松菊木戸孝允(桂小五郎)について語ろう15 at HISTORY2
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150:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/22 01:51:01.92 LiaqWgEF0.net
>>146
木戸さんの命日に再放送する模様w
URLリンク(www4.nhk.or.jp)
5月26日(日曜)NHKEテレ1 午前0時30分〜 午前1時58分
先人たちの底力 知恵泉・選
廃藩置県▽藩をつぶして国家をつくれ/都道府県誕生

151:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/25 15:52:44.00 bljCkOYE0.net
>>146
知恵泉の木戸さん、どんな描かれかたしてんの。

152:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/27 00:30:27.40 AOFcQniN0.net
どうしても、「冷静」「慎重」ってイメージに引っ張られるけど、丙辰丸の盟約結んだり、廃藩置県では最も急進派だったり、
「まずやってみる」っていう手数の人だったんじゃないかなぁ
と思ってたら自分を「狂気軽躁」と分析してたようで、やっぱりと思った
村松剛さんは「その形容は似つかわしくないけれど」と書いてるけども

153:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/27 00:39:30.00 AOFcQniN0.net
>>148
連レスごめん
版籍奉還の布告文「朝廷其宜に処し、其与ふ可きは之を与へ、其奪ふべきはこれを奪ひ」の部分、
「与えるものは与える」を差し込むことで、大名たちに「形式だけのもの」と思わせ、
いわばだまし討ちしたのは木戸の作戦じゃないか
って感じ

154:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/27 13:47:44.41 liomnjZ00.net
>>149
「ダメ元でやってみる」という感じはするな。

155:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/27 14:05:01.74 M9JX3gcIO.net
壊す方はとりあえずやってみるってスタンスだけど作る方は慎重だった気はするけどなあ

156:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/27 23:01:41.27 4RBOJSwA0.net
4藩主による版籍奉還の建白文は木戸が起草したとされている。
コマ番号43
<URLリンク(dl.ndl.go.jp)
後年、木戸は薩摩藩(大久保)との妥協を得るために、用術策(朝廷に一旦封土を返上し、
再交付については朝廷に従う)を用いたと述懐している。
廃藩置県については、それを唱えて、推進した第一人者は木戸であるが、明治4年7月に断行できたのは、
西郷の功績大というのが、おおかたの歴史学者の考えみたい。
最近、幕末維新専門の若い歴史学者が増えて、司馬小説の影響がうすれてきていると感じるのは
僕だけかな。

157:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/08 14:05:03.19 /F3SSxtf0.net
晩年は政治的に孤立してたってま?

158:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/14 04:12:29.87 EgChn7Od0.net
自分から孤立しにいってた感じもあるしね
まぁ、どのタイミングで死んだか、っていう話な気がする
大久保利通ですら、岩倉使節団帰国後に箱根だかどっかに隠棲してるタイミングで病


159:気で死んでたら 「同調者を見いだせず失意の内に死亡」てなってたろうし 一つ言えるのは、維新の功労者筆頭数名に関しては当時ですら明らかに別格視されてて、 たとえその瞬間孤立していたとしても、いつでも復元できる可能性は持ってたと思う



160:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/14 07:50:53.99 zkBbOXhN0.net
>>154
健康問題があるから動きようがなかったということもある。

161:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/15 00:41:42.24 t/H1XEVD0.net
桂小五郎は暗殺が嫌いだったとされてるが、伊藤博文が功名に焦って塙保己一の息子を殺したときどう思ったんだろ
博文が小五郎にマジギレされたのは使節団ででかけてるときの一件だけらしいからこんときは許したんだろか

162:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/09 03:35:44.27 9mBKqGBf0.net
動機を同じくする坂下門外の変を起こした水戸の人とは盟約関係なんだよなぁ
学者を殺しても体制には関わりないし無用の事だったとは思うけど、そういう時代だったのかな・・・
山尾庸三とも深く信頼して付き合っていたようだし
伊藤は後年この暗殺を悔いていると話していたようだね

163:名無しさん@お腹いっぱい。
19/10/13 22:54:47.67 ZwS4kJV30.net
新説坂本龍馬 町田明広 インターナショナル新書
プロローグから抜粋
〜 司馬の作品には事実誤認が散見され、時には作為的な匂いすら漂う 〜
のっけから中々、刺激的な文章。
司馬によってこきおろされた木戸さんも少しはうかばれるかな。
木戸さんのことを史実に基づいて客観的に描いている。

164:
19/10/15 23:24:57 g4vg/uoL0.net
URLリンク(www4.nhk.or.jp)
10月22日火曜 NHKEテレ1 午後10時00分〜 午後10時45分
「事を成す生き方とは?逃げて勝つ!桂小五郎/木戸孝允」
幕末、激動の時代に活躍した人物から、事を成すための知恵を2週にわたって探る。
今回は、薩長同盟の密約を交わし、維新の立役者の1人となった、桂小五郎の生き方に迫る。

幕末の長州藩士、桂小五郎、後の木戸孝允。薩長同盟や廃藩置県などの功績を残した
。しかし桂は、「逃げの小五郎」と呼ばれるほど、危険を察知すると、逃げた。幕府に追われ、
物乞い、荒物屋、寺男となり各地を転々、潜伏を続けた。それは決して保身だけではなかった。
無謀な争いを避け、情報を得、自分を活かす機会を待つ。そんな姿勢が混乱の時代には必要だ。
逃げるは恥だが、桂なりの美学と信念があった。その生き方に迫る。

【出演】甲野善紀,藤本隆宏,萩博物館総括学芸員…道迫真吾,【司会】新井秀和

165:
19/10/20 19:42:33 3Hin2DHF0.net
過激派長州のなかでも人を斬ったことはない。暗殺を命令したかもしれんが・・・。

166:名無しさん@お腹いっぱい。
19/10/23 23:17:26.36 QsmsYBiv0.net
>>160
「池田屋で屋根伝いに逃げた」っていう説採用したり、あたかも「幾松に尻を叩かれて長州帰った」としたり
まぁ取り上げてくれるだけありがたいかって感じだな

167:名無しさん@お腹いっぱい。
19/10/24 00:53:12 wcORQVEf0.net
この局だとむしろスルーされた方がマシな気もする

168:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/05 21:41:19 1udhcu/50.net
URLリンク(i.imgur.com)


169:Kk.jpg



170:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/13 20:53:39 lWaZhhNH0.net
木戸孝允が一番好きだったのは山田顯義だと思うな。
長州藩の名門の生まれもあって礼儀正しいからな。

功山寺の挙兵が成功して萩の町に攻め込むときに
高杉晋作と伊藤博文は長州の町を焼き払おうとした。
焼き払うのはイギリス大使館以来、高杉と伊藤博文の
得意技だからな。

