♪邪馬台国ドンと来い!♪140 at HISTORY
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550:日本@名無史さん
18/09/17 22:28:50.73 .net
>>546
この人、文献のみを珍解釈して247年に邪馬台国が滅んだというヘンテコな説を唱えてるんだっけ?
そのヘンテコ説だと邪馬台国はどこになるの?

551:日本@名無史さん
18/09/17 22:49:30.74 .net
>>546
三雲遺跡を考えると、楽浪帯方人のステイはあったと思うが、定着まではないね。
まず当時の弥生人にとって、楽浪帯方人は未来技術を持った全くの未来人なんだよ。
登り窯で焼成した硬質の楽浪瓦質&陶質土器の生活土器と中国系金属器と金銀細工と
瓦屋根に土壁の中国系住居と鉄刃の中国系農具と馬車と牛車と漢服と木沓と傘と硯と
墨と筆と漢字の使用と龍信仰に亀卜・・・
我々の祖先はそのどれも自分たちの手で作る事も叶わず、弥生時代は終焉を迎えたのであった。

552:日本@名無史さん
18/09/18 05:30:04.22 .net
>>538
沖ノ島から三角縁が出てくるからねぇ
時代は少し下るが裏ルートはあったんだろ
宇佐宗像は大和よりだし

553:日本@名無史さん
18/09/18 07:28:11.34 .net
沖ノ島ルートは4世紀以降じゃなかったっけ

554:日本@名無史さん
18/09/18 07:46:48.05 .net
畿内説はいつも卑弥呼より後の時代の話を持ち出して強引に畿内には持ち込もうとするよね。

555:日本@名無史さん
18/09/18 08:15:01.91 .net
そのとおりだ
目新しいことは、全て3世紀のことだったー、といいたがるねえ。
卑弥呼といえばカネになる、と安直に反応するクセがついてるんじゃないの。

556:日本@名無史さん
18/09/18 09:57:43.29 .net
気になる材料を羅列してみると、

渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。

複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

557:日本@名無史さん
18/09/18 11:22:29.88 .net
そもそもなぜ国家的祭祀が畿内から遠く離れた宗像で行われていたのか。
その主催者が筑紫の王権なら納得がいくが、畿内政権だとすれば宗像をどのように位置付けていたのか。
少なくとも、筑紫を記紀にある通り皇室の祖地と考えていたのではないか。

558:日本@名無史さん
18/09/18 11:24:25.83 .net
交通安全の祈願だから

559:日本@名無史さん
18/09/18 11:27:57.22 .net
渡海は命がけだったという証拠

560:日本@名無史さん
18/09/18 11:30:04.62 .net
>>557
>少なくとも、筑紫を記紀にある通り皇室の祖地と考えていたのではないか。

もしそうであれば、倭国(阿波)に代わって「践祚大嘗祭」の主役をしているよ。  外野の出る幕ではない。  @阿波


561:日本@名無史さん
18/09/18 11:32:51.00 .net
>>559
>渡海は命がけだったという証拠

末盧国が福津・宗像方面だったという証拠。  @阿波


562:日本@名無史さん
18/09/18 17:40:24.23 .net
>>559
それなら瀬戸内海でも関門海峡でも良かったはず。

563:日本@名無史さん
18/09/18 17:44:12.36 .net
>>562
なんで?????

564:日本@名無史さん
18/09/18 18:02:09.94 .net
海路の難所だからだよ。

565:日本@名無史さん
18/09/18 18:13:10.10 .net
>>564
>海路の難所だからだよ。

末盧国が福津・宗像方面だったという証拠。  @阿波


566:日本@名無史さん
18/09/18 18:27:41.60 .net
>>564
難所と言っても危険度の次元が違う

567:日本@名無史さん
18/09/18 18:57:45.72 .net
>>566
>難所と言っても危険度の次元が違う

末盧国が福津・宗像方面だったという証拠。  @阿波


568:日本@名無史さん
18/09/18 21:59:26.54 .net
気になる材料を羅列してみると、

渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。

複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

569:日本@名無史さん
18/09/20 01:48:57.49 .net
>>550 邪馬台国は何処か?
陳寿君の概念では
女王國 東 渡海千餘里 復有國 皆倭種
又有 侏儒國 在其南 人長三四尺 
去 女王四千餘里 又有 裸國
黒齒國 在其東南 船行一年可至
参問倭地 絶在海中 洲㠀之上 或絶或連 周旋可 五千餘里
と、言っている。
千里は 対馬〜壱岐で 間違いない 訳であるから
満二千里は、九州上陸後、2千里が卑弥呼の領土の境界である。
膨大な 船行一年可 の倭人国に対して、
ほんの 周旋可 五千餘里が 魏使が見た日本である。
洲㠀之上=九州 です。

