【イスラム哲学】井筒 ..
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210:考える名無しさん
17/10/07 23:45:09.20 0.net
思弁的実在論はポストポスト構造主義と言われるからポスト構造主義からは多大な影響受けてる
その中のハーマンはイスラム中世哲学の機会原因論に影響受けてる
この両方から影響を受けた井筒俊彦は思弁的実在論なりハーマンをどう評価したのだろう 

211:考える名無しさん
17/10/08 06:42:56.24 0.net
井筒俊彦は存在認識の道の注で神こそ実在性そのものであるとする
神とは実在であり究極的に宇宙に神以外存在しないという主張に見える
ただし事の深層的次元に置いてだが

212:考える名無しさん
17/10/08 11:35:22.22 0.net
井筒俊彦が大川周明の大川塾の講師で司馬遼太郎との対談でもイスラムに積極的に関心を持った面白い人と言ったのは有名
しかしそれだけじゃなく井筒と大川は東西思想の比較と統合とか根底にある一如の思想に共通点があるように思える

213:考える名無しさん
17/10/08 12:55:21.89 0.net
>>204
これは読んだけどそんなところには気付かなかった

214:考える名無しさん
17/10/08 23:55:07.99 0.net
一如(wiki)
一如(いちにょ)とは、絶対的に同一である真実の姿、という意味の仏教用語である。
「一」は絶対唯一、「如」は真如(tathā)・如同の意で、一異の差別なく平等であることをいう。
世間における一切の事物・現象には実相(真実の姿)があり、普遍的に不二同一であることをいう。
平たく読めば「一つの如し」となる。一でありつつそれは異なるが、異なりつつもそれはそれは一であるという、真如を弁証法的に表現した語である。
もとは老荘思想の概念であり、万物を生成し存在している真実の相、またその差別相を超越した存在義を意味する。
のちに、本来の仏教用語から派生し、剣禅一如などとも転用されるようになった。

215:考える名無しさん
17/10/08 23:55:43.67 0.net
マールブランシュの機会原因論
Cause occasionnelle chez Malebranche
URLリンク(www.furugosho.com)

216:考える名無しさん
17/10/08 23:57:15.53 0.net
>>200>>210
ガザーリーか。
Occasionalism is the idea that God is the cause of all things.
Harman’s motif example of object-object relations is fire and cotton which comes from the the Islamic philosopher Al-Ghazali,
who repeats from the Qu’ran: “Fire does not burn cotton ? only God burns cotton”.
URLリンク(avoidingthevoid.wordpress.com)
ハーマンはハイデガーから中世スコラ学に遡って、そこでイスラムに接しているという点で、
普通に哲学史の通りなんだと思う。

217:考える名無しさん
17/10/08 23:58:07.32 0.net
>>208
この辺は、清水高志『実在への殺到』(2017)の「機会原因論的アニミズム」が詳しい。
ハーマンは、
・「ハイデガーの存在論」と
・「ジェイムズの経験論」を
・「パースの記号論」的に足してる

218:考える名無しさん
17/10/09 04:56:53.11 0.net
>>217
ありがとう。読んでみる

219:学術
17/10/09 07:09:03.13 0.net
平等を思い浮かべると逆搾取されるから平等は成立しえない。

220:考える名無しさん
17/10/09 10:35:47.45 0.net
井筒俊彦のイスラム思想史のガザ―リーの部分に偶因論(機会原因論)の解説があった。
原因と結果に必然的な結びつきはなく
例えばアリストテレス派では燃焼の原因は火であり
火は自然的必然性を持って機械的に作用するが
ガザ―リーは燃焼の真の作用因は火ではなく神だとした
彼にとり因果律は決して自然法則ではなかった
ガザ―リーの結論はアシュアリー派の因果律否定と一致する
この点においてガザ―リーは後のヒュームの哲学的先輩である
確かメイヤスーもカント批判してヒュームに回帰してなかったかな?

221:学術
17/10/09 14:18:50.57 0.net
原因と結果に結びつきがないわけないじゃない。
神に偏って酷使するのもなあ。
火は機械ではない。

222:考える名無しさん
17/10/09 15:11:43.37 0.net
ヒュームも因果律否定

223:学術
17/10/09 15:17:05.49 0.net
因果律というものは、ある事件があってあることがその結果となっているという
レベルじゃない。

224:考える名無しさん
17/10/09 15:42:51.93 0.net
ガザーリーのいう因果はなくすべては神の慣習だと言い換えても、結局世界のあり方は変わらないのだから同じことだよな
神の慣習=因果として働いてるんだから

225:学術
17/10/09 15:46:17.46 0.net
神が少数派だったらどうするね。

226:考える名無しさん
17/10/09 15:56:28.92 0.net
はたしてどうかな?

227:考える名無しさん
17/10/09 16:07:58.60 0.net
ヒュームのように経験主義を徹底さすと人間が経験する事の出来ない因果律による普遍的法則などは人間の妄想でしかない事になる
因果律を否定する徹底的経験主義は科学的法則も否定する

228:考える名無しさん
17/10/09 16:10:31.90 0.net
>>224
一億回同じ因果律があったとしても一億一回目に違いが出たらもう世界は変わり科学的法則も成り立たないことになる

229:考える名無しさん
17/10/09 18:26:14.82 0.net
量子運動のような、だいたい合ってる程度のもんでも確率的に予測可能な事態であれば科学として成立する
全ての可能性について調べる手段がない以上は、絶対的な確証などあるわきゃない

230:考える名無しさん
17/10/09 19:46:02.31 0.net
>>229
科学も厳密には蓋然的な統計問題になる。確度を上げていく事は出来るが
それ以上は今のところ哲学の問題だと思う

231:考える名無しさん
17/10/12 15:02:23.62 0.net
実在への殺到読み始めた。
自分は井筒俊彦の存在の0ポイントとジェイムの純粋経験が同じ認識領域を指すと思った
この作者はジェイムスの純粋経験とメイヤスーの(事実性)が同じ領域を指すと指摘している

232:考える名無しさん
17/10/12 19:20:47.91 0.net
井筒さんは「禅の心」を卓越した分析哲学者によって分析された「心」と結びつけていた
井筒俊彦の思い出
サイイド ホセイン ナスル
井筒俊彦全集第11巻月報第11号

233:考える名無しさん
17/10/12 20:21:29.09 0.net
分析ってなんですか?

