♪邪馬台国ドンと来い!♪139 at HISTORY
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850:日本@名無史さん
18/08/22 12:35:43.60 .net
>>823
日本語がわかりにくい。

851:日本@名無史さん
18/08/22 12:37:38.12 .net
熊は部族のトーテムじゃないかな。
鷲、鰐、鯰などもそうだろうな。

852:日本@名無史さん
18/08/22 12:53:53.27 .net
>>835
でも日本はあまりトーテムを重視していない文化のように思うんだが?

853:日本@名無史さん
18/08/22 13:06:53.91 .net
>>819
>倭王の「大王墓がない」ってどういうことなのかな?
結局九州説は、九州王朝が古墳時代にも存続していたというしかないのだが、
九州には大王墓級の古墳が一つもない
そして、倭王武の上表文の「東征毛人五十五國『西服衆夷六十六國』渡平海北九十五國」が
うまく説明できなくなる
倭の五王の時代に九州王朝がないのなら、卑弥呼の時代にも九州王朝はないと考えるのがもっとも
尤度が高い

854:くまモン論者
18/08/22 13:31:12.59 .net
>>823
266年には卑弥呼はいないはずだもんな。
ここは台与のはず。
しかし266年の朝貢は台与の女王から10年以上経ってる。
台与じゃなくて倭人海洋国?の可能性もあるのねw
神功皇后がいたならば七支刀も銘文をどう読むのかだな。
晋の泰始四年(268年)か東晋の太和四年(369年)

855:日本@名無史さん
18/08/22 14:02:02.38 .net
七支刀が268年か369年か と言うのは、まじめな議論だったのかな?
三国志韓伝によれば、張政来日の247年には馬韓の韓王朝は滅亡してる。
その後、馬韓辰韓には漢四郡撤退付近まで王は無い。
346近肖古王百済建国 356奈勿王新羅建国
この建国前後で、日本の王が漢四郡地域の高句麗追討に尽力したわけで
この保護に対して、韓が朝貢外交を始めた対中でも
日本の傀儡属国化したから、皇太子も人質に出して
七支刀だの仏教だのの中国側からの下寵品を献上してるんですが?
268年なら、266年の司馬炎戴冠のお土産で七支刀貰ったとか?
倭王の壱与ちゃんも参列したんじゃないのかな? (ヾノ・∀・`)ムリムリ
皇帝の自慢ネタの史書にも、お土産記録無しだけどwww

856:くまモン論者
18/08/22 14:55:37.62 .net
瞬殺されたったwwwwwwwwwwww
二運繰り下げるのね

857:くまモン論者
18/08/22 15:05:33.53 .net
弟子ちゃん、これって倭王旨なん?

858:日本@名無史さん
18/08/22 16:02:06.92 .net
>>841
記紀 神功皇后は 366〜369で 将軍を派遣し新羅百済の戦争に介入
で、七支刀をポッポしゃんしたんだから、神功皇后でしょwww
369年=神功皇后49年 で 神功皇后は69年まで在位
でも、実際の歴史では神功皇后じゃダメ なら、応神天皇で良いかも?
景行天皇、神功皇后=ヤマトタケル で、九州、国内統一
仲哀天皇=神功皇后?、神功皇后=応神天皇 で、半島進出
で、
413から仁徳天皇が倭王讃として、南朝外交始めたかな?
でも、中国書が実話で、記紀は天皇の実在、在位も適当、って読みしか無理でしょ。
牛馬の移入や、鉄の国内生産の富国強兵実現後に対中外交始めたのは事実なわけで、
アホの始皇帝風古墳も まねっこなわけでw
天皇が国内でも漢字一文字の王名名乗ってたとしても、記紀より事実っぽい。
讃、珍、済、興、武って名前、
倭人伝の 中国人が和音名に当て字、ってムードの固有名詞とは、違うと思う。
外交文書には、署名も在ったのでは、ないかな?

859:日本@名無史さん
18/08/22 16:15:22.40 .net
>>803
阿という漢字の成り立ちをみたら、
そりゃ神に近い。クマとも呼ぶし。
阿蘇は、クマソ。

阿という字は、阜と可からつくら
れている。阜は、土塁、土を意味して、
可は、担架や担ぐ意味。
然るに、人工的に積み重ねて来た土山
の意味がある。その名をつけるには、
位が高いものになるはな。

字从阜从可。
“阜”意为“土堆”,
“可”意为“肩挑、担荷”。
“阜”与“可”联合起来表示
“人工堆积起来的土山”。
本义:曲阜
(沙发形的土山,三围形的土堆

860:日本@名無史さん
18/08/22 16:30:46.29 .net
>>836
>>835
>でも日本はあまりトーテムを重視していない文化のように思うんだが?
古事記や古伝には出てくるよ。
仏教導入の頃には廃れたんだろう。

