♪邪馬台国ドンと来い!♪140 at HISTORY
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300:日本@名無史さん
18/08/29 14:21:16.68 .net
會稽から万二千里が、帯方郡から女王國の
万二千里などは、中国でも
最近、散見される意見だわな。
海外の視点からも、考察は、
ふえてきているよな。

301:日本@名無史さん
18/08/29 14:55:46.00 .net
こと当在の当は、まさにとかやなく、
古代の当の意味でみないと。
当は、相当する。イコール。のいみやから。
あとの並列した都市間が、意味をなしてくる。

302:日本@名無史さん
18/08/29 15:32:56.70 .net
>>298
刺青の下り >>4
計其道里當在會稽東治之東
まで、
は、はっきり言って、陳寿の文章壊れてます。
出展には、倭人の奏上 太伯の後 が有ったものを
魏はその呉との決戦を控えてるのに、この倭人と同盟するのか?
という思惑で、削除しています。 
この、修正は陳寿がしたか?も判りませんが、文章はおかしい。
倭の刺青の理由が、太伯の会稽に起因するとして、
会稽と倭は洛陽と会稽ほども離れている、と言う原文が予想できますが、
前段の 自郡至女王國 萬二千餘里 を受けて、刺青の理由は太伯の会稽だとしても
会稽から倭は、洛陽から会稽の一万2千里を東にするほどはなれてる、もあると思います。
この文、普通に修正ができませんので、
以前は、倭人の刺青の道理は、会稽に由来する、として ぶん投げました。
これ、古代漢語の 東 が 起源始まり を意味するというゴリ押しが有ります。
いま思いついたw 洛陽=東京=東治 って出例文無いかな?

303:日本@名無史さん
18/08/29 16:20:33.37 .net
>>296
アタシには中国語はさっぱり読めませんので
レスが気になったら、日本語に訳すと漢字が出るので
そっから、出展の漢文を想定してます が、なんか違います。
ググると、中国語ページで余計パニくるw
中文から漢文訳のソフトは有料であるようですが そこまでは・・・
良い方法を知ってる方、教えてください m(,_,)m

304:日本@名無史さん
18/08/29 17:21:03.66 .net
会稽は、
中国では、会計と同じと言ってる。
しかし、会には、
hui.gui.kuaiの3つの発音があり、
どの発音かまで、調べている。
huiでおちついているから、会合などの
意味の会計だろうと判断している。
kuaiにて、読むと日本の会計から来た意味に
なる。

305:日本@名無史さん
18/08/29 17:22:55.62 .net
>>303
>良い方法を知ってる方、教えてください m(,_,)m
よい方法 つ「教科書を読んで勉強する」
それだけで大丈夫だよ
その気で勉強しさえすればいい
「精読百遍意自ずから通ず」

306:日本@名無史さん
18/08/29 17:31:38.14 .net
会稽(会合の中心場所的な意味)は、
今も昔も、
中国の一大シルク集積地だ。
魏志倭人伝の中に、養蚕があるが、
日本をもシルクロードのはじまりと
すれば、ここに来ていただろう。
その時に、曹家と倭人が
出会っていたんだろう。
だからこそ、同盟すべきかとか、
倭国が、
呉側についていくのかなどを、
魏としては、さらに考えたんだろう。
中国では、洛陽に都を置く、王朝を
正統な黄河文明として、格上げしているから、
漢なきあとは、魏になるわな。

307:日本@名無史さん
18/08/29 17:33:56.00 .net
ふーん、会稽は絹の生産地なのか。
そう言えば卑弥呼も自国の錦を献上していたっけ。
その辺りからの文化の流入は間違い無いんだな。

308:日本@名無史さん
18/08/29 18:16:02.64 .net
>>306
よく考えたら、日本語で書いてるのに
漢文だけ中国語になってるっておかしいかもね?
中国人ってのは、経典とかも中文になるとそのまま意味わかるのかな?
鳩摩羅什や空海で学んでしまった門前の小僧のアタシには多分無理です。
ここじゃ、陳寿だけどw

309:日本@名無史さん
18/08/29 18:40:39.64 .net
>>4 倭人の刺青のくだり無しで
自郡至女王國 萬二千餘里
の後
計其道里 當在 會稽東治 之東
だと
満二千里の概念の説明だよね。
まあ、刺青のくだりに 道里も方角も必要ない のは明らかだし
ここにこの 會稽から? 東治まで? の道里の説明文があることが変なんだけど、
説明が必要ってことは、この時に、里程概念 が
一様ではない ってことで、良いんじゃね?
写本 1100年位だっけ? に、キナイコシ? 
が、九州説に 判りにくいように 改竄した、に、一票。
やるじゃんwww キナイコシかっけぇ〜!