234:考える名無しさん
17/10/12 21:10:13.32 0.net
>>233
一文があったので。恐らく心の哲学の類指してると思う。詳しくは掲載されてない

235:学術
17/10/12 22:08:21.65 0.net
あくまでしょ 神魔でしょ 堕天使でしょ。天使とランクが上がる。

236:考える名無しさん
17/10/12 23:04:38.23 0.net
>>231
> メイヤスーが《事実性》という名のもとに浮き彫りにするのは、
> 諸現象を整合し、総合するとされた主体の成立に先立つ「状態」であり、
> 主体も対象もそこではいまだ、整合や連接によって肥大していない、ある種の経験である。
p98のここかな?
真如に近いね。

237:考える名無しさん
17/10/12 23:05:34.22 0.net
【真如】しんにょ(tathatā)
・広説佛教語大辞典の解説
(1)かくあること。ありのままのすがた。あるがままなること。
(2)法がかくのごとく成立していること。法性と同義。
(3)「…真如」は、…なる法として成立していること。
(4)普遍的真理。心のあるがままの真実。あらゆる存在の真のすがた。万有の根源。
・デジタル大辞泉の解説
《〈梵〉tathatāの訳》仏語。ありのままの姿。万物の本体としての、永久不変の真理。宇宙万有にあまねく存在する根元的な実体。法性(ほっしょう)。実相。
・大辞林 第三版の解説
[仏] あるがままにあること。存在の本質、存在の究極的な姿としての真理そのものをいう。大乗仏教では、法性・実相などとほぼ同義に用いる。実性。
・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
仏教用語。あるがままにある状態のこと。
この世のすべてのもの (諸法) の根底にある唯一無二の絶対の実在界のあり方は「その如くである状態」すなわち真如としか表現のしようがない。
諸法の人法二空の本性を真如ということもあり,また,衆生の心の本来の清らかな状態である自性清浄心を真如と呼ぶこともある。

238:考える名無しさん
17/10/12 23:09:55.60 0.net
西田、井筒、真如、ハイデガー、仏教
“西田が「真実在」を「純粋経験」に求めたのは、主客未分・主客合一の〈境涯〉を披歴するためではなく、
 そうした直接的経験の中に見て取られる「統一的或者」であり、
 つまり意識の統一的秩序をそこに読み取ったこと、このことである”
“大乗仏教で説かれる「本体的一元論」は、例えばイスラーム学の碵学井筒俊彦氏が最晩年に『起信論』を取り上げて、
 東洋的思惟の特徴として揚げる発出論的な形而上学とも異なっていることである”
“「真如」であれ、「仏性」であれ「法界」であれ、それらは「本体」であっても、
 決して形而上学的な実体的根拠を意味しない。
 むしろあらゆる実体性を打ち砕く「ハタラキ」なのであり、
 すべての存在者が実体性の軛(くびき)から自由になって、
 言い換えればいわゆる「根拠」から解き放たれて、いわば「無根拠」「没根拠」のままに、
 おのずから立ち現われてくる「場所」”
“ハイデガーの所謂「存在(有)」が、あらゆる存在者(有るもの)の根拠として「神」でないように、
 「本体」とは「実体」ではなく、場所的性格をもつもの”
“釈尊が掴んだリアリティはおそらくそうした場所的な性格をもつ般若智なのであって、
 いわゆる「縁起」という、まことしやかな「理屈」、論理の知的理解ではなかったはずである”
― 井上克人 『〈時〉と〈鏡〉 超越的覆蔵性の哲学―道元・西田・大拙・ハイデガーの思索をめぐって』 (2015)

239:考える名無しさん
17/10/12 23:11:42.64 0.net
『明治期アカデミー哲学の系譜とハイデガーにおける形而上学の問題
 ―如来蔵思想とユダヤ・ヘブライ的思惟との収斂点―』
井上 克人
URLリンク(heideggerforum.main.jp)

240:考える名無しさん
17/10/13 02:12:44.18 0.net
>>238
ジェームスと井筒俊彦はある程度分かるが西田は読まず嫌いもあってよくわからない。
井筒の存在の0ポイントは真空妙有と彼が言ってるように実体の破壊の場とあらゆる実体の根拠の場が一体になった領域だと思うが

241:考える名無しさん
17/10/13 22:18:40.35 0.net
真空妙有
“禅の説く「無」は、 意識的事実としてもまた存在的事実としても、絶対無分節と呼ばれるにふさわしい。
 だが、この絶対無分節者は無ではあっても、静的な無ではない。
 それは本然の内的傾向に従って不断に自己分節していく力動的、創造的な「無」である。
 真空は妙有に転成する、というより、転成せざるをえない。
 絶対無分節は自己分節するからこそ絶対無分節なのである。
 分節に向かってダイナミックに動いていかない無分節はただの無であり、一つの死物にすぎない。
 「死水、竜を蔵せず」(首山省念)。それは禅の問題にする「無」ではない。
 禅の考えている「無」は宇宙に漲(みなぎ)る 生命の原点であり、世界現出の太源である。
 この了解に基いて坐禅修行道としての禅は、「空」に到って「空」に堕するなとか、
 「空」に眠り込むなとかいって修行者を戒める。
 「一念未生以前、切に忌む者裏(その境地、すなわち空)に守住することを」(恕中無慍)”
― 井筒俊彦 『意識と本質』Z 

242:考える名無しさん
17/10/13 22:19:29.15 0.net
井筒は、東洋哲学の共時的構造化といっている。
一神教文明から、神のない仏教や老荘までをも統一した理論で説明しようとする。
一神教では窮極的絶対者である神があり、仏教や老荘では絶対無分節者といった形而上学的中心を立てる。

243:考える名無しさん
17/10/13 22:22:04.98 0.net
原始仏教は、空というぐらいだから非中心的だし、もっと素朴。

244:考える名無しさん
17/10/13 22:22:51.05 0.net
井上は、真如を悟る唯一の契機は、心の止滅であり、
「世界は空」に反して事物を実体視しようとする自意識の解体にあるという、
仏教の根本原理を織り込もうとしている。

245:考える名無しさん
17/10/13 22:24:32.46 0.net
妙なる(言いようもなくすぐれた)有(存在)も、縁起も慈悲も真如も、
空を覚知した後に結果としてついてくるものであって、
最初からそれを目的化するものではない。

246:考える名無しさん
17/10/13 22:27:23.30 0.net
トレンドからみると、
(1)井筒や西田は、形而上学的な大乗仏教の解説に優れていたが、
  原始仏教(ブッダの仏教)についてはあまり触れていない。

(2)最近目立つのは、大乗仏教から原始仏教への原点回帰。

(3)井上>>238は、大乗仏教に軸足を置きながら、そこに原始仏教の原理を読み込もうとしている。

247:考える名無しさん
17/10/14 00:35:49.98 0.net
西田はこちらでやろうと思ってる。
【西田】京都学派・近代日本哲学総合スレ【西周】 [無断転載禁止]©2ch.net
スレリンク(philo板:334-番)
336 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2017/10/06(金) 23:55:26.34 0
しかし、西田哲学を安易に禅哲学だと理解しているようでは
読んでいる内には入らない。
337 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2017/10/06(金) 23:57:04.39 0
“併し君だからよいが普通無識の徒が私を禅などと云ふ場合 私は極力反対いたします
 そんな人は禅も知らず 私の哲学も分からず
 XとYとが同じいと云って居るにすぎぬ”
― 西田幾多郎 「昭和18年 2月19日 西谷啓治宛」 『西田幾多郎全集23』 (2002-2009)

