華族についてpart12 ..
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2:日本@名無史さん
20/12/26 12:53:26.30 .net
age

3:日本@名無史さん
20/12/26 12:54:01.10 .net
前スレから間空き過ぎたな。

4:日本@名無史さん
20/12/26 13:00:55.76 .net
一口に華族といっても
公侯爵の結婚の際は伯爵まででそれ以下の子男爵は問題外という家が結構あった

5:日本@名無史さん
20/12/26 13:21:14.74 .net
ワシは奈良華族の子孫にあたる。

6:日本@名無史さん
20/12/26 13:29:06.54 .net
自称華族乙

7:日本@名無史さん
20/12/26 13:52:25.80 .net
授爵って辞退出来るの?

8:日本@名無史さん
20/12/26 14:03:45.90 .net
>>7
一応できる
福沢諭吉なんかは度重なる受爵の打診を固辞した

9:日本@名無史さん
20/12/26 14:49:03.64 .net
なんにせよ敗戦と民主化で華族だの貴族だの旧宮家だのが吹っ飛んでくれて本当によかった。
あんなのが今でも存在していたら、さぞかしやりきれない社会だったろう。
GHQグッジョブだな。

10:日本@名無史さん
20/12/26 16:02:14.07 .net
コロナ五輪でトンキン土人ヒーハー

11:日本@名無史さん
20/12/26 16:07:45.05 .net
勲功華族ってあまり有り難みが無いな。
どうしても成り上がりのイメージが強い。

12:日本@名無史さん
20/12/26 16:11:02.42 .net
貧乏足軽の倅が摂関家や将軍家と同じ地位にまで登るなんて夢があるじゃん

13:日本@名無史さん
20/12/26 18:56:45.25 .net
貧乏足軽出身の山縣公爵家

14:日本@名無史さん
20/12/26 19:30:09.64 .net
今でも金持ちでいられる華族は少ないよな
知り合いの元華族は普通の賃貸マンション暮らしだ

15:日本@名無史さん
20/12/26 19:31:27.65 .net
>奈良華族の子孫
 俺も奈良華族の女系子孫だから、遠い親戚かもね。

16:日本@名無史さん
20/12/26 21:57:32.42 .net
加賀前田家が公爵では無いのはおかしい
何と言っても加賀百万石の大大名なのに

17:日本@名無史さん
20/12/26 23:24:25.23 .net
維新の三傑である元勲が侯爵なのに、
元老が公爵なのはおかしい。

18:日本@名無史さん
20/12/26 23:50:31.79 .net
伊藤山縣の方が凄いからな

19:日本@名無史さん
20/12/27 10:16:25.12 .net
大久保家は公爵が妥当
大久保の偉勲は圧倒的

20:日本@名無史さん
20/12/27 14:10:12.69 .net
明治維新と日清日露の勲功者は伯爵までで良かったと思うわ
侯爵以上は家柄必須で

21:日本@名無史さん
20/12/27 16:58:11.00 .net
宮中で活躍した波多野子爵って勲功華族だったんだな。
勝手に小大名家出身の華族とばかり思ってた。

22:日本@名無史さん
20/12/27 18:53:15.67 .net
堀田伯爵家は戦後にかなり貧窮して娘を小佐野賢治に嫁に出した

23:日本@名無史さん
20/12/28 11:02:00.30 .net
徳川宗家は徳川一門で一番裕福なのかと思ったら、
紀州より資産が少なかったらしい。
まあそれでも裕福だけど。

24:日本@名無史さん
20/12/28 22:47:01.83 .net
倉富勇三郎日記面白い
華族の内情が赤裸々に綴られている

25:日本@名無史さん
20/12/29 00:13:19.68 .net
徳川家達の鶏姦事件

26:日本@名無史さん
20/12/29 00:31:16.83 .net
>>23
紀州と並ぶ富豪だった蜂須賀も散財で没落したな
どちらもアホな当主の道楽で家が傾いた

27:日本@名無史さん
20/12/29 00:51:42.72 .net
旧摂家の中で藤原氏の男系なのは九条家と二条家だけ?

28:日本@名無史さん
20/12/29 01:28:02.72 .net
現在の一条家は、男系だと関白藤原師実の系統から中山家、大炊御門家を経て一条家だから藤原氏男系ではある。

29:日本@名無史さん
20/12/29 10:44:12.98 .net
>>28
なるほど

30:日本@名無史さん
20/12/29 18:19:40.20 .net
有馬家と柳原家はスキャンダルの宝庫だな

31:日本@名無史さん
20/12/29 23:37:51.07 .net
小室家もビックリなスキャンダルだらけ。

32:日本@名無史さん
20/12/30 10:02:02.21 .net
>>31
皇室はスレチ

33:日本@名無史さん
20/12/30 12:25:40.24 .net
公卿華族って貧乏で天皇から支給された金で何とか生活してたんだよな

34:日本@名無史さん
20/12/30 13:25:05.09 .net
>>33
だから爵位を返上する事例が後を絶たなかった。

35:日本@名無史さん
20/12/30 16:31:52.26 .net
勲功華族でも中身は軍人と外交官が多いな
小村壽太郎なんて侯爵まで陞爵している

36:日本@名無史さん
20/12/30 20:04:07.33 .net
勲功華族って明治には多かったけどその後減っちゃいましたよね?
爵位もらった前任者と同じくらいの実績のあった人は文句言わなかったのだろうか

37:日本@名無史さん
20/12/30 21:41:30.86 .net
酒井雅楽頭(姫路)は歴代墓の管理料が払えなくて無縁仏になり
墓が撤去予定らしい

38:日本@名無史さん
20/12/31 00:17:40.53 .net
>>36
え?むしろ時代を経るにつれ増加してるよ
昭和になると男爵のバーゲンセールレベル

39:日本@名無史さん
20/12/31 00:48:03.54 .net
維新の頃の首相は公爵〜伯爵だったものが、昭和になると子爵や男爵、あるいは爵位を与えられない人も出たり、とかなりランクダウンしてるってことを言いたいのでは?

