イルミナティってガチ?? at MIN
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298:天之御名無主
21/08/19 02:44:32.63 .net
五仏なのに六如来だから
東方の現在仏である阿閦如来=薬師如来
薬師如来は、「覚禅抄(東密)」において胎蔵大日如来と同体と説かれている。
薬師本願功徳経では、薬師如来は東方浄瑠璃世界(瑠璃光浄土とも称される)の教主で、
菩薩の時に12の大願を発し、
この世門における衆生の疾病を治癒して寿命を延べ、
災禍を消去し、
衣食などを満足せしめ、
かつ仏行を行じては無上菩提の妙果を証らしめんと誓い仏と成ったと説かれる。
瑠璃光を以て衆生の病苦を救うとされている。
無明の病を直す法薬を与える医薬の仏として、如来には珍しく現世利益信仰を集める。
東方の如来という事から五智如来の阿閦如来とも同一視される。
薬師三尊は、薬師如来を中尊とし、
日光菩薩を左脇侍、
月光菩薩(がっこうぼさつ)を右脇侍とする三尊形式である
(この場合の「左」「右」は中尊から見た「左」「右」を指す)。

299:天之御名無主
21/08/19 03:07:19.91 .net
中期密教の両界曼荼羅の内、金剛界曼荼羅では
中心の第一祖大日如来は東(下)を向き、東に東向きの阿?如来
後期密教では中心は東向きの阿?如来
胎蔵曼荼羅の中央に位置する中台八葉院では
中心に第一祖大日如来が位置し、 四如来(宝幢如来、開敷華王如来、無量寿如来、天鼓雷音如来)が四方に配置される。
東方は宝幢如来。
宝幢如来は、仏教における信仰対象である如来の一尊である。
梵名は「如意宝珠の旗印(をもつ者)」の意。
胎蔵曼荼羅画面東方に位置し「発心」(悟りを開こうとする心を起こすこと)を表す仏とされる。
仏道修行の根本である菩提心(発菩提心)を旗印とし、
その旗(幢)によって諸魔(修行を妨げる煩悩や迷妄)を退ける如来であり、
阿?如来(あしゅくにょらい)と同じとする説もある。
結んだ与願印は、大慈悲をもって衆生の願いをかなえる仏意を表す。
『大日経』・秘密八印品で「宝幢如来」にあたる部分は、以下の如く示される。
(前略) いかんが八印なる。
いわく、智慧三昧手を以って、空心合掌に作して、その上風輪と地輪とを散じて、光?を放つが如くす、これ世尊の大威徳生の印なり。
そのマンダラは三角にして、しかも光明を具せり。
彼の真言にいわく Nama? samantabuddh?n?? ra? ra? sv?h? (普く諸仏に帰命す ラム ラハ スヴァーハー)

300:天之御名無主
21/08/19 03:45:38.01 .net
普賢行願の十願を越える十二の大願を行い如来になった東方にいる現在仏である
薬師如来=阿閦如来=宝幢如来=時輪金剛が
女尊と抱き合って歓喜することで新たなる中心となり軸が東方に移り
新世界が始まるという
約1000年前に完成した
後期密教最終秘奥義
時輪タントラの末法時代の予言
教典成立当時の政治社会情勢からイスラム勢力の侵攻によるインド仏教の崩壊が予見されていたため、
イスラムの隆盛とインド仏教の崩壊、
インド仏教復興迄の期間(末法時代)は密教によってのみ往来が可能とされる秘密の仏教国土・理想郷シャンバラの概念、
シャンバラの第32代の王となるルドラ・チャクリン(転輪聖王)、
ルドラ・チャクリンによる侵略者(イスラム教徒)への反撃、
ルドラ・チャクリンが最終戦争で悪の王とその支持者を破壊する予言、
そして未来におけるインド仏教の復興、地上における秩序の回復、世界の調和と平和の到来、等が説かれた。
ルドラ・チャクリン=ルドラの転輪聖王
ルドラは は、インド神話に登場する暴風神である。
その名は「泣く、吠える」を意味する語根 rud に由来し、「咆哮を上げる者」「叫ぶ者」を意味する。
薬師如来は日と月の間に配置される。
素戔嗚尊は日と月の間の鼻から生まれる。
素=物のおおもと。
戔=すくない。わずかなさま。
嗚=ああ。 嘆息・感嘆の声。 「嗚咽(オエツ)」「嗚乎(オコ)・(ああ)」
宝幢如来が持つ如意宝珠(チンターマニ)は、仏教において霊験を表すとされる宝の珠のこと。
サンスクリット語でチンターとは「思考」、マニは「珠」を指す言葉で、
「意のままに願いをかなえる宝」と解釈できる。
如意宝、如意珠、または宝珠(ほうじゅ、ほうしゅ)と呼ばれる。

