華族についてpart12 at HISTORY
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150:日本@名無史さん
21/01/09 12:47:18.41 .net
源平藤橘から帰化氏族にいたるまでその軍門で活動しなければならない

151:日本@名無史さん
21/01/09 12:49:04.61 .net
ある意味では天皇家から別れたとされる家柄だがそれ以上の実力を持っていた
なんせ日本全国の軍事権を握っていたからな

152:日本@名無史さん
21/01/09 13:59:16.00 .net
貴族院は伯爵以下は互選って事になってるけど
これは出馬しなければ議員にならないよね?

153:日本@名無史さん
21/01/09 14:01:20.45 .net
>>148 >>150
スレチ連投基地外は消えろ

154:日本@名無史さん
21/01/09 14:19:51.87 .net
そもそも日本史板にも未だに将軍は源氏しかなれないなどと思ってる奴がいるとは驚いた。
坂上田村麻呂を始め鎌倉の摂家将軍や親王将軍は無かったことにしてるのか知らないのか。

155:日本@名無史さん
21/01/09 14:21:22.30 .net
>>151
当然です

156:日本@名無史さん
21/01/09 15:14:19.54 .net
氏族としての力によるのこれは🤤

157:日本@名無史さん
21/01/09 15:28:06.82 .net
>>153
古い俗説を更新する能力のない低学歴かおじいちゃんなんだろう

158:日本@名無史さん
21/01/09 15:35:20.81 .net
華族の子女は幼少時に農家などの庶民の家に預けるのが慣習としてあった

159:日本@名無史さん
21/01/09 20:49:40.74 .net
勲功華族は財産が少ないので授爵時に男爵だと一万円
子爵だと二万円、伯爵だと三万貰えるらしい

160:日本@名無史さん
21/01/09 21:05:07.72 .net
>>157
九条の黒姫こと貞明皇后が有名だな。

161:日本@名無史さん
21/01/09 22:42:29.92 .net
>>158
家門永続金ね

162:日本@名無史さん
21/01/09 22:46:30.90 .net
華族に仕える家令や家扶といった家職を置けるのは旧華族だけで新華族は置けなかった
新華族や財閥が雇う場合は家令ではなく執事と言った
地味にこういうところが差別化されてる

163:日本@名無史さん
21/01/10 01:16:58.67 .net
新華族より一万石〜1000石くらいの士族の方が金持ってそう

164:日本@名無史さん
21/01/10 06:08:08.27 .net
旧大身旗本が羽振りが良かったなんて話はさっぱり聞かないけどな。
借金で首が回らず自殺とか旧領民から金借りてトンズラとか、乞食や芸人に落ちぶれた、そこまでじゃなくても縁故の家の居候としてほそぼそと暮らしたなんて逸話ならあるが。
3000石の旗本だった美濃部家は一代で資産をなくして長屋住まいの平巡査、その息子が噺家の5代目志ん生。

165:日本@名無史さん
21/01/10 07:52:06.48 .net
万石以上以下で大差がついたのは、やっぱり華族に対する政府の保護がそれだけ大きかったんだろう。
遊んで暮らせるほどの資産はなくても、馬鹿でも学習院→帝大の学歴は保障されてるから役人にもなれる。当時の官吏と民間の格差は今の公務員どころじゃない。
資産家の娘と結婚して財政を改善するという手もあるし。三井や住友が一条家や鷹司家と縁組、みたいなことはもっと下のレベルでもあったんじゃないか?

166:日本@名無史さん
21/01/10 08:27:10.27 .net
勲功華族は伝来の財産はないが叙爵された当人が大物政治家や大将閣下だから俸給が良いし余禄や人脈も半端ないので叙勲時は金にはそれほど困ってなかったのも結構いると思うな
奈良華族は当人達の生活力が皆無な上頼れる人脈もかつての家臣も居ないから大変だろう 華族は皇室の藩屏というが貧乏かつ頼りなさ過ぎて破れた垣根以下の存在

167:日本@名無史さん
21/01/10 08:45:45.90 .net
>>164
大正時代に貧乏


168:華族が成金と縁組するというのが頻繁して問題視されていたという 戦争景気でのし上がったニューリッチを成金というのもこの頃からで新興富裕層が出てきた時代 金持ちになると次は家柄を飾りたくなるのは世の常でこの需要と赤貧洗うが如しの公家華族とで双方ニーズがマッチングした 最たる例が柳原伯爵のところの白蓮 大正天皇の従姉妹という血筋が石炭鉱夫から成り上がったジジィに嫁ぐという下克上 まあ白蓮当人も経産婦の出戻りではあったが



169:日本@名無史さん
21/01/10 08:59:44.81 .net
一時期のイギリスでは名門貴族とアメリカの大富豪の縁組も多かった。チャーチルの母親もアメリカの富豪出身。
シャーロック・ホームズの「独身の貴族」も、名門貴族と米富豪の娘の縁組に関わる悲喜劇の話だった。

170:日本@名無史さん
21/01/10 09:04:01.55 .net
映画タイタニックのケイトウィンスレットが家柄だけが取り柄の貧乏貴族で新興国アメリカの富豪に嫁に行くという話だった
まあよくある話だが古今東西を問わず現実にも良くある事なのだろう
甲州のドン百姓の倅だった国際興業の小佐野賢治が総州佐倉の殿様の堀田伯爵の娘と結婚したのは有名な話だが戦前からこれに類したケースは多々あった
言ってしまえば戦国から江戸期にかけて地方大名に嫁いだ公家の娘達も同じ系譜と言えるし匈奴に嫁いだ公主達がさらにその祖型とも思える

171:日本@名無史さん
21/01/10 09:11:22.41 .net
家柄華族ならいざとなれば宮内省式部官とか侍従みたいな無能救済所もあったしなw
それすら務まらないやつは余程無能だったんだろう。

172:日本@名無史さん
21/01/10 09:21:52.24 .net
バカは死ね(╹◡╹)

