華族についてpart12 ..
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84:日本@名無史さん
21/01/04 11:40:36.45 .net
平成の初めころには霞会館とか堂上会には
元爵位持ちけっこういただろうな。なんかのドキュメンタリー番組で
西園寺公望の秘書のなんとか元男爵(名前忘れた・団地住まい)が
インタビューに答えていたのをうっすら覚えてる。

85:日本@名無史さん
21/01/04 11:56:30.27 .net
>>83
原田熊雄の子孫?

86:日本@名無史さん
21/01/04 15:47:51.36 .net
華族制度が廃止されて10年以上も経った頃でも名刺の肩書に「伯爵」と印字されてる部分をペンで2本線引いて消したものを渡して自己紹介する元伯爵がいて、
戦前にさぞかしたくさん名刺をお作りになってたんでしょうねw とひそひそ笑われたってエピソードどっかで読んだの思い出した

87:日本@名無史さん
21/01/04 17:34:22.05 .net
>>84
原田男爵の「息子」だったかもしれん。

88:日本@名無史さん
21/01/04 19:26:37.14 .net
一口に勲功華族と言っても
大名並みの石高を誇った大藩の家老や名門に連なる家系出身と
本当に一から身を興した農民や下級武士と色々いるな

89:日本@名無史さん
21/01/04 21:09:02.73 .net
交代寄合・高家と万石以上陪臣はいくつかの叙爵案で男爵に叙せられるべき候補とされているのでその辺りまでが家柄華族に准ずる層と言える
実際には家計事情(華族の体面を維持できるか否か)が重視された為に高家で華族に列したのは(大澤を除けば)皆無で
万石以上陪臣でも華族に列していない家もある

90:日本@名無史さん
21/01/05 00:21:39.34 .net
>>87
下手したら出自があやふやな大名よりれっきとした血筋の勲功華族とかいそう。

91:日本@名無史さん
21/01/05 00:31:02.64 .net
>>89
大名系の公爵で出自がはっきりしてるのは毛利家くらいじゃないのか?
(公家や勲功華族を除く)

92:日本@名無史さん
21/01/05 03:01:35.96 .net
>>89
松平正直とかはそれに近いな

93:日本@名無史さん
21/01/05 12:56:20.98 .net
大久保春野も古い宮司家出身

94:日本@名無史さん
21/01/06 09:10:13.79 .net
公爵徳川慶光陸軍二等兵・・・。
征夷大将軍の嫡孫で公爵閣下なのに足軽とは。

95:日本@名無史さん
21/01/06 11:29:15.84 .net
大名華族で一番の富豪は前田侯爵家だろうか?

96:日本@名無史さん
21/01/06 12:21:49.19 .net
>>93
どういう事情でこんな事になったんだろう
華族以前に東大大卒だから普通に幹候に行けたと思うんだが
どういう事情なんだろうか
丸山真男のような自分で二等兵を望んだ話なのか或いは松前重義のように懲罰嫌がらせで招集されたのか
宮中席次が総司令官より上の二等兵とか面倒にも程があるしこんなひ弱な人を何度も招集しなきゃならない程逼迫していたとも思えないのだが

97:日本@名無史さん
21/01/06 12:29:40.19 .net
松前藩の殿様(子爵)も二等兵で応召、戦死。

98:日本@名無史さん
21/01/06 13:07:25.26 .net
>>94
島津家じゃね?

99:日本@名無史さん
21/01/06 13:10:46.94 .net
松平一郎は近衛歩兵第一連隊で少尉

100:日本@名無史さん
21/01/06 13:52:16.28 .net
>>93
ほぼ同時期に招集された公爵嫡男の近衛文隆は幹候から中尉になってる
慶光は東大と言っても学習院枠で頭の出来は旧制高校→帝大とは比べるべくもないにせよ東大は東大だし幹候試験を受けたらいくらでも下駄は履かせられただろう
数多いる親族のお偉いさんたちはなんとかしてやろうとか思わなかったんだろうか 
本人に信念があって二等兵とも思えない そんな信念があるなら宗秩寮の言うように家族たるもの陸士か海兵に進んでるだろう

101:日本@名無史さん
21/01/06 15:15:16.82 .net
宮中席次では大勲位が一番なんだよな
勲一等旭日桐花大綬章が公爵や従一位より上になるのは驚いた

102:日本@名無史さん
21/01/06 15:20:01.93 .net
URLリンク(upload.wikimedia.org)

103:日本@名無史さん
21/01/06 15:45:21.42 .net
>>101
こんなに沢山の勲章貰ってたんだな。

104:日本@名無史さん
21/01/06 17:05:03.54 .net
後の大勲位である中曽根少佐も議会ペーぺーの頃は国会で保科や源田と会ったときは敬礼とかしてたのかなあ

105:日本@名無史さん
21/01/06 19:37:38.07 .net
何言ってんだ?

106:日本@名無史さん
21/01/06 22:15:03.57 .net
慶光は母が有栖川宮の王女で姉が高松宮妃
それなのに三回応召してる
病気で戦地の野戦病院に入院してたときに軍司令官が高松宮妃の弟が入院してると聞いて見舞いに駆けつけた
終戦時、貴族院議員陸軍上等兵正四位勳四等公爵

107:日本@名無史さん
21/01/06 23:22:44.69 .net
徳川一門の中で一番裕福なのは尾張家らしい

108:日本@名無史さん
21/01/07 08:35:56.56 .net
>>106
数万石クラスの国持大名に匹敵する家臣を何人も抱えれるのはここと加賀くらいでしょ

109:日本@名無史さん
21/01/07 08:53:33.15 .net
>>105
これほど高貴な身分でも二等兵で前線に行ってるという徴兵制の公平さのアピールってわけでもないんだよね 陸軍も別に広報してないし
御家乗っ取りの陰謀で当主を死地に追いやるという事でもないだろうし
全くの自然体でこんなのあるのか
軍は内地で何してたか兵の身上は完全に把握しているからこんなド派手な身分は分かっていたと思うが扱いに困ったんじゃないか シャバで先生だろうと社長だろうと関係ないというのが軍とはいえあまりにも身分が高すぎる