301:天之御名無主
21/08/20 15:47:21.71 .net
任那の中心、金官国
建国者首露王の妃はインド(サータヴァーハナ朝)の王女である許黄玉
加羅国=韓国=空国=仏教国
任那=那に任された地=イザナギに任された地
金官国=金属採取の役目の国
任那(? 〜562年)
金官国(?〜532年)
首露王(42〜199年)
許黄玉(32〜189年)
弥生時代の3世紀までに鉄器が普及していたのは北部九州地域に限られており、
日本のその他の地域から出土する鉄器は僅かである。
日本で純粋に砂鉄・鉄鉱石から鉄器を製造出来るようになったのは
たたら製鉄の原型となる製鉄技術が朝鮮半島から伝来し、
確立した6世紀の古墳時代に入ってからである。
それまでは朝鮮半島産の鉄を利用していた。
許黄玉はインドのサータヴァーハナ朝の王女で、
インドから船に乗って48年に伽耶に渡来し、首露王と出会い、
その時にインドから持って来た石塔と鉄物を奉納した。
許氏は首露王との間に10人の息子をもうけたが、
そのうち2人に許姓を与え、それが金海許氏の起源とされる。
2004年の学会発表によると、許氏の「インド渡来説」には遺伝学的根拠がある。
金海にある古墳の、許氏の子孫と推定される遺骨を分析した結果、
ミトコンドリアDNAは(韓民族のルーツである)モンゴル北方系ではなくインド南方系の特徴を備えていた。

302:天之御名無主
21/08/20 15:48:24.07 .net
サータヴァーハナ朝(紀元前3世紀/紀元前1世紀? - 後3世紀初頭)は、古代インドの王朝である。
デカン高原を中心とした中央インドの広い範囲を統治した。
パックス・ロマーナ期のローマ帝国と盛んに海上交易を行い、商業が発達した。
この時期の遺跡からは、ローマの貨幣が出土することで有名である。
王たちは、バラモン教を信仰したが、仏教やジャイナ教も発展した。
サータヴァーハナ朝
デカン高原一帯に発展した古代インドの王朝。別名アーンドラ朝
マウリヤ朝の衰退後,前3世紀末に成立したドラヴィダ系の王朝。
1〜2世紀ごろローマ帝国との季節風貿易で最も栄えた。
都市では富商が出現して貨幣経済が発達し,叙情詩・物語などすぐれたインド文学も生まれた。
3世紀半ばごろ滅亡。

303:天之御名無主
21/08/20 16:01:27.88 .net
加耶山の女神である正見母主と天神『夷?訶之』(イビガジ)から(悩窒朱日・内珍朱智)が生まれ、その内珍朱智が首露王となる。
首露王は前期任那の中心となる金官加羅国(狗邪韓国、本加耶、金官加耶)を建国
一方、首露王の兄である悩窒朱日は大加耶(高霊伽耶)を建国し、後期任那の中心となった
月光太子(げっこうたいし、生没年不詳)は、大加耶第10代にして最後の王(在位:不詳 - 562年)

304:天之御名無主
21/08/20 16:19:22.55 .net
安閑天皇=広国押武金日天皇
466年?〈雄略天皇10年?〉 - 536年1月25日?〈安閑天皇2年12月17日〉)は、
日本の第27代天皇(在位:531年3月10日?〈継体天皇25年2月7日〉 - 536年1月25日?〈安閑天皇2年12月17日〉)
蔵王権現は、日本独自の山嶽仏教である修験道の本尊である。
正式名称は金剛蔵王権現、または金剛蔵王菩薩。
インドに起源を持たない日本独自の仏で、奈良県吉野町の金峯山寺本堂(蔵王堂)の本尊として知られる。
「金剛蔵王」とは究極不滅の真理を体現し、あらゆるものを司る王という意。
権現とは「権(かり)の姿で現れた神仏」の意。
仏、菩薩、諸尊、諸天善神、天神地祇すべての力を包括しているという。
神仏習合の教説では安閑天皇(広国押建金日命)と同一の神格とされた。
日本が金属採取のために朝鮮半島南部に作った任那の中心は金官国
日本が国を広げて押し建てた金の国
広国押武金日天皇の在位期間(531-535年)中である532年新羅の侵略により金官国が滅亡
兄弟国である大加耶(高霊伽耶)が任那の中心へ
新羅の侵略によって大加耶(高霊伽耶)最後の王、月光太子が562年に死亡し、同年に任那日本府滅亡

