生の苦しみを黒い煙の形で受け取る
URLリンク(www.j-theravada.net)
生きとし生けるものにも
光り輝いている
如来の智慧と慈悲が現れますように
URLリンク(ja.wikipedia.org)
一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ m(_ _)m

395:考える名無しさん
17/11/29 17:15:28.76 0.net
>>385
河口慧海は医者だから学びに行って人助けをしたという
真に仏教的人物

396:考える名無しさん
17/11/29 17:53:14.41 0.net
仏教的なのと教学は別だよ、仏教とは無関係の分野にも仏教的な人は大勢いる
尤も仏教は実践の学問であるから教学に精通しているから行や振る舞いは問われないと
言うことにはならない

397:考える名無しさん
17/11/29 18:20:09.66 0.net
波平がとちくるうのはなぜ?

398:考える名無しさん
17/11/29 19:07:39.35 0.net
URLリンク(herbarium.main.jp)

399:考える名無しさん
17/12/01 01:50:56.97 0.net
>>373
空海は入唐後3〜4ヶ月でサンスクリット語をマスターしてサンスクリット版般若心経や華厳経を読破した後、
恵果に弟子入りし密教の経典や真言など全てサンスクリット語で伝授されていたはず。

400:考える名無しさん
17/12/01 09:08:03.16 0.net
マスターしたってって本当にサンスクリットという言語をマスターしたわけじゃないだろ
密教で使うマントラ関係の語学部分を教授されただけ

401:考える名無しさん
17/12/01 13:50:46.21 0.net
>>392
釈迦本人が書いた経典などなく、残したのは日記的なポエムだけだ。
弟子が経典を書いただけ。

402:考える名無しさん
17/12/01 14:28:56.98 0.net
            ,,;;-──‐-;;,,    ・〜
     〜・    /;∴;∵;∴;∵;∴ヽ
          彡∵;∴;∵;∴;∵;∴ミ
     ( ( r、 彡;;-・==-;∴;-==・-;;ミ    ・〜
          | 〉^へ‐L,/):.:o)∴∵∴;ミ
         i/ ' '   .,イ__∵∴∵〉 ・〜
    〜・  〈     /;|:::::::::::|;∴;∵ノ_ < 僕は pikarrr 40才の アウアウアー (^ρ^)
        〉‐- ,,__,/;;;;l⌒⌒ノ;;;;;;ノ'~  /ヽ
       /゛   〈     `ーu′     l   i
       |     〉   土人ニート    . |  |
       \,,_/  ,, # 禊 健太郎  |  .|
          |___,,___,,,_,,_ノ.  ノ
           |.     (x)    9  /
           |    ヽ、_.  _,ノ彡 イ
            .|       (U)     .|
            ヽ    人    ノ
  

403:考える名無しさん
17/12/01 14:31:46.83 0.net
.
 ___                       ____
 ゙=c_  \                    /_っ='
      く:::\                 /:::>'
       \::::\   ...-ー、,-─    /::::/
        \   -=ニ=-  -=ニ=-   / 
          \..    / ー-' ヽ   /
           \::.| ト‐=‐ァ' |: /     さてとっ オナニーでも しましょうかな? ウヘヘヘヘヘヘッww♪
              |::| ` `二´' |:|
    ,r―--、,,_ノ r、 三 η    ヽ___,,.―‐-、
    (         〃ヽヽ //ヾヽ         )
    ヽ  `ヽ、  ⊂ 禊健太郎 ⊃    ,r''  /
     ヽ   } ` ー-ヾヽ// ヽヽ〃ー‐''7   /
      ヽ  .{      ι' 三 ヽ)    {.  /
      / ::ヽ               (_ヽ \、
      (。m。ノ               `ヽ、_nm

404:考える名無しさん
17/12/01 14:37:11.57 0.net
               人i
             ノ:;;,ヒ=-;、
            (~´;;;;;;;゙'‐;;;)
           ,i`(;;;゙'―---‐'ヾ
           ヽ;;';ー--―-、'';;;;;゙)
         /:::# 禊健太郎  \
        /:::" 中年中卒ヒキニート ヽ
        ,i ::  -=ニ=-  -=ニ=-    i
        \..    / ー-' ヽ.    /
          \::.| ト‐=‐ァ' |.:./ ウヘヘヘッ オエッ オエッ オエッ (^Q^)
.           \  `二´   '/
   ,r―--、,,_ノ r、 三 η   L___,,..-―‐- 、
   (         〃ヽヽ //ヾヽ          )
   ヽ  `ヽ、  ⊂ニpikarrrニ⊃    ,r''  /
    ヽ   } ` ー-ヾヽ// ヽヽ〃ー‐''7   /
     ヽ  .{      ι' 三 ヽ)    {.  /
     / ::ヽ               (_ヽ \、
     (。m。ノ       💩       `ヽ、_nm

405:考える名無しさん
17/12/01 15:00:30.00 0.net
禊健太郎=波平

406:考える名無しさん
17/12/01 15:49:23.41 0.net
>>398
嘘な気がしてきた。

407:考える名無しさん
17/12/01 15:58:49.10 0.net
URLリンク(i.imgur.com)
重要文化財 二河白道図(にがびゃくどうず) 鎌倉時代・13世紀 京都・光明寺蔵 
       阿弥陀「私が守るから来なさい」
     <極楽浄土>
_______  _________
      百||          
南側    歩||    北側
火の河   ほ||    水の河
憎しみ   ど||    貪欲
       ||
       |白
       |い
       |道
       |(4、5寸、15cmほど)
       || 
_______||__________
      ある往生者
   二人連れ   釈迦「決心してこの道を行きなさい」
(聖道門=自力)      
    群賊「この道は険悪だから戻って来なさい」
    <現世=娑婆世界>
      (合戦、享楽)
(↑下から上へと順に見てゆくように構成されている)

