【九州説】魏志倭人伝 ..
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12:日本@名無史さん
22/01/27 23:22:50.10 .net
> 825 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 22:55:12.63 ID:d3rkd5G50
> 弥生時代の鉄分布と北部九州を代表する海人族阿曇の分布がよく一致する
> 鉄は海人族とともに九州からやってきたんだな
> URLリンク(inoues.net)
> URLリンク(livedoor.blogimg.jp)
> 828 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:01:52.61 ID:yQGATf5S0
> >>825
> 福岡の1621に対して奈良の13が光るねwwww
>
> そこから読み取れるのは、奈良は九州を支配するどころか近隣の山城や河内さえ支配できてなかったってことだな
> そして4世紀以降急に発展するのは九州の海人に征服されてその東国攻略の前線基地になったおかげ、と
> 841 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:23:21.53 ID:1L9obXG40
> >>825
> >>308の資料と照らしても間違いなさそうだな
> 弁韓の鉄材と鉄加工の技術を持った海人が西日本を席巻していき、やがて東日本をも射程に捉えたので畿内を前線基地にしたのだろう
> だが東に版図を広げるにつれて遠い九州が本国では不便になり、畿内に都を移した、というのが一番しっくりくるストーリーだ

13:日本@名無史さん
22/01/27 23:23:19.69 .net
淡路島の遺跡は瀬戸内海を支配した北部九州の海人族の遺跡
弥生時代の海の勢力図
URLリンク(www.gondo.com)
瀬戸内海は北部九州を本拠地とする海人族の支配下

弥生期の鉄製ヤス出土 淡路で近畿初
URLリンク(www.infokkkna.com)
> エックス線写真で分析した結果、先端から約1・5センチ下方に「かえし」が見られた。
> ヤスや釣り針にかえしをつくるには高度な技術が必要といい、鉄器製造が盛んだった九州などから持ち込まれた可能性がある。
>
> 弥生期の鉄製ヤスや釣り針は、山陰や九州北部で出土する例が多い。
> 愛媛大東アジア古代鉄文化研究センターの村上恭通センター長は
> 「山陰は九州から鉄製漁具を受け入れ、漁民が鉄器の交易を促進した」と分析。
> 今回の発見で、漁具が日本海側だけでなく「瀬戸内側を伝わって来た可能性もある」と指摘する。
URLリンク(sun-tv.co.jp)
> 調査の結果、4棟の工房や20棟の竪穴建物跡が発見され、釣り針などの漁具や小刀を含め、およそ170もの鉄器が出土。
> また、九州産のヤリガンナや山陰地方の土器などが見つかったほか、中国から来たとされる青銅鏡の一部が出てきました。
> 九州産のヤリガンナ
> 九州産のヤリガンナ
> 九州産のヤリガンナ

14:日本@名無史さん
22/01/27 23:24:17.64 .net
136 :日本@名無史さん :2021/01/11(月) 01:47:53.36
>>70
そうではなくて、北部九州の海人族が本州の沿岸部や淡路島にも進出してたってことだよ
絹の話になるが、絹研究の権威、布目順郎氏の見解によると北部九州は400年ほど養蚕技術を独占して他に渡さなかったという
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
> (iv)九州から本州への養蚕伝播―
> 弥生絹は今のところ福岡,佐賀,長崎の3県以外からは出ていない。
> それが古墳時代前期になると近畿,中国,北陸からも絹が出るようになり,九州では北部のみでなく熊本県からも出るようになる。
> すなわち,養蚕がわが国へはじめて伝えられてから少なくとも400年間は九州北部で独占していたことになる。
> 九州から本州への伝播経路としては,瀬戸内海ルートと日本海沿岸ルートの2つが想定される(図4)。
> 魏志倭人伝は,邪馬台国において養蚕・絹織が行われていると記し,その時期は弥生後期に当たる。
> そのことと,上記の事柄とから,邪馬台国の所在地としては,九州北部とするのが妥当と考える。
つまり弥生期の北部九州には重要技術を独占して自らの優位性を保つという発想が既に存在していたわけで、
まして兵器に使用できて絹より軍事的に重要な鉄加工の技術を他国においそれと渡したと考えるのは難しい
海人族自身が現地に行って鉄加工していた痕跡と見るのが正当だろう

15:日本@名無史さん
22/01/27 23:25:17.45 .net
URLリンク(hero1945.livedoor.biz)
> (曽根崎神社の概要)
> ・ 住所:上対馬町五根緒(ゴニョウ)字平山188番地
> ・ 社号:「対州神社誌」では「氏神曾根山房」。「大帳」に古くは曽根崎神社とある。
> ・ 祭神:五十猛命(イソタケルノミコト)(大小神社帳)→阿曇磯武良→阿曇磯良
> ・ 五十猛(イソタケル)は磯良の別称、磯武良(イソタケラ)と云われる。
>  同じ五根緒村にある「大明神」の祭神が、「磯良」となっており、浜久須村の霹靂神社(熊野三所権現)の由緒で「明細帳」に、
>  「神功皇后の御時雷大臣命、安曇磯武良を新羅に遣せられ、雷大臣命彼土の女を娶り一男を産む。名づけて日本大臣の命と云ふ。
>  新羅より本邦に皈(カエ)り給ふとき、雷大臣日本大臣は州の上県郡浜久須村に揚り玉へり。磯武良は同郡五根緒村に揚れり。
>  各其古跡たる故、神祠を建祭れり。雷大臣日本大臣を霹靂神社と称し、磯武良を五根緒浦神社と称す。」
>
> と、あることから、当社の祭神、五十猛はやはり磯武良と同一とするのが妥当である。
安曇磯武良が上陸した五根緒村に彼を祀る神社を作ったと記録があり
そこには現在イソタケルを祀る神社が現存しています
ここに至ってまだ安曇磯武良とイソタケルが同一人物だと理解できないのは知恵遅れだけです

