華族についてpart12 at HISTORY
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750:日本@名無史さん
21/01/26 13:46:20.53 .net
まあ、東郷茂徳外相の女婿が東郷文彦外務次官、孫が条約局長欧亜局長を歴任して宗男ハウス疑獄までは次官レースでも有力だった東郷和彦、みたいな例は他省庁には稀だよね。

751:日本@名無史さん
21/01/26 13:52:20.23 .net
和彦氏には日ソ関係史に関する勉強会にお招きしてご意見を伺ったことがあるが、靴も靴下も脱いで椅子の上で胡座かいて足の裏をボリボリかきながら議論されていたので、「3代前からエリートの割にはお行儀悪い人だなあ」と感じた記憶がある

752:日本@名無史さん
21/01/26 14:02:27.16 .net
一万石未満くらいの小大名なら祭りに殿さんが参加するし自分から士卒ら出しての開墾計画をやるからな
てか戦ないときはみなこれ

753:日本@名無史さん
21/01/26 14:05:07.47 .net
大身ならその下に陪臣てのがいるんだがその連中らもその領内なんかに領地持ってたりするんだよ
そおすると殿さんが指揮とることもなくなるがな

754:日本@名無史さん
21/01/26 14:08:07.58 .net
武家あがりなんかだとそんとき開墾した土地を持ってたりするんだわな

755:日本@名無史さん
21/01/26 14:16:39.84 .net
>>727
同じ雰囲気の松平恒雄と吉田茂って何となくそりが合わなそう

756:日本@名無史さん
21/01/26 14:25:11.07 .net
松平恒雄も出自はかなりのエリートなのに謎の叩き上げ感あるな

757:日本@名無史さん
21/01/26 15:59:21.28 .net
一高出身で外交官試験にも首席の出自を感じさせない実力派だからだろう
実際に凄い有能な外交官だったしな

758:日本@名無史さん
21/01/26 16:10:55.23 .net
松平恒雄は長男が生まれた時に上司だった小村壽太郎に命名について


759:樺kした。しかし小村が提案した名前を恒雄は「気に入りません」と拒否。 それに対して小村が憮然として「だったら一郎でも次郎でもつけとけば良いじゃないか」と言って名前が決まった。



760:日本@名無史さん
21/01/26 18:26:24.32 .net
地獄男爵だからの🙃
戦争でも起きて世の中が楽しくなってからじゃないと笑顔にならないんだよ

761:日本@名無史さん
21/01/26 18:27:04.78 .net
戦争の中で人間性を磨くみたいなんやろ
感情が育たないんだわな🙃

762:日本@名無史さん
21/01/26 18:47:15.68 .net
NewおだまLee男爵って鹿児島だっけ?

763:日本@名無史さん
21/01/26 18:52:45.68 .net
>>743
「気に入りません」と拒否。
じゃあ相談すんなよw

764:日本@名無史さん
21/01/26 19:07:26.93 .net
>>747
小村「英国で生まれた長男だから英一で」
松平「いやそれはちょっと」
小村「なぜだね」
松平「名前にイチがつくのは壺坂霊験記の沢市(さわいち。盲目の座当。浪曲のネタになってる)を連想するからごめんこうむります」
小村「人に名づけ頼んどいてそれはないだろう。それなら太郎でも一郎でもつけとけ」
松平「一郎にいたします(でもなんでこんなに怒ってんの?)」
小村側近「そりゃ失言だ、小村さんの息子さんは欣一というんだ」
松平「がーん……」

765:日本@名無史さん
21/01/26 19:51:54.17 .net
徳川家正の息子はイギリスで生まれたから家英だな

766:日本@名無史さん
21/01/26 21:04:05.44 .net
小村侯爵家は何か不幸が多かった。

767:日本@名無史さん
21/01/26 22:38:21.44 .net
明治になると旧藩主家の人間でも呼び捨てにされたりしてたのか

768:日本@名無史さん
21/01/26 22:48:02.32 .net
>>751
江戸時代からの藩主と当代の関係者なら流石に気を使うとは思うけど代替わりしたらそう言う事も気にならなくなるんじゃないかなあ。日本郵船の前田徳川エピソードはあまりにも有名だしね。
廃止までは一種のタレントにはなってたと思うけど廃止後はへえーで終わるレベルよ。

769:日本@名無史さん
21/01/27 09:34:04.86 .net
大谷伯爵家なんて水平社同人に呼び捨てどころか糾弾されてるわ

770:日本@名無史さん
21/01/27 09:35:24.07 .net
旧藩主の子孫は旧家臣の人間であってもその社会的地位に応じた対応をしてたらしい
しかしまさに旧藩主だったりした人間は旧家臣がどれほど出世しようが呼び捨てだった

771:日本@名無史さん
21/01/27 09:40:41.95 .net
実際に上下関係にあったのと親がそうだったのとでは当然違うだろうな
卑近な例では学校の先輩後輩は歳とっても先輩後輩、旧軍人なんかも会えば今プーと社長でも中隊長殿!、おお山田か、となる

772:日本@名無史さん
21/01/27 09:46:30.47 .net
昭和天皇は戦後もずっと首相を呼び捨てだった
それに対して今の上皇はさん付けで呼んでた
恐らくっていうか間違いなく今上もさん付けだろう

773:日本@名無史さん
21/01/27 09:46:53.28 .net
徳川なんて屋敷を福岡の水平社に放火されて全焼してる

774:日本@名無史さん
21/01/27 09:52:15.41 .net
大学で山岳部だったけど、70歳と69歳のOBでははっきりと先輩後輩の口ぶりだったな
「おい源太!」「なんすか伊能さん?」みたいな感じで