310:日本@名無史さん
18/08/29 18:43:03.97 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と単粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は単粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

311:日本@名無史さん
18/08/29 18:55:34.68 .net
石包丁は無視ですか。

312:日本@名無史さん
18/08/29 19:05:10.74 .net
石包丁は耕作用農具ではありません。
収穫用農具です。
よろしいか。
馬鹿の人。

313:日本@名無史さん
18/08/29 19:07:31.23 .net
>>309
万二千里の概念を
倭人の紋身のなかの文書に、
いれたのは、
陳寿さんは、
女王國が帯方郡にいくまでの万二千里も、
直接、鳥船で、今まで、會稽に来ていた倭人も
同じ万二千里だよと。説明しとるのかもね。
そこの鳥船は、想像だが、敢えて、
その文章の中に、ねじこんだ意味は、
以前からそこに、来ていたことを
意味し、今、新しく帯方郡というルートが、
出来上がった意味もこめてるんやないかな。

314:日本@名無史さん
18/08/29 19:27:55.92 .net
>>310
寧波にある河姆渡遺跡ではないよね?
うるち40%長粒種60%だか、
紀元前5000年だからね。

315:日本@名無史さん
18/08/29 19:35:02.02 .net
>>310
同時期の中国の水稲遺跡を
教えて欲しい。
南に行くほど、長粒種には
なるかとおもうが。

316:日本@名無史さん
18/08/29 19:53:33.05 .net
古い遺跡だと、現在長粒種を作っている地域でも、短粒種だったりするよ
確認してみて

317:日本@名無史さん
18/08/29 21:29:07.74 .net
>>316
具体的な遺跡名わかりますか?
中国の水稲遺跡。
調べてみます。

318:日本@名無史さん
18/08/29 21:52:08.12 .net
>>312さん
貴方の論は正論です
しかし
「馬鹿の人」は止めましょうよ

319:日本@名無史さん
18/08/29 21:54:53.79 .net
268日本@名無史さん2018/08/29(水) 07:38:51.50
桜井市はくだらん事してるな
公益法人桜井市文化財協会
桜井市埋蔵文化センター
桜井市纏向学研究センター
税金が投入されていることを忘れないで欲しい

320:日本@名無史さん
18/08/29 22:28:42.17 .net
外基地の生保にも税金が投入されていることを忘れないで欲しい

321:日本@名無史さん
18/08/29 23:58:51.65 .net
気になる材料を羅列してみると、

渡来系弥生人骨は朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、ギリヤークなどの沿海州の
北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。

複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

322:日本@名無史さん
18/08/30 06:50:21.27 .net
>>313
船の話のレス番わかんないけど
黄海渡るのは山東から遼東
でもなきゃ帆船では?
九州西岸ルートは済州島経由あるけど
倭の五王

323:日本@名無史さん
18/08/30 07:00:15.72 .net
>>322
倭の五王時代でも帆船では?
縄文船とか日本海でも北回りと思うな。
薩摩が奄美に渡れりゃ何でもありか?

324:日本@名無史さん
18/08/30 07:08:56.96 .net
274日本@名無史さん2018/08/29(水) 07:50:58.75>>275
纏向遺跡は
「邪馬台国と絡めないと銭にならない」という事だよ
「邪馬台国・卑弥呼」の名前を出さなければ、単なる遺跡だから

まったくその通り 纏向は単なる遺跡

325:日本@名無史さん
18/08/30 07:09:17.15 .net
纏向で特筆すべきは
バジル ベニバナ花粉が出たこと
考古学でなく植物の歴史を深堀すべき
他は特筆すべき遺物は無い

326:日本@名無史さん
18/08/30 07:39:44.42 .net
>>325
>他は特筆すべき遺物は無い

特筆すべき遺物は倭国(阿波)の遺跡だけ。  @阿波
「加茂宮ノ前遺跡」bQ
徳島県阿南市加茂町大西、宮ノ前にある加茂宮ノ前遺跡は那賀川の右岸、標高約24〜26mの自然堤防に立地している。
発掘調査では、弥生〜古墳時代と鎌倉〜室町時代の集落跡を確認。弥生時代中期後半〜古墳時代前期初頭(紀元1〜3世紀ごろ)の竪穴住居跡20棟余りと、土坑、溝、柱穴を発見した。弥生〜古墳時代の県内最大規模の集落とみられる。
住居跡や周辺の遺構からは、水銀朱の精製に関わる磨石(すりいし)や石杵、石臼などの石器500点余りと、祭祀に関わる水銀朱の原料となる辰砂約90点が見つかり、注目される。
住宅跡からは、サヌカイト製の石器とその残りかす、糸を紡ぐために使う土製紡錘車、鉄器、ガラス小玉が出土。鍛冶炉(製鉄の炉)を備えていた。
一つの住居で辰砂の精製と鉄の加工、紡織、石器づくりをしていることから、さまざまな物を同時に作る工房としての性格があることが分かった。
加茂宮ノ前遺跡の南西約5qには、弥生〜古墳時代の辰砂採掘遺跡である若杉山遺跡がある。那賀川の対岸には縄文〜鎌倉、室町時代の深瀬遺跡がある。若杉山、深瀬の両遺跡は時代が共通する上、辰砂が見られる点から、加茂宮ノ前遺跡との関連が注目される。
加茂宮ノ前遺跡では、水銀朱を作っていたほか、石器、鉄器の製作加工や紡織をするなど「生産のムラ」として大規模に展開していたといえる。(県埋蔵文化財センター専門研究員 田川憲)  @阿波


327:日本@名無史さん
18/08/30 08:41:16.39 .net
>>362
>石器、鉄器の製作加工や紡織をするなど「生産のムラ」として,,,

昔も今も、よく働いてるあわ、おっかれさん!

