松菊木戸孝允(桂小五 ..
2:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/17 23:25:24.62 iEjcEPhi0.net
まずは、これくらいは知っておいてほしい
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%88%B8%E5%AD%9D%E5%85%81
3:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/17 23:29:47.70 iEjcEPhi0.net
これくらいは読んでおいてほしい参考文献
村松剛『醒めた炎 - 木戸孝允伝』(中央公論社、1987年/中公文庫、1991年)
松尾正人『木戸孝允』(「幕末維新の個性8」吉川弘文館、2007年 /「読みなおす日本史」同、2024年 ISBN 9784642076791)
齊藤紅葉『木戸孝允と幕末・維新』(京都大学学術出版会、2018年)
田口由香『木戸孝允−近代国家への志−』(萩ものがたりvol.77 2023年)
4:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/17 23:31:24.42 zplplVJF0.net
おおサンクス
5:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/17 23:32:41.98 zplplVJF0.net
カツラコゴロウ
6:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/17 23:33:16.56 zplplVJF0.net
木戸こそ真の天才
7:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/17 23:35:31.27 iEjcEPhi0.net
関連スレ
木戸孝允(桂小五郎)が主人公の大河ドラマを熱望するスレ3
スレリンク(nhkdrama板)
過去スレ
松菊木戸孝允(桂小五郎)について語ろう15
URLリンク(itest.5ch.net)
8:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/17 23:36:06.36 NzcdcVvV0.net
国立国会図書館デジタルコレクションで読める主な史料・伝記
(『松菊木戸公伝』以外は1巻目のみ示しますが、全巻読めます)
『木戸孝允日記』第1
URLリンク(dl.ndl.go.jp)
『木戸孝允文書』第一
URLリンク(dl.ndl.go.jp)
『木戸孝允遺文集』(全1巻)
URLリンク(dl.ndl.go.jp)
『松菊木戸孝允公伝』上
URLリンク(dl.ndl.go.jp)
『松菊木戸孝允公伝』下
URLリンク(dl.ndl.go.jp)
9:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/17 23:39:10.61 zplplVJF0.net
剣術も免許皆伝で一流
10:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/17 23:42:48.32 iEjcEPhi0.net
「松菊木戸孝允(桂小五郎)について語ろう15」から抜粋したまとめサイト
blog.livedoor.jp/waruneko00326-002/archives/58085589.html
11:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/18 00:00:16.88 syCbsll30.net
生家
yamaguchi-tourism.jp/spot/detail_14028.html
12:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/18 00:01:47.08 syCbsll30.net
木戸神社
yamaguchi-city.jp/ishin/spot009.html
13:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/18 00:05:34.70 syCbsll30.net
木戸孝允旧邸跡
yamaguchi-tourism.jp/spot/detail_17108.html
出石から帰藩後倒幕まで幾松と住んでいたと思われる場所
14:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/18 00:07:33.61 syCbsll30.net
出石関連
toyooka-tourism.com/spot/katsurakogoro/
15:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/18 00:10:44.82 syCbsll30.net
京都関連
www.shogikuen.co.jp/about.html
ja.kyoto.travel/tourism/single01.php?category_id=8&tourism_id=964
閉店した料亭『幾松』はインチキだから、気をつけよう
16:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/18 00:14:14.14 syCbsll30.net
木戸孝允駒込別邸跡
tokyo-trip.org/spot/visiting/tk1653/
その近くに「木戸坂」
www.sakagakkai.org/profile/toshima/kidozaka.html
17:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/18 00:19:22.40 syCbsll30.net
墓所は京都霊山護国神社
www.hanami-zuki.com/ijin/bakumatsu/14.html
18:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/18 00:19:54.84 syCbsll30.net
長州藩邸跡/桂小五郎像
URLリンク(www.kyoto-kawaramachi.or.jp)
19:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/18 00:21:35.95 syCbsll30.net
ネタがなくなってきた・・
《中津川宿》桂小五郎の隠れ家
www.city.nakatsugawa.lg.jp/museum/n/nakatsugawa_juku/4843.html
20:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/18 00:26:56.93 syCbsll30.net
最後
養父市の西念寺
www.city.yabu.hyogo.jp/soshiki/kyoikuiinkai/shakaikyoiku/1/1/1765.html
城崎温泉
kinosaki-tsutaya.com/about/
以上、保守ついでに木戸の足跡紹介でした
21:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/18 00:32:57.27 F4q0ReQj0.net
スレ立て&テンプレ整備乙です
木戸大河熱望!
22:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/18 01:07:53.56 F4q0ReQj0.net
救国の英雄にして建国の父
それが木戸孝允公(こう)
23:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/18 06:37:31.72 1bYbLK3B0.net
逃げの小五郎
24:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/20 03:27:28.13 Jo3rJRuC0.net
司馬が称した「逃げの小五郎」から逃げたい・・
25:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/21 09:42:29.36 6vLn6ufF0.net
マガジンの青のミブロ、ゲッサンのアサギロ、どちらも新撰組漫画だからか、小五郎の扱いが酷いww
一応、どちらも小五郎は剣の達人、ということにはなっているけど
26:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/21 11:32:35.17 prJ9NdlI0.net
よくそんなしょーもない漫画読むね
27:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/21 12:02:41.99 g+g3KcBS0.net
逃げの小五郎
28:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/25 23:53:39.51 hU+7qzfX0.net
『幾松という女』 名著です
29:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/26 06:43:56.16 7PPeD1B/0.net
翔ぶがごとくという反長州小説に幾松が歌舞伎役者と浮気した
みたいなこと書いてたけど、その根拠はあるのかだろうか?って思うね。
30:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/26 08:17:47.70 l9Y7XYuI0.net
司馬は極度の長州嫌い
その中でもとくに木戸を憎んでいた
中傷しまくり
31:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/26 13:20:09.45 TpUL+Ue10.net
なんでだ?