173:日本@名無史さん
21/01/10 10:39:25.97 .net
>>166
「華麗なる一族」でも、中堅財閥の跡取りに公家系華族が娘を嫁入りさせてたな。
ドラマの話だけど

174:日本@名無史さん
21/01/10 10:50:33.55 .net
加藤高明は岩崎家の令嬢と結婚して金には困らず政治活動が容易にできた。
西園寺公望は弟が住友家に婿入りしこちらも住友家が西園寺を生涯支えた。
広田弘毅は加藤高明に岩崎家との縁談を勧められるが欲のないことに固辞。

175:日本@名無史さん
21/01/10 11:06:08.56 .net
三井三菱住友安田など自らも華族である大財閥はどこも公家華族、大名華族と縁戚となっている
石炭や船成金、株成金よりは三井や住友あたりは毛並みは多少マシにせよ三菱や安田は成金と五十歩百歩で家柄華族としては忸怩たるものはあっただろう
これくらいの大財閥となると名誉もあっただろうがどちらかというと実利が大きい 三井や住友が井上馨や西園寺公望などという政界の実力者と縁戚になるのは政商の地位を固める事に他ならない
今から見れば政財癒着以外の何者でもなくしかも当時は遠慮もなくやりたい放題 そりゃあ財閥華族が血盟団の標的になったのも当然と言える

176:日本@名無史さん
21/01/10 11:12:00.52 .net
皇族との結婚は何かと入用なので戦後だけでは無く戦前から皇族との結婚は忌避されていた
それでも戦前は皇族との縁談を断る事はなかなか難しいので泣きを見た家が多々ある
だから金が無駄にかかる皇族との結婚は裕福な大名華族出身者が多かった

177:日本@名無史さん
21/01/10 12:04:48.53 .net
公爵家の娘とかでも、宮家とかだと会うの大変になってしまうからと、愛娘には伯爵家とか格下の家にわざわざ嫁がせたなんて話も聞いたことがある。

178:日本@名無史さん
21/01/10 12:37:16.50 .net
島津や毛利って最初から公爵に叙されることになってたのかな?
維新の功労を無視すると石高では侯爵だよね

179:日本@名無史さん
21/01/10 12:39:49.86 .net
武家由来よりもともとの朝廷由来みたいなのを優先してんじゃねえの?
だいたい華族ってなんだよ?

180:日本@名無史さん
21/01/10 12:40:56.95 .net
従二位だのなんだのもともと仏教由来なんだろ〜があれはもともと神さまの位階を定めたもんなんだよ

181:日本@名無史さん
21/01/10 13:08:07.04 .net
>>176
当然功績を考慮したんじゃないか
宇和島伊達も伯爵から勲功オンで侯爵
仙台伊達家は減封された石高基準で伯爵で猛烈に不満に思ってずいぶんと昇爵運動したそうだが実ることはなかった

182:日本@名無史さん
21/01/10 13:10:55.08 .net
前田家は公爵でもおかしくなかったと思う。
大名諸侯で唯一の百万石の大藩だったのに。

183:日本@名無史さん
21/01/10 14:05:28.91 .net
>>180
前田家は戦国時代に出てきた家だからなあ
毛利家初代は鎌倉幕府の評定衆(鎌倉殿の13人)で北条時頼の義父だし、島津家初代は守護だし家柄はどちらもまあまあ良い

184:日本@名無史さん
21/01/10 14:12:11.67 .net
>>180
現高を知らないひと?

185:日本@名無史さん
21/01/10 14:48:01.09 .net
結局島津氏は惟宗氏なんだろうか?
源氏というのはあり得ないと思うが

186:日本@名無史さん
21/01/10 14:52:40.70 .net
だから秦氏だのなんだのはその子孫らの多くは宮大工に多いの

187:日本@名無史さん
21/01/10 14:54:39.79 .net
仏教の寺院などを作るだのそっちの大工らのグループとして名が多く残る
なんだ?おまえの言っとること?
そちらで名を残しておる
寺院などの建築請負みたいな連中らやの

188:日本@名無史さん
21/01/10 14:55:09.55 .net
>>183
島津家初代は頼朝の落胤と称してるらしいね
大友家初代も言ってるけど

189:日本@名無史さん
21/01/10 15:02:26.41 .net
例えば寺院の修理だのお抱えみたいになったやつらもいたわけ😀
そっちに流れた連中らが生き残った
武家として大成したやつ聞いたことねえわ

190:日本@名無史さん
21/01/10 15:05:44.75 .net
朝廷初期の将軍として名を残したなもいたろ
その子孫らで活躍した連中らの話なんざ聞いたことすらない
文字の読み書きはできるから朝廷の学問所の教官みたいの出す家柄にはなったみたいやがな

191:日本@名無史さん
21/01/10 15:06:58.64 .net
だいたい自分らが生き残る職種みたいな家柄となったのが多い😊

192:日本@名無史さん
21/01/10 15:08:04.56 .net
バカの熱弁はまだ続くのか?

193:日本@名無史さん
21/01/10 15:08:50.10 .net
絵文字のやつ前から浮いてるのいい加減気付け
現実でも空気読めずに周りから総スカン食らってるんだろう

194:日本@名無史さん
21/01/10 15:10:22.54 .net
理解力ねえんだなあ😀

195:日本@名無史さん
21/01/10 15:12:40.68 .net
>>174
何がそんな金かかるのかね?
持参金とか?