16:日本@名無史さん
22/01/27 23:25:44.59 .net
対馬の霹靂神社には磯武良も祀られている
式内社なので言うまでもなく江戸時代どころの話ではなく、はるか昔から磯武良の呼称は存在する
キナイコシ君がどんなに捏造しても無駄
URLリンク(genbu.net)
> 霹靂神社
> いかづちじんじゃ
> 長崎県対馬市上対馬町大増1073
>
> 式内社 對馬嶋上縣郡 能理刀神社
>
> 御祭神
> 雷大臣 日本大臣 磯武良
> 伊弉諾尊 事解男 速玉男 『大小神社帳』

17:日本@名無史さん
22/01/27 23:26:09.30 .net
鹿島のタケミカヅチは安曇磯良だから九州系
URLリンク(ja.wikipedia.org)
> 民間伝承では、阿曇磯良(磯武良)は豊玉毘売命の子とされており、「日子波限建」(ひこなぎさたけ)と冠されることのある鵜葺草葺不合命と同神であるとする説がある
> (磯と渚はどちらも海岸である)。また、『八幡宮御縁起』では、磯良は春日大社に祀られる天児屋根命と同神であるとしている。
> 『磯良ト申スハ筑前国鹿ノ島明神之御事也 常陸国鹿嶋大明神大和国春日大明神 是皆一躰分身 同躰異名以坐ス 安曇磯良ト申ス志賀海大明神
> 磯良ハ春日大社似祀奉斎 天児屋根命以同神』(愚童訓より)
URLリンク(www.genbu.net)
> 袋中上人の『琉球神道記』には「鹿島の明神は。もとはタケミカヅチの神なり。人面蛇身なり。 常州鹿島の海底に居す。
> 一睡十日する故に顔面に牡蠣を生ずること、磯のごとし。故に磯良と名付く。 神功皇后、三韓を征し給うときに、九尾六瞬の亀にのりて、九州にきたる。
> 勅によりて、梶取となる。また筑前の鹿の島の明神。和州の春日明神。この鹿島。おなじく磯良の変化なり」とある。

古代にも要職にある人物等は事実を知っていたらしく、宮城の磯良神社では坂上田村麻呂が筑前志賀島ではなく常陸国鹿島郡から磯良を勧請している
つまり茨城の鹿島神宮に祀られるタケミカヅチが安曇磯良だと坂上田村麻呂は知っていたわけだ
URLリンク(miyagitabi.com)
<磯良神社の由来>
> 延暦23年(804)、坂上田村麻呂が常陸国鹿島郡から磯良明神を勧請して祀ったもので、阿度目神・河童明神ともいい、「おかっぱ様」という名前で広く知られています。
> 古くはここから南方にある真山三十郎(大崎氏の家臣)の屋敷の氏神として祀られていましたが、後に現在地に移されたといわれています。

18:日本@名無史さん
22/01/27 23:26:34.73 .net
576 :日本@名無史さん :2021/01/23(土) 19:31:56.74
さて、どうやらこれに対する反論は無いようだな
では皆納得したようなのでテンプレに入れるとしよう
URLリンク(i.imgur.com)

19:日本@名無史さん
22/01/28 08:25:19.48 .net
>>1
スレ立て乙
畿内説は崩壊したようだ。もう相手にすることもなかろう。

20:日本@名無史さん
22/01/28 09:28:23.98 .net
>>4
>BS-TBSの諸説あり!の映像らしいが、弥生時代の鉄鏃が大量に出土した場所が九州を横断するように存在している
>どう見てもここが邪馬台国と狗奴国が戦闘してた戦線=国境ライン
ここに引用された図、データの出所がはっきりしない。調査の年次、機関、責任者を明確にすべき。
URLリンク(i.imgur.com)

21:日本@名無史さん
22/01/28 10:29:48.97 .net
魏志倭人伝は,邪馬台国において養蚕・絹織が行われていると記し,その時期は弥生後期に当たる。
> そのことと,上記の事柄とから,邪馬台国の所在地としては,九州北部とするのが妥当と考える。
ピンポイントに邪馬台国において
養蚕・絹織が行われていると記していませんので妥当ではない。
卑弥呼が居た地域
養蚕
諸國文身各異
輒灼骨而卜
居處宮室樓觀,城柵嚴設,常有人持兵守衛
から佐賀平野、筑後平野、宝満川、久留米、八女地域
に伊都国、奴国 不彌國 烏奴國がある。

22:日本@名無史さん
22/01/28 10:57:17.76 .net
>>20
さよう、その通り。
其風俗不淫
男子皆露紒以木緜招頭 其衣横幅但結束相連略無縫
婦人被髪屈紒 作衣如單被 穿其中央貫頭衣之
種禾稻紵麻蠶桑緝績出細紵縑緜
其地無牛馬虎豹羊鵲
其の風俗とか、其の地とかをアタマに置いて、いろいろ説明してるわけだが、
ここで「其の」とは、
冒頭の「倭人(条)」「倭人有り帯方東南大海・・・」などの、「倭人」をうけてのことである。
つまり、「倭人の風俗」とか、「倭人の地」とかの小見出しで、倭の地誌・風俗一般を列記しているわけだ。

23:日本@名無史さん
22/01/28 11:21:04.88 .net
>>21
ト骨は、山陰、近畿、東海、吉備でもある
其山有丹もあるので三重、奈良、徳島
入れ墨も4世紀ごろの埴輪が近畿(桜井市)地方でもあって
6世紀以前にはないという元来の説が崩れています。
奴国が境なので
南至投馬国水行二十日 官日弥弥 副日弥弥那利 可五萬余戸 
南至邪馬壱国 女王之所都 水行十日陸行一月 官有伊支馬 次日弥馬升 次日弥馬獲支 次日奴佳鞮 可七万余戸
の南は出発方向であって奴国より南の位置にあるという意味ではありません。

24:太国
22/01/28 11:26:23.69 .net
あれ? 水俣病のはやったのは長崎県だったっけ?
これは水銀毒かね?