775:日本@名無史さん
21/01/27 09:54:35.55 .net
体育会系の部活なんかだったら特に上下ハッキリしてるな。

776:日本@名無史さん
21/01/27 10:06:24.65 .net
運動のできるやつらは名前呼ばわりで勉強できる連中らはさん呼ばわり
体育会系は

777:日本@名無史さん
21/01/27 10:09:23.21 .net
運動できても呼び捨てで呼びたくない場合にちゃん付け

778:日本@名無史さん
21/01/27 11:12:13.60 .net
ところで上皇后ってホント変な称号だよな
誰が考えたのか知らんけどセンス無さすぎ

779:日本@名無史さん
21/01/27 11:24:00.78 .net
本郷の嫁…

780:日本@名無史さん
21/01/27 11:39:18.13 .net
江戸時代は敬称も複雑で上様だのお上だのお館様だのからお殿様、旦那様など身分の軽量で色々あり 女性もこれと連動して複雑だった
八丁堀七不思議の一つ 奥様ありて殿様なし というのはこうした複雑さの表れと思う
明治になるとこの辺がルーズというか段々に緩くなっていったんだろうけど大大名家ともなれば一新後だいぶ経とうというのに時間が江戸時代で停まったような家もあった

781:日本@名無史さん
21/01/27 12:05:15.91 .net
聖上
皇后宮
昭和の最後まで使われてた

782:日本@名無史さん
21/01/27 12:15:45.89 .net
宮内庁の女官や女官長は今でも良いとこの令嬢や夫人が多い。
流石に今は未亡人とかで無くても良いんだよな。

783:日本@名無史さん
21/01/27 12:30:35.28 .net
>>766
女官は殆ど24時間側近くで皇族の世話をするから家庭を持ってる人が務めるのは物理的に難しい
だから今でも必然的に未亡人や独身女性が選ばれる事が多い

784:日本@名無史さん
21/01/27 15:47:35.19 .net
昭和天皇と秩父宮の養育係だった足立たか
幼稚園の先生をしていたところを引き抜かれ22歳で宮中入り
幼少の未来の昭和天皇にたか、たかと懐かれたのはいいものの、10年間も続ける羽目となり花の20代が見合いもできずお役御免となったときには32歳 今はともかく当時の日本では完全な行き遅れである
当然これは申し訳ないと周りが気を使ったのだろう
嫁を亡くしてヤモメだった海軍次官鈴木貫太郎少将の後妻へとたかを押し込んだ
これが上手くはまり226ではたかのお陰で鈴木は命拾いし、鈴木男爵海軍大将は首相として敗戦の始末にあたったのである

785:日本@名無史さん
21/01/27 18:06:55.48 .net
鈴木侍従長の前任珍田侍従長は初めて公卿や大名とは無縁の侍従長となった
鈴木以降は海軍出身者が就任するのが慣例になった

786:日本@名無史さん
21/01/27 18:41:18.47 .net
侍従武官長がほぼ陸軍だからバランスを取ったんだろうな

787:日本@名無史さん
21/01/27 18:44:17.05 .net
天皇中心に戻せば腰巾着がのさばるからな

788:日本@名無史さん
21/01/27 18:46:29.62 .net
今は外務省出身者が侍従長になるのが慣例なのか

789:日本@名無史さん
21/01/27 18:50:35.81 .net
>>748
松平英一
良いと思うけどな

790:日本@名無史さん
21/01/27 19:36:45.66 .net
華族はよく海外に留学してるけど
学費とか滞在費は本国から現金を送金してたりしたのかね
それとも小切手みたいなのかね

791:日本@名無史さん
21/01/27 21:41:40.01 .net
国費からだろ

792:日本@名無史さん
21/01/27 21:59:40.45 .net
>>774
現金で送金してたら途中盗まれるだろ

793:日本@名無史さん
21/01/27 23:37:36.01 .net
>>775
それは人による。

794:日本@名無史さん
21/01/28 00:21:32.28 .net
さすがに明治になれば為替とか信用状で送金はできただろ。咸臨丸の渡米のときには千両箱で必要経費を持っていった話が福翁自伝に出てたと思う。

795:日本@名無史さん
21/01/28 10:27:27.79 .net
同じ時期でも華族が公費留学で士族や平民が私費留学とかいろいろだな

796:日本@名無史さん
21/01/28 11:01:16.34 .net
ふ〜ん

797:日本@名無史さん
21/01/28 11:14:54.82 .net
男爵高橋是清はまだローティンも頃にアメリカに留学に行ったらホームステイ先に売り飛ばされて奴隷やってたという話だ
南北戦争も終結後というのに奴隷に売られるとかすごい話だが本人は奴隷と思わなかったというのもすごい
今でいう中学生に年齢にしてこれは流石の後世大物になるだけのことはある
留学も危険がいっぱいだ

798:日本@名無史さん
21/01/28 12:17:40.71 .net
>>781
南北戦争後の奴隷解放と言ってもそんな直ぐに奴隷解放がなされるわけでは無いからな
数十年徐々に無くしていこうという感じだからな

799:日本@名無史さん
21/01/28 13:54:15.64 .net
大隈重信の侯爵って盛りすぎじゃないか?
せいぜい伯爵だろう

800:日本@名無史さん
21/01/28 14:35:32.97 .net
大正天皇の個人的お気に入りだったこともあるのでは

801:日本@名無史さん
21/01/28 14:41:52.08 .net
>>782
それは1862年の奴隷解放宣言で直ちにすべての奴隷が解放されたわけではない、ということを誤解してるんだろう。このときはまだ戦争中で北軍にも奴隷州が残ってたので、それへの配慮があった。
1865年の憲法修正13条批准で合衆国内のすべての奴隷は、少なくとも法的には即時解放されている。

802:日本@名無史さん
21/01/28 14:43:32.72 .net
大隈の爵位は旧藩主と一緒か

803:日本@名無史さん
21/01/28 18:17:25.25 .net
大隈重信の婿養子は旧平戸藩主松浦伯爵家出身。

804:日本@名無史さん
21/01/28 18:45:39.08 .net
明治の外交官は本当に特権階級だったんだな
内田定槌っていう聞いたことのない無名の外交官ですら豪邸を建ててる

805:日本@名無史さん
21/01/28 18:49:45.06 .net
外交官の家
URLリンク(upload.wikimedia.org)

806:日本@名無史さん
21/01/28 18:54:08.06 .net
>>788
戦前迄の外交官は士族出身者が多いな
高杉晋作の息子も外交官になってるわ

807:日本@名無史さん
21/01/28 19:04:22.90 .net
URLリンク(home.hiroshima-u.ac.jp)
戦前の外交官一部抜粋
堀田大久保松平とか、華族ゆかりの人間と思われる人もチラホラ。

808:日本@名無史さん
21/01/28 20:30:50.26 .net
>>789
窓多過ぎ

809:日本@名無史さん
21/01/28 21:08:55.49 .net
特権てかそれが羨ましいのかおまえら?

