華族についてpart12 at HISTORY
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600:日本@名無史さん
21/01/21 21:10:30.18 .net
上皇后が小室を思いっきり嫌ってるようだが
眞子40歳過ぎかな結婚できるの

601:日本@名無史さん
21/01/21 21:43:16.81 .net
>>588
男爵基準ボーダーというのはどう判定するんだ?

602:日本@名無史さん
21/01/21 23:18:20.49 .net
>>591
幕末時の5000〜1万石の旗本、陪臣(藩主一門や重臣クラス)
1万石前後が大体男爵ボーダーラインだと言われてる

603:日本@名無史さん
21/01/21 23:33:10.61 .net
そう考えると男爵でも結構凄いんだな

604:日本@名無史さん
21/01/22 00:20:37.23 .net
男爵ボーダーで貰えなかった一族(例)
・久野家(一万石、紀州藩重臣)
・水野太郎作家(7000石、紀州藩重臣)
・志水家(一万石、尾張藩重臣)
・板倉家(旗本、8000石)
・横田家(旗本、9500石)
・伊達家数家(藩主一門二万〜8000石)
男爵ボーダーは通字使わなくなった家系とかも結構多いから明治以降の子孫を追うのは苦労するわ。
この辺は元々金稼ぎのノウハウ持ってたり子供への教育熱心な家庭が多いからなのか極端に没落している家系は少ない気がする。

605:日本@名無史さん
21/01/22 05:04:49.15 .net
中国中心史観禁止な😀
どお見ても間違えてるからよ

606:日本@名無史さん
21/01/22 10:56:24.25 .net
>>594
同じ紀州家重臣の水野家は新宮藩藩主で男爵か
不満が出るのも分かるな

607:日本@名無史さん
21/01/22 11:33:33.76 .net
こう見ると当時の貴族院はお飾りに近いのかなと思う
衆議院とかは地元の身分問わない奴等から強烈なフィルターかけて選出してるから必然的に実力者しかでないわけだし

608:日本@名無史さん
21/01/22 11:46:39.74 .net
1万石近くあってもただの旗本(寄合)では華族の候補として挙げられたこともないよ
候補とされたことがあるのは交代寄合と高家のみ
陪臣であれば万石以上
上記で更に華族の体面を維持できる収入があることが条件だったので
結果的に高家では華族になれなかったし
万石以上陪臣でもなれないところはあった
万石以下陪臣で華族になったとしたら勲功によるもの

609:日本@名無史さん
21/01/22 12:08:51.65 .net
>>598
審査厳しいな
明治以降の動向見ると華族の体裁保てそうな家もあるのになれなかったのは水面下で断ってたとかかな

610:日本@名無史さん
21/01/22 12:12:15.44 .net
万石家老の家臣たちが主人を華族にしてくれ運動とかも勃発してたりした

611:日本@名無史さん
21/01/22 12:14:16.34 .net
>>598
どことは言わないけど、私の母の実家が某大名の陪臣(1万石以上)で男爵だったよ。

612:日本@名無史さん
21/01/22 12:25:49.79 .net
>>600
武生一揆か、領主よりも周りの人間が揉めるんだよな。男爵にならないと仕事が無くなるからなんだろうけど。

613:日本@名無史さん
21/01/22 12:27:59.79 .net
維新前は社会的慣習として士分と認めるとしたら陪々臣までということになっていたが
維新後は陪々臣を一律平民としてしまったというズレがあったところがそういう騒動の遠因にもなってる

614:日本@名無史さん
21/01/22 12:50:07.03 .net
華族からはズレるけど
版籍奉還後に藩主は東京移住を命じらるんだけど
領民が東京行きに反対して一揆起こした例が結構ある
これは藩主が領民から慕われてたという事なのかね?

615:日本@名無史さん
21/01/22 13:00:47.47 .net
>>604
藩主が上京する事による仕事が無くなる危機感じゃね?実際当時から都市部と地方の格差は出てきたみたいだしな。

616:日本@名無史さん
21/01/22 13:06:01.49 .net
604
自分とこの知事やら町長レベルのやつらがいなくなるってことだけど?

617:日本@名無史さん
21/01/22 13:10:52.09 .net
まあおそらくは戦国時代の人質って考えからやってるんだろ〜があんなんやっても意味ねえわ
それ以前でそんなのあったと思うか?
そいから源氏将軍でそれ以外のやつらが将軍について意味あると思うか?
朝廷のバカは単なる官職扱いくらいだったんだろけどな
公家はいずれ神職に転職するの決まってたのなら存続させる意味あると思うか?

618:日本@名無史さん
21/01/22 13:11:40.77 .net
日本最古の家系である宗像大社の宗像氏は華族にはならなかったのがおかしい。

619:日本@名無史さん
21/01/22 13:18:22.95 .net
そんなん言い出したら宇喜多とか本間とか幾らでもあるからな

620:日本@名無史さん
21/01/22 13:19:45.61 .net
>>608
宗像大社と同じくらい古い諏訪大社の諏方氏だって華族にならなかった

621:日本@名無史さん
21/01/22 13:56:06.21 .net
最後は徳川家がお取り潰しになり終わっただろ
徳川家が始めた制度やからな😀

622:日本@名無史さん
21/01/22 13:57:33.06 .net
それ以前はそんなんねえもんよ
国人らはほとんど動かず守護や国司らのみが動く

623:日本@名無史さん
21/01/22 15:27:45.43 .net
>>610
まあ諏訪氏は大名として子爵になってるけどな。

624:日本@名無史さん
21/01/22 16:08:34.64 .net
諏訪家は武田信玄に侵攻されて領地奪われたりして散り散りになったけど
江戸時代になって家康がまた諏訪地方を諏訪家に戻して所領安堵してくれた

625:日本@名無史さん
21/01/22 18:15:00.12 .net
それでも3万石程度の小藩。

626:日本@名無史さん
21/01/22 19:36:27.26 .net
>>600
阿波徳島藩の淡路島領主も陪臣扱いで華族にされず、
暴動起きて淡路島は兵庫県にされた

627:日本@名無史さん
21/01/22 19:36:50.14 .net
僅か13石の下級藩士に過ぎなかった渡辺千秋は伯爵になり
旧主家の諏訪子爵家より格上になってしまった

628:日本@名無史さん
21/01/22 20:55:12.51 .net
諏訪の話題ばかり書き込んでる奴はスレ立ててやれ

629:日本@名無史さん
21/01/22 21:36:37.26 .net
徳川家達が学習院総裁に擬せられた際に
松浦厚伯に鶏姦の事実を暴くと言われて沙汰止みになった話があるけど
学習院総裁って何?院長とは違うのかな?