248:考える名無しさん
17/10/14 02:20:58.47 0.net
イスラムとヒンズーを統合したシク教のムールマントラに
Ikk oan karr sat nam(神は一つ。その名を真理と言う)がある
Ikkは一者で永遠性の純然たる経験そのものとする
OanはAUMがなまったものでAは認識作用の範疇
Uは絶対的な範疇が崩壊していく意識下の状態
Mは完全な無の意識の状態を指す
SatはSAD(真理を意味するサンスクリット。妙法蓮華経の妙の事)がなまったもの
これをnam即ち名とする

249:考える名無しさん
17/10/14 21:13:10.62 0.net
デモクリトス、エピクロス、ヘラクレイトス、アシュアリー、デリダなどの
原子論を心理学的にうまく説明したものが思い浮かばないが、
唯識と比べるのが妥当か。
デリダの「散種」などは阿頼耶識に近いところのものだろう。

250:考える名無しさん
17/10/14 21:13:53.11 0.net
>>204のアシュアリーの説明も「創造不断」で読める。
イブヌ・ル・アラビーの例も出てくる。

251:考える名無しさん
17/10/14 21:14:57.22 0.net
“「世界は、ひと息ごとに変動する」(イブヌ・ル・アラビー)”
― 井筒俊彦 「創造不断―東洋的時間意識の元型 U」『コスモスとアンチコスモス』 (1989)

252:学術
17/10/14 21:20:19.58 0.net
ジョン・アヌルース 対 震える焔。

253:考える名無しさん
17/10/15 13:58:42.60 0.net
>>231
メイヤスーは、「必然的」に見える世界の在り方の奥に「偶然性」を見出だす。
仏教は、事物の「自性」(本質)の奥に「無自性」(本質のなさ)を見出だす。
やっていることは近い。
その際、
メイヤスーは、あらかじめ、心(言語や感覚)は取り外す。
仏教の場合、心はあるが、その内容物をゼロ(無・空)にする。
オブラート一枚分の差があるが、どちらもそうした先に「ありのままの世界」を見る。

254:考える名無しさん
17/10/15 13:59:15.70 0.net
九鬼周造 『偶然性の問題』 (1935)
“偶然は無に近い存在である”
 
URLリンク(www016.upp.so-net.ne.jp)
URLリンク(www016.upp.so-net.ne.jp)
URLリンク(www016.upp.so-net.ne.jp)
URLリンク(www016.upp.so-net.ne.jp)
URLリンク(www016.upp.so-net.ne.jp)
URLリンク(www016.upp.so-net.ne.jp)
URLリンク(www016.upp.so-net.ne.jp)
URLリンク(www016.upp.so-net.ne.jp)
“ヘラクレイトスの偶然論とパルメニデスの必然論の対立以来
 くりかえし問い続けられてきた「偶然と必然」の問題”(表紙解説)

255:考える名無しさん
17/10/15 13:59:37.44 0.net
“九鬼周蔵の『偶然性の問題』は、その思弁的な極まりにおいて、カンタン・メイヤスーの『有限性の後で』に類似する。
 すなわちそれは、「原始偶然」とも「絶対的形而上的必然」とも捉えられる、「形而上的絶対者」に関する議論である。”
― 千葉雅也「此性をもつ無 メイヤスーから九鬼周造へ」(『現代思想』2017年1月臨時増刊号 特集=九鬼周造)

256:考える名無しさん
17/10/15 14:00:03.73 0.net
「原始偶然 Urzufall」はシェリングの術語

257:考える名無しさん
17/10/15 14:01:50.39 0.net
井筒の前の世代にあたる宗教哲学や比較思想も併せてやっておくといい。
・柳宗悦 『柳宗悦宗教選集』
・九鬼周造 『偶然性の問題』
・清沢満之 『清沢満之全集』
・波多野精一 『宗教哲学序論・宗教哲学』
・田辺元 『仏教と西欧哲学』

258:考える名無しさん
17/10/20 22:31:00.75 0.net
西田と大拙は同い年で、石川県専門学校の同窓生。
柳宗悦は学習院高等科で西田や大拙に学んだ。

259:考える名無しさん
17/10/20 22:42:58.96 0.net
・西周(1829-1897)
・福沢諭吉(1835-1901)
・中江兆民(1847-1901)
・井上哲次郎(1856-1944)
・井上円了(1858-1919)
・内村鑑三(1861-1930)
・岡倉天心(1862-1913)
・清沢満之(1863-1903)
・南方熊楠(1867-1941)
・鈴木大拙(1870-1966)
・柳田國男(1875-1962)
・折口信夫(1887-1953)
・柳宗悦(1889-1961)
・宮沢賢治(1896-1933)
・井筒俊彦(1914-1993)
京都学派
・西田幾多郎(1870-1945)
・波多野精一(1877-1950)
・田辺元(1885-1962)
・九鬼周造(1888-1941)
・和辻哲郎(1889-1960)
・久松真一(1889-1980)
・三木清(1897-1945)(京都学派左派)
・戸坂 潤(1900-1945)(京都学派左派)
・高坂正顕(1900-1969)(京都学派四天王、近代の超克)
・西谷啓治(1900-1990)(京都学派四天王、近代の超克)
・下村寅太郎(1902-1995)
・高山岩男(1905-1993)(京都学派四天王、近代の超克)
・鈴木成高(1907-1988)(京都学派四天王、近代の超克)
・梅原猛(1925-)
・上田閑照(1926-)

260:考える名無しさん
17/10/20 23:04:00.78 0.net
柳宗悦
学習院中等科時代、内村鑑三の影響でプロテスタンティズムに親しむ

高等科時代、「聖フランチェスコ伝」がきっかけでキリスト教神秘主義に関心を持つ

エックハルトに傾倒

エックハルトの「無」や「空」から老子や禅に関心を持つ
回教詩人ハラージや、「否定道(否定神学)」などにも言及。
宗悦は「即如」という造語をつくった。
これは「二元を超えた世界を示唆する言葉」だという。