25:日本@名無史さん
22/01/28 11:27:32.28 .net
>>23
熊本だよ。

26:太国
22/01/28 11:30:52.12 .net
了解。ありがとう。
ならば辰砂は九州で出そうだな。
女王国は九州ときまり。畿内説は盲象飛躍ダンボ。w

27:日本@名無史さん
22/01/28 11:42:54.59 .net
あれはただの工場排水だぞwwww
チッソ知らないとかやばくないか?wwww

28:太国
22/01/28 12:06:58.36 .net
あれ、水銀でなく有害窒素なの??

29:日本@名無史さん
22/01/28 12:40:49.84 .net
全てに於いてニワカな俺でもそれくらい知ってるぞw

30:日本@名無史さん
22/01/28 12:44:05.38 .net
>>27
オメ、やばいぞ。
水俣病でアタマが水銀中毒にかかってるかもしれん・・。

31:太国
22/01/28 13:03:24.60 .net
こちらはそっちの知識はあまりないのでご教授をよろしく。

32:日本@名無史さん
22/01/28 14:31:33.44 .net
入れ墨埴輪もでてこない。
ト骨の出土もない
三雲遺跡周辺は伊都国ではない。

33:日本@名無史さん
22/01/28 14:41:36.14 .net
三雲遺跡周辺が伊都国という説の始まりは、
高祖城主の子孫を自認する原田某の勇み足

34:日本@名無史さん
22/01/28 15:42:22.66 .net
>>32
魏志倭人伝記載内容と
どこが一致しているのかがわからん。
佐賀平野、筑後平野、宝満川、久留米、八女地域は
一致するのが多い。

35:日本@名無史さん
22/01/28 16:10:09.09 .net
大分の宇佐説はないの?

36:日本@名無史さん
22/01/28 17:14:53.48 .net
神湊に上陸し、田川経由で宇佐に向かう宇佐説は、30年くらい前に大流行した。
阿波の説もその変形落とし子・・、
しかし一大国の島民は南北に市櫂するとあって東西がなく、、
さらに、「又(前航路と同様にしての意)、一海を渡る」とあるので、南行航路の末盧国唐津が正解となったわけ。

37:日本@名無史さん
22/01/28 19:43:05.73 .net
>>27
ええ゛ぇぇぇぇぇぇ
義務教育で習うだろ・・・

38:日本@名無史さん
22/01/28 21:50:59.96 .net
最古の三種の神器も八咫鏡も福岡だし
曹操の鏡は福岡の南のほうだし
良く知らんけどあの辺だよ

39:日本@名無史さん
22/01/28 22:00:52.65 .net
??

40:日本@名無史さん
22/01/28 22:51:52.14 .net
>>19
前スレでもう出てる
184 :日本@名無史さん :2021/03/16(火) 23:57:12.76
>>159
>>114で何ら問題無いし、やはり>>4の考古学事実に照らすと筑後山門が妥当だろう
>此れだけ広範囲の調査には、30年100億円規模の調査費が必要だが、どこの公的機関が調査を行ったのか教えてくれないか??
広範囲の調査とか言い出すのはちょっと常識が無さすぎないか?
普通に考えれば各地の発掘状況をまとめた結果だと分かるだろうに
ソースはもう>>4で提示されているのだから、ソースのソースがほしければ自分で番組に問い合わせればいいだろう
と言いたいところだがググったら割とすぐそれっぽいのが見つかったから出してやろう
孫引きだが川越哲志氏の「弥生時代の鉄分化」が出所のようだ
URLリンク(pds.exblog.jp)

41:日本@名無史さん
22/01/28 22:54:01.70 .net
>>20
倭国で養蚕が一般的なら絹が出ない畿内は対象外だな
一方北部九州では庶民でも絹の服を着れた
790 :名無しさん@1周年 :2018/01/19(金) 19:48:19.72 ID:k1azxmJq0
>>779
倭国では養蚕やってるって魏志に書かれてるのに畿内で絹が出ないのは決定的だな
畿内信者は九州が産地だっただけとか意味不明な言い訳をするけど、都のはずの奈良に製品が運ばれないわけ無いじゃん
庶民さえ絹を着られた九州の勢力からは相手にもされてなかったってことだわな
弥生の庶民は絹を着た
URLリンク(inoues.net)

42:日本@名無史さん
22/01/29 03:35:13.68 .net
>>40
倭国で養蚕が一般的ではないから
三県のみ出土 
ピンポイントに邪馬台国において
養蚕・絹織が行われていると記していませんので妥当ではない。
卑弥呼が居た地域
養蚕
諸國文身各異
輒灼骨而卜
居處宮室樓觀,城柵嚴設,常有人持兵守衛
から佐賀平野、筑後平野、宝満川、久留米、八女

43:日本@名無史さん
22/01/29 03:46:57.56 .net
卑弥呼・壹與は弥生後期であること
卑弥呼・壹與時代に養蚕も広がる
絹、鉄は邪馬台国の決め手にはならない。