408:考える名無しさん
17/12/01 15:59:41.53 0.net
>>400
唐の時代の中国浄土教(中国浄土宗)の僧、善導大師(613-681)の『觀無量壽佛經疏』
第四「散善義」にある二河白道の比喩(二河喩)を絵画化したもの。上の絵はこの画題とし
ては最古。
善導大師による比喩は、法然(1133-1212)が『選択本願念仏集』第八章「念仏行者必可
具足三心之文」で、親鸞(1173-1262)も『教行信証』信巻他で紹介している。
法然、親鸞以外にも、一遍(1239-1289)にもこの絵(というより画題)は深く関わる。
『一遍聖絵』によれば、文永八年(1271年)の春、信州善光寺に訪れた一遍は、参籠に参籠
を重ねた末に、自らさとりを得て、「二河白道」の図を本尊として描いたという。
URLリンク(i.imgur.com)
(一遍上人絵伝における二河白道図を前にする一遍)

409:考える名無しさん
17/12/02 21:58:15.16 0.net
悟りは論理学である。

410:考える名無しさん
17/12/04 18:11:24.81 0.net
   ( 'A`)      >>400  うちの近所の浄土宗の寺に「二河白道図」が飾ってあった。
_φ___⊂)_    子供の頃のおれは「こんなの嘘っぱちだあ」といったら、
/旦/三/ /   お寺の坊さんに「あなたは地獄落ちです」っていわれて、
仏教って極悪だなあって思ってた。

411:考える名無しさん
17/12/04 18:14:16.17 0.net
   ( 'A`)       波平が、論理は認識を超越しているっていってて、
_φ___⊂)_    まったくカント哲学を理解していないって思ったけど、
/旦/三/ /   論理は認識を超越しているってのは、朱子学か老荘思想で、中国思想だったみたいだ。
波平の哲学は真理だとは考えないけど、東洋思想中心にやってる波平なりにがんばってるんだなと見直した。

412:禊健太郎
17/12/04 18:31:26.77 0.net
>>404
>( 'A`)       波平が、論理は認識を超越しているっていってて、
そんなこと言ったことはないが?
カントなんてエセ小説家でなく、ヒューム先生からわかるだろう

413:禊健太郎
17/12/04 18:34:55.09 0.net
>>404
>/旦/三/ /   論理は認識を超越しているってのは、朱子学か老荘思想で、中国思想だったみたいだ。
なんで老荘???
朱子学の突然の論理重視は中国史的にも不思議。
ボクはキリスト教によりプラトン主義的なものが取り入れられたと睨んでいる。
朱子学は構造がプラトン主義と似すぎている。

414:考える名無しさん
17/12/04 19:02:35.70 0.net
   ( 'A`)      あんた、波平だったのかよ。
_φ___⊂)_    あんたのブログに書いてある哲学入門書にそう書いてあったぞ。
/旦/三/ /   それが中国の文献で発見できたよ。頭整理しておけよ、あんたさあ。

415:禊健太郎
17/12/04 19:05:39.35 0.net
>>407
うそこけ!へーこけ!せんずりこけ!

416:禊健太郎
17/12/04 19:08:59.42 0.net
老荘は、儒教のカウンターをもとにしてる。
秩序を否定する、無の思想だ。
中国の論理と言えば、名家とか、なんかそんなやつだろう。

417:禊健太郎
17/12/04 19:11:53.03 0.net
波平ブログなんて嘘っぱちばっかだよ

418:考える名無しさん
17/12/04 19:20:41.67 0.net
   ( 'A`)     波平は見栄っぱりだから、議論はできない。
_φ___⊂)_    2ちゃんでは平気で嘘で誤魔化せばいいと思ってる輩だ。
/旦/三/ /   まったく、ろくな哲学板コテがいないな。

419:考える名無しさん
17/12/04 19:20:41.92 0.net
   ( 'A`)     波平は見栄っぱりだから、議論はできない。
_φ___⊂)_    2ちゃんでは平気で嘘で誤魔化せばいいと思ってる輩だ。
/旦/三/ /   まったく、ろくな哲学板コテがいないな。

420:DJ gensei学術 暗公 fineshi pas contenau
17/12/04 19:25:51.29 0.net
宗教哲学も東北出身者優遇。高給有ります。

421:考える名無しさん
17/12/05 01:06:50.01 0.net
法華経を学ばなければ仏教哲学を理解したとはいえない

422:考える名無しさん
17/12/05 10:23:35.97 0.net
法華経バカになるバカもいるよ。

423:考える名無しさん
17/12/05 19:58:31.28 0.net
阿含経と法句経だけでいい、大乗仏教なんてもんは完全な創作
宗教はどこまでいっても主観的なもんでしかなく広めようとした時点でウソになるし争いが生ずる
仏教は平和的な宗教と言うが、日本でも散々抗争を繰り広げてきた歴史がある

424:考える名無しさん
17/12/05 20:53:13.32 0.net
>>416
馬鹿?
≪『宗派間の思想的相違』による抗争≫の例を挙げてみ?