110:日本@名無史さん
21/01/07 10:33:32.07 .net
将軍の孫が二等兵でけっこう病弱、公卿清華家の醍醐侯爵は海軍軍人として
司令官を歴任して最終階級は海軍中将、最期は銃殺刑死・・・。逆やん。

111:日本@名無史さん
21/01/07 10:40:04.92 .net
>>107
スレチになっちゃうけど現在の話ね

112:日本@名無史さん
21/01/07 10:51:35.21 .net
>>108
徴兵で身分が考慮されてたのなんて明治まで
昭和になると華族の子弟だろうと一般と変わらない待遇を受ける
良くも悪くも「平等主義」が徹底されてた

113:日本@名無史さん
21/01/07 11:19:45.35 .net
大正から昭和初期にかけて大名華族が伝来の書画骨董をまとめてセリにかける売立会がブームになった
それまでも手元不如意のたび外聞を気にして出入りの業者に相対で細々売っていたのがまとめてオークションにした方が高値がつくしまとまった金になる もはや体面より金である
有難いことに日露から第一次大戦と戦争成金が激増しており買い手には事欠かない
本当に裕福ならガラクタの蔵払いならともかく家伝の秘宝を売る必要はないわけで大名華族の困窮度合いが伺える 伊達 佐竹 池田 水戸紀伊尾張徳川家など錚々たる家が骨董のオークションである
その中で流石富豪の尾州徳川家の売り立て目的は違って美術館建設の資金集めとのことで二流品中心だったというがそれでも雪舟定家利休など博物館レベルてんこ盛り ちょっと大名家でも図抜けた観がある

114:日本@名無史さん
21/01/07 11:55:32.98 .net
>>111
平等なのはそれはわかるんだよ
でも実際のところ慶光のような例はほとんど見られない
彼が徴兵された1940年当時は30歳未満が追加招集対象らしいが これらの年代の華族達は職業軍人以外では徴兵されてないか徴兵されたものは大抵幹候で士官になっている 
華族だから学歴は学習院から大学ではみな幹候受験の資格はある 近衛文麿の息子や慶光の義弟の榊原子爵のように士官となる
むしろ慶光の公爵にして二等兵というのが余りにも珍しい事例だから現在まで語られる逸話になってるんだと思うんだよ

115:日本@名無史さん
21/01/07 12:09:40.13 .net
華族制度なくなってよかったなあ

116:日本@名無史さん
21/01/07 13:06:02.17 .net
有馬頼義も中々だと思う。
久留米藩主家の有馬頼寧伯爵の息子で母親は北白川宮家の皇族出身。
陸軍に召集されてソ連と満洲国境に近い極寒零下30度の最前線に送り出されて3年も勤務し古参の上等兵で退役した。

117:日本@名無史さん
21/01/07 13:35:31.65 .net
吉田茂や三島由紀夫は平民なのに学習院
三島は祖母が大名に連なる家系だからまだ分かるけど吉田は謎
平民が学習院に入るには華族の紹介が必要らしいけど誰に紹介してもらったのか

118:日本@名無史さん
21/01/07 14:12:00.60 .net
>>94
1916年の時点では
推定資産1500万円で島津公爵家と前田侯爵家が大名華族トップ
次に1000万円以上1500万円未満が紀州徳川侯爵家、毛利公爵家、松平侯爵家
更に100万円以上500万円未満が徳川公爵家

119:日本@名無史さん
21/01/07 17:05:18.04 .net
>>117
この中に宇和島伊達家や佐賀鍋島家が入って無いのは意外だわ、鍋島家とか参議院議員も居たのに。

120:日本@名無史さん
21/01/07 18:10:23.20 .net
大正時代の話に参議院議員とか言ってるアホ

121:日本@名無史さん
21/01/07 18:36:04.24 .net
終戦時の宮中録音盤事件で尾張徳川家の血を引き男爵家嫡男の
徳川義寛侍従(のちの侍従長)がいち軍曹に殴られてぶっ倒れるって
エピソードあったな。殿様の子が足軽組頭に殴られるようなものか。
江戸時代ならお手打ちかな。

122:日本@名無史さん
21/01/07 20:33:55.02 .net
徳川家達はイギリスのイートン校に留学したとなってるが
実際は下宿して個人の私塾に通ってたらしい

123:日本@名無史さん
21/01/07 22:47:30.94 .net
>>117
徳川宗家って特別資産が多かった訳じゃ無いんだな。

124:日本@名無史さん
21/01/07 22:56:28.19 .net
江戸城にあった重宝はほとんど接収されて駿府に追い出されたから

125:日本@名無史さん
21/01/07 23:27:45.41 .net
現在も徳川記念財団は徳川美術館と比較して所蔵品も格段に落ちるしね

126:日本@名無史さん
21/01/07 23:34:00.34 .net
>>107
万石以上の家老が10家ぐらいいて、明治にそれらがほとんど男爵になってるからなぁ
維新に乗り遅れた割りには華族多い旧加賀藩

127:日本@名無史さん
21/01/07 23:45:25.41 .net
>>88
交代寄合・高家旗本は家柄からいって男爵にすべきだった
貧乏な奈良華族ですら男爵になってるのに

128:日本@名無史さん
21/01/08 10:02:47.16 .net
>>116
土佐閥の誰かじゃないのかな
実父も養父も後藤象二郎にはずいぶん面倒掛けられたから後藤伯あたりが押し込んだとか

129:日本@名無史さん
21/01/08 10:52:56.75 .net
徳川家正は徳川公爵家の嫡男の割には外交官として余り出世しなかったな。
外務省でもずっと非主流のハズレコースだし。

130:日本@名無史さん
21/01/08 11:06:06.09 .net
爵位って当主が死んだら自動的に後継に相続される訳ではなく
嗣子が襲爵手続きを取って初めて爵位を相続出来るらしいから家督と爵位は不可分では無かったということか
それに襲爵手続き期間は2年か3年でその期間内に手続きしなければ爵位は喪失することになる