328:日本@名無史さん
18/08/30 09:05:44.75 .net
>>325
染料として持ち込むには奈良じゃ絹や服飾には早そうだから生薬かな?
考古学であれば、300年直前辺りまでとして
247年には魏との外交は終わっていると考えるべきなんで
南韓とするにも、奈良同様でまだそんなに文明化してない訳だから
交易ベースとしての済州島とかのルートを追うべきだと思うね。
3百年以降だと、楽浪帯方の漢人は土着化しちゃうから
日本にも官僚クラスが渡来して有力氏族の軍師化してる可能性はあるね。
3百年以降まで下っちゃってる畿内遺跡って、247年までの邪馬台国より
楽浪帯方の渡来人の存在をもっと考慮した方が良くないのかね?

329:日本@名無史さん
18/08/30 09:45:37.29 .net
狗奴国(熊本緑川以南の御船町等等)の「狗」は、渡来の新羅種族を示す
伊蘇志(糸島市)の「蘇」は、渡来の高麗種族を示す
邪馬台国(熊本山鹿市臺)の「邪」は、渡来の百済種族を示す

330:日本@名無史さん
18/08/30 09:58:13.21 .net
>>328
>染料として持ち込むには奈良じゃ絹や服飾には早そうだから生薬かな?
それがな、桜井茶臼山古墳から大量に出た銅鏡破片に、絹の断片がついているものがあって、
それが、倭文と見られるとされている
染物の現物が出てるよ
九州説の人は、古墳からの遺物は認めないって言い張るんだけどねw

331:日本@名無史さん
18/08/30 10:00:53.62 .net
>>329
漢字一字に多くを求めるのはたぶん無意味
表音文字として使われているものはなおさら

332:日本@名無史さん
18/08/30 10:02:58.05 .net
300年以降の渡来人と弥生文化形成期の渡来人?
とは 全然性格が違うでしょ。
和邇義士や五経博士や百済皇太子が日本人の民族形成に影響したら
日本人はみんな天皇の子ってのも信じるわw
豊葦原中国 創っておいて 三韓征伐行くとか
日本人の発想と違うんじゃないの? 
旧楽浪官僚の入れ知恵に 一票w
馬と一緒に連れてきた高句麗牧童は
戸籍管理されて武蔵高麗に移住させられてるよ。
400年とかの初期には、積み石墓の有力者になったのもいるけど。

333:日本@名無史さん
18/08/30 10:39:30.33 .net
>>330
邪馬台国と魏の外交は247年で終ってる説 なんだけど
313年以降になると、楽浪漢人の渡来が影響するから
邪馬台国交易が有った、247年以前の古墳の話にしてね、って言ってんだよ。
畿内説なら、倭人伝が247年で終ってる理由は存在しえなくないか?
その遺物が、畿内勢力による、250年〜350年の九州征伐での略奪ではなく
邪馬台国が魏と交易してた事実が、確認可能な
250年以前に、中国交易で入手したものと言う立証は、欲しいね。
本州の銅鐸原料は来てんだから、中国王朝由来の何かは出てんでしょ?
金印とまでは言わんけど。 中國から略奪って、倭人は北方馬賊かい?
馬ないのにw・・・
九州説が古墳の遺物は認めないってのも、良く知らないけど
古墳は認めないって、邪馬台国が250年以前迄だし、そういうことなのかな?

334:日本@名無史さん
18/08/30 10:58:09.60 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と単粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は単粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

335:日本@名無史さん
18/08/30 11:14:11.65 .net
>>331
現代日本人はひどくぬるいが
漢字の根源は表意文字、
一字一字に深い意味が込められている。陳寿の場合は、ことさらに。

336:日本@名無史さん
18/08/30 11:17:58.84 .net
古代支那系炊飯器で炊いた米が倭人の口に合ったとは考えられない
なぜなら現代支那人が日本の炊飯器を大量買いしたことは記憶に新しい
しかも古代支那系炊飯器は犬もまるごと調理できるし
倭人には合わない代物だった

337:日本@名無史さん
18/08/30 11:54:30.40 .net
>>321
朝鮮南部は倭国領の一部じゃないか
朝鮮土器なんぞないよ

338:日本@名無史さん
18/08/30 12:01:08.26 .net
>>336
古代日本で弥生土器と一緒に水田耕作が広まった
っていうのも、弥生渡来人っていう意味不明の人種拡散説のこじつけで
日本人の白米信仰に便乗した眉唾ものって気がするけどね。
土人時代に人が海超えて移動する理由がわかんない。
縄文人なんぞ、何万年だろうが 
精米して米炊くより、粟稗木の実でウサギやタヌキくってりゃ
奴隷労働しなくても良いんじゃないかな?
米を税にして通貨的価値を持つのって、
封建社会? 武家の発生以降じゃないの?
資本の独占と暴力の政治で弥生化、原始共産制は崩壊したんじゃないのかな?
許せんな、始皇帝www 
日本に逃げるか? って、なるかよ?
脱北者で、日本人のDNAが変わるみたいな話
きゅうりの葉っぱが、どうたら・・・妖怪w↓

