邪馬台国畿内説 Part705 at HISTORY
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850:日本@名無史さん
21/06/23 20:57:22.58 .net
>>812
鉄より銅の普及で見るけどね。
鉄鏃は浸透速度と無関係では?
戦闘地域の特有と思う。
鉄農具なら理解もできよう。

851:日本@名無史さん
21/06/23 21:48:29.24 .net
正直どうやったら邪馬台国は確定するの?
そもそも邪馬台国って名前はどこから出現した?
正直何も知らないんですが、この事を考えると夜も眠れないんです
俺も今から学者を目指して命をかけてこの問題を解決しようと思ったら出来ると思いますか?
それともどうやっても空想の域を出ないのでしょうか?

852:日本@名無史さん
21/06/23 21:55:08.14 .net
あと10年もしたらほとんどの九州説信者はあの世に行くから
待ってるだけで畿内説に確定するでしょ

853:日本@名無史さん
21/06/23 22:23:11.82 .net
>>816
この国の根底を覆す何かがあるから隠してる可能性はないんでしょうか?
天皇制の否定につながる何かが
何故箸墓古墳を調査させないんでしょうか?
これって宮内庁に電話して聞いても問題ないでしょうか?

854:日本@名無史さん
21/06/23 22:41:30.39 .net
北部九州までで6ヵ国、
そこから20日の航海で投馬国、さらに10日の航海と1月の陸路で邪馬台国
ここまでで8ヵ国
そこから21ヵ国がある、この部分には水行などの記述が無いので陸路で到達可能だったはず
ここまでの道のりは対海国から始まり女王国の境界が尽きるところまで順番に書かれている
注目すべきなのは境界が尽きるところ以降の説明が無いこと
もしこれが海によって隔てられていたら そのことは記述されるはず
そうでないのは、女王国の境界が尽きて隣接したその外側は別の国の領域になることを示している
九州説の人たちはこのことに注意を払えば、九州説は到底成り立たないことに気づくはず
ここまでの倭国の合計は29ヵ国
これに倭国に属さない倭地である狗奴国を足して倭人の国々の合計は30ヵ国となる

855:日本@名無史さん
21/06/23 22:56:10.47 .net
キウス

856:日本@名無史さん
21/06/23 22:57:03.10 .net
>>818
でも九州を一周していたと考えるとどうでしょう?
そもそも本州から一月で邪馬台国に歩いていく事は可能なのでしょうか?
一直線に進めるわけではないと思うので
それとも誰か案内人がいた?

857:日本@名無史さん
21/06/23 23:07:07.24 .net
>>820
九州南部からは狗奴国や国の体をなしていない南西諸島などの倭地の領域
そこは温暖で冬でも野菜を食べ、裸足で暮らしているとある

858:日本@名無史さん
21/06/23 23:11:01.08 .net
>>821
つまり九州を一周した後に本州に行ったという事ですか?

859:日本@名無史さん
21/06/23 23:11:38.86 .net
邪馬台国側の文献ってないんでしょうか?

860:日本@名無史さん
21/06/23 23:15:30.45 .net
>>820
私は投馬国は出雲と比定しています そこから水行10日、陸行1ヵ月で近畿にある邪馬台国に到達するのは無理が無いと思っています

861:日本@名無史さん
21/06/23 23:20:11.65 .net
>>822
九州には九州北部に明示されている6ヵ国があるだけです
九州の南部は敵対関係にあった狗奴国の領土なので周回する意味がありません
邪馬台国側の文献はありません
私は奈良を征服した神武に毀損されたものだと思っています

862:日本@名無史さん
21/06/23 23:32:16.81 .net
>>825
なるほど
周回する意味がないとはどういう事ですか?
そもそも中国側は何をしに日本に来たのですか?
日本を知るために来てるなら全部回った方がいいと思うんですが

863:日本@名無史さん
21/06/23 23:41:24.59 .net
>>826
上陸地点から女王国の境界が尽きるところまでは道順で記録されていて
この一連の記述で北部九州以外を周回する意味はないということです
倭国の領域外の狗奴国や倭地についてはその後に記述されています
風俗などは、倭国についての記述よりも詳細に記述されています

864:日本@名無史さん
21/06/24 00:02:00.39 .net
>>826
三国志は三国時代の史書で様々な事績と関係する近隣諸国との外交の記録をまとめてあります
倭国とキダーラ朝(魏では、それまでとおなじく大月氏と呼んだ)は特に遠方の国なので、交流があることは魏の名誉
倭地の南西諸島は、海を隔てて呉の後ろ側にあり、そことの密接なつながりは呉へのアピールになったと思われる

865:日本@名無史さん
21/06/24 00:36:21.01 .net
848
クストマフ王国、フゲンダヤ王国、オーカラカ王国みたいなもんか
古代見えてきたの

866:日本@名無史さん
21/06/24 00:38:05.40 .net
宗主国インド🇮🇳
東南アジアから今の中国西部も含みオセアニア諸国あたりまでまたがる古代王国

867:日本@名無史さん
21/06/24 00:40:58.00 .net
仏教都市国家を形成していったまさに仏教を中心とした古代王国諸国が乱立していた

868:日本@名無史さん
21/06/24 02:48:21.69 .net
西遊記なんかも三蔵法師の一行が諸国に立ち寄りやがては幻の仏教の都ガンダーラまで行く話やろ
その立ち寄った諸国ってどこにあったのか知ってるのか?