810:日本@名無史さん
21/01/28 21:10:59.50 .net
>>788
でも小村寿太郎はずっと金欠だった。

811:日本@名無史さん
21/01/28 22:29:48.84 .net
>>790
高杉晋作の息子って華族になれなかったんだよな
まあでも外交官になってから長州出身の政府高官には優遇されたんだろうな

812:日本@名無史さん
21/01/28 22:44:48.39 .net
>>795
他にも維新で貢献したのに勲功(男爵を子爵にして貰った武家華族を含む)貰って無いのは山ほど居るからな。功山寺事件で切腹した益田なんかも子爵貰ってもおかしくない実績なんだし。

813:日本@名無史さん
21/01/28 22:58:55.80 .net
江戸時代なら功労者の遺児を取り立て、ということもよくあったが、さすがに明治になるとそれは無理だったか

814:日本@名無史さん
21/01/28 23:02:35.82 .net
坂本龍馬崇拝の言い出しっぺの一人、元海援隊の田中光顕なんかは自分は伯爵になってるんだし、坂本家遺族を勲功華族に、なんてのは無理だったのか

815:日本@名無史さん
21/01/28 23:19:52.81 .net
>>797
政情不安定な時期で遺族も新政府に対してゴネれなかったってのもあるのかもな
この辺って初期は一種の自己申告制のような感じにも取れるしね。

816:日本@名無史さん
21/01/28 23:24:11.26 .net
>>797
西郷の息子なんかはそんな感じでは?

817:日本@名無史さん
21/01/28 23:30:34.67 .net
>>789
旧内田定槌邸
もともと渋谷に建ってたのを横浜に移築した

818:日本@名無史さん
21/01/28 23:35:44.66 .net
>>800
弟と親父はしれっと貰ってる

819:日本@名無史さん
21/01/28 23:53:35.72 .net
西郷家で爵位を受けたのは隆盛の弟従道と嫡男の寅太郎
いずれも侯爵

820:日本@名無史さん
21/01/29 06:35:52.06 .net
楠木の末裔も華族にはなれんかったな

821:日本@名無史さん
21/01/29 07:10:22.77 .net
新田の岩松みたいな適当な子孫がいなかったんじゃないのか?
名門公家の北畠も。

822:日本@名無史さん
21/01/29 09:53:22.75 .net
江藤新平の息子も勲功無しだけどその後衆議院議員になってるな

823:日本@名無史さん
21/01/29 10:21:41.04 .net
西郷隆盛侯爵家は家計が火の車で大変だった
一方西郷従道侯爵家は裕福で名門家系から嫁をもらっている

824:日本@名無史さん
21/01/29 10:34:33.98 .net
昭和43年に講談社から出版された旧華族の対談集『華族』
甘露寺受長伯爵や徳川圀順公爵など公家・大名・勲功華族の生の話が
載ってる本だけど、録音不備で収載できなかった人もいるとか。
橋本実斐伯爵もそのうちの一人で、橋本家は和宮の縁戚だからその話も
あったかもしれないと思うと残念だ。

825:日本@名無史さん
21/01/29 15:27:17.41 .net
>>797
祖父・父の維新の功で列華族なんて腐るほどいる

826:日本@名無史さん
21/01/29 15:56:55.53 .net
父の偉勲どころか南朝に忠誠を尽くしたとかで
新田の子孫が男爵になったりしてるしな

827:日本@名無史さん
21/01/29 16:13:54.54 .net
新田じゃなくほとんど里見太郎吉俊の子孫らだけどな
新田系の子孫連中らなら新田庄近くにいっぱいおるよ
義貞が新田の名跡を継いでその一族が全国に散ったろ
新田義貞の本貫地は八幡庄の方だよ

828:日本@名無史さん
21/01/29 16:14:56.04 .net
新田義貞自体は弱小新田の出でもなんでもない
大身、里見一族の総大将だったわけさ

829:日本@名無史さん
21/01/29 16:15:50.42 .net
京都や後醍醐天皇や公家連中らは弱小新田弱小新田って呼んでるけどな

830:日本@名無史さん
21/01/29 16:22:27.29 .net
新田軍として活動するときは新田を名乗る
義貞の一族が行動するときはみな里見姓名乗っとるだ
だから足利が新田の宗主の座を岩松の方だ〜!だの言いだして継がせたんだよ

831:日本@名無史さん
21/01/29 16:28:07.12 .net
安房の里見氏ってのはニセモンでもなんでもない
南北朝時代が終わったときに京都の将軍と鎌倉の公方が対立したときから鎌倉公方に仕えだして関東副使となった
つまり鎌倉将軍の部下としての鎌倉副将軍として安房を拠点とした

832:日本@名無史さん
21/01/29 16:29:47.93 .net
新田氏の子孫らは新田庄近辺に現在でもおる
義貞の一門らは全国に散り氏族を広げた

833:日本@名無史さん
21/01/29 16:30:40.96 .net
だから里見系氏族ってんで名前が残ってるだろ
新田は義貞が新田を継いだからそお呼ばれた

834:日本@名無史さん
21/01/29 16:33:10.51 .net
足利とはもともと血筋が近い縁戚関係みたいなもんやからな
足利一族が敵味方となり争う中で片方には重用されたりしたわけ

