華族についてpart12 ..
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210:日本@名無史さん
21/01/10 20:54:17.87 .net
>>202
 華族制度が出来たばかりで、維新の功労がある初代の子どもだと、公侯爵家以外に
分家の男爵家を1家立てることを認められたりしていたけど、基本的に、それ以上は
無くて、平民だった。ただ、子どものことを思って、色々な家の養子(婿養子等とし
て華族家の継嗣に。)にねじ込むし、受け入れ側も公侯爵の親族となることが名誉と
いう発想もあっただろうから、実際に平民となった子ばかりではない。

211:日本@名無史さん
21/01/10 21:27:32.16 .net
>>207
能久親王な

212:日本@名無史さん
21/01/10 21:38:32.56 .net
>>206
そりゃあるだろ。

213:日本@名無史さん
21/01/10 23:06:20.66 .net
明治の元勲が地元にほとんど帰らなかったのは
やはり自分より遥か上の上士が大勢いて気まずかったからだろうか

214:日本@名無史さん
21/01/10 23:20:23.39 .net
戦前日本のキリスト教は上流やアッパーミドルに偏在していた
海外で西欧文化に触れたりクリスチャン系の学校に行ったりできるのはそういう層であり大多数の平民にはキリスト教と触れる機会がほぼない
クリスチャン作家の遠藤周作や曽野綾子 三浦朱門 有吉佐和子など大体良いとこの子供たち
華族では岩崎弥太郎の孫娘でエリザベスサンダースホームで有名な澤田美喜とか同じく三菱で日銀総裁川田小一郎の孫娘で男爵芋で有名な川田龍吉男爵の娘がトラピスト修道院に入ったりと娘が入信する例が見られる
念仏や祝詞より讃美歌の方がハイカラ 金持ちの子女にしてみればそういう面もあったのではなかろうか

215:日本@名無史さん
21/01/11 00:43:05.65 .net
華族は本邸は勿論別邸も幾つも所有してて
しかも一万坪がゴロゴロだから凄い

216:日本@名無史さん
21/01/11 10:07:54.59 .net
東京の本邸より別邸の方に長く滞在してそっちが本邸のようになってる華族もいる。

217:日本@名無史さん
21/01/11 10:47:54.93 .net
>>214
西園寺公望の坐漁荘とか?

218:日本@名無史さん
21/01/11 11:09:39.57 .net
そんなん認めたバカが悪いんだよ👎
古いものはありがたいだのバカみたいな洗脳でもさらてたんだろ
中身の吟味もできないバカの不始末だろ

219:日本@名無史さん
21/01/11 11:16:26.18 .net
地生えの大名系の華族には領国意識が高く昭和に至るまで住民や家臣たちもオラが殿様という気分があった
旧家臣の子孫が殿様を囲む会もよく催されていたという
有名なのが南部伯爵で南部藩士の家系は実力者が多く原敬、米内光政、東條英機、板垣征四郎など大物がぞろっといて殿様の鼻も高かった
小さな藩でもこういうのはあって九州の人吉藩の相良氏は島津と細川に挟まれた吹けば飛ぶような藩だったがそういう集まりはやはりあってようで人吉出身の高木惣吉海軍少将の自伝にそういう記述がある

220:日本@名無史さん
21/01/11 11:49:01.56 .net
>>207
ベルギー王にも隠し子がいて最近認知するしないで物議になってた こういうのは世の東西を問わないね
そしてそれをネタにした詐欺も古今東西常に存在する
日本だと吉宗の落胤を称した天一坊事件が有名だが、現代人も昔の人を言えた義理ではなく平成に至っても昭和天皇御落胤を称した白仁王事件とか有栖川宮事件など金を払っちゃう騙されやすい人は絶えない

221:日本@名無史さん
21/01/11 12:14:43.90 .net
華族なんて言っても、戦争に負けたらGHQの将校に嫁に行くやつ多数

222:日本@名無史さん
21/01/11 12:21:54.98 .net
二・二六事件で華族会館に反乱将校が乱入した際に
その場に居合わせていた細川護立が危うく殺されそうになったけど
その中に熊本出身の将校がいて「撃たないでくれ」と割って入って事なきを得たという話がある

223:日本@名無史さん
21/01/11 12:29:46.87 .net
都内に大土地を所有するのはなんと言っても大名華族だった
幕府から貸出の上屋敷は明治政府に収公されたものの下屋敷中屋敷はそのまま所有されたので諸侯は大土地所有者となった
だが収入源が公債くらいの時流に乗れない諸侯から手元不如意により伝来の秘宝から家屋敷を切り売りするのが増えていく
明治初期から明治後半にかけての30年ほどは東京は空前の地価上昇を見た 明治10年に小石川6000坪がわずか60円 これが明治40年に一千倍の6万円に跳ね上がったという その間のインフレはせいぜい二倍であり明治初期に土地を買い集めたものが大富豪となり耐えきれずに屋敷を売った大名華族たちがバカを見た
その買い集めたというのが岩崎、三井の男爵家でこの2家の都内宅地の面積は40万坪に達した
戦後臣籍降下した宮家の土地を買い漁った事で悪名高いピストル堤もなんのことはない三井三菱という大先輩の後追いをしていただけである

224:日本@名無史さん
21/01/11 12:39:50.92 .net
戦後課せられた財産税って一括払いじゃなくても良かったんだな
支払いをなんだかんだと遅らせてインフラのおかげで実際の損失を抑えた狡賢い華族も僅かながらいたらしい
正直に一括で支払った華族が没落してしまったというやるせないことになってしまった

225:日本@名無史さん
21/01/11 12:45:05.34 .net
半分くらいは資産残してやれば良かったのに思う。
一気に8割や9割も持ってかれるなんてあまりに無体。