339:日本@名無史さん
18/08/30 12:19:08.85 .net
>>338
>土人時代に人が海超えて移動する理由がわかんない。
未知の土地に何があるか知りたがるのがサピエンスの本能じゃないかね?
当然、縄文人や弥生人も海を越えて留学していたと考えられるよ

340:日本@名無史さん
18/08/30 12:29:43.30 .net
現代文明と接触をしながら
敢えて土人生活する種族もいる

341:日本@名無史さん
18/08/30 13:03:45.29 .net
>>338
「稲作を持った弥生人が朝鮮半島から渡来した」「朝鮮半島から弥生人が渡来して稲作をもたらした」
ってヤツだろ?
これらは60年前に考古学者ではなく、人類学者の金関丈夫の判断で下された考古学黎明期のミステイクなんだよ。
最古水田の人々は朝鮮土器を一切作らない人々なんだから、朝鮮半島から渡来した訳がないんだわ。
でも、稲作自体は朝鮮南部と一致するんで、稲作だけ朝鮮南部からパクってきただけの話なんだわ。
一方、縄文人骨とはさっぱり形質の異なる北方モンゴロイド形質の渡来系弥生人骨が
山陰から九州北部にかけて数千体出土してるのもまた事実なんだが、
彼らが朝鮮土器をメインで作っている痕跡遺構が全くないんだわ。
彼らが朝鮮半島から渡来したとは考えられんの。
弥生土器をたどっていくと、最初は九州北部ではなく、山陰あたりにたどり着く。
この最初の弥生土器と文様が一致する土器文化が同期する沿海州南西部にある。
そこから渡来してきたと考えるのが一番自然なんだわ。
そこから渡来してきて、朝鮮南部から稲作をパクった。
ただそれだけの話。 

342:日本@名無史さん
18/08/30 13:13:16.00 .net
筑紫より出雲の方が古い勢力なわけか。
記紀そのままだな。
出雲に王権を譲らせて成立したのが筑紫の倭国だな。

343:日本@名無史さん
18/08/30 13:16:43.24 .net
>>339
海外で遺伝子変化を伴う集団的な移民が発生する という観点だと
教育が有ってアメリカ大陸開拓時代程度の情報化社会の存在が必要な気がする。
文字が無いことは判ってるわけで、何か特殊な共有幻想が有ったのかな?
~ ⌒。チャポン!! 徐福禁止↓
で、
韓伝で、帯方郡が滅ぼした 韓王朝が箕氏の王朝という、
先住民の存在を感じない、古代韓半島では南北から これ が起こってた様子。 
ではあるが、現代への継続は無いらしい?
のに、弥生人、半島由来説はあった。 そうか、全員で来たのかwww 
行って来い?
;`O´)o/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄〜で、(:D)┼─┤


344:日本@名無史さん
18/08/30 13:25:58.56 .net
>>342
だから、山門から山に登り、高千穂。太平洋側へ下ると神武さんお舟での場所。
日向に伊勢神宮より早い
大御神社(日向のお伊勢さん。文化庁からの
依頼で屋根裏みて、新事実発覚)
山門側は、舟に、馬を乗せてきた
壁画がある。馬を載せるのは、
それだけ舟も軍船並がきたんだろ。鳥船か
福船かな。
山鹿、玉名、うきは、日田など、阿蘇を
囲む連山だな。邪馬台を当て字にしたのかは、
わからないが、馬は、阿蘇近辺に、
いたんだろう。
ちなみに、日向国は、奈良時代には、
馬ならヒムカの駒といわれていた。

345:日本@名無史さん
18/08/30 13:27:39.01 .net
日向の国は景行天皇の命名なので、天孫降臨や伊邪那岐の禊の筑紫の日向は福岡県の方ですよ。

346:日本@名無史さん
18/08/30 13:30:08.19 .net
そんな事よりも神殺しというのは有名な話なの?

347:日本@名無史さん
18/08/30 13:49:28.38 .net
気になる材料を羅列してみると、

渡来系弥生人骨は朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、ギリヤークなどの沿海州の
北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。

複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

348:日本@名無史さん
18/08/30 16:11:08.78 .net
糸島は夕日に向いてる土地だろ

349:日本@名無史さん
18/08/30 16:13:30.11 .net
>>327
>昔も今も、よく働いてるあわ、おっかれさん!

