【イスラム哲学】井筒俊彦を読む at PHILO
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500:考える名無しさん
18/07/18 00:28:47.06 0.net
>>484
レス間違い

501:考える名無しさん
18/07/18 14:35:24.90 0.net
>>490
入り口として井筒俊彦の意識モデルとかどうだ?
表層意識の下に深層イマージュ意識がありそれを生み出す元型的な言語アラヤ識と言うべきものがある。更にその底に存在のゼロポイントという純粋経験的な「無」意識がある。
このモデルにほとんどの東洋哲学は放り込める。
井筒俊彦は「あくまで仮のモデル」と断ってるが。

502:考える名無しさん
18/07/18 15:25:29.41 0.net
なるほど東洋のさまざまな思想を
統一感のあるモデルに仕立てると
しかしそのこしらえた多層構造に
思想の言葉を当てはめて整理しても
説得力ある繋がりが見えてこないと意味がない
つまりそのモデルによってはじめて
明らかになった成果を具体的に教えて欲しいのだ

503:考える名無しさん
18/07/18 18:23:13.15 0.net
>>502
本質という視点から禅や道家の究極的本質は無いとする無本質論と究極的本質リアリティを想定するシャンカラ哲学を据えるが二つの鋭い対立を説きつつ無分節という点で共通すると説く。
またイブンアラビーの存在一性論もシャンカラと同じタイプに分類する。
両者とも究極的一者を想定してる。両者とも存在のゼロポイントを語っていると示唆してる。
少し省いて普遍的本質実在論が3タイプ。
第一のタイプが宋学。
中庸の已発(既に分節された意識)と未発(意識と存在の未展開状態。存在のゼロポイント)について語る。未発の性質は無極而太極(無の究極即有の究極)とする。
第二のタイプが元型を普遍的本質と認めるタイプ。
神秘主義、密教、シャーマニズム、ユダヤカバラ主義など。
詳述は避けるが元型から昇るイマージュ的無意識を手がかりにそれを利用し存在=意識のゼロポイント体験たる神人合一を目指す潮流。
第三のタイプは普遍的本質を概念として表層意識で理解するタイプ。
プラトンのイデア論や孔子の正名論(名と実を一致させようという論)
ニヤーヤヴァイシェーシカの存在範疇論など。
こういう分類をしてる。
こうした壮大な試みの根底には存在主義とも言うべきただ「在る」という事の深みを示唆してくれていると自分は思う。

504:考える名無しさん
18/07/18 18:55:20.00 0.net
そうか、説明はありがたいが
分類の妥当性と、分類から判明した
新しい知見というのが不明瞭だな
特に分類が抽象的で壮大なのが気になる
全体像じゃなくて
君が詳しいとか、特に名高い2つの比較を取り上げて
絞って凄さを語ってくれないか
俺が読んだ論文での評価では
比較思想じゃなくて
イスラム思想内だけの訓詁で革新的な解釈アプローチ
があったという感じだったが

505:考える名無しさん
18/07/18 20:50:49.35 0.net
>>504
> 俺が読んだ論文
何を読んだのか?

506:考える名無しさん
18/07/18 21:04:53.40 0.net
井筒ではない今の井筒に詳しい学者の
論文というか論文誌の書き物
イスラム思想を語学的手法を用いて
新しく解釈して、それがイスラム圏や欧米の
学者にインパクトを与えたみたいな書き方だったよ
だからイスラム思想にアラビア語を古典注釈を
駆使して斬新に解釈したと思ってた
俺が知りたいのはそのアプローチ法の中身
井筒後はどういう読みになったのか

507:考える名無しさん
18/07/18 21:14:22.93 0.net
>>506
> 井筒ではない今の井筒に詳しい学者の
> 論文というか論文誌の書き物
タイトルを挙げれば他の人も確認できるし
話が早いだろ

508:考える名無しさん
18/07/18 21:15:46.12 0.net
思い出せないけど
後でちょっと探してみるよ

509:考える名無しさん
18/07/18 21:20:05.47 0.net
人にものを尋ねる前に、自分の根拠を示す。
当たり前の話。

510:考える名無しさん
18/07/18 21:22:48.34 0.net
いや詳しい人なら
井筒がアラビア語の言語学的な古典注釈で
大きな仕事をしたかどうかは判断できるだろ
そんな話聞かないとかそれは評価されているらしいとか

511:考える名無しさん
18/07/18 21:31:26.75 0.net
いつまでもその辺をうろついていればいい

512:考える名無しさん
18/07/18 21:33:24.48 0.net
なんだやっぱり世界的業績が
パッと出てこないのか
みんな同じか

513:考える名無しさん
18/07/18 21:36:13.21 0.net
伝聞と推量

514:考える名無しさん
18/07/18 21:36:55.14 0.net
アラビア語の宗教的訓詁学はアラブ世界
にもあるだろうし
キリスト教の文献学も応用しやすいだろう
そこで井筒が語学的に鮮やかな意味分析を施して
一里塚を築いたとしたら世界的と言っていいのだが...

515:考える名無しさん
18/07/18 22:00:15.28 O.net
>>387
ロシアは専制的。アジア的ヨーロッパ
日本は共和的。ヨーロッパ的アジア
おもろいね

516:考える名無しさん
18/07/21 11:01:51.94 0.net
不寛容な人に対して寛容であってはならない。もしオリヴァー・ウェンドル・ホームズの
言うように、自由な表現は、もしそれが明らかな目の前の危険だという証明がつく場合に
かぎり制約されるべきだ、と考えたならばリンカーンの主張は不可能になっていただろう
すなわちリンカーンは、平等の原理にはいかなる妥協もありえないこと、この原理は人々
の選択や選挙に基づくものではないのであって、そもそも人々が選挙をおこなう条件で
あること、黒人奴隷問題に関する大衆支配は、たとえ血まみれた内乱という明らかな目の
前の危険を回避できるとしても許されないことを主張したのである。
-アメリカンマインドの終焉-アラン・ブルームより一部抜粋
我々文明人は不寛容たる野蛮なムスリム達に対して決して妥協的であってはならないのだ

517:考える名無しさん
18/07/21 11:12:52.20 0.net
>>516
> 我々文明人は
何という差別。何という不寛容。

518:考える名無しさん
18/07/21 13:08:53.72 0.net
>>516
誰だ?関係ない政治的主張を宣うのは!