その時必死で萩の町を焼き払うのに反対したのは
山田市之允(顯義)だという。
美しい萩の町が今も健在なのは桂小五郎【木戸孝允】が大好きだった
礼儀正しい山田市之允が必死に反対したからです。 愛エメ総長

171:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/13 21:00:33 lWaZhhNH0.net
萩の町を救った山田顯義伯爵

慶応元年1月16日夜半、遊撃隊は赤村を、鴻城隊は佐々並村を
攻撃した。藩政府軍も必死に反撃したが、戦う者たちの意識の高さに
圧倒され、敗走した。(高杉)晋作は一気に萩攻撃をすべきと
主張した。しかし山県(有朋)は、藩主が滞在し、多くの知古が暮らす
萩城下を戦火で焼くことは避けるべきだと、反対した。太田や
山田(顯義)も同じ意見だった。

「俗論等の輩は滅ぼさねばのう」 伊藤博文は身分の高さで
威張り散らす武士階級を敵視していた。

「去年の夏、京都の戦で都は火の海につつまれた。
おれたちはその中を逃げてきた。
一番難儀をこうむったのは罪もない町民だった。
萩の町を焼いちゃぁいけん」

思わず(山田)市之允は、叫ぶように(高杉)晋作らの
強硬意見に反対していた。

172:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/13 21:01:41 lWaZhhNH0.net
萩の町を救った山田顯義伯爵

まぁ 山田市之允がいなかったら
萩の城下町は焼かれていた可能性が高いな。

高杉晋作は建築中のイギリス大使館を伊藤博文、井上馨らと
焼き払った「凶」の人だからな。

まぁ ヤマダ顯義が征韓論にも征台論にも反対して
軍人を辞めたのは正解だったな。

東大も法政も日大も明治も国学院も独協も関西大も中大も
日本医大も北里大も慶応医学部も京大法学部も北大も学習院も
ヤマダ伯爵が
丹念に手を掛けたおかげで立派な大学になりました。

参照 小説木戸孝允ー愛と憂国の生涯 上 中尾實信著作
     鳥影社 3,500円+税
※山田顯義は軍事よりも大切なものは法律と教育だと説くんだよな。
 全国の大学生にぜひ知って戴きたい人物です。

173:戊辰戦争の主役 山田市之允
19/11/13 21:03:42 lWaZhhNH0.net
「勤皇の大義」 1

慶応三年十月二十六日、薩長同盟を既に結んでいた長州藩は出兵を完了。
二十三歳の山田顕義はお世話になった大先輩の桂小五郎に向けて
「発するに臨み、再開期し難く、情緒万端筆墨あに之を尽くさんや」
と悲痛な覚悟。
十月、長州軍は三田尻に集合、出陣式が行われ毛利内匠が軍令を読み上げ
山田顕義に軍を指揮する武刀が渡され、軍は船に乗り込んだ。


諸隊総指揮の任命を受けた山田市之允が、三田尻(港)を発足せんとするに際し、
山口の藩庁に桂小五郎(木戸孝允 )を訪ねたが、他に出張して不在、一書をしたためて
挨拶とした。市之允は使命の重要さを認識したのであろう。

「発するに臨み、再回再開期し難く、情緒万端筆墨あに之を尽くさんや。」と
筆紙の中に無量の感慨を述べている。

174:戊辰戦争の主役 今牛若丸山田市之允
19/11/13 21:06:29 lWaZhhNH0.net
「勤皇の大義」 2

 お訪ね申し候処、不幸御他行にて懐ひ残り少なからず存じ奉り候。
 愈々只今より出足の覚悟に御座候間、差急に拝顔を得ず、
 残念の余り一筆留め置き候。

 今更申し上げ候迄も御座無く候得共、七百人の生死は搦手の遅速に関係仕り
 候事に付き、幾應も御尽力の上、急速御手下し相成る様、
 千万拝み祈り奉り候。

 何分皇國の興隆は合従の二字に有之候間、御國家の為に後来この上乍ら、
 御尽力偏へに願い奉り候、平常の御懇情一々、謝し難く、早々如此。
 発するに臨み、再會期し難く、情緒万端筆墨あに之を尽くさんや。
 何卒御氣体御養護、邦家の為に、後年専用と存じ奉り候。
                        匆々不一
     慶応三年九月二十五日   山田市之允
 木戸準一郎(孝允)様

175:戊辰戦争の主役 今牛若丸山田市之允
19/11/13 21:11:45 lWaZhhNH0.net
勤皇の大義」 3
 発するに臨み、再會期し難く、情緒万端筆墨あに之を尽くさんや。
 何卒御氣体御養護、邦家の為に、後年専用と存じ奉り候。


慶応三年十一月二十五日早朝、出動全軍鞠府に会し、総督毛利内匠の
軍令を伝え、八咫鳥神社に参拝して武運長久を祈った。
次いで総督及び参謀等は鞠府艦に、その他の属員は丙寅艦に塔乗し、整武、振武の両隊は
葵亥艦に、鋭武隊は丙辰艦に、第二奇兵隊は乙丑艦に、鋭武隊は満珠艦に、
奇兵、遊撃、膺懲の三隊は庚申艦に分乗し各艦一画三星の藩旗をひるがえし、
空砲七発をもって征途に上った。

●出兵協定を結んでいたにも拘らず、薩摩軍が約束の9月26日までに現れず、
地団駄を踏んだ長州藩でしたが漸く、10月3日に薩摩藩の初の軍船が三田尻に到着。
薩摩兵は藩重役と三田尻町民の大歓迎を受けています。
薩摩と長州が手を結ぶことで初めて勝ち目が出て来ました。大村益次郎は
長州藩の単独出兵には慎重でした。

先鋒隊の総指揮官に大村益次郎と木戸孝允の意見が一致。
ところが選ばれた今牛若丸、蚤の心臓?山田市は徳川軍の大軍を
前にとても勝てるとは思って
いなかったようです。 愛エメ総長

176:戊辰戦争の主役 今牛若丸山田市之允
19/11/13 21:14:26 lWaZhhNH0.net
元治元年(1864)甲子7月19日京都蛤御門の変で敗れた長州藩は
慶応三年(1,867年)丁卵十二月十一日、諸隊総指揮官山田市之允に率いられ
再び入京。京都の地に現れる。「防長勤王史談」に記載されている当時の模様を下に掲げる。

(前日の)長州兵の入京(毛利内匠の小部隊)は夜半に相成り、格別人目には触れざりしが、
十一日奇兵隊其の他の入京は白昼のことにて、四年来初めての入洛なれば、
市民至るところに於いて、
弾薬袋の一字三星の紋を見て、長州ぢゃ長州ぢゃと人皆仰天し、涙を垂れて拝むものあり、
こわ(怖)やのこわやのといふものもあり、諸藩邸の人々は一目見て、奥に走り込む模様、
随分一時震動の勢いにつき、二条城に於いては長軍対戦の用意致し候由、
後に相聞きたり・・・・・・・云々。