630:日本@名無史さん
21/01/22 21:36:52.09 .net
>>594
仙台伊達の陪臣も亘理伊達とか白石片倉小十郎家なんて北海道開拓の功で男爵だもんな

631:日本@名無史さん
21/01/22 23:17:25.45 .net
>>619
その松浦っておっさんも晩年に若い妾にデレデレしててあまり品行が良いとは言えない

632:日本@名無史さん
21/01/23 01:17:12.11 .net
衝撃の事実
松浦は、まつうら ではなく まつらと読む

633:日本@名無史さん
21/01/23 02:20:26.13 .net
>>622
それ常識だから

634:日本@名無史さん
21/01/23 06:17:26.82 .net
松浦氏が魏志倭人伝のマツラ国から続いている家系だったら凄かったのに違うのね

635:日本@名無史さん
21/01/23 10:07:15.74 .net
>>623
そうなの?
俺wiki見るまで知らなかったわ
日本史の素養無いんだな

636:日本@名無史さん
21/01/23 10:21:01.01 .net
>>619
総裁は男女学習院のトップで、
院長は男学習院のトップなんじゃない?
知らんけど。

637:日本@名無史さん
21/01/23 10:46:32.64 .net
明治大正の頃は女関係はゆるゆるでお殿様が妾を囲おうが女中に手をつけようが始末をきちんとしておけば問題視などされなかった 少なくともかく品行の基準は女関係には今よりはるかに低い 戦後でも吉田茂や三木武吉なども別に何の問題にもなっていない
とは言え程度というものはありその程度を越えた華族が相当数いたのは確かである

638:日本@名無史さん
21/01/23 11:12:30.33 .net
今で言う乱パをして事件になった不良華族事件

639:日本@名無史さん
21/01/23 11:45:22.65 .net
まあ普通は社家ならそおかもしれんが国司とかで皇族や公家の子孫らが根付き武家勢力確率やからね
松浦氏の場合は嵯峨源氏を中心として東北の安倍の残党などが加わり成立
この勢力が松浦党を結成した

640:日本@名無史さん
21/01/23 11:47:26.90 .net
あまり京都の連中らって現地赴任したがらないの
関東には親王任国ってんで三ヶ国あるのよ
平家は上総親王國出身やし源氏も親王任国にやがて寄った

641:日本@名無史さん
21/01/23 11:48:15.41 .net
>>619
>>626
総裁=院長

642:日本@名無史さん
21/01/23 12:01:05.65 .net
日本の首相で一番の女好きは伊藤公であるのはほぼ異論のないところである 宇野宗佑など足元にも及ばない
だがこれ程の女好きでもお札にまでなり教科書的には立派な人という事になっている
こうしたことは日本に限ったことではなく中共最大の女好きの毛沢東もお札になっているし歴代アメリカ大統領で一番のセックス気狂いだったケネディのシモの緩さはクリントンどころではないがその辺はあまり触れない事になっている
仕事さえやっていれば下半身は問わない 洋の東西


643:を問わず以前はこうだった



644:日本@名無史さん
21/01/23 12:03:20.48 .net
日本の歴史上の人物で一番子作りしたのは徳川家斉?

645:日本@名無史さん
21/01/23 12:10:17.63 .net
在地勢力で力を持っていた国津神勢力(古墳集団勢力)はヤマト朝廷におとらず変わらずの力を持っていた
ってことさ

646:日本@名無史さん
21/01/23 12:12:00.36 .net
天武天皇が近江の朝廷を滅ぼしたときに日本国成立宣言
これより始まる
まだ日本全国の統一など遥か彼方

647:日本@名無史さん
21/01/23 12:18:50.50 .net
>>632
ケネディってそんなだったの?意外
カトリックでセックス気狂いのイメージはあまりなかった

648:日本@名無史さん
21/01/23 13:20:30.18 .net
西南戦争で旧藩士率いて出兵した藩主いなかったっけ?

649:日本@名無史さん
21/01/23 13:29:26.52 .net
>>637
島津啓次郎だな、明治になっても身内同士殺し合うのは最早島津家の伝統

650:日本@名無史さん
21/01/23 14:07:14.76 .net
>>638
そういえば、関ヶ原の直前に大規模な内乱(反乱?)があって、関ヶ原には1千人程度の人数しか派遣できなかったんだよな
領地は70万石以上あるんだから、関ヶ原には2万人程度の人数を派遣できただろうし、そうなれば戦いで主導権取れてたはず

651:日本@名無史さん
21/01/23 14:11:00.10 .net
無知自慢はもういいから

652:日本@名無史さん
21/01/23 14:23:30.60 .net
華族うらやましい!だのって時点で終わり

653:日本@名無史さん
21/01/23 14:25:40.90 .net
九州の場合は鎌倉時代から九州管領軍が支配してきたもんな😗

654:日本@名無史さん
21/01/23 14:28:11.01 .net
島津の役割りは中国🇨🇳の情勢を探りそれを京都の将軍に報告するためにあの位置に配置されたんだが

655:日本@名無史さん
21/01/23 14:29:04.10 .net
新政府だな妄想こいた連中らは日本の天皇が中国皇帝だとか思ってたのかな?