570:日本@名無史さん
18/09/20 02:01:01.14 .net
>>568
で、
渡来系弥生人ってのが、
沿海州南部から 渡来してきた? って、根拠と
そんな、間抜けなこと言ってる 詐欺学者の名前は?
すぐ言えよ、オマエ。

571:日本@名無史さん
18/09/20 02:19:50.08 .net
>>557
鋭い指摘だと思うよ。
海路は 対馬海峡 より、干満差の大きい、
地元の海賊も、やりたい放題の大阪や阿波からの 関門海峡 の方が、相当困難だな。 
宗像〜沖ノ島航路、使うなら、奈良でも無くて 縄文海神の 出雲 だよ。

572:日本@名無史さん
18/09/20 07:21:33.86 .net
沖ノ島→宗像航路は、応神天皇以降の新しいルート。
つまり、香春岳の銅・錫開発とセットであったことを意味する。

573:日本@名無史さん
18/09/20 07:22:31.33 .net
誤訳です
女王國 東 渡海千餘里 復有國 皆倭種
又有 侏儒國 在其南 人長三四尺 去 女王四千餘里 
又有 裸國 黒齒國 在其東南 船行一年可至 参問倭地 絶在海中 洲㠀之上 或絶或連 周旋可 五千餘里
洲㠀之上=裸國 黒齒國 ですよ
倭人在帶方東南大海之中,依山島為國邑
って最初に言ってるでしょ

574:日本@名無史さん
18/09/20 08:07:59.12 .net
>>569
>ほんの 周旋可 五千餘里が 魏使が見た日本である。
周旋は戻らない行きっぱなしの距離で、短里などはない
五千里というのは、中華の領域「方萬里」の半分にあたる距離
「ほんの」などという短い距離ではないよ
>洲㠀之上=九州 です。
ゆえに九州ではあり得ない
しかも意図的に「或絶或連」を抜かしている
間に海が挟まる(あるいは絶え)と書いてあるのだから、一かたまりの九州ではダメだよ
九州と四国、本州まで含んでこそ「或絶或連」の表現に合う

575:日本@名無史さん
18/09/20 08:31:39.28 .net
>>574
横だが、
五千餘里は単純に一万二千里から
到其北岸狗邪韓國 七千餘里
を引いた五千のことだろう
陳寿は倭国へ至った距離を二度丁寧に説明してるね
つまり、或絶或連とは、距離の比率を考えたら、
對海國→一大國→九州のことだろうね

576:日本@名無史さん
18/09/20 09:04:08.67 .net
その前の文章から推しはかると、
参問倭地のくだりは、「倭国」ではなく、
「倭地・わち=九州島」の広さについて述べているのだろう。
即ち広さについて、
すでに対馬は方可400里、壱岐は方可300里と述べているので、ともにのぞかれる。
残りの九州島、即ち筑紫から薩摩大隅までの大きさ(広さ)を示したかったのだが、
東西の長さが良くわからなかったので、(その南北は)周旋5000里であると、簡略して述べたのであろう。
実際に、筑紫から薩摩南端の開聞岳までは、およそ5000里である。

577:日本@名無史さん
18/09/20 09:05:46.20 .net
>>569
>ほんの 周旋可 五千餘里が 魏使が見た日本である。
参問倭地ですから、倭人に聴いて集めた情報によるものです
可五千餘里と可も5000里に付いてますから推測による距離で実際に通ったルートに可は付きません
なのでこの5000里の倭地を周旋してません
周旋可五千餘里の倭地を魏使は見てはいません。

578:日本@名無史さん
18/09/20 09:10:17.39 .net
>>576
周旋・・・ぐるぐる回るの意味ですから違います
周旋は必ずスタート地点に戻るとは限りませんが
ぐるぐる回るとのいみです
単に筑紫から薩摩大隅までの大きさを示す様な使用はされません。

579:日本@名無史さん
18/09/20 09:14:13.06 .net
>>574
>周旋は戻らない行きっぱなしの距離で
全くの出鱈目な解釈です、嘘を言うのは止めましょう
周旋はぐるぐる回るってのが本来の意味です
戻る時もあれば戻らない行きっぱなしの場合もあります
終わりが何処かは文意から読み取る。

580:日本@名無史さん
18/09/20 09:52:12.60 .net
参問倭地・・・倭の地にいる人に聞いたところ

581:日本@名無史さん
18/09/20 09:55:22.79 .net
周旋
1回転すると元に戻り
1回転半すると先に進む
最低1回転しないと周旋は使われない。