861:日本@名無史さん
18/08/22 16:33:03.20 .net
>>837
>倭の五王の時代に九州王朝がないのなら、卑弥呼の時代にも九州王朝はないと考えるのがもっとも
直前の後漢代に伊都に倭王家があったのだから、倭国乱を挟んだ2世紀末に共立された卑弥呼がいたのも伊都であったと考えるべきだ。

862:日本@名無史さん
18/08/22 16:33:35.52 .net
鳥居、鳥の格好で舞う巫女、玉座や神輿に飾られている鳳凰
鳥トーテム
日本書紀にも色々な鳥が登場するし
天満宮とか牛トーテムだし

863:日本@名無史さん
18/08/22 17:07:22.46 .net
筑紫王家は鷹、豊国王家は鰐、肥国王家は熊と鯰、出雲王家は鷲がトーテムかと。
なんで肥国に2つあるのか知らんけど。

864:日本@名無史さん
18/08/22 17:09:31.55 .net
>>847
>筑紫王家は鷹、豊国王家は鰐、肥国王家は熊と鯰、出雲王家は鷲がトーテムかと。
こういうのはどこに出ているの?

865:日本@名無史さん
18/08/22 17:18:39.12 .net
記紀やら古伝やら神社の名前やらを拾うんだよ。
肥前河上神社の守り神は鯰だろ。
豊玉姫の正体は鰐だろ。
出雲がわざわざ関東まで来て立てた宮は鷲宮だ。
そういったものを集めると、概ねわかるよ。
鳳凰は実在しない生物だから、もっと後世に成立したのだろうけど。

866:日本@名無史さん
18/08/22 17:21:06.13 .net
鳳凰なんて庭鳥だからな

867:日本@名無史さん
18/08/22 17:27:02.28 .net
>>849
>出雲がわざわざ関東まで来て立てた宮は鷲宮だ。

なにをトンデモ言ってんの?  倭国(阿波)忌部の祖「天日鷲尊」だよ。  @阿波


868:日本@名無史さん
18/08/22 17:31:24.38 .net
>>849
>豊玉姫の正体は鰐だろ。
そこから、豊国王家は鰐、まで行くのは論理の飛躍じゃないのか?

869:日本@名無史さん
18/08/22 17:33:53.11 .net
>>852
>そこから、豊国王家は鰐、まで行くのは論理の飛躍じゃないのか?

トンデモ説とはそんなものと心せよ。  @阿波


870:日本@名無史さん
18/08/22 17:44:02.95 .net
仲哀天皇を出迎えた熊鰐も、筑紫岡田宮つまり北九州市の豊国の王家の名前だよ。
(筑紫とつくけど本質的には豊国)

871:日本@名無史さん
18/08/22 17:58:36.60 .net
扶桑国って、どこですか?

872:日本@名無史さん
18/08/22 18:05:05.37 .net
等間隔の地名だと想定すると、せいぜい小倉の岡田宮かな。

873:くまモン論者
18/08/22 18:53:16.94 .net
>>842
倭王旨は中国風一字名称か。サンクス

874:日本@名無史さん
18/08/22 18:55:40.83 .net
>>854
>(筑紫とつくけど本質的には豊国)
洞海(くきのうみ)から筑紫だし、その西側の岡(遠賀)を豊国というのは無理じゃないか?

875:くまモン論者
18/08/22 18:58:44.68 .net
>>855
出どころは『梁書』巻54 列伝第48 諸夷 海南 東夷 西北諸戎 扶桑國かな?
倭国の僧 慧深の作り話?!?

876:くまモン論者
18/08/22 19:08:21.63 .net
扶桑の元ネタは呉歌かな?
それが晋の白紵舞歌になったみたいだ。
これは一部分
東造扶桑游紫庭西至昆崙戲曾城
ここに出てくる紫庭が筑紫に関係あるとおもんだけどね。(賛同者なし