656:日本@名無史さん
21/01/23 14:32:45.62 .net
足利で正解だったってことやろ

657:日本@名無史さん
21/01/23 14:51:10.72 .net
>>637
桑名藩主 松平定敬

658:日本@名無史さん
21/01/23 16:16:32.66 .net
>>633
嵯峨天皇だろ。わかっているだけで40人以上子供を作っている。
嵯峨天皇以外にも20人以上子供を作った天皇は多数いる。
徳川家斉は将軍の中で子供が多いから目立っているだけで、日本史から見るとたいしたことない。

659:日本@名無史さん
21/01/23 16:43:41.94 .net
家斉かずき

660:日本@名無史さん
21/01/23 18:03:31.65 .net
>>647
家斉は50人以上の子供作ってる

661:日本@名無史さん
21/01/23 19:06:53.15 .net
家斉の時代は性が乱れすぎ
鼈甲の張り型とか大奥で流行してるけらいに

662:日本@名無史さん
21/01/23 20:07:36.94 .net
倭寇が始まる前は真っ先に狙われたのが九州なんだね🙃
武装集団が荒らしまわったりかなり殺されたりすごいで

663:日本@名無史さん
21/01/23 20:19:29.97 .net
社会が安定する時代は性文化も発展する
文化文政時代のエロ浮世絵や春本の大発展、昭和初期のエログロナンセンス、高度成長期以降のブルーフィルムやビニ本などから現在に至るエロ文化
激動の時代はただただ粗暴な性があるのみで、爛熟のエロ文化は発展しない

664:日本@名無史さん
21/01/23 20:30:48.22 .net
家斉は子供を作るだけ作っておいて子孫を残せず将軍として一番の仕事を果たせなかった
結果的に50年の間に風紀が乱れ、停滞し腐敗した側近政治をもたらし、豪奢な生活で幕府財政の悪化に拍車を掛けたりロクな事をしなかった

665:日本@名無史さん
21/01/23 22:00:01.16 .net
松平確堂の息子失踪事件


666:日本@名無史さん
21/01/23 23:48:00.53 .net
勲功華族で裕福な家はどれだけあったんだろうか

667:日本@名無史さん
21/01/24 09:41:16.13 .net
松方家、佐野家

668:日本@名無史さん
21/01/24 09:54:35.83 .net
>>655
軍役の功で貰った層は貧乏が多いと思う、子孫の一部が爵位返上してるしね。文官とか学問で貰った層は>>490の理由からなのか実家が金持ちが多いと思う、こっちは爵位の授与拒否がある。

669:日本@名無史さん
21/01/24 10:46:27.77 .net
貧窮が原因で爵位返上・・・。
華族の体面を守るうえで必要なことってなんだろ。
門構えのある邸宅に住むとか家令・使用人がいるとか
服装に乗り物、祝儀不祝儀に金銭支出を惜しまないとかかな。
それとも借金で破産しないかぎり庶民並みの生活環境でもおk?

670:日本@名無史さん
21/01/24 11:08:39.77 .net
乗り物を借りることすらできないので徒歩で貴族院に登院した侯爵とかいなかったっけ?
江戸時代も牛車がないので、御所近くまで歩いてそこから借り物の牛車に乗る公家は多かったらしいが
公家華族は貧乏なりに体面だけは繕うテクニックを磨いてきたっぽいけどなw

671:日本@名無史さん
21/01/24 11:10:34.07 .net
>>658
金儲けのセンスじゃね?士族平民より政財界のコネはあるんだからそれを換金出来る一族は強いでしょ。維新の士族男爵基準として一万石があるんだからそれなりの格式は求められるわけで。
あと西郷隆盛一族も出自は地主兼業の武士だからそこら辺の士族上がりより金持ってると思われ。

672:日本@名無史さん
21/01/24 12:07:44.12 .net
>>659
公家華族は公爵は家産10万と定め不足分を爵録として支給したそうだが侯爵家以下はそう言った措置がなく侯爵家では政府に嘆願したり相当運動したらしいが全く実らなかった
貴族院に徒歩、腰弁当の華族にあるまじき不体裁で登院したのは侯爵醍醐忠敬らしい これは抗議の意味もあってのことのようである
忠敬侯爵は裕福でない反動もあってかドケチで病疾の兄を蔑ろにして甥に恨まれ、この甥も借金で首が回らず侯爵を射殺という挙に出た
当然大きな話題となり公家華族の貧乏ぶりが天下に知られた
とんだ赤っ恥だがこれでも爵位は維持された
大恥かいた醍醐侯爵家だが忠敬の孫の忠重侯は公家華族にしては出色の出来物で海軍中将にまで昇進しボルネオで刑死した

673:日本@名無史さん
21/01/24 12:30:35.32 .net
経済的には侯爵が一番損な立場な気がする。
公爵は最低資産として10万円は政府から保証されてて、
伯爵以下は貴族院の活動をすれば歳費が出て収入になる。
一方、侯爵は公爵のような最低資産の保証も無ければ貴族院の活動も無給。
大名華族の侯爵は大富豪で問題ないけど公卿華族は本当に大変だったろう。

674:日本@名無史さん
21/01/24 12:47:21.02 .net
皇族は霞会館の名誉会員になってるらしい

675:日本@名無史さん
21/01/24 15:27:18.09 .net
本願寺の大谷伯爵家が一番の金持ちだろうね

676:日本@名無史さん
21/01/24 15:46:35.57 .net
どっちかというとお西さんの方だな

677:日本@名無史さん
21/01/24 16:44:17.04 .net
「大名華族は金持ち」って事だけど、土地や家宝を私有財産として引き継いだから?
あの頃は固定資産税とか相続税とかなかったのかなあ?