『花神』では大村のみならず木戸も長州藩も持ち上げまくってたぞ
32:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/26 20:10:08.34 KFff5sBl0.net
司馬の影響で評価低くなったのは板垣だろ
政治家に不向きとか言って未だにその評価が多い
33:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/26 21:35:12.07 mdOEn1i30.net
板垣は軍人として最高級の評価してるだろ
34:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/26 23:35:15.08 466I0diD0.net
司馬が徹底的に嫌ってたのは井伊直弼だけやで
35:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/26 23:46:59.91 x0UyywV10.net
結局司馬遼太郎の話になるんだからお前ら司馬遼太郎大好きだよな
「嫌い」と自称してるひとすらどっかしら大好きなんだよ
36:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/27 04:35:49.31 Zjx4EsRo0.net
>>31
司馬自身が長州嫌いと公言しているんだよ。 吉田松陰のことは子供のころから嫌いだったとも言っているし。
当然、従軍前だから従軍経験とも無関係。
大村は、長州嫌いの司馬の中では例外ってだけ。
もとは藩と関係ない村医者で、桂小五郎にスカウトされて藩士になっただけだから、例外扱いなんだろうね。
37:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/27 04:48:28.26 Zjx4EsRo0.net
司馬がサゲまくった長州人
松陰先生:『子供のころ虫の名前かと思った』
木戸孝允:『逃げの小五郎』との名付け親
乃木将軍:『無能・愚将』
〈司馬遼太郎 長州嫌い〉でググレカス
38:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/27 13:22:13.84 Te269k/e0.net
さしもの司馬遼太郎でも創作することができなかった高杉晋作だけは神
39:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/27 20:35:26.89 BHEyzRgD0.net
むしろ司馬遼太郎は西日本美化だから
一番好きな大阪の秀吉だし、東の家康は陰険家扱い
>>38
かなり創作美化してる
おーい征夷大将軍と言ったとか
功山寺決起も成功見通してたとか
天才だったとか言ってる
40:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/27 23:49:44.17 CNbqPn580.net
それ史実ではなくて創作だったのか?
41:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/28 00:00:39.51 kT55b8hz0.net
高杉晋作だけは超人過ぎてブラフ不可能
42:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/28 12:36:51.70 CFiyDsCn0.net
おーい征夷大将軍、は司馬の創作
功山寺決起の成功見通しは、ホントか創作かはわからない
あの頃の人たちは、成功見通しなくても決起するし行動するし
43:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/28 12:39:40.04 CFiyDsCn0.net
でも、ホントに晋作が冷静に勝算を読んでたとしても不思議でないし
44:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/28 13:12:21.16 22dT3Sr00.net
>>42
征夷大将軍の話は戦前からある
45:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/28 19:26:06.44 oy+jBf/g0.net
高杉の内面や考えはすべて小説の創作でしょ
内心ああ考えてたとか当人しか分かりっこないし
功山寺も死ぬ気でやったら結果的に成功したくらいしか分からない
46:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/29 00:21:03.19 aQvVsnBa0.net
司馬遼太郎でも創作できぬほど高杉晋作にブラフなし
47:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/29 01:01:46.82 +2+ZXjta0.net
Xより
伊藤が暗殺された年の5月、木戸の三十三回忌で詠んだ漢詩
URLリンク(pbs.twimg.com)
URLリンク(pbs.twimg.com)
48:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/29 07:38:13.45 RIglxCpM0.net
逃げの小五郎
49:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/29 16:46:33.34 FZxqhqNp0.net
「高杉」と「晋作」はNGワードにしとくべ
50:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/29 23:51:18.60 aQvVsnBa0.net
木戸孝允でさえ嫉妬不可能な高杉晋作をNGにしてどないすんねん
51:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/30 00:27:50.04 RFh+m84x0.net
中途半端の伊藤博文とは絶縁したみたいだけどな
52:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/30 07:56:59.38 XXJNY0CV0.net
URLリンク(www.lib.ocha.ac.jp)
お茶の水女子大学になる女子師範学校をつくる木戸孝允。
田中不二麿は尾張藩で唯一出世した人物で嫁が芸者が
幾松の妹分とかで木戸と近い人物
53:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/31 02:22:13.02 /DdZXUSC0.net
>>50
木戸がヒステリー症状だったのは文脈で残されてるからな
54:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/31 07:16:13.63 UseMU5NW0.net
逃げの小五郎
55:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/03 01:03:50.08 M6GGRVka0.net
強いからこそ逃げる免許皆伝の木戸孝允
56:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/03 11:11:01.97 ZE7nvnqx0.net
【治安か】 日本復活のために移民必要 【経済か】
スレリンク(eco板)
URLリンク(o.5ch.net)
57:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/04 15:47:11.51 rP1PlgTz0.net
>>52
岩倉使節団でいっしょに学校制度調べてなかったっけ
58:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/06 10:24:39.80 4+w0O4ob0.net
京都に降り立ち、私は幕末の風雲児、桂小五郎こと木戸孝允の足跡をたどる旅に出た。彼の生涯を彩った場所を巡る「聖地巡礼」である。
まず向かったのは、京都御苑。広大な敷地の中、かつて公家たちが住まいを構え、政治の中心地であったこの場所は、桂にとって重要な舞台だった。特に目を引くのが、蛤御門(禁門)だ。1864年、長州藩が孝明天皇に直訴するため、会津・薩摩藩と激突した禁門の変。桂はこの時、藩の命を受け、長州藩の進軍を阻もうと門前で奮闘した。しかし、戦いは長州の敗北に終わり、彼は潜伏生活を余儀なくされる。この門に刻まれた生々しい弾痕は、当時の激しい戦いを今に伝える。
次に訪れたのは、桂が潜伏生活を送ったとされる場所の一つ、現在の「木戸孝允旧宅」。高瀬川沿いにあるこの家は、彼が身を隠しながら、新時代の到来を静かに待っていた場所だ。歴史の波に翻弄されながらも、志を曲げずにいた彼の決意が、この質素な家屋から伝わってくるようだった。
そして、今回の旅のクライマックスは、木戸孝允の墓所、霊山護国神社である。坂本龍馬や中岡慎太郎など、多くの志士たちが眠るこの場所で、私は桂の墓前に立った。彼は新政府の樹立に尽力し、版籍奉還や廃藩置県といった大事業を成し遂げた。しかし、西南戦争の最中、志半ばで病に倒れる。激動の時代を駆け抜け、維新三傑と称されながらも、その人生は決して平穏ではなかった。墓石の前に立ち、静かに手を合わせる。彼の遺した功績の大きさと、それを成し遂げるまでの苦難を思うと、胸に迫るものがあった。
京都の街は、今も静かに歴史を語っている。桂小五郎の足跡をたどる旅は、彼が命を懸けて守ろうとした日本の未来を、改めて考えさせられる時間となった。彼の情熱と苦悩が刻まれた場所を巡ることで、歴史の教科書だけでは知り得ない、血の通った「人間・桂小五郎」に出会えたような気がする。
59:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/06 10:43:35.47 TEZj1GwT0.net
木戸ヲタおっさんがキモすぎて
60:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/07 00:51:59.15 mlfXm5Z20.net
>>53
青木周蔵が自伝で木戸が癇癪を起して火鉢を畳に投げ捨てて埃まみれにさせたと書いてある
61:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/07 03:11:56.62 fSOJ1A7e0.net
>>60
具体的には、明治8年に元老院での憲法草案を巡る議論で、青木周蔵が西周の提案に賛成したら、木戸孝允がブチギレて火鉢を畳に投げつけて、部屋が灰まみれになったってな。木戸は憲法制定に慎重だったから、青木が急進的な意見に同調したのが気に入らなかったんだろうな。結構、歴史の裏側ってエグい話多いんだな。
62:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/07 13:27:06.97 n/LKl8Ry0.net