835:日本@名無史さん
21/01/29 16:35:15.89 .net
義貞の子孫を新田氏が名乗ってるが本当かどうかは不明なの実際

836:日本@名無史さん
21/01/29 16:36:38.82 .net
岩松氏ってのは本来、足利氏から養子取った畠山氏の祖となるのと同じ血筋やで🙃

837:日本@名無史さん
21/01/29 16:38:49.21 .net
新田本流から分岐して新田庄内に領地を得た庶家の人らがおるでしょ
その子孫らは今でもおる🙃

838:日本@名無史さん
21/01/29 16:40:02.21 .net
里見氏は新田庄に領地持ってないだ
八幡庄の方に里見神社があるやろ⛩

839:日本@名無史さん
21/01/29 16:47:36.27 .net
忠臣和気清麻呂の子孫も爵位は貰えてないな

840:日本@名無史さん
21/01/29 16:59:07.97 .net
こう見ると思っている以上に爵位授与は限定的だったんだな
政治が衆議院至上主義に走るのも分かる気がする

841:日本@名無史さん
21/01/29 17:39:22.69 .net
ところで江戸時代の幕府と将軍の資産って分離されてたのかな?

842:日本@名無史さん
21/01/29 17:44:19.31 .net
>>825
多分分割してると思う
大きな公園になってるところは大体徳川家の個人の持ち物で寄贈と言う形でしょうね
名古屋の東山動物園なんかは有名

843:日本@名無史さん
21/01/29 19:32:59.87 .net
823
古代の公家氏族みたいなやつらだろ
そりゃ無理だ

844:日本@名無史さん
21/01/29 19:34:17.84 .net
聖徳太子なんかの子孫なんかいても無理だしな
だいたい平安時代ころのやつらなんか日本の歴史においてもまったく評価されとらん

845:日本@名無史さん
21/01/29 19:36:46.99 .net
だいたい古代のやつらはまず蝦夷を敵として戦ってたろ
この段階でもはや無理、自ら犯罪


846:s為を歴史の中で繰り返してきたとしか評価されん😀 ほとんど侵略的行為と同じでしかないわけだからな



847:日本@名無史さん
21/01/29 19:37:20.05 .net
蝦夷を敵とした時点でそいつらの子孫らに明日などない

848:日本@名無史さん
21/01/29 23:20:00.26 .net
>>825
分離されてなかったら維新後の宗家はほとんど無一文になってしまう

849:日本@名無史さん
21/01/30 08:34:20.34 .net
だから天皇家なんかは京都に帰って全国の神社関係を取りまとめる仕事があるでしょ

850:日本@名無史さん
21/01/30 10:15:57.08 .net
ゲエジ 

851:日本@名無史さん
21/01/30 12:07:40.39 .net
>>831
天璋院は江戸城を出るときにほとんど由緒あるものを置いてきてしまったというのは本当だろうか?

852:日本@名無史さん
21/01/30 13:06:42.15 .net
西郷さんは明け渡しで入ったら空っぽだったって言ってた

853:日本@名無史さん
21/01/30 14:22:20.97 .net
浅野内匠頭の遺品はたつの市の脇坂子爵家にある
吉良上野介の遺品は平戸市の松浦伯爵家にある

854:日本@名無史さん
21/01/30 15:01:10.11 .net
徳川さんときに始めて全国的な領主らの無理矢理な移動が起きたんだよ
それ以外ではそれまで一度もなかったの😀
在地領主ってのは動かずにトップとなる氏族の連中らが数十人くらいで在地に移動してたんだよね

855:日本@名無史さん
21/01/30 15:01:43.95 .net
日本で初めてやっちゃったからね〜

856:日本@名無史さん
21/01/30 15:04:29.43 .net
武田の場合は同族殺しやっちゃったからね〜
村上、小笠原、今川って行って最後は一族皆殺し

857:日本@名無史さん
21/01/30 18:17:32.86 .net
玉里公爵家は全然パッとしないな

858:日本@名無史さん
21/01/30 18:50:39.37 .net
玉里公爵家は、左大臣と日本赤十字社社長を出して、北白川宮家から夫人(明仁皇太子の妃候補だった)を迎えたわけだから、インパクトはそれなりにあると思う。

859:日本@名無史さん
21/01/30 20:45:13.05 .net
>>837
豊臣もやってるがね

860:日本@名無史さん
21/01/30 23:40:25.24 .net
>>841
外交官も輩出してる

861:日本@名無史さん
21/01/31 09:14:46.00 .net
島津久大 迎賓館初代館長

862:日本@名無史さん
21/01/31 09:20:35.79 .net
金メダリストのバロン西こと西竹一って薩摩の勲功華族?

863:日本@名無史さん
21/01/31 12:55:39.93 .net
今でも華族制度があったら、堀江さんとかひろゆきさんのような成功者は男爵になるのかも知れないな
首相経験者とか野党の党首を長く続けた政治家も男爵になってもおかしくない

864:日本@名無史さん
21/01/31 13:07:51.32 .net
堀江とかひろゆきってそこまで成功者じゃないでしょ、ネットで悪目立ちしてるだけで。
ネットサロンやらメルマガビジネスで信者から集金してる程度の小金持ちでは、男爵どころか貴族院多額納税者議員すら無理。
いまの財界人ならせめて孫、柳井、三木谷レベルじゃないと思考実験にもならない

865:日本@名無史さん
21/01/31 14:28:21.70 .net
阪急電鉄の小林一三や東武鉄道の根津嘉一郎でさえ爵位は貰ってないから、時代が違うとはいえ孫や柳井あたりでもまだそれ以前という感がある
ソニーの森田や井深、任天堂の山内、豊田一族辺りはいけそうと思うが
学者ならノーベル賞受賞者達は襲爵してそうだ 北里クラスの業績はむしろ戦後の方が多いと思える

866:日本@名無史さん
21/01/31 14:38:38.88 .net
時代が違ったら大久保利通の甥っ子は貰えてたかもな

867:日本@名無史さん
21/01/31 14:58:21.34 .net
松平恒雄や吉田茂は男爵になってもおかしく無かった

868:日本@名無史さん
21/01/31 15:23:31.15 .net
雅子皇后の父の小和田は世が世なら間違いなく襲爵していた
川嶋も多分男爵くらいにはなってただろうな

869:日本@名無史さん
21/01/31 15:32:20.32 .net
そろそろ朝鮮貴族について語りませんか?
彼らも一応華族になってるのに全く語られない

870:日本@名無史さん
21/01/31 15:35:43.71 .net
そもそも世が世なら皇后になれるのは華族どころか皇族・摂家の子女のみ

871:日本@名無史さん
21/01/31 16:20:42.70 .net
昔は皇女と結婚したら爵位貰えてたのかな?

