邪馬台国畿内説 Part960 at HISTORY
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[前50を表示]
500:日本@名無史さん
23/11/07 22:51:24.62 .net
馬鹿一人 暴れまくってるなWW

一人でほとんどスレ埋めちまう

孤独な老人 

しかし家族は喜んでる

老人の相手したくないから

501:日本@名無史さん
23/11/07 22:54:33.75 .net
しかも心を病んでる老人を

502:琪瑛教大祭酒
23/11/07 23:17:20.66 .net
>>484.そんなこと信じているのか、オメデタイのう。

503:琪瑛教大祭酒
23/11/07 23:28:33.11 .net
ついでに蘇因高は巨氏だな。巨勢氏もあるわな、居世だわ。
まあ、とても見せられない内容と理解してるので海に棄てたんだな。

504:日本@名無史さん
23/11/07 23:30:59.92 .net
巨乳

505:日本@名無史さん
23/11/08 00:25:52.05 .net
しかも呆れることに現代に生きる日本人の多くは、私たちの父祖が朝鮮半島で行なってきた「本当の蛮行」についてはほとんど知りません。  この本で、皆さんに是非それらを知っていただきたい。この本を読めば、あなたも啞然とし、心から韓国に謝ろうという気持ちになることでしょう。  そして、最後にこう言いたくなるでしょう。「さらば、韓国よ」と。二〇一九年二月二十三日百田尚樹 」
—『今こそ、韓国に謝ろう ~そして、「さらば」と言おう~ 』百田尚樹著URLリンク(i.imgur.com)

506:日本@名無史さん
23/11/08 00:53:47.35 .net
>>413
朝鮮を通ったのであればd1a2が朝鮮半島に少ないのはなぜなんだ?

507:日本@名無史さん
23/11/08 00:55:28.23 .net
3世紀末の奈良盆地には、邪馬台国とは比較にならない圧倒的な王権が存在したことが明らかになった
URLリンク(www.sankei.com)
このスレの消化試合感が半端ない

508:日本@名無史さん
23/11/08 01:01:29.19 .net
各方面が一斉に邪馬台国は北部九州の地方勢力でしたと言い始めたね。
魏志倭人伝は切り離して、無関係の記紀ヤマト政権として組み立てるのかね。

509:日本@名無史さん
23/11/08 01:02:43.87 .net
>>495
それ、妄想

510:日本@名無史さん
23/11/08 01:05:47.59 .net
畿内説は仮説のまま終了しました

511:日本@名無史さん
23/11/08 01:08:24.92 .net
戦犯福永伸哉
URLリンク(www.athome-academy.jp)

512:日本@名無史さん
23/11/08 01:09:48.16 .net
>>494
記紀に伝承のない、
宗像神社のある舟形木棺<<田熊石畑遺跡<<スサノオ?

513:日本@名無史さん
23/11/08 01:12:24.21 .net
3世紀末の大和王権(首都:纒向)は3世紀前半の邪馬台国(首都:纒向)より格段に強力だったといいっている日本語がわからない人々の日本語能力、というより国籍を疑う

514:日本@名無史さん
23/11/08 01:14:23.07 .net
>>500
どうでもいいけど、3世紀末の大和王権の首都纏向の、住居なり建物なりって、どれ?
大型建物ABCDは3世紀前半の邪馬台国の首都纏向で使うんでしょ?

515:日本@名無史さん
23/11/08 01:22:32.13 .net
>>499
宗像氏の祖はスサノオだからありうるね。
「海の道むなかた館」で説明員が、「日本で、弥生時代中期前半(BC2世紀)の一つの墓域(6基の刳り抜き式木棺墓)から15本の武器型青銅器が発見されたのは、この遺跡が唯一で、日本史を書き変えるほどのことです」と言われた。
とありますね
URLリンク(blog.livedoor.jp)

516:日本@名無史さん
23/11/08 01:35:36.47 .net
>>502
イザナギが「日本とは細戈千足國」と言っているので、
北部九州倭国に属さない、小国の宗像が日本だった?

517:日本@名無史さん
23/11/08 02:24:24.22 .net
北部九州が倭国なので宗像も含まれる、宗像は不弥国だな

518:日本@名無史さん
23/11/08 03:13:06.53 .net
>>494
橿考や桜井市の発表は今や信用を無くしてるね。
奧山も、公的機関、公的機関と騒ぐが地方機関は花火を打ち上げすぎ。
学問とビジネスは違うのだがね。
公金チュウチュウ奈良県の考古学
橿考も縮小すべきと言う意見もあるから成果が欲しいのもわかるが、、、

519:日本@名無史さん
23/11/08 03:25:06.33 .net
畿内説オレオレ詐欺の終焉。

520:日本@名無史さん
23/11/08 03:54:36.40 .net
藤原不比等が子供達に残した遺言が「長屋王を殺せ」だったかもしれない。長屋王の系譜が続き朝廷での宗像氏の影響力が大きくなる事を阻止したかったのだろう。

521:日本@名無史さん
23/11/08 04:14:28.26 .net
「 ところが八世紀に編纂された『日本書紀』によって、アマテラス =善、スサノヲ =悪という図式が描かれ、スサノヲは「賤しく穢れている」と貶められてしまった。ここに、何かしらの政治的な意図を感じずにはいられない。スサノヲとは何者なのだろう。  近年『日本書紀』研究が進み、編纂の中心に藤原不比等が立っていたこと、『日本書紀』は天皇のためではなく、藤原氏の正義を証明するために記された可能性が浮上してきた。その「偏った歴史書」の中で、悪役の神として登場したのがスサノヲであった。スサノヲだけではない。天上界の神々に邪険にされた神々も数多く存在する。  藤原氏は八世紀以降平安時代後半に至るまで、盛衰をくり返しつつも、ほぼ権力を独占し続けた人びとだ。ヤマト建国時から栄えていた旧豪族や逆らう皇族たちを罠にはめ、排除し、粛清することによってひとり勝ち状態に持ち込んだ。その過程で、藤原氏は恨まれ、祟られた。だからこそ歴史を改竄し、政敵を鬼に仕立て上げ、神話に封じこめた。その代表がスサノヲではないのか?  
—『スサノヲの正体(新潮新書)』関裕二著

