邪馬台国畿内説 Part ..
944:日本@名無史さん
23/11/09 15:42:23.93 .net
「南至投馬國水行二十日 官日彌彌 副日彌彌那利 可五萬餘戸
南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月
官有伊支馬 次日彌馬升 次日彌馬獲支 次日奴佳鞮 可七万餘戸」
の文章は後から別資料からの引用されたもので他の文章とは完全に独立した文章である
なので「邪馬壹國 女王之所都」とは邪馬壹国とは首都の意味ではなく
単に投馬国に対して邪馬壹国を女王が都(す)べている意味。
陸行一月は末盧国から伊都国、奴国までの600里を行くのに掛かる時間ですから
陸行一日の誤記なんですね
明治時代の白鳥庫吉先生の指摘は正しかったんですね。
7000里に水行20日、4400里に水行10日、600里に陸行1日掛かったんですね。
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