226:日本@名無史さん
21/01/11 13:21:35.37 .net
そういえば、プリンスホテルは旧皇族の土地を買い取って建てたからそのような名前になったと聞いた

227:日本@名無史さん
21/01/11 13:27:05.83 .net
みんな大好き竹田宮家から買い上げだ土地ね

228:日本@名無史さん
21/01/11 13:45:55.80 .net
>>222
間違えたインフレ
今気付いた

229:日本@名無史さん
21/01/11 14:29:01.97 .net
ウェストミンスター公爵の所有地も農地ではなく、大部分がロンドンの繁華街(というかロンドンの繁華街の大部分が公爵の所有地に建っているレベル)
戦後から70年代にかけてイギリス福祉国家建設のために相続税の最高税率は非常に高く、この時期に複数回相続があったような家門は根こそぎ持っていかれて公営団地住まいの公爵侯爵が続出。
サッチャー以降は税率も下がり、また資産をトラストに移して間接的に支配するみたいな節税テクニックにも甘くなった。

230:日本@名無史さん
21/01/11 14:59:15.81 .net
>>227
何年か前、WEBニュースにイギリス貴族で一番の金持ちのウェストなんとか公爵の代替わりのニュースが出てたな。
20歳前後の若い公爵の写真が出てたけど、コメントでは「ワンパンで勝てそう」とか「いつも学校でパシリさせられてそう」とか好きなこと言われてた。

231:日本@名無史さん
21/01/11 16:06:40.58 .net
吉田茂の別荘がだいぶ前に火災に遭ったのを思い出した
それにしてもその孫の麻生太郎は渋谷のど真ん中の高級住宅地に邸宅を構えてるが
あれも子供には引き継がれず手放す事になりそうだな

232:日本@名無史さん
21/01/11 16:35:31.07 .net
麻生といえば麻生の祖父の麻生太郎が大名華族の加納子爵の娘と結婚してる。
典型的な平民と華族令嬢の結婚だけど加納家はよほど金欠だったんだろうね。

233:日本@名無史さん
21/01/11 17:09:47.23 .net
戦後の首相で華族もしくは世が世なればというのは皇族の東久邇、幣原男爵と細川侯の細川護煕の3人で戦前の平民宰相四人と見事に逆転した
麻生や鳩山、安倍もサラブレッドのように言われるがいずれも華族の系譜ではないし貴族ではなくアッパーミドルの階層である
皇族に連なる麻生家と言ったところでそれも戦後の話で敗戦が無ければ炭鉱業が皇族に嫁ぐなど無かっただろう

234:日本@名無史さん
21/01/11 17:22:52.24 .net
加納久宜は大名華族の中でも、政治好きな人だったから、金も必要だっただろうし、
政治面での思惑で一致したのかも知れない。

235:日本@名無史さん
21/01/11 17:25:50.34 .net
>>231
幣原?
なぜ?

236:日本@名無史さん
21/01/11 17:30:00.55 .net
和歌山にある養翠園は現在でも個人所有らしい。

237:日本@名無史さん
21/01/11 18:00:00.24 .net
小村寿太郎や加藤高明、石井菊次郎など外交官は爵位が貰いやすい傾向があった 幣原もその流れだろう
芦田や吉田、松岡洋右や東郷も帝国が存続していれば華族になっていたやもしれん

238:日本@名無史さん
21/01/11 18:18:32.43 .net
地味だけど珍田捨巳も伯爵まで昇った

239:日本@名無史さん
21/01/11 19:02:23.37 .net
>>463
大企業の創業者も爵位もらえるのかな?
今なら、トヨタとかSBとか楽天とか

240:日本@名無史さん
21/01/11 19:39:25.76 .net
自分の先祖の遠い親戚?に華族がいて
東京の邸宅の他に日光と大磯にも別荘を持ってたんだけど
この場合、日光が避暑地で大磯が避寒地という事だろうか

241:日本@名無史さん
21/01/11 19:46:00.10 .net
>>235
松平恒雄や佐藤尚武も可能性大

242:日本@名無史さん
21/01/11 20:11:49.48 .net
横井時雄は逮捕されなかったから爵位貰えてたかも

243:日本@名無史さん
21/01/11 20:24:00.88 .net
>>238
奥日光には御用邸もあったな。

244:日本@名無史さん
21/01/11 23:42:20.69 .net
裏千家は家元を継がない次男三男などは別姓を名乗らせて分家するけど
裁判所って結構簡単に名字の改名認めるんだな

245:日本@名無史さん
21/01/12 00:39:45.37 .net
華族は原則東京に在住しなければいけないが
毛利公爵は地元に本邸を建てて引っ越してしまった

246:日本@名無史さん
21/01/12 01:21:45.64 .net
>>242
特別な理由があれば変えられる。
単に気に入らないとかの理由ではもちろん却下。

247:日本@名無史さん
21/01/12 09:44:09.49 .net
ジャズ界の重鎮逝く
鍋島直昶氏。祖父は小城藩主の鍋島直虎子爵。

248:日本@名無史さん
21/01/12 10:55:45.33 .net
コロナか…

249:日本@名無史さん
21/01/12 11:39:54.14 .net
華族って主に公家さんのことでしょう?
公家さんって実社会のことについて「疎い」「浮世離れしてる」って
イメージで語られることが多い印象ですが、
反面、頭が良くて弁舌が立つ議論好きな人を公家さんに例える場合もあります
なんかイメージが矛盾している気がしますが、実際のところどうなんでしょ?