196:日本@名無史さん
21/01/10 17:18:30.47 .net
>>173
三井財閥の三井家当主って名誉職的な感じだったんだろうか?
団琢磨や池田成彬が総帥として教科書にも名前が載ってるが
三井家の当主の名前は一々知らないし影が薄い印象を受ける

197:日本@名無史さん
21/01/10 18:29:23.49 .net
三井の番頭政治 三菱の独裁政治ってやつだね
三井の商売は江戸時代から優秀な番頭が仕切ってきた
明治以降も益田鈍翁、団琢磨、池田成彬とその系譜は続く
井上馨も西郷に三井の番頭呼ばわりされていたが差し詰め社外番頭と言ったところだ
三井一族は、創業以降、同業大店が、売り家と唐様で書く3代目となるのを散々観てきて血統による限界をよく知っていたのだろう
まあ三井は特殊で三菱やその他の財閥も多くは財閥家独裁の形式だったと思うよ

198:日本@名無史さん
21/01/10 18:36:43.72 .net
平民宰相と言われる原敬だが実際は盛岡藩の家老の家柄。
全く平民では無くそこら辺の元勲より出自が良い。

199:日本@名無史さん
21/01/10 19:04:25.19 .net
原は授爵を断り続けてたという点で華族並みとも言える
戦前で本当の平民宰相は濱口、犬養、広田ぐらいで後は華族か軍人だな

200:日本@名無史さん
21/01/10 19:08:35.71 .net
地味にカトリックの原敬
戦前でも政府要人クリスチャン結構いる

201:日本@名無史さん
21/01/10 19:33:40.23 .net
というか高貴な平民も実は結構居たってこと。
皇族の二男は侯爵、三男以降は伯爵となるけれど、
その侯爵家の二男以降が戸主の戸籍から出て分家すれば平民。
公爵家の二男以降も同様に戸主の戸籍から出て分家すれば平民。

202:日本@名無史さん
21/01/10 19:36:08.08 .net
広田の父は福岡の石工だったな
亀山上皇像な礎石も担当したとか

203:日本@名無史さん
21/01/10 19:40:44.68 .net
原、犬養、濱口の平民宰相は3人が現職中暗殺
残る広田は死刑
華族や軍人と違い平民ならではのラジカルな政治姿勢とバックのいない状況がこの悲惨な末路となった面はあるのではないか

204:日本@名無史さん
21/01/10 20:08:18.89 .net
>>199
でもその場合は(公侯だと)分家にも男爵なり子爵なり授爵されるんじゃないか?

205:日本@名無史さん
21/01/10 20:08:37.87 .net
>>180
せめて叙爵内規くらい知ってから発言しろよ

206:日本@名無史さん
21/01/10 20:14:21.80 .net
>>199
それとは別口の華族の血を引く血筋よろしき平民は多数いた
御家騒動の典型の庶子の存在である
江戸時代、無嗣断絶は300諸侯に共通した恐怖だった
側室をバンバン置き男子が産まれれば家臣一同万歳三唱
失業の危機回避だから気持ちはよくわかる
側室は子供さえ産んでくれれば身分の高低などどうでも良い
将軍家でさえ八百屋とかその辺りの細民が母親だったりしてそれを誰も怪しまない
天皇や将軍家だけではない 大名諸侯も正妻から産まれたものの方が稀なのである
だが明治維新後、センネルヴァイスの消毒法などの産科医療の劇的発展や白粉の廃止により正妻がちゃんと子供を産めるようになってきた
また養子を取ることも極めて容易になっている もはや男子が産まれないことはお家断絶に直結しない
しかるに華族当主たちは習い性のようにそこら中に2号以下を囲んでいたため庶子が続出しこれと正妻のことの間で問題が続出した
当人は政治的には偉いさんなのだがしものことは最低な明治男が多く投げっぱなしで葬式に息子だ娘だが一個連隊出てきかねない
DNA鑑定もなくあの殿様なら満更嘘とも言えないとこうした後始末に苦労した家宰もいたという
こんな感じで見た目ただの平民がわしはなんとか伯の落としだねとか真偽不明の話が結構あったという

207:日本@名無史さん
21/01/10 20:15:03.06 .net
>>198
昭和天皇の初代侍従長を務めた珍田捨巳伯爵もクリスチャン。

208:日本@名無史さん
21/01/10 20:32:25.70 .net
洗礼名とかあったんかな

209:日本@名無史さん
21/01/10 20:42:38.26 .net
>>204
皇族だと、北白川宮能久王は死後に隠し子が2人も出てきて、今更皇族にするわけにもいかず、伯爵にした。

210:日本@名無史さん
21/01/10 20:54:17.87 .net
>>202
 華族制度が出来たばかりで、維新の功労がある初代の子どもだと、公侯爵家以外に
分家の男爵家を1家立てることを認められたりしていたけど、基本的に、それ以上は
無くて、平民だった。ただ、子どものことを思って、色々な家の養子(婿養子等とし
て華族家の継嗣に。)にねじ込むし、受け入れ側も公侯爵の親族となることが名誉と
いう発想もあっただろうから、実際に平民となった子ばかりではない。

211:日本@名無史さん
21/01/10 21:27:32.16 .net
>>207
能久親王な

212:日本@名無史さん
21/01/10 21:38:32.56 .net
>>206
そりゃあるだろ。

213:日本@名無史さん
21/01/10 23:06:20.66 .net
明治の元勲が地元にほとんど帰らなかったのは
やはり自分より遥か上の上士が大勢いて気まずかったからだろうか

214:日本@名無史さん
21/01/10 23:20:23.39 .net
戦前日本のキリスト教は上流やアッパーミドルに偏在していた
海外で西欧文化に触れたりクリスチャン系の学校に行ったりできるのはそういう層であり大多数の平民にはキリスト教と触れる機会がほぼない
クリスチャン作家の遠藤周作や曽野綾子 三浦朱門 有吉佐和子など大体良いとこの子供たち
華族では岩崎弥太郎の孫娘でエリザベスサンダースホームで有名な澤田美喜とか同じく三菱で日銀総裁川田小一郎の孫娘で男爵芋で有名な川田龍吉男爵の娘がトラピスト修道院に入ったりと娘が入信する例が見られる
念仏や祝詞より讃美歌の方がハイカラ 金持ちの子女にしてみればそういう面もあったのではなかろうか

215:日本@名無史さん
21/01/11 00:43:05.65 .net
華族は本邸は勿論別邸も幾つも所有してて
しかも一万坪がゴロゴロだから凄い

216:日本@名無史さん
21/01/11 10:07:54.59 .net
東京の本邸より別邸の方に長く滞在してそっちが本邸のようになってる華族もいる。

217:日本@名無史さん
21/01/11 10:47:54.93 .net
>>214
西園寺公望の坐漁荘とか?