425:考える名無しさん
17/12/05 22:42:57.86 0.net
あごんと発句経だけでいいって算数だけで数学は勉強しなくていいってレベルだなw

426:考える名無しさん
17/12/06 13:40:57.49 0.net
>>417
お前は無知か、法華宗と一向宗はさんざん抗争を繰り返してる
キリスト教だって、突き詰めれば単なる勢力争いだ
比叡山や一向宗が武装集団だったことも知らないのかこの無知のカスが

427:考える名無しさん
17/12/06 14:35:58.92 0.net
>>419

長い日本仏教史の中で、たった一例かw
で、その思想的抗争の原因は、両者のどういう違いから発生したんだ?
「面子」「プライド」「権威(朝廷・幕府の認可庇護)、名声」
「怒り・怨恨」「仇、復讐」
「飢饉、対年貢行政」「対宗教行政」
以外の理由で頼む。

428:考える名無しさん
17/12/06 15:54:37.59 0.net
一例じゃなくて、法華と一向宗はずっと争ってるんだが
自治勢力として、仏教が教義とは無関係な勢力争いをやってた戦国時代も知らないらしい

429:おじゃる?
17/12/06 17:58:13.53 0.net
おじゃるも根本仏典原理主義的なので
>阿含経と法句経だけでいい
という感じだけど、それでもとりあえず↓その地域その当時その時代において
URLリンク(ja.wikipedia.org)
五時八教説(天台)
華厳−阿含−方等−般若−法華涅槃
「法華が涅槃そのもの」という導きに決定したらしい?ので
それ以降において → 上座部系と大乗系との闘いがあったのかしらん?
↓今この現代においては
URLリンク(tkj.jp)
般若心経は間違い?
上座仏系の方々にもっと頑張って欲しいでつ
URLリンク(www.j-theravada.net)
慈悲の冥想
生きとし生けるものにも
光り輝いている
如来の大悲・大智によって
般若の智慧によって観照された
実相般若が現れますように
ブッダン・サラナン・ガッチャーミ
一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ m(_ _)m

430:考える名無しさん
17/12/06 19:25:42.30 0.net
頑張るのはお前のほうだな
五時八教の教判なるものは、根拠としていた無量義経が偽経と判明した今、俗説と化してる
数百年も後に創作された無量義経が法華三部経の開経となる訳がない

431:考える名無しさん
17/12/06 19:29:19.52 0.net
十住心論

432:考える名無しさん
17/12/06 19:32:26.21 0.net
法華経が最も優れているのは天台ちぎとは全く関係ないけどな
むしろ現代においてはちぎは法華経の優越性においては邪魔となっている

433:考える名無しさん
17/12/06 19:35:25.70 0.net
法華経と華厳経の勝劣の論争は、未だに決着がついてないけどな。

434:考える名無しさん
17/12/06 19:39:50.28 0.net
法華経は、自経を褒めちぎる賞賛の美辞麗句ばかりが並んでいて内容が無いと言われてる
実際に読んでみたことがある人は少ないだろうが、マジで役に立つことなど書かれてない
宮沢賢治や石原莞爾は法華経のどこに感銘を受けたのだろうか
カーネギーの名言集でも読んだほうがマシなくらいだ

435:考える名無しさん
17/12/06 19:51:31.78 0.net
めぐるめぐるめぐる因果は、糸車
めぐるめぐるめぐる世の中、めぐりあい
明日は、 どんな人に会うだろう
どんなどんなどんな人に会うだろう
(コーラス・振袖合うのも多少の縁・巧言令色少なし じんじんじんじん)
大きな気分でいってみよう
仁義礼智忠信孝悌
いざとなったら玉をだせ
力が溢れる不思議な玉を〜♪

436:考える名無しさん
17/12/07 00:05:44.46 0.net
>>421
wwwwwwwwwwwwwwwww

教義と無関係なら、宗教的抗争じゃないじゃんwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

437:考える名無しさん
17/12/07 00:29:43.41 0.net
>>427
文字だけ追ってたらそうなるかもね。
華厳は、世界の(諸法の・現象の・存在の・関係性の)在り様と仏菩薩の(意図の)素晴らしさを描き、
法華は、教えの本音(文言でなく、規則でなく、序列・法蝋でない、この瞬間の命の輝き)と
 それ以外は雑音だという助言を述べている感じだから、
取捨のための比較は難しいと思う。

438:おじゃる?
17/12/07 03:24:40.94 0.net
 
>この瞬間の命の輝き
今この瞬間の命の輝きを切っ掛けにして
(「僧侶が比丘としての具足戒を受けてからの年数(法臘)」という想いが依存している)
無明している世界を手放して
仏菩薩そのもの。ということでつね?ご教示ありがとうございます
URLリンク(www.dia.janis.or.jp)
般若経の解説

無明している世界を手放して
解脱してから
変化する世界のすばらしさ、世界のすべてとともに現象する喜び、空の力への感嘆
そして我執は消え、みずから苦を創り出していた自分の愚かさに気づく

しかし
無始からの(輪廻を繰り返し)無明を持っている
真如に薫習し、その薫習によって妄心を生じている
無明薫習に依存しているのなら
『解脱すれば仏だ』というに。気づくまでは、気づくことは難しい
 − これを対処するために −
般若の智慧によって観照された ← → 実相般若ということでつね? m(_ _)m

439:考える名無しさん
17/12/07 19:27:25.77 0.net
>>429
慈悲深いはずの仏教徒がヤクザまがいの抗争をやってたってことだろ
馬鹿っぽく草生やすなアポ