678:日本@名無史さん
21/01/24 16:50:12.09 .net
>>666
知行地とは別に自分の土地を持ってたから、大名クラスだと都内にも土地持ってる事が多いから東京移住もスムーズに行けたのかなと。
公家や1000石以下の勲功は持ってなかったり、あっても少ないから副収入が無い分不利だったかと。

679:日本@名無史さん
21/01/24 16:57:47.70 .net
あと下級公家は貧しくて維新以前はバ


680:イトみたいな事してギリギリで食い繋いでいた家も多かった。結局得したのは公家華族でも岩倉とか一部の特権層ってだけってオチ。



681:日本@名無史さん
21/01/24 18:06:12.21 .net
>>666
大名はそもそも巨額の金禄公債を与えられてるし、相続税は日露戦費調達のために創設された税制で、それまではなかった。

682:日本@名無史さん
21/01/24 18:19:16.76 .net
あと明治以降の動きを見ると一部の有力士族は大地主に転向したり、懇意にしてた豪商や豪農と手を組んで銀行立ち上げたりして大儲けしてんだよな。華族例の名目上は公家の地位向上だけど、結果的にトドメ刺しちゃったってオチ。

683:日本@名無史さん
21/01/24 18:31:16.42 .net
幕末には貧乏公卿だった岩倉家が維新後には十五銀行設立に30万円拠出してる。

684:日本@名無史さん
21/01/24 18:43:02.46 .net
政変のドサクサに紛れてインサイダー紛いな事やってて草

685:日本@名無史さん
21/01/24 19:09:35.07 .net
公家ではないが、公家に似たような大谷家が一番金持ちなのは仕方ないよな
何て言っても日本最大の真宗の門徒からのあがりは半端ねーからな

686:日本@名無史さん
21/01/24 19:14:27.39 .net
岩倉具視は賞典禄としても5000石貰ってるな。たった5000石と思うかもしれないが、家禄を割いて養なうべき家臣団がない純粋な収益と考えれば、5万石の大名の収入に匹敵すると言っていいだろう。
大名が私的用途に自由に使える収入がだいたい年貢総量の1割だそうだし、後の秩禄処分のときも家禄の1割が基準だった。

687:日本@名無史さん
21/01/24 19:38:19.46 .net
大名制度やめた方がよかったんでない?

688:日本@名無史さん
21/01/24 19:41:50.63 .net
幕末はどの藩も財政が火の車だった
ある意味幕藩体制を終わらせるのはベストのタイミングではあったね

689:日本@名無史さん
21/01/24 19:49:05.67 .net
永世俵150俵ってどの程度?

690:日本@名無史さん
21/01/24 20:24:50.80 .net
前田家はドイツに別邸があったらしい。

691:日本@名無史さん
21/01/24 21:33:29.69 .net
金がないなら作ればいいじゃない 何処かで聞いたような話であるが、幕末金欠で苦しんだ前田藩以下の諸藩が何をしたかと言えば通貨偽造である 
一分銀、二分銀を贋造して利益を出したという
当然こんな代物は品位はガタベリで結果グレシャムの法則通りのことが起き、旧金銀を集めて儲けたものが相当いたという その中には五代才助や安田善次郎等がいた
当然インフレになり割りを食ったのは天下の庶民である

692:日本@名無史さん
21/01/24 22:09:55.50 .net
>>679
偽金というか贋札なら福岡の黒田家がやったよね
藩知事交代させられて

693:日本@名無史さん
21/01/24 22:32:27.78 .net
黒田一族って偽札作ってとんずらしたから福岡じゃすげー嫌われてるんだっけか
他の元領主は明治期の新産業に出資したり曲がりなりにも地域発展の為に貢献してんのにクズ過ぎるな

694:日本@名無史さん
21/01/25 00:10:08.23 .net
華族の邸宅は明治から大正初期までは迎賓館として用いられる西洋館と一家が日常生活を営む為の和館が並列した形態の家が建てられていた。
それが大正後期から昭和になると和館が作られることは減り洋館の中で日常生活を送る完結型の家になっていった。
これは明治の頃


695:ヘ洋式の生活にまだ慣れず以前のように和式で通していたからという理由があった。 しかし大正から昭和になると留学経験や海外生活の長い華族が増え洋式の生活にも慣れていき大名屋敷のような和館はもはや無用の長物となっていた。 このことから明治から昭和にかけて華族の和式から洋式へと生活様式の変容が起こったということが邸宅を見れば分かる。



696:日本@名無史さん
21/01/25 07:29:45.55 .net
天皇もだな
明治宮殿は表御殿は和洋折衷だが奥御殿は純和風。昭和天皇の代になると、そこへ洋風家具を運び込んで洋間として生活していたようだ。

697:日本@名無史さん
21/01/25 08:55:11.35 .net
>>682
大正後期辺りから洋式へ変容というのは生活様式の変容に加えて関東大震災が利いてると思う
都内の華族屋敷も大なり小なり被害を被っておりこれを契機に建て替えが進んだだろう
一般でも同潤会アパートのような先進的な集合住宅も出てきて震災後の東京は江戸の遺風のようなものが一気に消え近代都市へ変容した

698:日本@名無史さん
21/01/25 08:59:10.12 .net
華族と言えど災害は平等に起こるもんな

699:日本@名無史さん
21/01/25 09:16:46.06 .net
ただでさえ物入りだったのに震災の四年後華族銀行と異名を取る15銀行が倒産
大名華族は旧家臣たちの情報で事前に逃げられたが、旧家臣もなく情弱な公家華族は倒産の影響をモロに食らった
これで体力のない公家系の貧乏華族たちは一気に零落したと言う

700:日本@名無史さん
21/01/25 09:43:07.15 .net
天皇家ってのは由緒正しい家柄なんだが本来の役割りを放棄してるから頭来てんだよ🙁

701:日本@名無史さん
21/01/25 10:20:20.75 .net
徳川宗家と前田家の邸宅は洋館と和館が並列してるタイプだな
ただこの2家で違うのは徳川家は和館が日常空間であるのに対して
前田家では和館が迎賓館で洋館が日常空間になってる点
洋館の中の完結型は細川家が代表的だな

702:日本@名無史さん
21/01/25 11:30:26.35 .net
そゆやつら持ち上げることやめてよいんだよ🙃
単なる領主出身なんだからよ

703:日本@名無史さん
21/01/25 11:30:50.04 .net
本来は地縁ないの

704:日本@名無史さん
21/01/25 12:21:01.41 .net
>>685
皇族や華族も何人か死んだな

705:日本@名無史さん
21/01/25 12:49:53.05 .net
>>688
桑名の重文諸戸邸みたいだな
酒田の本間さまを超えた高額納税者

706:日本@名無史さん
21/01/25 13:08:35.63 .net
う〜ん、それどおいう測り方?