218:日本@名無史さん
21/01/11 11:09:39.57 .net
そんなん認めたバカが悪いんだよ👎
古いものはありがたいだのバカみたいな洗脳でもさらてたんだろ
中身の吟味もできないバカの不始末だろ

219:日本@名無史さん
21/01/11 11:16:26.18 .net
地生えの大名系の華族には領国意識が高く昭和に至るまで住民や家臣たちもオラが殿様という気分があった
旧家臣の子孫が殿様を囲む会もよく催されていたという
有名なのが南部伯爵で南部藩士の家系は実力者が多く原敬、米内光政、東條英機、板垣征四郎など大物がぞろっといて殿様の鼻も高かった
小さな藩でもこういうのはあって九州の人吉藩の相良氏は島津と細川に挟まれた吹けば飛ぶような藩だったがそういう集まりはやはりあってようで人吉出身の高木惣吉海軍少将の自伝にそういう記述がある

220:日本@名無史さん
21/01/11 11:49:01.56 .net
>>207
ベルギー王にも隠し子がいて最近認知するしないで物議になってた こういうのは世の東西を問わないね
そしてそれをネタにした詐欺も古今東西常に存在する
日本だと吉宗の落胤を称した天一坊事件が有名だが、現代人も昔の人を言えた義理ではなく平成に至っても昭和天皇御落胤を称した白仁王事件とか有栖川宮事件など金を払っちゃう騙されやすい人は絶えない

221:日本@名無史さん
21/01/11 12:14:43.90 .net
華族なんて言っても、戦争に負けたらGHQの将校に嫁に行くやつ多数

222:日本@名無史さん
21/01/11 12:21:54.98 .net
二・二六事件で華族会館に反乱将校が乱入した際に
その場に居合わせていた細川護立が危うく殺されそうになったけど
その中に熊本出身の将校がいて「撃たないでくれ」と割って入って事なきを得たという話がある

223:日本@名無史さん
21/01/11 12:29:46.87 .net
都内に大土地を所有するのはなんと言っても大名華族だった
幕府から貸出の上屋敷は明治政府に収公されたものの下屋敷中屋敷はそのまま所有されたので諸侯は大土地所有者となった
だが収入源が公債くらいの時流に乗れない諸侯から手元不如意により伝来の秘宝から家屋敷を切り売りするのが増えていく
明治初期から明治後半にかけての30年ほどは東京は空前の地価上昇を見た 明治10年に小石川6000坪がわずか60円 これが明治40年に一千倍の6万円に跳ね上がったという その間のインフレはせいぜい二倍であり明治初期に土地を買い集めたものが大富豪となり耐えきれずに屋敷を売った大名華族たちがバカを見た
その買い集めたというのが岩崎、三井の男爵家でこの2家の都内宅地の面積は40万坪に達した
戦後臣籍降下した宮家の土地を買い漁った事で悪名高いピストル堤もなんのことはない三井三菱という大先輩の後追いをしていただけである

224:日本@名無史さん
21/01/11 12:39:50.92 .net
戦後課せられた財産税って一括払いじゃなくても良かったんだな
支払いをなんだかんだと遅らせてインフラのおかげで実際の損失を抑えた狡賢い華族も僅かながらいたらしい
正直に一括で支払った華族が没落してしまったというやるせないことになってしまった

225:日本@名無史さん
21/01/11 12:45:05.34 .net
半分くらいは資産残してやれば良かったのに思う。
一気に8割や9割も持ってかれるなんてあまりに無体。

226:日本@名無史さん
21/01/11 13:21:35.37 .net
そういえば、プリンスホテルは旧皇族の土地を買い取って建てたからそのような名前になったと聞いた

227:日本@名無史さん
21/01/11 13:27:05.83 .net
みんな大好き竹田宮家から買い上げだ土地ね

228:日本@名無史さん
21/01/11 13:45:55.80 .net
>>222
間違えたインフレ
今気付いた

229:日本@名無史さん
21/01/11 14:29:01.97 .net
ウェストミンスター公爵の所有地も農地ではなく、大部分がロンドンの繁華街(というかロンドンの繁華街の大部分が公爵の所有地に建っているレベル)
戦後から70年代にかけてイギリス福祉国家建設のために相続税の最高税率は非常に高く、この時期に複数回相続があったような家門は根こそぎ持っていかれて公営団地住まいの公爵侯爵が続出。
サッチャー以降は税率も下がり、また資産をトラストに移して間接的に支配するみたいな節税テクニックにも甘くなった。

230:日本@名無史さん
21/01/11 14:59:15.81 .net
>>227
何年か前、WEBニュースにイギリス貴族で一番の金持ちのウェストなんとか公爵の代替わりのニュースが出てたな。
20歳前後の若い公爵の写真が出てたけど、コメントでは「ワンパンで勝てそう」とか「いつも学校でパシリさせられてそう」とか好きなこと言われてた。

231:日本@名無史さん
21/01/11 16:06:40.58 .net
吉田茂の別荘がだいぶ前に火災に遭ったのを思い出した
それにしてもその孫の麻生太郎は渋谷のど真ん中の高級住宅地に邸宅を構えてるが
あれも子供には引き継がれず手放す事になりそうだな

232:日本@名無史さん
21/01/11 16:35:31.07 .net
麻生といえば麻生の祖父の麻生太郎が大名華族の加納子爵の娘と結婚してる。
典型的な平民と華族令嬢の結婚だけど加納家はよほど金欠だったんだろうね。

233:日本@名無史さん
21/01/11 17:09:47.23 .net
戦後の首相で華族もしくは世が世なればというのは皇族の東久邇、幣原男爵と細川侯の細川護煕の3人で戦前の平民宰相四人と見事に逆転した
麻生や鳩山、安倍もサラブレッドのように言われるがいずれも華族の系譜ではないし貴族ではなくアッパーミドルの階層である
皇族に連なる麻生家と言ったところでそれも戦後の話で敗戦が無ければ炭鉱業が皇族に嫁ぐなど無かっただろう

234:日本@名無史さん
21/01/11 17:22:52.24 .net
加納久宜は大名華族の中でも、政治好きな人だったから、金も必要だっただろうし、
政治面での思惑で一致したのかも知れない。

235:日本@名無史さん
21/01/11 17:25:50.34 .net
>>231
幣原?
なぜ?