440:考える名無しさん
17/12/07 20:09:26.69 0.net
>>432
うるせえ。
お前もポアするぞ。

441:考える名無しさん
17/12/07 20:15:28.28 0.net
そういやオウムも中心教義は仏教だったな

442:考える名無しさん
17/12/07 23:08:01.78 0.net
ダライ・ラマ14世とも会った麻原

443:考える名無しさん
17/12/08 05:17:47.64 0.net
416 名前:考える名無しさん :2017/12/05(火) 19:58:31.28 0
阿含経と法句経だけでいい、大乗仏教なんてもんは完全な創作
宗教はどこまでいっても主観的なもんでしかなく広めようとした時点でウソになるし争いが生ずる
仏教は平和的な宗教と言うが、日本でも散々抗争を繰り広げてきた歴史がある
419 名前:考える名無しさん :2017/12/06(水) 13:40:57.49 0
>>417
お前は無知か、法華宗と一向宗はさんざん抗争を繰り返してる
キリスト教だって、突き詰めれば単なる勢力争いだ
比叡山や一向宗が武装集団だったことも知らないのかこの無知のカスが
421 名前:考える名無しさん :2017/12/06(水) 15:54:37.59 0
一例じゃなくて、法華と一向宗はずっと争ってるんだが
自治勢力として、仏教が教義とは無関係な勢力争いをやってた戦国時代も知らないらしい 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:9368c25c0e1fcb4c3420acd807713d27)


444:考える名無しさん
17/12/08 05:21:45.59 0.net
特定の宗教に固執するとか、クソ。
クソなのに幻想抱いてる50代が馬鹿すぎる。
20代の子供に迷惑かけんな。

445:考える名無しさん
17/12/08 18:32:42.48 0.net
仏教をやるとハタ迷惑な選挙活動やらサリンを撒くようになる

446:禊健太郎
17/12/08 18:44:39.59 0.net
仏教の最大の謎は、価値相対化の先に、西洋のように相対化、神経症の精神崩壊に陥らず、慈悲が立ち上がってくることだ。
しかしそうではなく、慈悲は空に至る唯一の方法であり、慈悲により初めて、価値相対化が可能になるのではないだろうか。
どちらにしろ、仏教の悟りは論理ではなく、体験なので、言葉では表せない。
慈悲の実践とは、見返りなくより知らない人により多くを与えること。
返礼を期待してより身近な人により多くを与えるという文明の原点と言われる法則に逆らうこと。
価値相対化であり、
これはまさに神の行為とされてきた。
ここにしか空に至る実践はない。
この行為の特別さのもう一つは、これが自然の恵みのメタファであること。
自然の恵みは見返りなく、分け隔てなく与える。
それは慈悲である。
しかし人が見返りなくより知らない人により多くを与えることは、頭がおかしい。
やはり我が大切だから我に近い人に見返りを期待して与える。
ここでは、我が解体されている。生死しかり、そしてありなしも。まさに空である。
自然の恵みは空である。西洋の相対主義はどこにもいかない。ただの崩壊でしかない。
しかし慈悲は空に近づく。相対主義でありつつ、崩壊しない地点。

447:考える名無しさん
17/12/08 19:53:37.27 0.net
慈悲の起源は仏教ではなくヒンドゥー教にありそうだな

448:考える名無しさん
17/12/08 20:26:43.42 0.net
以下、ショーペンハウアー「意志と表象としての世界」日本語版目次より
63
マーヤーのヴェールに囚われず「個体化の原理」を突き 破って見ている者は、
加害者と被害者との差異を超越した ところに「永遠の正義」を見出す。それは
ヴェーダの ウパニシャッドの定式となった大格語 tat tvam asi ならびに輪廻の
神話に通じるものがある。
67
 他人の苦しみと自分の苦しみとの同一視こそが愛である。 愛はしたがって共苦、
すなわち同情である。人間が泣く のは苦痛のせいではなく、苦痛の想像力のせいで
ある。 喪にある人が泣くのは人類の運命に対する想像力、すなわ ち同情(慈悲)
である。
____
なおショーペンハウアーは仏教の影響も受けていて『意志…』の4部構成は仏教の「苦集滅道」
にあたるとされる。

449:考える名無しさん
17/12/08 20:29:40.83 0.net
実体ーーーー属性ーーーー様態  スピノザ
イデアーーー人間ーーーイドラ  プラトン
モナド−ーー個体化ーーー世界  ライプニッツ
神ーーーーーキリストーー人間  キリスト教
意志ーーーーイデアーーー表象  ショーペンハウアー
ブラフマンー祭祀ーアートマン  バラモン
無ーーーーー空・悟りーーー色  仏教
物自体ーーー範疇ーーーー現象  カント

450:禊健太郎
17/12/08 21:00:16.82 0.net
>>441
西洋人には慈悲を理解するのは無理だろう。
慈悲を有名な言葉ややはり、親鸞の
善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。
これは、
慈悲は弱者こそ強者に施さなければならない
と言ってもいいだろう。
日本人にはわかるこの意味を、西洋人は理解できないだろう。

451:禊健太郎
17/12/08 21:12:03.59 0.net
再度言えば、
慈悲は自然の恵みのようなものだとしても、
仏教は慈悲を語るのではなく、慈悲の実践すなわち空に至ることを目指すものだ。
たとえばそのための有名な言葉は、親鸞の
善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。
これは、
慈悲は弱者こそ強者に施さなければならない。
と言ってもいいだろう。
日本人は現に実践しているこの意味を、西洋人は理解できないだろう。