877:日本@名無史さん
18/08/22 19:33:07.00 .net
>>858
豊国は遠賀川流域文化圏でしょ。
律令制の豊後とかは忘れてね。

878:日本@名無史さん
18/08/22 19:39:48.20 .net
>>857
王が家臣に姓を与えることは判るが
中国側が 讃、珍、済、興、武って名前を付けるかな? 
そういう解釈は アホ学者 なのでは?
卑弥呼、壱与、帥升は一応は日本の女王、王として中国側で記録されてる。
奴国王升米 都市王牛利 巳百支王掖邪狗 載斯烏越 狗奴王卑弥弓呼
これは、統一王ではない大夫だが、異国の時の王名はそのまま記録されるべきだろう。
讃、珍、済、興、武が元号ではないとすれば、諡号ではない現王名が有るはずで
倭の五王も和名はホムタワケとかタリシヒコとして、これは天帝個人名で誰も呼ばない。
ヒロヒトとか、どこの朝鮮? アメリカ進駐軍だよwww ←これヒド
時代的に 讃、珍、済、興、武は、対外だけに限らず、漢字の姓を与えてる豪族間でも
今の天皇として、漢語風王名を表意文字で名乗ってる、であろうと思うのですが・・・
記紀作者の知らない、そもそも無かった王名や諡号に比定するより、
実史に近づけると思うべなwww

879:日本@名無史さん
18/08/22 19:40:47.43 .net
>>860
大変面白いと思います。

880:日本@名無史さん
18/08/22 19:53:31.95 .net
香椎の語源が越であると言われるくらい、九州北部から日本海沿岸の、倭の原初の勢力は越だと思われる。
それがずっと東に追いやられ、出雲が勢力を持つのだけれど、その出雲も排除される。
豊国はもともと志賀島の綿津見神や大山祇だけれど、やはり東に追いやられる。小倉あたりで止まるのは筑紫の天孫族との姻戚関係が強かったからかと。
そして倭の中心地の博多湾、豊葦原中国には筑紫の王国、伊都国が成立した。
これで、日本海沿岸の国である倭の政治力学に従って西高東低に筑紫、豊国、出雲、越が並ぶ理由がわかる。
その序列に並ばずに、天孫族に代わって倭国天下=伊都を取ったのが、肥国王家の熊襲の卑弥呼なんだろう。

881:日本@名無史さん
18/08/22 19:58:44.13 .net
日本海沿岸ではない大和は倭国の序列の枠外。
吉備や阿波などの瀬戸内海のアウトロー勢力にすら含まれず、ドロップアウト組が吹き溜まりをなしていたのが大和盆地。
それが天下の覇権を取るには、白村江の敗戦による国体の崩壊と、唐に取り入る狡猾さが必要だった。
律令制による全国支配の強化と同時に、記紀の編纂により7世紀以前の歴史を改竄し、邪魔な史書は焚書した。

882:日本@名無史さん
18/08/22 20:00:55.15 .net
>>860
筑紫の地名命名の由来は最も遅くて 筑紫の君
247年邪馬台国平定なら、新領主=一大率=刺史 
が任命され氏姓を与えられた。
でもまあ、300年以降かと? ←根拠無し
これはだれか? 奴国王升米でも狗奴王卑弥弓呼でもOK。
記紀は何も知ってない唯の馬鹿。
問題は、大和朝廷が
東造扶桑游紫庭西至昆崙戲曾城
を 筑紫命名の それ以前に読んでいたかどうか?
が、歴史かと?

883:日本@名無史さん
18/08/22 20:01:23.12 .net
>>865
>律令制による全国支配の強化と同時に、記紀の編纂により7世紀以前の歴史を改竄し、邪魔な史書は焚書した。
都合が悪い所に来るとこれだから、どうしたってトンデモの域を出ないんだよなぁ

884:日本@名無史さん
18/08/22 20:07:49.12 .net
7世紀より前の文書がほぼ皆無で、8世紀初頭に禁書の詔勅が出ているのは事実だよ。

885:日本@名無史さん
18/08/22 20:32:03.06 .net
>>868
>7世紀より前の文書がほぼ皆無で、8世紀初頭に禁書の詔勅が出ているのは事実だよ。
前にもどこかで聞いたけれど、
原典を調べたらただの拡大解釈=恣意的なご都合解釈だったように記憶してるんだが?

886:日本@名無史さん
18/08/22 20:46:01.26 .net
400年以降で公文書
500年以降で仏教他、文、書、が残せたことは間違いない。
大和朝廷は白村江以降で南朝との対隋唐敵対の国交史を消し去っている。
当時の焚書は、どう考えても、王家断絶より簡単である。
聖徳太子の史書は本当に残ってないのかな? 
ある、に一票www
↑これは オイオイ。

887:日本@名無史さん
18/08/22 21:23:23.39 .net
>>996の続き
また転写保存
国民の3割が、未だに、
「戦前の万世一系皇国史観」の安部文部省や右翼マスコミや、
キョクウの学会教育界の宣伝に騙されて躍らされて、
嘘つき騙しの大和説信者になったままである。