522:日本@名無史さん
23/11/08 07:39:32.49 .net
>>1
お早う、キウス松傾。

523:日本@名無史さん
23/11/08 07:45:04.30 .net
つまり畿内説は考古学界による学問テロでしたと

524:日本@名無史さん
23/11/08 07:45:26.96 .net
桜井茶臼山古墳より前はヤマト王権の基盤が脆弱だったことを考古学界が認めた
「強大な権力の纒向=ヤマト王権が九州まで支配していた」などという文献とも遺跡・出土品とも明らかに矛盾する荒唐無稽なシナリオを諦めたのだとすれば良い傾向だ
纒向が魏志倭人伝に記述された倭人のクニとは似ても似つかず、邪馬台国ではないことが誰の目にも明らかになってきたので、方針転換を余儀なくされたのだろう
橿考「当初弱かった政権の基盤の強化の過程がうかがえる」
URLリンク(www.youtube.com)

525:日本@名無史さん
23/11/08 07:48:01.04 .net
>>511
訂正
×「強大な権力の纒向=ヤマト王権が九州まで支配していた」などという文献とも遺跡・出土品とも明らかに矛盾する荒唐無稽なシナリオ
○「強大な権力の纒向=邪馬台国が九州まで支配していた」などという文献とも遺跡・出土品とも明らかに矛盾する荒唐無稽なシナリオ

526:日本@名無史さん
23/11/08 07:49:15.96 .net
5ちゃんねるを、活発化する係員でしかない、ヤマタイコクキナイセツの卑劣な手口。
1.ヤマタイコクキナイセツの討論相手として、キウス馬鹿キャラクターを、創る。
だが、ヤマタイコクキナイセツは、元々、馬鹿なので、あまり、馬鹿さのレベルは、変わらない。
2.頭の出来栄えが普通の者達が出現し、ヤマタイコクキナイセツが、追い詰められたら、キウス馬鹿キャラクターを出現させる。
3.頭の出来栄えが普通の者達が、過去に、ヤマタイコクキナイセツを追い詰めた意見を、キウス馬鹿キャラクターに繰り返させるが、少し、嘘や馬鹿な意見を混ぜる。
或いは、キウス馬鹿キャラクターに、ヤマタイコクキナイセツの掲げる、、特に【巻向遺蹟の年代が三世紀前半を含む
のだ】や【東治は東冶の間違いなのだ】というような、間違った前提で、ヤマタイコクキナイセツとの討論を、進行させる。
4.頭の出来栄えが普通の者達がヤマタイコクキナイセツを追い詰めた意見の本筋は無視し、キウス馬鹿キャラクターが混ぜた嘘や馬鹿な意見に対して、徹底的に反論し、勝利を宣言する。
或いは、キウス馬鹿キャラクターと進行させた討論で前提とした、特に【巻向遺蹟の年代が三世紀前半を含む
のだ】や【東治は東冶の間違いなのだ】というような、間違った物事と、更にその間違った前提から、導かれる、別の嘘を、宣伝する。

527:日本@名無史さん
23/11/08 07:50:28.31 .net
魏志倭人伝に描かれているのは北部九州の地方勢力(北部九州倭国)の歴史
記紀と纏向遺跡はそれとは別の国である畿内ヤマト王権=後の日本国の歴史
この正しい認識が早く広がることを願う

528:日本@名無史さん
23/11/08 07:53:19.53 .net
>>184-198
ヤマタイコクキナイセツが、追い詰められたな。
好古学芸会のメンバーであるかのようにして、コウテキキカンを擁護しているが、たかだか、5ちゃんねるを活発化させる係員のプロ固定でしかない、年中無給のキウス奥山氏も、なぜか、最近は、異常に興奮してきたが、
無知で無能のキウス奥山氏ではなくして、
謎の熱血青年の反発は、楽しみですね。

529:日本@名無史さん
23/11/08 08:01:09.42 .net
桜井茶臼山古墳は、やはり、馬力利用時代、あるいは、馬力利用時代直前の物体だよ。
即ち、西暦400年頃だな。

530:日本@名無史さん
23/11/08 08:07:06.52 .net
崇神からの王朝は、仲哀天皇が奪われた王朝と、併存していた可能性が、そうではない可能性よりも、高いのだったな。

531:日本@名無史さん
23/11/08 08:12:39.82 .net
カグヤヒメ。

532:日本@名無史さん
23/11/08 08:24:38.94 .net
卑弥呼の墓に関する記述
徇葬者奴婢百餘人
殉葬者100人以上とのこと

533:日本@名無史さん
23/11/08 08:41:43.01 .net
景行天皇のエピソードが、やはり、不自然だな。

534:日本@名無史さん
23/11/08 08:47:47.97 .net
袁邪本王


535:とは、何者なのだろうか。



536:日本@名無史さん
23/11/08 08:48:02.25 .net
>>514
しかも纏向遺跡は年代を卑弥呼の時代に合わせる為に100〜200年繰り上げてますね。

537:日本@名無史さん
23/11/08 08:55:11.67 .net
おそらく、縦に繋げた、別々の複数の系図が、燃やされてしまったぞ。
國譲りを、古く見せかけた捏造の証拠を隠滅するためだ。
即ち、天皇家の起源を古く見せかけた捏造の証拠を隠滅するためだ。

