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650:日本@名無史さん
18/09/21 08:01:49.23 .net
>>648-649
よく似た言い回しで、外野にはどっちが何説なのか、よく分からん。  @阿波


651:日本@名無史さん
18/09/21 08:46:00.63 .net
九州上陸から女王宮まで、南北で2千里。
九州の東西は3千里以上。 
そもそも5千里で周回なんてできません。
或絶 の国が、長崎や天草、小倉や宇佐別府ってのも無理
女王宮はみやまだから5千里で周旋できるのは福岡筑紫平野周辺だけ。
物証で、200年以前の輸入品や、鉄器出土地域なんてそんなもんだろ。
熊本や唐津以西、宮崎方面であれば通商、交流遺物程度には出てる。

652:日本@名無史さん
18/09/21 09:01:38.91 .net
>>651
>女王宮はみやまだから
「みやま」ってなに?

>5千里で周旋できるのは福岡筑紫平野周辺だけ。
5千里で周旋できるのは倭国(阿波)だけ。  @阿波


653:日本@名無史さん
18/09/21 09:09:57.47 .net
「みやま市」は新しい市の名前で、
最近できたソフトバンクの2軍3軍球場の近くだから、観光宣伝の一環だろ。

654:日本@名無史さん
18/09/21 09:36:12.88 .net
東夷伝が示す文章問題、里程について。
中國正史によって与えられた定義は、
帯方郡から女王まで、満二千里。
4千里が韓の南北、東西。 
狗邪韓國まで、7千里。
渡海3千里(千里×3)が対馬海峡。
では、算数
4000+X=7000(X=狗邪韓國までの東行)
7000+(1000×3)=10000(帯方郡から末盧國)
12000−10000=2000(九州上陸から女王)
これが、倭人伝における 里程の基準。
二千里が 南水行30日と陸行1月、であると 言いはるだけの間抜けが、
南=東 というご都合主義、恣意的誤読、を前提にしていることは明らか。

655:日本@名無史さん
18/09/21 09:45:50.71 .net
>>654
まずはその数字が正しいことを証明しないと
その先を推定するのは無意味だアホ

656:日本@名無史さん
18/09/21 09:57:01.53 .net
>>653
山門瀬高 って言ったら、それどこ? 
って言われたから、みやま に言いなおしてみた。
おじいちゃん用と中学生用と、だけど、ちら裏の名無し相手じゃわかんないよね。
ドーム球場作ると、卑弥呼の王宮出るかもなw 
邪馬台国っ名前がもはや、雰囲気で山城っぽいんで、無理か?
阿波は半コテ、土器厨、都万、日本海とかの諸先生は、爺って判る。
最近見るキナイコシ先生w、は2人かな、
九州先生も東遷説っぽい人と、もう一人割とちゃんと読めてる人がいる。

657:日本@名無史さん
18/09/21 09:57:31.83 .net
周旋の解釈について三国志の他の記述との比較
URLリンク(www.zenyamaren.org)
各地を転々として、巡り歩くという意味

658:日本@名無史さん
18/09/21 10:00:55.47 .net
>>654は典型的な九州説だな
こういう小学生レベルのことしかできないやつが学者をバカにしてるんだからお笑いでしかない

659:日本@名無史さん
18/09/21 10:09:56.21 .net
>>658
何をおっしゃる
654に示された里数割りが、倭人伝・陳寿の骨格。あれをいじくるのは迷宮への道

660:日本@名無史さん
18/09/21 10:18:37.68 .net
>>654
>二千里が 南水行30日と陸行1月、であると 言いはるだけの間抜けが、
畿内説論者がこんな間抜けなこと言い張ってるのか?
1人2人はいるだろうがそんなの例外中の例外
で、その間抜けなこと言ってるやつってどこにいたの?
このスレ?それとも畿内説スレ?