261:考える名無しさん
17/10/20 23:08:35.13 0.net
井筒に近い。おおよそ出来上がってる。

262:考える名無しさん
17/10/20 23:20:29.14 0.net
デリダ>>189にも近い。

263:考える名無しさん
17/10/20 23:50:39.64 0.net
             ,. -‐  ̄ ̄`  ̄ ´        ̄ ̄ ̄ ̄`ヽ._,{ 、,i !  諸行無常 諸法無我
          __.. -/       ,..            /        `ヽ、
      , -‐ ,.´-─./     /:. . .            / ..__ / !     `ヽ ヽ クゥクゥ クゥ 空
    /,.-‐´  _r‐'   _,ノ: : : : : : : . . . . . . . . . . .(_  `丶、ヽ、   、__,ス ,)
~~ ̄/(三,. -‐ ´ /  ,.-‐ ´ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄`丶 l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
~ ̄i l゙´  ̄ ̄ / ,/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ し,j ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 . l. !     / / 自己肥大・自己拡張・存在確認のさまようかまってちゃんクレクレ君は荒らし確定 
 . ! |    (, ,,/
  ! ,j   2chの鉄則(おやくそく)とは 【荒らしはスルー(無視・放置)・あぼ〜ん・透明あぼ〜ん】 しましょう。
  ゝ、ノ
      ● 荒らしは放置されるのが一番の苦手苦痛です。
        → ウザイと思ったらそのまま放置!
      ● 放置の荒らしは焦り、煽りや自作自演、PC串スマホで多人数を装い、あなたのレスを誘う。
        → 釣られてレスしたらその時点であなたの負け、あなたが荒らしです!!
      ● 反撃は荒らしの滋養にして栄養であり、ヨダレを垂らして最も喜ぶことです。
        → 荒らしにはエサを投げ与えないで下さい!
      ●荒らしは語尾に w をつけてあおります。
       → 問いに問いで返す無頭が故の無脳で、裏の小藪に捨てましょう。
      ●荒らし・粘着にはスルー・あぼ〜ん・透明あぼ〜ん・が推奨です。
        → 考えない学ばない荒らしは外道です。
      ●荒らしは自立できず、もたれかかり、ストーキングする
       → 真贋が見分けられないのが荒らしの属性です。
      ●無いものを有ると思い、有るものを無いと思う、これが顛倒(てんどう)、妄想(もうぞう)です
       → 公案の答えは無尽蔵、己だけの答えを出せ!
      ●枯死するまで孤独に暴れさせておくのが一番です。
        → ミイラ化です、放置、風化させ、土に戻しましょう。

264:考える名無しさん
17/10/21 23:24:57.12 0.net
>>260
『柳宗悦宗教選集 第1巻 宗教とその真理』(1990)より

265:考える名無しさん
17/10/21 23:26:04.29 0.net
西田や九鬼は数学をやるので、少しタイプが違ってくる

266:考える名無しさん
17/10/21 23:27:17.51 0.net
“ジャック・デリダの「解体」哲学、ドルーズ=ガタリの「リゾーム」理論に代表される
 現代ヨーロッパの前衛的思想フロントは、明らかにアンチコスモス的である。
 コスモスへの反逆、「ロゴス中心主義」的存在秩序の解体。
 西洋思想のこのアンチコスモス的動向が提起する存在論的、意識論的問題群にたいして、
 東洋哲学はどのような対応を示すであろうか。”
― 井筒俊彦 「コスモスとアンチコスモス」

267:名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
17/10/22 11:07:22.96 0.net
井筒は悪い意味で言っているのではないがね

268:名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
17/10/22 12:01:08.85 0.net
真空妙用。
真空は妙用のために存在している。

269:考える名無しさん
17/10/22 13:13:29.93 0.net
アンチコスモスは、アンチ−コスモスなのだから、コスモスに相対するもの
としてしか姿を現しえないだろう。始源としてのアンチコスモスはあり得ないのだ。

270:名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
17/10/22 14:28:41.21 0.net
>>269
井筒の用法だと始源のカオスはアンチコスモスのカテゴリーに入ると思うが

271:考える名無しさん
17/10/22 23:55:59.38 0.net
アンチコスモスがコスモスに相対するものとしてしか姿を現しえないことは、
コスモスの「解体」としてアンチコスモスについて語ろうとすることが、
「解体」という表現にもかかわらず、秩序としてのコスモスがどのように
現れているのかを解明しようとすることになることを意味する。

272:考える名無しさん
17/10/24 13:13:16.34 0.net
コーランを破り捨て踏みつけにしたった
URLリンク(www.youtube.com)

273:学術 ディジタル rare shinscake adanei
17/10/24 13:14:46.59 0.net
クルアーンは?

274:学術 ディジタル rare shinscake adanei
17/10/24 15:09:19.01 0.net
イスラム金融よりハイエクだよ。利子どころの騒ぎじゃねえぜ。
傷つき仆れた兵士は。対偶が。

275:考える名無しさん
17/10/27 22:32:35.51 0.net
>>247
例えばこういうところ。

276:考える名無しさん
17/10/27 22:32:55.75 0.net
“我々の有限なる意識の背後に横たわれる無意識はxに対するdxの如く考へることができないであらうか。”
“我々が或一曲線を意識するといふことは此の如き意味に於て限定せられた曲線である”
“意識するといふことは無限なる全体が己自身を限定することである。”
― 西田幾多郎 「自覚に於ける直観と反省」17 『西田幾多郎全集3』 (2004)

277:考える名無しさん
17/10/27 22:33:11.74 0.net
任意の直線を意識する時は、実在する無限な直線に対して限定をかけている。
無限な潜在性から有限な現実性が、「限定」=「自覚」として立ち現われる。

278:考える名無しさん
17/10/27 22:33:33.98 0.net
>>276は以下に繋がる。

279:考える名無しさん
17/10/27 22:33:57.21 0.net
“仏道をならふことは自己をならふなり。
 自己をならふといふは、自己をわするるなり。
 自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。
 万法に証せらるるといふは、自己の心身、
 および佗己の心身をして脱落せしむるなりと云ふ(道元)。
 
 それは限定するものなき限定、絶対無の自己限定と云ふことでなければならない。”
― 西田幾多郎 「哲学論文 第六」 『西田幾多郎全集10』 (2004)

280:考える名無しさん
17/10/27 22:34:19.26 0.net

(仏道を習うということは、自己を習うことである。
 自己を習うということは、自己を忘れることである。
 自己を忘れるということは、一切万物を知ることである。
 一切万物を知るということは、主客を分け隔てるものをなくしてしまうことである。)
― 道元 『正法眼蔵』 「現成公案」

281:考える名無しさん
17/10/27 22:34:47.35 0.net
井筒 数学× ギリシャ語○
西田 数学○ ギリシャ語×

282:考える名無しさん
17/11/06 03:02:18.03 0.net
東大出の学者で井筒並の知の巨人って誰かいますか?
井筒に言及したことのある東大関係者
渡辺浩、宇野重規、中島隆博、中村廣治郎、今道友信

283:考える名無しさん
17/11/06 03:35:15.84 0.net
井筒俊彦は辻直四郎に頭を下げて資料を借りてそれを一か月で読んで返して
読むのが速いと感心されたんだよ。

284:考える名無しさん
17/11/06 08:51:19.04 0.net
結局クルアーンを読まないと井筒は分からないなと思って、クルアーンの注解を買ったわ。

285:考える名無しさん
17/11/07 17:29:55.26 0.net
イスラム教が哲学?
西欧で仏教は倫理学(道徳哲学)と言われ宗教ではないと言われているのはわかる。
キリスト教やイスラム教に神学(理論的考察)はあるだろうけど哲学じゃないでしょ。
井筒俊彦は神秘主義哲学者らしいけど言語矛盾じゃなかろうか
哲学は形而上学で世界の普遍的な原理について理性的な思惟によって認識しようとする学問
神秘主義は神秘的合一と呼ばれる絶対者と自己との合一体験にある
神秘主義哲学者って油性水性ペンと同じくらい奇妙に聞こえるんだが

286:考える名無しさん
17/11/07 17:40:08.01 0.net
>東大出の学者で井筒並の知の巨人って誰かいますか?
阪大出の学者で井筒並の知の阪神って誰かいますか?

