邪馬台国畿内説 Part ..
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177:日本@名無史さん
22/09/28 22:19:09.21 .net
また阿波説の妄言が始まったな
■史書に基づけば九州説以外有り得ません
倭人伝における最大の謎「水行陸行」の行程は朝貢に来た倭人の説明を書き記したものであり、その開始点は帯方郡である。
・帯方郡を出て
↓南に船で20日
・半島南部の投馬国
↓南に船で10日
・末盧国に上陸し、伊都国の入国管理局で停留
↓入国許可が出て迎えが来る
・女王の都へ(約1か月後)
つまり中国は対馬海峡の両岸の総称を女王国と呼び、
倭人は半島南部を投馬国、北部九州を邪馬台国と呼んでいた。
女王の都とは、この邪馬台国の中にあった首都である。
位置関係の図:URLリンク(i.imgur.com)
※半島南部の投馬国がのちの任那になったと思われる
■魏志韓伝の記述
「韓在帯方之南 東西以海為限南與倭接 方可四千里~」
・韓国はソウルの南に有る4000里四方の国で、東西は海に面し南は倭と接する
■魏志倭人伝の記述
①女王国以北(女王国北部)は距離や戸数まで確認できた(対馬~邪馬台国)
②①以外は遠いので国名のみ紹介(次有斯馬・次有已百支・次有伊邪~)
③南には敵対する狗奴国がある
④東には海があり、その先にまた倭種の国がある
■その他の記録文献より
・倭人は「里」を知らず「日」を使って距離を示す(隋書)
・伊都国の又南、至る邪馬薹国(翰苑 広志逸文)


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