582:日本@名無史さん
18/09/20 10:07:04.10 .net
周旋可五千餘里の場合5000里は一周5000里の意味である
一周半や二周の距離でないことは明白。

583:日本@名無史さん
18/09/20 10:22:36.49 .net
参問倭地
倭人は里という距離単位を知らなくて、邪馬台国までの距離も日数でしか表せないのに
倭地全体の大きさを里で表せるわけないだろ
方万里の半分と陳寿が思っていた、あるいは創作しただけのこと
倭は蛮族だけど中国の半分の大きさもある、なかなかの大国という認識

584:日本@名無史さん
18/09/20 10:54:10.59 .net
そもそも、
「倭人に聞いて書き留めた・・・」という前提こそ誤りだねえ。
倭人伝のもとになったのは、
206年頃、韓・倭の支配を目的に開設された帯方郡の役人が数年かけて実施した倭国・倭地現地調査の報告書だろう。
倭国に関する、風土・習俗・慣習などを記録した部分は、明らかに役人の文章の引き写しである。
それを裏付けるかの如く、佐賀川上の伊都国には、帯方郡の駐在所もあったと書いてある。

585:日本@名無史さん
18/09/20 11:01:42.84 .net
(584の続き)
其風俗不淫、男子皆露紒、以木棉招頭。
其衣横幅、但結束相連、略無縫。婦人被髮屈紒、作衣如単被、穿其中央貫頭衣之。
種禾稲、紵麻、蚕桑緝績。出細紵、縑緜。
其地無牛馬虎豹羊鵲。兵用矛、楯、木弓。木弓短下長上、竹箭或鉄鏃或骨鏃。所有無與儋耳・朱崖同。
このようなきめ細かい記述は、正確詳細な実地調査に基づく、典型的な役人の文章である。

586:日本@名無史さん
18/09/20 11:14:57.04 .net
>>583
倭人に直接5000里の距離を聞いたのではない
可が付いているから倭人の話から魏使が推測したのが5000里

587:日本@名無史さん
18/09/20 11:26:58.74 .net
>>575
>五千餘里は単純に一万二千里から
>到其北岸狗邪韓國 七千餘里
>を引いた五千のことだろう
これは新しい意見だね。
でも確かに七千里の狗邪韓国からはもう倭国なので、その中をウロウロ五千里で九州の邪馬台国に着くことになるね。

588:日本@名無史さん
18/09/20 11:28:47.94 .net
>>579
>終わりが何処かは文意から読み取る。
最後に博多奴国に戻ってますね。
本州に上陸したら博多に戻ってくるとは考えにくい。
残り五千里では畿内にたどり着かないし。

589:日本@名無史さん
18/09/20 11:43:34.68 .net
気になる材料を羅列してみると、

渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。

複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

590:日本@名無史さん
18/09/20 12:02:10.36 .net
>>586
そう
陳寿が推測した結果が中国の半分の大きさを持つ国だということ
旁国21ヶ国は遠すぎて距離もわからないのに
倭地全体の大きさなら倭人の話から精度の高い推測をできたなんてあり得るわけがない

591:日本@名無史さん
18/09/20 12:02:33.70 .net
>>587
周旋して5000里だと1周半しないと先に進めない
1666里分を行ったり来たりしたことになるよ。

592:日本@名無史さん
18/09/20 12:03:08.67 .net
>>587
参問倭地だから、陸地のことを指している。
とうぜんながら、海上距離は除外され、正味の陸上里数が5000里なのだよ。

593:日本@名無史さん
18/09/20 12:03:29.83 .net
>>591
先に進まずに博多に戻ってきている。
多分、九州から出ることは想定していない。

594:日本@名無史さん
18/09/20 12:05:24.93 .net
>>590
奴国から不弥国を経て旁国20か国を回り奴国に戻るのが5000里ですよ
倭地の北部九州一周です。

595:日本@名無史さん
18/09/20 12:08:35.50 .net
>>587
>ウロウロ五千里
これは正しい訳ではないな
ぐるりと回る五千里

596:日本@名無史さん
18/09/20 12:12:47.85 .net
参問倭地(わち)だから、
倭国のことでなくて、
倭の30国より広い範囲、つまり九州島全体のことを指している。

597:日本@名無史さん
18/09/20 14:40:49.34 .net
倭地を九州だけだと言い張ることに根拠がない
九州の端から端まで知ってるのに関門海峡の先は未知の領域だとするのが非現実的すぎる
そもそも北部九州には本州から人が来ているのに、そんな地理観のゴリ押しは通用しない