177:木戸と大村が抜擢!戊辰戦争の主役 今牛若丸山田市之允
19/11/13 21:17:08 lWaZhhNH0.net
山田市之允入京し、京都御所を拝して、かつて蛤御門に敗戦した往時を
思い浮かべて涙潜然、すなわち賦して曰く。

三軍來踞承明門
要表真誠訴宿冤
鳳詔方降紫宸殿
壮夫揮涙拝天恩


 読み下し

三軍來踞す承明門。
要を表して真誠宿冤を訴う。
鳳詔まさに降る紫宸殿。
壮夫涙を揮(ふる)って天恩を拝す。

178:長州兵の入京。指揮官は乳臭兒、山田市之允
19/11/13 21:18:52 lWaZhhNH0.net
長州兵の入京。乳臭兒が長州軍を指揮


 慶應三年、顯義、長藩の隊長となり、一隊の兵を率ゐて攝津西の宮に屯した。
當時、會桑の兵を京都より拂はんとする議があつて、長州兵の入京を急がすの
必要があつたから、西?隆盛旨を傳へて、顯義の進軍を促さしめるために、
大山彌助(巖)を西の宮に遣つた。大山、西の宮に來り、陣門に入りて、顯義に逢はん事を求めた
。帷幕の裡に待つことやゝ乍らくあつて、顯義が出て來て、其姓名をつげ、大山の使命を聞かんといふ。
 大山、顯義を熟視すると、之れ一箇の矮小漢であり、年齒も甚だ若い。

 
 其英名はかねてより聞いてゐるが、かゝる小忰とは思はなかつたから、大山大に侮る色が生じた。
かゝる乳臭兒が何を能くするかと思ひつゝも、西?の使命は傳へねばならぬから。西?の密書を
懷より取り出して渡し、時機甚だ切迫してゐるから、急いで兵を進ませられよと陳べた。
顯義、曰く諾と。直に左右を顧みて、出兵の命を下した。其言語擧動の敏捷なる、
流石評判に恥ぢぬだけのものがある。大山亦侮り易からざるを感じつゝ、
辭して陣門を去らんとすると。早、兵隊の部署は整然として悉く定り、將に進發せんとする模樣がある。
之れを見て大山遂に顯義の穎秀なるに敬服して了うた。
時に顯義二十二&#27506;、大山二十四&#27506;であつた。

179:長州兵の入京。指揮官は乳臭兒、山田市之允
19/11/13 21:34:54 lWaZhhNH0.net
時に顯義二十二才、大山二十四才であつた。

鳥羽伏見の戦いで戦ったのは山縣有朋でも
板垣退助でもないのだな。山縣と板垣は
郷里でお留守番。

高杉晋作の遺言で諸隊の指揮官は大村と山田市之允で決まり!
山縣有朋は補欠?
京に上る長州軍の総指揮官は大村益次郎と木戸孝允の意見が一致。
今牛若丸山田市之允が大役を任され補欠の山縣有朋には出番なし。 愛エメ総長

180:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/14 15:04:17.80 D7562S4b0.net
木戸さん
今年も靖国神社の桜が咲きましたよ

181:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/14 17:39:57.42 SP93yXlN0.net
靖国神社の隣に住んでいた広沢真臣を殺した犯人はいまだにわかっていないんだな。

182:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/15 18:48:46 nesbtuKqO.net
靖国神社には御所に向けて発砲した逆賊や朝鮮人が祀られている

183:靖国神社の桜満開です
20/03/23 18:07:40 NDnCgoNk0.net
木戸さんは文部卿に就任したように
文人肌なんだな。ロマンチストの一面があります。
日本の軍隊は大村益次郎と山田顯義の2トップから
スタートします。軍隊のスタートが大村と山田だった証拠は
靖国神社の大村益次郎


184:の銅像が物語っています。 山田顯義の骨折りがなければ銅像は誕生しませんでした。 大村益次郎の死後、薩摩の西郷兄弟が肩入れし、 日本軍隊を山縣有朋が横取りするんだがな。 憤慨する山田顯義を宥めて、木戸孝允は「軍隊は 山縣にくれてやれ、軍事よりも大切なものは 教育と法律!」と口を酸っぱくして山田顯義に説くんだよな。 木戸孝允が後世を託した山田顯義伯爵は日本大学と 國學院大學を創立し、再評価が進んでいます。 木戸孝允同様山田顯義も有名人にしたい筆頭の人物です。 愛エメ総長 狂騒のパジェント 靖国神社の大村益次郎像についての批判 http://pagent.seesaa.net/article/388231675.html



185:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/06 02:05:57.55 jYpTovhc0.net
↓木戸孝允が購入したと伝えられるナポレオン号に似ている。
URLリンク(www.vapeuretmodelesavapeur.com)

186:名無しさん@お腹いっぱい。
20/08/03 16:05:00 IPD8Zrvm0.net
スクーナー型帆船の勉強のために船大工と伊豆まで留学してたってことだけど
製図とか制作とかそれなりにできたのかな?
大工任せで大工の監督ってかんじだったんだろか

187:名無しさん@お腹いっぱい。
20/08/24 04:38:57 VMme2hQn0.net
少し前に出た中尾實信の小説木戸孝允ってどう?面白い?

188:名無しさん@お腹いっぱい。
20/09/05 13:24:35 R8O2sdbs0.net
>>181
木戸さんを良いように書かれる小説を読み慣れてないので、照れた

189:名無しさん@お腹いっぱい。
20/09/08 03:15:03 sm/0j7kZ0.net
>>182
?
オモロイ現象起こしてるな。
俺も読んで照れてみようかな

190:名無しさん@お腹いっぱい。
20/09/11 23:11:21.63 MvLJhAJV0.net
幾松が10月で閉店すると流れてきたぞ

191:名無しさん@お腹いっぱい。
20/09/12 06:24:27.01 0i/lmyfy0.net
>>184
それはどこ情報だ?