872:日本@名無史さん
21/01/31 16:57:50.70 .net
皇女が爵位を持たない平民に嫁いだ例はないな
逆に平民から皇族に嫁いだ松平節子がいるけど
この場合は子爵の叔父の養女になってから嫁いだ

873:日本@名無史さん
21/01/31 17:10:20.71 .net
秩父宮妃勢津子は外交官だった父親の松平恒雄の関係でアメリカの学校に通学してたけど、
話す英語は見事なクイーンズイングリッシュでサッチャーに「Wonderful!」と驚かれた。

874:日本@名無史さん
21/01/31 17:43:17.48 .net
松平恒雄は爵位はないものの節子の婚約時は従三位まで進んでいた
江戸期なら堂上、従五位下などと言うその辺の小大名などより位階は高い

875:日本@名無史さん
21/01/31 19:48:21.47 .net
叙爵と言うべきところを襲爵と連呼してる馬鹿は何なんだろう

876:日本@名無史さん
21/01/31 19:59:38.69 .net
俺もちょっと気になった
まあでも嫌味な言い方はやめーや

877:日本@名無史さん
21/01/31 20:00:21.03 .net
>>858
そのまんま
バカなんだろうな

878:日本@名無史さん
21/01/31 20:33:30.17 .net
襲爵って爵位を継ぐ事だよね

879:日本@名無史さん
21/01/31 21:14:25.32 .net
小和田氏は大勲位になりそうな気がする。

880:日本@名無史さん
21/01/31 21:19:41.33 .net
ちょっとの言葉遣いでニワカかそうでないかがわかるよな

881:日本@名無史さん
21/01/31 21:43:54.77 .net
まあ、小和田の男爵はあり得ると思うよ。
山屋他人も大将だし、なっても不思議が無い地位まで上がったけど、功績を上げられず
届かなかった。
川嶋は、どう忖度してもやりようが無いだろう。
池上なら、朝鮮総督府のナンバー2だから可能性が無くは無いと思うけど、相当な功績を
評価するバイアスが無いとただポジションになっただけでは無理だろうな。

882:日本@名無史さん
21/01/31 22:46:48.73 .net
>>864
あり得るって、そもそも今爵位も華族も無いんだが?

883:日本@名無史さん
21/01/31 23:09:40.31 .net
そもそも華族令嬢でなければ皇族には嫁げない
とくに皇后は皇族か摂家の子女でなければなれなかった

884:日本@名無史さん
21/02/01 10:16:12.55 .net
>>852
朝鮮貴族に公爵はいなかった。

885:日本@名無史さん
21/02/01 10:26:18.25 .net
>>852
朝鮮貴族は華族ではないが

886:日本@名無史さん
21/02/01 11:24:06.25 .net
同じようなもんだろ
華族と同様の礼遇とするとなってるんだから

887:日本@名無史さん
21/02/01 11:49:34.86 .net
「朝鮮貴族も華族となっている」は明確に誤り

888:日本@名無史さん
21/02/01 12:22:56.99 .net
朝鮮貴族が創設された時に他国にも似たような存在があった
大英帝国におけるスコットランド貴族やアイルランド貴族
ロシア帝国におけるポーランド貴族、オーストリアハンガリー帝国におけるハンガリー貴族など
創設に当たってはこうした例を参照したのだろうか

889:日本@名無史さん
21/02/01 12:31:39.55 .net
朝鮮貴族は知らんが李王は最初大公Archdukeにしようかという案があった
せめて王号は残してくれという朝鮮側の要望で沙汰止みになったけど

890:日本@名無史さん
21/02/01 12:36:32.42 .net
ちなみに李王の英称はHis Highness Prince Ri
His Royal Highnessにしてあげても良かったのではとも思う

891:日本@名無史さん
21/02/01 13:35:30.07 .net
>>872
李王にArchdukeとは大袈裟な
ハプスブルクに許された称号なのに

892:日本@名無史さん
21/02/01 14:57:21.24 .net
ふと思ったんだけど上皇后と皇太后と太皇太后って関係が複雑じゃないか?
上皇の后だから上皇后
先代の天皇の后が皇太后
先先代の天皇の后が太皇太后
不謹慎を承知で仮定すると今上天皇に万一のことがあったら皇后は皇太后になるんだよな
混乱を招きそうな尊号をよく考え付


893:いたものだ… 将来の天皇が再び譲位するような事があれば上皇后は例外として採用せず皇太后に戻して欲しいものだ



894:日本@名無史さん
21/02/01 15:10:02.68 .net
???「皇太后は未亡人の印象が強い」

895:日本@名無史さん
21/02/01 15:34:28.43 .net
>>874
今思い出したけどArchdukeじゃなくてGrand Dukeだった

896:日本@名無史さん
21/02/01 15:37:14.53 .net
ミステリ作家のバロネス・オルツイは女男爵

897:日本@名無史さん
21/02/01 17:28:44.60 .net
>>876
意味不明な理由

898:日本@名無史さん
21/02/01 17:39:33.47 .net
>>875
既に上皇后という新しい称号を新設してしまった以上、将来的に仮に退位した天皇が現れたとしても今回の退位が先例になるのは必至。
よって生前退位した上皇の妃に皇太后の称号が再び使われることはもう無いと見るのが妥当。

899:日本@名無史さん
21/02/01 18:35:48.66 .net
慶喜は貴族院議員になっても全く仕事しなかった

900:日本@名無史さん
21/02/01 19:53:15.69 .net
慶喜の生活費は宗家丸抱えだったのかな?