598:日本@名無史さん
18/09/20 14:49:41.33 .net
関門海峡から先は、「倭種の国、人長3-4尺」でかーるく片づけられているんだが、、、

599:日本@名無史さん
18/09/20 14:56:32.88 .net
東の方にも倭種がいると書いてあるぞ。
ただ、代表しているのが九州の卑弥呼なら、それ以上は魏も詳しく知ろうとは思わないだろう。

600:日本@名無史さん
18/09/20 14:57:10.96 .net
物証を無視して、
ぼくのつくったさいきょうのわちのはんい
とか間抜けなことやってんな

601:日本@名無史さん
18/09/20 15:17:53.67 .net
魏志倭人伝を無視してぼくのかんがえたやまたいこくを夢想しても意味はない。

602:日本@名無史さん
18/09/20 15:48:27.14 .net
>>601
>魏志倭人伝を無視して
九州説のやつらはこれを畿内説を中傷するとき必ずこれを言うけど、実際に倭人伝と不一致なのは方角のみ
一方、九州説は魏志倭人伝通りだと言い張るが、よくあるパターンは短里とかいう架空の距離単位を捏造したり、
ほとんど遺跡のない呼子を起点にして、末盧国から伊都国の方角違いを誤魔化したり
水行二十日、水行十日陸行一月はゆっくり歩けば九州に収まると小学生みたいな言い訳したり
倭人伝記載の15万戸(約70万人)は九州で十分だと根拠もなく言い張る
度量衡の捏造や物証・遺跡無視の強弁をしてるだけ

603:日本@名無史さん
18/09/20 15:55:02.63 .net
>>602
この上すぐ30レスくらい読んだら?

604:日本@名無史さん
18/09/20 15:57:11.53 .net
>>602
誤読に誤読を重ねているな。
70万人って何だよ。
畿内にだってそんなにいないくせに。
畿内説って本当にデタラメだな。

605:日本@名無史さん
18/09/20 15:57:49.91 .net
>>603
読んだうえで間抜けなことをやってると指摘してるんだよ

606:日本@名無史さん
18/09/20 15:59:10.83 .net
>>604
70万人は一般的な推測だろよ

607:日本@名無史さん
18/09/20 16:00:11.18 .net
>>606
君の頭の中だけ。

608:日本@名無史さん
18/09/20 16:05:39.44 .net
物証を無視して、倭地は九州だけだなんて、いくら言い張っても通用しないんだよ
間抜けすぎる

609:日本@名無史さん
18/09/20 16:16:18.96 .net
倭地が九州だけでなく本州も含むとなったら九州説は崩壊するから必死なんだろうけど

610:日本@名無史さん
18/09/20 16:38:04.57 .net
魏志倭人伝を無視してまで本州が含まれるという根拠は?

611:日本@名無史さん
18/09/20 16:42:13.97 .net
絹や鉄、最近は硯などの物証からも九州説は動かないな
何の物証も無い畿内説なんてナンセンス。

612:日本@名無史さん
18/09/20 17:22:52.69 .net
>>587
単純明快だよね
色んな説があったが、ストンと当てはまる
これが一番可能性が高いと思ってるよ

613:日本@名無史さん
18/09/20 17:27:16.63 .net
畿内説は嘘を嘘で塗り固めているだけで、魏志倭人伝にある邪馬台国とは全く関係ない妄想を作り上げている。

614:日本@名無史さん
18/09/20 17:49:06.55 .net
>>573
又有 侏儒國 在其南 人長三四尺。
去 女王四千餘里、又有 裸國 黒齒國 在其東南 船行一年可至。参問倭地・・・
文は「可至」と「参問」の間で切れる。
1)「又有」〜「在其南」、2)「又有」〜「在其東南」というように
同じ構文が繰り返される。
動詞【有】と【在】が連用されると【有】の主語は隠蔽されて明示されず
【有】と【在】に挟まれた「侏儒國」や「裸國 黒齒國」と
いう未知のモノを強調しながら
「何処其処」が新情報として聞き手や読者に告げられる。

615:日本@名無史さん
18/09/20 17:52:41.87 .net
>>610
魏志倭人伝を無視してまで九州だけだという根拠は?

616:日本@名無史さん
18/09/20 17:59:17.07 .net
気になる材料を羅列してみると、

渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。

複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

617:日本@名無史さん
18/09/20 18:46:36.58 .net
>>616
もうそのコピペは見飽きたわ

618:日本@名無史さん
18/09/20 18:51:37.81 .net
>>613
そんなこと言う証拠は?

619:日本@名無史さん
18/09/20 19:11:28.37 .net
>>615
本州は、海の東の倭種として記載されているから。

620:日本@名無史さん
18/09/20 19:29:25.63 .net
>>619
文献と不一致で、物証にも矛盾したその先入観が正しいと言い張る根拠は?