仕事、世話しようか?  @阿波


350:日本@名無史さん
18/08/30 16:18:24.54 .net
>>348
日の出の方に高祖宮があります。

351:日本@名無史さん
18/08/30 16:20:02.61 .net
>>348
>糸島は夕日に向いてる土地だろ
よく、九州説の人が「日向峠がー」と言っているけれど、
日向川は早良平野側の室見川の支流だし、日向という地名は東側の
福岡平野側で使われていた地名のようだね
その意味で、伊都国と日向の縁はそれほどないとも言える

352:日本@名無史さん
18/08/30 16:25:51.83 .net
>>351
>その意味で、伊都国と日向の縁はそれほどないとも言える

「それほどない」どころか、まったく話題に挙げる価値もない。  @阿波


353:日本@名無史さん
18/08/30 16:37:53.64 .net
>>352
阿波さんは、天孫族ですか?
阿は、くまと呼ぶし、くまは、
かみのいみもかくれてるしね。

354:日本@名無史さん
18/08/30 16:49:16.65 .net
>>353
>阿波さんは、天孫族ですか?

「天孫族」 なにそれ? 忌部一族のこと?  何が言いたいのか意味不明。  @阿波


355:日本@名無史さん
18/08/30 16:51:55.03 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と単粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は単粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

356:日本@名無史さん
18/08/30 17:04:12.51 .net
朝鮮半島の稲作が箕氏朝鮮(BC11〜)によって伝わった
と言うのは、一応、史記、書には、伝説記録はある。
菜畑にBC900伝来 なら、もう少し前でも良いけど、箕氏年はだいたいだから桶。
箕氏国家は遼東だが、半島自体は国家的に未開なので
自衛の環濠集落形成で開拓者の農業集落は営まれる。
保存食量の収穫は私有財産の形成を意味するので
家族型、竪穴住居などの集落を形成したと思われる。
これが、温暖適地に南下してきて日本開拓に渡来伝搬するか? と言うと
未開地域に陸路で伝搬したものが、軍国以前に漁業船以上のものを作る理由は無いので
結局は、行き来のあった、米を見た縄文海人によって写し取られたと考える。
菜畑はこれでしょ。 でも、なんで、これ以前に弥生渡来人が必要なの?
その後、米の筑紫平野部拡散で、開墾地や水利、収穫食物の周辺からの防衛が必要となれば
半島同様、環濠集落の形成が必要になるし、領主国家も拡大するはず。
菜畑からこの間 縄文人巻き込んで? 4〜5百年あるとして、なんで渡来人必要なの?
日々の、いただきますに、古代縄文の共産制祭祀が不要になれば
土器は、農業社会向きの弥生式に変わるのは判るんだけど、
遠賀川式広まったとして、でも、なんで日本に渡来人必要なの?
DNA解析で、必要なくても来ちゃうから渡来人、
でも、百済新羅傀儡にした高句麗戦争で強制連行でも、良いんだけど、
南北からの、渡来人植民地として生まれた、古代韓半島国家に配慮したのかな? 
日本の学者って 優しいんだねw 
大日本帝国が古代韓目指して独立させた、
大韓帝国の 現韓国と違うし、要らんけど。
妖怪 釣れた気がしたけど・・・
もう一回?? ;`O´)o/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄〜で、(:D)┼


357:日本@名無史さん
18/08/30 17:39:20.67 .net
朝鮮半島に稲作が伝わったのはBC20C頃。
漢江下流域あたりからBC20C頃の稲籾が何カ所も
出土している。

358:日本@名無史さん
18/08/30 18:35:12.57 .net
そうだね。 日本の稲も5〜6千年前だし・・・ まけるなよ!

359:日本@名無史さん
18/08/30 18:46:47.12 .net
>>358

で、その5〜6千年前のイネの証拠現物(稲籾、籾殻、炭化米)は?

.

360:日本@名無史さん
18/08/30 19:04:48.00 .net
纏向遺跡の復元は「桜井市埋蔵文化財センター」主導でやるべきだが
「桜井市纏向学研究センター」がシャシャリ出る
「桜井市纏向学研究センター」は近い将来閉鎖だろう・・きれいに整理する理屈付けはいくらでもできる

361:日本@名無史さん
18/08/30 19:44:15.45 .net
>>359
こっちかよ? 合わせただけ のマヌケのたわごとだよwww
何これ?イラネ!(((; ̄Θ ̄)__% ̄ ̄~~~~~~〜('A`)#))彡


362:日本@名無史さん
18/08/30 19:49:59.83 .net
キウス

363:日本@名無史さん
18/08/30 20:42:17.58 .net
弥生人という新しい渡来人がやってきたのは、人類学的にほぼ確かなんだと思うけどね。
弥生人抜きでも稲作伝来は説明できるかもしれないが、稲作とほぼ同時に弥生人がやって来ていたら、彼らが持ち込んだと思うのが普通だろ?

364:日本@名無史さん
18/08/30 21:52:32.31 .net
>>363
金関丈夫が引っかかたくらいだからね。
縄文人骨と渡来系弥生人骨的は鼻骨の高さが違いすぎるのよ。

365:日本@名無史さん
18/08/30 22:01:53.85 .net
それに縄文人骨と弥生人骨では眼窩の形も歯の形質も違いすぎるのよ。
四角形と円形、スンダドントとシノドントだぜ。
とても食生活の変化だけで縄文人骨が弥生人骨に進化したとは思えない。
おまけに中国土器はもちろん、朝鮮土器もほとんど作らない。
彼らはどこから来たのか?