901:日本@名無史さん
21/02/01 21:03:27.84 .net
>>880
 そうとは限らない。
 今後、現れるはずの無かった「上皇」がこんな短期間に検討らしき検討もしないで導入され、上皇后なんて、伝統の欠片も無い称号が誕生するぐらい、政府には定見が無い。天皇や皇族の意見次第で代わり得るのではないか。
 孝謙(称徳)天皇時代の独特の名称のように、正田美智子一代の称号になるかも知れない。

902:日本@名無史さん
21/02/01 21:30:54.64 .net
日本史じゃなくても太后という言葉は出てくるのに、意味がわかりにくくなっちゃうよなあ

903:日本@名無史さん
21/02/01 21:33:32.45 .net
ていうか明仁が死んだら美智子は皇太后になるのかそれとも上皇后のままなのか、それは決まってるのか?

904:日本@名無史さん
21/02/01 21:45:45.54 .net
太上皇后という尊号自体は皇帝の未亡人ならぬ太上皇の后として唐土ではいくつか例がある(太上皇自体が少ないから目立たないとは言え)
日本では伝統的に太上皇后とするところも皇太后としてきたから馴れないだけ
とはいえ太上皇や太上天皇の略語である上皇を正式名称とするところに拒否反応があるのは十分に理解できるし上皇后なんて尚更

905:日本@名無史さん
21/02/01 21:53:21.82 .net
>>885
だから上のレスでもややこしいという話になってるんだろうな
恐らく皇太后にならず上皇后のままだと思う
逆に上皇后が上皇崩御後に皇太后になったら
仮に今上が先に身罷られた場合雅子皇后の称号はどうなるのかという話になる

906:日本@名無史さん
21/02/01 21:58:59.86 .net
そもそも法令自体が天皇の退位等に関する皇室典範特例法と政府自ら「特例」であると言ってるんだから
上皇后は今回限りの特例で押し倒すことも理論上は可能
逆に皇室典範改正で上皇后などと書き込まれなくて良かった

907:日本@名無史さん
21/02/01 22:01:25.98 .net
>>886
皇嗣も「皇太弟」で良かったのでは?って感じ。

908:日本@名無史さん
21/02/01 22:13:44.17 .net
仮に上皇崩御→今上天皇崩御の場合
美智子:上皇后→皇太后→太皇太后
雅子:皇后→皇后→皇太后
紀子:皇嗣妃→皇嗣妃→皇后
仮に今上天皇崩御→上皇崩御の場合
美智子:上皇后→上皇后→太皇太后
雅子:皇后→皇太后→皇太后
紀子:皇嗣妃→皇后→皇后
かな?

909:日本@名無史さん
21/02/01 22:23:26.53 .net
>>887
そのケースだと
美智子上皇后→太皇太后
雅子皇后→皇太后
紀子妃→皇后
かしら?

910:日本@名無史さん
21/02/01 22:24:57.69 .net
リロードしないうちに同じようなこと既に書き込まれてたw

911:日本@名無史さん
21/02/01 22:40:47.37 .net
太子ではない跡継ぎなら皇儲って言葉もあるのにね。「皇儲殿下」で検索すると中国語のサイトが多くヒットするから、中国語では現役の語彙なんだろうな。

912:日本@名無史さん
21/02/01 22:57:55.40 .net
日本の歴史上で馴染み深いのは儲君だな
近世だと皇太子冊立の前段階として儲君に治定されるのが例
明治天皇は儲君からそのまま践祚

913:日本@名無史さん
21/02/01 23:11:15.73 .net
>>888
法律の立て付け上上皇后は皇太后と同じようなものだよね

914:日本@名無史さん
21/02/01 23:14:34.64 .net
千家男爵家、諏訪子爵家、阿蘇男爵家
いずれも神代からの由緒ある家柄だが
これらの家から皇室に嫁ぐのは爵位的に難しかったのだろうか?

915:日本@名無史さん
21/02/01 23:30:34.21 .net
上皇→太上天皇(略称として上皇)
上皇后→皇太后(略称として太后)
皇嗣→皇太弟
歴史的に見てこれが一番理想的だったな。

916:日本@名無史さん
21/02/02 00:04:45.61 .net
皇太后ってそんな国民の間に未亡人のイメージある?
普通に美智子さまは皇太后になられますとなったら国民はへーって感じで素直に受け入れたと思う
結局は有識者を名乗るメンバーが勝手に未亡人のイメージだったというだけ

917:日本@名無史さん
21/02/02 00:06:09.55 .net
>>896
そのクラスになると爵位の高低は問題にならないのでは。

918:900
21/02/02 00:29:11.79 .net
900

919:日本@名無史さん
21/02/02 02:48:43.75 .net
>>896
前例ないからね

920:日本@名無史さん
21/02/02 03:25:06.96 .net
皇族の話題はやたら伸びるな

921:日本@名無史さん
21/02/02 06:18:51.02 .net
華族ってホモはけっこういたの?

922:日本@名無史さん
21/02/02 09:13:01.11 .net
>>896
神代からの家系ということで特別視する向きがあるがそれらは近世までの身分は地下諸大夫と同じ層
阿蘇は非参議に昇ったが昇殿が聴された訳ではなく地下の公卿
堂上の下層ですら皇室との縁組みは縁遠いのに更にその下層から選ばれる訳がない

923:日本@名無史さん
21/02/02 10:22:42.37 .net
>>888
その発想はなかった
発想の転換だな

924:日本@名無史さん
21/02/02 12:21:11.90 .net
普段皇室の伝統ガーとか言ってるネトウヨさんは「上皇后」とかいう称号には無関心なんだな

925:日本@名無史さん
21/02/02 13:10:32.93 .net
>>898
提唱したの本郷和人氏の夫人説。

926:日本@名無史さん
21/02/02 13:14:47.81 .net
>>883
孝謙(称徳)天皇の頃なんかあったっけ?