869:最遊記が描かれた時代はだいたい西暦800年ころの時代の話やで この時代にはガンダーラは消滅していたのよ イスラム教と仏教の戦争でガンダーラはイスラムのやつらに破壊されつくしてな ちなみに仏教に出てくる四天王の毘沙門天てのはガンダーラを守護した将軍と言われとるわけさ 普段は忉利天と呼ばれるところに住み将軍としてガンダーラ城守護の任に就いていたような将軍



870:日本@名無史さん
21/06/24 02:50:13.69 .net
天竺って呼ばれたのは南インドや
南インドからスリランカにかけてのあの辺な
そこにはもっとも古い仏教遺跡群が存在しとる

871:日本@名無史さん
21/06/24 03:37:23.82 .net
>>826
目的が終えるだけで
そこに邪馬台国があるとは
限らない。本来、男王がたつ地域に
一時的に共立の女王がたつ
元は小国の邪馬台国から脱却の時代と
推測。巨大化古墳は壱与からと推測

872:日本@名無史さん
21/06/24 03:46:16.25 .net
蜘蛛塚違うの?

873:日本@名無史さん
21/06/24 08:10:26.32 .net
畿内説は存在意義が無い
史書によると邪馬台国民は呉・越の末裔とのことであり、直接九州に上陸した渡来人であると思われる。
また、女王国の東の倭種の国と記載されている国は、半島を経由して山陰〜北陸から入植した弥生人たちの国である。
これがのちのヤマト王権となった可能性は非常に高い。
URLリンク(i.imgur.com)

874:日本@名無史さん
21/06/24 09:01:05.44 .net
まあ出雲や近畿、東海でも国家形成は進んでいたかもしれないが、記録には残らなかったということだ

875:日本@名無史さん
21/06/24 10:18:18.21 .net
さよか、日本においてそいつらの存在価値なくなったな
しつこく絡んでるやつらは乞食くらいだろ

876:日本@名無史さん
21/06/24 10:20:19.83 .net
そおだよな
普通は追跡記事をかくもんなんだよ
まったくどおでもよいやつらのことなどどおでもよいのよ

877:日本@名無史さん
21/06/24 10:27:42.65 .net
そもそも女の子を王にしたのには絶対理由があると思います
それこそ別の国の人間だとか何かしらの理由が絶対に必要

878:日本@名無史さん
21/06/24 10:50:29.62 .net
>>840
熊本のトンカラリンがヒントかもな

879:日本@名無史さん
21/06/24 11:13:56.48 .net
>>840
卑弥呼が共立された時点ですでに彼女は年齢が長大と書かれています
経験の豊富な巫女であったからこそ共立された
少女や若い女性をイメージする向きも多いですが、それは誤解です
原文で女子と書かれていますがこれは「女性」という意味です
卑弥呼の宗女壱与は13才で王に立てられました
あと、魏志倭人伝について知りたいのなら、やはり原文を読むことをお勧めします
読みやすい現代語訳もあります

880:日本@名無史さん
21/06/24 11:31:39.61 .net
>>842
>卑弥呼が共立された時点ですでに彼女は年齢が長大と書かれています
それ、原文になんと書いてあるか言ってごらん
言える?

881:日本@名無史さん
21/06/24 11:41:46.88 .net
>>843
乃共立一女子為王 名日卑弥呼 事鬼道能惑衆 年已長大

882:日本@名無史さん
21/06/24 12:21:10.48 .net
誰にも読んで貰えないファンタジー小説を歴史と呼ぶ頭のいかれた畿内説あわれ

883:日本@名無史さん
21/06/24 12:34:29.15 .net
畿内説には考古学的な裏付けがあるんだよ

884:日本@名無史さん
21/06/24 12:39:05.07 .net
>>845
>>誰にも読んで貰えない
読んでいないのにファンタジー小説とか
判断つくのが不思議だな。
頭のいかれた九州説

885:日本@名無史さん
21/06/24 12:53:19.97 .net
>>836
大陸との関連があった証拠にもなるが
それでいいのか?

886:日本@名無史さん
21/06/24 13:33:43.69 .net
>>842
なるほど
卑弥呼ならわかるんです
壱与を王にするのは別に違和感のない事なんでしょうか?

887:日本@名無史さん
21/06/24 13:42:37.92 .net
>>848
構わないよ
領域は限られてるがな
URLリンク(i.imgur.com)
九州ブロック、山陰〜北陸ブロック
南は兵庫・京都まで。
その南の奈良は100歩譲っても狗奴国候補

888:日本@名無史さん
21/06/24 13:49:51.49 .net
纏向遺跡の可能性
@古墳建造基地局
A東日本勢力の侵略地帯
B東南海トラフ地震被災者の非難所
ほぼ同時期に多数の古墳が建造されていることから、この地域の首長は皆殺しに遭ったものと考えられる

889:日本@名無史さん
21/06/24 14:12:46.94 .net
>>850
その鉄器データはいつのデータ。
古墳期のデータも出してくれる?
再利用もあるからね。