192:名無しさん@お腹いっぱい。
20/09/12 06:25:41.59 0i/lmyfy0.net
あー、ツイッター検索したらヒットした
            ↓
老舗料理旅館の幾松さんが10月20日をもって閉店・・・。寂しいです。

193:名無しさん@お腹いっぱい。
20/09/24 00:14:12.35 UdbPsmWu0.net
ねこねこ日本史 139話 猫も逃げれば何かに あたる、桂小五郎! 9月30日(水)放送!
黒船がやってきた幕末(ばくまつ)、長州藩士(ちょうしゅうはんし)・桂(かつら)小五郎(こごろう)は剣術(けんじゅつ)が得意(とくい)だったが、大きな音にびっくりして逃(に)げてしまうクセがあった。
敵(てき)も味方も桂(かつら)を追いかけるが、逃(に)げ方がどんどんと上手くなっていく。
果(は)たして桂(かつら)を見つけることができるのか!? 
[登場キャラクター]
桂(かつら)小五郎(こごろう)
幾松(いくまつ)

194:名無しさん@お腹いっぱい。
20/09/25 18:09:38.78 96vXpAGP0.net
「明治」という遺産 近代日本をめぐる比較文明史
政治、経済、教育、建築、交通、メディア、歴史意識… 日本の近代化は、世界史に何を遺したのか。
著者 瀧井 一博 編著
ジャンル 日本史 政治・法律
出版年月日 2020年10月10日 ISBN 9784623088348 判型・ページ数 A5・596ページ
定価 本体8,500円+税
URLリンク(www.minervashobo.co.jp)
>第20章 木戸孝允の明治・大正・昭和―勤王の志士から「逃げの小五郎」へ(齊藤紅葉)
 1 木戸孝允への評価の変遷
 2 先見の明ある「勤王の志士」
 3 立憲国家の礎
 4 苦悩する立憲政治家
 5 「逃げの小五郎」の現在

195:名無しさん@お腹いっぱい。
20/09/29 04:08:01.18 oCzu42Wp0.net
木戸に限らず高杉伊藤とか長州藩は何で大河にならないのか不思議な人間多い
木戸は幕末大河皆勤の重要人物なのに一度も主役回ってこないのマジ謎

196:名無しさん@お腹いっぱい。
20/10/11 16:00:16.48 1HZJkPYr0.net
最近三谷○喜氏が当時NHKの人に司馬遼太郎はそんなこと書いてない、みたいに言われたとNHKのラジオで話してた
新撰組は10年以上前の大河だけど現在も司馬信仰なのだろうか

197:名無しさん@お腹いっぱい。
20/10/12 15:44:50.03 X8jXlYid0.net
>>189
「花神」

198:名無しさん@お腹いっぱい。
20/10/14 07:29:49.00 HC2j2CQT0.net
>>191
主役大村益次郎やん

199:名無しさん@お腹いっぱい。
20/10/14 16:53:54.08 pmR2j05M0.net
>>192
高杉晋作との2人主役だと思うが。
ドラマ中盤は大村益次郎の出番より高杉晋作の出番のほうがずっと多かった。

200:名無しさん@お腹いっぱい。
20/10/15 06:19:20.43 Zql7FDQ70.net
都道府県魅力度ランキング
山口県32位

201:名無しさん@お腹いっぱい。
20/10/15 19:13:19.65 3ehvvqpo0.net
木戸孝允の死因「胃がん」に異説…大腸がん転移説も
URLリンク(news.yahoo.co.jp)

なかなかの新発見に見える
分かってないことってまだまだ全然あるもんなんだな

202:名無しさん@お腹いっぱい。
20/10/15 21:49:55.54 pFEVr98G0.net
>>195
どっちにしろ結核ではなくガンみたいだな。

203:コーイン
20/10/16 02:03:42.03 6HNcUTBbO.net
コーイン

204:名無しさん@お腹いっぱい。
20/10/24 08:27:17.49 GdaMBiGL0.net
しかし見れば見るほど具合悪い所だらけでかわいそうだ(泣
胃も肝臓も腸もって腹の中全部じゃないか

205:名無しさん@お腹いっぱい。
20/10/24 09:20:39.23 rRTT7tnOO.net
酒とストレスのWパンチだろうか

206:名無しさん@お腹いっぱい。
20/10/26 14:08:49.59 vwlOE5ga0.net
血縁の人も短命だよね

207:名無しさん@お腹いっぱい。
20/11/01 17:58:48.09 2o1SVERw0.net
やっと醒めた炎文庫版全巻揃えられた
やたら高い4巻を思いきって買ったら達成感満足感で燃え尽きた

208:名無しさん@お腹いっぱい。
20/11/01 22:58:24.94 uNJClKsW0.net
「醒めた炎」の文庫版4巻は巻末の資料集度が高いから仕方ない。

209:名無しさん@お腹いっぱい。
20/11/04 22:15:54.69 kjPq9yax0.net
木戸の血縁の人間はみんなとにかく短命だな
生まれつき身体が弱い家系なんだろう
木戸孫が長生きしたのは山尾か来原の血のおかげだな

210:名無しさん@お腹いっぱい。
20/11/18 21:41:31.56 ale3tYem0.net
やり方や性格は温厚だけど、
思想は一番、先鋭的だと思う。
板垣が自由民権運動をやる以前の時代に、それよりもっと進んだ資本主義批判をしてたのは凄いと思う。

211:名無しさん@お腹いっぱい。
20/11/27 18:44:12.57 0/OugIEy0.net
幕末明治が題材の作品に出てくる木戸は、どれもこれも木戸というより司馬作品の木戸だな
銀魂の桂が1番実像に近いまである

212:名無しさん@お腹いっぱい。
20/11/29 17:37:49.11 0uzDYys30.net
天才肌の思想家だよね
書生に人気があったらしいが

213:名無しさん@お腹いっぱい。
20/11/29 23:25:21.16 1qyTljMZ0.net
渋沢大河にも登場するのかな
大河板じゃとりあえずイケメンな役者で!ってばかりで解釈と扱いを良くしろなんて意見はないのなー
アハハ

214:名無しさん@お腹いっぱい。
20/11/30 02:10:28.60 Gu+K5eEy0.net
絶対に期待してはいけない大河ドラマ2021

215:名無しさん@お腹いっぱい。
20/12/01 03:04:54.97 IyxhqtFE0.net
扱いと言っても渋沢大河じゃチョイ役にしかならないだろうしなあ。
良いに越したことはないが期待値を低く低くしてしまう木戸ファンの性w
湯島の突撃お宅訪問を是非やってほしい
出番が少なくても印象に残るような明るい役者に演じてもらいたいな

216:名無しさん@お腹いっぱい。
20/12/19 20:09:53.83 WuPs76g20.net
歴史が好きなだけでは木戸は理解できないと思う。
思想や経済という視点で見ると見方が変わると思うが。
学生の頃に運動をやってたかその手の本を読んだことがあれば分かるんだが。

217:名無しさん@お腹いっぱい。
20/12/21 23:38:00.72 ZRNb/uZm0.net
木戸の人生はめちゃめちゃ面白い(特に人間関係)
だけど本人の性格がかなり複雑なのが創作における難点

218:名無しさん@お腹いっぱい。
20/12/21 23:48:25.73 YLePaWrS0.net
そもそも故人なのに個人スレがここまで伸びてる時点で、木戸が如何に複雑で考察しがいのある歴史人物なのかが分かる