538:日本@名無史さん
23/11/08 09:01:31.31 .net
武内宿禰は、蘇我馬子に繋がるな。そして、蘇我馬子は、天皇すら殺したな。
だが、茅渟王に対しては、無力だったぞ。

539:日本@名無史さん
23/11/08 09:03:08.88 .net
>>524
茅渟王を、中国語で書けば、秦王になるよ。

540:日本@名無史さん
23/11/08 09:05:15.01 .net
>>524
茅渟王には、吉備の後ろ盾が、あったからでは、ないのかな。

541:日本@名無史さん
23/11/08 09:20:57.05 .net
3世紀末の奈良盆地には、邪馬台国とは比較にならない圧倒的な王権が存在したことが明らかになった
URLリンク(www.sankei.com)
強大な権力の邪馬台国が圧倒的な王権になったとは言っていないな、つまり邪馬台国は奈良盆地に無かったと言う事で畿内説は終了しました

542:日本@名無史さん
23/11/08 09:32:52.69 .net
奥山もトナカイも馬鹿の極み。

543:日本@名無史さん
23/11/08 09:33:44.68 .net
>>511
>桜井茶臼山古墳より前はヤマト王権の基盤が脆弱だったことを考古学界が認めた
また捏造してるw
「当初弱かった政権の基盤が強化される過程が窺える」と言って
それまで輸入に頼っていた製品や素材の国産化が進められるとか具体例を述べている
発足当初よりだんだん強くなるのは当たり前だ

544:日本@名無史さん
23/11/08 09:35:14.32 .net
>>527
邪馬台国は奈良盆地に無かったとか言ってないんだが

545:日本@名無史さん
23/11/08 09:37:37.83 .net
青柳正規所長は調査の意義について「邪馬台国が北部九州か畿内かといわれているが、3世紀末の奈良盆地には、邪馬台国とは比較にならない圧倒的な王権が存在したことが明らかになった」と述べた。
URLリンク(www.sankei.com)

546:日本@名無史さん
23/11/08 09:42:02.14 .net
>>529
梯子を外された君にとっては認めたくない不都合な真実だよね

547:日本@名無史さん
23/11/08 09:42:37.16 .net
>>351
纒向石塚なんかの時代とは比較にならない圧倒的な王権なことが明らかだろ?

548:日本@名無史さん
23/11/08 09:43:13.25 .net
3世紀末というと台与が生きていた266年から20〜30年後の事だよな、台与はまだ生きている可能性もあるな

549:日本@名無史さん
23/11/08 09:43:49.08 .net
>>352
外れてもいないし不都合でもない

550:日本@名無史さん
23/11/08 09:48:37.68 .net
>>533
纒向石塚もヤマト王権の時代という事だよ

551:日本@名無史さん
23/11/08 09:48:43.24 .net
「強大な権力の纒向が邪馬台国だ!」
から
「纏向のヤマト王権は邪馬台国より強大な権力だ」
に考古学界が方針転換したとすれば良い傾向だ
邪馬台国と纏向は明らかに別物だし、時代もずれているしね(纏向の方が卑弥呼よりも時代が少し下る)
考古学界によるあまりに無理筋な畿内説の強弁は実に見苦しかった

552:日本@名無史さん
23/11/08 09:52:05.20 .net
畿内説は胸を張ってヤマト王権畿内説に転向しましょうw

553:日本@名無史さん
23/11/08 09:53:49.50 .net
2世紀の纒向にはヤマト王権の痕跡は無かった。

554:日本@名無史さん
23/11/08 09:54:42.20 .net
石塚(庄内1〜2)→箸墓(布留0古相)→茶臼(布留0新相)
ヤマト王権が邪馬台国時代とは比較にならない圧倒的な大きさへと強化される過程が窺える

555:日本@名無史さん
23/11/08 09:56:22.68 .net
5ちゃんねるを、活発化する係員でしかない、ヤマタイコクキナイセツの卑劣な手口。
1.ヤマタイコクキナイセツの討論相手として、キウス馬鹿キャラクターを、創る。
だが、ヤマタイコクキナイセツは、元々、馬鹿なので、あまり、馬鹿さのレベルは、変わらない。
2.頭の出来栄えが普通の者達が出現し、ヤマタイコクキナイセツが、追い詰められたら、キウス馬鹿キャラクターを出現させる。
3.頭の出来栄えが普通の者達が、過去に、ヤマタイコクキナイセツを追い詰めた意見を、キウス馬鹿キャラクターに繰り返させるが、少し、嘘や馬鹿な意見を混ぜる。
或いは、キウス馬鹿キャラクターに、ヤマタイコクキナイセツの掲げる、、特に【巻向遺蹟の年代が三世紀前半を含む
のだ】や【東治は東冶の間違いなのだ】というような、間違った前提で、ヤマタイコクキナイセツとの討論を、進行させる。
4.頭の出来栄えが普通の者達がヤマタイコクキナイセツを追い詰めた意見の本筋は無視し、キウス馬鹿キャラクターが混ぜた嘘や馬鹿な意見に対して、徹底的に反論し、勝利を宣言する。
或いは、キウス馬鹿キャラクターと進行させた討論で前提とした、特に【巻向遺蹟の年代が三世紀前半を含む
のだ】や【東治は東冶の間違いなのだ】というような、間違った物事と、更にその間違った前提から、導かれる、別の嘘を、宣伝する。