888:日本@名無史さん
18/08/22 21:24:11.75 .net
>>859
ありがとう!
扶桑”の神话と
富士山信仰に、関係があるみたいで、
それが、《山海经》の中の
海外东经と大荒东经の2つの章に
かいてあるとのコメントみてからね。
きになっていた。
その章は、日本の地理などを
書いているとその人は言ってたなあ。

889:日本@名無史さん
18/08/22 21:33:10.29 .net
>>860
扶桑国は、メキシコやと、いった
フランス人De.Guignesさんは、1761年に発表。
しかし、ドイツ人の
H.J.Klaproth1831年に、メキシコとか
ありえません。といってる。
扶桑国は、そだねー、多分
日本かサハリンの樺太島やなあと言ってた。
で、さらに時代は流れ、中国の
朱谦之(1941年,《扶桑国考证》)、
邓拓(《谁最早发现美洲》,1961)
などで、扶桑国と古代日本は、関係あると
発表し、賛同をえている。

890:日本@名無史さん
18/08/22 21:34:43.58 .net
>>869
和銅元年正月(708年) の詔に「亡命山澤。挾藏禁書。百日不首。復罪如初。(禁書を隠し持って山野に逃亡している者は、100日以内に自首しなければ恩赦を与えない。)」とある、記紀以前に多くの史書があったんだ。

891:日本@名無史さん
18/08/22 21:36:02.03 .net
結局、そのコメントを書いた人は、
扶桑国を日本に関係しているとしたら、
山海経が、実は一番最初に、
日本を詳しくかいたもんやから、
価値あるもんやね?といってる。

892:日本@名無史さん
18/08/22 22:07:08.41 .net
帝氈iていしゅん)は、
上古の中国神話に登場する東方の天帝
(帝舜と同じといわれる殷の祖神)。
(太陽の女神)と
(月の女神)は帝氓フ妻である。
日本語ウィキには、書いてないんだが、
程俊が、黒歯をつくり、姜姓(部族 農の神)
をうみだした。その姜一族は、
山東省にいて、お歯黒だった。

893:日本@名無史さん
18/08/22 22:22:51.64 .net
江南あたりから、東南に2000里に、
毛人のしまあるよと。
毛人に、ついての説明あって、背が低く、穴に住んで、多毛で、
羽衣の服をきているとあるな。
倭の表記につながるな。
《山海经》郭璞注说:
去临海(位于浙东)郡东南二千里,有毛人在大海州岛上。为人短小而体尽有毛,如猪熊,穴居,天衣服。

894:日本@名無史さん
18/08/22 23:14:56.35 .net
>>874
禁書とはあるが史書とは書いてないぞ

895:日本@名無史さん
18/08/22 23:21:10.80 .net
それ以外の何を禁ずるのでしょうか?

896:くまモン論者
18/08/22 23:33:30.36 .net
>>863
どうもありがとう////

897:くまモン論者
18/08/22 23:49:56.35 .net
>>866
日本書紀の天地開闢ところは淮南子のパクリで、神功皇后紀に魏志を記事を引用している事はもう調べはついている。
肝心の宋書と日本書紀はよくわからないorz

898:くまモン論者
18/08/22 23:56:12.05 .net
>>872
よかった。
それより富士山信仰とか面白そうだぞおいwww

899:日本@名無史さん
18/08/23 00:04:37.87 .net
>>879
禁書といえば魔導書

900:日本@名無史さん
18/08/23 00:18:01.64 .net
扶桑、富士とK齿国
“富士山”、このことばは、fujisang
“扶桑”を中国読みしたら、fusangと似ているとし
(山海経における扶桑は、扶桑のウィキに
のってるので、見てほしい)
重要なのは、富士山のように太陽がのぼり、
日出づる国を、連想できること。
で、コメントには、
黒歯国の北側に、扶桑国があるとあり、
ほなら、黒歯国は、比定できるんかい?
と話をすすめていってる。

901:日本@名無史さん
18/08/23 00:24:07.86 .net
>>881
>日本書紀の天地開闢ところは淮南子のパクリ
つうか、魏志倭人伝の東方世界観も淮南子が下敷きだろ?