250:日本@名無史さん
21/01/12 12:00:10.38 .net
247
叙爵を受けた連中らのことだよ

251:日本@名無史さん
21/01/12 12:02:07.46 .net
公家とは限らんさ
武家でなったのもいるし皇族の末裔らもおる
皇族ってのは天皇家から別れた親王家(源氏や平氏)や戦国時代の武家やらな

252:日本@名無史さん
21/01/12 12:06:40.36 .net
公家華族より大名華族の方が数は倍以上

253:日本@名無史さん
21/01/12 12:10:20.39 .net
系譜で言うと武家の大半が天皇が祖の皇別
公家の大半は藤原が祖の神別
と言うことかな

254:日本@名無史さん
21/01/12 12:11:56.51 .net
>>237
おそらく戦前の社会システムが健在なら爵位をもらっていたと思う。

255:日本@名無史さん
21/01/12 12:14:59.02 .net
そもそもおまえらほんとに日本の歴史知らねえんだな
朝鮮やら中国ともまったく仕組みが違うんだぞ

256:日本@名無史さん
21/01/12 12:26:37.32 .net
諏訪氏は神別だな
断絶してしまったのは慚愧の念に堪えない

257:日本@名無史さん
21/01/12 12:31:31.06 .net
諏訪氏=神氏なのか
諏訪氏=金刺氏なのか
これは日本史の永遠の謎

258:日本@名無史さん
21/01/12 12:39:30.95 .net
酒井ミーコは勲功華族は論外として
公卿華族も見下してた

259:日本@名無史さん
21/01/12 12:48:43.22 .net
>>247に関して言葉が足りませんでしたが、華族というより「公家」にフォーカスしてください
公家=世情に疎い、浮世離れしている、のほほんとしている
公家=頭が良くて弁舌が立って議論好き、専門家集団
真逆のイメージがあるのはなんででしょう?

260:日本@名無史さん
21/01/12 12:53:55.79 .net
公家の存在期間が1000年以上もあって時代ごとに公家の有り様がが違うからじゃ無いの
平安時代と江戸時代でも違う 江戸時代でも後期までと幕末では違う
騎士道と言った時、ランスロットを思い浮かべるかドンキホーテを思い浮かべるかの違い的な

261:日本@名無史さん
21/01/12 13:12:00.32 .net
皇族の縁談は公爵から侯爵と上から順に来る

262:日本@名無史さん
21/01/12 13:13:16.53 .net
>>254
使い方間違っとるぞ。
どうも最近の日本人やメディアは間違った言葉を広めたがる。
「にやけた」はにやにやしてることを表す言葉ではないし、
「したたか」は文字通り強いことを表す言葉であってずる賢いといったことを意味しない。

263:日本@名無史さん
21/01/12 14:04:22.44 .net
>>258
中世以降の公家は岩倉具視などごく一部の例外を除き、「身分は高いけど実力はさほどない」「世情に疎い」「のほほんとしている」というイメージが喧伝されてます
没落貴族のイメージなどもそれに重なります
自分も最近までそのイメージを強く持っていました
しかし、新聞の記事で参議院の議員や一部官僚などの有能で熱心に政策を考え、審議している人らを
「お公家衆」「お公家集団」「お公家さんのよう」みたいな形容で紹介されていたので
違和感を持ったのです
大変失礼な言い方ですが、お公家さんに「有能」「優秀」「熱心」というイメージがあまりなかったので

264:日本@名無史さん
21/01/12 14:15:18.23 .net
>>261
政治で公家集団といえば以前は池田勇人から前尾 大平 宮澤と大蔵省官僚上がりの宏池会の代名詞だった
彼らは官僚上がりで政策は明るいが度胸がなく実行力に乏しい 政局政争ではてんでダメと言う意味合いだった
前尾が人が良すぎて佐藤栄作にいいようにされていたあたりからそう言われるようになったんだろう
田中派の武闘派野武士集団と対照的と言う使い方だがこじつけ的なところもあったと思うよ

265:日本@名無史さん
21/01/12 14:19:46.24 .net
華族の中でも公爵は別格で
最低限10万円は保証されている

266:日本@名無史さん
21/01/12 14:22:18.83 .net
公家の連中らはすでに公議じゃなくなってたろ

267:日本@名無史さん
21/01/12 14:23:20.15 .net
公議を発せるところが御所やからな

268:日本@名無史さん
21/01/12 14:27:11.93 .net
華族は学習院に学費支払ってたの?
無料?

269:日本@名無史さん
21/01/12 14:50:36.56 .net
公家のいやらしいイメージは昭和のテレビドラマが大いに影響している
大河ドラマで戦国を描けば公家かぶれでマロ眉厚化粧で出てくる今川義元がデカい態度が一転哀れ首を取られる
幕末を描けば何やら陰謀を企むものの腰が据わらず蛤御門の変などでキャーキャー逃げまどう滑稽な姿 命をかけた志士や新撰組、会津藩士との落差が激しい
南北朝を描けば団体で楠木正成に嫌がらせをする
年寄り視聴率激高の水戸黄門では黄門様相手に悪事の限りを


270:尽くし未だにコピペで見かけるマロこと一条公麿中納言 おじゃるおJALと日本航空からクレームが入りそうなインパクト 柳生一族の陰謀にも烏丸少将が悪役振りを発揮し、さらには戦国自衛隊にも九条がちょい役で登場 とにかくどれでもこれでも正義の味方の邪魔ばかりで全く好意的に描かれない このようにして昭和のテレビっ子はお公家様が嫌いになったのである どれもこれも



271:日本@名無史さん
21/01/12 17:28:17.68 .net
学習院も大正昭和初期になると
マルクス主義が蔓延して赤みがかった華族子弟が大量発生した

272:日本@名無史さん
21/01/12 17:51:46.02 .net
理想主義に傾倒するのは若い特権階級にありがちなことだろうね
ロシアで改革を目指してシベリアに流されたデカブリスト達もは皆貴族だった
と言っても日本の華族の赤化なんて思想堅固というのは少なく、大抵一時かぶれのはしか見たいなもので大事になるとあっさり転向

273:日本@名無史さん
21/01/12 19:41:49.98 .net
元老の西園寺は孫の公一がマルクス主義者になるのを放って置いたのだろうか?