519:考える名無しさん
18/07/22 15:14:39.77 0.net
存在認識の道 解説Y pp.268−269
「存在という偶有を受け容れる以前の本質、すなわちまだ無の状態にある本質をモッラー・サドラーはアヴィセンナに従って可能的存在者と呼ぶ」
「可能的存在者は存在論的には実に妙な、中途半端なものとなってしまうのである。だが、アヴィセンナをこのように解釈するのは、通俗的解釈に過ぎない。
これはアヴィセンナ自身が理解していた存在可能性の概念からは程遠い。……存在から切り離して純粋にそれ自身で考えられた本質が可能的存在者に他ならないからである。」
「・・・・・・本質が先ず最初に、どこかわけのわからない所に、わけのわからない仕方で、可能的存在者として存立して、次に存在というリアリティが原因によってその中に注入され……というようなことが実在的に起こるわけではない。そういではなく・・・・・・」

520:考える名無しさん
18/07/22 15:34:24.92 0.net
>>519
これらの井筒(またはモッラー・サドラー)とイブン・スィーナーの本質理解はズレがあるように感じる。
確かにイブン・スィーナーは本質を可能的存在と呼んだけれども、必然的存在としての観点とセットであり、それら存在ということが本質に偶有・属性として対している。
「存在から切り離して純粋にそれ自身で考えられた本質」「可能的存在者」はともにイブン・スィーナーの言うところであるが、前者が後者であること「他ならない」ということはないであろう。
正確に言えば、イブン・スィーナーは本質が存在と結合しえる状態、または関係を「可能的存在」と呼んでいるのであって、「存在から切り離して純粋にそれ自身で考えられた本質が可能的存在者」というのとはズレがある。
本質が可能的存在者そのもの、つまり本質を実体的な存在のようにと想定するからこそ、井筒は「本質が先ず最初に、どこかわけのわからない所に、わけのわからない仕方」という批判を想定してしまう。
「次に存在というリアリティが原因によってその中に注入され……というようなことが実在的に起こるわけではない」というが、イブン・スィーナーの創造論(流出論)を考えれば、まさに事態はそのようなものとしか言いようがない。
必然的存在者・一者・神が存在を与えることによって、それらは存在する。この存在性はまさに本質とは区別され、その存在性が本質をリアリティ化(必然的存在化)する。
ここにおいて、本質ということそれ自体は存在と(可能的であろうとも、必然的であろうとも)別である。
これがイブン・スィーナーの説であって、本質を可能的存在そのものと見做したり、「存在というリアリティが原因によってその中に注入され」のではない、というのはモッラー・サドラー流の存在一性論的な解釈でありイブン・スィーナーの言うところから離れて行っている。
モッラー・サドラーによれば、存在自体が本質と不可分、むしろ存在(の強度)が本質というものがある由来としている。
イブン・スィーナーによれば、存在ということはあくまでも本質の結果であり、偶有である。
結局のところ、「アヴィセンナの真意」と井筒の言うところは、現代イラン・イスラーム哲学によるイブン・スィーナー解釈であって、イブン・スィーナー自身に即したものではないと言えよう。

521:考える名無しさん
18/08/02 20:03:38.27 0.net
井筒俊彦の生涯・思想・業績を紹介するドキュメンタリー映画
『シャルギー(東洋人)』
URLリンク(www.youtube.com)
“昔、東洋と西洋は衝突していが、井筒俊彦における東洋と西洋は響きあう”
東京イラン映画祭 8/7(火)〜8/9(木)チラシ
URLリンク(pbs.twimg.com)
URLリンク(pbs.twimg.com)
東京イラン映画祭開催のお知らせ
イラン外交関係樹立90周年を迎えるにあたって8月7日〜9日、
港区の赤坂区民センターにて東京イラン映画祭を開催いたします。
今回の映画祭ではイランの有名監督7人の作品を一挙公開する予定です。
詳しくは東京イラン映画祭2018のチラシをご覧ください。
主催:イラン文化センター(イラン・イスラム共和国大使館付属)
協力:港区、港区国際交流協会
日程:8月7日(10:00〜21:00)、8月8日(10:00〜21:00)、8月9日(10:00〜17:00)
オープニングセレモニーは8月7日(火)15:00〜15:30
会場:赤坂区民センター区民ホール(3F)
ペルシャ語音声・英語字幕(シャルギー(東洋人)は日本語字幕)
鑑賞料無料・予約不要

522:考える名無しさん
18/08/02 20:05:06.35 0.net
>>521
慶應義塾大学出版会@KEIOUP
日本の著名なイスラム学者で、コーランを日本語に翻訳した
故・井筒俊彦氏の生涯と思想を描いたたドキュメンタリー映画「シャルギー(東洋人)」が
8月7日、9日と東京イラン映画祭内(赤坂区民センター区民ホール)で上映されます。
3:57 - 2018年7月27日

niconicoffee@252coffee
今日の井筒俊彦ドキュメンタリー映画上映会は、
イラン文化指導省大臣顧問とかの挨拶があり、出演者も10人くらいきてて壇上で挨拶し、
上映後には監督本人と出演者代表によるティーチインもあり、
さらに会場外で飲み物とお菓子があって監督や出演者と歓談もできるという、
途方もない豪華上映会でした、、
8:12 - 2018年7月24日

523:考える名無しさん
18/08/03 01:54:57.23 0.net
>>521
東洋人(シャルギー)- wiki
URLリンク(ja.wikipedia.org)
日本のイスラム学者、井筒俊彦氏の生涯を描いた映画、制作終了
URLリンク(parstoday.com)
日本で、井筒俊彦氏関連のドキュメンタリー映画「東洋人」(シャルギー)が公開
URLリンク(parstoday.com)
> この映画の制作にあたっては、12カ国以上の著名な思想家102人とのインタビューが行われています。
映画「シャルギー(東洋人)」の日本公開式典でイランのイスラム文化指導省代表が演説
URLリンク(parstoday.com)

524:考える名無しさん
18/08/07 23:58:36.76 0.net
『シャルギー(東洋人)』は、単なる回顧録ではなく、哲学的にも充実した内容。
井筒の扱った主要な話題(言語学、意味論、宗教哲学、東洋、西洋、
イスラム、キリスト教、ロシア、インド、中国、仏教、神道など)
をバランスよく見渡し、世界的視点から今日的に読み直そうとしている。
シャルギーとは、「東洋の〜」という意味らしく、
「東洋人」だけでなく、井筒のいう「東洋哲学」も追う形となっている。