305:天之御名無主
21/08/20 16:23:58.48 .net
銅鐸(どうたく)は、弥生時代に製造された釣鐘型の青銅器である。紀元前2世紀から2世紀の約400年間にわたって製作、使用された。
中国江蘇省無錫市にある春秋戦国時代(紀元前770 - 同221年)の地方国家「越」の貴族墓(紀元前470年頃)から、日本の弥生時代の銅鐸に形が似た原始的な磁器の鐸が出土している。
日本の銅鐸は、中国大陸を起源とする鈴が朝鮮半島から伝わり独自に発展したというのが定説だが、発掘調査を担当した南京博物院考古研究所の張所長は、鐸が中国南部の越から日本に直接伝わった可能性があると指摘している。
越(えつ、紀元前600年頃 - 紀元前306年)は、春秋時代に中国浙江省の辺りにあった国。
首都は会稽(現在の浙江省紹興市)。
後に漢民族形成の中核となった黄河流域の都市国家群の周辺民族とは別の、南方の長江流域の百越に属する民族を主体に建設されたと言われる。
越は楚、呉など長江文明を築いた流れを汲むと考えられており、稲作や銅の生成で栄えた。
『史記』をはじめとする諸書では、夏の少康の庶子を越に封じたことを越の君主の起源とする伝説を述べている。

306:天之御名無主
21/08/20 16:25:43.76 .net
『呉越春秋』は夏の少康の庶子であった無余を最初の越の君主とし、また夫譚の前に無壬・無タンを挙げる。『史記』越王勾践世家は初代から允常まで二十余世とし、『漢書』地理志は初代から勾践まで二十世とする。
越侯夫譚
越侯允常 - 『史記正義』によると、はじめて王を称した。
越王勾践(在位紀元前496年 - 紀元前494年)
呉の支配による空位:紀元前494年 - 紀元前491年
越王勾践(在位紀元前491年 - 紀元前464年)
越王鹿郢(?与)(在位紀元前463年 - 紀元前458年)
越王不寿(在位紀元前457年 - 紀元前448年)
越王朱句(州句、翁)(在位紀元前447年 - 紀元前411年)
越王翳(在位紀元前410年 - 紀元前375年)
越王錯枝(在位紀元前374年 - 紀元前373年)
越王無余之(在位紀元前372年 - 紀元前361年)
越王無セン(在位紀元前360年 - 紀元前343年)
越王無彊(在位紀元前342年 - 紀元前306年?)

307:天之御名無主
21/08/20 16:26:08.82 .net
銅鐸が発見された記録は、『扶桑略記』の天智天皇7年(668年)、近江国志賀郡に崇福寺を建立するのに際して発見された記述が最古であろうという。
ただし、天智期の記事を詳細に記しているはずの記紀は、この出来事について全く触れていない。
『続日本紀』には、和銅6年(713年)、大和宇波郷の人が長岡野において発見した記事があり、『日本紀略』には、弘仁12年(821年)、播磨国で掘り出され、「阿育王塔鐸」とよばれたとある。

>「阿育王塔鐸」
阿育王=アショーカ王
アショーカ(梵: ?????、IAST:A?oka?、巴: Asoka、訳:無憂〈むう〉、在位:紀元前268年頃 - 紀元前232年頃)は、マウリヤ朝の第3代の王である。
漢訳音写では阿育王と書かれる。インド亜大陸をほぼ統一した。
釈尊滅後およそ100年(または200年)に現れたという伝説もあるアショーカ王は、古代インドにあって仏教を守護した大王として知られる。
アショカとも表記される。アショーカの名前は花のアソッカ(無憂樹)を由来とする。