44:日本@名無史さん
22/01/29 07:45:53.78 .net
>>39
大変参考になった。番組の図については、川越哲志氏の図に加筆となっているので、
何を加筆したのか、もう少し調べてみよう。
(参考)
伊都国歴史博物館にて、平成26年10月7日(火)〜11月24日(月)の期間に、
開館10周年記念特別展「狗奴浪漫 〜熊本・阿蘇の弥生文化〜」が開催されました。
>「博物館の開館10周年を記念して、邪馬台国論争において卑弥呼の仇敵だったとされる狗奴国の候補地の、
>熊本・阿蘇地方の弥生文化をとりあげ、熊本県を中心に100点余り(国指定重要文化財1件14点、
>熊本県指定重要與文化財3点を含む)の資料を借りて展示する。
>北部九州にはみられない特殊な土器や土偶、北部九州とは異なる青銅器の品々を展示し、
>「狗奴国=熊本県地方説」を検証する。」
「狗奴浪漫 〜熊本・阿蘇の弥生文化〜」特別講演会
狗奴国の考古学「講師:関西外国語大学教授 佐古和枝氏」
>北部九州と比べ、山が多く(火山灰地)、ヤマト政権の象徴である稲作文化が浸透しなかった。
>熊本県の白川のラインあたりまでは北部九州の文化が入ってきたりしている。
>人吉は山の間にぽっかりと平野が開けている。宮崎は瀬戸内海の文化とのつながりも多い。
>クナ=クマ=肥後国球磨郡と変化したのでは?

45:日本@名無史さん
22/01/29 07:58:39.96 .net
>>43 追加
この記事は、ググって下記タイトルで出てきたもの
狗奴国の考古学「弥生時代の鉄器は熊本がNo.1」

46:日本@名無史さん
22/01/29 09:15:03.68 .net
考古学って、結構眉唾物的なとこないですか?
私、熊本出身だけど、山林をみかん山にする為に開発してる時、その山を削って赤土?を取る土木工事があってて、土器やら何やらたくさん出て来てたのに、内緒にされてどんどん開発が進んで行ってたのを子供ながらに覚えています。
あんなんでいいのかしら。

47:日本@名無史さん
22/01/29 09:15:28.21 .net
魏志倭人伝は倭人のことを記載している。
倭人じゃない地域を記載する場合は、倭種云々断りが入る。
よって、狗奴国は倭人の国であり、北部九州と文化を共有している地域である。
>>43の正しい解釈の仕方は、
狗奴国は白川よりは北であり、熊本阿蘇地方は含まれない。

48:日本@名無史さん
22/01/29 09:52:59.05 .net
>>46
>よって、狗奴国は倭人の国であり、北部九州と文化を共有している地域である。
>狗奴国は白川よりは北であり、熊本阿蘇地方は含まれない。
隈本白川以南や熊本阿蘇地方は、倭人でなかったという保証証拠はないし、
倭人伝でもそのような地区別記述はされていない。
それ以前の問題として、
金印をもらった漢倭奴国王は、倭の南界まで極めたと宣言しているのであるから、
すでに1世紀の頃から、九州島全体が倭人の棲む地域だったと解するのが適切ではないか。

49:日本@名無史さん
22/01/29 09:57:59.01 .net
>>42
近畿説は
卑弥呼・壹與あたりから
絹、鉄 増えだした所が邪馬台国

50:日本@名無史さん
22/01/29 10:42:41.75 .net
>>47
だから、
>>43で文化的に異質というのなら、
狗奴国は白川よりは北であり、熊本阿蘇地方は含まれない。
と言ってるだけ。
文句は>>43に行ってくれ。
倭の南界についても、倭が九州のどれだけの範囲なのか全域なのかがわからないと
ニワトリと卵のどちらが先かの話になって結論を出せない。

51:日本@名無史さん
22/01/29 10:54:09.02 .net
倭国vs狗奴国 戦闘の様子 - 古代日本国成立の物語
>2016/09/08
> 特に、弥生時代中期の住居跡は阿蘇谷において弥生時代最古として注目されている。
>弥生時代後期の鉄器は鉄鏃11点を含め30点が出土した。 前田遺跡では弥生時代終わりの …
この書評は面白い。
熊本・阿蘇地方を狗奴国と想定して書かれているようだが、
その地理配置では、狗奴国の北方に対立する共立女王の倭30国が立ちふさがっており、
半島とどのようにして交易・交流できたのか説明できかねる。
其れより、弥生鉄の先進地であった熊本・阿蘇地方こそ女王の邪馬台国であり、
其の南の球磨地方が狗奴国であった(クナ=クマ)と考えるほうが理にかなっている。
なお、>>44 に紹介した、狗奴国の考古学「弥生時代の鉄器は熊本がNo.1」の豊富な図表も、併せて参照されたい

52:日本@名無史さん
22/01/29 11:04:19.32 .net
鉄くずの数がNo.1

53:日本@名無史さん
22/01/29 11:16:03.69 .net
>>48
>卑弥呼・壹與あたりから
>絹、鉄 増えだした所
マジレスすると、九州島での邪馬台国vs狗奴国の戦いが終わってから、
東征が


54:始まるのだから、 相変わらず近畿説は間違いだらけ



55:日本@名無史さん
22/01/29 11:20:05.66 .net
狗奴国は強敵で、女王国との戦闘で1000人もの死者が出た・・と、
誤解している学者が沢山いるようだ。しかしそれは、読み間違いである。、
多数の死者が出たのは、
卑弥呼の死後、その後釜をねらって更立った倭国内の別国の男王側陣営と、
邪馬台国女王に与する側の陣営との戦いで1000人もが死んだのである。
つまり倭国内(共立女王国内)の内乱・権力闘争であって、この時には狗奴国はカヤの外だったのである。。