525:考える名無しさん
18/08/07 23:59:15.55 0.net
井筒の評価
・言語テクストに向き合い、多様な宗教性を超えるメタ宗教哲学であったこと
・ムスリムにとっても、コーランを読み直す新しい視点を提供した
・井筒の解説する「東洋」は西洋人にも理解しやすく、西洋的分析哲学と東洋的神秘主義の乖離を越える
一神教でいう「神」を、「(形而上的)絶対者」あるいはその根源に横たわる「無」や「真如」として整理したことは、
イスラム圏の人にも西洋人にもよく理解されているようで、評価が高かった。

526:考える名無しさん
18/08/07 23:59:45.04 0.net
井筒は、政治性を匂わせることがなかったが、
どうもエラノス会議が、戦後にもかかわらず、二次大戦について政治的関心を寄せる雰囲気がない、
そういう性格のものであったらしい。

527:考える名無しさん
18/08/27 10:01:50.52 0.net
イスラム教徒に我慢ならないのは人権上の問題を指摘しても
人種差別と話をすりかえ議論にならないこと
根拠ある批判をおこなっているのに正面から対応する気が全くない
自由な社会においては宗教テキストは全て精査されるのだ
それに耐えられないのなら自分の国に帰るべきなのだ。

528:考える名無しさん
18/08/27 14:30:36.47 0.net
英文著作翻訳コレクションの刊行が止まってますね。
楽しみに待っているのですが。
原著の再版もストップしている様子ですし商業的な理由からなんでしょうかね?

529:考える名無しさん
18/08/27 14:34:21.59 0.net
英文著作翻訳コレクションの刊行が止まってますね。
楽しみに待っているのですが。
原著の再版もストップしている様子ですし商業的な理由からなんでしょうかね?

530:考える名無しさん
18/08/27 19:10:59.03 0.net
ガザ―リ「哲学者の自己矛盾」を読んでるけど、かなりいい感じだよ。
みんな、読んでみてよ。

531:考える名無しさん
18/08/28 10:33:44.70 0.net
 あまり日本で読んでいる人は少ないので、ガザ―リの「哲学者の自己矛盾」という本の内容を紹介する。
 ガザ―リによれば、世界(実存)の始まりより先に創造主(本質)があったはずである。
「世界の中に創造主はいない」という実存主義と考えられる主張が語られる。
ガザ―リはサルトルとは異なる主張を展開する。
 例えば、ガザ―リは「世界を創造する前に、創造主が存在した」という主張をとり、
「世界は始まりもなく、終わりもない。永遠の意志によって世界は存在する」という主張と対立する。
 さらには、イヴン・スィーナーの主張をガザ―リは紹介していて、かなり興味深い神学が語られる。
それは、こういうものである。神は原因であり、世界は結果である。
原因より結果は優れているはずなので、創造主たる神より。結果であるこの世界は優れていて幸せに満ちているはずである。
つまり、神は、この世界より醜く不幸でさげすまれているはずだ。
だから、この世界は我々が神として想像している概念よりももっと美しく幸せで誇り高き高貴な世界であるはずだ。
ガザ―リも「神よ、どうか実体より偉大な存在であってくれ」と力説してしまうが、
神はこの世界の素晴らしさより醜いものであろう。この世界の喜びは、神の優しさの現れであろう。
 キルケゴール「おそれとおののき」を読んだらまた加筆する。

532:考える名無しさん
18/08/28 19:07:17.57 0.net
せんでよい

533:考える名無しさん
18/08/28 19:55:36.97 0.net
連投君は誤読ばかりだから辛いわ

534:考える名無しさん
18/08/29 15:34:12.00 0.net
ガザーリーはオレは興味あるな。新実在論系のハーマンが取り上げてなかったか?

535:考える名無しさん
18/08/29 16:01:43.83 0.net
>>533
確かに、ぼくの解釈で書いているけど、
ガザ―リーについて書かれた哲学史ものはまったく存在しないじゃない。
よく、西洋哲学史が三世紀から十六世紀まで間が空っぽになって書かれているけど、
つまり、そこは本来、イスラム哲学が紹介されるべきなんじゃないの。

536:考える名無しさん
18/09/19 17:12:25.03 0.net
哲学者の自己矛盾(中村廣治郎訳)第八問
『本質(mahiyyah)の否定は本性(haqiqah)の否定である。存在者の本性が否定されれば、存在は思惟されない。』
『本質の否定は本性の否定であり、本性の否定によって残るのは、存在という言葉だけとなり、それが本質と関係づけられないときには、何の実体もないのである』
この訳文だけで理解しようとすると、どうして本質(マーヒーヤ、何であるかということ)の否定が本性の否定であり、それが存在が空虚(思惟されない)となるのかは中々理解できない。
ここで本性と訳されているハキーカとは第一義としては真実、真理、事実、現実であることを意味する。次いで本性、実在、真相、本質ということを意味する。
あるものの本質ということではマーヒーヤとハキーカの意味は重なっている。
とすると、ある本質(マーヒーヤ)が否定される時、それは本性(ハキーカ)が否定されるのと同義であり、ハキーカが否定されるということは、その現実性、実在性も否定されるのと等しい。
現実、実在であることが否定されれば、「存在、存在する」ということは、ただの言葉であり、概念であり、それ以上の意味はないことになる。
このようなマーヒーヤは、『意識と本質』Uで述べられているものとは意味が違うであろう。
『意識と本質』ではマーヒーヤとフウィーヤは対立する。フウィーヤは個別的本質であり、現実的なリアリティを持つ。マーヒーヤは普遍本質であり、イデアのようなものであって、このようなリアリティを持たない。
ガザ―リーの言うマーヒーヤはこのような細分化された体系での意味ではなく、ここでのマーヒーヤはむしろアリストテレスに近いものと思われる(つまりマーヒーヤの語源に近い)。
ガザ―リーにとって、本質(マーヒーヤ)こそが存在の真であって、イブン・スィーナーのいうところの純粋存在(ウジュード・マフド)のようなものは、真なるものではないということになる。