366:日本@名無史さん
18/08/30 22:52:19.02 .net
インド

367:日本@名無史さん
18/08/30 23:28:55.80 .net
現代人の骨はどっちに近いの?

368:日本@名無史さん
18/08/30 23:46:01.90 .net
和泉を出立した神功皇后は三韓征伐の後、忍熊皇子とかヤマト政権の中枢を倒すからな
初期のヤマト政権は半島を味方にして、畿内を征伐したのかな?
刀が流れてきたと謂れの残る布留
フルって大和言葉では意味が分からないが、朝鮮語では流れるという意味になる
鎮魂歌のアチメも朝鮮語で朝日を意味する
山陰と朝鮮半島、東海はどういう関係にあったんだろうか?

369:日本@名無史さん
18/08/31 00:29:06.51 .net
>>367
両方。弥生の方が多い

370:日本@名無史さん
18/08/31 11:04:39.97 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と単粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は単粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

371:日本@名無史さん
18/08/31 15:29:41.84 .net
どんこいはまったりしてていいな

372:日本@名無史さん
18/08/31 16:57:34.21 .net
どこもネタ切れ

373:日本@名無史さん
18/08/31 18:30:14.34 .net
>>372
>どこもネタ切れ
まあ、本来的に既に決着しているからなぁ
九州説(特に伊都国説)の主張も、全部きっちり根拠つきで否定されちゃったし

374:日本@名無史さん
18/08/31 19:48:50.36 .net
>>373
魏による 私譯2回 での
從郡至倭 の 説明内容
帯方郡から 韓西岸 歴韓国 が 4千里 
半島南岸 を 東へ 3千里で 狗邪韓國
対馬へ渡海千里 壱岐へ千里 九州北岸へ千里 
で、合計一万里で、九州上陸
東南 陸行 五百里 到伊都國
郡使 往來 常所駐 だが、伊都には、検閲の港がある。
自郡至女王國 萬二千餘里
であるが、この行程は 万500里である。
不彌國 と 奴国 は プラス 各百里
>>2 247年 張政の旅はこれで終わる。 用件が済んだからである。
卑弥呼の王宮には行っていないし、今 使譯 所通三十國 も 意味不明。
>>3 238年 梯儁 の行程
南至 投馬國 水行二十日 
南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月
梯儁 は 皇帝の命で 女王の王宮に金印紫綬を届けている。
女王所属国は列記する21国で、7万戸 
この九州の小国には、には漢名が無いので、梯儁は邪馬壹國 と命名した。
自郡至女王國 萬二千餘里 である。
算数 4000+3000+1000×3+(九州上陸から女王宮)=12000
これが倭人伝 行程部分。 
♪ドン来いスレ、テンプレで、まったり、解決済みである。

375:日本@名無史さん
18/09/01 20:15:42.02 .net
気になる材料を羅列してみると、

渡来系弥生人骨は朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、ギリヤークなどの沿海州の
北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。

複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

376:日本@名無史さん
18/09/01 20:23:38.78 .net
>>372
>どこもネタ切れ
まあ、本来的に既に決着しているからなぁ
九州説(特に伊都国説)の主張が、全部きっちり根拠つきで証明されちゃったし

377:日本@名無史さん
18/09/01 22:41:37.60 .net
間違ってるのが証明された、の間違いだな

378:日本@名無史さん
18/09/02 07:24:19.90 .net
>>376
ザラコクもよくやってるけど、オリジナリティのないウソ塗れのオウム返しって
九州説の性癖なの?
やってて楽しい?
惨めにならないのかね?

379:日本@名無史さん
18/09/02 07:36:56.95 .net
畿内説が訳の分からんブーメランを打ち続けているからだよ。

380:日本@名無史さん
18/09/02 11:41:45.53 .net
伊都クズが方々でのトンデモ発言の間違いを認めることができなくて荒らすしかなくなってるんだよ

381:日本@名無史さん
18/09/02 15:03:46.44 .net
>>379
>畿内説が訳の分からんブーメラン
九州説のいうことはいつも具体性がない、雰囲気だけの印象操作
「訳の分からんブーメラン」だと思うなら、おかしいところを具体的に指摘して
論破すればいいだろうが!
畿内説はいつも九州説の詭弁や矛盾を、いちいち具体的に否定してるぞ!ww

382:日本@名無史さん
18/09/05 09:49:37.33 .net
↑畿内説 対 九州説 の構図ってのは
絶望的に、むなしいな。
それ嫌って、九州説と畿内説の板、分けようとしてんじゃないのか?
♪ドン来いスレだから 良いけど、全然、ドン と 来ないwww 
やってて楽しい?
惨めにならないのかね?