308:天之御名無主
21/08/20 16:29:33.14 .net
『古事記』の国産みには小豆島(播磨灘にある島)の別名として大鐸姫(大野手比売)が登場する。
『諸系譜』では布留多摩命の娘として登場し、天日方奇日方命の妻・日向賀牟度美良姫の別名とされる。
小豆島では島の島玉神として祀られ、島内にはかつて大鐸村などの地名もあった。「おおぬでひめ」の「鐸」(ぬで、ぬて、ぬりて)とは銅鐸のことで、実際に三五郎池の西側から銅鐸が出土している。
『古事記』では伊邪那岐命と伊邪那美命の子とされ、夫や子孫に関する記述はないが、『諸系譜』では綿津見神の子・布留多摩命(倭国造、尾張氏等の祖)の娘とされ、天日方奇日方命の妻とされる。
銅鐸の女神である大鐸姫は
倭国造の祖である布留多摩命の娘であり、天日方奇日方命の妻とされる。
天日方奇日方命は鴨王(かものおおきみ)とも呼ばれ、天皇以外で「おおきみ」と呼ばれる唯一の存在である。
天日方奇日方命(鴨王)の父は大物主神(大国主神)であり、同様にカモを関する迦毛大御神(阿遅?高日子根神)の父は大国主神(大物主神)である。
また、大御神を関する神は、伊邪那岐大御神、天照大御神、迦毛大御神の三柱のみである。
国生みを行った側の娘、あるいは倭国を造った側の娘が、銅鐸の女神であり、
銅鐸の女神は国を譲った側の大国主(大物主)の息子と婚姻しており、
国譲りを迫った側の天皇側と同じく「オオキミ」「大御神」を称されている。
弥生時代の銅鐸が668年に発見されたことを記紀は記さず、
821年に発見された際には「阿育王塔鐸」つまり仏教の鐘と呼ばれていたとされる。
春秋戦国時代に越国が南伝上座部仏教を受け入れて、越王は無を重視し仏教の鐘として銅鐸が作られた。
越国が滅亡したことで、銅鐸と南伝仏教が日本に伝来して南伝仏教の国が作られ、仏教の鐘として日本でも銅鐸が作られたが、
土着系神道集団が国譲りを迫り、銅鐸が埋められ、代わりに三種の神器の一つである銅鏡が作られるようになる

309:天之御名無主
21/08/20 16:38:19.23 .net
百越とは、長江・揚子江流域に住む諸々の種族の意で、春秋時代の呉・越も含む(呉は現在の江蘇省、越は現在の浙江省一帯)。
長江(揚子江)上流域の四川・雲南・貴州の各省にかけて、複数の倭人の王国があった
その諸王国は例えば『史記』にある国名でいえば以下の諸国である。
?(てん)、夜郎(貴州省赫章県に比定され、現在はイ族ミャオ族ペー族回族などが居住)、昆明、且蘭(しょらん)、徙(し)、キョウ都(現在の揚州市?江区に比定)、蜀、巴(重慶市)など。
分岐したと比定される民族には、イ族、ハニ族 (古代での和夷に比定。またタイではアカ族[7])、タイ族、ワ族、ミャオ族、カレン族、ラワ族などがある。
これらの民族間では高床式建物、貫頭衣、注連縄などの風俗が共通する。

310:天之御名無主
21/08/20 16:42:38.46 .net
ミャオ族
13年に一度の大きな祖先祭祀であるノン・ニュウを父系氏族 (clan) が合同して行い、大量の水牛や豚を供犠して祖先を祀る。
ノンとは「食べる」、ニュウは「鼓」の意味で、祖先の霊魂が宿るとされる楓香樹から作った木鼓をたたいて、祖先の霊を呼び戻して交流する。銅鼓を使用することもある。
黔東南のミャオ族の間では、楓香樹から生まれた蝶々のメイパンメイリュウが、樹下の水泡と恋愛して12の卵を生み、そのうちの一つから人間が生まれ、他の卵から生まれた龍や水牛と兄弟であるという創世神話が語られている。
その後、人類は天上の雷神と争い、大洪水を起こされ、瓢箪に乗って兄と妹が生き延びる。
兄と妹が結婚して(兄妹始祖神話)、その子孫が現在のミャオ族になったという。
ノンニュウは神話にちなんで、蝶々や兄妹始祖、祖先や死者の霊を祀り、再び東方にあるとされる究極の故郷に送り返す祭りである。
鹿児島県の遺跡では12,000年前の薩摩火山灰の下層からイネのプラント・オパールが検出されており、これは稲作起源地と想定されている中国長江流域よりも古い年代となっている。

311:天之御名無主
21/08/20 16:43:59.61 .net
首露王
亀旨峰(クジの岳)の6個の金の卵から、42年3月3日に首露王が生まれたとされる。
また、このとき1人ではなく5人の王子とともに6つ子として卵から孵って、九干たちに育てられたとされているこの年代に、首露王を中心とした国家連合(六加耶連合、後の新羅の複伽耶会)が成立したと見なしている。
金官国伽?は『魏志倭人伝』には狗邪韓国(くやかんこく)と伝えられる国である。

312:天之御名無主
21/08/20 16:47:55.26 .net
イ族
中国の古典文献に登場するこの民族の民族名は「夷」「烏蛮」「羅羅」「??」など多様に存在し、蔑称の「夷」が通称であったのを、中華人民共和国成立以降に同じ音である「彝」の字に統一した。
金官加耶の初代首露王と
高霊伽耶の初代悩窒朱日の
父は天神夷?訶之、母は正見母主