661:日本@名無史さん
18/09/21 11:13:30.11 .net
>>659
だから、654に示された里数割りとやらが正しいことをまずは証明しなよ

662:日本@名無史さん
18/09/21 11:19:17.65 .net
>>660
帯方郡から女王までは万二千里。 
帯方郡から九州上陸が一万里。
倭人伝の この里程に関する記述を読むとき、
上陸後、残り2千里の比率を ご都合主義で否定しないと成り立たない。
さらに、南は東、それが畿内説だ と言ってんだけどね。
>>2>>9 だけで判るのに 読みたくないんだろ。
畿内説でも、末羅国は九州北岸なんじゃないの?
南東陸路500里(対馬〜壱岐が千里)の伊都は 九州でしょ?
福岡平野北西部周辺 以外には無い。

663:日本@名無史さん
18/09/21 11:50:55.32 .net
>>662
小学生レベルの話に付き合うのも時間の無駄だが、そういうパズルをやるなら前提となる数字が正しいことが必須条件だろ
これにきちんと答えて、正しいとわかれば九州説を認めてあげるよ
帯方郡はどこ? 狗邪韓国はどこ? 帯方郡から狗邪韓国までは何キロ? 魏晋里435mに対して誤差はどのくらい?
狗邪韓国はどこ? 對馬国はどこ? 狗邪韓国から對馬国までは何キロ? 魏晋里435mに対して誤差はどのくらい?
對馬国はどこ? 一大国はどこ? 對馬国から一大国までは何キロ? 魏晋里435mに対して誤差はどのくらい?
一大国はどこ? 末廬国はどこ? 一大国から末廬国までは何キロ? 魏晋里435mに対して誤差はどのくらい?
末廬国はどこ? 伊都国はどこ? 末廬国から伊都国までは何キロ? 魏晋里435mに対して誤差はどのくらい?
伊都国はどこ? 奴国はどこ? 伊都国から奴国までは何キロ? 魏晋里435mに対して誤差はどのくらい?
邪馬台国への行程として書かれているのは、水行十日陸行一月だけ
陳寿は万二千里と一万里の引き算なんてしてないが、倭人伝に書かれてないことが正しいという根拠は?

664:日本@名無史さん
18/09/21 11:54:42.97 .net
九州説だが筑後の山門は邪馬台国とは無関係だろう。
あれは「八女の戸」。あのあたりに狭い水道があってそこを八女戸と呼んだ。
おそらく筑後の諸国を束ねていた女王の国、邪馬国だよ。邪馬台国ではない。

665:日本@名無史さん
18/09/21 12:25:23.24 .net
>>657
分からん人だな、同じところを何回も巡ることが周旋なんだよ
何周しても関係ないが最低一周はしている。

666:日本@名無史さん
18/09/21 12:32:50.48 .net
帯方郡の海岸から女王国の中心地である伊都国と奴国の国境までのを
距離(7000里+1000里+400里+400里+1000里+300里+300里+1000里+500里+100里)と
所要時間(20日+10日+1日)と
総距離(12,000里)とで3重に併記している。
郡治-狗邪韓国-対馬国-一支国-末盧国-伊都国-奴国(距離での説明)  七千里 + 千里 +(四百里×2)+ 千里 +(三百里×2)+ 千里 + 五百里 + 百里)
= 帯方郡-投馬国-邪馬壹国(日数での説明)  水行二十日 + 水行十日 + 陸行一月(陸行一日)
= 自郡-自女王國(総距離での説明)  萬二千餘里


667:日本@名無史さん
18/09/21 13:18:52.95 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

668:日本@名無史さん
18/09/21 13:23:54.34 .net
>>661
あの里数割りは証明事項ではない。
そもそも、あの里数割りという前提があってこその倭人伝なのだ。

669:日本@名無史さん
18/09/21 13:40:07.20 .net
>>668
ギブアップってことだね
行程パズルでは場所を特定できないということだよ
当たり前のこと

670:日本@名無史さん
18/09/21 14:10:49.26 .net
里数抜きで妄想するなら、沖縄にだってブラジルにだってできる。
それは学問ではない。

671:日本@名無史さん
18/09/21 14:20:22.13 .net
>>666
郡治-狗邪韓国=七千里=水行二十日
狗邪韓国-対馬国-一支国-末盧国=千里 +(四百里×2)+ 千里 +(三百里×2)+ 千里) = 水行十日
末盧国-伊都国-奴国=五百里 + 百里=陸行一月(陸行一日)
1日当たりの移動距離は
郡治-狗邪韓国・・・7000里/20日=350里/日
狗邪韓国-末盧国・・・440里/10日=440里/日
末盧国-奴国・・・600里/1日=600里/日
1里=80mとして
350里=28km
440里=35km
600里=48km

672:日本@名無史さん
18/09/21 14:26:54.01 .net
>>669
なんか変な日本語を使うな
「証明」という語の意味が、倭人伝の夫々の国が現在のどこに比定されるか、ということであるなら、
それは、すでに解決しているけどな。
倭人伝の里数割りは、古代にしては極めて優れたものだったよ。解決ズミ!