890:日本@名無史さん
21/06/24 14:20:19.93 .net
>>851
この地域の首長は皆殺しに遭ったもの以外
は邪馬台国にふさわしいな。
可7万戸集まるな。あれだけバカでかい墓と
インフラ整備に相当な人数と必要。渡来人の技術
又隋書の記と旧唐書と一致する。

891:日本@名無史さん
21/06/24 15:04:39.51 .net
>>852
弥生時代後期中葉〜終末期と書いてあるじゃん

892:日本@名無史さん
21/06/24 15:06:44.63 .net
>>853
住居無しで7万戸も盛るんか?w
隋の時代は時代錯誤
遷都されたとか東征の結果と言われればそれまで

893:日本@名無史さん
21/06/24 15:48:24.74 .net
>>849
卑弥呼は農作物の作況を占ったりできる特別な能力があると国民に認められていたために共立されたのだと思います
壱与の場合は経験を評価してというのではなく、特殊な能力があると認められる卑弥呼の一族の中から選ばれたものだと思います
ただ、これらのことは全く私の推測に過ぎません
魏志倭人伝を自ら読めばあなたも私と同じ推測にたどり着くかもしれません
勿論、そうでないかもしれない
肝心なのは原典をつぶさに当たってから、あなたの想像を膨らませることだと思います

894:日本@名無史さん
21/06/24 15:49:44.98 .net
>>854
発表したのはいつ?
>>853
住居無し?発掘された部分のみ言われてもな。
また、纏向遺跡で7万戸とは書いていない。
邪馬台国自体の大きさもわからないだろー

895:日本@名無史さん
21/06/24 15:53:06.47 .net
嘘コピペ貼り付け九州説 vs ニセ畿内説by
デタラメ合戦で好きなようにやり合ってくれ
共倒れになるのがベスト

896:日本@名無史さん
21/06/24 15:56:01.66 .net
>>851
> 纏向遺跡の可能性
> ほぼ同時期に多数の古墳が建造されていることから、この地域の首長は皆殺しに遭ったものと考えられる
納得

897:日本@名無史さん
21/06/24 15:58:52.02 .net
>>855
隋の時代は時代錯誤てどうして?
遷都されたとか東征の結果になる理由がわからん
西征(66か国)なら理解できる。東征は近畿から東(55か国)だよ。
海を渡りて北は併合後かもしれないね。

898:日本@名無史さん
21/06/24 16:01:46.38 .net
>>859
地域の首長であんなでかいの作るのか?
戦乱跡もない。

899:日本@名無史さん
21/06/24 16:03:07.46 .net
>>858
おーサンキュー。様子見てくれればおk。

900:日本@名無史さん
21/06/24 16:15:41.65 .net
>>861
ちなみに箸墓古墳は首長でもなかったモモソ姫の墓だぞ?
ほんの数十年の間に王墓が何基も建造されたのは何故か?

同時期に王が沢山死んだから
納得だろ

901:日本@名無史さん
21/06/24 16:24:23.80 .net
>>863
この地域の首長は皆殺しに
遭ったものと考えられるとか?
ホントにモモソ姫の墓なの?
納得できない。

902:日本@名無史さん
21/06/24 21:07:26.18 .net
>>863
>同時期に王が沢山死んだから
あまりに稚拙で笑った

903:日本@名無史さん
21/06/24 22:08:13.88 .net
奈良時代の書物に百襲姫が葬られたという説話が書かれている
からといって
実際にその場所に百襲姫が葬られている
とは限らない

904:日本@名無史さん
21/06/24 23:08:36.23 .net
「百襲姫」という人物が特定個人じゃないというのは常識じゃなかったのか?

905:日本@名無史さん
21/06/25 05:55:35.97 .net
>>856
この時代って男尊女卑はないのでしょうか?
不思議な力があるだけで一国の王にしますかね?
ある権力者の奥方で、権力者がなくなったから卑弥呼が代わりに王になったというのが普通の気がします。
その権力者は一代で王になった人物なのではないでしょうか?
まだ後継などの制度が整ってない時になくなったため、有能である卑弥呼が引き継いだ、そしてまだ力がある時に壱与へ権力を移した。
このように考えると辻褄が合う気がします。

906:日本@名無史さん
21/06/25 06:37:12.71 .net
>>868
想像してるだけだったら原典読んだ意味がないぜ

907:日本@名無史さん
21/06/25 07:09:18.77 .net
>>868
魏志倭人伝を読んでからにしてください
卑弥呼が王に共立された経過は詳しく述べられています
彼女に夫はいません
ただ、あなたのような疑問は当然で陳寿もそういう疑問にあらかじめ理由をつけて答えている
昨日、引用して紹介した「事鬼道能惑衆」というのがそれです
映画「赤壁」を見たことが無いですか 諸葛孔明が赤壁への攻撃の時期を選ぶために祭壇を造り祈るシーンがあります
諸葛孔明は気候の変化についての知識があり、風の向きが変わることを知っていた
「鬼道」とはあのシーンのような祈りの形式であったのだと思います
それが周囲の人々を魅惑した
壱与が王になったとき、すでに卑弥呼は亡くなっています
原文を読んでから、何か疑問が生まれたら問いかけてください

908:日本@名無史さん
21/06/25 12:11:26.48 .net
魏志倭人伝を読んでもご都合作文に置き換えるので理解する能力が退化してしまった畿内説あわれ

