河本大作の一生 ..
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2:名無しさん@お腹いっぱい。
21/12/30 19:04:06.56 vKBTH3Bn0.net
河本がその後、東京に戻ったとき、のちの総理大臣の東条英機が、「河本さん、よくやった」と言って、握手している。それが当時の軍人たちの共通理解でした。
URLリンク(gendai.ismedia.jp)
「満州某重大事件 張作霖を爆殺した関東軍のどす黒い目的」

3:名無しさん@お腹いっぱい。
21/12/30 19:10:41.23 vKBTH3Bn0.net
関東軍時代の伝手を用いて、1932年(昭和7年)に南満州鉄道の理事、1934年(昭和9年)には満州炭坑の理事長となった。
1942年(昭和17年)、日支経済連携を目的として設立された北支那開発株式会社傘下の山西産業株式会社社長に、第一軍参謀長の花谷正の斡旋により就任、ソ連軍の満州侵入後も中華民国の華北で生活していた。
戦後、山西省太原市の山西産業は中華民国に接収され、西北実業建設公司へと名称を変更したが、中華民国の指示により河本は同社の最高顧問に就任し、引き続き会社の運営にあたった。
その後河本は日僑倶楽部委員長に就任、太原の日本人とともに閻錫山の中国国民党の山西軍に協力して中国共産党軍と戦ったが[注釈 2]、1949年(昭和24年)には中国共産党軍は太原を制圧、河本は捕虜となり、同年に建国された中華人民共和国の戦犯として太原戦犯管理所に収監された。

4:名無しさん@お腹いっぱい。
21/12/30 19:12:53.27 vKBTH3Bn0.net
1955年(昭和30年)8月25日、河本は中華人民共和国の収容所にて病死した。享年72。第二次国共内戦に関わり、その戦犯として獄死したこともあり、極東国際軍事裁判や南京軍事法廷において張作霖爆殺事件の証人として呼ばれたり尋問されたりすることはなかった。
河本の遺骨は同年12月18日に舞鶴港に到着した第12次中共帰国船(興安丸)で他の日本人抑留者及び日本人遺骨とともに祖国に戻っている
翌1956年(昭和31年)1月31日に青山斎場にて葬儀が営まれた。このときは旧陸軍関係者や満州国の関係者などが大勢参列し盛大なものであった。弔文は友人代表の大川周明が寄せた。

5:名無しさん@お腹いっぱい。
21/12/30 19:17:36.40 vKBTH3Bn0.net
張作霖爆殺事件
1928年(昭和3年)6月4日、蔣介石の北伐の圧迫を受け北京から満州に帰還する途上にあった張作霖を乗せた南満州鉄道の車両が、奉天付近で爆破され、張作霖は重傷を負い、2日後に死亡した(張作霖爆殺事件)[3][4]。当初日本の新聞では蔣介石率いる中国国民党軍のスパイ(便衣隊)の犯行の可能性も指摘され満州某重大事件と呼称されていたが、その後の調査で関東軍高級参謀の河本が計画立案をし、現場警備を担当していた独立守備隊の東宮鉄男大尉及び朝鮮軍から分遣されていた桐原貞寿工兵中尉らを使用して実行したと判明した[3][4]。東宮は中国人の苦力2人を殺害し、爆破を北伐軍の犯行とみせかけようとしたとされる。

河本は軍法会議にかけられることはなく1929年(昭和4年)4月に予備役に編入されるという人事上の軽い処置に留まった。
なお、この処置に対して、張作霖を反共の防波堤と考えていた松井石根陸軍大将は反対し、最後まで河本を首謀者であると考え厳罰を要求し続けた。

6:名無しさん@お腹いっぱい。
21/12/31 02:17:19.94 yzuNe23T0.net
張作霖爆殺事件の首謀者河本大作を処罰しなかったので、軍部の横暴を止められなくなり、満州事変、515事件、226事件、太平洋戦争へ繋がった
河本大作が悪の元凶

7:名無しさん@お腹いっぱい。
21/12/31 07:40:49.54 pvd6z9RC0.net
東條英機は河本大作をべた褒めしてたのかよ
そりゃ盟友ですわな
東條英機も同罪

8:名無しさん@お腹いっぱい。
21/12/31 08:24:45.72 yzuNe23T0.net
A級戦犯として起訴されるが裁判中に死去して判決が出なかった者
・松岡
・永野

東京裁判前に死去(自殺含む)や病気で起訴されなかったがA級戦犯として有力な者
・近衛文麿
・伏見宮
・大西瀧治郎
・杉山元
・宇垣纏
・阿南惟幾
・小磯国昭
・本庄繁
アメリカの陰謀で無罪になったA級戦犯容疑者
・岸
・牟田口
・正力

逃亡などで東京裁判に起訴されなかった者
・石原莞爾
・辻政信
・寺内寿一
・河本大作
自殺に失敗し東京裁判で死罪になった者
・東条英機

9:名無しさん@お腹いっぱい。
21/12/31 08:25:25.14 yzuNe23T0.net
大日本帝国が米国に勝つにはどうしたらいい?
スレリンク(whis板)