131:日本@名無史さん
21/01/08 11:10:45.92 .net
>>126
今川従五位さんとかホントかわいそう。
八幡太郎義家の血脈で江戸幕府内でも高家として
官職位なら大名にも引けを取らないのに。

132:日本@名無史さん
21/01/08 13:08:40.26 .net
上杉家は吉良上野介の男系子孫

133:日本@名無史さん
21/01/08 16:30:01.45 .net
御所が絶えれば吉良が継ぎ
吉良が絶えれば今川が継ぐ

134:日本@名無史さん
21/01/08 16:36:00.08 .net
新田、斯波は足利以上の氏族勢力誇っていたし
細川は足利の家臣な家柄だからな

135:日本@名無史さん
21/01/08 19:32:25.40 .net
>>128
だって学習院から帝大だもの
典型的なお華族様外交官

136:日本@名無史さん
21/01/09 00:20:25.78 .net
逆に大名華族で外交官で出世した例があまり無い気がする
華族出身者は何かと風当たりも強かったらしいし

137:日本@名無史さん
21/01/09 07:45:40.61 .net
>>133


138:日本@名無史さん
21/01/09 09:03:54.31 .net
次の日銀券は渋沢子爵、北里男爵と華族は2名
現行とその前は福沢、野口、樋口、漱石、新戸部と皆平民
さらにその前は伊藤公、岩倉公、高橋子爵、板垣伯と皆華族
貴族制度がある或いはあった国の紙幣の貴族率と比べてみるのも一興

139:日本@名無史さん
21/01/09 10:51:10.87 .net
華族の子弟ってなんか当たり前のようにオックスブリッジに留学してるな
アメリカに行く人もいるがイギリスの方がかなり多い

140:日本@名無史さん
21/01/09 11:39:28.49 .net
今も華族制度があったら、どんどん人数が増えててたいへんな事になってたんだろうね
イギリスみたいに一代華族制度とか作ってたかな?

141:日本@名無史さん
21/01/09 12:10:42.09 .net
武家氏族
将軍となれる家柄

142:日本@名無史さん
21/01/09 12:12:46.64 .net
てより意味が分からないっての最初から分からないんだろうから絡むのやめてくれるかい

143:日本@名無史さん
21/01/09 12:19:59.39 .net
今も華族制度があったら
・オリンピック金メダルで男爵、2大会連続金メダルなら子爵
・ノーベル賞で男爵
・総理大臣になったら子爵
・皇女と結婚したら伯爵
みたいな?

144:日本@名無史さん
21/01/09 12:20:10.72 .net
>>140
そんなもの無い

145:日本@名無史さん
21/01/09 12:21:38.68 .net
侯爵と伯爵の間には変えられない壁がある

146:日本@名無史さん
21/01/09 12:26:42.66 .net
小村寿太郎は壁を易々と越えたな

147:日本@名無史さん
21/01/09 12:36:59.55 .net
皇族の次男が侯爵で三男以下が伯爵

148:日本@名無史さん
21/01/09 12:42:36.44 .net
あるよ

149:日本@名無史さん
21/01/09 12:46:10.70 .net
平家には初めから将軍なれる資格すらないけど源氏のみがなれる家柄だ
源氏は東国で古代に戦闘指揮を執ったときに将軍府を設立した東国氏族を中心とした日本全国の武家の指揮権を執る家柄のこと

150:日本@名無史さん
21/01/09 12:47:18.41 .net
源平藤橘から帰化氏族にいたるまでその軍門で活動しなければならない

151:日本@名無史さん
21/01/09 12:49:04.61 .net
ある意味では天皇家から別れたとされる家柄だがそれ以上の実力を持っていた
なんせ日本全国の軍事権を握っていたからな

152:日本@名無史さん
21/01/09 13:59:16.00 .net
貴族院は伯爵以下は互選って事になってるけど
これは出馬しなければ議員にならないよね?

153:日本@名無史さん
21/01/09 14:01:20.45 .net
>>148 >>150
スレチ連投基地外は消えろ

154:日本@名無史さん
21/01/09 14:19:51.87 .net
そもそも日本史板にも未だに将軍は源氏しかなれないなどと思ってる奴がいるとは驚いた。
坂上田村麻呂を始め鎌倉の摂家将軍や親王将軍は無かったことにしてるのか知らないのか。

155:日本@名無史さん
21/01/09 14:21:22.30 .net
>>151
当然です

156:日本@名無史さん
21/01/09 15:14:19.54 .net
氏族としての力によるのこれは🤤

157:日本@名無史さん
21/01/09 15:28:06.82 .net
>>153
古い俗説を更新する能力のない低学歴かおじいちゃんなんだろう

158:日本@名無史さん
21/01/09 15:35:20.81 .net
華族の子女は幼少時に農家などの庶民の家に預けるのが慣習としてあった

159:日本@名無史さん
21/01/09 20:49:40.74 .net
勲功華族は財産が少ないので授爵時に男爵だと一万円
子爵だと二万円、伯爵だと三万貰えるらしい

160:日本@名無史さん
21/01/09 21:05:07.72 .net
>>157
九条の黒姫こと貞明皇后が有名だな。

161:日本@名無史さん
21/01/09 22:42:29.92 .net
>>158
家門永続金ね

162:日本@名無史さん
21/01/09 22:46:30.90 .net
華族に仕える家令や家扶といった家職を置けるのは旧華族だけで新華族は置けなかった
新華族や財閥が雇う場合は家令ではなく執事と言った
地味にこういうところが差別化されてる

163:日本@名無史さん
21/01/10 01:16:58.67 .net
新華族より一万石〜1000石くらいの士族の方が金持ってそう

164:日本@名無史さん
21/01/10 06:08:08.27 .net
旧大身旗本が羽振りが良かったなんて話はさっぱり聞かないけどな。
借金で首が回らず自殺とか旧領民から金借りてトンズラとか、乞食や芸人に落ちぶれた、そこまでじゃなくても縁故の家の居候としてほそぼそと暮らしたなんて逸話ならあるが。
3000石の旗本だった美濃部家は一代で資産をなくして長屋住まいの平巡査、その息子が噺家の5代目志ん生。

165:日本@名無史さん
21/01/10 07:52:06.48 .net
万石以上以下で大差がついたのは、やっぱり華族に対する政府の保護がそれだけ大きかったんだろう。
遊んで暮らせるほどの資産はなくても、馬鹿でも学習院→帝大の学歴は保障されてるから役人にもなれる。当時の官吏と民間の格差は今の公務員どころじゃない。
資産家の娘と結婚して財政を改善するという手もあるし。三井や住友が一条家や鷹司家と縁組、みたいなことはもっと下のレベルでもあったんじゃないか?