236:日本@名無史さん
21/01/11 17:30:00.55 .net
和歌山にある養翠園は現在でも個人所有らしい。

237:日本@名無史さん
21/01/11 18:00:00.24 .net
小村寿太郎や加藤高明、石井菊次郎など外交官は爵位が貰いやすい傾向があった 幣原もその流れだろう
芦田や吉田、松岡洋右や東郷も帝国が存続していれば華族になっていたやもしれん

238:日本@名無史さん
21/01/11 18:18:32.43 .net
地味だけど珍田捨巳も伯爵まで昇った

239:日本@名無史さん
21/01/11 19:02:23.37 .net
>>463
大企業の創業者も爵位もらえるのかな?
今なら、トヨタとかSBとか楽天とか

240:日本@名無史さん
21/01/11 19:39:25.76 .net
自分の先祖の遠い親戚?に華族がいて
東京の邸宅の他に日光と大磯にも別荘を持ってたんだけど
この場合、日光が避暑地で大磯が避寒地という事だろうか

241:日本@名無史さん
21/01/11 19:46:00.10 .net
>>235
松平恒雄や佐藤尚武も可能性大

242:日本@名無史さん
21/01/11 20:11:49.48 .net
横井時雄は逮捕されなかったから爵位貰えてたかも

243:日本@名無史さん
21/01/11 20:24:00.88 .net
>>238
奥日光には御用邸もあったな。

244:日本@名無史さん
21/01/11 23:42:20.69 .net
裏千家は家元を継がない次男三男などは別姓を名乗らせて分家するけど
裁判所って結構簡単に名字の改名認めるんだな

245:日本@名無史さん
21/01/12 00:39:45.37 .net
華族は原則東京に在住しなければいけないが
毛利公爵は地元に本邸を建てて引っ越してしまった

246:日本@名無史さん
21/01/12 01:21:45.64 .net
>>242
特別な理由があれば変えられる。
単に気に入らないとかの理由ではもちろん却下。

247:日本@名無史さん
21/01/12 09:44:09.49 .net
ジャズ界の重鎮逝く
鍋島直昶氏。祖父は小城藩主の鍋島直虎子爵。

248:日本@名無史さん
21/01/12 10:55:45.33 .net
コロナか…

249:日本@名無史さん
21/01/12 11:39:54.14 .net
華族って主に公家さんのことでしょう?
公家さんって実社会のことについて「疎い」「浮世離れしてる」って
イメージで語られることが多い印象ですが、
反面、頭が良くて弁舌が立つ議論好きな人を公家さんに例える場合もあります
なんかイメージが矛盾している気がしますが、実際のところどうなんでしょ?

250:日本@名無史さん
21/01/12 12:00:10.38 .net
247
叙爵を受けた連中らのことだよ

251:日本@名無史さん
21/01/12 12:02:07.46 .net
公家とは限らんさ
武家でなったのもいるし皇族の末裔らもおる
皇族ってのは天皇家から別れた親王家(源氏や平氏)や戦国時代の武家やらな

252:日本@名無史さん
21/01/12 12:06:40.36 .net
公家華族より大名華族の方が数は倍以上

253:日本@名無史さん
21/01/12 12:10:20.39 .net
系譜で言うと武家の大半が天皇が祖の皇別
公家の大半は藤原が祖の神別
と言うことかな

254:日本@名無史さん
21/01/12 12:11:56.51 .net
>>237
おそらく戦前の社会システムが健在なら爵位をもらっていたと思う。

255:日本@名無史さん
21/01/12 12:14:59.02 .net
そもそもおまえらほんとに日本の歴史知らねえんだな
朝鮮やら中国ともまったく仕組みが違うんだぞ

256:日本@名無史さん
21/01/12 12:26:37.32 .net
諏訪氏は神別だな
断絶してしまったのは慚愧の念に堪えない

257:日本@名無史さん
21/01/12 12:31:31.06 .net
諏訪氏=神氏なのか
諏訪氏=金刺氏なのか
これは日本史の永遠の謎

258:日本@名無史さん
21/01/12 12:39:30.95 .net
酒井ミーコは勲功華族は論外として
公卿華族も見下してた

259:日本@名無史さん
21/01/12 12:48:43.22 .net
>>247に関して言葉が足りませんでしたが、華族というより「公家」にフォーカスしてください
公家=世情に疎い、浮世離れしている、のほほんとしている
公家=頭が良くて弁舌が立って議論好き、専門家集団
真逆のイメージがあるのはなんででしょう?

260:日本@名無史さん
21/01/12 12:53:55.79 .net
公家の存在期間が1000年以上もあって時代ごとに公家の有り様がが違うからじゃ無いの
平安時代と江戸時代でも違う 江戸時代でも後期までと幕末では違う
騎士道と言った時、ランスロットを思い浮かべるかドンキホーテを思い浮かべるかの違い的な

261:日本@名無史さん
21/01/12 13:12:00.32 .net
皇族の縁談は公爵から侯爵と上から順に来る

262:日本@名無史さん
21/01/12 13:13:16.53 .net
>>254
使い方間違っとるぞ。
どうも最近の日本人やメディアは間違った言葉を広めたがる。
「にやけた」はにやにやしてることを表す言葉ではないし、
「したたか」は文字通り強いことを表す言葉であってずる賢いといったことを意味しない。