707:日本@名無史さん
21/01/25 13:26:35.09 .net
本間様と風間様は東北の二大地主

708:日本@名無史さん
21/01/25 15:04:44.99 .net
>>692
和洋折衷建築?

709:日本@名無史さん
21/01/25 15:43:34.03 .net
古来日本は五畿七道六十余州が内地である
このほか大日本帝国には主要な外地がいくつかあった
北海道、沖縄、台湾、朝鮮の4外地である
このうち琉球王の尚氏は侯爵となり、朝鮮皇帝は王公族として華族の上に位置した
一方、蝦夷地のアイヌの首長達、台湾の高砂族の族長達はとくに身分を与えられることは無かった
この差は統一王権があったかどうかということだと思われる
もしハワイ王国が日本の領土になっていればハワイ王家も侯爵ないし公爵くらいになっていたかもしれない

710:日本@名無史さん
21/01/25 17:10:02.08 .net
古代氏族好きかどうかによる差別

711:日本@名無史さん
21/01/25 17:10:56.13 .net
>>695
和洋並列建築

712:日本@名無史さん
21/01/25 17:18:13.68 .net
台湾には国姓爺合戦で有名な鄭成功の子孫がいるという
これを召し出して華族に列するというのはどうだっただろう
日本の血も引いてるわけだし

713:日本@名無史さん
21/01/25 17:27:52.57 .net
おことわり😀

714:日本@名無史さん
21/01/25 18:21:11.62 .net
華族の嫡男は従五位に叙されることになってるけど
例えば勲功華族に叙された


715:らその段階で嫡男も従五位になるの?



716:日本@名無史さん
21/01/25 18:47:52.32 .net
庶家は士族どころか平民になるのか

717:日本@名無史さん
21/01/25 19:30:10.70 .net
岡部長職は大名華族だが明治政府でもかなり出世した。

718:日本@名無史さん
21/01/25 20:16:42.25 .net
貴族院より衆議院の方が発言力強いのかな

719:日本@名無史さん
21/01/25 20:28:21.82 .net
>>703
息子の長景と徳川家正は外務省の同期

720:日本@名無史さん
21/01/25 20:32:30.11 .net
>>704
強い。
予算先議権は衆議院にあった。

721:日本@名無史さん
21/01/25 20:32:58.16 .net
>>696
北海道は外地じゃないぞ。松前藩があったし。

722:日本@名無史さん
21/01/25 20:37:11.26 .net
>>706
貴族院廃止までの閣僚見てるとほとんど衆議院出身ばかりだから政治は衆議院ありきって流れは既に明治時代から出来上がってたんだね。

723:日本@名無史さん
21/01/25 21:58:41.96 .net
>>707
道民は本州のことを内地という

724:日本@名無史さん
21/01/25 22:13:13.72 .net
>>708
 逆に清浦内閣とか平沼内閣とか貴族院議員主体の内閣もあるのが戦前の特色といえるかも知れない。
 戦後は、参議院議員の首相も参議院議員主体の内閣も出来てないからね。
 参議院議員経験がある宮澤首相と細川首相は居るけどね。

725:日本@名無史さん
21/01/25 23:24:35.57 .net
参議院議員から首相が選ばれないのはなぜ?
制度上は可能だよね?

726:日本@名無史さん
21/01/25 23:57:16.05 .net
>>705
その人も全然出世して無いな
やはり華族は出世に不利なのか

727:日本@名無史さん
21/01/26 00:06:51.75 .net
後明の朱氏(鄭氏)を華族にするなら
満州国の愛新覚羅氏を華族にすべき

728:日本@名無史さん
21/01/26 00:09:56.33 .net
>>712
華族出身者は士族平民出身者から目の敵にされる事が多いのかもね、あと武家華族とかは元主君や元上司の子孫だし気を使うとかもあったのかと

729:日本@名無史さん
21/01/26 04:47:02.49 .net
ことわる😀

730:日本@名無史さん
21/01/26 05:42:24.46 .net
旧主家の出身者はむしろ引き立てる意識のほうが強かったんじゃないかね。
西園寺公一は父親が毛利から入った養子で、松岡洋右は長州出身で若い頃毛利家の書生だったので、有力政治家だったころの松岡は
父親代わりのように「公一さん公一さん」と呼んで、しきりに引き立てようとしていた。あるときは「公一さん、
ぶらぶらしてるのに飽きたら駐豪公使か駐泰公使でもやりませんか?あなたは将来国家有為の材になるんだから、きっとためになりますよ」と
誘われ、その直後に外務省官房長がすっ飛んできて「人事の予定がめちゃくちゃになるのでぜひ辞退してください」と懇願されたとか。

731:日本@名無史さん
21/01/26 07:04:03.53 .net
揚げ足をとるようだが戦前に外務省官房長という官職はないよ

732:日本@名無史さん
21/01/26 07:28:45.65 .net
あり?たしか「官房長」だったと思ったが。
大臣官房は明治時代からあるよね?大臣官房のトップは官房長とは言わなかったということ?