287:考える名無しさん
17/11/08 08:57:46.85 0.net
東大関係者か知らないが個人的には中沢新一かとおもうけれども、
中沢さん本人は
「井筒さんには一生かかってもかなわない」
と、謙虚に語っている

288:考える名無しさん
17/11/08 09:10:27.62 0.net
「知の巨人」という称号を得るには、知識の深さや幅広さだけではなく、
知識量とか語学力とかいわば基礎体力的な部分で他を圧倒している必要がある。
日本で言えば南方熊楠とかそういうタイプの人に対して向けられる言葉。

289:考える名無しさん
17/11/08 10:37:31.58 0.net
>>285
勉強不足。神秘主義哲学は新プラトン派のプロティノスの時代からある伝統的哲学
プロティノスは神秘的合一体験を基にその哲学を展開した
井筒俊彦も「神秘哲学」で取り扱ってる

290:考える名無しさん
17/11/08 11:46:19.91 0.net
プロティノスどころかソクラテスも ダイモーンに導かれたとか言ってるじゃん

291:考える名無しさん
17/11/08 12:05:16.97 0.net
そもそも一神教圏以外では哲学と宗教は一体で分離してない
哲学の殿堂アカデメイアをキリスト教ローマが異教として閉鎖したようにギリシャ哲学は宗教と哲学が一体で分離してなかった
一神教ではギリシャ哲学を宗教とすると一教の教義に抵触するので哲学というジャンルとすることで両立を謀った側面があるのではないか?

292:考える名無しさん
17/11/08 22:21:32.87 0.net
>>285
イスラーム哲学
URLリンク(ja.wikipedia.org)

293:考える名無しさん
17/11/09 01:25:02.34 0.net
形而上学における主題の中でも最も中心的な主題に存在の概念がある
存在論の他に、神、精神、自由の概念等が伝統的な主題とされているけど
精神や物質もしくは数や神のような抽象的な事柄が存在するか、また人間という存在は
複雑に組み立てられた物質的な体系として定義できるかどうか
神学が哲学の部門視されることはあるが理性によっては演繹不可能な信仰の保持および
神の存在を前提とすることで、一切の思想的前提を立てない理性の学としての
哲学とは異なるとする見方が一般的です。

294:考える名無しさん
17/11/09 15:18:08.65 0.net
例えば自然科学の学者、科学者ですね。
科学者が実験、観察、分析、総合、仮説と実証に神を語りだしたらどうでしょう。
神秘主義科学者などと言うのでしょうか。とたんに怪しい人ですよね。
ここにいるのだから皆さんは哲学に傾倒しているのでしょう。
神秘主義哲学者などと哲学に対する侮辱ではないでしょうか。
個人的には社会科学と言う表現も不愉快極まりない。科学に対する侮辱と言っていい。

295:考える名無しさん
17/11/09 18:19:07.37 0.net
>>294
神秘主義哲学は必ずしも神なんて事は言わない。井筒俊彦読んでみろ。神なんか出てこないから
ミスティシズムとオカルティズムを混同した的外れ言うな。

296:考える名無しさん
17/11/09 20:49:07.03 0.net
>>293-294
井筒の本はどれを読んだ?

297:考える名無しさん
17/11/09 21:24:34.15 0.net
>>293
カントの『純粋理性批判』は?

298:学術
17/11/09 21:43:59.52 0.net
推理力自己批判精神ぐらいでどうだ。次代のカントは。

299:考える名無しさん
17/11/11 09:23:31.69 0.net
井筒俊彦著作集別巻面白いな
正巻より面白いかもしれん

300:考える名無しさん
17/11/11 09:56:05.46 0.net
対談は読みやすいし、具体的な話題も出てくる

301:考える名無しさん
17/11/12 20:00:25.82 0.net
298 名前:あぼ〜ん[NGName:学術] 投稿日:あぼ〜ん

302:考える名無しさん
17/11/19 23:01:37.22 0.net
井筒豊子の「井筒俊彦の学問遍路ー同行二人半」読みはじめた

303:考える名無しさん
17/11/20 00:41:14.58 0.net
>>302
新しい本だ。(2017/9/15)
今年亡くなったのか。

304:考える名無しさん
17/11/20 00:45:46.65 0.net
井筒豊子 『白磁盒子』 (1993)
短編小説集。
井筒と放浪のタタール人学者ムーサーのやり取りが描かれているもの。

305:考える名無しさん
17/11/20 00:46:30.01 0.net
>>3の英文著作翻訳コレクション
『2 クルアーンにおける神と人間―クルアーンの世界観の意味論』 (2017年6月)
『3 存在の概念と実在』 (2017年9月)
も出てた。
ハイデガー/サルトルとイスラムの存在論の比較とか。

306:考える名無しさん
17/11/20 20:18:49.07 0.net
井筒俊彦の学問遍路には余り知られてなかった彼のマッギルからイラン時代やそれ以降まで詳しく書かれてる。内気で人間嫌いとも言われる井筒だが内外問わずそうそうたる面子と関わりあいその才能を認められてる

307:考える名無しさん
17/11/23 13:16:51.44 0.net
道元の「現成公案」>>279-280自体も華厳的。
自己(一)を忘れる

一切(多)を知る

一切によって自己を知る
自己否定が自己の外部に突き抜け、自己を規定する超越的視点になる。
これ自体が、既にクラインの管的な循環モデル。
クラインの管
URLリンク(polyhedra.cocolog-nifty.com)
URLリンク(pds.exblog.jp)

308:考える名無しさん
17/11/23 13:17:07.85 0.net
一即多、一即一切の華厳的記号学モデル
A ([a]、b、c、d、e、、、)
B (a、[b]、c、d、e、、、)
C (a、b、[c]、d、e、、、)
[ ]は強調
シニフィアンA/シニフィエaという単純な一対構造ではなく、
シニフィアンがAやBやCである時にもシニフィエは常に(a、b、c、d、e、、、)であるモデル。
Aの時には、相互に浸透し照合されたa、b、c、d、e、、、の中のaが強調される。
参考:井筒俊彦 『コスモスとアンチコスモス』 (1989)