621:日本@名無史さん
18/09/20 20:41:57.34 .net
>>620
それ、君のことだよ。

622:日本@名無史さん
18/09/20 20:47:57.11 .net
周旋とは
あまねくめぐるの意味で、
現代では一周という用法から始めに戻ることが想起されるが、あまねく、の意味を考慮すると必ずしも始めに戻らなくてもよい。
要するに記載された全てを巡ってみると、くらいの意味合いだ。

623:日本@名無史さん
18/09/20 20:58:02.98 .net
「周旋」
(1) [socialize]?打交道;?酬
(2) [contend with]?相机?退,与?手追逐?量
(3) [circle]??旋;旋?
URLリンク(www.zdic.net)

624:日本@名無史さん
18/09/20 21:04:13.98 .net
>>623
この場合は(2)だな。

625:日本@名無史さん
18/09/20 21:06:08.70 .net
>>622
>>623
「周旋」は、あまねくめぐるの意味ではにですね
くるくる回るや一周とかの意味ですね。

626:日本@名無史さん
18/09/20 21:15:13.98 .net
(2)「周旋」には戦うとの意味もあるが
これは騎兵がお互いに相手の周りをくるくる回って戦ったから派生した意味です
三国志で張飛や関羽が敵の武将と一騎打ちでくるくる回る様な場面をイメージすると分かり安い。

627:訂正
18/09/20 21:16:28.44 .net
>>622
>>623
「周旋」は、あまねくめぐるの意味ではないですね
くるくる回るや一周とかの意味ですね。

628:日本@名無史さん
18/09/20 21:17:16.51 .net
>>622はやはり出鱈目でしたねw

629:日本@名無史さん
18/09/20 21:43:13.97 .net
>>612
漢文が読める人からしたら100%有り得ないw

630:日本@名無史さん
18/09/20 21:45:33.06 .net
>>619>>621
言い張るだけで追及したら何も根拠を示せず逆切れって九州説のいつものパターンか
文献と不一致
「女王國東渡海千餘里 復有國皆倭種」
千餘里だから400km以上離れてないといけない
しかし関門海峡は500m程度だから1000倍違う
これを誤差とはとても言えない
物証と矛盾
・3世紀前半には本州から北部九州に人が移動している
ソース
『古墳出現前後における畿内型甕形土器の西方拡散に関する研究』佐々木憲一
URLリンク(m-repo.lib.meiji.ac.jp)
・北部九州と本州では交易がおこなわれている
ソース
鉄の分布(九州説がよく貼るこの分布図は九州説にブーメランw)
URLリンク(wajinden.com)
鏡の分布(論文のP381にある図)
URLリンク(www.rekihaku.ac.jp)
本州と北部九州では人的交流もあり、流通ネットワークもできている
そんな状況で、本州を国名も知られてない倭種が住んでる地域と言い張るのは知識のなさを晒しているようなもの
それどころか、本州を倭国の一部の周辺地域とみなすだけでは済まない
3世紀前半は大和を中心とする前方後円墳体制が出来上がりつつあり、北部九州は畿内勢に飲み込まれようとしている時期
大和が倭国の中心で、北部九州は地方の一部にすぎない

631:日本@名無史さん
18/09/20 21:47:15.61 .net
そりゃ神の視点での話だよ。
大地に住む人間が把握できると思ってるの?

632:日本@名無史さん
18/09/20 21:47:38.96 .net
>>619>>621
>本州は、海の東の倭種として記載されているから。
これ文献に不一致で物証とも矛盾してるので、嘘八百ということが確定
倭地を九州だけと解釈するのも間違い
倭地は北海道東北を除く日本列島全体ということになる

633:日本@名無史さん
18/09/20 21:54:55.64 .net
>>630>>632は妄想と現実の区別が付かなくなってるな
ソースもが胡散臭いwww
>大和が倭国の中心で、北部九州は地方の一部にすぎない
脳みそが完全に逝かれてるな。
南無

634:日本@名無史さん
18/09/20 22:11:33.97 .net
>>633
今回も反論できなくなると得意の罵倒だな
山川の教科書から引用
「3世紀中頃から後半になると、より大規模な前方後円墳をはじめとする古墳が西日本を中心に出現する。 
(一部略) 
古墳が各地の首長たちの共通の意識のもとにつくり出された墓制で、
その背景には古墳の出現に先だって広域の政治連合が形成されていたことが考えられる。
出現期の古墳の中でもっとも規模が大きいものは、奈良県(大和)にみられ、
この時期大和地方を中心とする近畿中央部の勢力によって政治連合が形成されていた。
この大和地方を中心とする政治連合をヤマト政権という。」
>ソースもが胡散臭いwww
どこがどう胡散臭い?
九州説に都合の悪い証拠はすべて胡散臭いとイチャモンか?
>>大和が倭国の中心で、北部九州は地方の一部にすぎない
>脳みそが完全に逝かれてるな。
「古墳の出現に先だって広域の政治連合が形成されていたこと」と教科書に書かれている
教科書を全否定しするなら、それなりの根拠、証拠を示したらどうだ?