733:日本@名無史さん
21/01/26 07:49:50.95 .net
>>716
公一1人を押し込むぐらいで人事の予定がとか狼狽えるようではその後の松岡の外相就任後にやった大使公使40人以上の首すげ替えの際は卒倒したんじゃないか

734:日本@名無史さん
21/01/26 10:30:35.90 .net
吉田茂は11歳で養父の50万円の遺産を相続
不動産含めると現在の金額で100億円以上
外務省に白馬に乗って通勤したり色々凄い

735:日本@名無史さん
21/01/26 11:42:36.64 .net
なるほど

736:日本@名無史さん
21/01/26 12:10:32.12 .net
吉田は長らく中国大陸勤務で外務省の主流から外れてたのに、
最後には外務次官に


737:悼p大使と外交官のトップにまで出世した。 やはりこれは牧野伸顕伯爵の娘と結婚したからなんだろうか?



738:日本@名無史さん
21/01/26 12:15:21.84 .net
この時代、外務官僚のあがりポストは次官じゃなくて外務大臣だったのでは、という気もする

739:日本@名無史さん
21/01/26 12:19:31.09 .net
どうでもいいよ
近代史でやれ

740:日本@名無史さん
21/01/26 12:30:05.53 .net
>>723
戦前の外交官の上がりポストは駐英大使

741:日本@名無史さん
21/01/26 12:54:19.51 .net
>>718
戦前の大臣官房に所属するのは秘書官など
官房長格の人はいたかも知れないが
官房長ができたのは戦後

742:日本@名無史さん
21/01/26 13:17:49.60 .net
外交官の世界は著しい家柄&閨閥社会と言える
戦前は軍や内務省もそういう部分があったが戦後もそれを維持しているのは外務省くらいだろう
結果外交官上がりの政治家は貴族臭ふんぷんたるものが多く吉田茂もその典型と言え、自由党時代も叩き上げの大野伴睦だの三木武吉だのと反りが合わなかった一方犬養健を重用してみたり毛並みを重視する癖が強かった

743:日本@名無史さん
21/01/26 13:23:59.49 .net
バカが謎の熱弁を続けるスレですか

744:日本@名無史さん
21/01/26 13:25:52.89 .net
当時の外務省は薩摩長州越前紀州出身者が強かったっぽいね
士族平民の叩き上げでその辺の藩出身者は出世しやすかったのかも
まあ叩き上げと言っても地主クラスだったり家老を出せる家柄なんだろうけど

745:日本@名無史さん
21/01/26 13:31:34.14 .net
田畑開墾組でしょ
開墾するときは武将が支持を出し士卒の連中らが田畑を開墾するもん

746:日本@名無史さん
21/01/26 13:33:07.70 .net
荘園開墾終わったら次行くニダ🤩
で氏族増やしてきたの

747:日本@名無史さん
21/01/26 13:33:59.22 .net
開墾した土地は一応その氏族のもんだから飛び地なんかである場合もあるわけ

748:日本@名無史さん
21/01/26 13:35:12.39 .net
開墾できたら今日から俺も領主ニダ🤩
でこの人が初代となっての苗字名乗るだ😀

749:日本@名無史さん
21/01/26 13:36:16.98 .net
武家みなそおやからな
開墾した土地を盗んだりするのを横領と言った

750:日本@名無史さん
21/01/26 13:46:20.53 .net
まあ、東郷茂徳外相の女婿が東郷文彦外務次官、孫が条約局長欧亜局長を歴任して宗男ハウス疑獄までは次官レースでも有力だった東郷和彦、みたいな例は他省庁には稀だよね。

751:日本@名無史さん
21/01/26 13:52:20.23 .net
和彦氏には日ソ関係史に関する勉強会にお招きしてご意見を伺ったことがあるが、靴も靴下も脱いで椅子の上で胡座かいて足の裏をボリボリかきながら議論されていたので、「3代前からエリートの割にはお行儀悪い人だなあ」と感じた記憶がある

752:日本@名無史さん
21/01/26 14:02:27.16 .net
一万石未満くらいの小大名なら祭りに殿さんが参加するし自分から士卒ら出しての開墾計画をやるからな
てか戦ないときはみなこれ

753:日本@名無史さん
21/01/26 14:05:07.47 .net
大身ならその下に陪臣てのがいるんだがその連中らもその領内なんかに領地持ってたりするんだよ
そおすると殿さんが指揮とることもなくなるがな

754:日本@名無史さん
21/01/26 14:08:07.58 .net
武家あがりなんかだとそんとき開墾した土地を持ってたりするんだわな

755:日本@名無史さん
21/01/26 14:16:39.84 .net
>>727
同じ雰囲気の松平恒雄と吉田茂って何となくそりが合わなそう

756:日本@名無史さん
21/01/26 14:25:11.07 .net
松平恒雄も出自はかなりのエリートなのに謎の叩き上げ感あるな

757:日本@名無史さん
21/01/26 15:59:21.28 .net
一高出身で外交官試験にも首席の出自を感じさせない実力派だからだろう
実際に凄い有能な外交官だったしな

758:日本@名無史さん
21/01/26 16:10:55.23 .net
松平恒雄は長男が生まれた時に上司だった小村壽太郎に命名について


759:樺kした。しかし小村が提案した名前を恒雄は「気に入りません」と拒否。 それに対して小村が憮然として「だったら一郎でも次郎でもつけとけば良いじゃないか」と言って名前が決まった。



760:日本@名無史さん
21/01/26 18:26:24.32 .net
地獄男爵だからの🙃
戦争でも起きて世の中が楽しくなってからじゃないと笑顔にならないんだよ

761:日本@名無史さん
21/01/26 18:27:04.78 .net
戦争の中で人間性を磨くみたいなんやろ
感情が育たないんだわな🙃

762:日本@名無史さん
21/01/26 18:47:15.68 .net
NewおだまLee男爵って鹿児島だっけ?