263:日本@名無史さん
21/01/12 14:04:22.44 .net
>>258
中世以降の公家は岩倉具視などごく一部の例外を除き、「身分は高いけど実力はさほどない」「世情に疎い」「のほほんとしている」というイメージが喧伝されてます
没落貴族のイメージなどもそれに重なります
自分も最近までそのイメージを強く持っていました
しかし、新聞の記事で参議院の議員や一部官僚などの有能で熱心に政策を考え、審議している人らを
「お公家衆」「お公家集団」「お公家さんのよう」みたいな形容で紹介されていたので
違和感を持ったのです
大変失礼な言い方ですが、お公家さんに「有能」「優秀」「熱心」というイメージがあまりなかったので

264:日本@名無史さん
21/01/12 14:15:18.23 .net
>>261
政治で公家集団といえば以前は池田勇人から前尾 大平 宮澤と大蔵省官僚上がりの宏池会の代名詞だった
彼らは官僚上がりで政策は明るいが度胸がなく実行力に乏しい 政局政争ではてんでダメと言う意味合いだった
前尾が人が良すぎて佐藤栄作にいいようにされていたあたりからそう言われるようになったんだろう
田中派の武闘派野武士集団と対照的と言う使い方だがこじつけ的なところもあったと思うよ

265:日本@名無史さん
21/01/12 14:19:46.24 .net
華族の中でも公爵は別格で
最低限10万円は保証されている

266:日本@名無史さん
21/01/12 14:22:18.83 .net
公家の連中らはすでに公議じゃなくなってたろ

267:日本@名無史さん
21/01/12 14:23:20.15 .net
公議を発せるところが御所やからな

268:日本@名無史さん
21/01/12 14:27:11.93 .net
華族は学習院に学費支払ってたの?
無料?

269:日本@名無史さん
21/01/12 14:50:36.56 .net
公家のいやらしいイメージは昭和のテレビドラマが大いに影響している
大河ドラマで戦国を描けば公家かぶれでマロ眉厚化粧で出てくる今川義元がデカい態度が一転哀れ首を取られる
幕末を描けば何やら陰謀を企むものの腰が据わらず蛤御門の変などでキャーキャー逃げまどう滑稽な姿 命をかけた志士や新撰組、会津藩士との落差が激しい
南北朝を描けば団体で楠木正成に嫌がらせをする
年寄り視聴率激高の水戸黄門では黄門様相手に悪事の限りを


270:尽くし未だにコピペで見かけるマロこと一条公麿中納言 おじゃるおJALと日本航空からクレームが入りそうなインパクト 柳生一族の陰謀にも烏丸少将が悪役振りを発揮し、さらには戦国自衛隊にも九条がちょい役で登場 とにかくどれでもこれでも正義の味方の邪魔ばかりで全く好意的に描かれない このようにして昭和のテレビっ子はお公家様が嫌いになったのである どれもこれも



271:日本@名無史さん
21/01/12 17:28:17.68 .net
学習院も大正昭和初期になると
マルクス主義が蔓延して赤みがかった華族子弟が大量発生した

272:日本@名無史さん
21/01/12 17:51:46.02 .net
理想主義に傾倒するのは若い特権階級にありがちなことだろうね
ロシアで改革を目指してシベリアに流されたデカブリスト達もは皆貴族だった
と言っても日本の華族の赤化なんて思想堅固というのは少なく、大抵一時かぶれのはしか見たいなもので大事になるとあっさり転向

273:日本@名無史さん
21/01/12 19:41:49.98 .net
元老の西園寺は孫の公一がマルクス主義者になるのを放って置いたのだろうか?

274:日本@名無史さん
21/01/12 20:02:10.83 .net
群馬の商家の倅に生まれた小渕恵三
親に学習院に入れられイジメられる

275:日本@名無史さん
21/01/12 23:10:10.82 .net
>>271
可哀想に…

276:日本@名無史さん
21/01/12 23:38:32.75 .net
信玄の子孫でもなれなかった華族

277:日本@名無史さん
21/01/13 09:59:04.20 .net
>>270
見切り付けてたんじゃ無い?

278:日本@名無史さん
21/01/13 10:48:30.15 .net
華族といえば「華の嵐」だわ。当時小学生だったが学校休みのとき見たのか
どうか忘れたが録画までして見た。

279:日本@名無史さん
21/01/13 13:09:50.33 .net
西園寺公望ってホント弟に経済的援助受けてるけど
住友家は財布代わりにされて不満は無かったのかね?

280:日本@名無史さん
21/01/13 13:25:53.38 .net
>>271
「う話ぁ! お前冷めたピザみたいだな」

281:日本@名無史さん
21/01/13 13:52:46.67 .net
>>276
元老から流れてくる情報や口利きのメリットからすると西園寺への支出金など安いものだろう
同じ公家公爵でも岩倉家や五摂家と西園寺とでは政界での存在感が違う

282:日本@名無史さん
21/01/13 13:54:58.65 .net
>>277
ついたあだ名がグンマーとかコピペかと

283:日本@名無史さん
21/01/13 15:54:28.87 .net
>>275
華の嵐って高木美保と渡辺裕之だっけ?
記憶の中で夏の嵐とごっちゃになってる
華の嵐=朝倉男爵
夏の嵐=南部男爵
だったかな?

284:日本@名無史さん
21/01/13 16:22:45.52 .net
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

285:日本@名無史さん
21/01/13 17:17:19.70 .net
>>281
それは愛の嵐だ

286:日本@名無史さん
21/01/13 17:19:16.95 .net
というか日本のドラマも愛の嵐なのか

287:日本@名無史さん
21/01/13 19:45:51.35 .net
夏の嵐
長塚京三の海軍少佐の第1種軍服はかっこいい

288:日本@名無史さん
21/01/13 20:22:35.36 .net
珍田伯は外務省に無試験でコネ入省なのか?