673:日本@名無史さん
18/09/21 14:52:06.03 .net
>>672
どこに比定されてる?
IDが出ないのでどのレス番のことを指してるかわからんのだが

674:日本@名無史さん
18/09/21 15:20:23.57 .net
>>673
それぞれ、倭人伝に記載された方角と里数の場所に正しく比定されている。
ま、倭人伝を捻じ曲げたがる輩には、とうてい読めぬな。

675:日本@名無史さん
18/09/21 15:26:29.80 .net
>>673
こっちが要求してるのは>>663に答えることだけなんだが、結局言い張るだけか
九州説のいつものパターン

676:日本@名無史さん
18/09/21 15:27:21.69 .net
アンカー間違えた
>>674
こっちが要求してるのは>>663に答えることだけなんだが、結局言い張るだけか
九州説のいつものパターン

677:日本@名無史さん
18/09/21 15:35:16.72 .net
帯方郡(ソウル)ー狗邪韓国(プサン)660km/7000里=94m/1里
狗邪韓国(プサン)ー対馬国     100km/1000里=100m/1里
対馬国ー一大国(壱岐)       70km/1000里=70m/1里
一大国(壱岐)ー末廬国(唐津)    50km/1000里=50m/1里
末廬国(唐津)ー伊都国(糸島)    25km/500里=50m/1里
伊都国(糸島)ー奴国(福岡市)   20km/100里=200m/1里
奴国(福岡市)ー不弥国(宇美)   10km/100里=100m/1里
統計では、違う立場の数字を一緒にしてはいけないので、海路のデータ3つ(100,70,50)倭国に上陸したあとの陸路のデータ3つ(50,200,100)のn=3の二つのデータセットで、有意水準95%の区間推定を行うと、
海路 平均73m 分散633m
陸路 平均117m 分散5833m で
自由度2のt-値の5%点が4.303なので、
海路は 73.3(10.8〜135.8)ただし( )内は95%信頼区間
陸路は 116.7(-73.1〜306.4)ただし( )内は95%信頼区間
となります。単位はmです。
95%信頼区間に430mが含まれていないから、東夷では魏の里が使われていなかったことは明白。


678:日本@名無史さん
18/09/21 15:58:53.98 .net
>>677
帯方郡はソウルではなく沙里院が通説だから修正した方がよいかと
循海岸水行だから狗邪韓国までの距離は最低でも1000kmはある
各区間で1里あたりの距離がばらばらで4倍も差があるのだから
魏の里ではない未知の距離単位があったという仮説も成り立たない
存在してたのは魏の里だけど、距離を正確に測定できなかったというのが妥当では?

679:日本@名無史さん
18/09/21 16:32:57.87 .net
>>654>>662>>674
結局、九州説がやってることはこういうこと
・邪馬台国への行程として書かれているのは、「水行十日陸行一月」だけだが、九州を飛び出してしまうからこの記述は使わない
・陳寿は万二千里と一万里の引き算なんてしてないが、引き算がなりたつと勝手に決めつけて、邪馬台国は九州上陸から二千里ということにする
・仮に二千里としても、魏晋里435mで計算すると870kmになり、九州を飛び出してしまうから魏晋里435mも使わない
>>677により、帯方郡から奴国までの里数は正しくなく、区間ごとの1里あたりの距離もバラバラで4倍の差がある
・つまり帯方郡から九州上陸までの一万里も間違っていることが確実であるが、無理やり引き算して残りを二千里ということにする
・1里あたりの距離に客観的基準もなく二千里が何キロに相当するか不明だが、恣意的に九州に収まることにする

