華族についてpart12 at HISTORY
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950:日本@名無史さん
21/02/03 20:14:25.44 .net
摂政さま

951:日本@名無史さん
21/02/03 20:20:32.86 .net
そんな摂政な

952:日本@名無史さん
21/02/03 20:21:29.85 .net
まあ「摂政殿下」あたりではないか

953:日本@名無史さん
21/02/03 20:54:22.54 .net
>>931
今の特にマスコミとかの状況を見ると有り得そう
昭和天皇ご逝去とか言ってるからな

954:日本@名無史さん
21/02/03 22:21:11.18 .net
崩御
薨御
薨去

955:日本@名無史さん
21/02/04 08:57:14.13 .net
皇室の話題に乗っかってしまうけど
今の皇族は昔の臣籍降下みたいな制度あるの?
例えば三笠宮家のような傍系に男子がいたらその子孫まで永世皇族なの?

956:日本@名無史さん
21/02/04 10:28:31.83 .net
>>936 どうぞ
URLリンク(elaws.e-gov.go.jp)

957:日本@名無史さん
21/02/04 10:58:13.33 .net
>>937
ありがとう

958:日本@名無史さん
21/02/04 14:03:40.95 .net
戦後、「王」が未だかつて存在したことがない

959:日本@名無史さん
21/02/04 14:32:08.51 .net
終戦から現憲法施行までは旧皇族の王はいたぞ。

960:日本@名無史さん
21/02/04 16:14:46.52 .net
終戦直後の大命降下で内閣総理大臣になったのは稔彦王だったな。

961:日本@名無史さん
21/02/04 16:17:31.26 .net
>>940
45年から47年までか

962:日本@名無史さん
21/02/04 16:32:15.65 .net
稔彦王が首相になったのは戦後の混乱期とはいえ異常事態だな
平時だったら違法っていうか皇族が首相なんてあり得ないこと

963:日本@名無史さん
21/02/04 16:38:11.82 .net
いくらバカでもスレタイくらいは読もうね

964:日本@名無史さん
21/02/04 17:04:12.99 .net
近衛が政権を投げ出した後、後継首班として東久邇宮が候補に上がった
宮は陸軍大将でもあり海軍と陸軍双方反対のない人選だった画家木戸幸一がそれを潰し東條英機を首相に押し込んだ
東久邇宮が皇族の威光を持って国内陸海軍を抑えて対米交渉妥結に向け思い切った政策転換を行えば対英米戦は回避できたかもしれない

965:日本@名無史さん
21/02/04 19:35:57.59 .net
木戸幸一が、東条たちは華族になりたくて戦争に熱心になったという話をしていたらしいけど、
アメリカとの戦争を回避すれば、その功績をたたえて華族にすると耳打ちすれば、回避のため
にもっと力を尽くしたんだろうか。

966:日本@名無史さん
21/02/04 20:00:48.84 .net
どうでも良いけど木戸一族めちゃエリート一家だな、爵位無しの一族も含めて維新組は教育熱心な家庭多いわ

967:日本@名無史さん
21/02/04 21:05:40.76 .net
珍田伯のような有能な人はもっと知られて良い。
あまりに影が薄すぎる。

968:日本@名無史さん
21/02/04 23:00:20.71 .net
>>948
日本語より英語が上手い人

969:日本@名無史さん
21/02/05 02:04:45.45 .net
平沼騏一郎と織田小覚(織田有楽斎の子孫)って親交あったんか

970:日本@名無史さん
21/02/05 08:34:04.85 .net
>>947
原田熊男男爵に家柄で大臣になったが普通なら局長止まりの人間と評された木戸幸一
宮中グループは政敵から君側の奸と言われたりしてたがとんでもない 木戸の頭には天皇ありて日本なし 天皇さえ守れれば日本国民などどうでも良かった
木戸の東條の起用の意図は日米開戦とそれに伴う必然としての敗戦を見越し敗戦時に全責任を追っかぶせる生贄の役目だった 東久邇宮首相で和平を追及するのは成功の算が低い
であればもう敗戦前提で皇室護持で動いた方がいい
300万の犠牲も皇室が護持できたのであるから安いものでありついでに軍部も一掃できた
木戸は完全に勝利した 局長止まりなどとんでもない 悪魔的存在だよ木戸は