537:考える名無しさん
18/10/08 05:37:26.17 0.net
ガザーリなんてイスラム世界を暗黒時代に追いやった張本人だろ

538:考える名無しさん
18/10/08 13:40:57.66 0.net
>>537
大学者の業績を一面だけで見て切って捨ててはならない。
例えば復古神道の大成者本居宣長は古事記をそのまま史実として読むという原理主義者。
高度に発達した仏教哲学や儒教を「いとこちたき造り事」として排斥する一方で現代に至る国文学の基礎を作った。
ガザーリーも原理主義的側面を持つ一方現代哲学の思弁的実在論にその隅因論が影響を与えたりアルガゼルとして西洋哲学に決定的影響も与えてる。

539:考える名無しさん
18/10/08 14:16:22.65 0.net
ガザーリー一人にそこまで影響力あったらとんでもない超天才ってことになるが

540:考える名無しさん
18/10/08 15:09:21.61 0.net
イスラム教スンニ派では「ムハンマド以来最大のムスリム」とされる超天才がガザーリー。
それだけの大物は一面だけで割り切れない。

541:考える名無しさん
18/11/01 10:14:41.00 0.net
ガザーリによってイスラム世界は信仰が理性に勝利した。
ルネッサンスまで後一歩だったのに
こいつの登場前は信仰より真理がまさるという意見もあったのに

542:考える名無しさん
18/11/01 10:32:59.92 0.net
科学的かつ客観的真理への信仰乙

543:考える名無しさん
18/11/01 16:02:52.00 0.net
モンゴルの侵入によって荒廃したのが原因だが

544:考える名無しさん
18/11/01 17:44:59.81 O.net
イラン人やトルコ人もコーランはアラビア語で読んでいるの?

545:考える名無しさん
18/11/02 01:47:05.83 0.net
> 7世紀頃、ペルシア語に翻訳されたものをはじめとして、
> 現代に至るまでアラビア語を母語としないムスリム向けにクルアーンの翻訳がなされている。
> しかし、アラビア語以外のクルアーンが、クルアーンとして扱われることはなく、
> ムスリムは礼拝においてアラビア語でクルアーンを唱えることが義務である
> (これは日本人の葬式において、般若心経の現代語訳が唱えられないのと似ている。)。
>
> かつてトルコ共和国では政府の脱イスラム化の改革の一環として、
> クルアーンのトルコ語化がはかられるようとしたが、注釈用として以上の用途にはついに広まらなかった。

546:考える名無しさん
18/11/02 01:48:39.19 0.net
この般若心経云々の例には納得

547:考える名無しさん
18/11/02 01:58:11.86 0.net
>>543
むしろ、そこからが本番(>>422-425)

548:考える名無しさん
18/11/02 02:01:06.25 0.net
トルコ共和国で行われたのはアザーンのトルコ語化だけで礼拝そのものはアラビア語だ
アザーン自体は各国語で行うこと許されているがそれでさえ不評だったからアラビア語に戻した

549:考える名無しさん
18/11/02 06:43:53.25 0.net
>>546
般若心経に限らず
日本のお経は一般信者は意味がわからなくてもよいものとして
唱えられているからなあ

550:考える名無しさん
18/11/03 16:27:54.31 0.net
昔、仏教界でも現代語訳でお経を読もうという動きがあったが檀家に不評で止めたらしい。

551:考える名無しさん
18/11/10 00:49:34.02 0.net
意味ではなく音が大事

552:考える名無しさん
18/11/10 13:11:34.98 0.net
日本の仏教ではそういうことが言われるが音が大事なんてことは残念ながら仏典に書かれてないんだよ

553:考える名無しさん
18/11/10 16:00:12.88 0.net
> 井筒俊彦(1914-1993)スレ

554:考える名無しさん
18/11/12 00:53:47.15 0.net
お寺で読経をするような時は「意味は知らなくていい」といわれる。
それぐらいの方が無心になれるから。
哲学で扱う時は、その一字一句を原語のレベルで読む。

555:考える名無しさん
18/11/13 11:55:42.61 0.net
パキスタン人「イスラム教の国での生活は地獄である」
URLリンク(coffeehonyaku.blogspot.com)

556:考える名無しさん
18/11/17 17:28:04.26 0.net
>>542
科学は自然の無矛盾な理解が前提
イスラムは神が前提ということかな
新井白石が神という前提に有効な反論していて面白かった

557:考える名無しさん
18/11/18 14:54:30.58 0.net
アリストテレスの論理学であるオルガノン諸書は一般的にカテゴリアイ、命題論、分析論前後書、トピカ、ソフィスト駁論の6つだが、イスラーム哲学だと更に弁論学と詩学も論理学書だと見なされていた
この8つにポルピュリオスのイサゴーゲーを合わせたのが論理学の基本書

558:考える名無しさん
18/11/23 12:02:47.05 0.net
「多文化社会とは多紛争社会であり紛争の恒常的な状態を言います。」
「イスラム教原理主義者は私たちの生活様式である啓蒙主義の理想とは
何の関係もない。未来は破滅に向かっている。」
イスラム化を警告していたフランスの賞を受賞した歴史家・ジョルジュベンツサン

559:学術
18/11/23 13:56:49.94 0.net
お経ん坊さんの発言は論旨を見ると、遅れていると言わざる負えない。
救済するならそれなりの勉強、活動してほしい。

560:考える名無しさん
18/11/23 14:42:49.88 0.net
ヒンドゥーの一亜流に過ぎない釈迦の観念論が、後世平民に迎合し腐敗し、
支那を過ぎ更に歪曲して伝播された仏教なんか信仰に値しない。
尤も、ヒンドゥーの最終形態ヴェーダーンタ至高の聖典は、
平民なんかに真に理解出来ないから仕様ない。

真の宗教を理解も実践も出来ない平民は、
仏教(≠釈迦の教え)キリスト教(≠キリストの教え)等の似非宗教か新興の偽宗教を信仰するしかないからな。
抑々、何もかもがその程度だ。

釈迦が悟りとやらを開いた時、それを平民に理解させるのは無理だと諦めた。
梵天勧請から布教を始めたらしいが、やはり、平民には理解不可能。
故に、最後に法華経でお茶を濁した。