383:日本@名無史さん
18/09/05 11:18:12.76 .net
>>382
>↑畿内説 対 九州説 の構図ってのは
>絶望的に、むなしいな。
いんや? べつに畿内説 対 九州説 の構図って訳じゃないよ
古い話だがコリアンジェノサイダーNAYUKIって知ってるかい?
あれと同じだよ
URLリンク(www.getemono.com)

384:日本@名無史さん
18/09/05 13:52:28.85 .net
>>383
良くわからないが、単刀直入に歴史としては
畿内説も九州説も 結局のところ 247年以降も
邪馬台国が日本の王朝であったことを前提に
これを証明したいわけだけど
250年〜300年以降の日本の朝鮮半島進出が、
邪馬台国であるとするのは 韓伝によって、
魏は 246年韓王朝を滅ぼし、以降王朝は無くし
臣智等の任命による 統治下に置いているわけだから、
倭王遣使大夫 伊聲耆掖邪拘 率善中郎將印綬
倭女王遣大夫 都市牛利 率善校尉 銀印綬
倭女王遣大夫 難升米 率善中郎將 銀印綬
の居る、邪馬台国による征伐や平定であるとするのは
難しくなるのではないかな?
313年、晋は漢四郡撤退。これは高句麗の台頭によるものとされるが
350年に建国する百済、新羅に対する 日本の後援 が有ったことは
朝貢、皇太子を人質にとったり、広開土王碑等で明らかなのではないか。
『大日本帝国』 はこの 『古代韓』 諸国の建国 にちなんで
『大韓帝国』 という 友邦、王朝国家の独立 を支援したのである。
邪馬台国 畿内説対九州説 論争は、ただの妖怪↓ のような存在では?

385:日本@名無史さん
18/09/05 14:32:25.31 .net
>>384
>畿内説も九州説も 結局のところ 247年以降も
>邪馬台国が日本の王朝であったことを前提に
>これを証明したいわけだけど
ちと不明なので、補ってみたいのだが
(畿内説においては、畿内邪馬台国が万世一系の日本の王朝であり、)
(九州説においては、九州邪馬台国が万世一系の日本の王朝であった)ことを前提に、(それぞれこれを(邪馬台国の所在地を)証明したいわけだけど)
・・・これででいいのかな
とすれば、それ以外の第三の邪馬台国の所在もありうるのではないか、
つまり、魏の時代には、邪馬台国は九州に在って金印・銀印を拝したが、
およそ300年頃〜には、畿内へ移って素知らぬ顔。
残された倭国旧勢力(倭奴国)が、畿内との対抗上、半島との交流を深めた。
(いうなれば、万世二系、或は万世二枚舌系であった、という考え方もあるのではと思う)

386:日本@名無史さん
18/09/05 16:27:03.65 .net
それは違うな。
九州説の一部は、大陸半島と紀元前から長らく交流しいた倭国は九州のことで、大和にいたのはその分家という立場を取っている。
これは万世一系とは相入れない。

387:日本@名無史さん
18/09/05 16:47:56.41 .net
>>385
九州東遷説と言うのが、邪馬台国論争を飯の種にしてしまった学者の
大倭王卑弥呼様細胞は有りますw 的で、せめてもの良心のようにも思えるけれど、
これは、畿内説でも九州説でも 考古学の側で、地理、時系列的不可能性があって
一番マヌケな、芋を引くことに、既になっている、のではないかな?
この手の間違いが許容される理由としては、記紀信仰によって
200年代の九州が既に統一された朝廷系王朝の中にある、と言う前提だけど
東夷伝 倭人伝を読めば、九州平定以前(または当時)の話だし、陳寿によって
帯方郡が倭王とした卑弥呼は、帯方郡から一万二千里の九州島の北部2千里の領土で
7万戸 21国が共立した 周旋五千里ほどの小国 の王でした。
大倭王ではありません。 三国志では、これと魏の同盟は糞の役にも立ってません。
247年で、相手にするのも辞めました。 って、書かれてます。
ま、魏や晋にとって、韓や高句麗は絶域で
背後の倭には、2回の使譯をやっとのことで送って 九州島探検報告があるだけ。
であって、日本はこれによって、
400年、外交デビューまでの富国強兵の時間稼ぎができたんだけどね^^v

388:日本@名無史さん
18/09/05 16:55:29.57 .net
>>387
>周旋五千里ほどの小国 の王でした。
九州説の短里脳だなw
魏晋里以外の里程はないよ
周旋五千里は、決して小国ではない
これも何度も書いていることだけれど、
周旋は一周したりもとの所に戻ったりしない
全長2000キロの国土を持つ大国だよ
幅は知らないけどw

389:日本@名無史さん
18/09/05 16:56:05.65 .net
畿内日本国の視点ではそうだろう。
倭による漢への朝貢ははるか紀元前から続いていたことを忘れてはいけない。
九州北部が詐称したというより、そもそも倭とは九州北部のことなのだ。
記紀との整合性は、鴨厨氏の主張通りに、神武と卑弥呼がほぼ同年代と考えると解決してしまう。
神武は大和に移ってしばらくは在郷勢力の1つに過ぎず、列島どころか畿内さえ代表できなかったわけだし。