榎本武揚の処刑を最後まで要求してた木戸だぜ
63:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/07 13:47:43.24 3RDaTHvl0.net
そりゃ下っ端は被害者だけどトップは責任取って腹を切れで一貫してる人だし
64:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/07 13:54:34.24 n/LKl8Ry0.net
会津藩士を斗南送りにした木戸の英断
65:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/07 14:13:21.77 yzwwyrWj0.net
脱糞の恨み
66:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/08 00:19:45.95 CzQnD4cF0.net
>>62
木戸の言うとおりにしとけば旧幕臣の復権はなく大正期からの混乱もなかったのに
67:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/08 02:31:33.40 842mQmpF0.net
自分らに選ばせた斗南送りにグチグチ言われるの大変だな
68:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/08 19:11:04.87 JcFXi7j80.net
ぐちぐちうるせーよって思うね。
勝藩の尾張藩の連中ですら北海道に渡ってヒグマと
苦闘してるのに。
自分らが海とつながってるって青森選んだんだろうが。
69:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/09 00:18:48.67 fVV8i92F0.net
>>61
少し違ってるぞ
70:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/09 14:40:32.51 S3qIZ8gx0.net
木戸きれやすいんだな
71:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/09 23:48:27.91 fVV8i92F0.net
田中惣五郎も木戸は体格のわりには体質が弱いと回顧してる
72:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/10 00:14:40.40 b36xzJet0.net
30代から偏頭痛、肺病、歩行不自由なら仕方ない
73:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/10 06:48:31.47 xx1jOqoC0.net
肺病にはなってない
デマ書くなよキチガイ
74:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/10 06:50:50.11 xx1jOqoC0.net
歩行不自由にもなってない
嘘ばっかだなお前
死んどけよ
75:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/10 07:31:20.20 +uRmDGKT0.net
20代から鬱病発症なら仕方ない
76:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/10 14:21:17.62 X36Kp6jv0.net
ウィキによると1873年に落馬した後に脳挫傷に歩行障害を負ったと書いてあるぞ
肺病に関してはそれが原因で亡くなったんだろ
77:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/10 16:11:49.50 xx1jOqoC0.net
歩行が不自由とか歩行障害とは書いてないやろ
ウィキには「下肢に不自由を抱えた」とある
歩けなくなったみたいに捏造すんな
あと肺病じゃなくて結核だろ
木戸の死因は現在でも特定されてない
結核なのか癌なのかそれ以外の病気なのか不明
78:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/10 19:02:14.45 X36Kp6jv0.net
>>75
鬱病も?
左足不自由に脳挫傷に結核持ちかは知らんが全身ボロボロでも、
よう初期の維新政府で生き抜いたわ。
79:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/10 19:12:33.63 xx1jOqoC0.net
ネットでは結核と出てくるけど事実なのか?
80:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/10 19:38:02.05 q5BW1Wcd0.net
xx1jOqoC0なんか詳しいのかと思いきやウィキペディアソースで結核のことも尋ねだす始末でわろた
81:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/11 00:15:58.81 MlJIRMYa0.net
高杉晋作も28歳にして肺炎で亡くなったが天才ほど早逝かもしれん
82:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/11 00:29:19.61 MlJIRMYa0.net
超一流ほど短命
83:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/11 08:48:41.42 WMep07910.net
肺病や結核はデマ。 木戸の持病は頭痛・胃痛・歯痛、死因は胃がんもしくは肝臓がん。
84:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/11 09:52:32.25 Xe+s/A5x0.net
ID:xx1jOqoC0だけど、だよなあ
肺病とか結核とか昔は聞いたことねーし
85:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/11 23:28:23.27 0EGKdlIA0.net
ほとんど何もしてないのになぜか幕末維新の事蹟を全部やったことになってしまった坂本竜馬さん
86:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/12 00:22:42.46 4D+Ay4rz0.net
>>60
勝海舟「木戸は実に小さい」
87:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/12 06:51:35.36 FEuzWZmV0.net
勝海舟は『解難録』の慶応3年(1867年)探訪密告において、慶応3年、京都で政局を動かしていた薩摩人8人の1人として、西郷、大久保、小松などと肩を並べて半次郎の名を挙げている。ただし、大事を決しているのは、西郷、大久保と長州の木戸の3人で、半次郎たちは、これに賛同して助力しているにすぎないとしている[16]。
[16]勝海舟全集刊行会『勝海舟全集1 幕末日記』講談社、1976年、295-296頁。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
88:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/12 07:00:21.90 FEuzWZmV0.net
伊藤が暗殺された年の5月、木戸の三十三回忌で詠んだ漢詩
「むかしを追憶すると感きわまってしまう
木戸公がなくなり三十三年もたったとは夢のようだ
木戸公の容姿は今でもはっきりと覚えている
公の名声と人気は歴史のなかで卓絶している
蕭何・曹参・房玄齢・杜如晦といった名臣など忠義の点で比べものにならない
諸葛孔明や楠木正成クラスにも匹敵する
木戸公の墓に詣で新緑の桜に公を悼む詩を書き付けると
あまりの悲哀にほととぎすが紅い血を吐くほど啼くのが聞こえる」
URLリンク(pbs.twimg.com)
URLリンク(pbs.twimg.com)
89:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/12 12:53:35.35 6KmuDYNb0.net
>>60
青木のそういうのは「公に愛されているワタクシ」自慢話だから…
90:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/12 14:22:40.69 5pS+d7wO0.net
>83
全身ボロボロやないか。
こりゃ44歳で死ぬも無理はないわ。
91:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/13 00:04:25.74 bDTbSQqW0.net
しかし幕末で身長174pなんてデカいな
92:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/13 04:09:34.74 PA9IGFzY0.net
高杉晋作さんは150センチだからなw
93:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/13 07:34:25.44 WSAAK2BY0.net
醒めたよむと、大村、毛利公が死んで妹まで死んで
メンタルやられたイメージ
94:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/13 08:27:50.98 hx900EiO0.net
信頼していた伊藤に裏切られたのも鬱病発症した要因の一つ
95:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/13 14:10:44.49 sXUASPhl0.net
>勝海舟「木戸は実に小さい」
石田三成みたいなタイプだったんだろうか。
個人的には三成も小五郎も好きだがな。
96:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/13 18:56:14.72 WSAAK2BY0.net
薩摩の五代才助が「大和尚(西郷)の森林には良材なし、木戸と大隈にはあり」
っていうぐらい人物眼にたけた桂小五郎。
明治中期はほぼ木戸の子分で天下を取った。伊藤井上の政敵の大隈も
元は木戸派の官僚だった。
97:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/14 00:15:40.30 L8Uw4XQe0.net
木戸の最大功績は医者くずれの大村益次郎を発掘したこと
ただしそれだけかも知れない・・
98:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/14 05:13:14.40 7MSSAYYj0.net
「長薩同盟は坂本竜馬が締結した」とか思っちゃてるクチ?
99:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/14 07:53:09.66 XfGIYKxt0.net
>>98
薩長同盟な
100:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/14 07:54:56.01 XfGIYKxt0.net
薩摩>>>長州だから
薩長同盟
101:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/14 07:58:41.31 XfGIYKxt0.net
薩長同盟
さっちょうどうめい
薩長同盟は、江戸時代後期の慶応2年1月21日に、坂本龍馬の仲介で近衛家別邸御花畑屋敷で締結された、薩摩藩と長州藩の政治的、軍事的同盟。薩長盟約、薩長連合ともいう。
102:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/14 08:41:04.67 7MSSAYYj0.net
長薩同盟の仲介者(連絡係)は別に坂本一人だけではない
なぜか坂本一人の手柄のようになってるが
103:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/14 09:02:21.22 bANZsvK90.net
考えてみたら、長州人関係はいつも下半身がらみの話題が出てくるな。
官軍の最高指揮官でありながら率先して強姦ばかりやってたから恨みを買って生首が肥溜めに投げ込まれた世良とか、
大久保の後継者として真面目に政治をやっていたのに幼女狩りは止められなかった伊藤だとか、
逃げの小五郎と呼ばれるまでになった我等が木戸の脱糞攻撃なんて、長州人の下ネタの中の一例に過ぎないんだね。
104:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/14 09:07:26.79 pfAHdDeT0.net
薩長密約の勲功トップは黒田清隆なんだろう。
薩長密約の立役者で木戸と親しく、同じく北海道樺太重視。
その後に薩摩閥トップ。
105:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/14 09:18:14.87 7MSSAYYj0.net
>>104
長薩同盟の連絡役で黒田が大きな役割を果たしたことを知ってる人がようやくいたか(黒田は薩摩内部の人なのであまり注目されてないが)
黒田と坂本以外にも大勢いた
106:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/14 09:25:52.63 7MSSAYYj0.net
「長薩同盟は坂本一人が仲介した」=「維新は坂本一人がやってのけた」では明治維新の理解は一歩も進まないのだよ、
107:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/14 09:29:03.14 oXk4VWPa0.net
薩長同盟で木戸の癇癪拗らせがなけりゃ坂本は苦労しなかったのにな
108:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/14 09:31:43.78 7MSSAYYj0.net
むろん、学術的には長薩同盟の調整において坂本なんかより黒田のほうが大きな役割りを果たしたことは
誰でも知ってるが、それは学術的にであって一般的には全然知られてない
由々しきことだ
109:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/14 09:47:01.22 AcSxWviv0.net
薩長同盟のおかげで長州藩は消滅しなかった
長州人は坂本龍馬さんに感謝している
110:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/14 10:29:52.74 7MSSAYYj0.net
教科書から消えかかってたザコの坂本は今さらどうでもいい
終わった人
111:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/14 12:11:28.73 et0JljeK0.net
AI による概要
薩長同盟の成立に中心的な役割を果たした人物は、坂本龍馬と中岡慎太郎です。特に坂本龍馬は、対立していた薩摩藩の西郷隆盛と長州藩の木戸孝允(桂小五郎)の間に立ち、仲介者として同盟を成立させました。この同盟は、倒幕運動を大きく前進させる要因となりました。
112:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/14 12:45:23.10 X3piSfcC0.net
黒田は過小評価だよね
大久保亡き後に黒田がトップにならざるを得ないほど薩閥は人材が枯渇していたこともあるが
大久保の後継者は伊藤じゃなくて山縣じゃないの?
113:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/14 12:48:33.52 7MSSAYYj0.net
>>111
時代遅れの司馬史観(坂本中心主義史観)はもう要らない
そういうのは今は全部否定されている
114:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/14 12:52:10.02 7MSSAYYj0.net
AIの文章なんて時代遅れの間違ったテクストの蓄積を元に生成されている
情報が古い
115:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/14 12:54:31.63 7MSSAYYj0.net
訂正
AIの文章なんてネット上に溢れてる時代遅れの間違ったテクストの蓄積を元に生成されている
紙の本や最新の研究は反映されてない
情報が古い
116:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/14 12:55:57.61 7MSSAYYj0.net
訂正
AIの文章なんてネット上に溢れてる時代遅れの間違ったテクストの蓄積を元に生成されている
紙の本や最新の研究は反映されてない
間違いだらけだし情報が古い
117:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/14 20:01:22.53 MjYCFE6r0.net
坂本は薩長土の勢力の中の土佐の大物志士だから有名になったんで
薩摩人が死後の西郷、大久保を持ち上げたり、長州人が松陰や高杉を持ち上げるようなもの
土佐じゃなかったら月形洗蔵程度の知名度だったろう
118:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/14 20:22:31.52 X3piSfcC0.net
坂本龍馬は田中光顕が宣伝する前は世間では無名と言っていい存在なのに何いってんだ?