274:日本@名無史さん
21/01/12 20:02:10.83 .net
群馬の商家の倅に生まれた小渕恵三
親に学習院に入れられイジメられる

275:日本@名無史さん
21/01/12 23:10:10.82 .net
>>271
可哀想に…

276:日本@名無史さん
21/01/12 23:38:32.75 .net
信玄の子孫でもなれなかった華族

277:日本@名無史さん
21/01/13 09:59:04.20 .net
>>270
見切り付けてたんじゃ無い?

278:日本@名無史さん
21/01/13 10:48:30.15 .net
華族といえば「華の嵐」だわ。当時小学生だったが学校休みのとき見たのか
どうか忘れたが録画までして見た。

279:日本@名無史さん
21/01/13 13:09:50.33 .net
西園寺公望ってホント弟に経済的援助受けてるけど
住友家は財布代わりにされて不満は無かったのかね?

280:日本@名無史さん
21/01/13 13:25:53.38 .net
>>271
「う話ぁ! お前冷めたピザみたいだな」

281:日本@名無史さん
21/01/13 13:52:46.67 .net
>>276
元老から流れてくる情報や口利きのメリットからすると西園寺への支出金など安いものだろう
同じ公家公爵でも岩倉家や五摂家と西園寺とでは政界での存在感が違う

282:日本@名無史さん
21/01/13 13:54:58.65 .net
>>277
ついたあだ名がグンマーとかコピペかと

283:日本@名無史さん
21/01/13 15:54:28.87 .net
>>275
華の嵐って高木美保と渡辺裕之だっけ?
記憶の中で夏の嵐とごっちゃになってる
華の嵐=朝倉男爵
夏の嵐=南部男爵
だったかな?

284:日本@名無史さん
21/01/13 16:22:45.52 .net
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

285:日本@名無史さん
21/01/13 17:17:19.70 .net
>>281
それは愛の嵐だ

286:日本@名無史さん
21/01/13 17:19:16.95 .net
というか日本のドラマも愛の嵐なのか

287:日本@名無史さん
21/01/13 19:45:51.35 .net
夏の嵐
長塚京三の海軍少佐の第1種軍服はかっこいい

288:日本@名無史さん
21/01/13 20:22:35.36 .net
珍田伯は外務省に無試験でコネ入省なのか?

289:日本@名無史さん
21/01/13 21:39:23.49 .net
コネでも試験は受ける
せっかくコネで贔屓してもらったのに、面接で「外務省改革論」を滔々と演説して不合格になった奴もいたが

290:日本@名無史さん
21/01/13 23:16:06.19 .net
>>285
大隈重信の推挙だから一々試験なんてしなかっただろう。

291:日本@名無史さん
21/01/13 23:22:27.00 .net
>>280
そうそう夏の嵐の南部男爵もあったな。
華の嵐は華族の華だろうな。まだドラマがオリジナル脚本の時代。
男爵景清っていうのをよく


292:きいたな。



293:日本@名無史さん
21/01/13 23:29:15.83 .net
金禄公債で加賀の本多家とかもかなり経済的に安定したのかな

294:日本@名無史さん
21/01/14 02:35:18.47 .net
んなわけねー

295:日本@名無史さん
21/01/14 02:45:49.49 .net
華族は色々恩恵はあるけど都内暮らし強制はきついな
無くなるべくした無くなった制度だわ

296:日本@名無史さん
21/01/14 08:54:16.00 .net
>>290
そうなの?

297:日本@名無史さん
21/01/14 10:34:15.62 .net
>>291
許可取れば地元に帰ってそこに永住しようが自由
毛利家は山口に邸宅建てて移ったし
堀田家も佐倉に邸宅建てて地元に住んだ

298:日本@名無史さん
21/01/14 12:11:25.52 .net
本多家は五万石だもんな。
そこらの小大名より凄い。

299:日本@名無史さん
21/01/14 13:43:33.17 .net
293
もともと裏切らないよ〜に家族を人質に取るってのが前例で始まってるからね🙃
源氏の場合なんかだったら同じ源氏の一族からは人質を取らない
他の氏族連中らから人質を取る
最低、妻子が江戸にいればそれでよいだ🙃

300:日本@名無史さん
21/01/14 14:11:41.11 .net
源氏とか言い出す基地害は消えていいよ

301:日本@名無史さん
21/01/14 14:57:20.41 .net
なんで?
日本=源氏やで
藤原でも平家でもなくな
ほとんど源氏が王として君臨した国家=日本領に等しい

302:日本@名無史さん
21/01/14 14:59:45.64 .net
それだけの実績残したんだね
海外でもそれが認められてるから日本領は固定化された

303:日本@名無史さん
21/01/14 15:00:21.68 .net
>>297
スレタイ読め、ハゲ

304:日本@名無史さん
21/01/14 15:12:40.76 .net
源氏らの本来の勢力圏は東山道を中心に展開された🙃
中部地方から北関東にかけてやな
関東南部は三代目親王流平氏一門(元は国司レベルで赴任した親王らの子孫)が抑えていたからね
流人から始まり鎌倉幕府が成立したのと承久の乱やらあとは南北朝時代にかけて日本全国に戦闘指揮官として次々と源氏の子孫らが派遣された🙃
そんで各国で地方将軍として武家集団をまとめた
公家将軍もいたがあまり支持されなかったんだね🙃