971:日本@名無史さん
21/02/05 10:41:35.30 .net
原田熊雄の夫人は岩国吉川家出身だけど
縁談が舞い込んで来た時にウチのような成り上がりの家とは身分が違うと言って最初は断ったらしい
やはり明治大正期になっても江戸時代の身分を引きずる面も残ってたんだな

972:日本@名無史さん
21/02/05 11:03:55.45 .net
>>952
家柄的には旗本と支藩の大名だからそこまで不釣り合いにも見えんけどね。普通にあり得る組み合わせ。

973:日本@名無史さん
21/02/05 12:06:10.28 .net
原田家は元々旗本ではなく岡山藩士

974:日本@名無史さん
21/02/05 12:21:20.78 .net
>>953
支藩とはいえ吉川氏は6万石治める家柄だったからな。
旗本といってもピンキリだし一概に言えない。

975:日本@名無史さん
21/02/05 17:08:05.99 .net
>>953
いや普通にあり得る組み合わせ。では無い

976:日本@名無史さん
21/02/05 19:42:07.85 .net
>>948
子供の名前が独特

977:日本@名無史さん
21/02/05 20:37:42.67 .net
興味深かったので調べてみた
羽柴駿河守廣家 宇喜多和泉守直家女
吉川内藏助廣正 長門中納言輝元(本家、大名)女
吉川監物廣嘉 鷲尾大納言隆量(堂上)女
吉川内藏助廣紀 石川八郎左衞門義當(寄合)女
吉川勝之助廣逵 栗原忠


978:ヌ(陪臣)女 吉川左京經永 中條大和守信實(高家)女 吉川吉五郎經倫 一柳土佐守末榮(大名)女 吉川和三郎經忠 織田出雲守信憑(大名)女 吉川ェ三郎經賢 なし 吉川監物經禮 木下主計頭俊懋(大名)女、毛利石見守就友(一門、大名)女 吉川尚五郎經章 長井元簡(陪臣)女 吉川駿河守經幹 木下備中守利愛(大名)女 吉川駿河守經健 毛利讚岐守元純(一門、大名)女、堤右兵衞佐功長(堂上、子爵)女、加藤遠江守泰秋女、千家尊澄(出雲國造)女



979:日本@名無史さん
21/02/05 23:20:08.41 .net
>>958
当主と妻の家柄か?
吉川家は藤原南家(女系)で血筋では毛利元就の男系子孫だから、
江戸時代はともかく、長州藩閥が幅をきかせる明治時代では爵位以上の家格があったんじゃないのか?

980:日本@名無史さん
21/02/06 03:56:39.89 .net
何言ってんだこいつ

981:日本@名無史さん
21/02/06 08:45:58.75 .net
>>959
毛利の男系子孫だからって爵位以上の家格になるなどあり得ない
大名では実際の血統より家の存続の方が大事だから誰から養子迎えてようがそんなの家柄に関係ない

982:日本@名無史さん
21/02/06 08:51:51.97 .net
>>952
旧大名家のお姫様なんて面倒くさそうだから身分違いを盾に程よく断りたかったんじゃないのか
元の身分と言う形式的なこと以上に公家、武家、勲功、財閥、軍人などでは家庭環境が全然違っていて、いい悪いじゃなく正月の儀式だのから箸の上げ下ろしまで違う
その埒を越えて嫁入りした人は面食らうことばかりと言う回顧を見る
嫁ができた人なら適応するだろうが、そうじゃなければ厄介ごとの臭いがぷんぷんする

983:日本@名無史さん
21/02/06 09:41:05.28 .net
皇族の臣籍降下、名字は深く考えず付けたような平凡な感じに思うけど
実はみんな宮家由来の由緒ある土地の名前だったりするんだよな