司馬遼太郎は田中光顕のエピソード拾って坂本竜馬という架空の人物を創作しただけだぞ
119:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/14 20:26:03.17 MjYCFE6r0.net
木戸が浪人の坂本に同盟の裏書きを頼んだのは
土佐勤王派の大物と知っていたからだろう
薩摩が約束を破れば土佐派は長州の味方にできるという思惑ではないかな
120:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/14 20:31:41.67 MjYCFE6r0.net
>>118
坂本は浪士の巨魁として生前から有名
死後土佐系以外から忘れられたのは龍馬クラスの勲功のある死者が多くいたからだ
例えば土佐で言えば相方の中岡や先に死んだ武市や吉村も龍馬クラスの勲功とされている
121:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/14 21:04:42.65 X3piSfcC0.net
武市は龍馬以上の大物だよ
龍馬クラスとされたら武市に失礼
122:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/14 22:16:57.88 MjYCFE6r0.net
明治政府は坂本の勲功に対して正四位を与えてる
武市、中岡、吉村と同等だ
他にも長州で言えば松陰、高杉、久坂など多くいる
大勢いるから坂本が死後特別に語られなくなったのはしょうがない
123:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/15 15:11:41.32 L4IjNubc0.net
竜馬とかは武市の舎弟
武市が死んだから土佐のトップになれた
武市が生きてたら田中光顕だってわざわざ竜馬を引っ張り出してきて持ち上げたりせん
124:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/15 16:22:35.16 sDoWiues0.net
近年になく盛り上がってると思ったらぜんぶ坂本龍馬の悪口てw
125:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/15 16:47:51.66 TG02qXv10.net
逃げの小五郎
126:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/16 00:33:04.21 llkOLL000.net
強いから逃げたのさ
127:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/16 02:34:51.02 RrTlGCrK0.net
逃げの小五郎
128:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/16 04:41:50.85 VLO3p4No0.net
異称は「逃げの小五郎」
木戸孝允は、桂小五郎と名乗っていた時代にあだ名を付けられていましたが、それが「逃げの小五郎」です。
129:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/16 15:30:52.67 XPtnZ3B30.net
>>123
坂本龍馬と武市半平太は遠縁にあたり、武市の方が6歳年上だ。 武市が道場を開いた頃に2人は知り合い、親友として「顎どの」とあだ名で呼び合う仲だったが、舎弟のような上下関係はなかった。 そもそも龍馬は土佐勤王党に加盟していたが、藩の方針と合わずに脱藩してる。武市が土佐のトップになったという事実もない。武市は土佐勤王党を率いていたけど、最終的には吉田東洋暗殺事件に関わったとして投獄され切腹した。田中光顕が龍馬を持ち上げたってのは話が違う。田中は龍馬より年下で、武市半平太に師事し土佐勤王党に入った人物。龍馬に深く傾倒し、維新後に龍馬の写真や書簡を収集したり、銅像を建てるのに協力したりした。田中は龍馬の功績を後世に伝える役割を担った人物であり、龍馬の立場を上げてやったわけじゃない。そもそも龍馬は、その行動力や人脈から土佐藩内でも一目置かれる存在だった。武市が死んだから龍馬が脚光を浴びたってのも考え方が逆。武市が切腹する前に龍馬は既に長州や薩摩と交流し、薩長同盟の仲介など大きな仕事を成し遂げていた。
130:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/16 16:41:17.14 ROxQRHgs0.net
土佐の志士というのは土佐勤王党に所属している人間のこと(後藤や板垣が志士化する以前)
その土佐勤王党の “首領〈ドン〉” が武市
坂本はその構成員〈メンバー〉
ゆえに、坂本は武市の子分と言える
131:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/16 16:44:32.61 ROxQRHgs0.net
土佐の志士の階級〈ヒエラルキー〉、“格(かく)” では武市メンバーは坂本メンバーよりずっと上
132:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/16 19:14:54.73 5YP6c+vE0.net
武市は龍馬より先輩で、格は一段上ではあるが
長州で言えば松陰>久坂>高杉と序列があったように
ただ功績的には全員正四位を与えられていて、時期の早い遅いはあっても一級の貢献をしたと評価されている
だから司馬が別に持ち上げんでも、龍馬自体は明治政府からも正式に評価されてるし、雑魚と言う評価はまずありえない
133:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/17 09:15:40.90 7q1vTf6G0.net
武市は土佐藩内で勢力を拡げ、一時期は上士の中にも多くのシンパがいたくらいだったが、
結局藩論を統一できず、8・18以降急激に力を失った
小五郎は、8.18以降も生き延び帰藩後藩論を統一し、武力倒幕を成し遂げた
小五郎の政治力は圧倒的で、武市よりもはるかに上だ
134:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/17 12:36:07.66 hlYrqkbQ0.net
まあ、公(こう)と武市を比べた場合、志士としての “格(かく)” はほぼ同格と言えるが、成し遂げた功績(こうせき)では公(こう)が圧倒的に上だ
135:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/17 22:20:48.64 pKlXGnA10.net
禁門の変の後に上手く逃げた小五郎だが、高杉か居なきゃ長州にも戻れず埋没したろう
運が良かった
武市は逃げるタイプでないので仕方ないが、三文字割腹の法で他の有志を鼓舞した
武市は人望や政治や胆力と人物としては幕末最強ではなかろうか
136:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/17 22:24:26.53 U1cS5cfA0.net
坂本も武市も自分のスレでやってください
あるのか知らんけど
137:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/17 23:23:30.81 t67p4kJU0.net