927:日本@名無史さん
21/02/02 13:29:48.51 .net
白川伯王家て断絶してるのな
庶家は続いてるのにこのパターン多いな

928:日本@名無史さん
21/02/02 16:31:23.24 .net
白川伯家は江戸前から公家から養子が入っている
藤原の出でも宮中祭祀を司る神祇伯になると王を名乗ることができるんだね
最後の当主は北白川宮家の庶子家の上野伯爵家から養子をもらい、500年ぶりに皇族の血になるかと思われたが離縁して絶家か
上野伯爵家自体も松平から養子をもらい北白川宮家の血じゃ無くなってる

929:日本@名無史さん
21/02/02 17:03:47.70 .net
>>910
江戸以前に大納言を出せる家柄ってそれだけ特別なんだよね

930:日本@名無史さん
21/02/02 17:33:26.73 .net
>>898
皇太后号は昔からあったけど、平安時代末期から江戸時代までの上皇の后や天皇の母の号は、「女院」号が使われるようになって皇太后はほとんど使われなくなった。明治以降、皇太后号が再び使われるようになったが、昭憲皇太后や貞明皇后、香淳皇后など天皇崩御にともない皇太后になったから未亡人のイメージになってしまったんだろう。

931:日本@名無史さん
21/02/02 17:42:52.45 .net
>江戸前から養子
手鼻かみながら「てやんでえべらぼうめえ!」とか言ってそう

932:日本@名無史さん
21/02/02 18:06:55.29 .net
白川伯王家に取って代わった吉田家は江戸時代の家禄766石もあるのね。全国の神社からの礼金もあるだろうし、相当な勢いだったんだろうなあ。
摂関家は他にも実入りが多いから単純比較はできないけど、一条家鷹司家だって江戸初期の家禄は1000石だもんな。

933:日本@名無史さん
21/02/02 18:07:49.95 .net
>>910
東京湾から水揚げされたのか

934:日本@名無史さん
21/02/02 21:15:00.97 .net
上皇上皇后とは言わずに院号で良かったんじゃないか?
明仁院、美智子


935:@とか



936:日本@名無史さん
21/02/02 21:16:17.11 .net
院号は仏教と密接な関係があるから、明治以降のネオ天皇制とはフィットしない

937:日本@名無史さん
21/02/02 21:37:39.72 .net
「天皇制」自体がネオだから

938:日本@名無史さん
21/02/02 22:41:27.30 .net
>>898
 全く同感。
 皇太后に未亡人という意味は歴史的にも無い。
 そもそも、摂政が二重権威になるからまずくて、上皇が二重権威にならないなんて理屈は
おかしい。
 確かに海外には、退位する国王もいるけれど、摂政を置く国も多い。
 憲法上の規定にある摂政の方が、立憲主義の観点からも本来は望ましいだろう。
 結局のところ、上皇、上皇后の歴史や伝統を軽視する態度には本当に残念。まさに晩節を
汚してしまった。

939:日本@名無史さん
21/02/02 22:43:10.64 .net
華族じゃねーし

940:日本@名無史さん
21/02/02 23:22:05.59 .net
歴史や伝統で語るなら、生前譲位ができないなんて明治憲法以降の話だし
「いまの先例は古の新儀、朕が新儀は後の先例たるべし」でいいんじゃねw

941:日本@名無史さん
21/02/02 23:24:30.55 .net
後醍醐天皇?

942:日本@名無史さん
21/02/02 23:39:01.79 .net
>>919
摂政を拒否したのは明仁上皇だよ。
政府は摂政設置を進めたが拒否され、政府に相談なしにNHKを使って退位をしたいと報道させた。

943:日本@名無史さん
21/02/03 00:20:35.34 .net
>>923
拒否したの知ってるから書いてるんだろ

結局のところ、上皇、上皇后の歴史や伝統を軽視する態度には本当に残念。まさに晩節を
汚してしまった。
まあ俺は全くそうは思わんが

944:日本@名無史さん
21/02/03 09:59:12.28 .net
>>917
なるほど

945:日本@名無史さん
21/02/03 16:10:15.95 .net
国事行為代行と摂政って違うのか

946:日本@名無史さん
21/02/03 16:44:40.61 .net
外遊とか手術とかのときに置くのが国事行為臨時代行では?

947:日本@名無史さん
21/02/03 16:50:19.58 .net
英国では国事行為臨時代行と同様の立場をCounsellor of Stateと言い常時5名ほど指名しておく
サセックス公が外されたかどうかは知らん

948:日本@名無史さん
21/02/03 18:03:40.61 .net
国事行為臨時代行は文字通り、天皇の委任を受けて国事行為を臨時代行する人。
摂政は天皇の意思に関わらず、皇室会議が設置する天皇の代理となる人で国家機関。

949:日本@名無史さん
21/02/03 18:15:30.71 .net
仮に摂政が置かれてたら大正天皇の時のように
摂政宮と呼称されてたんだろうかね

950:日本@名無史さん
21/02/03 20:14:25.44 .net
摂政さま

951:日本@名無史さん
21/02/03 20:20:32.86 .net
そんな摂政な

952:日本@名無史さん
21/02/03 20:21:29.85 .net
まあ「摂政殿下」あたりではないか

953:日本@名無史さん
21/02/03 20:54:22.54 .net
>>931
今の特にマスコミとかの状況を見ると有り得そう
昭和天皇ご逝去とか言ってるからな

954:日本@名無史さん
21/02/03 22:21:11.18 .net
崩御
薨御
薨去

955:日本@名無史さん
21/02/04 08:57:14.13 .net
皇室の話題に乗っかってしまうけど
今の皇族は昔の臣籍降下みたいな制度あるの?
例えば三笠宮家のような傍系に男子がいたらその子孫まで永世皇族なの?