635:日本@名無史さん
18/09/20 22:17:28.63 .net
>>634
根拠の無い妄想を載せるなんて山川の教科書も落ちたもんだなw

636:日本@名無史さん
18/09/20 22:27:18.27 .net
>>634
>「古墳の出現に先だって広域の政治連合が形成されていたこと」と教科書に書かれている
これ根拠が全く無いんですよw
誰かの妄想をそのまま教科書に載せちゃってる
いい加減な教科書だな
こんな教科書で授業を受ける子供達可哀そう。

637:日本@名無史さん
18/09/20 22:31:24.35 .net
畿内説は理論的に説明しないで権威を借りて誤魔化そうとしかしないね。

638:日本@名無史さん
18/09/20 22:32:00.76 .net
>>635>>636
九州説をごり押しするにはそうやって教科書を否定し、考古学者を否定し、物証を否定しないといけない
文献も都合の悪いところは無視して、文献を歪曲すために短里とかの捏造をしてるだけ
所詮は素人だけが言い張ってる俗説でしかない
いずれ教科書からも消えるだろうから月間ムーの中で頑張ってくれ

639:日本@名無史さん
18/09/20 23:01:34.37 .net
>>638
月間ムーが一番よく似合うのは畿内説だけどね。

640:日本@名無史さん
18/09/20 23:24:48.69 .net
>>629
漢文が読めると、どうありえないの?
漢文が読めても、この時代の文献には解釈が様々なのに?
だから用例で示すしかないけど、
これが正解というものを知っているなら、それを説明してね

641:日本@名無史さん
18/09/20 23:29:59.00 .net
>>638
古墳の出現と大和王権を関連させるのは考え直した方がいいというのが最近の流れかな
統一性のある前方後円墳の拡がりはまた別の話だろうがね

642:日本@名無史さん
18/09/21 00:09:36.22 .net
>>638
教科書に嘘を書いちゃいかんな

643:日本@名無史さん
18/09/21 00:11:45.03 .net
>>630
>そんな状況で、本州を国名も知られてない倭種が住んでる地域と言い張るのは知識のなさを晒しているようなもの
名前だけなら魏志倭人伝に書いてあるぞ。
>3世紀前半は大和を中心とする前方後円墳体制が出来上がりつつあり、北部九州は畿内勢に飲み込まれようとしている時期
3世紀中頃の卑弥呼の死後だろw

644:日本@名無史さん
18/09/21 00:49:53.47 .net
九州説はとうとう教科書にも文句つけ始めたんかよ
どんどん学問から離れて行ってるな
ラノベ板にでも引っ越せよ

645:日本@名無史さん
18/09/21 06:59:58.94 .net
>>640
「周旋」をウロウロなんて訳してるからダメ
「周旋」には、あまねくなんて意味はなく
回るや一周するとかの意味しかない
つまり同じ地点を何回か通過したってことですから
計算が合わない。

646:日本@名無史さん
18/09/21 07:01:21.85 .net
>>644
教科書の記載なんかどんどん変わるからね
間違ったことも書いてある。

647:日本@名無史さん
18/09/21 07:13:05.51 .net
>>646
>教科書の記載なんかどんどん変わるからね
>間違ったことも書いてある。

倭国(阿波)が教科書に載るのは、時間の問題。  @阿波


648:日本@名無史さん
18/09/21 07:36:45.66 .net
>>645
>「周旋」をウロウロなんて訳してるからダメ
>「周旋」には、あまねくなんて意味はなく
>回るや一周するとかの意味しかない
>つまり同じ地点を何回か通過したってことですから
>計算が合わない。
現代語で判断してもダメ
三国志で移動に周旋が使われている部分を全例検索しても、
回ったり元の場所に戻っている用例は一つもない
斡旋の意味で周旋を使っているところはあるけどね
「回るや一周するとかの意味しかない」ってのは、これだけでも分かる

649:日本@名無史さん
18/09/21 07:46:00.42 .net
>>648
>回ったり元の場所に戻っている用例は一つもない
全部回るや一周するとかの意味でしか使われてませんが。

650:日本@名無史さん
18/09/21 08:01:49.23 .net
>>648-649
よく似た言い回しで、外野にはどっちが何説なのか、よく分からん。  @阿波


651:日本@名無史さん
18/09/21 08:46:00.63 .net
九州上陸から女王宮まで、南北で2千里。
九州の東西は3千里以上。 
そもそも5千里で周回なんてできません。
或絶 の国が、長崎や天草、小倉や宇佐別府ってのも無理
女王宮はみやまだから5千里で周旋できるのは福岡筑紫平野周辺だけ。
物証で、200年以前の輸入品や、鉄器出土地域なんてそんなもんだろ。
熊本や唐津以西、宮崎方面であれば通商、交流遺物程度には出てる。

652:日本@名無史さん
18/09/21 09:01:38.91 .net
>>651
>女王宮はみやまだから
「みやま」ってなに?