166:日本@名無史さん
21/01/10 08:27:10.27 .net
勲功華族は伝来の財産はないが叙爵された当人が大物政治家や大将閣下だから俸給が良いし余禄や人脈も半端ないので叙勲時は金にはそれほど困ってなかったのも結構いると思うな
奈良華族は当人達の生活力が皆無な上頼れる人脈もかつての家臣も居ないから大変だろう 華族は皇室の藩屏というが貧乏かつ頼りなさ過ぎて破れた垣根以下の存在

167:日本@名無史さん
21/01/10 08:45:45.90 .net
>>164
大正時代に貧乏


168:華族が成金と縁組するというのが頻繁して問題視されていたという 戦争景気でのし上がったニューリッチを成金というのもこの頃からで新興富裕層が出てきた時代 金持ちになると次は家柄を飾りたくなるのは世の常でこの需要と赤貧洗うが如しの公家華族とで双方ニーズがマッチングした 最たる例が柳原伯爵のところの白蓮 大正天皇の従姉妹という血筋が石炭鉱夫から成り上がったジジィに嫁ぐという下克上 まあ白蓮当人も経産婦の出戻りではあったが



169:日本@名無史さん
21/01/10 08:59:44.81 .net
一時期のイギリスでは名門貴族とアメリカの大富豪の縁組も多かった。チャーチルの母親もアメリカの富豪出身。
シャーロック・ホームズの「独身の貴族」も、名門貴族と米富豪の娘の縁組に関わる悲喜劇の話だった。

170:日本@名無史さん
21/01/10 09:04:01.55 .net
映画タイタニックのケイトウィンスレットが家柄だけが取り柄の貧乏貴族で新興国アメリカの富豪に嫁に行くという話だった
まあよくある話だが古今東西を問わず現実にも良くある事なのだろう
甲州のドン百姓の倅だった国際興業の小佐野賢治が総州佐倉の殿様の堀田伯爵の娘と結婚したのは有名な話だが戦前からこれに類したケースは多々あった
言ってしまえば戦国から江戸期にかけて地方大名に嫁いだ公家の娘達も同じ系譜と言えるし匈奴に嫁いだ公主達がさらにその祖型とも思える

171:日本@名無史さん
21/01/10 09:11:22.41 .net
家柄華族ならいざとなれば宮内省式部官とか侍従みたいな無能救済所もあったしなw
それすら務まらないやつは余程無能だったんだろう。

172:日本@名無史さん
21/01/10 09:21:52.24 .net
バカは死ね(╹◡╹)

173:日本@名無史さん
21/01/10 10:39:25.97 .net
>>166
「華麗なる一族」でも、中堅財閥の跡取りに公家系華族が娘を嫁入りさせてたな。
ドラマの話だけど

174:日本@名無史さん
21/01/10 10:50:33.55 .net
加藤高明は岩崎家の令嬢と結婚して金には困らず政治活動が容易にできた。
西園寺公望は弟が住友家に婿入りしこちらも住友家が西園寺を生涯支えた。
広田弘毅は加藤高明に岩崎家との縁談を勧められるが欲のないことに固辞。

175:日本@名無史さん
21/01/10 11:06:08.56 .net
三井三菱住友安田など自らも華族である大財閥はどこも公家華族、大名華族と縁戚となっている
石炭や船成金、株成金よりは三井や住友あたりは毛並みは多少マシにせよ三菱や安田は成金と五十歩百歩で家柄華族としては忸怩たるものはあっただろう
これくらいの大財閥となると名誉もあっただろうがどちらかというと実利が大きい 三井や住友が井上馨や西園寺公望などという政界の実力者と縁戚になるのは政商の地位を固める事に他ならない
今から見れば政財癒着以外の何者でもなくしかも当時は遠慮もなくやりたい放題 そりゃあ財閥華族が血盟団の標的になったのも当然と言える

176:日本@名無史さん
21/01/10 11:12:00.52 .net
皇族との結婚は何かと入用なので戦後だけでは無く戦前から皇族との結婚は忌避されていた
それでも戦前は皇族との縁談を断る事はなかなか難しいので泣きを見た家が多々ある
だから金が無駄にかかる皇族との結婚は裕福な大名華族出身者が多かった

177:日本@名無史さん
21/01/10 12:04:48.53 .net
公爵家の娘とかでも、宮家とかだと会うの大変になってしまうからと、愛娘には伯爵家とか格下の家にわざわざ嫁がせたなんて話も聞いたことがある。

178:日本@名無史さん
21/01/10 12:37:16.50 .net
島津や毛利って最初から公爵に叙されることになってたのかな?
維新の功労を無視すると石高では侯爵だよね

179:日本@名無史さん
21/01/10 12:39:49.86 .net
武家由来よりもともとの朝廷由来みたいなのを優先してんじゃねえの?
だいたい華族ってなんだよ?

180:日本@名無史さん
21/01/10 12:40:56.95 .net
従二位だのなんだのもともと仏教由来なんだろ〜があれはもともと神さまの位階を定めたもんなんだよ

181:日本@名無史さん
21/01/10 13:08:07.04 .net
>>176
当然功績を考慮したんじゃないか
宇和島伊達も伯爵から勲功オンで侯爵
仙台伊達家は減封された石高基準で伯爵で猛烈に不満に思ってずいぶんと昇爵運動したそうだが実ることはなかった

182:日本@名無史さん
21/01/10 13:10:55.08 .net
前田家は公爵でもおかしくなかったと思う。
大名諸侯で唯一の百万石の大藩だったのに。

183:日本@名無史さん
21/01/10 14:05:28.91 .net
>>180
前田家は戦国時代に出てきた家だからなあ
毛利家初代は鎌倉幕府の評定衆(鎌倉殿の13人)で北条時頼の義父だし、島津家初代は守護だし家柄はどちらもまあまあ良い

184:日本@名無史さん
21/01/10 14:12:11.67 .net
>>180
現高を知らないひと?