452:禊健太郎
17/12/08 21:14:01.17 0.net
善人でさえ救われるのだから、悪人はなおさら救われる。

453:考える名無しさん
17/12/08 21:18:31.90 0.net
ヘイトスピーチ大好き日本人のどこが慈悲実践してるやら

454:考える名無しさん
17/12/08 21:55:36.34 0.net
白隠は、「この経に功徳なし」と、一度は捨てた法華経を、42歳で読みなおしたときに、「お釈迦様は、こんなにも慈悲が深かったのか」と悟り、滂沱の涙と共に、大悟したそうです。

455:考える名無しさん
17/12/08 22:38:09.99 0.net
そりゃ弱い者虐めされるんだから弱者が強者に施す事は生存戦略に繋がる

456:考える名無しさん
17/12/08 22:42:54.43 0.net
日本において仏教は統治の為に導入されている。
その観点から実践されるのだから強者(統治機構)に弱者(民衆)が従うように説くのは当たり前だろう。
仏教は日本に伝来する時から世俗に染まり切っている。
正しく世の治安を維持する為の教えだ。

457:考える名無しさん
17/12/08 22:49:05.83 0.net
悪人はやっつけないとだめ。悪人を救済するという考え方は悪を推奨することにもなる。そうした考え方は道徳的に好ましくない。

458:禊健太郎
17/12/08 23:57:25.47 0.net
>>450
なんかかわいい(笑)

459:考える名無しさん
17/12/08 23:57:35.92 0.net
本願ぼこり
悪人正機の意味を誤解して「悪人が救われるというなら、
積極的に悪事を為そう」という行動に出る者が現れた。
これを「本願ぼこり」と言う。
親鸞はこの事態を憂慮して「くすりあればとて毒をこのむべからず」と戒めている。
ただし今度はこの訓戒が逆に行き過ぎて、
例えば悪行をなした者は念仏道場への立ち入りを禁止するなどの問題が起きた事を、
唯円は『歎異抄』において批判している。


悪人正機
悪人正機(あくにんしょうき)は、浄土真宗の教義の中で重要な意味を持つ思想で、
「“悪人”こそが阿弥陀仏の本願(他力本願)による救済の主正の根機である」
という意味である。
阿弥陀仏が救済したい対象は、衆生である。
すべての衆生は、末法濁世を生きる煩悩具足の凡夫たる「悪人」である。
よって自分は「悪人」であると目覚させられた者こそ、
阿弥陀仏の救済の対象であることを知りえるという意である。

460:禊健太郎
17/12/08 23:59:09.69 0.net
日本人は日々実践し体ではわかっているが、
頭では理解できていないということだ。
慈悲とはそういうものだが、
善人でさえ救われるのだから、悪人はなおさら救われる。
慈悲は弱者こそ強者に施さなければならない。

461:禊健太郎
17/12/09 00:00:22.80 0.net
>>452
一般的な解釈だが、ご解釈だな。

462:禊健太郎
17/12/09 00:03:37.96 0.net
慈悲は自然の恵みのようなものであるというのは簡単だが、
実際に人がそのように振る舞うときに問題になるのはなにか?
そこにこそ、キリスト教の慈愛とは異なる仏教の慈悲の真髄がある。
与えることそのものはそう難しくないが・・・

463:
17/12/09 00:24:42.42 0.net
>>443
> 西洋人には慈悲を理解するのは無理だろう。
慈悲を語るそばから差別をしている様では、何も分かっていない。
キミの仏教理解は何もかもがこの調子だ。

464:禊健太郎
17/12/09 00:41:24.11 0.net
>他人の苦しみと自分の苦しみとの同一視こそが愛である。 愛はしたがって共苦、
>すなわち同情である。人間が泣く のは苦痛のせいではなく、苦痛の想像力のせいで
>ある。 喪にある人が泣くのは人類の運命に対する想像力、すなわ ち同情(慈悲)である。
共感、同情、困っている人を助けるというのは、人の本能と言えるほど、基本的な特性だ。
西洋人が仮にそれを愛と呼び特別なものに感じるとすれば、キリスト教の為だろう。
あたかもそれが、神の教えのように再構築した。
難しいのは与えることではなく、見返りなく与えること。
たとえば困っている人がいて助ける。そのときに助けた人が余計なことすると、言われると、
せっかく助けてやったのに、なんだ!となる。
与える、助けるとき、人はそこに自分を強者、相手を弱者、そして見返りの心理が生まれる。
これもまた人の本能と言えるほど、基本な特性だ。
自分の恵みのように与えるとは、そこに強者、見返りの心理を持たないこと。
これは、ほぼ人には無理な行為だ。
しかし慈悲による空は、それを求める。

465:禊健太郎
17/12/09 00:51:33.67 0.net
しかし困ったことに、慈悲の試練はそこでは終わらない。
与える、助けるとき、自分は強者、見返りの心理が生まれ、
与えられる相手は弱者、負債の心理をもつ。
慈悲は、見返りを求めない、とともに、相手に負債を与えないことを求める。
そこに強者、弱者の関係が生まれないよう、求める。
たとえば自然の恵みでさえ、人はそこに負債を感じ、
自然に感謝し、崇めるというのに、それを生むなという。
慈悲、空がいかにこんなな実践かわかる。
しかしこのような難解な慈悲が、日本人の道徳則の基本となっている。
たとえばおもてなし。
おもてなしの理想とは、サービスを与えることだが、
相手にサービスを与えられることに感謝する。すなわち強者にならずに、
相手がサービスを与えられることを重く思わないようする。すなわち負債を与えない。
このように日本人の道徳則はずべて慈悲を基本とする。
自らが強者にならないよう、。相手を弱者にしないよう、配慮することを基本とする。
配慮の道徳だ。
おそらくこのような配慮の道徳則をもつ民族は日本人以外いないと思う。