56:日本@名無史さん
22/01/29 11:56:44.31 .net
>>52
根拠なしのアンタが間違えだらけ
魏志倭人伝に男王たつも
おさまらず千人程死者が出る
復立卑彌呼宗女壹與,國中遂定
記載はあるが
狗奴国との戦闘における死者数の記載
はない。
大和などまだ先のこと
毛人東征も後のこと

57:日本@名無史さん
22/01/29 13:49:51.75 .net
要するに九州内での話

58:日本@名無史さん
22/01/29 13:57:41.19 .net
>>41
倭国で養蚕が行われていると記されている以上、その生産物である絹織物が出ない地域は倭の都・邪馬台国ではないよ

59:日本@名無史さん
22/01/29 14:00:57.49 .net
>>48
畿内で鉄が増えるのは4世紀に入ってからだから対象外だね
INTCAL20で箸墓も4世紀に戻ったし

22 :ニューノーマルの名無しさん :2022/01/24(月) 19:08:43.71 ID:t+kGvkwl0
> 女王・卑弥呼の墓ともいわれる箸墓(はしはか)古墳(3世紀後半、同約280メートル)をはじめ、3世紀の最古級の前方後円墳が集中する。
未だに箸墓の炭素年代法の結果を受け入れてないのは
いかがなものか?
nihonkodaishi.net/info-research/ronbun-pdf/koseikyokusen.pdf
INTCAL20 によって、箸墓築造が
従来通説の4世紀前半に戻ったことを意味する。

60:日本@名無史さん
22/01/29 15:35:05.21 .net
>>57
畿内?
近畿だがね。
データ古いが2000年
URLリンク(inoues.net)
その後に
2016年に滋賀の稲部遺跡が発見。

61:日本@名無史さん
22/01/29 15:37:45.03 .net
>>57
所で
従来通説の4世紀前半に戻ったことを意味する?
誰が言ったの?

62:日本@名無史さん
22/01/29 15:40:08.76 .net
>>55
正解、卑弥呼は伊都国
邪馬台国は近畿一帯だな。

63:日本@名無史さん
22/01/29 15:56:02.16 .net
>>56
倭の都?
どこに書いてある
南至邪馬壹國,女王之所都しかないね。

64:日本@名無史さん
22/01/29 15:57:25.53 .net
>>57
nihonkodaishi.net/info-research/ronbun-pdf/koseikyokusen.pdf
INTCAL20
鉄についての記載はどこにあるの?

65:日本@名無史さん
22/01/29 15:59:50.69 .net
卑弥呼は首都の伊都国にいて、
邪馬台国は伊都国を首都とする北部九州の国家群

66:日本@名無史さん
22/01/29 16:00:46.16 .net
魏志韓伝
「凡五十餘國 大國萬餘家 小國數千家 總十餘萬戶 辰王 治月支國」
東夷伝という同じ文章の中で、
そのまま魏志倭人伝の段落が並ぶんだから、
「今使譯所通三十國 大國萬餘家 小國數千家 總可七萬餘戶 女王 治伊都國」
という「同じ構造」を前提に書かれてる。

67:日本@名無史さん
22/01/29 16:08:42.82 .net
>>63
ト骨は?丹は?
北部九州の国家群?
なぜ?三世紀初めに今まで鉄器少ない
ところまで増える。
高知みると太平洋ルートもあるな。

68:日本@名無史さん
22/01/29 16:09:14.63 .net
ヤマト王権発祥の地は奈良盆地 この事実は絶対に動かない
博多湾沿岸は楽浪郡を介して大陸と交流するための玄関口だ
そして、奈良以外に成立した”王”を語る勢力を討伐し、統一を果たしたのが皇室なのさ



69:ツまり、真の勝者 王者 覇者である 



70:日本@名無史さん
22/01/29 16:11:02.11 .net
どこで何が出てこようとも、そこは奈良盆地までの”通り道”にしか過ぎないのである

71:日本@名無史さん
22/01/29 16:11:32.75 .net
>>64
書かれていません。

72:日本@名無史さん
22/01/29 16:12:57.91 .net
>>63
ト骨は魏使が壱岐宿泊時に接待。
北部九州の山に丹は有る。
つか、近畿だとなんも当てはまらんじゃないか。

73:日本@名無史さん
22/01/29 16:14:43.55 .net
>>57
のごとく畿内説が追い込まれたから、近畿説に逃げて徹底抗戦してるだけだろ。

74:日本@名無史さん
22/01/29 16:18:17.44 .net
>>64
魏志韓伝
「國出鐵 韓濊倭皆從取之」
3世紀の文明国は鉄器を使っているのが当たり前。
韓濊など東夷伝の国でわざわざ鉄器を使ってると説明されてる国は無い。
邪馬台国は北部九州の連合国家。

75:日本@名無史さん
22/01/29 16:20:05.59 .net
>>67
博多湾沿岸だけでなく有明海も
大分もだよ。九州地方の安定化が物流のルートの活発になる。
当然だな、纏向は倭国の王都でもない。
このころは、開拓地だよ。

76:日本@名無史さん
22/01/29 16:20:18.18 .net
近畿で鉄器が多いのは近江だから、それが邪馬台国だと、
南の狗奴国が奈良になるから発狂w
しかも近江から東に渡海もできんし。
近畿説なんざ最初から詰んどる。

77:日本@名無史さん
22/01/29 16:21:35.63 .net
開拓されとらん
略奪&生口として大量連行→住居ゼロで蛙食

78:日本@名無史さん
22/01/29 16:23:25.56 .net
ト骨は後漢書にも記載されてるから、
2世紀以前の楽浪人が壱岐の風習を記録したのが倭人のものとして残ってただけでしょ