185:日本@名無史さん
21/01/10 14:48:01.09 .net
結局島津氏は惟宗氏なんだろうか?
源氏というのはあり得ないと思うが

186:日本@名無史さん
21/01/10 14:52:40.70 .net
だから秦氏だのなんだのはその子孫らの多くは宮大工に多いの

187:日本@名無史さん
21/01/10 14:54:39.79 .net
仏教の寺院などを作るだのそっちの大工らのグループとして名が多く残る
なんだ?おまえの言っとること?
そちらで名を残しておる
寺院などの建築請負みたいな連中らやの

188:日本@名無史さん
21/01/10 14:55:09.55 .net
>>183
島津家初代は頼朝の落胤と称してるらしいね
大友家初代も言ってるけど

189:日本@名無史さん
21/01/10 15:02:26.41 .net
例えば寺院の修理だのお抱えみたいになったやつらもいたわけ😀
そっちに流れた連中らが生き残った
武家として大成したやつ聞いたことねえわ

190:日本@名無史さん
21/01/10 15:05:44.75 .net
朝廷初期の将軍として名を残したなもいたろ
その子孫らで活躍した連中らの話なんざ聞いたことすらない
文字の読み書きはできるから朝廷の学問所の教官みたいの出す家柄にはなったみたいやがな

191:日本@名無史さん
21/01/10 15:06:58.64 .net
だいたい自分らが生き残る職種みたいな家柄となったのが多い😊

192:日本@名無史さん
21/01/10 15:08:04.56 .net
バカの熱弁はまだ続くのか?

193:日本@名無史さん
21/01/10 15:08:50.10 .net
絵文字のやつ前から浮いてるのいい加減気付け
現実でも空気読めずに周りから総スカン食らってるんだろう

194:日本@名無史さん
21/01/10 15:10:22.54 .net
理解力ねえんだなあ😀

195:日本@名無史さん
21/01/10 15:12:40.68 .net
>>174
何がそんな金かかるのかね?
持参金とか?

196:日本@名無史さん
21/01/10 17:18:30.47 .net
>>173
三井財閥の三井家当主って名誉職的な感じだったんだろうか?
団琢磨や池田成彬が総帥として教科書にも名前が載ってるが
三井家の当主の名前は一々知らないし影が薄い印象を受ける

197:日本@名無史さん
21/01/10 18:29:23.49 .net
三井の番頭政治 三菱の独裁政治ってやつだね
三井の商売は江戸時代から優秀な番頭が仕切ってきた
明治以降も益田鈍翁、団琢磨、池田成彬とその系譜は続く
井上馨も西郷に三井の番頭呼ばわりされていたが差し詰め社外番頭と言ったところだ
三井一族は、創業以降、同業大店が、売り家と唐様で書く3代目となるのを散々観てきて血統による限界をよく知っていたのだろう
まあ三井は特殊で三菱やその他の財閥も多くは財閥家独裁の形式だったと思うよ

198:日本@名無史さん
21/01/10 18:36:43.72 .net
平民宰相と言われる原敬だが実際は盛岡藩の家老の家柄。
全く平民では無くそこら辺の元勲より出自が良い。

199:日本@名無史さん
21/01/10 19:04:25.19 .net
原は授爵を断り続けてたという点で華族並みとも言える
戦前で本当の平民宰相は濱口、犬養、広田ぐらいで後は華族か軍人だな

200:日本@名無史さん
21/01/10 19:08:35.71 .net
地味にカトリックの原敬
戦前でも政府要人クリスチャン結構いる

201:日本@名無史さん
21/01/10 19:33:40.23 .net
というか高貴な平民も実は結構居たってこと。
皇族の二男は侯爵、三男以降は伯爵となるけれど、
その侯爵家の二男以降が戸主の戸籍から出て分家すれば平民。
公爵家の二男以降も同様に戸主の戸籍から出て分家すれば平民。

202:日本@名無史さん
21/01/10 19:36:08.08 .net
広田の父は福岡の石工だったな
亀山上皇像な礎石も担当したとか

203:日本@名無史さん
21/01/10 19:40:44.68 .net
原、犬養、濱口の平民宰相は3人が現職中暗殺
残る広田は死刑
華族や軍人と違い平民ならではのラジカルな政治姿勢とバックのいない状況がこの悲惨な末路となった面はあるのではないか

204:日本@名無史さん
21/01/10 20:08:18.89 .net
>>199
でもその場合は(公侯だと)分家にも男爵なり子爵なり授爵されるんじゃないか?

205:日本@名無史さん
21/01/10 20:08:37.87 .net
>>180
せめて叙爵内規くらい知ってから発言しろよ

206:日本@名無史さん
21/01/10 20:14:21.80 .net
>>199
それとは別口の華族の血を引く血筋よろしき平民は多数いた
御家騒動の典型の庶子の存在である
江戸時代、無嗣断絶は300諸侯に共通した恐怖だった
側室をバンバン置き男子が産まれれば家臣一同万歳三唱
失業の危機回避だから気持ちはよくわかる
側室は子供さえ産んでくれれば身分の高低などどうでも良い
将軍家でさえ八百屋とかその辺りの細民が母親だったりしてそれを誰も怪しまない
天皇や将軍家だけではない 大名諸侯も正妻から産まれたものの方が稀なのである
だが明治維新後、センネルヴァイスの消毒法などの産科医療の劇的発展や白粉の廃止により正妻がちゃんと子供を産めるようになってきた
また養子を取ることも極めて容易になっている もはや男子が産まれないことはお家断絶に直結しない
しかるに華族当主たちは習い性のようにそこら中に2号以下を囲んでいたため庶子が続出しこれと正妻のことの間で問題が続出した
当人は政治的には偉いさんなのだがしものことは最低な明治男が多く投げっぱなしで葬式に息子だ娘だが一個連隊出てきかねない
DNA鑑定もなくあの殿様なら満更嘘とも言えないとこうした後始末に苦労した家宰もいたという
こんな感じで見た目ただの平民がわしはなんとか伯の落としだねとか真偽不明の話が結構あったという