556:日本@名無史さん
23/11/08 09:59:28.82 .net
石塚(4世紀前半 庄内1〜2)→箸墓(4世紀後半 布留0古相)→茶臼(西暦400年頃 布留0新相)
ヤマト王権が、東進前の魏志倭人伝時代の投馬國とは、比較にならない圧倒的な大きさへと強化される過程が窺える。

557:日本@名無史さん
23/11/08 10:00:40.49 .net
邪馬台国畿内説は永遠の零。

558:日本@名無史さん
23/11/08 10:02:06.78 .net
邪馬台国畿内説は自己破産しました。

559:日本@名無史さん
23/11/08 10:05:39.80 .net
>>526
魏志倭人伝時代直後、九州島北西部の投馬國は、吉備国を介して、本州を支配していったので、吉備国は発展した可能性が、あるね。

560:日本@名無史さん
23/11/08 10:06:15.85 .net
倭人伝でも現代文でも、原文にない言葉をつけ加えて珍説を作るのが九州説

561:日本@名無史さん
23/11/08 10:09:32.57 .net
>>546
畿内説の敗北に気がついていない敗残兵がいるな

562:日本@名無史さん
23/11/08 10:11:05.36 .net
>>526
魏志倭人伝時代直後、九州島北東部の投馬國は、吉備国を介して、本州を支配していったので、吉備国は発展した可能性が、あるね。

563:日本@名無史さん
23/11/08 10:11:34.70 .net
>>548
貴方は、校正したな。

564:日本@名無史さん
23/11/08 10:15:32.51 .net
九州説は捏造で出来ています

565:日本@名無史さん
23/11/08 10:21:55.77 .net
>>550
邪馬台国畿内説は皮肉を言いながら退却中ですなw
青柳正規所長は調査の意義について「邪馬台国が北部九州か畿内かといわれているが、3世紀末の奈良盆地には、邪馬台国とは比較にならない圧倒的な王権が存在したことが明らかになった」と述べた。
URLリンク(www.sankei.com)

566:日本@名無史さん
23/11/08 10:25:45.68 .net
3世紀末の奈良盆地には、(北部九州の)邪馬台国(なんか)とは比較にならない圧倒的な王権が存在したことが明らかになった、と皮肉をこめて言いたかったのだろうな

567:日本@名無史さん
23/11/08 10:30:06.41 .net
このように
原文にない言葉をつけ加えて
まったく違う意味に歪曲するのが
九州説

568:日本@名無史さん
23/11/08 10:44:03.66 .net
だが、迦具漏比売とは、一体、何人いたのだ。

569:日本@名無史さん
23/11/08 10:45:50.35 .net
単に、流行りの名前だったのでは、なさそうだな。

570:日本@名無史さん
23/11/08 10:48:27.51 .net
>>553
行間を読めない畿内説。

571:日本@名無史さん
23/11/08 10:51:11.03 .net
彦人大兄命の孫達が、討ち取られたな。

572:日本@名無史さん
23/11/08 10:53:02.70 .net
産経新聞「青柳正規(まさのり)所長は調査の意義について「邪馬台国(やまたいこく)が北部九州か畿内かといわれているが、3世紀末の奈良盆地には、邪馬台国とは比較にならない圧倒的な王権が存在したことが明らかになった」と述べた。」
邪馬台国が北部九州の可能性もわざわざ挙げた上で纏向の古墳の権力を邪馬台国の権力よりも大きいと比較したのは、纏向が邪馬台国ではない可能性を仄めかしており、今までの考古学界の強引に邪馬台国と結びつける言い方とは明らかに変わった

573:日本@名無史さん
23/11/08 10:53:24.70 .net
>>551
鉄器もろくに普及してない3世紀の末の奈良盆地に鉄器が十分に普及してた北部九州の邪馬台国なんかとは比較にならない圧倒的な王権が存在したとは冗談にも程があるな。

574:日本@名無史さん
23/11/08 10:55:05.46 .net
仲哀天皇の前後の系図が、滅茶苦茶だな。

575:日本@名無史さん
23/11/08 10:58:36.23 .net
知事が維新に変わった事も影響しているだろうな

576:日本@名無史さん
23/11/08 10:58:36.86 .net
垂仁天皇 カグヤヒメ
景行天皇 カグヤヒメ
日本武尊
仲哀天皇
応神天皇 カグヤヒメ

577:日本@名無史さん
23/11/08 11:01:32.79 .net
3世紀末とは
景行仲哀あたりでヤマトタケルが東西侵攻した時代
倭王武の先祖が東西に121国平定した時代
266年を最後に女王国が消息を絶った時代
この後畿内ヤマトは急激に半島との関係を増やし始める

578:日本@名無史さん
23/11/08 11:01:37.75 .net
◇◇◇◇◇◇◇垂仁天皇 カグヤヒメ
◇◇◇◇◇◇◇◇◇景行天皇 カグヤヒメ
◇◇◇◇◇◇◇◇◇日本武尊
武内宿禰◇◇◇仲哀天皇
応神天皇 カグヤヒメ

579:日本@名無史さん
23/11/08 11:04:01.45 .net
奇しくも、茅渟王の父親も、彦人大兄命だぞ。
一体、どうなっているのだ。

580:日本@名無史さん
23/11/08 11:10:09.11 .net
武内宿禰 蘇我馬子。
彦人大兄命の孫。
(香坂王 忍熊王)(斉明 孝徳)

581:日本@名無史さん
23/11/08 11:14:25.47 .net
宇佐口伝では神武天皇は、景行天皇の弟になっているな

582:日本@名無史さん
23/11/08 11:18:54.80 .net
>>556
>行間を読めない畿内説。
原文に書いてないことを勝手読みしてると認める九州説