909:日本@名無史さん
21/06/25 12:38:21.63 .net
>>871
どう置き換わったか具体的な指摘を何もできない九州説は
脳内で汎用型の非難言葉をご都合作成してるだけなのが明かで
見るからに知能が退行してて
あわれ

910:日本@名無史さん
21/06/25 16:08:55.16 .net
畿内説のご都合作文もくじw
・理由は知らないが倭人伝の南は実は東だったニダ
・奈良も鉄器社会だったが鉄が溶けやすい地質なので残って無いニダ
・よく似た古墳がある地域は当時同政権だった証拠ニダ
・纏向建物の柱穴より深い別の遺構で出土した桃の種が3世紀だったので建物は卑弥呼の宮殿に違い無いニダ
・纏向は人々の住居跡がほとんど無いので倭国の首都だったニダ
・島根県で景初3年の紀年鏡が出土したので畿内説が正しいニダ
・博多湾から投馬国までの水行20日の道程は無人地帯だったニダ
・投馬国から水行10日+陸行一月の道程も無人地帯だったニダ
・中国産の銅しか無い時代に作られた三角縁神獣鏡の成分が中国産だと分かったので中国製で間違いないニダ
・中文は日本の漢文と同じニダ

911:日本@名無史さん
21/06/25 16:14:56.69 .net
>>873
そんなもの畿内説が作文したって証拠は?
ないでしょ?
みんなお前の妄想作文じゃないか
九州説のご都合作文だよ

912:畿内説
21/06/25 16:27:22.30 .net
>>874
何か疑問でも?

913:日本@名無史さん
21/06/25 16:58:46.81 .net
>>875
ほらな
畿内説にまったく歯の立たなくなった敗者九州説が
苦し紛れにニセ者の畿内説となり
とても馬鹿なことを主張してみせる
つまり、あんたは詐欺師だということさ

914:日本@名無史さん
21/06/25 18:07:52.07 .net
>>875
>何か疑問でも?
それ、どこの誰が主張した?
ソースプリーズ

915:日本@名無史さん
21/06/25 19:47:45.79 .net
>>870
魏志倭人伝を読んでも結局は同じ推測になりませんか?
どうしてこの国の歴史に関わる事を政府が隠すのかが分かりません
古墳の調査をさせない理由が全く理解できないんです
自分の幼少期がないのと一緒じゃないですか
もしかしたら別の親の可能性も出てくる
これと似たような事があるんじゃないんですか?

916:日本@名無史さん
21/06/25 20:50:31.54 .net
まだぁ諦


917:めないのか?象徴の拝察ですら動揺させとるのに。我甚哀汝、親魏倭王を与えた特別な女なんだよ、そして魏と共に終わった、魏志張魯伝倭人伝に鬼道と説明されてる。列島最初の女王は中国人巫女卑弥呼。



918:日本@名無史さん
21/06/25 21:16:12.64 .net
>>878
一時間もかからずに読めるものをなぜ読もうとしないのか
宮内庁が一般に知られていないことを知っていて、何かの都合でそれを隠しているとは私は思っていません

919:日本@名無史さん
21/06/25 21:24:06.33 .net
>>880
別に読んでもいいんですが、読んだからといって大して変わらないと思うのですが。
冷静に考えてですよ?
何かの超能力があったからと言って国のトップに立てる女性っていると思いますか?
占いが100%当るならともかくとして

920:日本@名無史さん
21/06/25 21:27:12.19 .net
>>881
まず読むのがスタート
それがなくして何も語れるものは無い
卑弥呼が倭国の王に共立されたことは史実
あなたの空想は何の根拠もない

921:日本@名無史さん
21/06/25 21:57:38.41 .net
>>882
もうこれは史実を読んで理解を深めるとかそういうレベルじゃないと思います
新しい資料が出てこないと全員が空想の域だと思います
少なくともこの国の天皇制は大和政権から始まっています
邪馬台国は渡来人が侵略して作ったものだとすると、我々は中国人ってことになります

922:日本@名無史さん
21/06/25 22:12:00.67 .net
>>883
あなたの態度は理解不能です
知的好奇心があるのなら、すぐにでも読んでみたいと思うはず
このスレに来た理由はなんですか

923:日本@名無史さん
21/06/25 23:07:24.33 .net
キウス

924:日本@名無史さん
21/06/25 23:11:06.14 .net
キナイコシ無職wwwwww

925:日本@名無史さん
21/06/25 23:12:33.19 .net
贅六連呼基地

926:日本@名無史さん
21/06/25 23:23:34.58 .net
>>884
読んでみます
ただ読んだからといって何かが変わるとは思えないのですが....
だって答えがないじゃないですか?

927:日本@名無史さん
21/06/26 05:23:32.72 .net
879
中国のやつらを信仰しとるとかそんな考えなんかてめえは?