219:名無しさん@お腹いっぱい。
20/12/26 11:01:09.81 0TzyRS2X0.net
跳ぶがを何十年ぶりに読んでみた。他小説であれほど木戸をこき下ろしているのに、
ここでは以外と評価しているだよね。
・版籍、廃藩は木戸が主導
・木戸は大久保より聡明
・木戸は参議たちの中ではもっとも進歩的な思想を持ち、欧州から帰ったあと、
 憲政政治を主唱し建白
・征韓論争の廟議に木戸が欠席したのは、明治政権維持のための最大の政治行動

220:名無しさん@お腹いっぱい。
20/12/26 18:15:21.71 Ljqeyvpp0.net
なんだかんだ司馬さんは木戸孝允評価してるよねエッセイでもしばしば出てくる
ただ、伊藤と喧嘩したのは「大久保と仲良くして嫉妬した説」を定着させたのは
罪重いぞw

221:名無しさん@お腹いっぱい。
21/01/02 21:01:15.92 d0A3ErUy0.net
桂小五郎、逃走中〜in出石〜

222:名無しさん@お腹いっぱい。
21/01/07 15:52:40.78 agDrlnxE0.net
来原切腹してから藩の対応に涙して来原父に胸糞悪くして醒めた炎1巻読み終わった
また外出自粛になるから全巻集めて読もうかね

223:名無しさん@お腹いっぱい。
21/01/07 22:58:08.10 0593NQjF0.net
木戸は女性関係が派手すぎる
マメで優しくて金持ちなイケメンだから当然といえば当然だけど
木戸大河は次から次へと出てくる愛人に現代の女性視聴者からはブーイングされそうだ笑

224:名無しさん@お腹いっぱい。
21/01/10 16:32:03.50 mxUyFKZ00.net
>>213
>>・木戸は参議たちの中ではもっとも進歩的な思想を持ち、欧州から帰ったあと、憲政政治を主唱し建白
これは違うと思う。木戸はもっと先を見ていた。
憲政政治だの民権だの聞こえはいいがブルジョアの天下だからな。

225:名無しさん@お腹いっぱい。
21/01/17 21:19:12.74 M/lrngzH0.net
谷口純著の「維新の恋と嵐」を読んだ。ミュージカルの脚本という形式で、さらさら読める。
ミュージカルの歌詞まである。
木戸を中心とした明治の政治劇が、とてもわかりやすく描かれている。
これを読んだ上で「翔ぶが如く」を読めば、もう少し木戸に同情的になりそうだ。
自分が反対する政策ばかり採用されたら、そりゃ辞めたくもなるよね。
木戸ファンとしては、美化のされかたがこそばゆくなるくらいだけど、
ま、これくらい許してほしい。
松陰先生の亡霊も良い演出。巻末には松陰先生と小五郎のショートストーリーがある。
この子弟かつ親友関係も良い。

226:名無しさん@お腹いっぱい。
21/01/17 23:34:48.48 zmcaW3R90.net
維新志士では一番のイケメンで主人公面してるのに
フィクションではいっこうに主人公になれない残念さん

227:名無しさん@お腹いっぱい。
21/01/24 12:13:02.01 2rQwf2No0.net
時山直八の写真を見たことあるけど、武市半平太よりもこっちのほうがアギーな見た目。
弁が立つインテリっぽい

228:名無しさん@お腹いっぱい。
21/01/26 00:45:49.53 rZYuH5cG0.net
久坂が維新後も生きていたら、木戸も助けられることが多かったはず。

229:名無しさん@お腹いっぱい。
21/01/26 17:18:53.98 udgK1L/p0.net
渋沢大河は出ないんじゃね
西郷大久保岩倉三条孝明天皇家茂久光まで発表されたのに

230:名無しさん@お腹いっぱい。
21/01/27 02:51:37.24 gc3gi9lf0.net
渋沢だとそんな出番もないでしょう

231:名無しさん@お腹いっぱい。
21/01/28 17:35:56.68 zXsn8xDq0.net
現代の医学だったら木戸さんを助けられたの?教えてお医者さん!

232:名無しさん@お腹いっぱい。
21/01/29 15:02:08.20 gzP5W21h0.net
>>225
ガンだから現代医学でも厳しい。

233:名無しさん@お腹いっぱい。
21/01/30 18:42:06.94 0yykl2Bo0.net
胃がん、肝臓がん、落馬による脳挫傷、歯痛が後年の病気の正体と考えられている

234:名無しさん@お腹いっぱい。
21/01/31 16:35:19.47 19/Dp9Tk0.net
頭打ってで頭痛が続くようになった説って「翔ぶが如く」でも取り上げられたよな
(確か)村松剛が日記を読んで「そのあと出歩いてるからそんな影響なかった」としてたけど

235:名無しさん@お腹いっぱい。
21/01/31 20:25:58.65 HiLxoD9B0.net
確か伊藤博文の談話の中に、公は落馬してから頭痛が酷かったというような話があった気がする。
あと、お医者さんが書いた「小説 木戸孝允 愛と憂国の生涯」でも、取り上げられていたよ。

236:名無しさん@お腹いっぱい。
21/02/01 13:48:32.37 vI3L+K7h0.net
一時期片脚が麻痺してたっていうのも頭打った影響だったっけ?
ドラマの田原坂では杖ついて大変そうにしてたな

237:名無しさん@お腹いっぱい。
21/02/01 23:18:14.59 MUaWweCr0.net
まだこのスレあったんだなあさすが歴史好きは根強い
最近渡辺惣樹氏の著作を読み漁ってたのだが「朝鮮開国と日清戦争」という本で
思いがけず木戸さんの英明さに改めて感じ入るくだりがあったので未読の方はぜひ

238:名無しさん@お腹いっぱい。
21/02/05 02:26:07.08 iUMy9U380.net
NHK Eテレ アクティブ10 レキデリ「明治政府はどんな国を目指した?」
木戸の言及がちょっとあった

239:名無しさん@お腹いっぱい。
21/02/07 15:38:20.48 FN7eqUQN0.net
立てました!
よろしくお願いします!
木戸孝允(桂小五郎)が主人公の大河ドラマを熱望するスレ
スレリンク(nhkdrama板)

240:名無しさん@お腹いっぱい。
21/02/11 01:15:33.75 +/ciJtr00.net
禁門の変の時に、小五郎の子供を産んだ女が小五郎に会いに京都に来たけど、会えなかった。
後にその子供は秋月悌次郎の養子になったというエピソードをどこかで観たけど、史実ですか?
ソースがあれば教えて下さい。

241:名無しさん@お腹いっぱい。
21/02/12 07:05:12.26 e3++1QxQ0.net
エピソードを紹介しているサイトは見つけた。
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
史実かどうかはわからん。醒めた炎では見つからなかった。

