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138:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
21/02/23 15:25:57.93 28twigNU.net
火病の民族 依存症の独り言>韓国は、「恨(ハン)」の文化の国と言われる。この文化は、韓国・朝鮮の歴史を抜きには語れない。
中世から近世〜近代まで、韓国・朝鮮は、その歴史の大半を中華圏の一部として生きてきた。世界の中心は常に中国だった。この中国を中心とした体制を華夷秩序と呼び、具体的には冊封(さくほう)という形で成り立っていた。
冊封とは、中国皇帝がその周辺諸国の君主と君臣関係を結ぶことである。冊封を受けた国の君主は、王や侯といった中国の爵号を授かり、これによって作られる国際秩序を冊封体制と呼ぶ。
経済的な側面から見れば、周辺諸国の夷狄(いてき)たちが、「中国皇帝の徳を慕って」朝貢を行い、これに対して皇帝が回賜を与えるという形式である。
この冊封体制の中で、韓国・朝鮮はその存在を維持してきた。つまり歴代の韓国・朝鮮王朝は、中国から柵封を受けることによってその地位を承認され、国内において自己の権威を確立することができたのである。
この中国との君臣関係は、日本が日清戦争(1894〜1895年)で清(中国)を破ったことで消滅する。宗主国であった中国が敗北した結果、韓国・朝鮮は大韓帝国として独立を果たすのである。
迎恩門や「恥辱碑」と言われる大清皇帝功徳碑を倒して独立門を立て独立を記念した。
この独立は日本のおかげであった。
ところが大韓帝国は、日本がロシア・フランス・ドイツによる三国干渉(1895年)に屈するのを見て、既に満州(中国東北部)を実質的支配下に置くなど、北東アジアにおける
南下政策を推し進めていたロシアにすり寄っていく。その結果、朝鮮半島を国土防衛上の生命線と位置づける日本は、ロシアと戦うことになる(日露戦争―1904〜1905年)。
日露戦争に勝利した日本は、その後、1905年の第二次日韓協約で韓国を保護国とし、1910年の日韓併合条約の締結により日本に併合した。
つまり、韓国・朝鮮は、ようやく独立できたのに
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