【古谷経衡】ケント・ ..
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2:ねこ名無し ★@\(^o^)/
17/08/23 10:09:24.53 CAP_USER.net
>>1の続き)
では非共産国である韓国についてどう説明するのかといえば、それも儒教に基づく「小中華思想」で、日本を下、中国を上、自国を中国に次ぐナンバー2として位置付ける事大主義が浸潤して今の姿になったのだという。
大間違いの「小中華思想」認識
儒教を苗床として出発した自国中心の世界観=華夷(かい)秩序は、自国の首都から遠ざかれば遠ざかるほど文明度が落ちて、野蛮国が東西南北を取り巻いているというモノになる。
これに従えば、中国王朝からみて東にある日本は「東夷(とうい)」で、蔑視の対象となる。まあ、ここまでの説明はおおむねあっている。
だが、韓国に関する記述はまるででたらめだ。「韓国は小中華思想を持っている。
これは中国を親、自分を兄、日本を弟という秩序で捉える世界観だ(韓国=中華世界のナンバー2)」というのは、ゼロ年代のネット右翼の古典的な韓国観をトレースしたもので、本書における記述も何ら進歩はない。
そもそもこの「小中華思想」の解釈が間違っている。韓国が持つと「される」小中華思想とは、中国をナンバー1と捉えて、半島がその次、日本がその下という秩序ではない。
17世紀中葉、漢民族の国・明朝が滅亡して満州族の王朝清が勃興すると、東アジアの華夷秩序は崩壊した。華夷秩序は漢民族の王朝を頂点とした国家の上下関係を指すので、その中心である明(みん)が滅べばこの秩序は機能しない。
高校レベルの歴史知識も怪しい
大陸における明朝から清朝への王朝交代―これを「華夷変態」と呼ぶ―によって、華夷秩序をけん引する正統なる後継者は明朝の属国であった朝鮮に移った。したがって朝鮮こそが明朝亡き後の華夷秩序の後継者である。これが「小中華思想」の正しい解釈である。
つまり「小中華思想」とは、朝鮮こそが世界の一等国という発想なのである。それなのに、「中国1番、半島2番、日本3番」というネット上の間違った歴史解釈を、この本は疑うことなくそのまま転写している。
「小中華思想」に基づく韓国一等主義は、現代においては「高句麗論争(朝鮮半島北部と満州の一部を支配した高句麗が、朝鮮民族の王朝だとする韓国側歴史学者と、それを否定する中国側学者の論争)」などにも顕著に見て取れるが、
そういった海外の歴史論争の時事についても、著者の疎さが伺える。
全般としては、高校程度の日本史、東アジア史の把握も正確にできているかどうか疑わしい。
しかし、いまだに「士農工商」の身分制度とか「六公四民」の極悪非道な重税、という近世日本史観が自明のものであると信じて疑わない人をまま目にする現在、この程度の水準の本のほうがかえってヒットにつながるのかもしれない。
私も、今後は売らんかなのために、「儒教」とか、ネット右翼界隈では目新しい概念をてことして中・韓・朝を斬ってみることにしよう―。もちろん嘘である。
日本も「小中華思想」の国だった
明の滅亡と清朝への交代は、日本にも重大な影響を及ぼした。徳川の幕藩体制も、朝鮮半島と同じように「華夷変態」による東アジアの世界観の混乱を受け、自らこそが世界の一等国=中華であるという錯覚を抱いた。
徳川幕藩体制にあっては、北方に蝦夷(アイヌ)、南方に琉球、西側に李氏朝鮮を従えているという、日本中心のナショナリズムが勃興した。これを「日本型華夷秩序」と呼ぶ。
北方の蝦夷は概ね松前藩を通じて間接支配(19世紀に入ると北方防衛の必要性から直轄の方針へと転換した)し、異民族としてのアイヌの風俗が江戸にもたらされた。琉球は薩摩を通じて間接支配し、琉球の装束を着た慶賀使が将軍の交代ごとに江戸に上った。
朝鮮に対しては有名な「朝鮮通信使」の来日が知られるが、事実上は李氏朝鮮を一等下に見た冊封体制の構築である。
徳川幕藩体制は、このようにして周辺の小国や異民族を従えていることを喧伝することで、徳川を中心とした華夷秩序を形成し、幕府の「御武威・御威光」をひけらかしていたのだ。
URLリンク(president.ismcdn.jp)
水準は推して知るべし
本書の著書、ケント・ギルバートは「儒教=反日」という自ら作った方程式の欠陥を自覚しているようだ。なぜなら日本も江戸時代、朱子学によって儒教の影響を受けているはずではないか、と指摘されれば、この方程式は破綻するからである。
(続く)


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