466:考える名無しさん
17/12/09 00:59:04.63 0.net
日本人のおもてなしと慈悲は関係ない
徹底してクレームつけられることを恐れる結果卑屈といえるほど相手の意に添うことを美徳とするようになった

467:禊健太郎
17/12/09 01:00:42.99 0.net
西洋人の道徳則は合理的だ。
困っている人がいれば与える。
そこに強者、弱者が生まれたとしても、
それで困っている人が助かるならそれでいいじゃないか。

468:考える名無しさん
17/12/09 01:01:39.97 0.net
だからクレームつけられる強い立場にあるととんでもないモンスターと化す

469:禊健太郎
17/12/09 01:04:07.32 0.net
たとえば空気を読む。
空気を読むとは、自らが強者にならないよう、。相手を弱者にしないよう、
配慮しあうことを基本とする。

470:禊健太郎
17/12/09 01:07:50.88 0.net
たとえば勤勉。
勤勉とは、懸命に働くことではない。
自らが強者にならないよう、世間(相手)を弱者にしないよう、
配慮し勤めることを基本とする。

471:禊健太郎
17/12/09 01:08:50.22 0.net
善人でさえ救われるのだから、悪人はなおさら救われる。
慈悲は弱者こそ強者に施さなければならない。
とは、そう言う意味だ。

472:考える名無しさん
17/12/09 01:10:41.50 0.net
空気を読むというのは結局のところ自己保身に帰着する
それによって周りに目をつけられることを避ける
それだけではなく空気を読むということに客観的正当性を感じて他者への攻撃の手段とするのが日本人
空気を読め、のように自分の意見ではなく全体の意見のように見せかけて他者を攻撃する

473:考える名無しさん
17/12/09 02:46:09.82 0.net
唐突に日本人がどうとかイカれてんのかオッサン

474:考える名無しさん
17/12/09 04:55:56.34 0.net
足利尊氏の恋、武家の恋、婆娑羅の恋
太平記略書き
スレリンク(bookall板:404番)

475:考える名無しさん
17/12/09 06:05:56.60 0.net
970 :コ−ヒ− ◆VMSHVHTgws :2017/11/30(木) 14:10:06.64 0
今の借金いくらなん?
971 :底辺 ◆49ci.4gb8c :2017/11/30(木) 14:15:21.43 0
450万くらいだね。
親には、ほぼ頼ってない。
974 :コ−ヒ− ◆VMSHVHTgws :2017/11/30(木) 14:20:57.29 0
450万の借金て相当だよ
どうやって返すつもりなん?
もしかして奨学金なのか
975 :底辺 ◆49ci.4gb8c :2017/11/30(木) 14:23:23.73 0
>>974
消費者金融
スレリンク(philo板:960-番) 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:9368c25c0e1fcb4c3420acd807713d27)


476:考える名無しさん
17/12/10 01:47:00.37 0.net
>>443
> 善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。
ここから何故、「いわんや西洋人をや」が導けないのか?
解説本をいじっているだけで、根本から理解していないからだ。

477:考える名無しさん
17/12/10 01:49:04.85 0.net
>>458
キミのは観念論なんだよ。
具体的な「慈悲とは何か」が抜けて、
徳だの価値だのサービスだの、見返りだの負債だのと、
交換原理の話にすり替わっている。
慈悲のサヤ取りだ。

478:禊健太郎
17/12/10 08:37:43.05 0.net
>>470
交換、すなわち経済。
日々生きるとは経済であり、実働。
何でも観念論で片付けないこと。

479:禊健太郎
17/12/10 10:33:00.53 0.net
そもそも仏教は宗教というより、
救済の技術といえる。
ブッダは神を崇めなかったし、修養を重視してた。
慈悲もまた修養の一つと言える。

480:考える名無しさん
17/12/10 12:53:12.30 0.net
>>471
頓珍漢な概念操作の果てに、A=Bなどとして満足している風情を観念論という。

481:考える名無しさん
17/12/10 12:56:51.34 0.net
財産を捨てて出家をするだろ。
経済や交換原理から抜け出るということが必要とされたわけだ。

482:考える名無しさん
17/12/10 12:58:11.68 0.net
“多くの[世俗の]仕事をしてはならない。人々を避けよ。[雑な縁を作るために]努め励んではならない。”
― ブッダ 『仏弟子の告白(テーラガーター)』 494

483:考える名無しさん
17/12/10 12:59:31.46 0.net
キミの大雑把な仏教経済論=「雑な縁」

484:考える名無しさん
17/12/10 13:01:57.25 0.net
>>338
> 大乗非仏説
というのがあるが、
大乗仏教や日本の仏教しか知る機会がなくとも、
正しいアプローチをすれば、仏教の本質には触れることができる。

485:考える名無しさん
17/12/10 13:02:25.48 0.net
しかし、キミの話はどれをとっても、仏教とは真反対のところに着地している。

486:考える名無しさん
17/12/10 13:04:38.94 0.net
哲学にしても宗教にしても、ちゃんと原典にあたらないと、物事を根本から理解することはできない。
解説書や新書などは読書の内には入らない。