583:日本@名無史さん
23/11/08 11:22:21.60 .net
>>568
邪馬台国への皮肉だと気がつかない不感症の畿内説

584:日本@名無史さん
23/11/08 11:24:46.03 .net
畿内説とは騙す側か騙された側のどちらかだったと言う事

585:日本@名無史さん
23/11/08 11:31:16.28 .net
考古学界は畿内説で決まり、みたいな強硬なスタンスが、考古学界も北部九州か畿内かはわからない、というスタンスに戻ったと解釈できるだろう
これは考古学界が異常から正常に戻ったと評価できる

586:日本@名無史さん
23/11/08 11:35:24.77 .net
つまり畿内説は韓国式霊感商法を使った思想誘導でしたと

587:日本@名無史さん
23/11/08 11:36:14.57 .net
ついに学者の居なくなった九州説が、願望ゆえの幻を見るという悲哀

588:日本@名無史さん
23/11/08 11:39:46.56 .net
畿内説の敗北に気がついていない敗残兵がいるな

589:日本@名無史さん
23/11/08 11:40:36.95 .net
畿内説の学者は全員詐欺師だったのか

590:日本@名無史さん
23/11/08 11:48:54.39 .net
九州説がいかに非学問か、ろくわかる

591:日本@名無史さん
23/11/08 11:49:18.38 .net
畿内説は邪馬台国オレオレ詐欺
阿波はヤマト王権オレオレ詐欺
詐欺師同士のオレオレバトルw

592:日本@名無史さん
23/11/08 11:50:56.10 .net
>>576
畿内説が馬鹿だとろくわかる

593:日本@名無史さん
23/11/08 11:52:52.77 .net
魏志倭人伝の邪馬台国であれば
・絹製品や鉄鏃などの鉄製品がある
・魏からもたらされた品々がある
・皇帝からのいただきものとそのリストに間違いがないか、伊都国で確認して卑弥呼に届けていた
伊都国から卑弥呼の宮殿までは近距離と思われる
・文字が使えた可能性大
・曹操の薄葬令の影響で墓は質素なもの
(「棺」はあるが「槨」はない)
・卑弥呼の墓は径100歩程度の大きさで土盛りしただけのもの
戦の真っ只中、生前にある程度造っていたか、天然の丘陵の形を変えて即席で作っただけか
周りに殉死者の墓
・狗奴国に苦戦するほど連合体の規模は大きくない
・壹与の代で晋との交流は途絶える、弱体したか、滅んだか

594:日本@名無史さん
23/11/08 11:53:52.96 .net
>>574
殿(しんがり)なんだよ

595:日本@名無史さん
23/11/08 11:55:39.37 .net
>>580
負け戦は面白いと言うから、負け戦を楽しんでいるのだろう

596:日本@名無史さん
23/11/08 12:01:15.01 .net
>>567
景行天皇が東遷した神武だった可能性があるな

597:日本@名無史さん
23/11/08 12:13:35.97 .net
>>579
>伊都国から卑弥呼の宮殿までは近距離と思われる
近けりゃ伊都国に刺史みたいなもんは置かないな

598:日本@名無史さん
23/11/08 12:27:24.80 .net
>>583
横浜に「運上所」があったようなものだろ

599:日本@名無史さん
23/11/08 12:38:00.99 .net
>>584
横浜に代官は置いても地方総督は置かないよ

600:日本@名無史さん
23/11/08 12:40:28.64 .net
>>578
ほんと、ろくわかるよな

601:日本@名無史さん
23/11/08 12:51:31.34 .net
>>585
北側とは書いているがな

602:日本@名無史さん
23/11/08 12:54:07.93 .net
女王國東渡海(伊勢湾)千餘里復有國皆倭種 → 至狗奴国 = 久努国(くののくに)


久 努 国 ( く の の く に )


久 努 国 ( く の の く に )


馬鹿のおかげで狗奴国の場所が露わにwwww

603:日本@名無史さん
23/11/08 12:55:19.24 .net
邪馬台国とは伊都国の荘園だったのではなかろうか

604:日本@名無史さん
23/11/08 13:00:36.93 .net
ようやく、スレ民も気付き始めたようだね
崇神→ミマ→御孫(ミマ)→天孫
つまり、崇神が本当はニニギで?
垂仁が山幸彦ことイワレヒコこと神武天皇?
俺の永平寺アーカイブより
323 日本@名無史さん sage 2023/06/18(日) 12:03:54.51
興味深い案件にぶつかったw
崇神 五十瓊殖(印恵)  いにえ(贄=供え物)

垂仁 五十狭茅(伊佐知) いさち(幸=獲た物)

景行 忍代別(淤斯呂和氣) おしろわけ
つまり、、、
「瓊」瓊杵が天孫降臨で「殖」民

山「幸=佐知」彦

「忍」穂耳の「代」の「別」系譜
(ニニギじゃない別のホアカリ、ニギハヤヒの代)
じつは崇神天皇がニニギだった?(印恵だから、金印を恵む?w)
そして景行天皇で別の系譜にバトンタッチ?
ニニギ(杵)とオウス(臼)は、ほぼ同時代だった?w
いろいろと情報ぶちこんでて興味深いねw

605:日本@名無史さん
23/11/08 13:03:21.07 .net
>>583
一大率が置かれていたのは女王国以北の諸国だよ
伊都国では常に治めるとしか書かれていない

606:
23/11/08 13:08:57.66 .net
>>565-566
仲哀天皇の王権を、武内宿禰が奪い、さらには、その息子達を殺したというエピソードは、
茅渟王が、王権を、蘇我馬子から奪い返し、さらには、その娘や息子に、継承させることの、
正当性を、宣伝するために、創作された可能性が、有りそうだな。