309:考える名無しさん
17/11/23 13:18:13.03 0.net
デリダの「ロゴス中心主義の解体」による存在根拠解体のあと(後、跡)。
井筒俊彦氏「事事無礙・理理無礙ーー存在解体のあと」 要約
URLリンク(www.furugosho.com)
“事物を事物として成立させる相互間の境界線あるいは限界線
 ーー存在の「畛」的枠組みとでもいったらいいかと思いますがーー
 を取りはずして事物を見るということを、古来、東洋の哲人たちは知っていた。
 それが東洋的思惟形態の一つの重要な特徴です。
 「畛」的枠組みをはずして事物を見る。
 ものとものとの存在論的分離を支えてきた境界線が取り去られ、あらゆる事物の間の差別が消えてしまう。
 ということは、要するに、ものが一つもなくなってしまう、というのと同じことです。
 限りなく細分されていた存在の差別相が、一挙にして茫々たる無差別性の空間に転成する。
 この境位が真に覚知された時、禅ではそれを「無一物」とか「無」とか呼ぶ…”

310:考える名無しさん
17/11/23 14:49:47.16 0.net
マルチするなゴミが

311:考える名無しさん
17/11/23 23:05:20.12 0.net
モノたちの宇宙ー思弁的実在論とは何かーの解説に今後ハーマンと井筒俊彦の哲学、あらや識の理論や廣松渉の事的世界観の比較が重要になると書いてる

312:考える名無しさん
17/12/12 14:21:24.29 0.net
意識と本質の内容
@無本質論…禅、老子
A有本質論
1個別的本質論…本居宣長
2普遍的本質論
(1)存在の深層に本質が在る
…宋学
(2)元型的本質が在る
…シャーマニズム、密教、スーフィ、カバラなど
(3)表層意識で理知的な概念として本質を捉える
…孔子の正名論、プラトン、ニヤーヤヴァイシェーシカなど
意識の形態
1表層意識
2イマージュ世界
3言語アラヤ識
4c領域
5存在の0ポイント

313:考える名無しさん
17/12/12 19:48:42.47 0.net
存在の概念と実在性で神は存在であるというモッラーサドラーの解釈が出る
井筒俊彦の神観念でもあるだろう
こういう観念で思い出すのはシャンカラの不二一元論だ

314:考える名無しさん
17/12/14 09:11:22.08 0.net
「意識と本質」も、
後半のユダヤ教の説明は割とどうでも良く、鬱陶しい

315:考える名無しさん
17/12/14 12:18:36.51 0.net
仏教が哲学を語るのは理解できる。西欧でも倫理学とか道徳哲学言われてるから
しかし一神教ごときが哲学って・・・。

316:考える名無しさん
18/01/07 01:43:33.63 0.net
自分は井筒さん読み始めの初心者だが、禅仏教の哲学に向けてが凄過ぎて、夢中になって読みました
御本人のリアリティに裏打ちされたというか…
なかなかあそこまで書ける人はいないなあって
ただ難解なのといちいち自分の先入観が揺さぶられるから読み進むのにえらい時間がかかる(笑)

317:考える名無しさん
18/01/12 22:04:35.30 0.net
>>315
仏教が哲学的発展を遂げたのは実質的には初期段階だけだ、大乗仏教で説かれた膨大な教説は
一見して論理的に見えるのだろうが実態はそうではなく一神教と変わらぬ独断論の集積に過ぎない

318:考える名無しさん
18/01/13 02:44:05.24 0.net
>>317
何子供の戯言じみた事を(笑)
大乗中観や唯識は現代哲学や現代心理学と比肩される事もある代物
華厳の教学は現代数学の列の論理を含む
密教はホロン理論と比較されユングも注目した
禅はヴィトゲンシュタインとハイデガーという20世紀の二大哲学者と比較されそれより進んだものと言われたりする事もある

319:DJ学術 
18/01/13 10:03:01.27 0.net
フランス文学の方が本質的でいいと思う。後は文字列の韻とか、関連させたり、
死や文学の技術の関係を、同族的にしないことだろう。

320:考える名無しさん
18/01/13 15:16:26.70 0.net
科学と仏教を結びつけて考えようとする試みなど、どれも強引なこじつけばかりだろう
特に、大乗経典は釈迦や如来がSFチックな異能力者で超人だからやってることが一神教と大差ない

321:DJ学術 
18/01/13 15:33:39.53 0.net
宗教文学に向いてるな。小乗の体も荒らされたよ。

322:考える名無しさん
18/01/13 15:36:03.47 0.net
>>320
あなたが言ってるイメージにあるのは強引に現代物理学と東洋哲学を結合させた浅はかなニューエイジの類
井筒俊彦のもの読んでから大乗に文句言ってね。

323:考える名無しさん
18/01/13 16:02:12.56 0.net
スマナサーラっていう有名仏教徒が、仏教は心の科学とか言ってるし、
科学者が瞑想を研究したマインドフルネスってのもやたら流行ってるし、
たしかに仏教と科学を結び付けようという流れはあると思う。
現代は、科学的な枠に収まってないと信用されないんだろうな。
実際には科学ってのは限界もあるのに。

324:考える名無しさん
18/01/13 19:01:34.72 0.net
ヨーガ行唯識派なんかはヨーガ行で内観してその心の動きをチェックしつつ仏教心理学を体系化していった。
そういう側面が仏教にはある
勿論井筒俊彦も内観による内的体験がその哲学の基礎になってる

325:考える名無しさん
18/01/16 10:00:01.10 0.net
>>323
マインドフルネスは科学とは特に関係ないだろ
昔からあるヴィパッサナー冥想を上座部の人たちが英語で熱心に布教してるだけで

326:考える名無しさん
18/01/16 11:40:59.33 0.net
>>325
禅やヴィパッサナーのストレス低減効果や集中力改善効果などを科学的に検証したのがマインドフルネス

327:考える名無しさん
18/01/16 21:49:19.89 0.net
エハン塾「井筒俊彦の紹介」
URLリンク(youtu.be)
エハン塾「仏教とキリスト教のマインドフルネス」
URLリンク(www.youtube.com)