680:日本@名無史さん
18/09/21 16:57:45.95 .net
頭悪そうなレスだ

681:日本@名無史さん
18/09/21 17:22:10.38 .net
>>677
>末廬国(唐津)ー伊都国(糸島)    25km/500里=50m/1里
>伊都国(糸島)ー奴国(福岡市)   20km/100里=200m/1里
>奴国(福岡市)ー不弥国(宇美)   10km/100里=100m/1里
この部分は古い九州説で計算してるが、大きな問題だ、正しい答えが出るわきゃないさ。
ここを新しい九州説の佐賀ルートに置き換えると、
いわゆる短里を証明できる素晴らしい統計学的信頼区間が得られるんだが・・・。
ま、どうせ、トライする気はなかろ。


682:日本@名無史さん
18/09/21 17:27:47.56 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

683:日本@名無史さん
18/09/21 17:54:24.48 .net
>>677
素晴らしい

684:日本@名無史さん
18/09/21 17:55:03.17 .net
>>679
恐ろしく頭が悪い

685:日本@名無史さん
18/09/21 17:57:04.82 .net
>>679
相手の考えていることまで妄想するなんて、末期症状。

686:日本@名無史さん
18/09/21 18:17:07.29 .net
>>679
九州説憎しの一念、 ウー、念、念、

687:日本@名無史さん
18/09/21 18:28:29.79 .net
行程パズルが九州説の唯一の論拠なのに、それを否定されたら何も残らん
論理で反論すればいいのに、1行糞レスを連投してるようでは負け犬の遠吠えじゃん

688:日本@名無史さん
18/09/21 18:34:56.22 .net
ウー、ワンワン

689:日本@名無史さん
18/09/21 18:38:27.16 .net
どのみち自説以外は、否定、否定、否定
死ぬまで否定の終末だろうな

690:日本@名無史さん
18/09/21 20:03:39.41 .net
>>689
ブーメラン

691:日本@名無史さん
18/09/21 20:47:34.49 .net
>>665
>分からん人だな、同じところを何回も巡ることが周旋なんだよ
>何周しても関係ないが最低一周はしている。
貼ってもらったURLの論文は読んだのかい?
勝手な思い込みを繰り返し書くだけではなく、論拠として示された論文に
間違っている部分があるならそれを具体的に指摘すればいい
指摘できないなら、その論文の論拠が間違っているという理由はない
つまり、三国志の周旋で元の場所に戻る、という意味・用法はない

692:日本@名無史さん
18/09/21 20:50:49.56 .net
魏志倭人伝の旅程記事に混乱があるのは確かだ
1.淮南子の世界の東の果てまで萬二千里という概念
2.漢委奴國王、倭国王帥升等の朝献の時の北部九州までの「里」程
3.卑弥呼の遣使の時の邪馬台国までの「日」程
これらが、陳寿の手元にあって、これを総合して旅程を書いたのだろう
また、2.の時の里程には別の目的地(倭面土国)行きが紛れている可能性が
高いし、魏志倭人伝の旅程と実際の邪馬台国までの経路は一致しない可能性が高い
旅程記事は、中国の研究者の読み方でも、放射読みも最後の邪馬台国までの日程を
総距離と見るのも、漢文の文法からいって明らかな誤読
北部九州=邪馬台国というのは、誤読の上に成り立っているだけで、普通に
漢文として読めば、伊都国、奴国と邪馬台国が別であるのは誰が読んでも明らか

693:日本@名無史さん
18/09/21 20:51:49.26 .net
<萬二千里の変遷>
淮南子:碣石山→東方之極
後漢書:楽浪郡→倭
魏志: 帯方郡→倭
要は中国の国境から辺境まで「萬二千里」と観念距離を置いているわけ
中国の範囲が拡大していっても「萬二千里」は変わらない

694:日本@名無史さん
18/09/21 20:52:58.97 .net
黒齒國は山海經にも出てくる伝説上の国だし、裸國も淮南子に出てくる世界の端の国
淮南子:墬形訓
自西南至東南方,結胸民、羽民、歡頭國民、「裸國民」、三苗民、交股民、不死民、穿胸民、反舌民、豕喙民、鑿齒民、三頭民、修臂民;
自東南至東北方,有大人國、君子國、「黒齒民」、玄股民、毛民、勞民;
そして、前にも挙げた淮南子:時則訓を再掲すると
東方之極,自碣石山過朝鮮,貫大人之國,東至日出之次,木之地,青土樹木之野,太?、句芒之所司者,萬二千里。
魏志倭人伝の世界観では、
淮南子:墬形訓の大人國、時則訓の大人之國を倭國に当てているように見える
だからこそ「倭」國なのかもしれない
墬形訓の自「東南」至東北方だから、倭國は倭人在帶方「東南」大海之中だし、
時則訓の世界の端だから「萬二千里」
そして東の端を南へ下っていくと「黒齒民」がいて、
墬形訓の自西南至東南方の段落にある「裸國民」はさらに遠くの扱いになる
こうして見ると、魏使の報告書になかった部分は、
淮南子を参照して書いているのは明らか