似非宗教なんか出さなくても、カルマの法則は機能している。
原因のない結果はない。
科学的に云うと、作用反作用の法則みたなものだ。

抑々、共産主義は、原始キリスト教から派生した宗教だ。
そら、仏教もキリスト教も迫害するさ。
似非宗教VS似非宗教の図式。

561:考える名無しさん
18/11/24 06:11:57.42 0.net
>>560
法華経は釈迦が説いたものでなく後世釈迦に仮託して説かれた経典だよ。

562:考える名無しさん
18/11/25 12:43:35.15 0.net
アズハルのようなイスラム教育期間では、クルアーンの最も正しいのはクルアーンを
文字通り読み字義通り解釈することであると教えられています。またイスラム法上の
最も強力な規定というのは、クルアーンとハディースの字義通りの意味から導出される
規定であるとも教えられています。これらはイスラム法の大原則であるとも教えられています
クルアーンの章句に立脚していればそこから導かれる複数の解釈は全て正しい価値を持つ、
というのがイスラム教の教義です(中略) 人間には本当のことはわからず真実は神だけがご存知、
というのがイスラム教の大原則であり、解釈が複数存在する場合に どの解釈を採用するかは
個人の選択に委ねられています。
私のクルアーンの引用が恣意的であると感じる人もいるかも知れません。
しかしクルアーンの特定箇所やハディース、 イスラム法の権威ある学説を論拠として引用し
正当化するのがイスラム法的論証の基本的なやり方なのです。
イスラム教の倫理 飯山陽 一部抜粋

563:考える名無しさん
18/12/03 08:29:39.82 0.net
愛弟子の五十嵐教授が殺されてもイスラムへの愛着は変わらなかった。
つまり「悪魔の詩」を翻訳した五十嵐は殺されて当然と考えたのだろう。
イスラム教とはそれほどまでに人間性を奪うものなのだ。

564:考える名無しさん
18/12/03 14:51:27.40 0.net
普通の知性があれば理解できるだろう。
逆のケースを想定してみよう。日本人で誰か狂信的な右翼が、イランの
大学教授に天皇について否定的なことを書かれたから、殺害してやろう
と思い立つ。で、イランに渡航したところで、イランの大学の研究室
を訪ね、他に誰もいない時間帯を狙って教授を殺害し、日本に逃げ帰る
ことに成功する、なんてシナリオよりも、現地の言葉も文字も分らず、
教授の殺害に成功するどころか、教授の研究室のある大学までたどり
着けない可能性の方が高いんじゃないかなw

565:考える名無しさん
18/12/03 15:49:52.57 0.net
当時はイランとはビザなしで渡航できたから沢山イラン人がいたんだな

566:考える名無しさん
18/12/03 16:13:27.21 0.net
そのなかで筑波みたいな田舎の大学の研究室を探し出して、殺害と逃亡を
綿密に計画できるような日本語能力のあったイラン人がどれだけいたかな?

567:考える名無しさん
18/12/04 12:22:09.87 0.net
>>563
意味不明…

568:学術
18/12/04 14:11:58.23 0.net
大学校教授じゃなあ。司教とかのほうがいいのにね。

569:学術
18/12/04 14:12:41.97 0.net
教授行為も格調高いもんでしょ。レーラーリン。

570:考える名無しさん
18/12/06 14:18:17.93 0.net
言語と呪術を読むとしよう。

571:考える名無しさん
18/12/06 16:10:54.51 0.net
読経で物の怪を調伏していたのだから呪術でしょうw

572:学術4
18/12/06 17:05:32.29 0.net
呪文 呪詛 呪術 のどれかを選んで説明して?三人以上で。

573:考える名無しさん
18/12/06 17:16:17.88 0.net
>>572
どういうこと説明して?

574:考える名無しさん
18/12/07 13:44:04.66 0.net
我々はイスラム教徒に騙されてはならない。非イスラム教徒から澎湃と湧き起こる
反イスラムの動きを抑えようと嘘をついているのだ。欧州では人種差別として扱うべきと
する要求すら出している。平和の宗教と虚言をばらまき宗教が人種問題なんてありえん
確かに聖書にはヘト人やアモリ人を皆殺しにせよという残虐な神からの 命令があります。
しかし我々はヘト人でもアモリ人でもありません。 つまりユダヤ人やキリスト教徒が
殺害する対象には我々は含まれていません。 しかしイスラム教の不信仰者や多神教徒を
見つけしだい殺せという 神からの命令は今でもいきているのです。
フランスの有識者達が残虐な章句を削除するように要求した時に
それに賛同したイスラム法学者がいただろうか?少なくとも私は一人たりとも知らない。
いるなら教えて欲しい。トルコやイラン、エジプトと反対と反発ばかりなのだ。
つまり不信仰者と多神教徒殺害の神からの命令を放棄しないと言っているのだ。
人口1千万以上の人口で日本以下の殺人発生率の国は世界で一ヶ国も存在しない。
我々の社会と子孫を守る為に彼等ムスリムを一人たりとも受け入れてはならない。

575:考える名無しさん
18/12/11 13:49:52.28 0.net
古代日本語は話された言葉とその対象とのあいだに違いがなくコトという同一の語が両者に当てはめられる(言語と呪術)より。

576:考える名無しさん
18/12/11 14:23:16.98 0.net
「言語と呪術」で井筒俊彦はカルナップやチャールズ スティーブンソンみたいな分析哲学を飲用してる。

577:考える名無しさん
18/12/11 16:04:14.98 0.net
いつまで大風呂敷彦読んでるの

578:考える名無しさん
18/12/11 20:38:13.72 0.net
>>574
誰だよ?最近政治的主張する変人が出没してるけど。お前だよ!

579:考える名無しさん
18/12/11 20:44:43.28 0.net
>>577
大して井筒俊彦読んでないクセに!
「意識と本質」要約する位やってから大口叩け。

580:考える名無しさん
18/12/13 10:52:48.34 0.net
語学達人界隈のネタってフカシばっかだよね
フカシ彦

581:考える名無しさん
18/12/17 10:24:47.96 0.net
井筒俊彦って若い頃すごい美形だったんだね
嵐の櫻井君みたい
URLリンク(i.imgur.com)

582:考える名無しさん
18/12/18 09:15:24.67 0.net
何故ユダヤ教徒やキリスト教徒がムハンマドを預言者と認めないのか、
それは預言者は神の選民たるユダヤ人からしか誕生しないとしているから。
考えてみて欲しい、ムハンマド以外の預言者は全て例外なくユダヤ人である。
そのことはキリスト教徒も理解している。ムハンマドが預言者という基本的なところで
虚偽であるとして嫌われる。神の選民でもないアラブ人から生まれるものかよ、と