人の悪口で盛り上がるからこうなるんや隙を見せるな
138:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/18 06:38:25.36 RT+awR1i0.net
クーデターをしたのはいいが高杉も伊藤も井上も攘夷派が怖くて
逃げ回ってたのを
桂が一喝して戻ってこれてきたわけだが。
139:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/18 09:22:49.05 BBOVo54O0.net
そう、現代人の想像以上に、木戸は長州藩士皆から認められていたリーダーだった
140:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/18 12:53:53.23 zzn1YOM00.net
公(こう)と同時代の人物の話をするのは別に大きなスレ違いの話題ではない
公(こう)は討幕運動の全体に関わっているのだから運動に関与した人々は全員公(こう)と関わりがある
141:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/20 16:47:10.59 DJyT69zm0.net
523番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ 0f6c-5Pa0)
垢版 | 大砲
2025/09/18(木) 05:06:01.25ID:OAOtkc/r0
明治維新はイギリスによる植民地化。
その時から天皇は英王室の子分
その英王室の子分が、イギリスのために
やった戦争が、ジャップの対米戦争
作戦の内容は、アメリカを助け、
ジャップを破壊するものばかり。
だから日帝の作戦は奇々怪々なんだよ。
ニューギニアでの作戦も同様。
こんなスパイを、天皇、天皇、いうて
いつまでも有り難がってる右翼、保守は無限大の馬鹿
阿呆
まぬけ
142:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/25 10:26:26.07 SoyY04ef0.net
現代では様々な桂小五郎の紹介に、「逃げの小五郎と呼ばれていた・言われた」と述べられることがよくあるが、存命中や死後に残された記録・史料にそういう記述は確認されていない。また、この小説の中にも、その当時から「逃げの小五郎と呼ばれていた」という記述はない。歴史上「逃げの小五郎」と記されたのは、この小説『逃げの小五郎』が初めてだと推測される。したがって、「後世の小説の題名から逃げの小五郎と呼ばれるようになった」が正しい表現である。この誤解がこれほど広まったことは、司馬遼太郎がつけたこの短編小説の題名のインパクトの大きさを物語っている。
143:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/25 11:27:11.42 5vtp9kZJ0.net
あだ名は「逃げの小五郎」
144:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/25 14:26:08.02 pUHa2Iml0.net
>>142
>また、この小説の中にも、その当時から「逃げの小五郎と呼ばれていた」という記述はない。
あると思ってたわ無いんだ司馬遼太郎やっぱ天才だな
145:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/25 16:23:56.51 onumTy+v0.net
修羅場となったときには剣を抜かず逃げに徹した。
また何かあったさいには俊敏に逃げる術を得ていた。
蛤御門の変により朝敵となった長州藩には、幕府による厳しい残党狩りがあった。首謀者のひとりとして見られていた桂も、京都にて新撰組に捕らえられてしまう。しかし腹痛を訴え便所をつかわして欲しいと頼みながら、そのまま汲み取り口から逃げてしまった。
まさにギリギリのところで危機を回避し、事あれば俊敏に対処する。
このような出来事により、“逃げの小五郎”との異名をとった。
146:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/25 19:29:43.14 bnOIf/0g0.net
維新は高杉がやったと言われるけど、高杉は確かに長州藩の俗論派を倒したけど俗論派を除いたあとも藩政府は藩論の統一を見なかったのであってね
高杉自身が木戸の帰還を熱望したことでもわかるように、木戸なくして長州藩の挙国一致はなかった
高杉とともに木戸がいなければ維新は成らなかった
147:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/25 23:44:33.89 oTqhVtsC0.net
高杉っていかにも政治できなさそうだもんな
井上もトップに立ちような柄じゃないし
長州まとめられるのは木戸以外はいないよな
148:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/26 07:25:31.62 mjtWgo7C0.net
幕末三異名
人斬り以蔵
鬼の歳三
逃げの小五郎
149:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/26 07:40:11.51 K+ozu2SQ0.net
AI による概要
「逃げの小五郎」の由来は、幕末の長州藩士である桂小五郎(後の木戸孝允)が、幕府からの追及を巧みに逃れるための行動が多く、「逃げる」ことを称する異名として付けられたことに由来します。特に、1864年の池田屋事件では、新撰組の急襲から辛くも逃げ延び、その後の禁門の変でも変装を駆使して追及をかわし、京都を転々としながら潜伏したことが大きなきっかけとなり、この異名が定着しました。
小五郎は常に「逃げ」という手段で危機を切り抜けてきました。これは、臆病者と見なされることもありました。
150:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/26 10:15:04.95 WtkF4eEW0.net
『逃げの小五郎』(にげのこごろう)は、司馬遼太郎作の短編小説である。禁門の変(1864年)から長州藩復帰(1865年)までの間の桂小五郎を描く。短編小説集『幕末』に収録されている。
出石藩士堀田反爾(省軒)をモデルとする人物堀田半左衛門が、昌念寺で碁を打ちあう仲となった人物を小五郎だと推測し、活を入れ、長州帰国を決意させるというあらすじ。 史実の小五郎、後の木戸孝允は、明治3年7月の日記に「八日朝、大久保参議来談、堀田反爾来る。但州出石藩の人、余七年前、京都戦争後、しばらく出石に潜伏す。この時最善寺に相会す。しかるといへどもその時余の長州人たるを知らざるなり」と述べており、この記述をヒントに司馬はこの作品を描いたと思われる。
151:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/26 10:16:05.18 WtkF4eEW0.net
(続き)