695:日本@名無史さん
18/09/21 20:57:46.51 .net
>>677
>95%信頼区間に430mが含まれていないから、東夷では魏の里が使われていなかったことは明白。
これ、引用がおかしい
正しくはこのいかさま記述の代わりに、以下の分が書かれていた
この範囲に、あなたの言う短里の値が入る確率が95%という意味です。
11から136メートルとか、-73〜306メートルとか、「意味のある数値」だと思いますか?
これが正しい統計のやり方です。nが小さくて、ばらつきが大きいデータでは、いかに統計処理をしても信頼性のある数値は出ないんですよ。
あなたがやっていることは統計でもなんでもなくて、牽強付会なデータ捏造に近いです。
伊都国を平気でずらしてますし。

696:日本@名無史さん
18/09/21 21:01:36.89 .net
短里を使う理由のある人が、どこにもいない
公孫氏ももともとは漢人で、後漢の官職についてる
建忠校尉の梯儁さんも
塞曹掾史の張政さんも
魏の役人だから、これらの人が漢魏尺以外の度量衡を使う理由がない
実際に、ほぼ確実とされる比定地間の距離を測ると
帯方郡(ソウル)ー狗邪韓国(プサン)660km/7000里=94m/1里
狗邪韓国(プサン)ー対馬国     100km/1000里=100m/1里
対馬国ー一大国(壱岐)       70km/1000里=70m/1里
一大国(壱岐)ー末廬国(唐津)    50km/1000里=50m/1里
末廬国(唐津)ー伊都国(糸島)    25km/500里=50m/1里
伊都国(糸島)ー奴国(福岡市)   20km/100里=200m/1里
とばらばらな数値となり、倭国上陸後は4倍も異なる値となる
短里という決まった長さがあって、それによって測定した値が書かれているとはみなせない
結局、晋の高祖、司馬懿の功績を顕彰する目的で、司馬懿の公孫氏征伐の結果、
「遠くの東夷の国」が朝貢に来たというのを大仰にするために、数字を盛ってるんだよ
倭国(女王国)までの距離は、淮南子などに見られる地の果て(東方之極)までの距離の
萬二千里とし、倭国に上陸するまでの距離を「万里の修交」にするために、1万里にしてる
盛った距離を、現実と照らし合わせると、その分過小な距離が出て、それを短里だと
言い張ってる人がいるだけ
数字は結論ありきで適当に振ってるだけだから、決まった長さの単位・短里などは出てこない


697:日本@名無史さん
18/09/21 21:32:40.77 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

698:日本@名無史さん
18/09/22 00:01:03.75 .net
帯方郡(ソウル)ー狗邪韓国(プサン)660km/7000里=94m/1里
狗邪韓国(プサン)ー対馬国     100km/1000里=100m/1里
対馬国ー一大国(壱岐)       70km/1000里=70m/1里
一大国(壱岐)ー末廬国(唐津)    50km/1000里=50m/1里
末廬国(唐津)ー伊都国(糸島)    25km/500里=50m/1里
伊都国(糸島)ー奴国(福岡市)   20km/100里=200m/1里
奴国(福岡市)ー不弥国(宇美)   10km/100里=100m/1里
統計では、違う立場の数字を一緒にしてはいけないので、海路のデータ3つ(100,70,50)倭国に上陸したあとの陸路のデータ3つ(50,200,100)のn=3の二つのデータセットで、有意水準95%の区間推定を行うと、
海路 平均73m 分散633m
陸路 平均117m 分散5833m で
自由度2のt-値の5%点が4.303なので、
海路は 73.3(10.8〜135.8)ただし( )内は95%信頼区間
陸路は 116.7(-73.1〜306.4)ただし( )内は95%信頼区間
となります。単位はmです。
95%信頼区間に430mが含まれていないから、東夷では魏の里が使われていなかったことは明白。



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