583:考える名無しさん
18/12/18 13:24:43.71 0.net
預言者はユダヤ人のみと言ってるのはユダヤ人だけ、という可能性もありますね

584:考える名無しさん
18/12/18 13:48:42.55 0.net
預言者が山師って可能性が一番高い

585:考える名無しさん
18/12/21 11:25:23.14 0.net
>>582
聖書の預言者はユダヤ人だけじゃないよ。

586:考える名無しさん
18/12/21 11:27:55.19 0.net
言語と呪術はラッセルや心の哲学で活躍するデネットの師ライルも引用してる。

587:考える名無しさん
18/12/22 11:36:48.40 0.net
時宜にかなった本の邦訳が出版されました。
イギリスのジャーナリスト、ダグラス・マレー氏が著した『西洋の自死』
(町田敦夫訳、東洋経済新報社)です。 欧州諸国は戦後、移民を大量に受け入れてきました。
著者のマレー氏は、その結果、欧州各国の「国のかたち」が大きく変わり、
「私たちの知る欧州という文明が自死の過程にある」と警鐘を鳴らします。
昨年出版された本書は、まず英国内でベストセラーになり、
その後、欧州諸国を中心に23か国語に翻訳され、大きな話題となっています
URLリンク(www.sankei.com)
イスラム移民がいかに社会を破壊するか理解できる正義の本が発売!

588:学術
18/12/22 11:46:03.84 0.net
戦ってみて認めてるんじゃないの?

589:考える名無しさん
18/12/23 08:20:31.30 0.net
アラブとムスリムは世界に荒れ狂うテロの直積責任を認めよ
―イラク紙編集長の主張― 著者アドナン・フセイン
小学校、中学校、高等学校そして後になると大学でも、宗教と歴史の教科で我々は選民であり、
至高且つ栄光の民であるとか、我々の宗教が真の宗教であり、(地獄の業火から)救われる
正しい民は我々であるとか、ほかの民は偽りの民で地獄に落ち業火に焼かれる不信心の民であり、
その民の殺害は許され、その民の財産と妻を我々がとっても構わないなどと教えている
我々の子供達と孫達は、他者の宗教や民族或いは国籍などに関係なく、すべての他者を敵視して、
世界聖戦をやっているのである。この環境が過激イスラム集団を生みだした。この集団は、
貧困と失業という土壌で発芽し、汎アラブ主義の名においてそして又時には宗教と宗派の名に
おいて犯される拝斥、人権強奪、個人及び集団の自由の侵害そして信義の侵害によって育っていく
我々はテロに対する我々の責任からのがれることはできない。言い訳も役に立たない。
まず我々は責任を認め、我々自身と他者に謝罪し、今から我々の生き方を改めていかなければならない。
そのためには、教育のカリキュラムを再検討し、初等教育から大学レベルまでそれを根本から
かえなければならない。それをやらないと何も前に進まない
URLリンク(memri.jp)

590:学術
18/12/23 09:03:16.72 0.net
過激派は一部だが激高することがあってもいいよ。

591:考える名無しさん
18/12/24 00:30:22.91 0.net
@岩波文庫2月。
小池昌代編『吉野弘詩集』
宇野千代『色ざんげ』
川合康三,富永一登,釜谷武志,和田英信,浅見洋二,緑川英樹訳注『文選 詩篇 五』
井筒俊彦『神秘哲学―ギリシアの部』
岡義武編『明治政治史 上』

592:考える名無しさん
18/12/24 09:39:08.90 0.net
一夫多妻制は市民権であると述べたイスラム教徒の指導者、
イタリア政府で「民主的代表」を要求
URLリンク(www.ilgiornale.it)
イタリアイスラム共同体連合(UCOII)の創設者は、イタリア人は「一夫多妻制の
人口学的効果を過小評価するべきではない」と主張して知られています
彼は今、そのイタリア政府に、イスラム教を政治体制に持ち込むよう求めています。
「政府がイタリアのイスラム教に秩序をもたらすことができる協議を組織させよう、
我々はこの無秩序にうんざりしています」

593:考える名無しさん
18/12/26 09:12:38.55 0.net
日本での「本来のイスラーム教はこうだ」という議論には、イスラーム教も日本的な
「こころ教」と「本来は」同様であると議論するものが多く、欧米でもスピリチュアリズムや
政教分離思想を普遍的と考える論者が、イスラーム教でも宗教は人間の内面に限定されるのが
本来のあり方であるという誤った説明をしているといった事情がある。
アラブ世界でも、イスラーム世界一般でも圧倒的多数は、人間の外部に神が絶対的な規範を定め、
それを人間は護持していく義務があるのだ、と信じている。日本の宗教に大きく欠けているのは
(それがいいか悪いかは別に)、律法主義的な側面だ。「あなたがどう考えるかどうかとは別に、
あなたのこころとか世俗社会の論理などの外に、絶対的な規範を示す存在がいて、
規範を示しています」ということ信じ、実践する(それぞれのあり方で)のが律法主義と言えるが、
日本ではこれを理解できない人が多い。私はどのタイプの宗教が正しくて、他は正しくない、
という立場ではない。しかし日本の外には律法主義を根幹とし、「本来」のあり方とする宗教があり、
人数から言っても、国際世論の中での支配的な地位から言っても、そちらが圧倒的に優位である。
キリスト教を固く信じているからイスラーム教を認められない、というような人はまだ、
自分がどのような規範体系を信じていて、それに対してイスラーム教の規範体系のどの部分が
認められない、ということを議論するきっかけがある。しかし「こころ教」の場合は、
世界の大多数の人が信じている律法主義的な宗教を丸ごと「宗教じゃないでしょ」と言って頭から退け、
自足してしまうのだ。当初から、イスラーム教(あるいは宗教一般)にある律法主義的な側面と
霊性主義的な側面の判別能力の有無が、日本での無理解や抵抗感の根幹にあると私は考えており、
折に触れ指摘してきたが、状況はまるで変わっていない。宗教者や宗教学者ですら気づかないのだから、
一般人は気づきようがない。----------------------------------池内恵

594:考える名無しさん
18/12/26 10:27:58.91 0.net
「薔薇の名前」でも読んだらいいんじゃね?