305:日本@名無史さん
21/01/14 15:52:51.22 .net
>>293
徳川昭武も松戸の戸定邸に定住。

306:日本@名無史さん
21/01/14 16:13:16.11 .net
江戸時代まで千家家の宮司が庶民の前に現れたら
出雲の人々は拝んだり土下座したりしてたらしい

307:日本@名無史さん
21/01/14 16:39:42.98 .net
もともと日本の天皇ってのもかなり武名を残した天皇らが多いからね
天皇自体が支持を取るときもほとんど将軍顔負けの行動しとるだ🙃

308:日本@名無史さん
21/01/14 16:41:15.68 .net
御簾の中でゴニョゴニョみたいなんが公家社会だろ
皇族本来かなりおっかないだ

309:日本@名無史さん
21/01/14 16:50:15.74 .net
原田男爵はお祖父さん長生きだったのに早死にしてしまった。

310:日本@名無史さん
21/01/14 16:54:19.54 .net
絵文字使ってる奴は知的障害者かな

311:日本@名無史さん
21/01/14 16:56:47.43 .net
306
まあ死なないよ〜に頑張れや🙃

312:日本@名無史さん
21/01/14 17:09:59.35 .net
大名の爵位基準は現米となるがこれは収納高であるから表高とは当然違う
年貢の率が4公6民とか一定なら表高のランキングとと一致するかというとそんな事もない
何しろ表高と実高が乖離している大名はかなりいた
幕末の川越、庄内、長岡の三方国替えの騒動が持ち上がった
川越が庄内への移封を強く


313:]んだ事が発端である 両藩は似たような表高だったが実収は庄内が遥かに良かったから首の回らない川越松平が大御所を動かすなど運動したという このように高い方に乖離している藩も有れば低い方に乖離している藩もある 表高は大名にとって多いほど偉いという格式でもあるのだが明治政府は格式の表高ではなく実際の税収を基準に爵位を決めた 版籍奉還で国に収めた土地のいい順に成果主義的にいい身分を振ったとも言える



314:日本@名無史さん
21/01/14 18:22:34.35 .net
徳川家ってなんだかんだで1番公爵家を輩出してるな
徳川公爵家
徳川慶喜公爵家
水戸徳川公爵家

315:日本@名無史さん
21/01/14 18:39:10.28 .net
島津家は公爵は2家だが、華族叙爵は計14家
徳川家は公爵は3家だが叙爵は13家

316:日本@名無史さん
21/01/14 19:11:26.01 .net
夏の嵐の渡辺裕之の剣道着&海軍士官服めっちゃかっこ良かったなー

317:日本@名無史さん
21/01/14 19:34:10.41 .net
>>310
松平家も含めると途方も無いな

318:日本@名無史さん
21/01/14 19:50:05.06 .net
松平は全部で29家
男爵2子爵23伯爵3侯爵1

319:日本@名無史さん
21/01/14 20:07:56.63 .net
徳川松平一族で45家が華族だったのか

320:日本@名無史さん
21/01/14 20:18:57.61 .net
徳川公爵家3家といっても、最初は宗家だけで、慶喜家は慶喜の恭順の評価、水戸家は尊王的な大日本史を
歴代にわたって書き続けたことへの評価だから、維新直後からなわけではない。

321:日本@名無史さん
21/01/14 20:27:55.64 .net
>>314
18松平だからな

322:日本@名無史さん
21/01/14 21:08:01.96 .net
松戸徳川家の当主は養子の子だけど
徳川家の血を引き過ぎて訳がわかないことになってる
家系図が複雑

323:日本@名無史さん
21/01/14 21:20:02.19 .net
織田家とその家臣たちでは池田の12家が目立つ
織田4家、前田7家と比べても際立っている

324:日本@名無史さん
21/01/14 21:44:38.50 .net
織田は関ヶ原後に大半が改易されてた割に残ってんな

325:日本@名無史さん
21/01/14 21:49:50.42 .net
徳川家達の逗子別荘が驚く程簡素な造り
とても貴族院議長公爵の別荘とは思えない
青森にある盛美園の方が立派に見える

326:日本@名無史さん
21/01/14 22:10:10.60 .net
千駄ヶ谷の本邸は10万坪以上の敷地に建坪900坪という大邸宅なのにな。

327:日本@名無史さん
21/01/14 22:20:27.03 .net
新華族で目を引くのは幕臣達
勝、山岡、渋澤はまだわかるとして榎本、大鳥、林など箱館戦争を戦ったものが華族なのだから本人達の能力が流石という事なのだろう
戦死したもの達では土方歳三が生き残っても斬首だろうが中島三郎助は華族になっていたかも 伊庭はどうだったろうか

328:日本@名無史さん
21/01/14 23:10:33.78 .net
>>293
毛利がそうせい候の事だったら、隠居してから移ったと思うよ

329:日本@名無史さん
21/01/14 23:50:35.35 .net
>>323
違うその孫
隠居もせず当主のまま帰郷してほとんど東京には出て来なかった
そもそも敬親は維新後すぐに亡くなって、その頃は旧藩主が知藩事を務めて東京居住を命じられる前のこと

330:日本@名無史さん
21/01/15 00:25:45.88 .net
>>320
盛美園って分からなかったからググったが、
西園寺公望の清風荘と山縣有朋の無鄰菴で明治の三大名園らしいな。
初めて聞いたけど。

331:日本@名無史さん
21/01/15 00:34:09.55 .net
本当にくだらねえよな華族って

332:日本@名無史さん
21/01/15 05:43:18.36 .net
306
バカかてめえは🙃
てめえが知的障害者だよ😊

333:日本@名無史さん
21/01/15 06:55:51.39 .net
>>322
最低出身が武家じゃないと華族はムリだったか
米国に敗北して没落した華族 今もお金持ちで生き残ってる元華族の有名どころはどのへんかな