>5千里で周旋できるのは福岡筑紫平野周辺だけ。
5千里で周旋できるのは倭国(阿波)だけ。  @阿波


653:日本@名無史さん
18/09/21 09:09:57.47 .net
「みやま市」は新しい市の名前で、
最近できたソフトバンクの2軍3軍球場の近くだから、観光宣伝の一環だろ。

654:日本@名無史さん
18/09/21 09:36:12.88 .net
東夷伝が示す文章問題、里程について。
中國正史によって与えられた定義は、
帯方郡から女王まで、満二千里。
4千里が韓の南北、東西。 
狗邪韓國まで、7千里。
渡海3千里(千里×3)が対馬海峡。
では、算数
4000+X=7000(X=狗邪韓國までの東行)
7000+(1000×3)=10000(帯方郡から末盧國)
12000−10000=2000(九州上陸から女王)
これが、倭人伝における 里程の基準。
二千里が 南水行30日と陸行1月、であると 言いはるだけの間抜けが、
南=東 というご都合主義、恣意的誤読、を前提にしていることは明らか。

655:日本@名無史さん
18/09/21 09:45:50.71 .net
>>654
まずはその数字が正しいことを証明しないと
その先を推定するのは無意味だアホ

656:日本@名無史さん
18/09/21 09:57:01.53 .net
>>653
山門瀬高 って言ったら、それどこ? 
って言われたから、みやま に言いなおしてみた。
おじいちゃん用と中学生用と、だけど、ちら裏の名無し相手じゃわかんないよね。
ドーム球場作ると、卑弥呼の王宮出るかもなw 
邪馬台国っ名前がもはや、雰囲気で山城っぽいんで、無理か?
阿波は半コテ、土器厨、都万、日本海とかの諸先生は、爺って判る。
最近見るキナイコシ先生w、は2人かな、
九州先生も東遷説っぽい人と、もう一人割とちゃんと読めてる人がいる。

657:日本@名無史さん
18/09/21 09:57:31.83 .net
周旋の解釈について三国志の他の記述との比較
URLリンク(www.zenyamaren.org)
各地を転々として、巡り歩くという意味

658:日本@名無史さん
18/09/21 10:00:55.47 .net
>>654は典型的な九州説だな
こういう小学生レベルのことしかできないやつが学者をバカにしてるんだからお笑いでしかない

659:日本@名無史さん
18/09/21 10:09:56.21 .net
>>658
何をおっしゃる
654に示された里数割りが、倭人伝・陳寿の骨格。あれをいじくるのは迷宮への道

660:日本@名無史さん
18/09/21 10:18:37.68 .net
>>654
>二千里が 南水行30日と陸行1月、であると 言いはるだけの間抜けが、
畿内説論者がこんな間抜けなこと言い張ってるのか?
1人2人はいるだろうがそんなの例外中の例外
で、その間抜けなこと言ってるやつってどこにいたの?
このスレ?それとも畿内説スレ?

661:日本@名無史さん
18/09/21 11:13:30.11 .net
>>659
だから、654に示された里数割りとやらが正しいことをまずは証明しなよ

662:日本@名無史さん
18/09/21 11:19:17.65 .net
>>660
帯方郡から女王までは万二千里。 
帯方郡から九州上陸が一万里。
倭人伝の この里程に関する記述を読むとき、
上陸後、残り2千里の比率を ご都合主義で否定しないと成り立たない。
さらに、南は東、それが畿内説だ と言ってんだけどね。
>>2>>9 だけで判るのに 読みたくないんだろ。
畿内説でも、末羅国は九州北岸なんじゃないの?
南東陸路500里(対馬〜壱岐が千里)の伊都は 九州でしょ?
福岡平野北西部周辺 以外には無い。