40:日本@名無史さん
20/12/31 09:51:55.72 .net
どんどん増えるから、勲功には一代爵位を与えたら良かったのにね
まあ戦争でリセットされたけど

41:日本@名無史さん
20/12/31 10:47:51.35 .net
正一位や従三位といった位階は現代まで残ったことを考えると
華族制度は日本人にそれほど定着することなく終わってしまった

42:日本@名無史さん
20/12/31 15:20:39.39 .net
>>39
幣原喜重郎は男爵になったのに外務省の後輩の吉田茂はもらえない
この頃のぎりぎりもらえなかった人は不満だったんじゃないかなーと

43:日本@名無史さん
20/12/31 16:11:52.50 .net
吉田茂より松平恒雄が授爵されなかったのは謎

44:日本@名無史さん
20/12/31 17:12:48.40 .net
古代中国の爵位をそのままぱくって、公、侯、伯、子、男と決める時点で
公爵と侯爵は発音が日本語では同じで混乱するいう反対意見も出たが
結局押し通された

45:日本@名無史さん
20/12/31 19:33:28.40 .net
>>43
松平って、徳川と松平を合わせて30以上あるんじゃないか?
これ以上必要ないやろ

46:日本@名無史さん
20/12/31 20:42:35.94 .net
>>43
吉田より遥かに有能だよな。
2人とも英語は出来ないけど。

47:日本@名無史さん
21/01/01 00:45:06.01 .net
島津もやたら多いな

48:日本@名無史さん
21/01/01 01:06:32.71 .net
年明けだな

49:日本@名無史さん
21/01/01 10:07:43.55 .net
渡辺千秋は桂太郎から伯爵を買った。

50:日本@名無史さん
21/01/01 20:40:32.53 .net
珍田捨巳伯爵は知名度低いが立派な人だった。
昭和天皇実録にもかなりの頻度で名前が出てくる。

51:日本@名無史さん
21/01/01 23:06:13.03 .net
諏訪家は日本屈指の名門の家柄ということを考慮すると子爵は心許ない
少なくとも伯爵でも良かったと思う

52:日本@名無史さん
21/01/01 23:20:25.53 .net
鎌倉北条の被官だった家が屈指の名門とは笑わせる

53:日本@名無史さん
21/01/01 23:55:01.04 .net
>>51
千家家でも男爵だし…
大谷家の伯爵が異常。

54:日本@名無史さん
21/01/02 01:07:31.30 .net
大祝家は華族にならなかったのか?

55:日本@名無史さん
21/01/02 01:39:35.59 .net
>>54
なってない

56:日本@名無史さん
21/01/02 08:01:27.08 .net
高杉晋作が維新まで生きていれば伯爵以上は確実だったな

57:日本@名無史さん
21/01/02 09:26:59.52 .net
>>56
事実として生きれなかったので空想は意味がない

58:日本@名無史さん
21/01/02 09:38:10.65 .net
>>53
大谷家は元々公卿出身ということが加味されたのではと疑っている

59:日本@名無史さん
21/01/02 12:30:02.79 .net
門跡という身分も知らないのか

60:日本@名無史さん
21/01/02 13:03:40.37 .net
>>59
公卿出身云々は関係無いだろうが、
門跡という身分だから伯爵に叙爵されたというのは理由


61:にならない。 それなら他の有力寺院の門跡も伯爵でなければならないが男爵止まり。



62:日本@名無史さん
21/01/02 13:26:27.06 .net
>>56
部下だった伊藤や山縣が公爵だから
公爵は確実だろ!

63:日本@名無史さん
21/01/02 14:30:33.99 .net
>>56
維新まで生き残っても下野したのも反乱軍に参加したのも大勢いるし
明治政府内で政争に勝ち続け爵位を受けてたなんて想像しても意味がない

64:日本@名無史さん
21/01/02 16:36:03.02 .net
>>60
献金したんじゃないの、結局のところは。

65:日本@名無史さん
21/01/02 18:42:31.99 .net
>>61
まあ、伊藤や山縣も高杉には頭が上がらないだろうし、長州閥のTOPにはなってただろうな

66:日本@名無史さん
21/01/02 20:32:52.74 .net
長州薩摩などの維新功労者は維新政府の中枢に入ったが、藩主は入ってない
藩主は入ってないが華族に列せられた
こういう場合、維新政府の中枢、要職に就いたものと華族になったもの、
どちらの方が格上になるのですか?
もっと具体的に問うなら、維新政府の内務卿になった大久保利通と、
かつての主君であり、華族となった島津のお殿様は、もし道でばったり会った場合、
どちらが格上の扱いを受けるのでしょう?