79:日本@名無史さん
22/01/29 16:25:34.43 .net
>>69
>>北部九州の山に丹は有る。
なんていう遺跡?
ト骨は佐賀平野、有明海沿いの二カ所から弥生後期
に突如出る。
また唐古。志摩、山陰、東海からも出土
吉備も突如、弥生時代後期だよ。

80:日本@名無史さん
22/01/29 16:28:20.76 .net
>>73
意味不明
近畿一帯、丹山がある。
邪馬台国の南に狗奴国とかは書いていない。
卑弥呼がいる九州。奴国の南に狗奴国がある。

81:日本@名無史さん
22/01/29 16:30:25.09 .net
>>74
え?
デカい古墳は?
道路、水路インフラだよ。

82:日本@名無史さん
22/01/29 16:30:30.65 .net
日田の小迫辻原遺跡ですか
ここは暴力王が支配してたらしいですな
磐井の乱で敗れた往生際が悪い勢力

83:日本@名無史さん
22/01/29 16:33:37.37 .net
>>76
「出真珠青玉 其山有丹」
真珠と青玉は「出る」
其の山に丹は「有る」
丹が出るといくら強弁しても、其山有丹としか書かれていないから
九州でいい。
ト骨は壱岐の原の辻遺跡での観光サービスもしくは
後漢書と同じ情報源のものがそのまま記載されたかだな。

84:日本@名無史さん
22/01/29 16:34:13.77 .net
>>70
鉄について書いていないけど?

85:日本@名無史さん
22/01/29 16:36:56.09 .net
勘違いするなよ?
地方民は中央に物資を納めていればそれでいいのだからな。

86:日本@名無史さん
22/01/29 16:37:12.44 .net
>>77
お前が意味不明だ。
「南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月」
邪馬壹國が卑弥呼の都と訳そうが、
邪馬壹國の中の、卑弥呼が都としている場所は、と訳そうが、
邪馬壹國に卑弥呼が暮らしていて卑弥呼の首都があるわけなので、
卑弥呼の居場所と邪馬壹國を都合よく分離できないし、
邪馬壹國の南に狗奴国がある。

87:日本@名無史さん
22/01/29 16:38:27.94 .net
>>81
鉄で見たら北部九州邪馬台国で一択
鉄を抜きにしても、>>57のようになる

88:日本@名無史さん
22/01/29 16:41:01.20 .net
>>80
丹が出るといくら強弁しても、其山有丹としか書かれていないから
近畿でもいい。
URLリンク(opac.ll.chiba-u.jp)
3、4
牟田寄 佐賀県佐賀市 肥前 弥生後期 U a


89:EU b A 弥生末〜古墳初頭 T a・V a D 4 西蒲池池淵 福岡県柳川市 筑後 弥生末〜古墳初頭



90:日本@名無史さん
22/01/29 16:43:04.82 .net
ベンガラ土人(笑)

91:日本@名無史さん
22/01/29 16:43:14.14 .net
>>85
ほらな近畿説が崩れたw
其山有丹は日本列島の大部分がクリアできる条件なんだよ。
だから邪馬台国論争には使えない。
地理配置とか、鉄器とかで、邪馬台国は伊都を首都とする北部九州連合国家。

92:太国
22/01/29 16:45:21.20 .net
URLリンク(trekgeo.net)

93:日本@名無史さん
22/01/29 16:47:21.32 .net
>>83
>>邪馬壹國に卑弥呼が暮らしていて卑弥呼の首都がある
わけなの
>>邪馬壹國の南に狗奴国がある。
思い込みだな。共立王なんだけど。
倭人伝には奴国の南
卑弥呼の都は宗教地だよ。倭国の都でもない。
証拠に後にバカでかい墓があっちこっちできる。

94:日本@名無史さん
22/01/29 16:49:34.35 .net
>>84
ならないし、
鉄がないとか言うのもおかしな話

95:日本@名無史さん
22/01/29 16:52:08.15 .net
>>87
其山有丹は日本列島の大部分がクリアできる条件?
できません。
遺跡は?発掘場所は?

96:日本@名無史さん
22/01/29 17:04:28.92 .net
勅祭社の香椎と宇佐があるんだから九州はそれだけで我慢しとけよ

97:日本@名無史さん
22/01/29 17:31:05.71 .net
>結局のところ、広志を書いた「郭義恭」は正確に山鹿を南 邪馬嘉国ヤマガと書き
(八.百女国ヤメ)以北と記し伊都国王を盟主とすろ倭国同盟の南限が
熊本平野北部の山鹿ヤマガですよと...、 が親切にものちの編者が
気を利かせて「邪馬臺国」だろと勝手に書き換えたって事か。
そこには百女国と書かれてるが、古代では八も百も多いの意味で
現代でも八百屋と言ったりするから百女国も八女国も同じ意なのでは?。

98:日本@名無史さん
22/01/29 17:32:15.50 .net
魏志倭人伝や隋書が3世紀ころの歴史を扱ってるが
最終的に完成したのが6^7世紀と云われ、
百衲本(宋本) - 紹興年間(1131年-1162年)の刻本が現存最古の底本である。
その頃には倭人の都がヤマトと言うらしい、が情報として脳裏にあり
邪馬嘉国ヤマガ国を誤字と思い、常識が邪魔をし、邪馬臺国と訂正したんだろう。
専門家によくある、その常識的判断が真実を見えなくするのかも知れない。