242:名無しさん@お腹いっぱい。
21/02/12 08:17:48.71 6hJd/Sec0.net
醒めた炎では当時の史料から否定してる
史実だったと肯定出来る要素の方が少ない

243:名無しさん@お腹いっぱい。
21/02/12 08:41:41.74 e3++1QxQ0.net
>>236
サンクス

244:名無しさん@お腹いっぱい。
21/02/13 18:02:19.51 XEHf+Q3x0.net
木戸のWikipediaが知名度の割にとんでもなく充実してるのいつ見ても笑う
アンサイクロペディアの方もすごいし

245:名無しさん@お腹いっぱい。
21/02/13 20:08:01.52 FMRGjkSz0.net
>>238
>知名度の割に
桂小五郎・木戸孝允を知らない人はめったにいないだろ。

246:名無しさん@お腹いっぱい。
21/02/13 23:18:20.16 A9+zb2WC0.net
>>219
木戸孝允館のオリオンさんの本ですよね。
木戸孝允館は更新がなくなって久しいけど、いつの間にか小説のコーナーも閉鎖されてしまったようで寂しい。
出版の計画があるのかな。「明治六年秋」で小野組転籍事件を知ったよ。

247:名無しさん@お腹いっぱい。
21/02/14 23:57:47.03 XSNGwXaJ0.net
wikiではちょくちょく追記・改訂されているね。
自分はそれが結構楽しみ。よく調べているな、と感心する。

248:名無しさん@お腹いっぱい。
21/02/21 03:11:26.38 xyrCwbEr0.net
山本栄一郎って人のブログが薩長同盟等について色々考証してるんだけど
「出石から帰ってきて政庁のトップに就任したものの、その立場は盤石じゃなかった」
という主張されてて確かになと思った
「武器と船の購入に成功してとりあえず面目を保てた」と。新しい視点だと思った

249:名無しさん@お腹いっぱい。
21/02/22 22:22:02.25 bGYyCg1x0.net
大村益次郎研究家の方だよね。その人が編集した大村の本、持ってる。
ただ、薩長同盟に関する考察は一部同意できないところがある。
龍馬が裏書したというあの薩長同盟の書は、藩に提出するためのレポートであって、
木戸が都合の良いように中身を編集したもので、薩摩にとって有利な事項は省かれている
と考えているらしい。
この人、山口在住だそうだけど概ね長州に批判的で、特に木戸には辛辣な印象だ。
「武器と船の購入に成功してとりあえず面目を保てた」という指摘は間違ってはないと思うけど、
「武器と船の購入に成功して、さらにリーダーとしての立場を固めた」という意味でも通じると思う。

250:名無しさん@お腹いっぱい。
21/02/22 22:36:31.50 bGYyCg1x0.net
大村に関しては、奥様の琴の考察は好き。
離縁するよう言われたけど、宇和島や江戸まで追いかけて一緒に暮らしたというヤツ。
大村とおイネのロマンスは、司馬の創作だろうし。
スレ違い、失礼した。

251:名無しさん@お腹いっぱい。
21/02/22 22:57:50.17 bGYyCg1x0.net
薩長同盟の顛末については、木戸がいったん京都を離れて、伏見で龍馬と会ったという説は、
割と納得のいくものだった。

252:名無しさん@お腹いっぱい。
21/02/22 23:24:27.01 7Y/356sQ0.net
>>243
確かに木戸に冷たいけどよく調べているだけあって無視はできんっていうとこが難しいw
「大久保は広沢真臣のほうが気が合ってたけど死んでしまったので木戸に乗り換えた」
とかもその通りだなと思う
広沢真臣のこともっと知らないといかんなと思った
「木戸の同僚」ぐらいで影が薄すぎる

253:名無しさん@お腹いっぱい。
21/02/22 23:55:56.14 bGYyCg1x0.net
>>246
仰る通りです!
広沢については、自分ももっと知りたいと思う。
察するに、大久保にとってはとても優秀な官僚といことは、てきぱきと仕事をこなして優秀すぎて、
かえって何したかわからない、そんな印象。

254:名無しさん@お腹いっぱい。
21/02/25 18:48:44.61 rbEQNEbp0.net
木戸が健康であと10年長生きしていたら日本はどうなっていただろうか。

255:名無しさん@お腹いっぱい。
21/02/26 15:28:39.07 Y2OiUgLl0.net
しかし薩長同盟の際に木戸が一旦伏見まで帰ってたんなら
坂本龍馬の評価やっぱ上がるよな

256:名無しさん@お腹いっぱい。
21/03/01 11:14:51.03 5weuo6kv0.net
木戸にとって龍馬は、薩摩藩の代理人、かつ信頼できる薩摩藩外のフリーの外交官。
伏見まで戻ったけど、龍馬に説得されたのだ。
木戸が裏書を求めるだけのことはあるよ。

257:名無しさん@お腹いっぱい。
21/03/01 17:01:32.19 X45asq/m0.net
江戸川乱歩の明智小五郎は明智光秀と桂小五郎から採ったという説が有力だが
木戸は明智光秀について何か語ったことはあるの?

258:名無しさん@お腹いっぱい。
21/03/05 04:12:48.02 5K0yh1wW0.net
外交官や一種の指導者として有能だったのはよく分かるが
官吏として、実務家としてはどうだったんだろう?
政務座についてたときの具体的な活躍は?
まあ、大久保利通ですら「自分は細かい事務は不得意だ」って言ってるぐらいで
政治における「実務とは?」って話になりそうだけども

259:名無しさん@お腹いっぱい。
21/03/05 07:29:40.00 A7wl5of90.net
実務家としては、伊藤・井上馨・井上勝らが有能だった。
木戸は、彼らをまとめていればよかった。
大久保が木戸をあれほど必要としていたのは、彼ら長州閥を束ねていたのが木戸だから。

260:名無しさん@お腹いっぱい。
21/03/23 10:42:30.51 Bkt25/yV0.net
とある歴史系YouTuberが高杉と桂が長州でクーデター起こしましたみたいなこと言っていたんだが、桂って直接的にクーデターに参加してたっけ?

261:名無しさん@お腹いっぱい。
21/03/23 23:08:05.01 c4HRjXTJ0.net
高杉のクーデターと言えば、元治の内乱だけど
URLリンク(ja.wikipedia.org)
決起した時点では木戸は出石に隠れていた。
高杉がクーデターに成功して俗論派は藩政から手を引いたけど、
その後高杉・伊藤・井上馨が下関を開港しようとしたことで
尊攘派が3人の命を執拗に狙って、3人は一旦藩内外に逃げ隠れた。
(高杉は四国、井上は別府、伊藤は下関)
そういう状況で木戸が帰藩して藩内を収め、高杉らを呼び戻して
木戸政権がスタートした、という状況なので、
木戸は直接クーデターに参加したわけではないが、最期の〆は木戸の帰藩なので
正確ではないが間違ってもない、というところ。

262:名無しさん@お腹いっぱい。
21/03/24 00:55:41.37 mT6G5a0z0.net
山本栄一郎って人のブログ、今は世良修蔵について書かれているね。
幕末ものの中でも長州の悪人とされる人だけど、再評価が進んでいるのかな?