67:日本@名無史さん
21/01/02 20:37:56.46 .net
>>65
誰がどう見ても島津公の方が格上

68:日本@名無史さん
21/01/02 21:04:43.35 .net
>>66
へえ、そうなんですか、サンクスです
明治の世で会ったら、
大久保「島津さん」or「島津さま」
島津「大久保くん」
こんな感じですかね

69:日本@名無史さん
21/01/02 21:38:51.18 .net
島津の若殿んとこにセゴドンの曽孫が嫁入りした時の仲人が大久保の孫だったか。

70:日本@名無史さん
21/01/02 22:51:20.52 .net
>>67
大久保や西郷は維新後も普通に久光なんかと会ってる
基本的には藩主時代と何ら変わらない関係性
ただそれは久光に実際に仕えていた西郷や大久保だからであって
二人の亡き後は主君と臣下という関係性では徐々に無くなっていく

71:日本@名無史さん
21/01/03 06:46:35.27 .net
>>62
下野した大隈や板垣も叙爵されてるし、軍事反乱に加担しなけりゃ伯爵までは確実だろ

72:日本@名無史さん
21/01/03 06:49:37.77 .net
>>69
儀礼的にはそうだろうけど、現実の力関係とか影響力では明治初期にもう逆転状態だろう。廃藩置県のときは寝耳に水の久光は激怒したそうだし。

73:日本@名無史さん
21/01/03 10:47:31.02 .net
千駄ヶ谷公

74:日本@名無史さん
21/01/03 11:49:17.49 .net
>>70
西郷や江藤は叙爵されていない
大隈重信は下野などせず総理大臣までやっただろうが

75:日本@名無史さん
21/01/03 12:23:35.31 .net
>>73
まあ西郷家は息子が「隆盛の維新の功」で侯爵に叙爵されてるけどな

76:日本@名無史さん
21/01/03 16:02:33.81 .net
>>73
明治14年の政変って知らないの?
普通の歴史叙述ではあれで大隈は下野したと言うんだが

77:日本@名無史さん
21/01/03 16:03:49.17 .net
>>73
あと「軍事反乱に加担しなけりゃ」と書いてるのになぜわざわざ西郷や江藤の例を持ってくるのか、理解に苦しむ

78:日本@名無史さん
21/01/03 19:11:26.88 .net
令和3年現在で存命中の叙爵者います?

79:日本@名無史さん
21/01/03 20:02:25.26 .net
>>77
いない。

80:日本@名無史さん
21/01/03 21:07:16.96 .net
いないのか、、
華族制度廃止から80年、1000家もあったんだからまだ生きてる人がいそうな気もするんだけど

81:日本@名無史さん
21/01/03 22:23:53.79 .net
>>79
当主の家族ではなく、爵位持ち限定だろ?
普通は成人してるから100歳超えてるよ

82:日本@名無史さん
21/01/04 00:17:32.96 .net
1000家もあったら幼齢で襲爵した人も多少はいたんじゃないの?まあ確率の問題だからいなかったかもしれないが。
近衛文麿は満で12歳(数えだと14歳)で襲爵してるし、年齢制限はなかったんでしょ?いま華族令にもあたってみたけど、年齢制限らしき条項は見当たらない。

83:日本@名無史さん
21/01/04 00:24:26.97 .net
もうちょい調べてみたら、西竹一が襲爵したのが満9歳、その相続人で襲爵者西泰徳氏は1927年生まれなので、まだご存命かも。

84:日本@名無史さん
21/01/04 11:40:36.45 .net
平成の初めころには霞会館とか堂上会には
元爵位持ちけっこういただろうな。なんかのドキュメンタリー番組で
西園寺公望の秘書のなんとか元男爵(名前忘れた・団地住まい)が
インタビューに答えていたのをうっすら覚えてる。

85:日本@名無史さん
21/01/04 11:56:30.27 .net
>>83
原田熊雄の子孫?

86:日本@名無史さん
21/01/04 15:47:51.36 .net
華族制度が廃止されて10年以上も経った頃でも名刺の肩書に「伯爵」と印字されてる部分をペンで2本線引いて消したものを渡して自己紹介する元伯爵がいて、
戦前にさぞかしたくさん名刺をお作りになってたんでしょうねw とひそひそ笑われたってエピソードどっかで読んだの思い出した

87:日本@名無史さん
21/01/04 17:34:22.05 .net
>>84
原田男爵の「息子」だったかもしれん。

88:日本@名無史さん
21/01/04 19:26:37.14 .net
一口に勲功華族と言っても
大名並みの石高を誇った大藩の家老や名門に連なる家系出身と
本当に一から身を興した農民や下級武士と色々いるな

89:日本@名無史さん
21/01/04 21:09:02.73 .net
交代寄合・高家と万石以上陪臣はいくつかの叙爵案で男爵に叙せられるべき候補とされているのでその辺りまでが家柄華族に准ずる層と言える
実際には家計事情(華族の体面を維持できるか否か)が重視された為に高家で華族に列したのは(大澤を除けば)皆無で
万石以上陪臣でも華族に列していない家もある

90:日本@名無史さん
21/01/05 00:21:39.34 .net
>>87
下手したら出自があやふやな大名よりれっきとした血筋の勲功華族とかいそう。

91:日本@名無史さん
21/01/05 00:31:02.64 .net
>>89
大名系の公爵で出自がはっきりしてるのは毛利家くらいじゃないのか?
(公家や勲功華族を除く)

92:日本@名無史さん
21/01/05 03:01:35.96 .net
>>89
松平正直とかはそれに近いな

93:日本@名無史さん
21/01/05 12:56:20.98 .net
大久保春野も古い宮司家出身

94:日本@名無史さん
21/01/06 09:10:13.79 .net
公爵徳川慶光陸軍二等兵・・・。
征夷大将軍の嫡孫で公爵閣下なのに足軽とは。

95:日本@名無史さん
21/01/06 11:29:15.84 .net
大名華族で一番の富豪は前田侯爵家だろうか?

96:日本@名無史さん
21/01/06 12:21:49.19 .net
>>93
どういう事情でこんな事になったんだろう
華族以前に東大大卒だから普通に幹候に行けたと思うんだが
どういう事情なんだろうか
丸山真男のような自分で二等兵を望んだ話なのか或いは松前重義のように懲罰嫌がらせで招集されたのか
宮中席次が総司令官より上の二等兵とか面倒にも程があるしこんなひ弱な人を何度も招集しなきゃならない程逼迫していたとも思えないのだが

97:日本@名無史さん
21/01/06 12:29:40.19 .net
松前藩の殿様(子爵)も二等兵で応召、戦死。

98:日本@名無史さん
21/01/06 13:07:25.26 .net
>>94
島津家じゃね?