928:日本@名無史さん
21/06/26 07:54:38.09 .net
>>108
これがこの国の本当の歴史かよ…orz

929:日本@名無史さん
21/06/26 07:55:40.29 .net
古代 「文明など、ろくなものではない」 農耕が戦争を引き起こす
スレリンク(newsplus板)
縄文人が中国文明を拒んだ本当の理由

930:日本@名無史さん
21/06/26 08:05:48.83 .net
古来から漢民族王朝が罪人を遼東河の向岸に島流しにした話は有名だが、渡海するとなると造船や航海術が必要となり、話は別なので、朝鮮半島に留まって、漢(農耕)民族の宿敵である(モンゴル)遊牧騎馬民族と組んで漢民族王朝に対抗したのだろう。
太古の昔、人類が出アフリカを経て、北(コーカソイド)と東(モンゴロイド)に向かうが、倭人と言うのは、その東端・中国の漁師(海賊)の子孫なんじゃないだろうか?
倭人は呉や越の末裔とあるから、肥沃な華南地(呉)域から稲作が伝わったことも植物DNAから判明しているし。。。

931:日本@名無史さん
21/06/26 08:14:51.55 .net
>>892
日本でも徳川家康が佐渡金山に(死)罪人を送り込んで、金の採掘をさせていた。殺されるか金を掘るかの二者択一w
朝鮮半島は鉄鉱山がたくさんあったので、おそらく罪人を送り込んで鉄の採掘精製なとをさせていたのだったのだろう。
後漢の地方官にすぎなかったのに、黄巾の乱の大混乱に乗じて遼東に独立政権を樹立してしまった公


932:孫氏なんかはまさにその典型だな。



933:日本@名無史さん
21/06/26 08:26:56.98 .net
×典型 ○元締め
黄巾の乱のドサクサで後漢の地方官に過ぎなかった公孫子が、独立支配してしまった遼東(後の満州)地域からは、鉄鉱石のほか、近代に入って黒いダイヤ(石炭)も取れた。
だから大日本帝国が傀儡政権を樹立し、帝政ロシアの脅威に備えた(クルマのフロントバンパー)。
後に戦艦大和が満州からの鉄鉱石で広島県「呉」で造船されたのは、中国(呉越)人の漁師(海賊)を先祖とする日本の歴史の必然だったのかもw
後漢献帝から禅譲を受けた曹魏にとっては目の上のたん瘤。大尉・司馬懿(仲達)をしてなんとしても討ち取らねばならなかった(238年達成)。
あとは、
>>77
>>78

934:日本@名無史さん
21/06/26 08:41:39.71 .net
あと少しで公孫淵を滅ぼした238年の12月…倭から女王卑弥呼の使者・難升米が、帯方郡使に導かれて洛陽を訪れた…そして
>>76

935:日本@名無史さん
21/06/26 08:54:27.38 .net
日本人の歴史をまとめると、人類共通の祖先アフリカから
旧石器時代人…旧石器時代(氷河期=日本が大陸と陸続き)にマンモスを追いかけて陸伝いに渡来してきた渡来人
縄文人…縄文時代に呉・越地域(西)や沖縄奄美大島(南)から海を渡って日本列島に渡来してきた渡来人(漁師や海賊)
弥生人…縄文晩期から肥沃な華東〜華南地域から稲作技術を携えて日本列島に渡来してきた渡来人(秦の始皇帝の方士・徐福伝説)

936:日本@名無史さん
21/06/26 09:32:37.42 .net
ちなみに鉄は何に使ったのでしょうか?

937:日本@名無史さん
21/06/26 09:33:15.01 .net
結果から言えば、倭国は稲作(農耕備蓄)をもたらした(始皇帝と)徐福が作った国と言っても過言ではないかもな。。。
日本列島の原住民(狩猟採取に依存した旧石器人や縄文人)だけじゃ、寒冷期の食糧難を乗り越えられなかっただろう。

938:日本@名無史さん
21/06/26 09:40:26.38 .net
武器、農具等だな。
鉄鏃が多く出土するとことが戦いのあった土地
農具が多く出土するところが農業地域
まあ、再利用できるもんだから、
この図は、参考や証拠にあたいしない↓
URLリンク(i.imgur.com)

939:日本@名無史さん
21/06/26 09:46:51.21 .net
>>898
今日から、すべての日本人は秦の始皇帝陵に足を向けて寝れないねw
稲作(治水や暦)だけじゃなくて、漏れらがこうして情報交換している漢字(→カタカナひらがな)も、度量衡すべて教えてくれますたw

940:日本@名無史さん
21/06/26 09:48:33.16 .net
聞きたいんだけど、内乱が起きていた時に女王を立てて内乱を納めるなんてありえると思う?

941:日本@名無史さん
21/06/26 09:53:46.97 .net
>>76
その女王の血筋が核心だな

942:日本@名無史さん
21/06/26 10:01:40.27 .net
本能寺の変の後、信長も信忠も一度に死んだから、とりあえずまだ幼い三法師を立てて丸く収めた、みたいな…
>>99
その後、本格的に天下を取ったのが羽柴秀吉(神武・崇神朝)だったのだろう。

943:日本@名無史さん
21/06/26 10:23:10.96 .net
901
ありえない

944:日本@名無史さん
21/06/26 10:23:59.34 .net
ありえるとしたらそこにいたやつらに問題がある

945:日本@名無史さん
21/06/26 10:36:04.94 .net
王を立てずに治世をしようとした
しかし日本のシンボルが必要
それが卑弥呼
後の天皇の系譜につながる
そして、未だに王がいない事の証として天皇が残っている