487:考える名無しさん
17/12/10 13:08:44.98 0.net
スジャータのミルク粥
シッダルタが29歳のことです。 シッダルタはその後、旧来のバラモン教の教えに疑問を持つ者と共に修行を続けました。
瞑想を深め、煩悩をなくす修行を終えたシッダルタはさらに厳しい修行を求めました。
コケやわずかな植物の根など以外食べ物を口にせず、体をいじめ続けることで超人的な力を得ようという苦行を6年間も続けました。
骨と皮になったシッダルタはようやく苦行では悟りを開けないと知り、修行場の山を下りました。
途中、村の娘からミルク粥の施しを受けて体力を回復したシッダルタは大木の下で座って瞑想に入りました。
このときに煩悩の悪魔が襲いましたが打ち勝ち、翌朝、明けの明星が輝く頃、
ついにシッダルタは法(ダルマ=宇宙と人生の真理)を得て悟りを開きました。
URLリンク(www.koushikiji.com)

488:考える名無しさん
17/12/10 13:09:59.37 0.net
慈悲=抜苦与楽
慈 マイトリー(maitrī) 「慈しみ」 与楽(楽を与える)
悲 カルナー(karunā)「憐れみ」 抜苦(苦を抜く)

489:考える名無しさん
17/12/10 13:11:22.11 0.net
>>458
キミの話には苦がなく、楽の再分配の話しかない。
キミ自身が苦労をして本(原典)を読むということをしないからだ。
弱者のためであろうとも、弱者と強者を差別し、
その一方を敵とみなして乗り越えを図るという発想も一神教的。
およそ仏教的でない。
慈悲という語のルーツはインド=ヨーロッパ語。

490:禊健太郎
17/12/10 17:46:09.49 0.net
>>474
抜け出るのは世俗の経済であって、
経済とは生きることそのものだから。
出家を担任世捨てなら、自分だけ救済されることになり、
慈悲はどこにもない。
仏教をスピリチュアルなものと考えるのは、
仏教最大の誤解。

491:禊健太郎
17/12/10 17:48:54.90 0.net
経済とは人は一人では生きられない。
交換せずには生きられないという基本的な原則のこと。
人がいるところには必ず経済がある。
経済のもっとも原初の形態は、
贈与交換。貸し借り。

492:禊健太郎
17/12/10 17:50:09.02 0.net
>>482
仏教において苦とは、生きることそのもの。

493:禊健太郎
17/12/10 17:53:25.65 0.net
>>479
(笑)

494:考える名無しさん
17/12/10 18:03:11.00 0.net
性癖元年

495:考える名無しさん
17/12/10 18:35:31.89 0.net
>>244
887夜『禅と日本文化』鈴木大拙|松岡正剛の千夜千冊
URLリンク(1000ya.isis.ne.jp)
 いまでもよく憶えているのは、こういう語り口だった。
 禅というのはブッダの精神を直截に見ようとするもので、何を見ようとしているかと
いうと、「般若」と「大悲」である。それを英語でいえば、般若はトランセンデンタル
・ウィズダムに近く、大悲はコンパッションといえるであろう。この「超越的な智恵」
たる般若によって、禅者は事物や現象の因果を超えるために修行をする。.…
…大拙は突如として、だからこそ、「禅は夜盗が夜盗に学ぶようなものなのだ」と言った。
 これはのちにぼくも読むことになる『五祖録』からの引用だったのだが、突然に夜盗に
なれと言われても戸惑うだろうから、説明しておく。
 ある夜盗の父親が息子から夜盗のコツを教えてほしいと言われ、二人して目星の屋敷に
忍びこんだ。父親は大きな長持を明けて息子にこの中の衣服を取り出せと言っておいて、
そのまま蓋を閉め、庭に出るとやにわに「泥棒だ、泥棒だ」と大呼した。
 家人があわてて起き出したが泥棒はいない。困ったのは息子のほうで、長持から出るに  
出られない。そこでやむなくネズミが齧る物音をたて、家人が長持を開けたとたんに飛び
出し、命からがら逃げ出した。
 這々の体で息子が戻って父親にひどいじゃないかと言うと、まあ憤るな、どうやって
逃げたか話してみろというので、息子が一部始終を話すと、そう、それだ、お前はこれで 
夜盗術の極意をおぼえたのだ、と。
 こういう奇想な話を紹介し、大拙はすかさず「禅は不意を打つものだ。それが禅の親切
というものだ」と説いたのである。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:8a1d671deac21a48eb6b1e34309afde7)


496:考える名無しさん
17/12/10 18:59:40.74 0.net
馬鹿の文章をコピペするな

497:考える名無しさん
17/12/10 19:15:12.15 0.net
>>483
スピリチュアル経済学。
>>484
中高生の問題意識。

498:禊健太郎
17/12/10 19:25:44.76 0.net
>>490
wiki カール・ポランニー
経済の定義
人間は自分と自然との間の制度化された相互作用により生活し、自然環境と仲間たちに依存する。この過程が経済だとした。
また、経済は社会の中に埋め込まれており(Embeddedness)、経済的機能として意識されないことがあると主張した。
ポランニーは、「経済的」という言葉の定義について2つをあげる。
1. 実在的な定義。欲求・充足の物質的な手段の提供についての意味。
人間とその環境の間の相互作用と、その過程の制度化のふたつのレベルから成る。
2. 形式的な定義。稀少性、あるいは最大化による合理性についての意味。
前者の経済過程の制度化は、場所の移動、専有の移動という2種類の移動から説明できる。
従来の経済学では後者が重視されているが、それは狭い定義であると指摘した。

499:考える名無しさん
17/12/10 19:29:44.47 0.net
自問自答の術!