984:日本@名無史さん
21/02/06 09:41:42.66 .net
原田熊雄の母親は商人のしかもドイツ人との混血児だし、吉川の分家とはいえ身分、育ちが違いすぎるのは確か
ただ吉川重吉はハーバード出身で華族の中では有能な人物で、原田の嫁もイギリスへ留学した才媛だろ
吉川の兄弟たちは美男美女揃いて妹たちも木戸一族や松方家に嫁いでいる
父親を早くに失い、縁戚の援助もそれほどなかった原田にとっては良縁だったんじゃない

985:日本@名無史さん
21/02/06 09:51:55.45 .net
薩長土肥って言うけど
旧藩主家で目立つのは島津と鍋島ぐらい
毛利や山内なんて空気

986:日本@名無史さん
21/02/06 10:05:13.70 .net
藩主家なんて大概国立銀行の筆頭株主なんかをやってたりして配当の年利だけで暮らしていけるレベルなんだから明治期に表立って目立とうと思わんよ。
男爵からあぶれた一門は出世に必死だろうけどね

987:日本@名無史さん
21/02/06 10:53:12.69 .net
堂上家は華族として残しておくべきだった
皇室の藩屏がないと、皇族が直接一般国民に晒されてしまうリスクがある
堂上家が藩屏としてお守りすべき

988:日本@名無史さん
21/02/06 11:08:14.35 .net
戦前も学習院で皇族の実態を知って、共産主義に走った華族がいたねえ

989:日本@名無史さん
21/02/06 11:33:30.54 .net
>>967
昭和天皇が残そうとしたけど残せなかった。

990:日本@名無史さん
21/02/06 11:43:27.08 .net
>>964
再婚同士とは言え獅子文六が原田熊雄の相婿と言うのは戦後ならではだろう
勧める白州正子もどうかと思うが

991:日本@名無史さん
21/02/06 11:52:40.70 .net
>>963 藤原一族も源氏もほとんど地名だしな 乱暴に言えば日本は地名を名字にし欧米は人名を地名にする



993:日本@名無史さん
21/02/06 12:27:21.01 .net
日本最大の財閥と言われた三井家と戦前の皇室ではどちらが資産多かったのだろうか

994:日本@名無史さん
21/02/06 12:51:50.67 .net
>>972
皇室。

995:日本@名無史さん
21/02/06 14:20:32.00 .net
同じ爵位でも、幕末や明治に勲功で成り上がった家と大名や公家出身では重みが全然違うだろw

996:日本@名無史さん
21/02/06 15:41:09.46 .net
華族制度がなくなった戦後ですら結婚するときは親の家柄学歴職業とか気にしてたくらいだから
あの当時の華族が血筋や家系を気にしないはずがないだろ

997:日本@名無史さん
21/02/06 15:55:48.89 .net
逆に華族側が政界とのコネを持ちたいが為に有力な衆院議員と政略結婚なんかもあったんだろうな

998:日本@名無史さん
21/02/06 16:03:56.87 .net
中級以下の貴族が金持ちとつるむのは秦大津父以来の伝統

999:日本@名無史さん
21/02/06 16:15:02.57 .net
華麗なる一族の主人公万俵大介の妻が落ちぶれた嵯峨子爵家出身だったな。
万俵家は華族の娘を嫁にもらい一族の家格を上げるのと、
嵯峨家は万俵家に資金援助してもらうを期待した。

1000:日本@名無史さん
21/02/06 16:41:40.39 .net
>>973
財閥家より多かったのか凄いな
当時は世界で最も裕福は君主だったと言われてたのは間違いじゃなかったんだな

1001:日本@名無史さん
21/02/06 16:45:35.83 .net
>>978
史実でもそんな話ゴロゴロあるね。
岩崎家や三井家なんかの系譜みると見事に名門華族が縁続きになってる。

1002:日本@名無史さん
21/02/06 16:51:16.80 .net
貧乏華族が財界人にすり寄るんだろ

1003:日本@名無史さん
21/02/06 16:55:49.81 .net
最初は、長男の嫁ではなく、二男三男の嫁・娘あたりからそういう家との閨閥が出来始める。その後、しばらくすると、もう親族の一員なので、その縁者どうしの結婚という体で、長男の嫁にする場合が出てくる。