607:日本@名無史さん
23/11/08 13:09:00.90 .net
>>591
一大率の治所が置かれたのが伊都国
その所管区が北部九州の諸国

608:日本@名無史さん
23/11/08 13:12:21.45 .net
>>593
それは君の解釈に過ぎない
魏志倭人伝には書かれていない事

609:日本@名無史さん
23/11/08 13:12:46.87 .net
>>592
研究が、進行したな。
そして、もう一つ。継体天皇の謎について、手懸かりが、見つかったよ。
継体天皇は、本当は、推古天皇とは、あまり、時代の離れていない人物の可能性も、あるよ。

610:日本@名無史さん
23/11/08 13:17:57.78 .net
>>594
魏志倭人伝には不弥国から南に水行と書かれている。東ではない

611:日本@名無史さん
23/11/08 13:33:45.48 .net
魏志倭人伝を間違いと言い張っていた畿内説が都合の良い所だけ倭人伝を持ち出すダブスタを見る事が出来たな

612:日本@名無史さん
23/11/08 13:36:38.57 .net
畿内説は首を取られてしまったので、枝葉末節だけのゲリラ戦しか残ってい無いようだw

613:日本@名無史さん
23/11/08 13:41:28.77 .net
そもそも、継体天皇は、何者なのだ。

614:日本@名無史さん
23/11/08 13:49:20.73 .net
>>1
で、その根拠は?

615:日本@名無史さん
23/11/08 13:53:43.10 .net
>>594
>それは君の解釈に過ぎない
>魏志倭人伝には書かれていない事
明記されてるんだが
自女王国以北、特置一大率、檢察諸国,諸國畏憚之。
常治伊都国、於国中有如刺史。

616:日本@名無史さん
23/11/08 13:57:00.60 .net
大きな冢を意味する場合は「大冢」と記述されるはずだが、魏志倭人伝には大作冢と書いてあり、作大冢とは書いてないね
「大」が同じ発音の「多」の間違いである可能性もあるね
「多作冢」だとしたら後の「殉葬者百余人」の意味がよくわかる

617:日本@名無史さん
23/11/08 14:16:17.76 .net
>>583
馬すらいない当時なら山超えるだけで「違う国」
地方官がいてもおかしくない

618:日本@名無史さん
23/11/08 14:19:26.09 .net
邪馬台国畿内説終了のお知らせです
寺澤薫の「そこで私が本書で提案したのは、そろそろ「邪馬台国」という一部族的国家に拘泥した議論はやめにしようということである。中国の史書のどこを紐解いても、卑弥呼が邪馬台国の女王であるとは明記されていない。」
—『卑弥呼とヤマト王権 (中公選書)』寺沢薫著
からの
奈良県立橿原考古学研究所の
青柳正規所長は桜井茶臼山古墳の調査の意義について「邪馬台国が北部九州か畿内かといわれているが、3世紀末の奈良盆地には、邪馬台国とは比較にならない圧倒的な王権が存在したことが明らかになった」と述べた。
URLリンク(www.sankei.com)
以上、邪馬台国畿内説終了のお知らせでした

619:日本@名無史さん
23/11/08 14:28:30.86 .net
邪馬台国畿内説の公式ユニホームを見つけましたURLリンク(i.imgur.com)

620:日本@名無史さん
23/11/08 14:33:44.14 .net
>>603
中国の研究者もそう言ってたな

621:日本@名無史さん
23/11/08 14:37:05.47 .net
【「邪馬台国」という一部族的国家】とか【邪馬台国とは比較にならない圧倒的な王権】とかの言葉の使い方は邪馬台国畿内説からの脱却を意味していると思う。さようなら畿内説

622:日本@名無史さん
23/11/08 14:56:21.51 .net
>>602
「多」の発音はタ(ta)
多くの冢を作るは「作多冢」

623:日本@名無史さん
23/11/08 15:02:10.39 .net
さすがにここまで纒向と魏志倭人伝の倭国のクニの様子が全く違っていたら、考古学界も邪馬台国が北部九州にあった可能性ぐらいは認めざるを得ないよな
数年前までは畿内説にあらずんば考古学者に非ずぐらいに鼻息荒かったが

624:日本@名無史さん
23/11/08 15:09:10.10 .net
息長真手王とは、何者なのだろうか。

625:日本@名無史さん
23/11/08 15:12:28.50 .net
しかし、妙だな。
父子の関係性などは、そもそも、捏造し放題だったのだろうか。

626:日本@名無史さん
23/11/08 15:16:26.82 .net
>>602
「大作冢」も「多作冢」も沢山作るって意味だよ。

627:日本@名無史さん
23/11/08 15:19:46.73 .net
寺澤薫「「径は百余歩」が実数だとして、後円部の直径ではなく、墓域(兆域)の広さを指していると考えたらどうであろうか。」
—『卑弥呼とヤマト王権 (中公選書)』寺沢薫著

628:日本@名無史さん
23/11/08 15:23:48.79 .net
>>601
自女王國以北 特置一大率檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史
主語を女王卑弥呼として訳すと
(女王卑弥呼は)女王国よりも以北には、特に一大率を置いて諸国を検察させていた、諸國はこれを畏れ憚っていた。
(女王卑弥呼は)常に伊都国で(一大率を使い諸国を使い)治めていた、このようすは国中に於ける刺史のようであった。
とも訳せる。
一大率を主語とする根拠はない。

629:日本@名無史さん
23/11/08 15:25:47.66 .net
「大作冢」の解釈は畿内説も九州説ともに
×大きな塚を作る
○大いに塚を作る ※大いにの解釈に諸説あり
ということでいいのかな?