99:日本@名無史さん
22/01/29 17:36:16.24 .net
いや、卑弥呼時代には九州北部は奈良、邪馬台国同盟を結んでて
南限が広志に書いてある、八(百)女国、邪馬嘉国ヤマガ山鹿国いまの山鹿市で
その南には狗奴国が同盟に参加せず敵対してて6世紀ころまで続いてたのだろう。
八女国に居た、田油津媛や八女津媛など、古い慣習のノロは止めろ!と
100年後の神功皇后たち大和勢力が排除、圧迫し始めた。
それで八女津媛は山奥に逃げ隠れたのが、今の矢部川上流にある八女津媛神社。

100:日本@名無史さん
22/01/29 17:43:04.41 .net
そして書紀に記された、ヤマトタケルの熊襲征伐や山鹿市の、となり玉名市の
江田船山古墳のワカタケル名 鉄剣などが狗奴国、熊襲征伐が継続中で、
後には、八女の筑紫の君、岩井の反乱も起きた政治的に複雑な地域なんだろう。
卑弥呼時代には既に邪馬台国同盟のようなものが西日本中心に瀬戸内海界わいや
近畿内まで統合されつつあった中でオオクニヌシの出雲国や九州南部、狗奴国、熊襲が
敵対的で同盟しなかったのだろう。 ヤマトタケルのヤマタの大蛇退治は…かな。

101:日本@名無史さん
22/01/29 17:45:58.94 .net
『広志』 『魏略』から「後漢書」「魏志」「隋書」等の参考文献として引用。
『魏志倭人伝』には「倭国の女王」「女王国」と成ってるが、..引用元では「女国」
魏略では「自帯方至女國万二千余里 其俗男子皆黥而文.... で「女国」
広志には「百女国以北其戸数道里可得略...... でも「女国」
又、南して邪馬嘉国ヤマガに至る。百女国より以北、其の戸数道里
「自帯方至女國萬二千餘里」(『太平御覧』 原文)
『御覧』での「万二千余里」も「帯方−女国」間であり。「女王国」じゃなく「女国」。
文中の「邪馬嘉国ヤマガ山鹿」の嘉は臺と酷似しており「嘉は臺」の誤字で、
邪馬台国が定説だと考えられているが...、南には江田船山古墳そばに山鹿市などがある。
広志などは、(八.百)女国と邪馬嘉国(ヤマガ山鹿)以北、が邪馬台国と書かれており、
手前の女国とは八女津姫、田油津媛(たぶらつひめ)伝説などがある八女市だろう、
なお、南限(八.百)女国と邪馬嘉国(ヤマガ山鹿)のその南が敵対関係の狗奴国である。

102:日本@名無史さん
22/01/29 17:47:57.38 .net
>>95
近畿説
殺傷がある人骨が出ないんだよな。
どちらかと言うと宝満川とか吉野ケ里遺跡に
出る。狗奴国とは緊張状態で実際の戦いはなかったかもしれない
魏志倭人伝に死者の数など書いていない。
入墨埴輪見つかるのは八女とか筑後平野
熊本、宮崎。博多・糸島市からの出土は聞かない。

103:日本@名無史さん
22/01/29 17:50:24.60 .net
筑紫哲也 ありゃ酷かった 

104:日本@名無史さん
22/01/29 18:00:08.13 .net
九州中部は火山性の酸性土で骨成分は残りにくい
だから、亀卜・卜骨も残ってないのかなと思ったりする。

105:太国
22/01/29 18:05:00.97 .net
噴火台風洪水火災略奪で失せるから、出てなくてもおかしくはない。

106:日本@名無史さん
22/01/29 18:20:00.41 .net
>>101
佐賀平野、筑後平野
八女近辺からト骨、入れ墨埴輪は出る
それより遠い博多、糸島市には
ト骨、入れ墨埴輪の出土がない。

107:日本@名無史さん
22/01/29 18:22:38.95 .net
>>102
ト骨が出るっても壱岐の数十分の一だろ

108:日本@名無史さん
22/01/29 18:23:23.95 .net
>>58
>>9を見ろアホ
滋賀は安曇の植民地だ
滋賀という名称自体志賀島から来てるという説があるくらいにな
奈良盆地の土着勢力は九州から進出してきた勢力に包囲され盆地の中には鉄器がなかった
近江や淡路といった近郊には鉄鍛冶の遺構があるのに盆地内に鉄器がないのは別勢力だったからだ

109:太国
22/01/29 18:23:40.45 .net
遺跡は風化するのが避けられない運命。
出る出ないは参考になるが決定にはならん。

110:日本@名無史さん
22/01/29 18:24:58.63 .net
「邪馬台国は伊都を首都とする北部九州の連合国家」、という説に反論するのに、
佐賀平野、筑後平野からト骨、入れ墨埴輪が出ると言っても、
北部九州邪馬台国の一部なんだから当然であって、
何の反論にもなっていないのだが。。

111:日本@名無史さん
22/01/29 18:26:31.51 .net
魏志韓伝
「凡五十餘國 大國萬餘家 小國數千家 總十餘萬戶 辰王 治月支國」
東夷伝という同じ文章の中で、
そのまま魏志倭人伝の段落が並ぶんだから、
「今使譯所通三十國 大國萬餘家 小國數千家 總可七萬餘戶 女王 治伊都國」
という「同じ構造」を前提に書かれてる。

112:日本@名無史さん
22/01/29 18:29:31.83 .net
>>91
倭人伝でいう丹はベンガラだから日本中に広く存在する
698 :名無しさん@1周年 :2018/11/24(土) 00:36:37.87 ID:xixdUv0Y0
>>690
ベンガラも丹と呼ばれていた
丹は赤色顔料の総称扱いで、それのみではどの種類だか分からない
書き分けが必要な場合、魏志倭人伝では水銀朱は真朱(珠)として書き分けている
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
> 朱という言葉は一般に硫化第二水銀を指すのだが,考古学関係者は水銀朱という名称を用いることがある。それは,古代に用いられた
> 無機赤色顔料化合物