334:日本@名無史さん
21/01/15 07:57:45.57 .net
財閥華族は町人出身


335:



336:日本@名無史さん
21/01/15 08:12:45.91 .net
>>327
おまえスレ違いだから消えろって言われてなかった?
理解できないならやはり知的障害者だな

337:日本@名無史さん
21/01/15 08:38:13.55 .net
>>328
敗戦後にほとんどの華族は当然ながら没落したが、その中でも売春婦のように落ちた華族は小藩がかなり目立つ
大名華族だと久留島、分部、秋元、大岡、三浦、三宅とかの家

338:日本@名無史さん
21/01/15 08:50:00.35 .net
>>328
維新は双方活躍したのはいくら身分が低いの極貧の郷士と言ったところで武士は武士
町民でも勲功ありは名字帯刀ありの豪商で熊さんだのの本当の町人に出る幕は無かった
代々小作人と言った庶民から大将閣下とか出てくるのは学校ができて子供たちに教育がなされて庶民でも超優秀な子供にそうしたコースが用意されるようになってからだろうね

339:日本@名無史さん
21/01/15 09:36:01.28 .net
んな華族ありがたくもないから廃止でよいわな🙃

340:日本@名無史さん
21/01/15 09:36:30.15 .net
寄生虫生み出すよ〜なもんよ

341:日本@名無史さん
21/01/15 09:41:39.38 .net
>>331
その辺の娘さんは性風俗に流れたりしたのか

342:日本@名無史さん
21/01/15 10:32:36.72 .net
>>330
だから触るなよ
相手するから居つくんだよ

343:日本@名無史さん
21/01/15 10:35:35.55 .net
>>325
青森を代表する国の名勝なんだぞ!

344:日本@名無史さん
21/01/15 10:50:55.89 .net
徳川宗家の財団
戦中に先祖伝来の家宝類の大半を焼失して
失礼ながら目ぼしいものがほとんど無い

345:日本@名無史さん
21/01/15 11:19:52.80 .net
そうけ?

346:日本@名無史さん
21/01/15 12:26:47.92 .net
338
没落した家系は神職の方に流れるんだ昔から

347:日本@名無史さん
21/01/15 12:27:43.68 .net
徳川宗家
家が通字で宗も多い徳川家には普通に居そうだ

348:日本@名無史さん
21/01/15 12:28:31.28 .net
そっちで名を売っていけばよいんやね

349:日本@名無史さん
21/01/15 12:32:04.15 .net
政治氏族として名前は消えても宗教氏族として名を伝えてるのは多いで
日光に東照宮を作ったからこれが徳川家の宗廟になるわけ

350:日本@名無史さん
21/01/15 12:33:36.59 .net
東照”宮”
伊勢神宮、宇佐宮、みな同じやろ

351:日本@名無史さん
21/01/15 12:35:59.40 .net
貫一お宮とかマンマミーヤとか

352:日本@名無史さん
21/01/15 12:43:50.37 .net
家広さんの後
徳川宗家はどうなることやら
本当に維新後の宗家って後継者不足だよな

353:日本@名無史さん
21/01/15 12:52:08.66 .net
>>335
戦前に既に遊郭に流れたお姫様もいた
東郷元帥侯爵家の孫娘がカフェの女給やってスキャンダルになった例もあるがこれは東郷家が貧乏とかではなく単に家が嫌になっての家出だった

354:日本@名無史さん
21/01/15 12:56:10.64 .net
>>346
家英氏の早逝が痛手だった。

355:日本@名無史さん
21/01/15 14:44:43.86 .net
>>346
戦前なら当然御三卿や御三家から養子を入れただろう

356:日本@名無史さん
21/01/15 15:59:45.31 .net
徳川家もだが細川家も後継どうなるか

357:日本@名無史さん
21/01/15 16:20:00.81 .net
>>349
どうだろ?戦前でも昭和なら、もうそういう雰囲気ではないんでは?恒孝氏だって会津中将家の裔とはいえ分家の次男。それでも徳川宗家を継いだのは、女系でも家正氏の孫であることのほうが大事だったんでしょ?
御三家御三卿から跡継ぎを入れるにしても、江戸時代みたいに当主を連れてくるのか、それとも継承者じゃない次男三男を連れてくるのか、という問題もある。

358:日本@名無史さん
21/01/15 19:06:54.92 .net
諏訪家や黒田家、津軽家はもう養子につぐ養子で残念な事に
せっかくな名門も台無し

359:日本@名無史さん
21/01/15 20:05:13.47 .net
>>352
家名名跡が残ればいいんじゃない?
血筋なんてあまり意味ないし、宮中某重大事件みたいな色覚


360:障害とか遺伝的に悪いこともあるし



361:日本@名無史さん
21/01/15 20:35:41.32 .net
徳川家達ってせっかくイギリスの超名門イートン校に留学したのにそのまま帰国は勿体ないな。
オックスブリッジかロンドン大学に進学すれば良かった。
中等教育から海外留学して進学せずそのまま帰国って明治政府ではあまり例がない。

362:日本@名無史さん
21/01/15 21:22:59.14 .net
>>350
細川とか男系の親類多いんだから幾らでも養子取れそうなような気もするんだけどな

363:日本@名無史さん
21/01/15 21:43:23.71 .net
養子をもらってまで維持する意味ないよ

364:日本@名無史さん
21/01/15 21:50:48.80 .net
ほとんど会った事もない遠縁に家宝財産を譲って養子にするのか?
江戸時代や戦前ならあるだろうけど、現代ではやらないかも

365:日本@名無史さん
21/01/15 22:09:25.62 .net
>>354
天璋院様の御意向だから致し方無し

366:日本@名無史さん
21/01/15 22:15:06.89 .net
大名家(華族)よりそれ以外の親戚筋の庶家(士族、平民)の方が家が続いてると言うのも皮肉だな