630:日本@名無史さん
23/11/08 15:29:36.89 .net
>>596
それ思い込みだな
帯方郡から伊都国、奴国までで12000里に達しているし
里数から日数へ、距離から時間に単位の概念自体も変わってる
このまま続けて読むから意味不明の文章となる
日数の行程文は帯方郡からのもの
当初は無かった日数の行程文を後から追加で挿入したものだよ
それが証拠に「自女王國以北 其戸數道里可得略載」との文章が続いている。

631:日本@名無史さん
23/11/08 15:32:29.11 .net
>>615
「大作冢」の大は作に掛かってるから作業が大ですね。
大いに作るが正解。
「大作」に付いては沢山作るって意味の用例が魏書の中にありますね。

632:日本@名無史さん
23/11/08 15:32:35.91 .net
>>616
あんたは投馬国が半島にあったとするトンデモの人だろ、邪魔だから消えろ

633:日本@名無史さん
23/11/08 15:33:31.43 .net
>>616
>帯方郡から伊都国、奴国までで12000里に達しているし
それ思い込みだな

634:日本@名無史さん
23/11/08 15:34:24.55 .net
>>613
寺澤薫は俺がネットに書き込んだ説をパックてるなw

635:日本@名無史さん
23/11/08 15:38:04.98 .net
>>620
証拠があるなら著作権侵害で訴えればいいw

636:日本@名無史さん
23/11/08 15:42:16.28 .net
>>619
魏志倭人伝を良く読むと郡使は帯方郡の郡治から出発せずに
帯方郡の南の端の海岸から出発している。
国の端から出発してるんだ。
この書き方だと国の端に着くと到着した事になる。
7000里は帯方郡の南の端の海岸から狗邪韓国の海岸までとなる
次の1000は狗邪韓国の海岸から対馬国の北端まで
ここで対馬国の北端から南端まで周る必要が出てくるので
対馬国の「方可四百餘里」を距離として換算し800里を行程入れる必要が生じる
同じ様に一大国でも「方可三百里」を距離換算して600里
7000+1000+400×2+1000+300×2+1000+500+100=12000となる。

637:日本@名無史さん
23/11/08 15:44:26.69 .net
>>621
よくあることw
大和朝廷701年成立説もネットで書いたら古田史学会にパクられたな。

638:日本@名無史さん
23/11/08 15:45:42.97 .net
>>618
結構支持してくれる人がいるんですよ。

639:日本@名無史さん
23/11/08 15:54:29.93 .net
>>624
朝鮮半島に行って投馬国の証拠を見つけてくればいいじゃんw

640:日本@名無史さん
23/11/08 15:56:10.58 .net
>>623
せめてブログにでも書いて残しておけば証拠になるが

641:日本@名無史さん
23/11/08 15:56:26.98 .net
>>613
「大」という文字の意味に広範囲というのがあるみたいだな
だから広範囲に塚を作るという意味でもいける

642:日本@名無史さん
23/11/08 16:04:39.91 .net
成る程。やはり、勝ち残った者が、記紀の系図を自由に組んだな。
結局は、広姫の連れ子である押坂彦人大兄皇子から、始まったよ。

643:日本@名無史さん
23/11/08 16:08:19.57 .net
押坂彦人大兄皇子の父親は、誰なのだ。
それとも、誰が父親かは、重要ではなかったのか。

644:日本@名無史さん
23/11/08 16:09:58.65 .net
大作のバカ

645:日本@名無史さん
23/11/08 16:11:01.53 .net
権力を、茅渟王が、継いだな。
中国語では、秦王だ。チンワン。

646:日本@名無史さん
23/11/08 16:13:59.03 .net
>>622
>魏志倭人伝を良く読むと郡使は帯方郡の郡治から出発せずに
>帯方郡の南の端の海岸から出発している。

根拠ゼロ
末盧国から伊都国の端にしか着いてないことになり、行程の計算すべて崩壊
九州説も崩壊

647:日本@名無史さん
23/11/08 16:14:58.15 .net
ヤマタイコクキナイセツは、馬鹿なので、秦王を、秦始皇帝の末裔や秦氏や八幡に関連付けてしまうよ。

648:日本@名無史さん
23/11/08 16:18:58.34 .net
畿内説のプロはギブアップしたのだろう

649:日本@名無史さん
23/11/08 16:19:40.96 .net
僕達の落書き帳でしかない、この💩スレッドで、まだ、くだらない話が続いているな。

650:日本@名無史さん
23/11/08 16:39:13.23 .net
>>632
從郡至倭 循海岸水行 歴韓国 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里
で始まってますね。
船で出発したとこから書き始められてます、陸上移動は全く無いですね。
末盧国の北端の呼子付近に上陸し、伊都国との国境でが500里なんです。

651:日本@名無史さん
23/11/08 16:39:59.32 .net
>>631
新羅の真興王もチヌンワンと読む
明らかに同一人物

652:日本@名無史さん
23/11/08 16:40:41.69 .net
>>625
そんな物があれば邪馬台国も既に見っかってますよw

653:日本@名無史さん
23/11/08 16:44:06.68 .net
>>599
任那倭人じゃないか?
もともと任那倭人として育って、そこから北陸、近江に進出して拠点を築いた
任那時代から百済とのパイプがあり、百済の後押しで倭王についた
(武寧王=シマからの銅鏡)
倭王即位後は銅鏡の返礼として任那を割譲してる

654:日本@名無史さん
23/11/08 16:45:06.60 .net
>>626
ネット上で討論してて思い付く事が多いですから
誰でも見る可能がありますので仕方ないこと
トンデモとか言う人がいますがパクル人がいるくらいなんですよw

655:日本@名無史さん
23/11/08 16:45:37.97 .net
銅鏡の返礼というか、倭王に成り上がるのを後押ししてくれたお礼だろうね
磐井の乱鎮圧もそういう関係性でしょ?
磐井(北部九州)と新羅との貿易、連携を潰して百済に有利になるように一貫して行動してる