207:日本@名無史さん
21/01/10 20:15:03.06 .net
>>198
昭和天皇の初代侍従長を務めた珍田捨巳伯爵もクリスチャン。

208:日本@名無史さん
21/01/10 20:32:25.70 .net
洗礼名とかあったんかな

209:日本@名無史さん
21/01/10 20:42:38.26 .net
>>204
皇族だと、北白川宮能久王は死後に隠し子が2人も出てきて、今更皇族にするわけにもいかず、伯爵にした。

210:日本@名無史さん
21/01/10 20:54:17.87 .net
>>202
 華族制度が出来たばかりで、維新の功労がある初代の子どもだと、公侯爵家以外に
分家の男爵家を1家立てることを認められたりしていたけど、基本的に、それ以上は
無くて、平民だった。ただ、子どものことを思って、色々な家の養子(婿養子等とし
て華族家の継嗣に。)にねじ込むし、受け入れ側も公侯爵の親族となることが名誉と
いう発想もあっただろうから、実際に平民となった子ばかりではない。

211:日本@名無史さん
21/01/10 21:27:32.16 .net
>>207
能久親王な

212:日本@名無史さん
21/01/10 21:38:32.56 .net
>>206
そりゃあるだろ。

213:日本@名無史さん
21/01/10 23:06:20.66 .net
明治の元勲が地元にほとんど帰らなかったのは
やはり自分より遥か上の上士が大勢いて気まずかったからだろうか

214:日本@名無史さん
21/01/10 23:20:23.39 .net
戦前日本のキリスト教は上流やアッパーミドルに偏在していた
海外で西欧文化に触れたりクリスチャン系の学校に行ったりできるのはそういう層であり大多数の平民にはキリスト教と触れる機会がほぼない
クリスチャン作家の遠藤周作や曽野綾子 三浦朱門 有吉佐和子など大体良いとこの子供たち
華族では岩崎弥太郎の孫娘でエリザベスサンダースホームで有名な澤田美喜とか同じく三菱で日銀総裁川田小一郎の孫娘で男爵芋で有名な川田龍吉男爵の娘がトラピスト修道院に入ったりと娘が入信する例が見られる
念仏や祝詞より讃美歌の方がハイカラ 金持ちの子女にしてみればそういう面もあったのではなかろうか

215:日本@名無史さん
21/01/11 00:43:05.65 .net
華族は本邸は勿論別邸も幾つも所有してて
しかも一万坪がゴロゴロだから凄い

216:日本@名無史さん
21/01/11 10:07:54.59 .net
東京の本邸より別邸の方に長く滞在してそっちが本邸のようになってる華族もいる。

217:日本@名無史さん
21/01/11 10:47:54.93 .net
>>214
西園寺公望の坐漁荘とか?

218:日本@名無史さん
21/01/11 11:09:39.57 .net
そんなん認めたバカが悪いんだよ👎
古いものはありがたいだのバカみたいな洗脳でもさらてたんだろ
中身の吟味もできないバカの不始末だろ

219:日本@名無史さん
21/01/11 11:16:26.18 .net
地生えの大名系の華族には領国意識が高く昭和に至るまで住民や家臣たちもオラが殿様という気分があった
旧家臣の子孫が殿様を囲む会もよく催されていたという
有名なのが南部伯爵で南部藩士の家系は実力者が多く原敬、米内光政、東條英機、板垣征四郎など大物がぞろっといて殿様の鼻も高かった
小さな藩でもこういうのはあって九州の人吉藩の相良氏は島津と細川に挟まれた吹けば飛ぶような藩だったがそういう集まりはやはりあってようで人吉出身の高木惣吉海軍少将の自伝にそういう記述がある

220:日本@名無史さん
21/01/11 11:49:01.56 .net
>>207
ベルギー王にも隠し子がいて最近認知するしないで物議になってた こういうのは世の東西を問わないね
そしてそれをネタにした詐欺も古今東西常に存在する
日本だと吉宗の落胤を称した天一坊事件が有名だが、現代人も昔の人を言えた義理ではなく平成に至っても昭和天皇御落胤を称した白仁王事件とか有栖川宮事件など金を払っちゃう騙されやすい人は絶えない

221:日本@名無史さん
21/01/11 12:14:43.90 .net
華族なんて言っても、戦争に負けたらGHQの将校に嫁に行くやつ多数

222:日本@名無史さん
21/01/11 12:21:54.98 .net
二・二六事件で華族会館に反乱将校が乱入した際に
その場に居合わせていた細川護立が危うく殺されそうになったけど
その中に熊本出身の将校がいて「撃たないでくれ」と割って入って事なきを得たという話がある

223:日本@名無史さん
21/01/11 12:29:46.87 .net
都内に大土地を所有するのはなんと言っても大名華族だった
幕府から貸出の上屋敷は明治政府に収公されたものの下屋敷中屋敷はそのまま所有されたので諸侯は大土地所有者となった
だが収入源が公債くらいの時流に乗れない諸侯から手元不如意により伝来の秘宝から家屋敷を切り売りするのが増えていく
明治初期から明治後半にかけての30年ほどは東京は空前の地価上昇を見た 明治10年に小石川6000坪がわずか60円 これが明治40年に一千倍の6万円に跳ね上がったという その間のインフレはせいぜい二倍であり明治初期に土地を買い集めたものが大富豪となり耐えきれずに屋敷を売った大名華族たちがバカを見た
その買い集めたというのが岩崎、三井の男爵家でこの2家の都内宅地の面積は40万坪に達した
戦後臣籍降下した宮家の土地を買い漁った事で悪名高いピストル堤もなんのことはない三井三菱という大先輩の後追いをしていただけである