1004:日本@名無史さん
21/02/06 17:01:33.85 .net
知行1万石クラスの男爵も自己破産して家財を差し押さえられたりしてるとこはわりとあるけどな
男爵なんて士族に毛が生えたようなもんよ

1005:日本@名無史さん
21/02/06 17:11:20.81 .net
このスレの最初にも出てたけど
華族の中でも伯爵でちょうど壁が出来ている
侯爵と伯爵の間には高い壁があって
酒井美意子によると子爵以下は論外という扱い
公爵家が結婚の際に認める最低ラインが伯爵

1006:日本@名無史さん
21/02/06 17:17:31.06 .net
公爵>> 絶壁 >>侯爵>>> 超えられない壁 >>>伯爵>>> 壁 >>>子爵>>>男爵

1007:日本@名無史さん
21/02/06 17:26:50.14 .net
>>984
美家子の実家の家臣一族(男爵)が自己破産した時にその尻拭いをしたからな。
URLリンク(kanagawa-u.repo.nii.ac.jp)
子爵以下ら努力もしないクズを掴むリスクがあると言う認識なんだろう。

1008:日本@名無史さん
21/02/06 17:54:22.20 .net
>>984
自分の父ちゃんが侯爵とは言え元は子爵家出身なのにずいぶんだな
実際婚姻の条件を伯爵以上などと縛ると条件の合う相手が居なくなる恐れがあり名家の連枝なら良しとするとか妥協しないとならん
嫡子の正妻は流石に気にしても、ともかく二番目以降や娘の嫁ぎ先などは適当にしておかないと贅沢言ってたら片付かん

1009:日本@名無史さん
21/02/06 18:04:10.97 .net
>>986
確率的には十数家しかない公爵の方に問題発生が多いように思える
岩倉、二条、西園寺など

1010:日本@名無史さん
21/02/06 18:16:44.86 .net
>>986
八家でも叩き上げの三家(本多、長、横山)は明治以降も成功してんだな

1011:日本@名無史さん
21/02/06 18:26:10.96 .net
>>984
近衛文麿が毛利子爵の娘と結婚しようとした時
近衛家側がせめて伯爵家だったら…最初難色を示したらしいな

1012:日本@名無史さん
21/02/06 18:41:15.43 .net
徳川家達「配偶は家柄が対等でなければ断じて迎えず」
この言葉の通り五摂家最高の名門近衞忠房の娘と結婚。

1013:日本@名無史さん
21/02/06 19:59:54.29 .net
家達の夫人を近衛家から迎えたのは天璋院の意向だが

1014:日本@名無史さん
21/02/06 20:04:58.09 .net
家達の孫の家英は山本権兵衛の孫娘と付き合っていたけど、家柄が違うと大反対されていたらしい
そのまま若死にしてしまったが

1015:日本@名無史さん
21/02/06 20:22:41.99 .net
>>991
徳川なんて母系は馬の骨だらけなのによく言うなw

1016:日本@名無史さん
21/02/06 20:26:33.88 .net
家柄である程度融通が利く庶家の士族の方が続きやすいのはこの理由か

1017:日本@名無史さん
21/02/06 20:39:59.70 .net
武家も公家も母親が正妻な方が珍しいくらいだがその辺は気にしても仕方ない
これは他国も似たようなものでオスマントルコなど皇帝の母は大抵奴隷だ

1018:日本@名無史さん
21/02/06 21:26:42.05 .net
表向きは正妻が母親
妾は死ぬまで使用人扱いだからな

1019:日本@名無史さん
21/02/06 21:33:40.59 .net
今風にいうと産む機械

1020:日本@名無史さん
21/02/06 21:39:15.18 .net
華族についてpart13
スレリンク(history板)

1021:日本@名無史さん
21/02/06 21:44:46.66 .net
ヨーロッパだと庶出子は継承権ないのが普通

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