763:日本@名無史さん
21/01/26 18:52:45.68 .net
>>743
「気に入りません」と拒否。
じゃあ相談すんなよw

764:日本@名無史さん
21/01/26 19:07:26.93 .net
>>747
小村「英国で生まれた長男だから英一で」
松平「いやそれはちょっと」
小村「なぜだね」
松平「名前にイチがつくのは壺坂霊験記の沢市(さわいち。盲目の座当。浪曲のネタになってる)を連想するからごめんこうむります」
小村「人に名づけ頼んどいてそれはないだろう。それなら太郎でも一郎でもつけとけ」
松平「一郎にいたします(でもなんでこんなに怒ってんの?)」
小村側近「そりゃ失言だ、小村さんの息子さんは欣一というんだ」
松平「がーん……」

765:日本@名無史さん
21/01/26 19:51:54.17 .net
徳川家正の息子はイギリスで生まれたから家英だな

766:日本@名無史さん
21/01/26 21:04:05.44 .net
小村侯爵家は何か不幸が多かった。

767:日本@名無史さん
21/01/26 22:38:21.44 .net
明治になると旧藩主家の人間でも呼び捨てにされたりしてたのか

768:日本@名無史さん
21/01/26 22:48:02.32 .net
>>751
江戸時代からの藩主と当代の関係者なら流石に気を使うとは思うけど代替わりしたらそう言う事も気にならなくなるんじゃないかなあ。日本郵船の前田徳川エピソードはあまりにも有名だしね。
廃止までは一種のタレントにはなってたと思うけど廃止後はへえーで終わるレベルよ。

769:日本@名無史さん
21/01/27 09:34:04.86 .net
大谷伯爵家なんて水平社同人に呼び捨てどころか糾弾されてるわ

770:日本@名無史さん
21/01/27 09:35:24.07 .net
旧藩主の子孫は旧家臣の人間であってもその社会的地位に応じた対応をしてたらしい
しかしまさに旧藩主だったりした人間は旧家臣がどれほど出世しようが呼び捨てだった

771:日本@名無史さん
21/01/27 09:40:41.95 .net
実際に上下関係にあったのと親がそうだったのとでは当然違うだろうな
卑近な例では学校の先輩後輩は歳とっても先輩後輩、旧軍人なんかも会えば今プーと社長でも中隊長殿!、おお山田か、となる

772:日本@名無史さん
21/01/27 09:46:30.47 .net
昭和天皇は戦後もずっと首相を呼び捨てだった
それに対して今の上皇はさん付けで呼んでた
恐らくっていうか間違いなく今上もさん付けだろう

773:日本@名無史さん
21/01/27 09:46:53.28 .net
徳川なんて屋敷を福岡の水平社に放火されて全焼してる

774:日本@名無史さん
21/01/27 09:52:15.41 .net
大学で山岳部だったけど、70歳と69歳のOBでははっきりと先輩後輩の口ぶりだったな
「おい源太!」「なんすか伊能さん?」みたいな感じで

775:日本@名無史さん
21/01/27 09:54:35.55 .net
体育会系の部活なんかだったら特に上下ハッキリしてるな。

776:日本@名無史さん
21/01/27 10:06:24.65 .net
運動のできるやつらは名前呼ばわりで勉強できる連中らはさん呼ばわり
体育会系は

777:日本@名無史さん
21/01/27 10:09:23.21 .net
運動できても呼び捨てで呼びたくない場合にちゃん付け

778:日本@名無史さん
21/01/27 11:12:13.60 .net
ところで上皇后ってホント変な称号だよな
誰が考えたのか知らんけどセンス無さすぎ

779:日本@名無史さん
21/01/27 11:24:00.78 .net
本郷の嫁…

780:日本@名無史さん
21/01/27 11:39:18.13 .net
江戸時代は敬称も複雑で上様だのお上だのお館様だのからお殿様、旦那様など身分の軽量で色々あり 女性もこれと連動して複雑だった
八丁堀七不思議の一つ 奥様ありて殿様なし というのはこうした複雑さの表れと思う
明治になるとこの辺がルーズというか段々に緩くなっていったんだろうけど大大名家ともなれば一新後だいぶ経とうというのに時間が江戸時代で停まったような家もあった

781:日本@名無史さん
21/01/27 12:05:15.91 .net
聖上
皇后宮
昭和の最後まで使われてた

782:日本@名無史さん
21/01/27 12:15:45.89 .net
宮内庁の女官や女官長は今でも良いとこの令嬢や夫人が多い。
流石に今は未亡人とかで無くても良いんだよな。

783:日本@名無史さん
21/01/27 12:30:35.28 .net
>>766
女官は殆ど24時間側近くで皇族の世話をするから家庭を持ってる人が務めるのは物理的に難しい
だから今でも必然的に未亡人や独身女性が選ばれる事が多い

784:日本@名無史さん
21/01/27 15:47:35.19 .net
昭和天皇と秩父宮の養育係だった足立たか
幼稚園の先生をしていたところを引き抜かれ22歳で宮中入り
幼少の未来の昭和天皇にたか、たかと懐かれたのはいいものの、10年間も続ける羽目となり花の20代が見合いもできずお役御免となったときには32歳 今はともかく当時の日本では完全な行き遅れである
当然これは申し訳ないと周りが気を使ったのだろう
嫁を亡くしてヤモメだった海軍次官鈴木貫太郎少将の後妻へとたかを押し込んだ
これが上手くはまり226ではたかのお陰で鈴木は命拾いし、鈴木男爵海軍大将は首相として敗戦の始末にあたったのである

785:日本@名無史さん
21/01/27 18:06:55.48 .net
鈴木侍従長の前任珍田侍従長は初めて公卿や大名とは無縁の侍従長となった
鈴木以降は海軍出身者が就任するのが慣例になった