367:日本@名無史さん
21/01/15 22:15:45.48 .net
>>355
細川は近衛家から養子取れるだろう

368:日本@名無史さん
21/01/15 22:17:50.90 .net
>>354
明治政府の中枢はオックスブリッジやハーバードイェール留学組がゴロゴロしてる

369:日本@名無史さん
21/01/15 22:23:11.29 .net
>>4
酒井ミイコが著書でそんな感じのこと書いてたな

370:日本@名無史さん
21/01/15 22:25:50.77 .net
>>337
青森出身だけど初めて知ったわ。

371:日本@名無史さん
21/01/15 23:39:21.24 .net
養子縁組みを徳川の時代からやりだしたろ
あんなことやり始めたからおかしくなったんだよ
でたらめやりすぎたわけさ

372:日本@名無史さん
21/01/15 23:42:13.55 .net
家系やら系図やら祖先(初代)からの系図なわけだ
まったく関係ないやつらに継がせた時点で終わりだ

373:日本@名無史さん
21/01/15 23:43:31.61 .net
>>356
いや、お前がいうなwww

374:日本@名無史さん
21/01/15 23:44:31.38 .net
あれはやっちゃあならないこと
家を乗っ取るだのもやってはならんだよ🙃
神を裏切ることと同じこと

375:日本@名無史さん
21/01/15 23:47:09.47 .net
京都今出川に屋敷を構える冷泉家(元伯爵)も
実子がいなかったような。養子かな。

376:日本@名無史さん
21/01/16 07:42:24.04 .net
江戸時代、全く血が繋がってない養子がいくつかあるね。(婿養子でもなくて)

377:日本@名無史さん
21/01/16 07:59:27.98 .net
名家は企業、いわば法人みたいなもので存続が最優先される
社長は子供に継がせたいがいなきゃ婿、他人でもやむえない
昔は関係者が多く子供がいなきゃ畳むと言う事がしにくかった
今はそういうしがらみも減って零細企業のようにひっそり畳まれる名家も増えているのだろう

378:日本@名無史さん
21/01/16 09:00:01.78 .net
>>361
今で言う優遇枠みたいなのがあったんだろうか?

379:日本@名無史さん
21/01/16 09:04:54.47 .net
会津中将の分家の次男(藩主の6男の長男の次男)って、江戸時代なら運が良くてせいぜい上級藩士に養子入り、運がないと一生部屋住だよなあ。まれに超ラッキーな人だと、本家や親戚すじの藩主の座が転がり込むこともないではないが。

380:日本@名無史さん
21/01/16 09:07:35.39 .net
>>352
その中で名門と言えるのは諏訪氏ぐらいだろう。
後は元々がどこの馬の骨レベル。

381:日本@名無史さん
21/01/16 09:10:50.51 .net
華族は国からお金貰ってたんだろ
今もそういう家族は上から下までいるが
ミカ●から生ポまで

382:日本@名無史さん
21/01/16 09:11:39.03 .net
生きてることが仕事
子作りが仕事
すごいなぁ

383:日本@名無史さん
21/01/16 09:13:21.97 .net
>>373
そりゃ現代の歴ヲタの価値観を過去に投影してるだけでしょ。
神代より続く


384:ニ言われる家は諏訪氏の他にもあるが、それだけで名門とは昔の人は思わなかった。高位高官に登るだけの家格がないと。



385:日本@名無史さん
21/01/16 09:13:30.42 .net
>>371
留学する際は無いけど
ラテン語やギリシャ語は免除してくれというような例はチラホラあったらしい

386:日本@名無史さん
21/01/16 09:15:30.66 .net
>>354
この人は公費留学なの?
それとも私費留学なの?

387:日本@名無史さん
21/01/16 10:11:55.70 .net
私費留学
天璋院が費用捻出してた

388:日本@名無史さん
21/01/16 10:38:20.80 .net
企業に成り変わってる!って話?
それ単なる商売人じゃん

389:日本@名無史さん
21/01/16 10:39:01.53 .net
そんなんに名家だの利用したわけ?
潰せよそんなん

390:日本@名無史さん
21/01/16 11:50:40.30 .net
>>377
ある意味優遇になるか。

391:日本@名無史さん
21/01/16 12:38:41.61 .net
>>372
幸運な人というのはいるもので徳川吉宗も生まれた時は周囲で未来の将軍など考えもしなかっただろう
井伊直弼など大老どころか一生部屋住みでもおかしくは無かった
人生運というのがあるなと

392:日本@名無史さん
21/01/16 12:45:08.10 .net
血筋が散ると世継ぎ問題とかってやつでしょ
そんなんで継げるほど甘くねえけどね

393:日本@名無史さん
21/01/16 12:48:20.75 .net
武家の大将ってのは戦闘やるときそいつらを一緒に戦闘に誘い味方につける人間が大将に選ばれるだ
そゆ人間は成り代わりできないの

394:日本@名無史さん
21/01/16 12:49:15.89 .net
だから武家の世ってえの

395:日本@名無史さん
21/01/16 12:49:39.68 .net
継体天皇というのが居てだな

396:日本@名無史さん
21/01/16 12:50:38.88 .net
だから武家の世ってえの

397:日本@名無史さん
21/01/16 13:30:41.43 .net
>>383
井伊直弼って免許皆伝の腕前なのに駕籠に乗ってたばっかりに呆気なく殺されてしまった