113:に朱(硫化第二水銀),ベンガラ(酸化第二鉄),鉛丹(四三酸化鉛)の三種類があり,これらを厳格に > 区別していない場合があるからである。 > 例えば,硫化第二水銀は,辰砂,朱砂,丹砂,丹,朱,銀朱,真朱,真赤土,水金,水銀という呼び名があり, > 酸化第二鉄はベンガラ,ベニガラ,鉄朱,丹,鉄丹,朱丹という別名を有する。また,四三酸化鉛も鉛丹,赤鉛,丹,光明丹,黄丹という別名がある(市毛, 1998) > さらに魏志倭人伝文中にある「真珠・鉛丹各50斤」という記述の真珠は硫化第二水銀(真朱)のことであると解釈されている。 >>698に更に追記すると、倭国がもし真朱の名産地であったならば、かの曹操が建てた魏ともあろう国が倭国への下賜品として 相手国の特産品を選ぶようなヘマはするまい 中国における白粉の如く体に塗りたくっていたという魏使の報告を見て「ああこれはベンガラの事だな」と分かったから 真朱や鉛丹を倭国への下賜品としたわけだよ



114:日本@名無史さん
22/01/29 18:30:27.00 .net
>>108
お、後漢書倭伝の「丹土」派ですか

115:日本@名無史さん
22/01/29 18:32:15.36 .net
>>109
というか丹は古代の赤色顔料の一般名だと中国の辞典にも載ってるんだわ
これを水銀朱の意味だけに限定しようとするのが畿内説のありがちなトリック

URLリンク(www.zdic.net)
(5) 古代用作染色的顔料 [red pigment]
red pigment=赤色顔料
だとはっきり書かれてるなw

116:日本@名無史さん
22/01/29 18:34:45.97 .net
「出真珠青玉 其山有丹」
真珠や翡翠は「出る」が、倭国の山に丹は「有る」だけ
「有薑橘椒蘘荷 不知以爲滋味」
しょうがや山椒や胡椒は「有る」だけで、美味しく食べられることを知らない
有については、同じ魏志倭人伝の中に、有るだけで使っていない類例があるのだから、
その地域の山に丹があれば邪馬台国の条件を満たす。
逆に全体に解釈を投影するなら、丹を採取している時点で逆にアウトとも考えられる。

117:日本@名無史さん
22/01/29 18:37:25.20 .net
入れ墨埴輪が出たからなんなんだ?
魏志韓伝や後漢書韓伝にも、在韓倭人が文身を入れているさまが書かれているんだから、
九州中部〜サンドイッチで北部九州〜在韓倭人が文身を入れていましたよ、
というだけのこと。
ほんま近畿説ってアホやなw

118:日本@名無史さん
22/01/29 18:37:52.59 .net
>>108にも書いたが、倭で水銀朱が取れると中国が知ってたら
倭への下賜品に水銀朱を贈るわけがないし、倭人は長寿だと書いてあるのに
白粉のごとく体に塗りまくっていた朱丹が人体に有害な水銀朱であるはずもない

119:日本@名無史さん
22/01/29 18:40:47.21 .net
そして中国から贈られたと記録のある中国産の水銀朱は北部九州の墓から出る
畿内の墓からは日本産の水銀朱しか出ない
魏に水銀朱を贈られた邪馬台国が九州なのは明らか

120:日本@名無史さん
22/01/29 19:10:50.93 .net
>>114
ぜんぜん、明らかではない。
サンプルが少ないだけだだな。
こういう調査もやってもらいたい。
近畿の水銀使われいるよ。日本産も使われ始めた時期。
URLリンク(researchmap.jp) › attachment_file
硫黄同位体比分析から、弥生時代〜古墳時代の朱はࢫᅗࠉX-ray fluorescence spectrographs of red pigment samples
津倉古墳から出土した赤色顔料について
国内産の採用を基本としながらも、北部九州や山陰な
どの日本海側を中心に中国産朱も採用されていること
が明らかになっている(南他 2011、志賀 2017a)。岡

121:日本@名無史さん
22/01/29 19:18:09.10 .net
>>104
盆地内に鉄器などはないよ。
開拓地で宗教地なんだけど?
大事に古墳に埋葬。

122:日本@名無史さん
22/01/29 19:19:48.27 .net
>>105
何をもって決定するの?

123:日本@名無史さん
22/01/29 19:20:46.48 .net
>>115
否定になっとらんじゃん、近畿はほんとアホ

124:日本@名無史さん
22/01/29 19:28:50.87 .net
>>110
水銀朱、赤色顔料の意味だけに限定しないのが
近畿説。
古墳に使われる丹
URLリンク(www.jssscp.org)

125:日本@名無史さん
22/01/29 19:29:40.49 .net
>>118
なんの否定?

126:日本@名無史さん
22/01/29 19:37:13.40 .net
>>118
否定などしていないけど?
中国産もありゃ、日本産もある
或いは混合もありうる。

127:日本@名無史さん
22/01/29 19:38:10.76 .net
「出真珠青玉 其山有丹」
真珠や翡翠は「出る」が、倭国の山に丹は「有る」だけ
「有薑橘椒蘘荷 不知以爲滋味」
しょうがや山椒や胡椒は「有る」だけで、美味しく食べられることを知らない
有については、同じ魏志倭人伝の中に、有るだけで使っていない類例があるのだから、
その地域の山に丹があれば邪馬台国の条件を満たす。
逆に全体に解釈を投影するなら、丹を採取している時点で逆にアウトとも考えられる。


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