99:日本@名無史さん
21/01/06 13:10:46.94 .net
松平一郎は近衛歩兵第一連隊で少尉

100:日本@名無史さん
21/01/06 13:52:16.28 .net
>>93
ほぼ同時期に招集された公爵嫡男の近衛文隆は幹候から中尉になってる
慶光は東大と言っても学習院枠で頭の出来は旧制高校→帝大とは比べるべくもないにせよ東大は東大だし幹候試験を受けたらいくらでも下駄は履かせられただろう
数多いる親族のお偉いさんたちはなんとかしてやろうとか思わなかったんだろうか 
本人に信念があって二等兵とも思えない そんな信念があるなら宗秩寮の言うように家族たるもの陸士か海兵に進んでるだろう

101:日本@名無史さん
21/01/06 15:15:16.82 .net
宮中席次では大勲位が一番なんだよな
勲一等旭日桐花大綬章が公爵や従一位より上になるのは驚いた

102:日本@名無史さん
21/01/06 15:20:01.93 .net
URLリンク(upload.wikimedia.org)

103:日本@名無史さん
21/01/06 15:45:21.42 .net
>>101
こんなに沢山の勲章貰ってたんだな。

104:日本@名無史さん
21/01/06 17:05:03.54 .net
後の大勲位である中曽根少佐も議会ペーぺーの頃は国会で保科や源田と会ったときは敬礼とかしてたのかなあ

105:日本@名無史さん
21/01/06 19:37:38.07 .net
何言ってんだ?

106:日本@名無史さん
21/01/06 22:15:03.57 .net
慶光は母が有栖川宮の王女で姉が高松宮妃
それなのに三回応召してる
病気で戦地の野戦病院に入院してたときに軍司令官が高松宮妃の弟が入院してると聞いて見舞いに駆けつけた
終戦時、貴族院議員陸軍上等兵正四位勳四等公爵

107:日本@名無史さん
21/01/06 23:22:44.69 .net
徳川一門の中で一番裕福なのは尾張家らしい

108:日本@名無史さん
21/01/07 08:35:56.56 .net
>>106
数万石クラスの国持大名に匹敵する家臣を何人も抱えれるのはここと加賀くらいでしょ

109:日本@名無史さん
21/01/07 08:53:33.15 .net
>>105
これほど高貴な身分でも二等兵で前線に行ってるという徴兵制の公平さのアピールってわけでもないんだよね 陸軍も別に広報してないし
御家乗っ取りの陰謀で当主を死地に追いやるという事でもないだろうし
全くの自然体でこんなのあるのか
軍は内地で何してたか兵の身上は完全に把握しているからこんなド派手な身分は分かっていたと思うが扱いに困ったんじゃないか シャバで先生だろうと社長だろうと関係ないというのが軍とはいえあまりにも身分が高すぎる

110:日本@名無史さん
21/01/07 10:33:32.07 .net
将軍の孫が二等兵でけっこう病弱、公卿清華家の醍醐侯爵は海軍軍人として
司令官を歴任して最終階級は海軍中将、最期は銃殺刑死・・・。逆やん。

111:日本@名無史さん
21/01/07 10:40:04.92 .net
>>107
スレチになっちゃうけど現在の話ね

112:日本@名無史さん
21/01/07 10:51:35.21 .net
>>108
徴兵で身分が考慮されてたのなんて明治まで
昭和になると華族の子弟だろうと一般と変わらない待遇を受ける
良くも悪くも「平等主義」が徹底されてた

113:日本@名無史さん
21/01/07 11:19:45.35 .net
大正から昭和初期にかけて大名華族が伝来の書画骨董をまとめてセリにかける売立会がブームになった
それまでも手元不如意のたび外聞を気にして出入りの業者に相対で細々売っていたのがまとめてオークションにした方が高値がつくしまとまった金になる もはや体面より金である
有難いことに日露から第一次大戦と戦争成金が激増しており買い手には事欠かない
本当に裕福ならガラクタの蔵払いならともかく家伝の秘宝を売る必要はないわけで大名華族の困窮度合いが伺える 伊達 佐竹 池田 水戸紀伊尾張徳川家など錚々たる家が骨董のオークションである
その中で流石富豪の尾州徳川家の売り立て目的は違って美術館建設の資金集めとのことで二流品中心だったというがそれでも雪舟定家利休など博物館レベルてんこ盛り ちょっと大名家でも図抜けた観がある

114:日本@名無史さん
21/01/07 11:55:32.98 .net
>>111
平等なのはそれはわかるんだよ
でも実際のところ慶光のような例はほとんど見られない
彼が徴兵された1940年当時は30歳未満が追加招集対象らしいが これらの年代の華族達は職業軍人以外では徴兵されてないか徴兵されたものは大抵幹候で士官になっている 
華族だから学歴は学習院から大学ではみな幹候受験の資格はある 近衛文麿の息子や慶光の義弟の榊原子爵のように士官となる
むしろ慶光の公爵にして二等兵というのが余りにも珍しい事例だから現在まで語られる逸話になってるんだと思うんだよ

115:日本@名無史さん
21/01/07 12:09:40.13 .net
華族制度なくなってよかったなあ

116:日本@名無史さん
21/01/07 13:06:02.17 .net
有馬頼義も中々だと思う。
久留米藩主家の有馬頼寧伯爵の息子で母親は北白川宮家の皇族出身。
陸軍に召集されてソ連と満洲国境に近い極寒零下30度の最前線に送り出されて3年も勤務し古参の上等兵で退役した。