390:日本@名無史さん
18/09/05 16:57:06.90 .net
>>388
>魏晋里以外の里程はないよ
>周旋五千里は、決して小国ではない
そんな大きな国があったという証拠はない。

391:日本@名無史さん
18/09/05 17:18:38.05 .net
>>388
倭人伝における里程参照
韓 方可4千里
対馬海峡 千里×3
対馬−壱岐 間は港の特定は不要だろ。
平均でも良いしw
女王國東渡海千餘里 復有國皆倭種
又有侏儒國在其南人長三四尺 去女王四千餘里
又有裸國 黒齒國在其東南船行一年可至
中國では、これらを含む大国が 倭 と認識しているが
九州島北部 2千里にある21国を全部巡っても
せいぜい5千里程度の小国
これが、邪馬台国

392:日本@名無史さん
18/09/05 17:21:23.15 .net
>>389
夢物語はそれぐらいにしとき。  もうそんな夢物語が通用する時代じゃないよ。  @阿波


393:日本@名無史さん
18/09/05 17:32:40.20 .net
倭国は九州、
その九州の邪馬台国の卑弥呼の義理の孫あたりの神武ら一党が、
集団就職みたいなノリで大和へ出稼ぎに行って大成功した。
残された九州倭国も、すったもんだの挙句、やがては大倭(大和)の太宰の率の下に入ることになった。

394:日本@名無史さん
18/09/05 17:34:11.92 .net
>>393
やけを起こしちゃイカンぜよ。  @阿波


395:日本@名無史さん
18/09/05 17:40:26.67 .net
>>391
>中國では、これらを含む大国が 倭 と認識しているが
あー、それはちがうのではないか。
九州の女王30国までは「倭人」で人間扱い、しかしそのあとに書かれているのは「みな倭種」で人間以下。
・女王國東渡海千餘里 復有國「皆倭種」
・又有侏儒國在
・又有裸國 黒齒國

396:日本@名無史さん
18/09/05 17:40:27.24 .net
卑弥呼の大叔父あたりが神武だろう。
三雲の家系と平原の家系が少し違うとキナイコシが騒いでいるからね。
魏志倭人伝からも、前の男王と卑弥呼が直系っぽくないし。

397:日本@名無史さん
18/09/05 17:41:09.19 .net
>>395
つまち本州四国が倭種だよね。

398:日本@名無史さん
18/09/05 18:27:28.26 .net
>>397
はい、そうですね、そうですね。
陳寿さんのストーリーは、たいへんわかりやすいですね。

399:日本@名無史さん
18/09/05 18:39:28.83 .net
気になる材料を羅列してみると、

渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。

複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

400:日本@名無史さん
18/09/05 20:38:47.85 .net
>>389
>神武と卑弥呼がほぼ同年代と考えると解決してしまう。
系図研究の第一人者は、神武は崇神の五世代前くらい、としているよ
つまり、欠史八代の間には何回か兄弟相続(場合によっては従兄弟相続)が
あったことになる
崇神が卑弥呼と同時代というのは、認めてもいいだろう
つまり、神武は卑弥呼の五世代前くらい

401:日本@名無史さん
18/09/05 20:41:26.61 .net
応神天皇元年を390年と考え、そこからの平均在位を計算できる。
​平均在位と言っても短すぎるのも長すぎるのも、
正確な数値が出ないと思われるので、
30代を基準に25代〜35代をランダムに採って見た。
・25代平均  応神天皇390年〜39代弘文天皇没672年  11,28年
・28代平均  応神天皇390年〜42代文武天皇没707年  11,32年
・30代平均  応神天皇390年〜44代元正天皇没724年  11,13年
・33代平均  応神天皇390年〜47代淳仁天皇没764年  11,33年
・35代平均  応神天皇390年〜49代光仁天皇没781年  11,17年
11年弱が平均在位。
さらに古くなると若干在位が短くなると考え、
「11年」で計算してみる。
ただし神功皇后は確実な一代と見なし、15代遡ってみる。
11年×15代=165年。
応神天皇390年ー165年=225年。
神武元年は3世紀前半。
卑弥呼の時代である。


402:日本@名無史さん
18/09/05 20:51:00.96 .net
>>390
>そんな大きな国があったという証拠はない。
証拠がないも何も、魏晋里しか知らない陳寿さんが周旋五千里と書いているんだから、
陳寿さんの認識では、約二千キロの連なりを持つ洲島の国が倭国なんだよ
人口も、奴国と投馬国と邪馬台国だけで、十四万余戸もあるんだから大国だろう
三国志で倭国とともに金印、親魏大月氏王とされた、大月氏国の戸数は
三国志にはないが、後漢書で「戶十萬,口四十萬,勝兵十餘萬人。」と書かれている
それと比べても、戸数十四万余戸以上の倭国は、大国と認識していいだろ

403:日本@名無史さん
18/09/05 20:51:54.53 .net
>>401
そのコピペは却下
取っている区間が独立ではないから、統計としてほぼ意味を持たない


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