263:名無しさん@お腹いっぱい。
21/03/24 00:58:35.43 aXDQp8YS0.net
>>255
やっぱり微妙なところか。
なんていうか歴史系YouTuberを見ているとみんな絶賛しているコメントをしていて、あまりそこら辺を考えないのかなと思ったりして。
なんていうかどうしても細かいところに目がいってしまう。

264:名無しさん@お腹いっぱい。
21/03/24 17:59:08.84 GqZYZxwu0.net
>>256
ちょくちょく見てるけど世良修蔵のくだりの煽るような書きかたが好きじゃないな
いま中世日本史研究者が立て続きに炎上してるけど
歴史家ってのは知識得れば得るほど傲慢になって攻撃的になってしまうのかと疑う

265:名無しさん@お腹いっぱい。
21/03/24 18:29:09.85 ePq5S8kX0.net
>>189
幕末長州をまともに大河ドラマにできない理由は
うすうす分かっていたが
今年の大河のキャスティングで完全に理解した
幕末は中世ではなく近代
現代と地続きだ
主権国家同士が交渉して結んだ条約を一方的に破


266:棄しろ こんな許されない主張を国を挙げて実現させる寸前までやらかしたのは完全にアウト これを寸前で阻止した男が文久二年九月にどんな発言をしたか これは渋沢栄一が後世に残した史実だから今年の大河で再現させると思う はっきり発言させると思う そのためのチョナンカンだ



267:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/03 13:36:59.06 oR0IUr5N0.net
>>252
実務家として優秀な人は、かえって何をしたのか記録に残ってないことが多い。
広沢実臣は、その顕著な例だ。
広沢日記を読んではいるけど、ほんとこの人は歴史上何したの?って感じ。
春嶽には、大久保西郷木戸広沢が維新四傑だって言われているくらいなんだけど。

268:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/03 18:40:35.02 P348067Y0.net
その4人が藩士の賞典禄トップ4だしね

269:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/11 13:17:43.81 bY+Nczjj0.net
広沢は幕府側の記録にはそれなりに出てくるんだよ。
下関条約の報告とか長州戦争停戦とかで
まあ、因縁を脇に置いて実務的な処理を淡々とできる点では
広沢とか吉田稔麿みたいなタイプが適任だったんだろうな

270:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/11 13:20:46.18 bY+Nczjj0.net
>>252
一言で言ってプランナーだな。
政策の推進エンジンになってることは多い。
もちろん長州藩の代表というバックボーンがあるから
他藩が無視できないという面は大きいんだが。
オルガナイザーとしては微妙だが、
それは木戸の資質というか、
参議という地位だけでは省庁トップが動かないのも事実だからな

271:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/11 13:28:03.96 bY+Nczjj0.net
>>256
40年くらい前から指摘されてるけど、
世良は大総督府の当初方針に忠実に行動したにすぎない。
そもそも当初から奥羽諸藩の協力を得て追討の方針だった。
恭順を正式に大総督府が呈示したのは開戦の数日前。
世良は勝手に交渉始めたら越権行為なんだよ。
だから、長州と親しかった米沢藩みたいに、
在京諸藩に奥羽情勢を伝えて私的に周旋を依頼してたところもある。
しいて言えば、奥羽情勢を見て妥協する柔軟性はあってもよかったかもしれないが、
世良はそういう方針で選ばれた人物じゃないからな。
だから世良が真面目な人物だったというのも、
奥羽側が世良に手を焼いたというのもともに間違いではない。

272:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/12 01:14:22.30 yXQamRTw0.net
木戸はややマイナーなのにいつの時代もコアなファンついてるのが面白い 
維新三傑でマイナーといったら怒られそうだが
木戸日記は難しいし創作物もそんなにないのにみんなどこから来るんだろう

273:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/12 10:30:52.28 jPZXd2PP0.net
>>264
同意。
世良は単なる使者だからな。使者が勝手に動かれても困るわけで。
会津が降伏する以外は、世良はハネつけるしかなかった。
使者を殺して開戦の狼煙とするのも、古来からの作法?だし。

274:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/12 21:49:35.82 8a1cIUvN0.net
しかし世良一人を斬るだけならまだしも、仙台藩はチョーシこいてやり過ぎたんじゃないか
後ろから斬ったり金品分けたりむごたらしいわ
仙台の城下も焼き尽くすべきだったな

275:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/13 01:01:19.85 lfpGx9gU0.net
伊達政宗から歴史好きになったから仙台藩好きだし仙台にも旅行した
綺麗な街だったよ
でも戊辰戦争の時に仙台藩がやったことを知って少し見方が変わってしまった
残念だけど

276:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/30 02:55:50.00 5vgbDil50.net
大河出るかなどうかな
渋沢とはあまり関わりないしゲスト出演かね
つくづく花燃ゆの出来が惜しまれる
というか三傑の中で木戸だけ大河ないの悲しすぎるだろう
大久保も主役は無いと言えばないけど翔ぶが如くがあるし

277:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/30 06:33:04.18 s9xQdicO0.net
>>269
「花神」はかなり出番が多かった。

278:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/30 16:50:42.28 5vgbDil50.net
>>270
生まれる前の大河だからなあ
見たかったなぁ

279:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/30 19:59:06.17 oL7Ci7oQ0.net
花神見てた世代とまだ生まれてなかった世代がいるのかこのスレw

280:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/06 04:30:13.11 R07F5kWr0.net
噂には聞いてたけど青木周蔵の木戸宛の手紙下品過ぎて草ですわね
チ&#9898;コの形状の説明して今度会ったらお風呂場で俺のチ○コ見せてあげますねって気が狂っていますわ
上司にこの手紙送りつけたの勇者すぎますわ

281:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/12 18:52:19.52 KQqdhTzv0.net
「大久保利通は金には潔白だった」ってよく言われるが
木戸はどうだったんだろ

282:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/12 20:46:56.32 Od8/3/Fq0.net
木戸は、維新志士の中では珍しくお金持ちの家の生まれだったので、
お金に無頓着だったというエピソードはあるね。
財布が見つからないときに、「ネズミが持っていったんだろ」と気にしなかったとか。
明治時代になってからは、時計を集めたとか、別邸を買ったり松子に指輪を買ったりとか、
後輩たちをもてなしたりして、かなりお金を使っていたという話もある。
木戸が私腹を肥やしたとか、何らかの見返りに金を要求したという話は聞かない。

283:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/12 21:26:50.18 kHEpa3HI0.net
小野組転籍事件の木戸の評価が別れてるよな
小野組→槇村→木戸と金が流れていたと言ってる奴もいるし

284:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/13 18:08:39.40 ZvnhclZW0.net
>>275
「木戸の家には常に10人ぐらい書生がいた」って談話があるね
政府の給金で賄えていたのか、多少くすねた金を国家のためにそうやって使っていたのか?w

285:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/13 21:52:40.22 U+RZLXbT0.net
政府の給金のほかに、賞典禄を毎年1800石もらっていたからね(秩禄処分で廃止されるまで)。
ちなみに長州藩士では、広沢1800石・大村1500石が別格で、山県有朋、前原一誠、山田顕義が600石もらっていたなどだけど、
伊藤博文や井上馨は賞典禄の対象にはなっていない。

286:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/14 11:45:07.10 iUIjVmS80.net
藩士では西郷の2000石が最高、次いで木戸、大久保、広沢の1800石だね

287:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/15 09:13:09.20 v0QMHKQc0.net
豆知識
武士の100石取り:100石を取れる領地から納められる年貢が年収
時代や藩によって税率は異なるがおおよそ4割くらいだから、その武士の年収は40石=400斗となる。
一方、米俵1俵分の米はおよそ4斗なので、100石取りの武士の年収は大雑把に言って100俵分と同じ。
下っ端の藩士や旗本は領地を持たないので、給料として直接米をもらう。
30俵・2人扶持などと表記されるが、1人扶持=5俵なので、30俵・2人扶持は40俵に相当し、
武士としての年収は、40石取りの武士と同程度となる。
で、それはどれくらいの貨幣価値かと言えば、これまた大雑把に言って幕末〜明治では
1俵=1両=1円というのが目安。現在に換算すると数万円くらい。
ちなみに賞典禄の1石は領地1石とは異なり、1石=2斗5升であったので、およそ0.6俵分、つまり0.6両分くらい。
なので木戸の1800石は、1100両くらいになるので、現在の円に換算すると数千万円分くらいあったということになる。

288:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/15 19:40:25.82 dWGgVRmn0.net
例えば90石の桂家なら、
90石×数万円=現在に換算すると年収数百万円って事になるの?

289:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/15 20:04:58.04 Z7srg78s0.net
100石取りぐらいで領地与えられるの?
それぐらいなら領地なし手取りで100石だと思ってた
領地貰えるのはもう少し大身じゃないの?
それだと手取りが40%になるかもだけど

290:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/15 22:17:07.75 VwjnHJcY0.net
>>281
その通り。
でも小五郎の場合は、実家の和田家が藩医だったので、藩からの収入(石取り)+医者としての収入があった。
>>282
そうです。
例えば、吉田松陰先生の場合は武士として認められていた時は26石取り=年収26両だったww
これで両親含め弟姉妹を養っていたわけ。めちゃ貧乏。
で、脱藩した時以降は、武士としての位を剥奪されたので、この収入がパァ…
なので、松下村塾時代は実質農家だったんですよww
あとは、弟子たちからの寄付で生きていたんですww
付け加えて言うなら薩摩藩の志士たちも、同じくらい貧乏だったんですよ
薩摩藩は全国的に見ても、藩全体の石高の割には藩士数が多いので、ホントめちゃ貧乏。
名を残した志士の中で高収入だったのは、家老の小松帯刀くらい

291:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/15 22:56:31.73 VwjnHJcY0.net
実際、名を残した志士の中で高収入だったのは
薩摩では小松帯刀
長州では桂小五郎と高杉晋作
と思っているけど、他に異論があればお聞かせ願いたいです...

292:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/16 17:49:20.11 NpPx28qe0.net
井上馨が250石

293:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/16 19:00:35.64 9eTS0pjr0.net
おお、そうでしたね。ありがとん。
確かに井上家はかなり位の高い家柄でした。
敬親公の小姓を務めていたんでしたね。通称の聞多は敬親公から賜ったとか。

294:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/16 19:37:44.49 lLuytdod0.net
小姓勤めてた人と足軽の子がツーカーで一緒にイギリス留学行くって
長州藩は不思議なとこだ

295:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/17 00:01:18.40 5/TAnHss0.net
木戸が18の時に父親から遺産として継いだ銀百貫と貸屋二十棟って現代だったらどのくらい
詳しい人いたら教えて

296:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/17 07:20:55.55 21rBHL1d0.net
銀100貫=10万匁。
銀と金の交換は変動相場だけど、およそ金1両=銀50~60匁
URLリンク(www.eonet.ne.jp)
1両=50匁で計算とすると、2000両。現代の価値にすると5千万円〜1億円くらい。
貸家の家賃収入は現代に比べるとはるかに安かったようだけど、詳しくは知らん。
URLリンク(realestate.yahoo.co.jp)

297:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/17 11:32:23.56 5/TAnHss0.net
おおありがとう
他の家族とも分けてこの額だろうから和田家は本当にお金持ちですね笑

298:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/17 12:38:14.60 21rBHL1d0.net
>>287
>>290
ほんと、そうだと思います。
長州藩は、関ヶ原の敗戦で萩に追いやられたときに、多くの家臣をクビにしなくては
いけなくなり、それが郷士とか農民になったという歴史があって、農民らの教育水準は
高いし、身分差もあまり大きな問題にならなかったという背景がありますね。
何より、敬親公は財政改革に力を入れたし、自らは質素な暮らしをしていたということで
上士・下士はもちろん、商人・農民からも敬愛されていたということも大きいと思います。
藩内の見回りをした時に、お供の人が農作業中の農民に頭を下げよと命じたら、農民の作業を
妨げるなら余は悪領主である、と言ってそのお供を咎めたというエピソードがあります。
江戸の世になって、武士はお金に関わらないのが美徳とされるようになりましたが、
薩長らの雄藩は、世の中の経済感覚を常に持ち続けていたというのも大きいと思います。
薩摩の大久保は貧乏武家の出身なのでお金の件で誤解されて暗殺されましたが、
木戸はお金の使い方を心得ていたが故に、お金に関する悪い噂が流れなかったと
想像してます。
井上馨の件は・・・・まあ、アレですねww
会津派の人たちが、木戸が井上をかばったということにしたいようですけど、
それを裏付ける事実は見当たらないですね。
井上馨は、高杉同様「藩のカネは俺のカネ」という感覚の持ち主ですww
(高杉に比べれば、馨なんて小物ですよ)
だからこそ、長州ファイブの山尾・野村(井上勝)は留学費用をなんとかするため
井上馨をメンバーに引き入れたんです。
馨の場合は、明治になっても「商人のカネは俺のカネ」としてしまったのが失敗ですね。。。
なので、今回の大河で井上馨がどう描かれるか、とても楽しみです。


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