224:日本@名無史さん
21/01/11 12:39:50.92 .net
戦後課せられた財産税って一括払いじゃなくても良かったんだな
支払いをなんだかんだと遅らせてインフラのおかげで実際の損失を抑えた狡賢い華族も僅かながらいたらしい
正直に一括で支払った華族が没落してしまったというやるせないことになってしまった

225:日本@名無史さん
21/01/11 12:45:05.34 .net
半分くらいは資産残してやれば良かったのに思う。
一気に8割や9割も持ってかれるなんてあまりに無体。

226:日本@名無史さん
21/01/11 13:21:35.37 .net
そういえば、プリンスホテルは旧皇族の土地を買い取って建てたからそのような名前になったと聞いた

227:日本@名無史さん
21/01/11 13:27:05.83 .net
みんな大好き竹田宮家から買い上げだ土地ね

228:日本@名無史さん
21/01/11 13:45:55.80 .net
>>222
間違えたインフレ
今気付いた

229:日本@名無史さん
21/01/11 14:29:01.97 .net
ウェストミンスター公爵の所有地も農地ではなく、大部分がロンドンの繁華街(というかロンドンの繁華街の大部分が公爵の所有地に建っているレベル)
戦後から70年代にかけてイギリス福祉国家建設のために相続税の最高税率は非常に高く、この時期に複数回相続があったような家門は根こそぎ持っていかれて公営団地住まいの公爵侯爵が続出。
サッチャー以降は税率も下がり、また資産をトラストに移して間接的に支配するみたいな節税テクニックにも甘くなった。

230:日本@名無史さん
21/01/11 14:59:15.81 .net
>>227
何年か前、WEBニュースにイギリス貴族で一番の金持ちのウェストなんとか公爵の代替わりのニュースが出てたな。
20歳前後の若い公爵の写真が出てたけど、コメントでは「ワンパンで勝てそう」とか「いつも学校でパシリさせられてそう」とか好きなこと言われてた。

231:日本@名無史さん
21/01/11 16:06:40.58 .net
吉田茂の別荘がだいぶ前に火災に遭ったのを思い出した
それにしてもその孫の麻生太郎は渋谷のど真ん中の高級住宅地に邸宅を構えてるが
あれも子供には引き継がれず手放す事になりそうだな

232:日本@名無史さん
21/01/11 16:35:31.07 .net
麻生といえば麻生の祖父の麻生太郎が大名華族の加納子爵の娘と結婚してる。
典型的な平民と華族令嬢の結婚だけど加納家はよほど金欠だったんだろうね。

233:日本@名無史さん
21/01/11 17:09:47.23 .net
戦後の首相で華族もしくは世が世なればというのは皇族の東久邇、幣原男爵と細川侯の細川護煕の3人で戦前の平民宰相四人と見事に逆転した
麻生や鳩山、安倍もサラブレッドのように言われるがいずれも華族の系譜ではないし貴族ではなくアッパーミドルの階層である
皇族に連なる麻生家と言ったところでそれも戦後の話で敗戦が無ければ炭鉱業が皇族に嫁ぐなど無かっただろう

234:日本@名無史さん
21/01/11 17:22:52.24 .net
加納久宜は大名華族の中でも、政治好きな人だったから、金も必要だっただろうし、
政治面での思惑で一致したのかも知れない。

235:日本@名無史さん
21/01/11 17:25:50.34 .net
>>231
幣原?
なぜ?

236:日本@名無史さん
21/01/11 17:30:00.55 .net
和歌山にある養翠園は現在でも個人所有らしい。

237:日本@名無史さん
21/01/11 18:00:00.24 .net
小村寿太郎や加藤高明、石井菊次郎など外交官は爵位が貰いやすい傾向があった 幣原もその流れだろう
芦田や吉田、松岡洋右や東郷も帝国が存続していれば華族になっていたやもしれん

238:日本@名無史さん
21/01/11 18:18:32.43 .net
地味だけど珍田捨巳も伯爵まで昇った

239:日本@名無史さん
21/01/11 19:02:23.37 .net
>>463
大企業の創業者も爵位もらえるのかな?
今なら、トヨタとかSBとか楽天とか

240:日本@名無史さん
21/01/11 19:39:25.76 .net
自分の先祖の遠い親戚?に華族がいて
東京の邸宅の他に日光と大磯にも別荘を持ってたんだけど
この場合、日光が避暑地で大磯が避寒地という事だろうか

241:日本@名無史さん
21/01/11 19:46:00.10 .net
>>235
松平恒雄や佐藤尚武も可能性大

242:日本@名無史さん
21/01/11 20:11:49.48 .net
横井時雄は逮捕されなかったから爵位貰えてたかも

243:日本@名無史さん
21/01/11 20:24:00.88 .net
>>238
奥日光には御用邸もあったな。

244:日本@名無史さん
21/01/11 23:42:20.69 .net
裏千家は家元を継がない次男三男などは別姓を名乗らせて分家するけど
裁判所って結構簡単に名字の改名認めるんだな

245:日本@名無史さん
21/01/12 00:39:45.37 .net
華族は原則東京に在住しなければいけないが
毛利公爵は地元に本邸を建てて引っ越してしまった

246:日本@名無史さん
21/01/12 01:21:45.64 .net
>>242
特別な理由があれば変えられる。
単に気に入らないとかの理由ではもちろん却下。

247:日本@名無史さん
21/01/12 09:44:09.49 .net
ジャズ界の重鎮逝く
鍋島直昶氏。祖父は小城藩主の鍋島直虎子爵。

248:日本@名無史さん
21/01/12 10:55:45.33 .net
コロナか…

249:日本@名無史さん
21/01/12 11:39:54.14 .net
華族って主に公家さんのことでしょう?
公家さんって実社会のことについて「疎い」「浮世離れしてる」って
イメージで語られることが多い印象ですが、
反面、頭が良くて弁舌が立つ議論好きな人を公家さんに例える場合もあります
なんかイメージが矛盾している気がしますが、実際のところどうなんでしょ?