328:考える名無しさん
18/01/27 12:12:29.00 0.net
北アフリカ・中東地域生まれつき知能が低い疑い
難民のIQは大卒であってもわずか93しかない
ボイス・オブ・ヨーロッパに掲載された、欧州の移民問題についての赤裸々な議論です
EUと主要メディアは、高齢化する欧州は若い労働力を補うために移民が必要だと言う。
しかし、現実はそれとはかけ離れている。たとえば、ドイツ、スイス、そしてオランダでは、
80〜99パーセントの移民が、移住後1年以上を経てもなお定職に就いていない。
多くの移民は、現代の欧州で労働力として要求される技能を有していない。
心理学教授ハイナー・リンダーマンは、2015年10月に難民(移民)がドイツ人と比較して
平均的に低い知能しか持っていない。彼の研究によると、大卒の難民の数学と抽象的な
タスクにおける平均知能指数は93で、地元の高校生と同レベルしかなかった。
よく指摘される“言語の問題”はこの差異が生じている理由のほんの一部でしかなく、
根本的な問題は基礎技能の欠如だとリンダーマンは続けた。「ムスリム社会やアフリカで
見られる頻繁な血族間結婚(いとこ同士の結婚など)とそれによって引き起こされる障害が
問題を悪化させている」と、彼は付け加えた。すべての人間は能力と可能性において平等
であると左翼は信じているが、世界のIQ地図が示しているように、そんなことはありえない
違った地域から来た人たちは皆違うということを認めることは、事実上、レイシストではない。
「高い認知能力を持った人口が多い国々は、単に裕福なだけではなく、
平均的に言ってより自由で民主的であり、法の支配と平等がより確立されており、
有能な政府に統治されている。そういった社会は殺人発生率も低く、より安全だ。
そのような現代性は「認知の現代性」であり、
高い認知能力抜きでは獲得できたり促進できたりするものではない!」
URLリンク(www.newshonyaku.com)

329:考える名無しさん
18/01/27 20:56:54.40 0.net
体育会系と理科系の違いでしかないだろう。それをレイシズムにするのは間違っていると思う。

330:考える名無しさん
18/01/27 21:01:59.48 0.net
それは、欧米ではだいぶ前から、さんざんやってきた議論。
黒人の知能指数が低いのは、後天的な要因なのか、それとも、先天的な要因なのか。
これについては、盛んに議論されている。
まちがいないのは、「黒人の知能指数が低い」ということ。
こればかりは客観的事実なので、誰も否定できない。
議論されているのは、その「原因」について。

331:考える名無しさん
18/01/27 21:02:48.12 0.net
しかし、アラビア人やペルシャ人は、多くの偉大な知識人を輩出してきた歴史を持っている。

332:考える名無しさん
18/01/27 21:06:52.59 0.net
>>323
>スマナサーラっていう有名仏教徒が、仏教は心の科学とか言ってるし、
科学者が瞑想を研究したマインドフルネスってのもやたら流行ってるし、
たしかに仏教と科学を結び付けようという流れはあると思う。
それは、「科学」と言ってるだけ。
あんまり関係ないよ。

333:考える名無しさん
18/01/27 21:08:24.47 0.net
要するに、思考停止して頭の中をカラッポにすることにより、感覚を研ぎ澄ませる。
自分の身体や精神に、意識を集中する。
それがマインドフルネス瞑想。

334:考える名無しさん
18/01/27 21:12:40.17 0.net
アメリカの黒人で泳げるのは2割程度だと言われる。これは説明なしに理解できる。
イスラムのレベル低下は、毎日アザーンがあって礼拝が義務付けられてるんだからイヂメられっ子と同じだよ。当分ダメだろうね。

335:考える名無しさん
18/02/14 03:46:35.76 0.net
大川周明 『安楽の門』
 私は此の書斎(松沢病院の病室)に古蘭原典と、十種に余る和漢英仏独の訳本を自宅から取寄せ、昭和二十一年十二月一日から之を読み初めた。
 それは私が乱心中の白日夢で屡々マホメットと会見し、そのために古蘭に対する興味が強くよみがへったからである。

336:考える名無しさん
18/02/14 12:32:54.54 0.net
極東軍事裁判にかけられたとき大川はキチガイのふりをして死刑を免れた
イスラムに傾倒したのはその贖罪の念が拭い去れなかった所為だろう

337:考える名無しさん
18/03/02 23:34:50.59 0.net
>>328
普通の生活を送れる人間と難民とでは、そもそも学習環境に違いがあるだろ

338:考える名無しさん
18/03/02 23:39:30.54 0.net
ハッラージュ 「アナ・ル・ハック (Ana al-Haqq)」 (われは真理(=神=真実在)なり)
> Haqq is the Arabic word for truth.
> In Islamic contexts, it is also interpreted as right and reality.
> Al-Haqq, 'the truth, is one of the names of God in the Qur'an.
> It is often used to refer to God as the Ultimate Reality in Sufism.
そう言って処刑されるわけだが

339:考える名無しさん
18/03/02 23:40:31.22 0.net
アウグスティヌスと「VERITAS(真理)」の文字
URLリンク(dowym.com)
> 真理はどのように認識されるのであろうか。
> アウグスティヌスは真理(veritas)を真なるもの(verum)との関係において認識しようとする(I, 15, 27)。
> この二つは別のものとして,真理は真なるものの存在の根拠であり,
> 真なるものは真理によって存在させられる(I, 15, 27)。
> 言い換えれば,真理は神的存在で,真なるものはその被造物だということである。

340:考える名無しさん
18/03/02 23:41:26.86 0.net
アウグスティヌスはアルジェリア。
アウグスティヌスが一時期信奉していたマニ教は、ゾロアスター教、キリスト教、仏教などの流れを汲む。

341:考える名無しさん
18/03/03 01:32:15.65 0.net
井筒が指摘した、イスラムの神が仏教の真如に近いものである、
というテーゼは、別に難しい話ではなく、
>>338の様なwikiの辞書的説明にも用いられるもの。
これによって、キリスト教、イスラム、仏教のそれぞれ、
真理=真実在=真如が比較される。
その実体は、神であったり、現象であったり、あるいは偶然性であったりもする。

342:考える名無しさん
18/03/03 07:41:36.91 0.net
また真如厨か

343:考える名無しさん
18/03/05 22:40:51.20 0.net
イブン・アラビーのアッラーと無
> 宗教と信仰の言葉では「神」と呼ぶべきものを、イブン・アラビーは哲学用語の次元で「存在」(wujūd)と呼ぶ。
> これは現実にこの世に存在している「存在者」や「現実存在」(mawjūd)とは全く異なる原理存在であるとする。
> そしてその存在の究極位をプロティノスの「一者」と同じように「存在の彼方」に置くと同時に、
> それが全存在世界の太源であると考えた[5]。
> イブン・アラビーの「存在」は、無名無相、つまり一切の「…である」という述語を受け付けない。
> 「神である」とも言えない。なぜなら神以前の神は、普通の意味の神ではないからである[6]。
> 「存在」(wujūd)には、「自己顕現」(tajallī)に向かう志向性が本源的に備わっており、
> 「隠れた神」は「顕れた神」にならずにはいられない。
> 無名無相の「存在」が「アッラー」という名を持つに至るこの段階は、
> ヴェーダーンタ哲学における意味分節する以前の全体存在である「上梵」から
> 言葉によって言い表すことができる経験的世界である「名色」へと移り変わる段階にあたる、と井筒俊彦は解説する[6]。