656:日本@名無史さん
23/11/08 16:49:05.36 .net
魏志明帝紀
「詔青、?、幽、冀四州 大作海船。」
→通説的な訳は、詔青、?、幽、冀四州に大々的に海船を作らせた(筑摩書房 三國志)

657:日本@名無史さん
23/11/08 16:54:34.30 .net
>>640
ネタ探しでここをチェックしている著述家もいるでしょうね。ここに書くと言うことはパクられるのも承知しておかないといけませんね。

658:日本@名無史さん
23/11/08 17:01:59.83 .net
>>617
ない

659:日本@名無史さん
23/11/08 17:03:17.46 .net
もういくら探しても卑弥呼の墓は畿内にはありませんよ

660:日本@名無史さん
23/11/08 17:05:17.82 .net
卑弥呼の墓は畿内にはありません
寺澤薫の「そこで私が本書で提案したのは、そろそろ「邪馬台国」という一部族的国家に拘泥した議論はやめにしようということである。中国の史書のどこを紐解いても、卑弥呼が邪馬台国の女王であるとは明記されていない。」
—『卑弥呼とヤマト王権 (中公選書)』寺沢薫著
からの
奈良県立橿原考古学研究所の
青柳正規所長は桜井茶臼山古墳の調査の意義について「邪馬台国が北部九州か畿内かといわれているが、3世紀末の奈良盆地には、邪馬台国とは比較にならない圧倒的な王権が存在したことが明らかになった」と述べた。
【「邪馬台国」という一部族的国家】とか【邪馬台国とは比較にならない圧倒的な王権】とかの言葉の使い方は邪馬台国畿内説からの脱却を意味していると思う。さようなら畿内説。

URLリンク(www.sankei.com)

661:日本@名無史さん
23/11/08 17:07:55.26 .net
>>617
たぶんたくさん作ったという意味だと思うよ
卑弥呼の後を追って多くの民衆が自決して死んだ
それが百余人もいたという話
それを陳寿が殉葬百余人と解釈して記載したわけよ

662:日本@名無史さん
23/11/08 17:08:41.82 .net
トナカイの最大のフェイクは畿内説だった事だな、もう出てこれないだろアイツ。URLリンク(i.imgur.com)

663:日本@名無史さん
23/11/08 17:11:34.26 .net
伊都国博物館の案内人さんの言う巫女だけの墓ってど


664:フ墓の事だろう



665:日本@名無史さん
23/11/08 17:17:53.02 .net
>>636
>船で出発したとこから書き始められてます、陸上移動は全く無いですね。
帯方郡の南の端の海岸から出発している、という根拠も全く無いですね
>末盧国の北端の呼子付近に上陸し、伊都国との国境でが500里なんです。
どこから次の国に行く気?
言ってることが支離滅裂だよ

666:日本@名無史さん
23/11/08 17:24:32.15 .net
>>646
寺澤の考えは
「歴史的契機としての「倭国乱」の収束は
けっして特定部族的国家(群)による軍事的な制圧や収拾の結果ではなく、
原則的には非武力的な複数の拠点的な有力部族的国家(群)による 「政治的談合」 にこそ
実現の可能性があり、意義があったのである。」
なので、3世紀前半の卑弥呼の時代は 「政治的談合」
西洋美術史や西洋古典考古学が専門の青柳正規は
3世紀末の奈良盆地には「圧倒的な王権が存在した」

667:日本@名無史さん
23/11/08 17:29:10.58 .net
>>583
それは西暦100年ごろの記述だ
刺史は卑弥呼時代には、ただの県知事

668:日本@名無史さん
23/11/08 17:35:06.79 .net
寺澤薫の卑弥呼を初代ヤマト王権の王とするあたりは畿内説からの脱却を感じ取れますね、脱畿内説へ向けてのソフトランディングと言っていいかもしれません。

669:日本@名無史さん
23/11/08 17:36:25.68 .net
.



投馬国(ダウマコク)は岡山にあった「たまのくに」
都は倉敷市と岡山市の中間あたりに位置する上東遺跡あたり
当時はヤマトに奈良という呼称がまだなかったように吉備という呼称もまだない
玉や玉島など、当時の「たまのくに」という呼称の名残というか残骸が周辺に
残っている
投馬国の場合、当時は穴海になっていて海岸線が今よりもはるかに内陸にあったため、
都である中心港の遺構がかなり内陸にあったのだ
今の倉敷市と岡山市の大部分は当時はまだ海の底だったのである
郡使は今の岡山の玉に寄港したのではなく、今では内陸になってしまった当時の
たまのくにの中心港だった上東遺跡に寄港したのである
URLリンク(stat.ameba.jp)



.

670:日本@名無史さん
23/11/08 17:48:08.98 .net
>>654
ウザイのでNGにした

671:日本@名無史さん
23/11/08 17:48:22.13 .net
>>651
九州にあった30余国が倭国で、その30余国を統べるのが大倭王
周の時代からずっと中華王朝に朝貢し続けて
漢の時代には倭人は大海中に100余国に分かれていた
その漢の時代に使訳を通じたのは30余国
倭国大乱で争って女王を共立したのが30余国
魏の時代に使訳を通じたのが30余国
委奴国王
倭面土国王師升
70-80年男王の時代
倭国大乱、暦年大倭王が不在
女王共立
男王が立つも再び大乱になりかけて廃位
台与共立
266年を最後に消息不明
倭国(30余国)を統べる大倭王の歴史のなかで
突然に日本列島規模(100余国)で互いに争い始めるという前提の畿内説には無理があるね


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