代では様々な桂小五郎の紹介に、「逃げの小五郎と呼ばれていた・言われた」と述べられることがよくあるが、存命中や死後に残された記録・史料にそういう記述は確認されていない。また、この小説の中にも、その当時から「逃げの小五郎と呼ばれていた」という記述はない。歴史上「逃げの小五郎」と記されたのは、この小説が初めてだと推測される。したがって、「後世の小説の題名から逃げの小五郎と呼ばれるようになった」が正しい表現である。この誤解がこれほど広まったことは、司馬遼太郎がつけたこの短編小説の題名のインパクトの大きさを物語っている。
152:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/26 10:55:33.35 SXXeq0200.net
“武(ぶ)” の高杉、“政(まつりごと)” の木戸公(こう)
この両雄なくして維新はない
153:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/26 13:37:15.48 XkMPoxc10.net
ときは幕末。
蛤御門の変で京都市内に延焼した火災が原因で、鴨川のほとりには多くの市民が避難生活をしていました。
その避難民に乞食として紛れていたのが、尊王攘夷派のリーダー・長州藩士・桂小五郎でした。
「逃げの小五郎」のあだ名のとおり、乞食になりすまして炊き出しを食べ、船頭に扮して鴨川を移動し、町人に紛れて商売もすれば、女装までして京都市中を逃げ続けていたのです。
154:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/26 13:39:23.73 XkMPoxc10.net
京都守護職が設置された段階から、桂小五郎は身辺を狙われる立場になり、新選組や京都見廻組、奉行所の捕り方から逃げ回ることになります。
桂小五郎が乞食に変装した時は、避難民が集まる鴨川沿いですっかり溶け込み、周りの人間は誰ひとり乞食であることを疑いませんでした。
持ち物から真っ白なふんどしが見つかったことで、ようやくあやしまれたというエピソードまで残っています。
155:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/26 13:41:25.69 XkMPoxc10.net
変装しながら京都市中に潜伏していた桂小五郎ですが、禁門の変の直後、京都市中の警備を強化していた捜査網に引っかかり、会津藩兵に捕らえられたことがありました。
会津藩邸に身柄を移されることになった桂小五郎。
会津藩兵に連れられて寺町通を歩いているところ、突然、
「ウンコが我慢できない!!!!」
と騒ぎだします。
しかたがないので数人の見張りをつけて近くのトイレへ駆け込みますが、桂小五郎は袴を下して藩兵が目をそらした隙に、地面を這うように逃げ出しました。
156:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/26 13:44:22.58 XkMPoxc10.net
出石で荒物業を営みながら、桂小五郎はこのまま商人として暮らしていくのも悪くはないと思うようになります。
出石に潜伏して7ヶ月が過ぎた頃、京都に置いて来た恋人の幾松が訪ねてきます。
三条大橋のたもとで乞食に扮していた時には握り飯を届け、新選組に追われている時にはかくまい、幾松は何度も桂小五郎を助けていました。
幾松は桂小五郎に会うと小五郎を叱りつけ、長州藩に戻るように言います。
長州藩に戻った桂小五郎は、薩長同盟を締結し倒幕を推し進め、明治政府では木戸孝允と名前を改め、日本の近代化に大きく貢献します。
逃げの小五郎と後ろ指をさされた桂小五郎も、明治政府では逃げずに戦ったのです。
157:名無しさん@お腹いっぱい。
25/10/01 01:18:17.65 NVPAWCgI0.net
強いから逃げたのさ
158:名無しさん@お腹いっぱい。
25/10/04 14:33:21.69 e0tj0x4s0.net
実際には何一つやってないのに実際にやった人たちから片っ端から手柄を奪って維新の事績は一人で全部やったことになってる坂本は凄いな
いや、凄いのは坂本ではなく “捏造の天才” 司馬なんだが
159:名無しさん@お腹いっぱい。
25/10/04 17:10:42.59 zlkSwGlR0.net
だいじょうぶ✌
維新の志士たちが作ってくれたこの国はおバカ政治家(しんじろー。)や女ネトウヨ政治家(高市)に壊されるほどチャチじゃありません
160:名無しさん@お腹いっぱい。
25/10/04 18:50:56.91 RxQAL4LZ0.net
>>158
司馬は「龍馬」じゃなくて「竜馬」だからと捏造アピールしてるから司馬史観と持ち上げたマスコミとそれに踊らされた読者が凄いんだよ
161:名無しさん@お腹いっぱい。
25/10/05 00:52:42.50 L+Qn2p+C0.net
“手柄の窃盗コレクター” 坂本竜馬
162:名無しさん@お腹いっぱい。
25/10/07 19:58:16.14 tvLGLWnE0.net
木戸は禁門の変を生き延びたのは凄い
久坂にしろ真木にしろ指導者格が死んでる
周布も自害したし山田も病死し指導者格が桂しか残ってなかった
163:名無しさん@お腹いっぱい。
25/10/08 01:20:29.11 rCAT8WX+0.net
そりゃ逃亡したから生き残れる
164:名無しさん@お腹いっぱい。
25/10/08 21:13:14.71 GeqQ1R060.net
木戸は禁門の変の首謀者ではないし参加者ではないからな
指揮官だった久坂と来島は敗軍の将として逃げるわけにはいかないが、木戸には関係ない
巻き添えで死ぬ必要はないだろう
165:名無しさん@お腹いっぱい。
25/10/16 01:33:31.05 UU/3rVre0.net
まあな
166:名無しさん@お腹いっぱい。
25/10/21 14:33:16.19 6Kp2PQvv0.net
>>162
病死したっていっても四境戦争では山田は首相格っしょ? 木戸は官房長官てとこか
167:名無しさん@お腹いっぱい。
25/10/27 02:35:49.46 tOq/5jn50.net
現代でいうと長州藩という政党の幹事長こそが木戸孝允
168:名無しさん@お腹いっぱい。
25/10/27 10:11:31.70 zKnRali20.net
木戸、広沢、山田は長州藩の三傑
169:名無しさん@お腹いっぱい。
25/10/28 01:55:54.47 XAXMoxNe0.net
高杉は神
170:名無しさん@お腹いっぱい。
25/11/01 16:41:55.77 GFKOfXoZ0.net
坂本竜馬より仕事した志士は無数にいるけどなぜか人気も評価も坂本がナンバーワン
歴史を逆行させる役割を果たしただけの新選組がナンバーツー
この国の国民も歴史研究もずいぶん狂ったことになってしまいもう修正不可能だろう
全ては司馬遼太郎の歴史改悪に依る
171:名無しさん@お腹いっぱい。
25/11/01 20:54:41.27 wohYkWE10.net
司馬はわざわざ「竜馬」という架空の人物ですよと念を押していたのに
司馬が描いたのは「龍馬」だと勝手に信じた国民が悪い
172:名無しさん@お腹いっぱい。
25/11/01 21:09:06.70 s9Cdnyhw0.net
甘いな
司馬は「時代小説」を「伝記」や「評伝」と錯覚させることに意識的にだよ
かなりのワル
173:名無しさん@お腹いっぱい。
25/11/01 22:20:34.55 invKQaqE0.net
>>170
新撰組より長州藩の部落民諸隊の方が興味あるなーとか個人的には思ったりする
田中彰『開国と討幕』より抜粋
「長州藩では吉田松蔭の没後、松門三傑のひとり吉田稔麿によって被差別部落民の「取立」がなされ、