117:日本@名無史さん
21/01/07 13:35:31.65 .net
吉田茂や三島由紀夫は平民なのに学習院
三島は祖母が大名に連なる家系だからまだ分かるけど吉田は謎
平民が学習院に入るには華族の紹介が必要らしいけど誰に紹介してもらったのか

118:日本@名無史さん
21/01/07 14:12:00.60 .net
>>94
1916年の時点では
推定資産1500万円で島津公爵家と前田侯爵家が大名華族トップ
次に1000万円以上1500万円未満が紀州徳川侯爵家、毛利公爵家、松平侯爵家
更に100万円以上500万円未満が徳川公爵家

119:日本@名無史さん
21/01/07 17:05:18.04 .net
>>117
この中に宇和島伊達家や佐賀鍋島家が入って無いのは意外だわ、鍋島家とか参議院議員も居たのに。

120:日本@名無史さん
21/01/07 18:10:23.20 .net
大正時代の話に参議院議員とか言ってるアホ

121:日本@名無史さん
21/01/07 18:36:04.24 .net
終戦時の宮中録音盤事件で尾張徳川家の血を引き男爵家嫡男の
徳川義寛侍従(のちの侍従長)がいち軍曹に殴られてぶっ倒れるって
エピソードあったな。殿様の子が足軽組頭に殴られるようなものか。
江戸時代ならお手打ちかな。

122:日本@名無史さん
21/01/07 20:33:55.02 .net
徳川家達はイギリスのイートン校に留学したとなってるが
実際は下宿して個人の私塾に通ってたらしい

123:日本@名無史さん
21/01/07 22:47:30.94 .net
>>117
徳川宗家って特別資産が多かった訳じゃ無いんだな。

124:日本@名無史さん
21/01/07 22:56:28.19 .net
江戸城にあった重宝はほとんど接収されて駿府に追い出されたから

125:日本@名無史さん
21/01/07 23:27:45.41 .net
現在も徳川記念財団は徳川美術館と比較して所蔵品も格段に落ちるしね

126:日本@名無史さん
21/01/07 23:34:00.34 .net
>>107
万石以上の家老が10家ぐらいいて、明治にそれらがほとんど男爵になってるからなぁ
維新に乗り遅れた割りには華族多い旧加賀藩

127:日本@名無史さん
21/01/07 23:45:25.41 .net
>>88
交代寄合・高家旗本は家柄からいって男爵にすべきだった
貧乏な奈良華族ですら男爵になってるのに

128:日本@名無史さん
21/01/08 10:02:47.16 .net
>>116
土佐閥の誰かじゃないのかな
実父も養父も後藤象二郎にはずいぶん面倒掛けられたから後藤伯あたりが押し込んだとか

129:日本@名無史さん
21/01/08 10:52:56.75 .net
徳川家正は徳川公爵家の嫡男の割には外交官として余り出世しなかったな。
外務省でもずっと非主流のハズレコースだし。

130:日本@名無史さん
21/01/08 11:06:06.09 .net
爵位って当主が死んだら自動的に後継に相続される訳ではなく
嗣子が襲爵手続きを取って初めて爵位を相続出来るらしいから家督と爵位は不可分では無かったということか
それに襲爵手続き期間は2年か3年でその期間内に手続きしなければ爵位は喪失することになる

131:日本@名無史さん
21/01/08 11:10:45.92 .net
>>126
今川従五位さんとかホントかわいそう。
八幡太郎義家の血脈で江戸幕府内でも高家として
官職位なら大名にも引けを取らないのに。

132:日本@名無史さん
21/01/08 13:08:40.26 .net
上杉家は吉良上野介の男系子孫

133:日本@名無史さん
21/01/08 16:30:01.45 .net
御所が絶えれば吉良が継ぎ
吉良が絶えれば今川が継ぐ

134:日本@名無史さん
21/01/08 16:36:00.08 .net
新田、斯波は足利以上の氏族勢力誇っていたし
細川は足利の家臣な家柄だからな

135:日本@名無史さん
21/01/08 19:32:25.40 .net
>>128
だって学習院から帝大だもの
典型的なお華族様外交官

136:日本@名無史さん
21/01/09 00:20:25.78 .net
逆に大名華族で外交官で出世した例があまり無い気がする
華族出身者は何かと風当たりも強かったらしいし

137:日本@名無史さん
21/01/09 07:45:40.61 .net
>>133


138:日本@名無史さん
21/01/09 09:03:54.31 .net
次の日銀券は渋沢子爵、北里男爵と華族は2名
現行とその前は福沢、野口、樋口、漱石、新戸部と皆平民
さらにその前は伊藤公、岩倉公、高橋子爵、板垣伯と皆華族
貴族制度がある或いはあった国の紙幣の貴族率と比べてみるのも一興

139:日本@名無史さん
21/01/09 10:51:10.87 .net
華族の子弟ってなんか当たり前のようにオックスブリッジに留学してるな
アメリカに行く人もいるがイギリスの方がかなり多い

140:日本@名無史さん
21/01/09 11:39:28.49 .net
今も華族制度があったら、どんどん人数が増えててたいへんな事になってたんだろうね
イギリスみたいに一代華族制度とか作ってたかな?

141:日本@名無史さん
21/01/09 12:10:42.09 .net
武家氏族
将軍となれる家柄

142:日本@名無史さん
21/01/09 12:12:46.64 .net
てより意味が分からないっての最初から分からないんだろうから絡むのやめてくれるかい

143:日本@名無史さん
21/01/09 12:19:59.39 .net
今も華族制度があったら
・オリンピック金メダルで男爵、2大会連続金メダルなら子爵
・ノーベル賞で男爵
・総理大臣になったら子爵
・皇女と結婚したら伯爵
みたいな?