946:日本@名無史さん
21/06/26 10:38


947::08.83 .net



948:日本@名無史さん
21/06/26 10:39:01.90 .net
>>896
なるほど

949:日本@名無史さん
21/06/26 12:35:31.84 .net
>>898
史記』巻六「秦始皇本紀」で徐福は始皇帝に不死の薬を献上すると持ちかけ援助を得たが、その後始皇帝が現地に巡行したところ実際には出港していなかった
改めて出立を命じたものの、その帰路で始皇帝は崩御したという記述となっており、「不死の薬を名目に実際には出立せず、皇帝から金品をせしめた詐欺師」として描かれている
徐福が日本でも伝説として語られるのは、九州説と同じく伝説を利用して地元の利益にしようとするのと変わらない
稲作についても日本に伝わった時期と伝説の時期が重なるというだけ

950:日本@名無史さん
21/06/26 12:44:35.06 .net
>>899
>この図は、参考や証拠にあたいしない↓
URLリンク(i.imgur.com)
再利用可能な資源を無意味に浪費した変な人たちの多く住む地域を示した地図

951:日本@名無史さん
21/06/26 12:45:09.29 .net
まだぁ諦めないのか?否定できる根拠は薄い、卑弥呼以前に度量衡は無い、天円地方軍団が突然畿内に根を下ろし漢中に一国を築いたノウハウで惑わしたのだよ、そう書いてある。五倭王でさえ親は与えられていない珍東の将軍だよ、そなたの忠孝、激文まで送る執拗ぶり卑弥呼は中国人以外考えられない。但し一代な

952:日本@名無史さん
21/06/26 13:15:02.16 .net
日本に稲作が伝わったのは縄文晩期だろ?

953:日本@名無史さん
21/06/26 14:16:58.23 .net
内乱があったのは事実
卑弥呼が王なのも事実
どうして中国は金印を送ったの? 
中国人の女性の王をたてて中国がケツモチになったんじゃないの?
その代わり、鉄を輸入させてやると
そういう契約があったんじゃないの?

954:日本@名無史さん
21/06/26 14:31:37.00 .net
たぶん公孫淵の援軍に駆けつけた難米升の軍勢が
戦況不利を悟って司馬懿の魏軍に寝返った
そのご褒美として厚遇されたのではと推察する

955:日本@名無史さん
21/06/26 14:34:43.00 .net
>>914
なるほど
少なくとも厚遇を受ける何かがあった可能性が高いって事ですよね?
ちなみに他の国にも金印みたいなのは送ってるんですかね?

956:日本@名無史さん
21/06/26 14:48:41.84 .net
このスレに常駐してるバカ九州説といい勝負のバカ発見
URLリンク(twitter.com)
(deleted an unsolicited ad)

957:日本@名無史さん
21/06/26 16:23:33.24 .net
>>910
正解 

958:日本@名無史さん
21/06/26 21:19:32.01 .net
まだ秦とか言ってるんか?
尽きねえなあほんと

959:日本@名無史さん
21/06/26 21:20:35.94 .net
それがほんとならえらいこっちゃ
日本人皆殺しの目に合うくらいの想像つかなあかのかな

960:日本@名無史さん
21/06/26 23:19:22.65 .net
たいへんなことに気づいちゃったよ。
「男弟」っておかしくない?
弟って男だろ、普通?

961:日本@名無史さん
21/06/27 00:18:43.24 .net
男弟が弟弟、女弟が妹妹

962:日本@名無史さん
21/06/27 00:47:00.43 .net
一蘭の謎は何故金印をあげて、王だということを認めたのかだよな

963:日本@名無史さん
21/06/27 00:54:03.14 .net
>>922
ラーメンに謎はない

964:日本@名無史さん
21/06/27 03:11:36.54 .net
意味不明

965:日本@名無史さん
21/06/27 06:11:20.88 .net
>>924
それは無知ゆえ

966:日本@名無史さん
21/06/27 06:29:56.61 .net
何故金印をあげる必要があるのか知っている人はいますか?

967:日本@名無史さん
21/06/27 07:00:29.62 .net
渡来人は四国に多かった? ゲノムが明かす日本人ルーツ
スレリンク(newsplus板)
九州北部では渡来人の人口が増えず、四国や近畿で拡大した

968:日本@名無史さん
21/06/27 07:14:27.76 .net
他国の人間に対して王に任命するだのありえるわけないじゃん
普通に考えたらそれを授けたやつは自分の子とか身内のやつらに対して与える
読み違えてるやつらがいるんだよ

969:日本@名無史さん
21/06/27 08:26:49.35 .net
>>926
国王と認めたからには金印が必要

970:日本@名無史さん
21/06/27 09:09:46.20 .net
>>928
あんた馬鹿だろ
倭奴国王も中国人か?

971:日本@名無史さん
21/06/27 11:47:16.56 .net
>>928
世界史の知識がゼロな人ですか?