344:考える名無しさん
18/03/05 22:41:51.53 0.net
>>343
「東洋的無」と呼ばれるもの
・神(アッラー)そのものが自己顕現する無
・ユダヤ神秘主義カバラにおける神の内なる無
・プロティノスの一者
・ヴェーダーンタ哲学における無相のブラフマン
・老荘の道
・禅の無
・大乗仏教の真空妙有
・易学の無極即太極
意識・存在・実在のゼロポイントである純粋な無、
絶対無から絶対有への展開。

345:考える名無しさん
18/03/05 22:43:30.31 0.net
井筒のいう「ゼロポイント」という言葉は何に由来するものだったか

346:考える名無しさん
18/03/05 23:59:24.41 0.net
>>328
「北アフリカ・中東地域生まれ」の人達が始めた宗教を
世界の半分以上の人達が信奉しているわけだろ
・キリスト教 22億5400万人(33.4%)
・イスラム教 15億0000万人(22.2%)
・ヒンズー教 9億1360万人(13.5%)
・仏 教 3億8400万人(5.7%)
・無宗教:7億6900万人(11.4%)
・無神論:1億4830万人(2.2%)
・心霊主義:1366万人(0.2%)
・バハーイ教:786万人(0.1%)
・中国伝統的宗教:3億8720万人(5.7%)
・儒 教:641万人(0.1%)
・道 教:337万人(0.1%)
・神 道:278万人(0.0%)
・その他:134万人(0.0%)
合計:67億4960万人 (百科事典「ブリタニカ」年鑑2009年版)

347:考える名無しさん
18/03/06 05:11:56.79 0.net
うむ。

348:考える名無しさん
18/03/07 23:49:19.19 0.net
ロシア哲学・思想史関連
『ゲンロン6・7 ロシア現代思想I・II』 東浩紀 (2017)
『20世紀ロシア思想史 : 宗教・革命・言語』 桑野隆 (2017)
『ロシアあるいは対立の亡霊 : 「第二世界」のポストモダン』 乗松亨平 (2015)
『ロシア精神史への旅 : 野口和重ロシア史論集』 野口和重 (2009)
『ロシアの源流 : 中心なき森と草原から第三のローマへ』 三浦清美 (2003)
『ロシアとヨーロッパ−ロシアにおける精神潮流の研究 1・2・3』 T.G.マサリク (2002-2005)
『ロシア学を学ぶ人のために』 藤本和貴夫 (1996)
『ロシア精神史 哲学と社会思想の流れ』 セルゲイ・レヴィーツキイ (1994)
『ロシア思想史』 森宏一 (1990)
『ロシア思想史 : メシアニズムの系譜』 高野雅之 (1989)
『ロシア精神の源 : よみがえる「聖なるロシア」』高橋保行 (1989)
『ロシア・ソヴィエト哲学史』 ルネ・ザパタ (1997)
『ロシア的人間』 井筒俊彦

349:考える名無しさん
18/03/07 23:50:06.33 0.net
混沌(カオス)といえば、ロシアもやらないといけない。
井筒は、ロシアには「原初(エレメンタール)な根源」があるという。(「ロシア的人間」)
それから、「存在の窮極の太古の源に彼等は直接つながっている」とも。(「露西亜文学」)

350:考える名無しさん
18/03/07 23:50:56.53 0.net
難しい話だが、このことはロシアをやっていく上で時折ヒントになる。

351:考える名無しさん
18/03/09 22:38:41.61 0.net
“おお夜の海よ、お前は何と美しいことか!
 ここは燦々と輝き、かしこは暗く濃藍色、
 月光を身に浴びて、海は生きもののように
 歩み、呼吸し、きらめいている。
 涯て知らぬ自由のひろがりの上に
 閃々と光り、たゆたい、遠雷のごとくどよみ轟く
 縹渺たる月光を全身に浴びた海よ、
 人気ない夜の世界に、お前はなんと素晴らしいことか。
 巨大なるうねりよ、海のうねりよ
 お前はそんなにして誰の祭日を祝つているのか。
 浪は轟き輝きつつ寄せて来る。
 目ざとい星達が空にまたたいている。
 この動揺のさなかに、この煌燿(きらめき)のさなかに、
 夢みるごとく茫然と私は立ちつくす。
 ああ如何に心地よいことであろうか
 この魅惑の中に魂を沈め盡すことができたなら”
― チュチェフ 「無題」 1865年作 (井筒俊彦「ロシア的人間」9章)

352:考える名無しさん
18/03/10 14:16:17.36 0.net
>>351
笑いそうになった

353:考える名無しさん
18/03/10 19:21:00.66 0.net
>>351はシェリング。池沼は笑うしかないだろう

354:考える名無しさん
18/03/10 19:22:23.29 0.net
井筒は、ギリシャ語をやった延長でロシア語をやった

355:考える名無しさん
18/03/10 19:22:57.90 0.net
“ギリシャ正教の修道院における祈りは、ヘシュカズムと呼ばれる行法に則って行われる。
 ヘシュカズムとは、自己の内面への沈潜、静寂(ギリシャ語でヘーシュキア)を求めて精神を集中するために、
 イエスの祈りと呼ばれる短い祈り「主イエス・キリスト、神の子よ、僕を憐み給え。」を繰り返し称える行法である。
 その際、自己の内面への精神集中の一助として、座法や呼吸法をともなった精神身体技法、心身技法を援用する。
 イスラームはスーフィズムのズィクル(神の名の連禱)や仏教は真言密教の三密(身、口、意)瑜伽行とほとんど変わる処はない。”
― 『ギリシャ正教 無限の神』 落合仁司 (2001)

356:考える名無しさん
18/03/10 19:28:34.77 0.net
落合は全く話にならないんで引用しないほうがいいぞ

357:考える名無しさん
18/03/10 19:43:34.49 0.net
ヘシュカズムの説明なんてこれぐらいのものでしょ
話になる話とは?

358:考える名無しさん
18/03/10 19:49:59.43 0.net
 ヘシュカズムとは、自己の内面への沈潜、静寂(ギリシャ語でヘーシュキア)を求めて精神を集中するために、
 イエスの祈りと呼ばれる短い祈り「主イエス・キリスト、神の子よ、僕を憐み給え。」を繰り返し称える行法である。

この前提から間違いだから
ヘシュカズムは何らかの行法じゃない極端にいえば呼吸法とか座法とかの方法はあってもなくてもいいようなもの

359:考える名無しさん
18/03/10 20:33:01.16 0.net
>>358
> ヘシュカズムは何らかの行法じゃない
で、何なの?観想だとでも言いたいの?
>>355には、「一助として…援用する」とあるでしょ。
複数の本、各種宗教事典で調べてもこれぐらいのもの。


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