10:名無しさん@お腹いっぱい。
22/01/05 10:54:42.89 HqZ9n4b80.net
悪人の代表

11:名無しさん@お腹いっぱい。
22/01/06 21:43:36.49 E4shprts0.net
東京裁判で張作霖爆殺事件を裁いてもらいたかった

12:名無しさん@お腹いっぱい。
22/01/06 23:51:14.01 Pper9Ykt0.net
張作霖爆殺事件の首謀者河本がその後、東京に戻ったとき、のちの総理大臣の東条英機が、「河本さん、よくやった」と言って、握手している。それが当時の軍人たちの共通理解でした。
URLリンク(gendai.ismedia.jp)
「満州某重大事件 張作霖を爆殺した関東軍のどす黒い目的」

13:名無しさん@お腹いっぱい。
22/01/06 23:57:06.28 Pper9Ykt0.net
太平洋戦争の敗因9
スレリンク(whis板)

14:名無しさん@お腹いっぱい。
22/01/11 19:31:26.33 s4Bij2ym0.net
>>12
無茶苦茶だな
道理もくそもない

15:名無しさん@お腹いっぱい。
22/01/11 21:22:24.18 bS1wqT720.net
>>12
東條が河本にそう言ったと
保阪は何を根拠に、そう言ってるんだ?
出典や根拠がなにも示されてない
それだけでは意味不明だな
河本大作の犯行だとする確かな証拠が
いまだに一つも無い

16:名無しさん@お腹いっぱい。
22/01/12 00:19:08.95 UTh7G1Sj0.net
河本は張作霖爆殺事件に関係していることを否定していない。
河本は手記で、張作霖をやったのは自分だと自白している

17:名無しさん@お腹いっぱい。
22/01/20 12:00:36.29 ev8Cjf170.net
張作霖爆殺事件の実行犯、東宮鉄男(事件当時36歳、中尉)は、事件後、岡山の歩兵第10連隊中隊長に転任しただけで全く処罰なし。
東宮はその後、満州国軍政部顧問となった。
1937年、歩兵第102連隊大隊長となり中佐に昇進。
日中戦争に動員され杭州湾に上陸。11月14日被弾して死亡。
死後大佐に特進。
満州国佳木斯に東宮記念館が建てられた

18:名無しさん@お腹いっぱい。
22/01/23 12:13:48.31 e4OIMyXE0.net
月刊WiLL 2009年04月号
【特集】田母神論文を忘れるな 
■渡部昇一
占領軍「洗脳計画」で「日本は悪い国」に
URLリンク(web-wac.co.jp)
・・・・簡単なことで河本大作は東京裁判の時点で生きていたのですからなぜ法廷に
出さなかったのか考えたことはあるのでしょうか。彼を出廷させて本当のことを言われ
たら、困ると考えたと見るのがむしろ常識的です。
スレリンク(history2板:316番)

19:名無しさん@お腹いっぱい。
22/01/23 13:51:08.05 nlxu5Me20.net
●日中戦争は、海軍が自作自演で勃発させた戦争です
URLリンク(www.bookbang.jp)
日本海軍の知られざる実像
[レビュアー] 山村杳樹(ライター)
 一九三七(昭和十二)年八月九日、上海海軍特別陸戦隊の大山勇夫中尉が虹橋飛行場に車で突入、運転手共々、中国の保安隊によって射殺された。
この「大山事件」に乗じて海軍軍令部は十一日、宣戦布告に等しい要求を中国側につきつけ、十四日には大規模な渡洋爆撃を開始した。
近衛文麿内閣は「暴支膺懲」声明を発表し、支那事変に対する方針を不拡大から拡大へと一変。
当時の山本五十六海軍次官は、連日の渡洋爆撃を対米戦に向けての準備期間と捉え、海軍航空隊の充実、錬成に莫大な臨時軍事費を注ぎ込んだ。
本書はこの「大山事件」が現地海軍が仕組んだ謀略だったことを種々の資料や証言から論証し、事件を機に動き始めた日本海軍の「自滅のシナリオ」
の展開を跡づける。
更には、戦後、軍令部の参謀たちが偽証の口裏合わせをし東京裁判に臨み、「海軍は、陸軍に引きずられて太平洋戦争に突入した」という
「海軍善玉論」を意図的に創作、流布、宣伝したことに言及する。
著者は、日本海軍全体が「国の命運や国家利益さらには国防よりも組織的利益を優先させた強いセクショナリズム集団」であり
、膨大な戦時予算を獲得するために海軍の縄張りであった華中、華南で謀略を仕掛け、「自滅のシナリオ」を発動させたと結論づける。
実際、海軍は皇族で対米英強硬論者の伏見宮博恭を九年間(一九三二〜四一)にわたり軍令部長(在任中に軍令部総長に名称変更)に据え
、皇族の威光に隠れ横車を押す「知能犯」でもあった。
驚いたのは、昭和初期の海軍にあって、日露戦争の英雄、東郷平八郎元帥が隠然たる影響力を持っていたという事実。
東郷元帥は対米英戦に懸念を示した当時(昭和七年)の谷口尚真軍令部長を「こっぴどく面罵」し軍令部長交代を実現させたという。
一次資料、公刊資料、証言などを精力的に博捜した本書には、日本海軍が辿った歴史を検証し、流布されている“海軍神話”を解体せんとする情熱が溢れている


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