972:日本@名無史さん
21/06/27 12:17:24.22 .net
>>926
当時は三国時代だからね
蜀の西にあるクシャーナ朝、呉の東にある邪馬台国と結んで自国の勢力を高めようとした
と言っても、当時の日本列島にクシャーナ朝に並び立つほどの大国があったとは思えず、魏志倭人伝にはかなりの誇張があることは間違い無いだろう

973:日本@名無史さん
21/06/27 17:23:58.86 .net
>>932
弱っちい国だからぶんどっちまおうという発想はなかったんですかね?
それとも中国にはその余裕がなかった?
実際に考えて卑弥呼を擁立した理由を考慮してもあまり納得が行きません

974:日本@名無史さん
21/06/27 18:02:12.60 .net
倭をぶんどるにはまず帯方郡の南の韓を滅ぼさないとならんが
帯方郡の経営自体いっぱいいっぱいで太守が戦死したりしてる

975:日本@名無史さん
21/06/27 18:15:01.80 .net
>>933
うんと後の時代の大帝国である、隋や唐でさえ高句麗に苦杯をなめている。
その先の海の向こうの、よくわからん国をわざわざ分捕ろうとは思わないんじゃない?
だいたい朝貢品が生口10人だよ。
そんな貧乏くさいところを攻めても、何の特にもならないのでは?

976:日本@名無史さん
21/06/27 21:59:27.90 .net
>>933
普通に考えれば蜀と呉との戦いで手一杯で、海の向こうにまで渡って攻め込む発想は出てこないでしょ
で、よく調べもせずに金印渡したから、会稽東冶之東とわざわざ強調しているんだろう
邪馬台国が会稽東冶之東にないと呉への牽制にはならないから、皇帝が大恥かくことになる

977:日本@名無史さん
21/06/27 22:17:30.85 .net
>>936
別に恥なんてかかない
魏の流した偽情報で晩年の孫権が右往左往
晩節汚して呉滅亡の準備万端
魏の作戦は大成功
だから孫権の死後の魏はもう倭とかろくに相手してない

978:日本@名無史さん
21/06/27 22:46:32.61 .net
つまり今は手一杯で他の国から攻め込まれるとまずい
だから周りの国と親交をとること、また他国の情勢を把握しようとしたでオッケー?
また、他国の使者が来た場合、勝手に○したりするパターンもあるの?

979:日本@名無史さん
21/06/27 23:02:33.52 .net
>>938
何を言いたいのか全く不明な投稿だな
文章が不完全すぎる

980:日本@名無史さん
21/06/27 23:36:51.90 .net
>>939
いや流石に分かるでしょw

981:日本@名無史さん
21/06/28 00:43:15.00 .net
>>938
呉にしてみれば魏や蜀と戦いながら、背後の邪馬台国にも注意を払わないといけなくなる
まあ実際はクシャーナ朝とは雲泥の差の取るに足らないショボい国だったわけだが、
今と違って情報が簡単に得られる時代じゃないからね

982:日本@名無史さん
21/06/28 04:34:02.11 .net
>>941
金印を送ったのは魏じゃないの?
そして、魏だてぶっちぎりで他の2国に比べて国力たかかったんでしょ?
でもさ、たしかに匈奴や高句麗が魏の後ろにいるのは怖いよ
でも日本をとれば少なくとも高句麗は挟み撃ちにできる
これは今の知識だからそう思えるだけ?

983:日本@名無史さん
21/06/28 04:38:51.93 .net
あの時代に女王っておかしい気がするんですよね

984:日本@名無史さん
21/06/28 06:54:14.52 .net
>>943
気がする理由は?

985:日本@名無史さん
21/06/28 06:57:27.77 .net
>>940
>いや流石に分かるでしょw
じゃあヒト種にも理解できるよう解説してくれ

986:日本@名無史さん
21/06/28 07:04:43.86 .net
>>944
女性を養うのが男性だという概念があるからです
世界の歴史を見ても女性がトップになるって少数だと思います
内乱があり荒れてた時に卑弥呼を擁立して国を治めたってのはちょっと暴論の気がして
大抵は権力者の奥さんが次の権力者の繋ぎとしてなるパターンが多いと思うのですが
変な話、畿内説が正しいのであればこの国の初代天皇にあたる人物は卑弥呼って事ですよね?

987:日本@名無史さん
21/06/28 07:06:01.78 .net
>>945
分からないんだったら答えなくてもいいですよ
分かる人だけ答えてくれれば
個人宛の質問ではないので無視してください

988:日本@名無史さん
21/06/28 07:41:14.54 .net
天皇は中央集権になるころから

989:日本@名無史さん
21/06/28 07:57:41.17 .net
>>947
誰にもわからない異常な日本語で書いてあるから
誰にも理解できない
返答は来ないよ
自作自演以外

990:日本@名無史さん
21/06/28 07:58:09.81 .net
壱与は卑弥呼の宗女、一族の子だった
当時は集落を構成していた親族集団が生活の基盤
家族の概念が現在とは違う
母系社会で婚姻も通い婚
生まれた子供は母親の一族が責任をもって育てる
ただ魏志倭人伝には倭地の婚姻の状況について一人の夫に四、五人の妻がいる旨記録されている
これは戦乱のため適齢期の男性が不足していた当時の人口バランスを調整するためのものだったのだと思う

991:日本@名無史さん
21/06/28 08:09:29.00 .net
卑弥呼は畿内に居なかったという史実がどーしても認められず捏造と妄想を繰り返すだけの畿内説あわれ

992:日本@名無史さん
21/06/28 08:59:57.27 .net
>>944
>女性を養うのが男性だという概念があるからです
どこに?