144:日本@名無史さん
21/01/09 12:20:10.72 .net
>>140
そんなもの無い

145:日本@名無史さん
21/01/09 12:21:38.68 .net
侯爵と伯爵の間には変えられない壁がある

146:日本@名無史さん
21/01/09 12:26:42.66 .net
小村寿太郎は壁を易々と越えたな

147:日本@名無史さん
21/01/09 12:36:59.55 .net
皇族の次男が侯爵で三男以下が伯爵

148:日本@名無史さん
21/01/09 12:42:36.44 .net
あるよ

149:日本@名無史さん
21/01/09 12:46:10.70 .net
平家には初めから将軍なれる資格すらないけど源氏のみがなれる家柄だ
源氏は東国で古代に戦闘指揮を執ったときに将軍府を設立した東国氏族を中心とした日本全国の武家の指揮権を執る家柄のこと

150:日本@名無史さん
21/01/09 12:47:18.41 .net
源平藤橘から帰化氏族にいたるまでその軍門で活動しなければならない

151:日本@名無史さん
21/01/09 12:49:04.61 .net
ある意味では天皇家から別れたとされる家柄だがそれ以上の実力を持っていた
なんせ日本全国の軍事権を握っていたからな

152:日本@名無史さん
21/01/09 13:59:16.00 .net
貴族院は伯爵以下は互選って事になってるけど
これは出馬しなければ議員にならないよね?

153:日本@名無史さん
21/01/09 14:01:20.45 .net
>>148 >>150
スレチ連投基地外は消えろ

154:日本@名無史さん
21/01/09 14:19:51.87 .net
そもそも日本史板にも未だに将軍は源氏しかなれないなどと思ってる奴がいるとは驚いた。
坂上田村麻呂を始め鎌倉の摂家将軍や親王将軍は無かったことにしてるのか知らないのか。

155:日本@名無史さん
21/01/09 14:21:22.30 .net
>>151
当然です

156:日本@名無史さん
21/01/09 15:14:19.54 .net
氏族としての力によるのこれは🤤

157:日本@名無史さん
21/01/09 15:28:06.82 .net
>>153
古い俗説を更新する能力のない低学歴かおじいちゃんなんだろう

158:日本@名無史さん
21/01/09 15:35:20.81 .net
華族の子女は幼少時に農家などの庶民の家に預けるのが慣習としてあった

159:日本@名無史さん
21/01/09 20:49:40.74 .net
勲功華族は財産が少ないので授爵時に男爵だと一万円
子爵だと二万円、伯爵だと三万貰えるらしい

160:日本@名無史さん
21/01/09 21:05:07.72 .net
>>157
九条の黒姫こと貞明皇后が有名だな。

161:日本@名無史さん
21/01/09 22:42:29.92 .net
>>158
家門永続金ね

162:日本@名無史さん
21/01/09 22:46:30.90 .net
華族に仕える家令や家扶といった家職を置けるのは旧華族だけで新華族は置けなかった
新華族や財閥が雇う場合は家令ではなく執事と言った
地味にこういうところが差別化されてる

163:日本@名無史さん
21/01/10 01:16:58.67 .net
新華族より一万石〜1000石くらいの士族の方が金持ってそう

164:日本@名無史さん
21/01/10 06:08:08.27 .net
旧大身旗本が羽振りが良かったなんて話はさっぱり聞かないけどな。
借金で首が回らず自殺とか旧領民から金借りてトンズラとか、乞食や芸人に落ちぶれた、そこまでじゃなくても縁故の家の居候としてほそぼそと暮らしたなんて逸話ならあるが。
3000石の旗本だった美濃部家は一代で資産をなくして長屋住まいの平巡査、その息子が噺家の5代目志ん生。

165:日本@名無史さん
21/01/10 07:52:06.48 .net
万石以上以下で大差がついたのは、やっぱり華族に対する政府の保護がそれだけ大きかったんだろう。
遊んで暮らせるほどの資産はなくても、馬鹿でも学習院→帝大の学歴は保障されてるから役人にもなれる。当時の官吏と民間の格差は今の公務員どころじゃない。
資産家の娘と結婚して財政を改善するという手もあるし。三井や住友が一条家や鷹司家と縁組、みたいなことはもっと下のレベルでもあったんじゃないか?

166:日本@名無史さん
21/01/10 08:27:10.27 .net
勲功華族は伝来の財産はないが叙爵された当人が大物政治家や大将閣下だから俸給が良いし余禄や人脈も半端ないので叙勲時は金にはそれほど困ってなかったのも結構いると思うな
奈良華族は当人達の生活力が皆無な上頼れる人脈もかつての家臣も居ないから大変だろう 華族は皇室の藩屏というが貧乏かつ頼りなさ過ぎて破れた垣根以下の存在

167:日本@名無史さん
21/01/10 08:45:45.90 .net
>>164
大正時代に貧乏


168:華族が成金と縁組するというのが頻繁して問題視されていたという 戦争景気でのし上がったニューリッチを成金というのもこの頃からで新興富裕層が出てきた時代 金持ちになると次は家柄を飾りたくなるのは世の常でこの需要と赤貧洗うが如しの公家華族とで双方ニーズがマッチングした 最たる例が柳原伯爵のところの白蓮 大正天皇の従姉妹という血筋が石炭鉱夫から成り上がったジジィに嫁ぐという下克上 まあ白蓮当人も経産婦の出戻りではあったが



169:日本@名無史さん
21/01/10 08:59:44.81 .net
一時期のイギリスでは名門貴族とアメリカの大富豪の縁組も多かった。チャーチルの母親もアメリカの富豪出身。
シャーロック・ホームズの「独身の貴族」も、名門貴族と米富豪の娘の縁組に関わる悲喜劇の話だった。