500:考える名無しさん
17/12/10 21:54:19.64 0.net
>>488
の夜盗伝授は、
>>213
のキサー・ゴータミーの話を想起させる
(ゴータミーの出典は法句経の注釈書)

501:禊健太郎
17/12/11 08:35:39.62 0.net
仏教の最大の謎は、価値相対化の先に、西洋のように相対化、神経症の精神崩壊に陥らず、慈悲が立ち上がってくることだ。
しかしそうではなく、慈悲は空に至る唯一の方法であり、慈悲により初めて、価値相対化が可能になるのではないだろうか。
どちらにしろ、仏教の悟りは論理ではなく、体験なので、言葉では表せない。
慈悲の実践とは、見返りなくより知らない人により多くを与えること。
返礼を期待してより身近な人により多くを与えるという文明の原点と言われる法則、すなわち贈与交換に逆らうこと。
価値相対化であり、これはまさに神の行為とされてきた。



502: 慈悲の特別さのもう一つは、これが自然の恵みのメタファであること。 自然の恵みは見返りなく、分け隔てなく与える。 しかし人が見返りなくより知らない人により多くを与えることは、頭がおかしい。 やはり我が大切だから我に近い人に見返りを期待して与える。 ここでは、自他が解体されている。生死しかり、そして有無も。まさに空である。 自然の恵みは空である。西洋の相対主義はどこにもいかない。ただの崩壊でしかない。 しかし慈悲は空に近づく。相対主義でありつつ、崩壊しない地点。 慈悲は自然の恵みのようなものだとしても、 仏教は慈悲を語るのではなく、慈悲の実践すなわち空に至ることを目指すものだ。 たとえばそのための有名な言葉は、親鸞の 善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。 これは、 弱者こそ強者に慈悲を施さなければならない。 と言ってもいいだろう。 日本人は現に実践しているこの意味を、西洋人は理解できないだろう。



503:禊健太郎
17/12/11 08:38:59.60 0.net
慈悲は自然の恵みのようなものであるというのは簡単だが、
実際に人がそのように振る舞うときに問題になるのはなにか?
そこにこそ、キリスト教の慈愛とは異なる仏教の慈悲の真髄がある。
与えることそのものはそう難しくない。
共感、同情、困っている人を助けるというのは、人の本能と言えるほど、基本的な特性だ。
西洋人が仮にそれを愛と呼び特別なものに感じるとすれば、キリスト教の為だろう。
あたかもそれが、神の教えのように再構築した。
難しいのは与えることではなく、見返りなく与えること。
たとえば困っている人がいて助ける。そのときに助けた人が余計なことすると、言われると、
せっかく助けてやったのに、なんだ!となる。
与える、助けるとき、人はそこに自分を強者、相手を弱者、そして見返りの心理が生まれる。
これもまた人の本能と言えるほど、基本な特性だ。
自分の恵みのように与えるとは、そこに強者、見返りの心理を持たないこと。
これは、ほぼ人には無理な行為だ。しかし慈悲による空は、それを求める。
しかし困ったことに、慈悲の試練はそこでは終わらない。
与える、助けるとき、自分は強者、見返りの心理が生まれ、与えられる相手は弱者、負債の心理をもつ。
慈悲は、見返りを求めない、とともに、相手に負債を与えないことを求める。
そこに強者、弱者の関係が生まれないよう、求める。
たとえば自然の恵みでさえ、人はそこに負債を感じ、
自然に感謝し、崇めるというのに、それを生むなという。
慈悲いかに困難をな実践かわかる。
その不可能にこそ、唯一の空への実践としての慈悲がある。

504:禊健太郎
17/12/11 08:43:41.22 0.net
日本人の道徳はこのような難解な慈悲が基本となっている。
たとえばおもてなし。
西洋人の道徳則は合理的だ。
困っている人がいれば与える。
そこに強者、弱者が生まれたとしても、
それで困っている人が助かるならそれでいいじゃないか。
おもてなしの理想とは、サービスを与えることだが、
相手にサービスを与えられることに感謝する。すなわち強者にならずに、
相手がサービスを与えられることを重く思わないようする。すなわち負債を与えない。
このように日本人の道徳則はずべて慈悲を基本とする。
自らが強者にならないよう、。相手を弱者にしないよう、配慮することを基本とする。
配慮の道徳だ。
おそらくこのような配慮の道徳則をもつ民族は日本人以外いないと思う。
たとえば空気を読む。
空気を読むとは、自らが強者にならないよう、。相手を弱者にしないよう、
配慮しあうことを基本とする。
たとえば勤勉。
勤勉とは、懸命に働くことではない。
自らが強者にならないよう、世間(相手)を弱者にしないよう、
配慮し勤めることを基本とする。
日本人が空に達してと言うことではないが、空の心を基本にしている。
それを日本人の頭は知らないが、体が知っている。

505:禊健太郎
17/12/11 09:03:31.08 0.net
>>
布施 ふせ ほどこす
人のために惜しみなく何か善いことをする。善行には有形と無形のものがあります。有形のものを財施といいます。お金や品物などを施す場合です。
無形のものは、
● 知識や教えなどの法施
● 明るく優しい顔で接する眼施・顔施
● 温かい言葉をかける言施
● 恐怖心を取り除き穏やかな心を与える無畏施
● 何かをお手伝いする身施
● 善い行いをほめる心施
● 場所を提供する座施・舍施、などがあります。
施しは、施す者、施しを受ける者、施すもの、すべてが清らかでなければいけません。
欲張りのない心での行いを施しといいます。
あえて善行として行うとか、返礼を期待してはいけません。
また受ける側もそれ以上を望んだり、くり返されることを期待してはいけません。
やさしい仏教入門  URLリンク(tobifudo.jp)
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