993:日本@名無史さん
21/06/28 09:41:08.98 .net
>>946
シバの女王は?クレオパトラもいるな

994:日本@名無史さん
21/06/28 11:27:42.04 .net
>>946
あなたが言うように女性がトップになるのに特別な場合。
で、その特別な場合とは、あなたが言うように「内乱があり荒れてた時」だから。
>変な話、畿内説が正しいのであればこの国の初代天皇にあたる人物は卑弥呼
その前に男の王がいたって書いてあるでしょ。
卑弥呼は魏に朝貢したのであって、なんで=初代天皇になるのだ?

995:日本@名無史さん
21/06/28 12:18:59.39 .net
>>954
歴史学者に賛同者ゼロの説
(記紀の天皇とかにアテハメごっこ)
を大前提にする人の気が知れない

996:日本@名無史さん
21/06/28 12:43:28.80 .net
機械仕掛けのように畿内説を否定する人は
実は魏志倭人伝を読んでいなかった
それどころか歴史一般についても呆れるほどの無知
これで、
日本人が劣化したように受け取る向きもあるかもしれないが
そうではない
一昔であればそういう人物と対話する機会が無かったというだけ
しっかりした日本人は沢山いるので安心してほしい

997:日本@名無史さん
21/06/28 12:49:23.03 .net
九州説のやってる事は歴史学でも何でもなくて
ただひたすら畿内説を憎んで妨害しているだけ

998:日本@名無史さん
21/06/28 12:54:25.99 .net
九州説は説じゃなくて宗教
憎い相手に呪いの文句を吐きながら踊り狂ってればそのうち超自然的な力が働いて思い通りになると言う
原始的な部族社会によく見られるシャーマニズム文化の一種

999:日本@名無史さん
21/06/28 12:56:37.43 .net
>>954
日本書紀の神武東征でも途中の国々に女王がいたことが書かれてあるし
日本では普通のこと
中国ではトップが女なのは珍しいため理由付けしたんでしょ
邪馬台国では卑弥呼の後もまた女王

1000:日本@名無史さん
21/06/28 12:57:48.00 .net
理系はおろか文系にすら成れない畿内説は妄想で歴史を捏造する反日民族の同種だ
URLリンク(i.imgur.com)
■魏志倭人伝は様々な記録の継ぎはぎで構成されている
同じ内容で使われる文字が変化したり、奴国の紹介が重複していたり、距離が里から日に変わるなど、
魏志倭人伝は過去の記録を引用しつつ、新たに得た情報を大雑把に追記する形式で構成されている
■中国側での過去からの伝承記録を書き写した部分
・帯方郡(ソウル)から南→東と海岸沿いに水行し狗邪韓国(釜山)までの距離が約7000里
・対馬→壱岐→北部九州上陸までの合計が約3000里
・上陸してから伊都国までが陸行およそ500里
・奴国、不彌国までがそれぞれ約100里
・陳寿は過去の記録をもとに帯方郡から女王の都までの総距離を合計約12000里と見積もった
■卑弥呼時代に朝貢に来た倭人による行程説明を追記した部分(日数表記の記録)
@帯方郡から(記載漏れまたは陳寿の勘違い)
A南に船で20日→投馬国(のちの任那)
B南に船で10日→邪馬台国(北部九州=女王国)上陸
C客人は伊都国に駐留し、女王国の入国許可を待つ
D客人が手紙で女王に入国許可を申請する
E許可が出たら女王の護衛が客人を迎えに来る
F迎えに来た護衛とともに女王の都へ
■考えられること
・陳寿は倭に関する古い情報と新しい情報の関連性がよく理解できていなかった
・倭人が説明した船で移動する行程を中国は「水行」と記録していた
・倭人は対馬海峡を挟んで半島側を投馬国と呼び、北部九州側を邪馬壹(臺)国と呼んでいた
・倭人は距離単位の「里」を知らず「日」を使って距離を表現していた(隋書倭国伝に記載あり)
・陸行一月とは、九州上陸から女王の都に到着するまで(C〜F)に一か月を要するという意味である

1001:日本@名無史さん
21/06/28 12:59:05.70 .net
シャーマンの一例
URLリンク(stat.ameba.jp)

1002:日本@名無史さん
21/06/28 13:10:17.02 .net
日本人にとっては当たり前すぎることで世界的に見ると極めて珍しいことは
畳の文化
高温多湿の気候風土に適応した知恵
これが今回のコロナ禍でも一定の有効性を示していると思う
室内で靴を脱ぐのが当たり前なのは、現代の日本でも変わらない
卑弥呼の時代はどうだったのか
卑弥呼が居住していた空間は高床式の板張りの床だったろう
眠るときは、畳の先祖とも言うべき数枚重ねた筵に横たわり布を重ねていたただろう
箱のような寝台を使ったかもしれない
重要なのは居住部分は土間ではなかったこと
一段高い居室に靴を脱いで過ごしていた筈だ
当時の普通の人々は竪穴式住居住居で、藁のようなものを敷いて寝ていたのだろう
ベッドが日本であまり普及しなかったのは
この靴を脱ぐ習慣の形成に役立った
中国ではベッドを使うために室内でも靴を履いたまま
寝る時に足を洗ったりする


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