289:日本@名無史さん
21/01/13 21:39:23.49 .net
コネでも試験は受ける
せっかくコネで贔屓してもらったのに、面接で「外務省改革論」を滔々と演説して不合格になった奴もいたが

290:日本@名無史さん
21/01/13 23:16:06.19 .net
>>285
大隈重信の推挙だから一々試験なんてしなかっただろう。

291:日本@名無史さん
21/01/13 23:22:27.00 .net
>>280
そうそう夏の嵐の南部男爵もあったな。
華の嵐は華族の華だろうな。まだドラマがオリジナル脚本の時代。
男爵景清っていうのをよく


292:きいたな。



293:日本@名無史さん
21/01/13 23:29:15.83 .net
金禄公債で加賀の本多家とかもかなり経済的に安定したのかな

294:日本@名無史さん
21/01/14 02:35:18.47 .net
んなわけねー

295:日本@名無史さん
21/01/14 02:45:49.49 .net
華族は色々恩恵はあるけど都内暮らし強制はきついな
無くなるべくした無くなった制度だわ

296:日本@名無史さん
21/01/14 08:54:16.00 .net
>>290
そうなの?

297:日本@名無史さん
21/01/14 10:34:15.62 .net
>>291
許可取れば地元に帰ってそこに永住しようが自由
毛利家は山口に邸宅建てて移ったし
堀田家も佐倉に邸宅建てて地元に住んだ

298:日本@名無史さん
21/01/14 12:11:25.52 .net
本多家は五万石だもんな。
そこらの小大名より凄い。

299:日本@名無史さん
21/01/14 13:43:33.17 .net
293
もともと裏切らないよ〜に家族を人質に取るってのが前例で始まってるからね🙃
源氏の場合なんかだったら同じ源氏の一族からは人質を取らない
他の氏族連中らから人質を取る
最低、妻子が江戸にいればそれでよいだ🙃

300:日本@名無史さん
21/01/14 14:11:41.11 .net
源氏とか言い出す基地害は消えていいよ

301:日本@名無史さん
21/01/14 14:57:20.41 .net
なんで?
日本=源氏やで
藤原でも平家でもなくな
ほとんど源氏が王として君臨した国家=日本領に等しい

302:日本@名無史さん
21/01/14 14:59:45.64 .net
それだけの実績残したんだね
海外でもそれが認められてるから日本領は固定化された

303:日本@名無史さん
21/01/14 15:00:21.68 .net
>>297
スレタイ読め、ハゲ

304:日本@名無史さん
21/01/14 15:12:40.76 .net
源氏らの本来の勢力圏は東山道を中心に展開された🙃
中部地方から北関東にかけてやな
関東南部は三代目親王流平氏一門(元は国司レベルで赴任した親王らの子孫)が抑えていたからね
流人から始まり鎌倉幕府が成立したのと承久の乱やらあとは南北朝時代にかけて日本全国に戦闘指揮官として次々と源氏の子孫らが派遣された🙃
そんで各国で地方将軍として武家集団をまとめた
公家将軍もいたがあまり支持されなかったんだね🙃

305:日本@名無史さん
21/01/14 15:52:51.22 .net
>>293
徳川昭武も松戸の戸定邸に定住。

306:日本@名無史さん
21/01/14 16:13:16.11 .net
江戸時代まで千家家の宮司が庶民の前に現れたら
出雲の人々は拝んだり土下座したりしてたらしい

307:日本@名無史さん
21/01/14 16:39:42.98 .net
もともと日本の天皇ってのもかなり武名を残した天皇らが多いからね
天皇自体が支持を取るときもほとんど将軍顔負けの行動しとるだ🙃

308:日本@名無史さん
21/01/14 16:41:15.68 .net
御簾の中でゴニョゴニョみたいなんが公家社会だろ
皇族本来かなりおっかないだ

309:日本@名無史さん
21/01/14 16:50:15.74 .net
原田男爵はお祖父さん長生きだったのに早死にしてしまった。

310:日本@名無史さん
21/01/14 16:54:19.54 .net
絵文字使ってる奴は知的障害者かな

311:日本@名無史さん
21/01/14 16:56:47.43 .net
306
まあ死なないよ〜に頑張れや🙃

312:日本@名無史さん
21/01/14 17:09:59.35 .net
大名の爵位基準は現米となるがこれは収納高であるから表高とは当然違う
年貢の率が4公6民とか一定なら表高のランキングとと一致するかというとそんな事もない
何しろ表高と実高が乖離している大名はかなりいた
幕末の川越、庄内、長岡の三方国替えの騒動が持ち上がった
川越が庄内への移封を強く


313:]んだ事が発端である 両藩は似たような表高だったが実収は庄内が遥かに良かったから首の回らない川越松平が大御所を動かすなど運動したという このように高い方に乖離している藩も有れば低い方に乖離している藩もある 表高は大名にとって多いほど偉いという格式でもあるのだが明治政府は格式の表高ではなく実際の税収を基準に爵位を決めた 版籍奉還で国に収めた土地のいい順に成果主義的にいい身分を振ったとも言える



314:日本@名無史さん
21/01/14 18:22:34.35 .net
徳川家ってなんだかんだで1番公爵家を輩出してるな
徳川公爵家
徳川慶喜公爵家
水戸徳川公爵家

315:日本@名無史さん
21/01/14 18:39:10.28 .net
島津家は公爵は2家だが、華族叙爵は計14家
徳川家は公爵は3家だが叙爵は13家

316:日本@名無史さん
21/01/14 19:11:26.01 .net
夏の嵐の渡辺裕之の剣道着&海軍士官服めっちゃかっこ良かったなー

317:日本@名無史さん
21/01/14 19:34:10.41 .net
>>310
松平家も含めると途方も無いな

318:日本@名無史さん
21/01/14 19:50:05.06 .net
松平は全部で29家
男爵2子爵23伯爵3侯爵1

319:日本@名無史さん
21/01/14 20:07:56.63 .net
徳川松平一族で45家が華族だったのか

320:日本@名無史さん
21/01/14 20:18:57.61 .net
徳川公爵家3家といっても、最初は宗家だけで、慶喜家は慶喜の恭順の評価、水戸家は尊王的な大日本史を
歴代にわたって書き続けたことへの評価だから、維新直後からなわけではない。