956:日本@名無史さん
21/02/04 10:28:31.83 .net
>>936 どうぞ
URLリンク(elaws.e-gov.go.jp)

957:日本@名無史さん
21/02/04 10:58:13.33 .net
>>937
ありがとう

958:日本@名無史さん
21/02/04 14:03:40.95 .net
戦後、「王」が未だかつて存在したことがない

959:日本@名無史さん
21/02/04 14:32:08.51 .net
終戦から現憲法施行までは旧皇族の王はいたぞ。

960:日本@名無史さん
21/02/04 16:14:46.52 .net
終戦直後の大命降下で内閣総理大臣になったのは稔彦王だったな。

961:日本@名無史さん
21/02/04 16:17:31.26 .net
>>940
45年から47年までか

962:日本@名無史さん
21/02/04 16:32:15.65 .net
稔彦王が首相になったのは戦後の混乱期とはいえ異常事態だな
平時だったら違法っていうか皇族が首相なんてあり得ないこと

963:日本@名無史さん
21/02/04 16:38:11.82 .net
いくらバカでもスレタイくらいは読もうね

964:日本@名無史さん
21/02/04 17:04:12.99 .net
近衛が政権を投げ出した後、後継首班として東久邇宮が候補に上がった
宮は陸軍大将でもあり海軍と陸軍双方反対のない人選だった画家木戸幸一がそれを潰し東條英機を首相に押し込んだ
東久邇宮が皇族の威光を持って国内陸海軍を抑えて対米交渉妥結に向け思い切った政策転換を行えば対英米戦は回避できたかもしれない

965:日本@名無史さん
21/02/04 19:35:57.59 .net
木戸幸一が、東条たちは華族になりたくて戦争に熱心になったという話をしていたらしいけど、
アメリカとの戦争を回避すれば、その功績をたたえて華族にすると耳打ちすれば、回避のため
にもっと力を尽くしたんだろうか。

966:日本@名無史さん
21/02/04 20:00:48.84 .net
どうでも良いけど木戸一族めちゃエリート一家だな、爵位無しの一族も含めて維新組は教育熱心な家庭多いわ

967:日本@名無史さん
21/02/04 21:05:40.76 .net
珍田伯のような有能な人はもっと知られて良い。
あまりに影が薄すぎる。

968:日本@名無史さん
21/02/04 23:00:20.71 .net
>>948
日本語より英語が上手い人

969:日本@名無史さん
21/02/05 02:04:45.45 .net
平沼騏一郎と織田小覚(織田有楽斎の子孫)って親交あったんか

970:日本@名無史さん
21/02/05 08:34:04.85 .net
>>947
原田熊男男爵に家柄で大臣になったが普通なら局長止まりの人間と評された木戸幸一
宮中グループは政敵から君側の奸と言われたりしてたがとんでもない 木戸の頭には天皇ありて日本なし 天皇さえ守れれば日本国民などどうでも良かった
木戸の東條の起用の意図は日米開戦とそれに伴う必然としての敗戦を見越し敗戦時に全責任を追っかぶせる生贄の役目だった 東久邇宮首相で和平を追及するのは成功の算が低い
であればもう敗戦前提で皇室護持で動いた方がいい
300万の犠牲も皇室が護持できたのであるから安いものでありついでに軍部も一掃できた
木戸は完全に勝利した 局長止まりなどとんでもない 悪魔的存在だよ木戸は

971:日本@名無史さん
21/02/05 10:41:35.30 .net
原田熊雄の夫人は岩国吉川家出身だけど
縁談が舞い込んで来た時にウチのような成り上がりの家とは身分が違うと言って最初は断ったらしい
やはり明治大正期になっても江戸時代の身分を引きずる面も残ってたんだな

972:日本@名無史さん
21/02/05 11:03:55.45 .net
>>952
家柄的には旗本と支藩の大名だからそこまで不釣り合いにも見えんけどね。普通にあり得る組み合わせ。

973:日本@名無史さん
21/02/05 12:06:10.28 .net
原田家は元々旗本ではなく岡山藩士

974:日本@名無史さん
21/02/05 12:21:20.78 .net
>>953
支藩とはいえ吉川氏は6万石治める家柄だったからな。
旗本といってもピンキリだし一概に言えない。

975:日本@名無史さん
21/02/05 17:08:05.99 .net
>>953
いや普通にあり得る組み合わせ。では無い

976:日本@名無史さん
21/02/05 19:42:07.85 .net
>>948
子供の名前が独特

977:日本@名無史さん
21/02/05 20:37:42.67 .net
興味深かったので調べてみた
羽柴駿河守廣家 宇喜多和泉守直家女
吉川内藏助廣正 長門中納言輝元(本家、大名)女
吉川監物廣嘉 鷲尾大納言隆量(堂上)女
吉川内藏助廣紀 石川八郎左衞門義當(寄合)女
吉川勝之助廣逵 栗原忠


978:ヌ(陪臣)女 吉川左京經永 中條大和守信實(高家)女 吉川吉五郎經倫 一柳土佐守末榮(大名)女 吉川和三郎經忠 織田出雲守信憑(大名)女 吉川ェ三郎經賢 なし 吉川監物經禮 木下主計頭俊懋(大名)女、毛利石見守就友(一門、大名)女 吉川尚五郎經章 長井元簡(陪臣)女 吉川駿河守經幹 木下備中守利愛(大名)女 吉川駿河守經健 毛利讚岐守元純(一門、大名)女、堤右兵衞佐功長(堂上、子爵)女、加藤遠江守泰秋女、千家尊澄(出雲國造)女



979:日本@名無史さん
21/02/05 23:20:08.41 .net
>>958
当主と妻の家柄か?
吉川家は藤原南家(女系)で血筋では毛利元就の男系子孫だから、
江戸時代はともかく、長州藩閥が幅をきかせる明治時代では爵位以上の家格があったんじゃないのか?

980:日本@名無史さん
21/02/06 03:56:39.89 .net
何言ってんだこいつ

981:日本@名無史さん
21/02/06 08:45:58.75 .net
>>959
毛利の男系子孫だからって爵位以上の家格になるなどあり得ない
大名では実際の血統より家の存続の方が大事だから誰から養子迎えてようがそんなの家柄に関係ない


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