【聯合ニュース】日本のサムライ伝説はフィクション…その実体は裏切りに明け暮れる三流の殺し屋[06/22]★2 at NEWS4PLUS
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1:ダース・シコリアン卿 ★@\(^o^)/
17/06/26 00:36:29.61 CAP_USER.net
<<前略:猫鎧は動物虐待?〜侍の歴史>>
2004年に公開された映画『ラストサムライ』や日本の漫画などではサムライが国家や主君のために喜んで命を捧げる正義の使徒として描写されている。
名誉を重視する上に切腹も躊躇しない志高い武士として美化されたりもする。実際のサムライの姿はそうではなかった。
強い敵に出会えば命を懸けて最後まで戦うのではなく早めに投降したり、主君を裏切ったりする事例が多かった。
ガチ対決を好んだ宮本武蔵(1584〜1645年)が日本最高のサムライと崇められているのは、それだけガチる武士がいなかったという反証だ。
大半のサムライは相手が油断した時に不意打ちで殺すことを好んだ。手段と方法を選ばずに勝つことが重要だったからだ。
正座してから飛虎のように刀を抜いて突いたり斬る動作を随時学んで、孫子の兵法を勉強することも先制攻撃能力を伸ばすためだ。
孫子の兵法の中で敵を知って自身を知れば百回戦っても危なげないという『知彼知己 百戰不殆』の句を行動の綱領にした。
相手を徹底的に把握して、勝算があると判断すれば先制攻撃を躊躇うことなく敢行したのだ。
明成皇后殺害、清日戦争、露日戦争、中日戦争、真珠湾空襲、太平洋戦争などは一様に卑怯な奇襲攻撃だった。
力の弱い所を選んで集中的に叩くこともサムライの特徴だ。
弱者を群衆で苦しめる集団仲間外れ(イジメ)が日本社会に蔓延していることも卑劣なサムライの伝統と無関係ではない。
サムライ精神で武装した日本軍が国家と民族のために喜んで命を捧げるという宣伝は虚構だった。
戦地で玉のように砕けるという玉砕作戦を口癖のように叫んでいたが、1945年の日王降伏以後、自殺した日本軍将校の数はドイツ・ナチの将校と似ていたという。
ソ連の強制収用所では卑怯なサムライの実体がそのまま明らかになる。捕虜になった日本関東軍の約60万人は命乞いをするため、ソ連に先を争って忠誠を誓ったのだ。
弱者に対する配慮と同情はサムライの遺伝子には無かった。
1970年代ベトナムのボートピープル約10万人が東海で漂流しながら必死に救助を要求した時、残酷な冷血漢が姿を現した。
日本政府は彼らを救わずに全て死の海に送り返したのだ。
南方の海などで死闘を繰り広げたベトナム難民を韓国が受け入れたのとは対照的だ。
第二次大戦が終わった時はサムライ精神で武装していた指導者たちの仮面が剥がれ落ちた。
サムライどころか町内のチンピラにも劣る三流の殺し屋が彼らの本来の姿だった。
カミカゼ(自殺攻撃)を強要した東条英機総理は死にたくないと足掻いて、戦争責任を日王などに押し付ける醜態を見せた。
東部憲兵司令官の大谷敬二郎はニセの遺書を残して自殺を偽装して、家族と共に地方に逃走したが、逮捕される。
生体実験を主導した石井四郎731部隊司令官は実験資料をアメリカに全て引き渡して処罰を逃れる醜い裏取引をする。
日本人が普段親切で穏やかでも一旦国家権威の下で団結すれば、野獣に急変するのは卑怯な刀文化の影響が大きい。
安倍総理が交戦権を否定する平和憲法第9条を変えようと改憲の雰囲気を粘り強く造成しているのはこのような国民性をよく知っているからだ。
ウリは壬辰倭乱や植民支配のような惨事を再び経験しないためには悲憤慷慨(※社会や運命などに憤慨して嘆き悲しむこと)だけではダメで、日本の明るい笑顔の中に隠されたゾッとするような刀を見付け出さなければならない。
日本のサムライたちが行動の綱領にした『知彼知己 百戰不殆』戦略をウリもベンチマーキングしなければならない。
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