398:日本@名無史さん
21/01/16 13:59:59.97 .net
領地大幅に減らされた結果伯爵に
本来なら侯爵だったのに

399:日本@名無史さん
21/01/16 14:00:00.51 .net
領地大幅に減らされた結果伯爵に
本来なら侯爵だったのに

400:日本@名無史さん
21/01/16 14:15:41.53 .net
>>390
奥州列藩同盟の人達って、御三家や将軍家も恭順している時期に、なんで新政府(天皇)側に反抗したの?
あそこから逆転できると思ったのだろうか?
まあ、長州は第二次長州征伐の時に一藩で数十倍の幕府軍と戦って逆転したんだけど

401:日本@名無史さん
21/01/16 15:14:17.52 .net
最初は官軍の奥羽鎮撫総督を受け入れてたし、大政奉還や王政復古を否定してたわけじゃない。限定的条件闘争(会津藩庄内藩の寛大処分の要求)のつもりだったのが、次第にエスカレートしてあとに引けなくなった構図だろう。

402:日本@名無史さん
21/01/16 15:17:55.06 .net
>>379
天璋院最期所持金が僅かだったらしいな。

403:日本@名無史さん
21/01/16 15:24:03.94 .net
薩長の田舎侍の分際で官軍でございと威張り返ってる馬鹿がいたから反発した

404:日本@名無史さん
21/01/16 15:25:10.37 .net
松平容保って気の毒な殿様だけど
民衆からは全く慕われずむしろ嫌われてた

405:日本@名無史さん
21/01/16 15:56:06.90 .net
>>395
長州の世良修造はまさにそれで奥州列藩とトラブルを起こし本人は暗殺された
世良も普通に折衝をこなしていれば問題にもならず殺されることもなく勲功で子爵ぐらいにはなってただろうが本人の性格がアレすぎた

406:日本@名無史さん
21/01/16 15:59:05.97 .net
その程度の知識を自慢したいものかね
スレチバカくん

407:日本@名無史さん
21/01/16 16:08:50.32 .net
会津松平家も本来伯爵になるはずが、朝敵認定され領地大半召し上げで子爵に
同様に仙台伊達家も本来侯爵になるはずが、領地を減らされ伯爵になってしまう
その結果分家だと思っていた宇和島の伊達家が侯爵になり逆転されてしまった
結論は天皇を擁した薩長に逆らってはいけない

408:日本@名無史さん
21/01/16 16:56:30.63 .net
400

409:日本@名無史さん
21/01/16 17:46:23.35 .net
官軍か〜

410:日本@名無史さん
21/01/16 17:46:50.59 .net
自称にしか過ぎんわけよ

411:日本@名無史さん
21/01/16 18:14:20.51 .net
松平恒雄が爵位を継がなかった謎

412:日本@名無史さん
21/01/16 19:02:56.44 .net
幕末から維新にかけて減封された大名がもしも減封されなかったら

大名 表高 内高 現高(四ツ物成で計算) 与えられるべき爵位
仙台 620056 1018818.66 407527.46 侯爵
彦根 350000 355831.99 142332.79 伯爵
会津 280000 403569.67 161425.47 侯爵
盛岡 200000 316697.44 126678.98 伯爵
米沢 180000 336645.57 134658.23 伯爵
庄内 170000 222385.36 88954.14 伯爵
小田原 113129 124853.48 49941.39 子爵
桑名 110000 144439.12 57775.65 伯爵
二本松 100700 133487.13 53394.85 伯爵
棚倉 100000 112997.05 45198.82 子爵

彦根は20万石時の内高を30万石に換算(×1.5)し城付米5万俵(現米2万石)を加えた

413:日本@名無史さん
21/01/16 19:04:36.99 .net
南部と上杉は変わらず伯爵か

414:日本@名無史さん
21/01/16 19:26:16.48 .net
>>399
分家でなくて別家

415:日本@名無史さん
21/01/16 19:45:48.76 .net
高木美保
渡辺裕之
高木美保
渡辺裕之
高木美保
渡辺裕之
長塚京三

416:日本@名無史さん
21/01/16 20:50:25.29 .net
>>406
同じじゃ?

417:日本@名無史さん
21/01/16 20:59:41.59 .net
爵位の逆転なんて同上家では珍しくもなんともない

418:日本@名無史さん
21/01/16 21:07:09.46 .net
>>408
いちおう別物
本家から禄米なり領地なりを分けてやって成立するのが分家、本家とは別に幕府から領地を与えられて成立するのが別家
柳田國男「先祖の話」によるとこの区別は武家に限ったことではなく、のれんなり土地なり家督の一部を割き与えられたのでなければ分家とは言わなかった。自力で稼いで新しい家を立てた人は「別本家」と呼ばれたという。

419:日本@名無史さん
21/01/16 21:40:56.54 .net
>>399
最後まで逆らって戦いに負けたら皆殺しになっててもおかしくないのに、爵位を貰ってるんだからまだマシだよ
関ヶ原とか大坂の役とか負けた方は悲惨だったろ?
まあ、毛利と島津は助かったけど(それが後々災いに、、、)

420:日本@名無史さん
21/01/16 23:07:11.48 .net
戊辰戦争の少し前アメリカでは南北戦争が終結していた
南部連合大統領のジェファーソン・デイビス、副大統領のスティーブンス、総司令官ロバート・リーはいずれも戦後釈放されスティーブンスは下院議員や州知事も勤めている
内戦の戦後処理はある程度寛容な措置をしておかないと分裂が長引く 明治政府はアメリカの内戦の結果を知っていただろうが戊辰戦争の後始末の参考にしたかどうか

421:日本@名無史さん
21/01/16 23:35:36.40 .net
幕末の天狗党戦争で宍戸藩主松平頼徳が切腹、改易になったのと比べても、戊辰戦争では新政府は「藩主クラスは処刑しないし、藩じたいの改易もしない」みたいな基準を作ってた感はある

422:日本@名無史さん
21/01/16 23:38:53.55 .net
>>410
なるほど
厳密には違うのか


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