【イスラム哲学】井筒 ..
[2ch|▼Menu]
519:考える名無しさん
18/07/22 15:14:39.77 0.net
存在認識の道 解説Y pp.268−269
「存在という偶有を受け容れる以前の本質、すなわちまだ無の状態にある本質をモッラー・サドラーはアヴィセンナに従って可能的存在者と呼ぶ」
「可能的存在者は存在論的には実に妙な、中途半端なものとなってしまうのである。だが、アヴィセンナをこのように解釈するのは、通俗的解釈に過ぎない。
これはアヴィセンナ自身が理解していた存在可能性の概念からは程遠い。……存在から切り離して純粋にそれ自身で考えられた本質が可能的存在者に他ならないからである。」
「・・・・・・本質が先ず最初に、どこかわけのわからない所に、わけのわからない仕方で、可能的存在者として存立して、次に存在というリアリティが原因によってその中に注入され……というようなことが実在的に起こるわけではない。そういではなく・・・・・・」


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
スレッドの検索
類似スレ一覧
話題のニュース
おまかせリスト
▼オプションを表示
暇つぶし2ch

517日前に更新/324 KB
担当:undef