663:日本@名無史さん
18/09/21 11:50:55.32 .net
>>662
小学生レベルの話に付き合うのも時間の無駄だが、そういうパズルをやるなら前提となる数字が正しいことが必須条件だろ
これにきちんと答えて、正しいとわかれば九州説を認めてあげるよ
帯方郡はどこ? 狗邪韓国はどこ? 帯方郡から狗邪韓国までは何キロ? 魏晋里435mに対して誤差はどのくらい?
狗邪韓国はどこ? 對馬国はどこ? 狗邪韓国から對馬国までは何キロ? 魏晋里435mに対して誤差はどのくらい?
對馬国はどこ? 一大国はどこ? 對馬国から一大国までは何キロ? 魏晋里435mに対して誤差はどのくらい?
一大国はどこ? 末廬国はどこ? 一大国から末廬国までは何キロ? 魏晋里435mに対して誤差はどのくらい?
末廬国はどこ? 伊都国はどこ? 末廬国から伊都国までは何キロ? 魏晋里435mに対して誤差はどのくらい?
伊都国はどこ? 奴国はどこ? 伊都国から奴国までは何キロ? 魏晋里435mに対して誤差はどのくらい?
邪馬台国への行程として書かれているのは、水行十日陸行一月だけ
陳寿は万二千里と一万里の引き算なんてしてないが、倭人伝に書かれてないことが正しいという根拠は?

664:日本@名無史さん
18/09/21 11:54:42.97 .net
九州説だが筑後の山門は邪馬台国とは無関係だろう。
あれは「八女の戸」。あのあたりに狭い水道があってそこを八女戸と呼んだ。
おそらく筑後の諸国を束ねていた女王の国、邪馬国だよ。邪馬台国ではない。

665:日本@名無史さん
18/09/21 12:25:23.24 .net
>>657
分からん人だな、同じところを何回も巡ることが周旋なんだよ
何周しても関係ないが最低一周はしている。

666:日本@名無史さん
18/09/21 12:32:50.48 .net
帯方郡の海岸から女王国の中心地である伊都国と奴国の国境までのを
距離(7000里+1000里+400里+400里+1000里+300里+300里+1000里+500里+100里)と
所要時間(20日+10日+1日)と
総距離(12,000里)とで3重に併記している。
郡治-狗邪韓国-対馬国-一支国-末盧国-伊都国-奴国(距離での説明)  七千里 + 千里 +(四百里×2)+ 千里 +(三百里×2)+ 千里 + 五百里 + 百里)
= 帯方郡-投馬国-邪馬壹国(日数での説明)  水行二十日 + 水行十日 + 陸行一月(陸行一日)
= 自郡-自女王國(総距離での説明)  萬二千餘里


667:日本@名無史さん
18/09/21 13:18:52.95 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

668:日本@名無史さん
18/09/21 13:23:54.34 .net
>>661
あの里数割りは証明事項ではない。
そもそも、あの里数割りという前提があってこその倭人伝なのだ。

669:日本@名無史さん
18/09/21 13:40:07.20 .net
>>668
ギブアップってことだね
行程パズルでは場所を特定できないということだよ
当たり前のこと

670:日本@名無史さん
18/09/21 14:10:49.26 .net
里数抜きで妄想するなら、沖縄にだってブラジルにだってできる。
それは学問ではない。

671:日本@名無史さん
18/09/21 14:20:22.13 .net
>>666
郡治-狗邪韓国=七千里=水行二十日
狗邪韓国-対馬国-一支国-末盧国=千里 +(四百里×2)+ 千里 +(三百里×2)+ 千里) = 水行十日
末盧国-伊都国-奴国=五百里 + 百里=陸行一月(陸行一日)
1日当たりの移動距離は
郡治-狗邪韓国・・・7000里/20日=350里/日
狗邪韓国-末盧国・・・440里/10日=440里/日
末盧国-奴国・・・600里/1日=600里/日
1里=80mとして
350里=28km
440里=35km
600里=48km

672:日本@名無史さん
18/09/21 14:26:54.01 .net
>>669
なんか変な日本語を使うな
「証明」という語の意味が、倭人伝の夫々の国が現在のどこに比定されるか、ということであるなら、
それは、すでに解決しているけどな。
倭人伝の里数割りは、古代にしては極めて優れたものだったよ。解決ズミ!

673:日本@名無史さん
18/09/21 14:52:06.03 .net
>>672
どこに比定されてる?
IDが出ないのでどのレス番のことを指してるかわからんのだが

674:日本@名無史さん
18/09/21 15:20:23.57 .net
>>673
それぞれ、倭人伝に記載された方角と里数の場所に正しく比定されている。
ま、倭人伝を捻じ曲げたがる輩には、とうてい読めぬな。

675:日本@名無史さん
18/09/21 15:26:29.80 .net
>>673
こっちが要求してるのは>>663に答えることだけなんだが、結局言い張るだけか
九州説のいつものパターン


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