595:考える名無しさん
19/01/01 03:48:49.05 0.net
アルジェリアの活動家は「哲学と闘う」ことを望んでいる
政治活動家Houria Bouteldjaは、イスラム人権委員会の会議でスピーチで次のように
述べています、哲学主義と戦う "「我々は国家人種主義の同じ面である過激なイスラム恐怖症と
哲学を批判しなければならない。ハマスとヒズボラは抵抗する抵抗運動です。
私はこれら二つの運動が抵抗運動であることを大声ではっきりと述べます。」
URLリンク(www.i24news.tv)

596:考える名無しさん
19/01/01 04:02:48.73 0.net
サウジアラビアに導入される哲学 18年12.31
サウジアラビアの教育者たちは、王国の学校で哲学の研究を紹介する準備を始めました。
何人かの観察者はサウジアラビアの教室に哲学を含めることを賞賛し、彼らはデジタル教育と
STEM科目(科学、技術、工学と数学)に重点を置いているビン・サルマンの教育改革に賛辞を
示しています。しかし、他の人たちは、まさに「哲学」や「批判的思考」が何を伴うのかについて
懐疑的です。クウェートの教育者、Dhari Salmanは「哲学を自由思考プロセスではなく
悪魔の道具と見なすことは保守的な長老たちの間では一般的でした。」問題は、「神学は
サウジ国民が生まれる瞬間からの日常生活における最大の関心事である」ということです。
1960年代に始まって、シェイク・アブデル - アジズ・ビン・バズと他の高い尊敬された
サウジアラビアの宗教学者たちは学校で哲学の教えを禁止するいくつかの「ファトワ」(イスラムの判決)
を出しました。彼らは、この主題を「異端者」および「悪」と見なしました - 社会の柱に対する脅威です。
URLリンク(www.ynetnews.com)

597:考える名無しさん
19/01/01 13:19:13.33 0.net
>>595
政治的主張はよそでやってくれ。

598:考える名無しさん
19/01/01 15:21:07.39 0.net
>>596
宗教学者が危機感を抱くほど哲学が浸透してるのは喜ばしいことではないか。
何か問題でも?

599:考える名無しさん
19/01/02 08:25:52.30 0.net
>>598
ムハンマド皇太子が改革でこれから哲学を導入するという話なんだが?
サウジは60年代から哲学を教えていない。

600:学術
19/01/02 09:01:02.93 0.net
一夫多妻というと妻が並べられるから品が悪いね。女が多いのは良いけど。

601:考える名無しさん
19/01/02 12:05:39.91 0.net
>>599
いくら極端な保守的ワッハーブ主義者が外来思想の受容を拒んでもグローバル化にさらされて受容せざるを得なくなるよ。
イスラムには豊穣な哲学的遺産があるからそれが再発見されると良いね。

602:考える名無しさん
19/01/03 14:44:42.29 0.net
哲学は全てを検証するだろう。それは神や信仰も例外としない。
批判精神にイスラムが耐えられるとは考えられない。
ザカーリーを持ち出して哲学者は再び非難されるだろうな。
過去におきたことと同様のことがおきるだろうな。

603:考える名無しさん
19/01/03 18:04:27.91 0.net
>>602
ザカーリーって誰?
聞いたことないが?
ガザーリーなら活躍して何年たったと思ってる!
古いよ。
最もガザーリーの偶因論はグレアム ハーマンの最新の哲学に取り入れられてるけどね。

604:考える名無しさん
19/01/04 19:52:04.88 0.net
偶像禁止という偶像を破壊できるか

605:考える名無しさん
19/01/05 07:46:34.29 0.net
>>603
間違えただけだろう。12世紀にイスラム社会が哲学を拒否しただけじゃない。
サウジアラビアは1960年代に哲学を教育から排除しているだろう。
2度目の拒否じゃないのか?あの社会に神を自由に批判的精神で検証することなどできるのか

606:考える名無しさん
19/01/05 16:43:01.93 0.net
中東の北朝鮮という異名を持つサウジアラビアはイスラム機構57国でもかなり特殊だろ!
石油で儲けたからそういう閉鎖的政策も出来たが8割の確率で今後は変わらざるを得ない。

607:考える名無しさん
19/02/02 15:27:58.75 0.net
イスラム文学の代表作、イスマイール一世の「英雄詩」をアゼルバイジャン語から訳してくれ。
サファヴィー朝の建国者であり、「神」「預言者」と呼ばれるのを辞退したらしい。

608:考える名無しさん
19/02/02 15:41:20.28 0.net
キリスト教に関する著述をもっと読んでみたかった

609:学術
19/02/02 18:55:45.30 0.net
ソクラテスは弁証法デカルトは批判とすると批判まで零落した哲学にイスラム教相手取って何ができるというんだい?

610:考える名無しさん
19/02/02 20:30:35.98 0.net
>>608
「読むと書く」「神秘哲学」「ロシア的人間」でキリスト教に触れてる部分はあるよ。

611:考える名無しさん
19/02/04 11:57:46.98 0.net
イスラムもの。読んで感想くれ。
井戸の所有
スレリンク(bookall板:145番)

612:考える名無しさん
19/02/04 17:58:55.49 0.net
存在と本質の関係を、非限定と限定、あるいは無限と有限の関係に置き換えてみる。

613:考える名無しさん
19/02/04 18:24:02.51 0.net
ガザーリーの「哲学者の意図」を読んでる。
340ページのところを146ページまで来た。
あまりたいした内容はない。

614:考える名無しさん
19/02/05 13:23:29.21 0.net
ブリハッドの神学的応用
スレリンク(bookall板:164番)

615:考える名無しさん
19/02/05 13:31:16.73 0.net
ここ、すごいな。インド哲学の「ブリハッド・ウパニシャッド」と似たことをいってる。
これを読むかぎりでは、「霊魂」は「無意識」のことをそう呼んでいたようだ。
ガザーリー「哲学者の意図」200ページ
そのもの自体にある性質を与えるような他の助けを必要とせず、
可能的なものをすべて所有し、
それを備えているようなもの。
これは完全(存在者)と呼ばれる。

616:考える名無しさん
19/02/05 13:50:31.00 0.net
アーリア人、アラブ人、ペルシャ人の思想的起源はゾロアスター教にあるのだから
同様の世界観が見られるのは当然だろ
ヤハウェとアッラーは似ている!と言って喜んでるようなもんだ