786:日本@名無史さん
21/01/27 18:41:18.47 .net
侍従武官長がほぼ陸軍だからバランスを取ったんだろうな

787:日本@名無史さん
21/01/27 18:44:17.05 .net
天皇中心に戻せば腰巾着がのさばるからな

788:日本@名無史さん
21/01/27 18:46:29.62 .net
今は外務省出身者が侍従長になるのが慣例なのか

789:日本@名無史さん
21/01/27 18:50:35.81 .net
>>748
松平英一
良いと思うけどな

790:日本@名無史さん
21/01/27 19:36:45.66 .net
華族はよく海外に留学してるけど
学費とか滞在費は本国から現金を送金してたりしたのかね
それとも小切手みたいなのかね

791:日本@名無史さん
21/01/27 21:41:40.01 .net
国費からだろ

792:日本@名無史さん
21/01/27 21:59:40.45 .net
>>774
現金で送金してたら途中盗まれるだろ

793:日本@名無史さん
21/01/27 23:37:36.01 .net
>>775
それは人による。

794:日本@名無史さん
21/01/28 00:21:32.28 .net
さすがに明治になれば為替とか信用状で送金はできただろ。咸臨丸の渡米のときには千両箱で必要経費を持っていった話が福翁自伝に出てたと思う。

795:日本@名無史さん
21/01/28 10:27:27.79 .net
同じ時期でも華族が公費留学で士族や平民が私費留学とかいろいろだな

796:日本@名無史さん
21/01/28 11:01:16.34 .net
ふ〜ん

797:日本@名無史さん
21/01/28 11:14:54.82 .net
男爵高橋是清はまだローティンも頃にアメリカに留学に行ったらホームステイ先に売り飛ばされて奴隷やってたという話だ
南北戦争も終結後というのに奴隷に売られるとかすごい話だが本人は奴隷と思わなかったというのもすごい
今でいう中学生に年齢にしてこれは流石の後世大物になるだけのことはある
留学も危険がいっぱいだ

798:日本@名無史さん
21/01/28 12:17:40.71 .net
>>781
南北戦争後の奴隷解放と言ってもそんな直ぐに奴隷解放がなされるわけでは無いからな
数十年徐々に無くしていこうという感じだからな

799:日本@名無史さん
21/01/28 13:54:15.64 .net
大隈重信の侯爵って盛りすぎじゃないか?
せいぜい伯爵だろう

800:日本@名無史さん
21/01/28 14:35:32.97 .net
大正天皇の個人的お気に入りだったこともあるのでは

801:日本@名無史さん
21/01/28 14:41:52.08 .net
>>782
それは1862年の奴隷解放宣言で直ちにすべての奴隷が解放されたわけではない、ということを誤解してるんだろう。このときはまだ戦争中で北軍にも奴隷州が残ってたので、それへの配慮があった。
1865年の憲法修正13条批准で合衆国内のすべての奴隷は、少なくとも法的には即時解放されている。

802:日本@名無史さん
21/01/28 14:43:32.72 .net
大隈の爵位は旧藩主と一緒か

803:日本@名無史さん
21/01/28 18:17:25.25 .net
大隈重信の婿養子は旧平戸藩主松浦伯爵家出身。

804:日本@名無史さん
21/01/28 18:45:39.08 .net
明治の外交官は本当に特権階級だったんだな
内田定槌っていう聞いたことのない無名の外交官ですら豪邸を建ててる

805:日本@名無史さん
21/01/28 18:49:45.06 .net
外交官の家
URLリンク(upload.wikimedia.org)

806:日本@名無史さん
21/01/28 18:54:08.06 .net
>>788
戦前迄の外交官は士族出身者が多いな
高杉晋作の息子も外交官になってるわ

807:日本@名無史さん
21/01/28 19:04:22.90 .net
URLリンク(home.hiroshima-u.ac.jp)
戦前の外交官一部抜粋
堀田大久保松平とか、華族ゆかりの人間と思われる人もチラホラ。

808:日本@名無史さん
21/01/28 20:30:50.26 .net
>>789
窓多過ぎ

809:日本@名無史さん
21/01/28 21:08:55.49 .net
特権てかそれが羨ましいのかおまえら?

810:日本@名無史さん
21/01/28 21:10:59.50 .net
>>788
でも小村寿太郎はずっと金欠だった。

811:日本@名無史さん
21/01/28 22:29:48.84 .net
>>790
高杉晋作の息子って華族になれなかったんだよな
まあでも外交官になってから長州出身の政府高官には優遇されたんだろうな

812:日本@名無史さん
21/01/28 22:44:48.39 .net
>>795
他にも維新で貢献したのに勲功(男爵を子爵にして貰った武家華族を含む)貰って無いのは山ほど居るからな。功山寺事件で切腹した益田なんかも子爵貰ってもおかしくない実績なんだし。

813:日本@名無史さん
21/01/28 22:58:55.80 .net
江戸時代なら功労者の遺児を取り立て、ということもよくあったが、さすがに明治になるとそれは無理だったか

814:日本@名無史さん
21/01/28 23:02:35.82 .net
坂本龍馬崇拝の言い出しっぺの一人、元海援隊の田中光顕なんかは自分は伯爵になってるんだし、坂本家遺族を勲功華族に、なんてのは無理だったのか

815:日本@名無史さん
21/01/28 23:19:52.81 .net
>>797
政情不安定な時期で遺族も新政府に対してゴネれなかったってのもあるのかもな
この辺って初期は一種の自己申告制のような感じにも取れるしね。

816:日本@名無史さん
21/01/28 23:24:11.26 .net
>>797
西郷の息子なんかはそんな感じでは?

817:日本@名無史さん
21/01/28 23:30:34.67 .net
>>789
旧内田定槌邸
もともと渋谷に建ってたのを横浜に移築した

818:日本@名無史さん
21/01/28 23:35:44.66 .net
>>800
弟と親父はしれっと貰ってる


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