250:日本@名無史さん
21/01/12 12:00:10.38 .net
247
叙爵を受けた連中らのことだよ

251:日本@名無史さん
21/01/12 12:02:07.46 .net
公家とは限らんさ
武家でなったのもいるし皇族の末裔らもおる
皇族ってのは天皇家から別れた親王家(源氏や平氏)や戦国時代の武家やらな

252:日本@名無史さん
21/01/12 12:06:40.36 .net
公家華族より大名華族の方が数は倍以上

253:日本@名無史さん
21/01/12 12:10:20.39 .net
系譜で言うと武家の大半が天皇が祖の皇別
公家の大半は藤原が祖の神別
と言うことかな

254:日本@名無史さん
21/01/12 12:11:56.51 .net
>>237
おそらく戦前の社会システムが健在なら爵位をもらっていたと思う。

255:日本@名無史さん
21/01/12 12:14:59.02 .net
そもそもおまえらほんとに日本の歴史知らねえんだな
朝鮮やら中国ともまったく仕組みが違うんだぞ

256:日本@名無史さん
21/01/12 12:26:37.32 .net
諏訪氏は神別だな
断絶してしまったのは慚愧の念に堪えない

257:日本@名無史さん
21/01/12 12:31:31.06 .net
諏訪氏=神氏なのか
諏訪氏=金刺氏なのか
これは日本史の永遠の謎

258:日本@名無史さん
21/01/12 12:39:30.95 .net
酒井ミーコは勲功華族は論外として
公卿華族も見下してた

259:日本@名無史さん
21/01/12 12:48:43.22 .net
>>247に関して言葉が足りませんでしたが、華族というより「公家」にフォーカスしてください
公家=世情に疎い、浮世離れしている、のほほんとしている
公家=頭が良くて弁舌が立って議論好き、専門家集団
真逆のイメージがあるのはなんででしょう?

260:日本@名無史さん
21/01/12 12:53:55.79 .net
公家の存在期間が1000年以上もあって時代ごとに公家の有り様がが違うからじゃ無いの
平安時代と江戸時代でも違う 江戸時代でも後期までと幕末では違う
騎士道と言った時、ランスロットを思い浮かべるかドンキホーテを思い浮かべるかの違い的な

261:日本@名無史さん
21/01/12 13:12:00.32 .net
皇族の縁談は公爵から侯爵と上から順に来る

262:日本@名無史さん
21/01/12 13:13:16.53 .net
>>254
使い方間違っとるぞ。
どうも最近の日本人やメディアは間違った言葉を広めたがる。
「にやけた」はにやにやしてることを表す言葉ではないし、
「したたか」は文字通り強いことを表す言葉であってずる賢いといったことを意味しない。

263:日本@名無史さん
21/01/12 14:04:22.44 .net
>>258
中世以降の公家は岩倉具視などごく一部の例外を除き、「身分は高いけど実力はさほどない」「世情に疎い」「のほほんとしている」というイメージが喧伝されてます
没落貴族のイメージなどもそれに重なります
自分も最近までそのイメージを強く持っていました
しかし、新聞の記事で参議院の議員や一部官僚などの有能で熱心に政策を考え、審議している人らを
「お公家衆」「お公家集団」「お公家さんのよう」みたいな形容で紹介されていたので
違和感を持ったのです
大変失礼な言い方ですが、お公家さんに「有能」「優秀」「熱心」というイメージがあまりなかったので

264:日本@名無史さん
21/01/12 14:15:18.23 .net
>>261
政治で公家集団といえば以前は池田勇人から前尾 大平 宮澤と大蔵省官僚上がりの宏池会の代名詞だった
彼らは官僚上がりで政策は明るいが度胸がなく実行力に乏しい 政局政争ではてんでダメと言う意味合いだった
前尾が人が良すぎて佐藤栄作にいいようにされていたあたりからそう言われるようになったんだろう
田中派の武闘派野武士集団と対照的と言う使い方だがこじつけ的なところもあったと思うよ

265:日本@名無史さん
21/01/12 14:19:46.24 .net
華族の中でも公爵は別格で
最低限10万円は保証されている

266:日本@名無史さん
21/01/12 14:22:18.83 .net
公家の連中らはすでに公議じゃなくなってたろ

267:日本@名無史さん
21/01/12 14:23:20.15 .net
公議を発せるところが御所やからな

268:日本@名無史さん
21/01/12 14:27:11.93 .net
華族は学習院に学費支払ってたの?
無料?

269:日本@名無史さん
21/01/12 14:50:36.56 .net
公家のいやらしいイメージは昭和のテレビドラマが大いに影響している
大河ドラマで戦国を描けば公家かぶれでマロ眉厚化粧で出てくる今川義元がデカい態度が一転哀れ首を取られる
幕末を描けば何やら陰謀を企むものの腰が据わらず蛤御門の変などでキャーキャー逃げまどう滑稽な姿 命をかけた志士や新撰組、会津藩士との落差が激しい
南北朝を描けば団体で楠木正成に嫌がらせをする
年寄り視聴率激高の水戸黄門では黄門様相手に悪事の限りを


270:尽くし未だにコピペで見かけるマロこと一条公麿中納言 おじゃるおJALと日本航空からクレームが入りそうなインパクト 柳生一族の陰謀にも烏丸少将が悪役振りを発揮し、さらには戦国自衛隊にも九条がちょい役で登場 とにかくどれでもこれでも正義の味方の邪魔ばかりで全く好意的に描かれない このようにして昭和のテレビっ子はお公家様が嫌いになったのである どれもこれも



271:日本@名無史さん
21/01/12 17:28:17.68 .net
学習院も大正昭和初期になると
マルクス主義が蔓延して赤みがかった華族子弟が大量発生した

272:日本@名無史さん
21/01/12 17:51:46.02 .net
理想主義に傾倒するのは若い特権階級にありがちなことだろうね
ロシアで改革を目指してシベリアに流されたデカブリスト達もは皆貴族だった
と言っても日本の華族の赤化なんて思想堅固というのは少なく、大抵一時かぶれのはしか見たいなもので大事になるとあっさり転向


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