321:日本@名無史さん
21/01/14 20:27:55.64 .net
>>314
18松平だからな

322:日本@名無史さん
21/01/14 21:08:01.96 .net
松戸徳川家の当主は養子の子だけど
徳川家の血を引き過ぎて訳がわかないことになってる
家系図が複雑

323:日本@名無史さん
21/01/14 21:20:02.19 .net
織田家とその家臣たちでは池田の12家が目立つ
織田4家、前田7家と比べても際立っている

324:日本@名無史さん
21/01/14 21:44:38.50 .net
織田は関ヶ原後に大半が改易されてた割に残ってんな

325:日本@名無史さん
21/01/14 21:49:50.42 .net
徳川家達の逗子別荘が驚く程簡素な造り
とても貴族院議長公爵の別荘とは思えない
青森にある盛美園の方が立派に見える

326:日本@名無史さん
21/01/14 22:10:10.60 .net
千駄ヶ谷の本邸は10万坪以上の敷地に建坪900坪という大邸宅なのにな。

327:日本@名無史さん
21/01/14 22:20:27.03 .net
新華族で目を引くのは幕臣達
勝、山岡、渋澤はまだわかるとして榎本、大鳥、林など箱館戦争を戦ったものが華族なのだから本人達の能力が流石という事なのだろう
戦死したもの達では土方歳三が生き残っても斬首だろうが中島三郎助は華族になっていたかも 伊庭はどうだったろうか

328:日本@名無史さん
21/01/14 23:10:33.78 .net
>>293
毛利がそうせい候の事だったら、隠居してから移ったと思うよ

329:日本@名無史さん
21/01/14 23:50:35.35 .net
>>323
違うその孫
隠居もせず当主のまま帰郷してほとんど東京には出て来なかった
そもそも敬親は維新後すぐに亡くなって、その頃は旧藩主が知藩事を務めて東京居住を命じられる前のこと

330:日本@名無史さん
21/01/15 00:25:45.88 .net
>>320
盛美園って分からなかったからググったが、
西園寺公望の清風荘と山縣有朋の無鄰菴で明治の三大名園らしいな。
初めて聞いたけど。

331:日本@名無史さん
21/01/15 00:34:09.55 .net
本当にくだらねえよな華族って

332:日本@名無史さん
21/01/15 05:43:18.36 .net
306
バカかてめえは🙃
てめえが知的障害者だよ😊

333:日本@名無史さん
21/01/15 06:55:51.39 .net
>>322
最低出身が武家じゃないと華族はムリだったか
米国に敗北して没落した華族 今もお金持ちで生き残ってる元華族の有名どころはどのへんかな

334:日本@名無史さん
21/01/15 07:57:45.57 .net
財閥華族は町人出身


335:



336:日本@名無史さん
21/01/15 08:12:45.91 .net
>>327
おまえスレ違いだから消えろって言われてなかった?
理解できないならやはり知的障害者だな

337:日本@名無史さん
21/01/15 08:38:13.55 .net
>>328
敗戦後にほとんどの華族は当然ながら没落したが、その中でも売春婦のように落ちた華族は小藩がかなり目立つ
大名華族だと久留島、分部、秋元、大岡、三浦、三宅とかの家

338:日本@名無史さん
21/01/15 08:50:00.35 .net
>>328
維新は双方活躍したのはいくら身分が低いの極貧の郷士と言ったところで武士は武士
町民でも勲功ありは名字帯刀ありの豪商で熊さんだのの本当の町人に出る幕は無かった
代々小作人と言った庶民から大将閣下とか出てくるのは学校ができて子供たちに教育がなされて庶民でも超優秀な子供にそうしたコースが用意されるようになってからだろうね

339:日本@名無史さん
21/01/15 09:36:01.28 .net
んな華族ありがたくもないから廃止でよいわな🙃

340:日本@名無史さん
21/01/15 09:36:30.15 .net
寄生虫生み出すよ〜なもんよ

341:日本@名無史さん
21/01/15 09:41:39.38 .net
>>331
その辺の娘さんは性風俗に流れたりしたのか

342:日本@名無史さん
21/01/15 10:32:36.72 .net
>>330
だから触るなよ
相手するから居つくんだよ

343:日本@名無史さん
21/01/15 10:35:35.55 .net
>>325
青森を代表する国の名勝なんだぞ!

344:日本@名無史さん
21/01/15 10:50:55.89 .net
徳川宗家の財団
戦中に先祖伝来の家宝類の大半を焼失して
失礼ながら目ぼしいものがほとんど無い

345:日本@名無史さん
21/01/15 11:19:52.80 .net
そうけ?

346:日本@名無史さん
21/01/15 12:26:47.92 .net
338
没落した家系は神職の方に流れるんだ昔から

347:日本@名無史さん
21/01/15 12:27:43.68 .net
徳川宗家
家が通字で宗も多い徳川家には普通に居そうだ

348:日本@名無史さん
21/01/15 12:28:31.28 .net
そっちで名を売っていけばよいんやね

349:日本@名無史さん
21/01/15 12:32:04.15 .net
政治氏族として名前は消えても宗教氏族として名を伝えてるのは多いで
日光に東照宮を作ったからこれが徳川家の宗廟になるわけ

350:日本@名無史さん
21/01/15 12:33:36.59 .net
東照”宮”
伊勢神宮、宇佐宮、みな同じやろ

351:日本@名無史さん
21/01/15 12:35:59.40 .net
貫一お宮とかマンマミーヤとか

352:日本@名無史さん
21/01/15 12:43:50.37 .net
家広さんの後
徳川宗家はどうなることやら
本当に維新後の宗家って後継者不足だよな

353:日本@名無史さん
21/01/15 12:52:08.66 .net
>>335
戦前に既に遊郭に流れたお姫様もいた
東郷元帥侯爵家の孫娘がカフェの女給やってスキャンダルになった例もあるがこれは東郷家が貧乏とかではなく単に家が嫌になっての家出だった


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