【ハンギョレ】天皇を ..
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2:ハニィみるく(17歳) ★
19/10/23 07:30:38 CAP_USER.net
>>1のつづき

その後、中原教授は日本の著名なジャーナリストであり女性運動家だった朝日新聞記者の松井やより氏(1934〜2002)とともに世紀の裁判に乗り出すことになる。2000年12月8日から3日間にわたって開かれた「女性国際法廷」という名の民間法廷だった。中原さんは「当時、私たちは慰安婦問題に非常に大きな衝撃を受けて、これを他の日本人たちに知ってもらったり伝えたりすることだけに集中していたのですが、松井さんは違った」と言う。「急に松井さんが『慰安婦問題は女性に対する国と日本軍の犯罪』と言って、これを(確認する)裁判をしようと言ったんです。私たちはそのような裁判が可能なのか、非常に恐ろしかったのですが、とにかく始めたんです。松井さんは今考えてもすごい人です」。

中原さんらは裁判の実務準備に向け1998年6月に「戦争と女性への暴力日本ネットワーク(VAWW-NET Japan)」を立ち上げた。しかし心配事が多すぎた。最大の恐怖は、戦争の最高責任者であり軍の統帥権者だった裕仁天皇を法廷に立たせるということだった。裁判を主導した松井氏らに右翼の脅迫状が大量に届きはじめた。結局、万一の事態に備えてしばらく安全な場所に身を隠さなければならなかった。

さらに、アジア各国に散らばっている被害者たちを東京に呼び寄せるには、莫大な費用と根気が必要だった。「計64人の被害者を証人として法廷に呼びました。おばあさんたちの大半が高齢だったので、家族や運動家たちが少なくとも2人ほど張り付いていなければなりませんでした。航空費や滞在費、通訳・翻訳費なども必要でした。途中で「私の退職金をつぎ込むべきか」とも考えましたが、日本のある高齢女性が「天皇の罪を問うべきだ」と言って大金を寄付してくれたんです」。

この民間法廷では慰安婦制度に責任のある天皇などの9人に有罪判決を下した。慰安婦制度がナチ時代のユダヤ人に対するホロコーストに匹敵する「人道主義に対する犯罪」であることを明白に宣言した世紀の判決だった。

その後、中原さんにはさらなる転機が訪れる。早稲田大学博士課程の教え子、ホン・ユンシンさん(『沖縄戦場の記憶と「慰安所」』著者)が沖縄の慰安所の調査研究のために宮古島を訪れ、重要な証言を採取したからだ。島の住民の与那覇博敏さんは、12歳の時に島で肌の白い朝鮮の女性たちが水をくんだり洗濯をしたりしに井戸に立ち寄り、しばらく休んでいた場所を覚えているとホンさんに話した。とつぜん島にやって来て戦争後に消えていたお姉さんたちはいったい誰なのかといぶかしく思っていた与那覇さんはその後、彼女たちが慰安婦であったという事実を知る。その後の調査の結果、宮古島だけで計17カ所もの慰安所があったことが確認される。

(写真)
URLリンク(img.hani.co.kr)
▲ 中原道子早稲田大学名誉教授が21日午後、ソウル中区義州路のホテルでハンギョレのインタビューに応じている。

たぶん>>3につづく


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