313:天之御名無主
21/08/20 16:54:51.70 .net
イ族
語順は日本語に似ていて、主語+目的語+動詞の順に並べられる。
ペー族
米を主食にしたり、ワサビを食用にする
ハニ族
弥生時代の遺跡等から見つかった人骨とDNA・骨格等が一致又は酷似しており、大豆を使った納豆や味噌さらに歌垣の文化、自然崇拝のアニミズム等日本との共通点が多い。
ハニ族はベトナムやラオス・ミャンマー・タイにも移住しており、現地ではアカ族と呼ばれている。特にラオスに住むアカ族の村の入り口には木で作った門があり形が日本の最古の鳥居に似ている。
日本のように磨いた白木を組み合わせてはいないが、鳥居の形状と魔除けの役割を負っている点で一致しており、門の上に鳥の彫刻が据えられている場合もある。
日本の弥生時代の一部遺構から似た形の鳥を模した彫刻が見つかった例もある。
また鳥居の風習は四川省涼山に棲むイ族(彝族)とも共通しておりチベットから流れる長江(揚子江)付近に存在した長江文明担い手の子孫とされるイ族と元々の生活域が近い事から近縁であると考えられる。
ワ族
竹で作った高床住居に住み、男性は黒いターバンで頭を包む。自称を「アワ」といい、近年まで首狩りの風習があった。

314:天之御名無主
21/08/20 16:57:36.00 .net
タイ族
最も有力とされるのは中国南部起源説である。
広西からベトナムを起源として、6-7世紀ころに漢族の進出に追われて西南へ移動したものと考えられている。

315:天之御名無主
21/08/20 17:01:20.08 .net
タイのミャオ族の精霊信仰
世界観は陰界 (yeeb ceeb) と陽界 (yaj ceeb) によって構成されており、さらに天界 (ntuj) をつけ加える場合もある。
陰界は精霊と死んだものが行くあの世のことである。ミャオの信仰において、あの世は山の中もしくは地下にあると考えられている。
陽界は精霊と人間の住むこの世と考えられている。

316:天之御名無主
21/08/20 17:11:41.34 .net
ミャオ族
陰界と陽界=陰神イザナミと陽神イザナギ
死んだ者が行くあの世である陰界=陰神イザナミの黄泉国
人間の住むこの世である陽界=陽神イザナギの現世
卵生神話=日本には無いが日本が作った金官国にはある
人類が天上の雷神と争い大洪水を起こされる神話=日本には無い
兄妹始祖神話=イザナギとイザナミ
そして、東方に究極の故郷があると言ってるのがミャオ族
長江流域の稲は10000年前
鹿児島県の稲は12000年前

317:天之御名無主
21/08/20 17:39:14.84 .net
サータヴァーハナ朝(紀元前230年 - 220年)
ドラヴィダ人の王朝
サータヴァーハナ王家は自らの出自がバラモンであることを誇り、またナーガ族とも血縁があったとする。
一方で他の宗教、特に仏教なども国家の保護の下で活動していた。
当時王妃を始めとした王家の女性はしばしば仏教教団に種々の寄進を行っており、しかもそれは国家によって奨励されて援助すらされていた。
また、各種の仏教教団は国家によるバラモン教の祭礼に協力し、また各地の仏教窟院にはバラモン教の讃歌が刻まれることがあった。
許黄玉はインドのサータヴァーハナ朝の王女で、
インドから船に乗って48年に伽耶に渡来し、首露王と出会い、
その時にインドから持って来た石塔と鉄物を奉納した。
石塔=石造の仏塔。仏舎利を安置するための供養塔。
つまり
西暦48年の時点で、日本(倭)はインドのサータヴァーハナ朝との交易によって鉄器と上座部仏教が伝来しており、
その結果成立した、日本(倭)の那(奴)が管轄する任那日本府の中心となる金官国が、金属を日本に送っていた
銅鐸は、弥生時代に製造された釣鐘型の青銅器である。
紀元前2世紀から2世紀の約400年間にわたって製作、使用された。
サータヴァーハナ朝(紀元前230年 - 220年)
821年の日本人「銅鐸はアショーカ王の塔鐸、つまり仏教の鐘」
最古の銅鐸は倭族がいる越、越の王は無余(=無我)

318:天之御名無主
21/08/20 17:56:32.75 .net
日本で銅鐸が作られなくなるのと
サータヴァーハナ朝が滅亡するのは
同時期の出来事
上座部仏教とバラモン教はセットで伝来
東南アジアで止まってない
宝幢如来
そのマンダラは三角にして、しかも光明を具せり。
△で光明
△に一つ目のイルミナティ=光明会
一つ目は金属加工する鍛冶師の隠喩


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