170:日本@名無史さん
21/01/10 09:04:01.55 .net
映画タイタニックのケイトウィンスレットが家柄だけが取り柄の貧乏貴族で新興国アメリカの富豪に嫁に行くという話だった
まあよくある話だが古今東西を問わず現実にも良くある事なのだろう
甲州のドン百姓の倅だった国際興業の小佐野賢治が総州佐倉の殿様の堀田伯爵の娘と結婚したのは有名な話だが戦前からこれに類したケースは多々あった
言ってしまえば戦国から江戸期にかけて地方大名に嫁いだ公家の娘達も同じ系譜と言えるし匈奴に嫁いだ公主達がさらにその祖型とも思える

171:日本@名無史さん
21/01/10 09:11:22.41 .net
家柄華族ならいざとなれば宮内省式部官とか侍従みたいな無能救済所もあったしなw
それすら務まらないやつは余程無能だったんだろう。

172:日本@名無史さん
21/01/10 09:21:52.24 .net
バカは死ね(╹◡╹)

173:日本@名無史さん
21/01/10 10:39:25.97 .net
>>166
「華麗なる一族」でも、中堅財閥の跡取りに公家系華族が娘を嫁入りさせてたな。
ドラマの話だけど

174:日本@名無史さん
21/01/10 10:50:33.55 .net
加藤高明は岩崎家の令嬢と結婚して金には困らず政治活動が容易にできた。
西園寺公望は弟が住友家に婿入りしこちらも住友家が西園寺を生涯支えた。
広田弘毅は加藤高明に岩崎家との縁談を勧められるが欲のないことに固辞。

175:日本@名無史さん
21/01/10 11:06:08.56 .net
三井三菱住友安田など自らも華族である大財閥はどこも公家華族、大名華族と縁戚となっている
石炭や船成金、株成金よりは三井や住友あたりは毛並みは多少マシにせよ三菱や安田は成金と五十歩百歩で家柄華族としては忸怩たるものはあっただろう
これくらいの大財閥となると名誉もあっただろうがどちらかというと実利が大きい 三井や住友が井上馨や西園寺公望などという政界の実力者と縁戚になるのは政商の地位を固める事に他ならない
今から見れば政財癒着以外の何者でもなくしかも当時は遠慮もなくやりたい放題 そりゃあ財閥華族が血盟団の標的になったのも当然と言える

176:日本@名無史さん
21/01/10 11:12:00.52 .net
皇族との結婚は何かと入用なので戦後だけでは無く戦前から皇族との結婚は忌避されていた
それでも戦前は皇族との縁談を断る事はなかなか難しいので泣きを見た家が多々ある
だから金が無駄にかかる皇族との結婚は裕福な大名華族出身者が多かった

177:日本@名無史さん
21/01/10 12:04:48.53 .net
公爵家の娘とかでも、宮家とかだと会うの大変になってしまうからと、愛娘には伯爵家とか格下の家にわざわざ嫁がせたなんて話も聞いたことがある。

178:日本@名無史さん
21/01/10 12:37:16.50 .net
島津や毛利って最初から公爵に叙されることになってたのかな?
維新の功労を無視すると石高では侯爵だよね

179:日本@名無史さん
21/01/10 12:39:49.86 .net
武家由来よりもともとの朝廷由来みたいなのを優先してんじゃねえの?
だいたい華族ってなんだよ?

180:日本@名無史さん
21/01/10 12:40:56.95 .net
従二位だのなんだのもともと仏教由来なんだろ〜があれはもともと神さまの位階を定めたもんなんだよ

181:日本@名無史さん
21/01/10 13:08:07.04 .net
>>176
当然功績を考慮したんじゃないか
宇和島伊達も伯爵から勲功オンで侯爵
仙台伊達家は減封された石高基準で伯爵で猛烈に不満に思ってずいぶんと昇爵運動したそうだが実ることはなかった

182:日本@名無史さん
21/01/10 13:10:55.08 .net
前田家は公爵でもおかしくなかったと思う。
大名諸侯で唯一の百万石の大藩だったのに。

183:日本@名無史さん
21/01/10 14:05:28.91 .net
>>180
前田家は戦国時代に出てきた家だからなあ
毛利家初代は鎌倉幕府の評定衆(鎌倉殿の13人)で北条時頼の義父だし、島津家初代は守護だし家柄はどちらもまあまあ良い

184:日本@名無史さん
21/01/10 14:12:11.67 .net
>>180
現高を知らないひと?

185:日本@名無史さん
21/01/10 14:48:01.09 .net
結局島津氏は惟宗氏なんだろうか?
源氏というのはあり得ないと思うが

186:日本@名無史さん
21/01/10 14:52:40.70 .net
だから秦氏だのなんだのはその子孫らの多くは宮大工に多いの

187:日本@名無史さん
21/01/10 14:54:39.79 .net
仏教の寺院などを作るだのそっちの大工らのグループとして名が多く残る
なんだ?おまえの言っとること?
そちらで名を残しておる
寺院などの建築請負みたいな連中らやの

188:日本@名無史さん
21/01/10 14:55:09.55 .net
>>183
島津家初代は頼朝の落胤と称してるらしいね
大友家初代も言ってるけど

189:日本@名無史さん
21/01/10 15:02:26.41 .net
例えば寺院の修理だのお抱えみたいになったやつらもいたわけ😀
そっちに流れた連中らが生き残った
武家として大成したやつ聞いたことねえわ

190:日本@名無史さん
21/01/10 15:05:44.75 .net
朝廷初期の将軍として名を残したなもいたろ
その子孫らで活躍した連中らの話なんざ聞いたことすらない
文字の読み書きはできるから朝廷の学問所の教官みたいの出す家柄にはなったみたいやがな

191:日本@名無史さん
21/01/10 15:06:58.64 .net
だいたい自分らが生き残る職種みたいな家柄となったのが多い😊

192:日本@名無史さん
21/01/10 15:08:04.56 .net
バカの熱弁はまだ続くのか?