一八六三年(文久三)七月には藩から登用令が出された。一村およそ100軒に五人という割合で帯刀胴服の着用を許し、
賤称を除くというものである。
これは賤称廃止令の先駆的なものだが、一村五パーセントの解放にすぎないという見方もあるし、
外圧化の藩の危機に対する「藩ナショナリズム」による被差別部落民の利用という解釈もある。
しかし本文にみたように、限定つきとはいえ軍事力として組織された被差別部落民はみずからの隊名に
「一新団」とか「維新団」という呼称をつけ、第二次幕長戦(四境戦争)に第一線で果敢に戦った。
この隊名には彼らの討幕による社会変革への願望が込められていた、と見てよい。
この解放へのエネルギーが明治維新の底辺にあったことは否定できまい
一八七一年(明治四)八月のいわゆる「解放令」(賤称廃止令)は、その延長線上にあったのである。
さきの隊名をみれば、「御一新」とか「明治維新」とかいう言い方もそれと無関係ではない。」
174:名無しさん@お腹いっぱい。
25/11/02 21:09:22.16 NYYws16P0.net
坂本龍馬の場合は三傑より上だとかの過大評価か雑魚とか言う過小評価しかないな
普通に上の下から中の上くらいの志士でしょ
175:名無しさん@お腹いっぱい。
25/11/02 21:39:01.00 NYYws16P0.net
>>172
司馬史観の影響はやばい
あれで政治や経済とはこれ(司馬の思想)なんだと思われ
維新と名乗る政党まである
176:名無しさん@お腹いっぱい。
25/11/07 20:57:15.72 4QWyjNkJ0.net
木戸公が槇村に木屋町の5番路地の家を買いたい or 借りたいと書簡か口頭で伝えた記録があったと記憶しているのですが見つかりません
どなたかご存じではありませんか
177:名無しさん@お腹いっぱい。
25/11/08 21:36:43.05 70G2NtEN0.net
現在(いま)あるこの邦(くに)を創(つく)ったのは長州の若き志士(しし)たち
決(け)して坂本竜馬や幕臣ではない
そしてその長州の志士(しし)たちの指導者〈リーダー〉が木戸公(こう)
つまり、木戸公(こう)はこの邦(くに)とって「国父(こくふ)」とも言うべき存在なのである
このことを国民は肝に銘じ片時も忘れてはならない
178:名無しさん@お腹いっぱい。
25/11/14 02:09:54.50 an8PIOFI0.net
火鉢を投げるほどヒステリー
そりゃ仲間は消えていくわ
179:名無しさん@お腹いっぱい。
25/11/15 00:01:39.92 gK8R7fGg0.net
11月17日にEテレで木戸の特集やるってよ
180:名無しさん@お腹いっぱい。
25/11/15 02:06:24.43 CgnO4VA80.net
報告と動画よろしく
181:名無しさん@お腹いっぱい。
25/11/15 03:11:38.48 MopHfQ+Z0.net
>>179
絶対見る!
182:名無しさん@お腹いっぱい。
25/11/15 04:20:15.05 l+bOROry0.net
日本人は判官贔屓だから最終的に勝利者だった長州は人気ない
その長州の大将で畳の上で死んだ木戸は人気がないのは当然
負けた幕府や会津や新選組や暗殺されてのたれ死んだ坂本が人気ある
183:名無しさん@お腹いっぱい。
25/11/15 18:32:12.96 8V70wUn+0.net
会津は人気ないだろ
会津には人気の要素が何も無い
184:名無しさん@お腹いっぱい。
25/11/17 02:00:07.47 Z3WG496l0.net
報告と動画よろしく
185:名無しさん@お腹いっぱい。
25/11/17 11:13:24.16 eKAy8OpL0.net
今日、NHKBSで夜の9時から大久保の特集をやる
Eテレ7時半からの木戸の特集と合わせて見るといいよ
186:名無しさん@お腹いっぱい。
25/11/17 20:10:26.96 /bpNivWc0.net
ちゃちな番組だけど悪くはなかった
ポイントは押さえてる
187:名無しさん@お腹いっぱい。
25/11/18 00:28:58.22 KSP/2aLO0.net
今回東京奠都が取り上げられたのが良かった
木戸の業績というと五箇条の御誓文や版籍奉還や廃藩置県やそれから憲法を作るきっかけになった、、などが取り上げられるが
東京奠都が取り上げられることはあまりない
188:名無しさん@お腹いっぱい。
25/11/18 06:24:48.43 XUZKi/dg0.net
木戸公(こう)は「東京の父」
189:名無しさん@お腹いっぱい。
25/11/18 06:27:33.07 018fNzYN0.net
逃げの小五郎
190:名無しさん@お腹いっぱい。
25/11/18 06:33:51.61 9F02W9vT0.net
「東京の生みの親」木戸公(こう)
191:名無しさん@お腹いっぱい。
25/11/18 08:48:32.25 hXmfrEyx0.net
>>186
「逃げる、逃げる」強調してたのは良かった
192:名無しさん@お腹いっぱい。
25/11/18 16:54:58.49 FyZcPMAG0.net
昨日の番組、慶応三年の出兵協議と戊辰戦争における木戸の働きは紹介されてなかった
不満と言えばそれくらいかな
193:名無しさん@お腹いっぱい。
25/11/20 10:09:39.11 yXkINuzl0.net
司馬史観に毒され過ぎの番組だった。 出石潜伏時の描写とか。。
明治以降が紹介されることは少ないから、その点は良かったと思う
194:名無しさん@お腹いっぱい。
25/11/20 10:26:23.46 yXkINuzl0.net
けど、東京奠都・五箇条の御誓文・廃藩置県・憲法も木戸だけの功績とは言えないからな。。
あまり知られてないけど、木戸だけが特に尽力した明治政府の人材登用を挙げてほしかった
195:名無しさん@お腹いっぱい。
25/11/20 14:04:04.07 PB3gCo7l0.net
今日3時5分から再放送やるってよ
196:名無しさん@お腹いっぱい。
25/11/20 18:16:13.77 qnqtDhm/0.net
>>193
出石潜伏時とかそれ以前とか重要な情報じゃないよな
30分しかないのにどうでもいい情報に時間かけ過ぎたかも
とは言え明治以降が紹介されたのは良かった
197:名無しさん@お腹いっぱい。
25/11/20 18:25:31.38 qnqtDhm/0.net
木戸が主に活躍したのは第二次長州征討から廃藩置県まで
198:名無しさん@お腹いっぱい。
25/11/20 19:08:23.39 laordIAh0.net
公(こう)がその期間に活躍できたのは若い頃から培ってきたチート級の外交人脈があってこそだ
199:名無しさん@お腹いっぱい。
25/11/21 01:17:58.93 JH/44l0g0.net
>>194
五箇条の御誓文、版籍奉還、廃藩置県は木戸だけの功績ではないが主導したのは木戸だと個人的には思う
勝田政治氏は廃藩置県の立役者としては西郷を重視するとのこと
東京奠都は木戸、大久保、岩倉の3人が中心人物だがその中でやや大久保の役割が大きいか
200:名無しさん@お腹いっぱい。
25/11/21 09:36:37.25 5MJ8GIUV0.net
西郷は廃藩置県は要請されて軍事的にバックアップしただけで政治的なことは大して考えてないよ
バカだもん
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