617:考える名無しさん
19/02/05 16:25:59.35 0.net
>>616
いや、読む前は誤解していたことでいっぱいだよ。

618:学術
19/02/05 18:15:15.82 0.net
ネーチャン オプ イスリム

619:考える名無しさん
19/02/07 10:41:03.81 0.net
>>616
ガザーリーの思考の根底にはプロティノスの新プラトン主義があるのだろう。
新プラトン主義とインド哲学は中村元以来共通性が指摘されてる。
ウィリアムジェームズが神秘主義はその宗教や地域を問わず似たものになると指摘してる。
神秘体験自体に共通性があるのだろう。

620:考える名無しさん
19/03/12 11:42:00.11 0.net
岩波文庫版の「神秘哲学」読んでるが改めて読むとこんなに面白かったのかと感動してる。

621:考える名無しさん
19/03/19 08:44:49.59 0.net
この人、ウリである共通性をたぐったジャンプが
かなり粗いよね
グダグダ書いているわりに
つなぎ目を見るといい加減
東洋とかそういう言葉に寄りかかりすぎも酷い

622:考える名無しさん
19/03/19 09:48:56.09 0.net
井筒俊彦の文庫化されたやつ、「神秘哲学」と「意味の深みへ」はどんな感じ?
興味あるんだけど。

623:考える名無しさん
19/03/19 13:46:08.37 0.net
>>621
具体的にどの著作のどの部分が粗くつなぎ目がいい加減?

624:考える名無しさん
19/03/19 13:53:51.21 0.net
「意識と本質」でいろんなタイプの思弁的な人間が
出てくるだろ
こいつのこの言葉は俺のいうこれだって論法が
いい加減

625:考える名無しさん
19/03/19 19:44:06.48 0.net
>>624
例えば?
意識と本質は思い切り単純化すると本質否定論と本質肯定論の3つのタイプが出るがどの辺が原典と照らしていい加減?

626:考える名無しさん
19/03/19 21:10:35.21 0.net
>>624
『意識と本質』より緻密で内容の濃い本とは、例えばどういうものがある?
挙げてみて?西洋のものでもいいよ。

627:考える名無しさん
19/03/19 21:18:04.76 0.net
緻密というよりもしっかりと整理されて
接続しているということが重要
グチャグチャで唐突な発想の連続じゃないということだな
たとえばコリンウィルソンの「アウトサイダー」は
きちんと整理されているし、フランス人の
「道徳を基礎づける」は明快な論旨だ
俳句だの老師だのを勝手に自分の言葉で
本質wを掴んだように性急におかしな図式に当てはめない

628:考える名無しさん
19/03/19 21:26:12.11 0.net
これは廣松もそうだな意味不明
中井正一の一部もそう
たとえば和辻はそういうものがほとんどない
大拙もな
言いたいことそのものはすぐに分かる
まあ井筒のは文体でいえば自分でも整理できていない
悪しき曲線状とも言える
どうしても入れたいから入れたんでしょっていう奴な
無論解題的な書き物は別な
以上のような意味不明さは現代日本の著作だと
まず見られない
たとえば「仏教のゼロポイント」とか
見通しがきちんと立つよ

629:考える名無しさん
19/03/19 21:39:41.90 0.net
>>627-628
その程度の本を読んでいるレベルの人に『意識と本質』は難しいかもね。

630:考える名無しさん
19/03/19 21:46:35.43 0.net
デリダは井筒俊彦を巨匠と呼び敬意を表したがデリダ的にはどこが凄いと感じたのだろう?
井筒俊彦は西洋哲学の解説に終始する書生哲学がもてはやされる日本では毀誉褒貶があるがヨーロッパやイスラム圏では日本より高く評価されるのは何故だろう?
彼の語学力を除いても評価が高い。

631:考える名無しさん
19/03/19 22:08:40.91 0.net
>>629
個々の思想/芸術への見方は別個の批評としては
読み物になり得るんだよな
ああそう感じたんですね貴方は、で済む
だがそれをあの文体で大きな構築物の部品にすると
途端におかしくなる
唐突に観念が登場してロクに整備しないで進むんだから
東洋的、が念仏みたいに響くな

632:考える名無しさん
19/03/19 22:09:46.40 0.net
まあ整理されていないのが大きいな
小林秀雄よりもさらに一段分酷い

633:考える名無しさん
19/03/19 22:12:02.08 0.net
>>631
馬鹿の耳に念仏

634:考える名無しさん
19/03/19 22:18:48.67 0.net
信者しかいないというのもヤバさの特徴だな
傷ひとつさえ指摘できないで
その程度の本を、とか言っちゃう
他人と論争になるような分野じゃないのに
かなり等閑視されてきたのは実際
理由があったんだと思うね
現実にネット上にロクなサマリーもないしね
テーマの大きさと語学神話みたいな
ハッタリでナイーブな読者を獲得しているのかもしれない

635:考える名無しさん
19/03/19 22:33:34.90 0.net
そういやこのスレ読み返してて出てきたが
九鬼も和辻型で個々の細かい穴があっても
きちんと見通しのいい論旨で唐突さはない
軽みやレトリックから生まれた俳諧表現を
謎の俺言葉でなんの前提もなく解釈したりはしない
そう考えると美学上のひとつの重大な姿勢に
ぶち当たる
それは偉大な芸術だと感じられる作品は
極めて思弁的な精神文化の分析においても偉大で
高度に整合的であるという憶測だ
これを井筒にも強く感じるな
現代アートの有名作品には必ず深い哲学が
潜んでいるという誤った発想と同じ

636:考える名無しさん
19/03/20 00:13:11.80 0.net
>>634
もうちょいマシな本出せよって気持ちは理解できる。権威主義的に上から目線もあるだろうが。

637:考える名無しさん
19/03/20 00:16:18.13 0.net
>>635
井筒俊彦が取り上げた俳句の赤冊子は原典読んだけどやはり深いと思ったけどね。

638:考える名無しさん
19/03/20 08:22:32.79 0.net
芭蕉周辺の俳論は日本の芸術思想上もっとも
目を惹く成果かもしれない
非常に洗練されて独自性がある
風姿花伝なんかとは違う
問題となるのは今流行りの俳句添削みたいな
特定の創作の営みから切り離して、
唐突に別の観念の地図に当てはめること
読み手は論旨の重要な接合部を、信者パワーを
その都度発揮してモヤモヤと乗り切るしかない
なんか深淵そうだなあって


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477日前に更新/324 KB
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