193:日本@名無史さん
21/01/10 15:08:50.10 .net
絵文字のやつ前から浮いてるのいい加減気付け
現実でも空気読めずに周りから総スカン食らってるんだろう

194:日本@名無史さん
21/01/10 15:10:22.54 .net
理解力ねえんだなあ😀

195:日本@名無史さん
21/01/10 15:12:40.68 .net
>>174
何がそんな金かかるのかね?
持参金とか?

196:日本@名無史さん
21/01/10 17:18:30.47 .net
>>173
三井財閥の三井家当主って名誉職的な感じだったんだろうか?
団琢磨や池田成彬が総帥として教科書にも名前が載ってるが
三井家の当主の名前は一々知らないし影が薄い印象を受ける

197:日本@名無史さん
21/01/10 18:29:23.49 .net
三井の番頭政治 三菱の独裁政治ってやつだね
三井の商売は江戸時代から優秀な番頭が仕切ってきた
明治以降も益田鈍翁、団琢磨、池田成彬とその系譜は続く
井上馨も西郷に三井の番頭呼ばわりされていたが差し詰め社外番頭と言ったところだ
三井一族は、創業以降、同業大店が、売り家と唐様で書く3代目となるのを散々観てきて血統による限界をよく知っていたのだろう
まあ三井は特殊で三菱やその他の財閥も多くは財閥家独裁の形式だったと思うよ

198:日本@名無史さん
21/01/10 18:36:43.72 .net
平民宰相と言われる原敬だが実際は盛岡藩の家老の家柄。
全く平民では無くそこら辺の元勲より出自が良い。

199:日本@名無史さん
21/01/10 19:04:25.19 .net
原は授爵を断り続けてたという点で華族並みとも言える
戦前で本当の平民宰相は濱口、犬養、広田ぐらいで後は華族か軍人だな

200:日本@名無史さん
21/01/10 19:08:35.71 .net
地味にカトリックの原敬
戦前でも政府要人クリスチャン結構いる

201:日本@名無史さん
21/01/10 19:33:40.23 .net
というか高貴な平民も実は結構居たってこと。
皇族の二男は侯爵、三男以降は伯爵となるけれど、
その侯爵家の二男以降が戸主の戸籍から出て分家すれば平民。
公爵家の二男以降も同様に戸主の戸籍から出て分家すれば平民。

202:日本@名無史さん
21/01/10 19:36:08.08 .net
広田の父は福岡の石工だったな
亀山上皇像な礎石も担当したとか

203:日本@名無史さん
21/01/10 19:40:44.68 .net
原、犬養、濱口の平民宰相は3人が現職中暗殺
残る広田は死刑
華族や軍人と違い平民ならではのラジカルな政治姿勢とバックのいない状況がこの悲惨な末路となった面はあるのではないか

204:日本@名無史さん
21/01/10 20:08:18.89 .net
>>199
でもその場合は(公侯だと)分家にも男爵なり子爵なり授爵されるんじゃないか?

205:日本@名無史さん
21/01/10 20:08:37.87 .net
>>180
せめて叙爵内規くらい知ってから発言しろよ

206:日本@名無史さん
21/01/10 20:14:21.80 .net
>>199
それとは別口の華族の血を引く血筋よろしき平民は多数いた
御家騒動の典型の庶子の存在である
江戸時代、無嗣断絶は300諸侯に共通した恐怖だった
側室をバンバン置き男子が産まれれば家臣一同万歳三唱
失業の危機回避だから気持ちはよくわかる
側室は子供さえ産んでくれれば身分の高低などどうでも良い
将軍家でさえ八百屋とかその辺りの細民が母親だったりしてそれを誰も怪しまない
天皇や将軍家だけではない 大名諸侯も正妻から産まれたものの方が稀なのである
だが明治維新後、センネルヴァイスの消毒法などの産科医療の劇的発展や白粉の廃止により正妻がちゃんと子供を産めるようになってきた
また養子を取ることも極めて容易になっている もはや男子が産まれないことはお家断絶に直結しない
しかるに華族当主たちは習い性のようにそこら中に2号以下を囲んでいたため庶子が続出しこれと正妻のことの間で問題が続出した
当人は政治的には偉いさんなのだがしものことは最低な明治男が多く投げっぱなしで葬式に息子だ娘だが一個連隊出てきかねない
DNA鑑定もなくあの殿様なら満更嘘とも言えないとこうした後始末に苦労した家宰もいたという
こんな感じで見た目ただの平民がわしはなんとか伯の落としだねとか真偽不明の話が結構あったという

207:日本@名無史さん
21/01/10 20:15:03.06 .net
>>198
昭和天皇の初代侍従長を務めた珍田捨巳伯爵もクリスチャン。

208:日本@名無史さん
21/01/10 20:32:25.70 .net
洗礼名とかあったんかな

209:日本@名無史さん
21/01/10 20:42:38.26 .net
>>204
皇族だと、北白川宮能久王は死後に隠し子が2人も出てきて、今更皇族にするわけにもいかず、伯爵にした。

210:日本@名無史さん
21/01/10 20:54:17.87 .net
>>202
 華族制度が出来たばかりで、維新の功労がある初代の子どもだと、公侯爵家以外に
分家の男爵家を1家立てることを認められたりしていたけど、基本的に、それ以上は
無くて、平民だった。ただ、子どものことを思って、色々な家の養子(婿養子等とし
て華族家の継嗣に。)にねじ込むし、受け入れ側も公侯爵の親族となることが名誉と
いう発想もあっただろうから、実際に平民となった子ばかりではない。


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1154日前に更新/209 KB
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