902:くまモン論者
18/08/23 00:26:27.58 .net
万葉集で大友旅人が竹林の七賢人のことを歌っているから、当時の知識人たちは晋書あたりはもう読んでそう。
となると晋書よりだいぶ前にできた宋書は当然読んでるとみたw

903:日本@名無史さん
18/08/23 00:31:22.44 .net
それで、まず黒歯国とは、
なんぞや?と話をしてくれて、
せれは、周書・王会に、記載されている。
周成王のとき、黒歯国が、朝貢しにきて、
白鹿と白馬を献上しているとある。
鹿を献上することは、鹿を神の化身とか
その国の風俗文化を表している。
とコメントしている。

904:日本@名無史さん
18/08/23 00:45:35.20 .net
山海経の海外東経の冒頭に書いてある
「海外とは、東南から東北に至るもの」
が、日本が、正にその方位の範囲に入ると
かいている。

905:くまモン論者
18/08/23 00:49:27.14 .net
>>876
そういえば太公望呂尚は姜族だったな。

906:日本@名無史さん
18/08/23 00:59:42.41 .net
>>889
魏志では、太伯さんの子孫だったが、
姜族は、それより前に山東省から、
渡り、日本のお歯黒文化を
作ったやないかと。身分をわけたり、
15歳超えたら、歯を黒くして、
嫁に行くとか。黒歯国も日本やないかと。
で、梁書・扶桑国に、扶桑国まで、
2万里とかいてるから、どこどこにあると
推測している。
魏志倭人伝が、12000里やから、
どこどこやと。

907:くまモン論者
18/08/23 01:02:26.35 .net
>>885
淮南子時則訓での倭人伝万二千余里の根拠のところか。
そうかもしれんけど、九州説としては倭人伝ではっきりしてる対馬国から一大国の千余里をとるかな。
この二つの国だけは阿波さんも異論はなさそうだしw

908:日本@名無史さん
18/08/23 01:11:14.01 .net
二万里は長里だと何もない太平洋上だが、短里だと畿内かもしれない。

909:日本@名無史さん
18/08/23 01:12:24.34 .net
>>891
その人も九州説で、扶桑国は、
それから、さらに離れている。
で、富士山と関連あるんやいかと
考察。
そのあと、アイヌの名前由来や
大人国、毛人、偎人(委人と発音同じ)
などを説明している。

910:くまモン論者
18/08/23 01:15:50.38 .net
>>890
倭国 から文身国 、大漢国 、扶桑国になる訳か。
大漢国から東に二万余里て遠すぎね?
よく読めてなかったらごめん

911:日本@名無史さん
18/08/23 01:29:39.22 .net
>>894
まだ、考察途中で、わからない。
すみません。
ただ、コメントには、
アイヌ人を背が低く、多毛として、
捉えており、倭に通じるものとして、
捉えている。
19世紀のドイツ学者は、毛人をアイヌとして
捉えていた。
また、駐日大使だったライシャワーの
名著「日本人」にも、考察を
及ばせ、漸減的に、アイヌは、今や北海道2万人に、なったとかいている。

912:くまモン論者
18/08/23 08:21:35.85 .net
>>895
古代の巨樹伝説は面白そうだな。
よろしく頼む!

913:日本@名無史さん
18/08/23 08:40:05.00 .net
>>891
>淮南子時則訓
時則訓だけじゃなくて墬形訓も見ておいて
後漢書の「使驛所傳、極於此矣」は
「使譯の傳うる所、此に於いて極まる。」
この「極」が、淮南子: 時則訓 の「東方之極」の「極」なんだよ
要するに、情報が伝わってきた(得られた


914:)ところはここが限界=「極」ってこと その東方之極が萬二千里 黒歯国、裸国辺りは、魏使からの報告ではなく淮南子墬形訓の情報 淮南子:墬形訓 自西南至東南方,結胸民、羽民、歡頭國民、「裸國民」、三苗民、交股民、不死民、穿胸民、反舌民、豕喙民、鑿齒民、三頭民、修臂民; 自東南至東北方,有大人國、君子國、「K齒民」、玄股民、毛民、勞民; 東の世界の端を南に行ったところに「黒歯國」があって、 南の世界の端を西へ行くところに「裸国」があるからね そういう距離感なんだろう



915:日本@名無史さん
18/08/23 09:07:02.16 .net
淮南子で長江河口部から東2万里は
倭人伝の里程で九州であってるし、そっから一万二千里は紀伊半島沖あたりです。
倭人伝九州南岸から南東一年行=12月行=24000里で小笠原
誰がそんな大航海時代みたいな? と、疑問でしたが
これの根拠が前漢でも淮南子に既にあったことが理解できます。
徐福の探検もあっち行っちゃったら漂流してるかもねw

916:日本@名無史さん
18/08/23 11:35:49.59 .net
日本の富士山女神には、
著名神话がある。
富士山の神は、二人の白衣女神。
そのうちの一人は、最高大神
天照大神(北極星神)
で、有名な別称は、娥羲”(名叫大日灵贵)
で、それは、《山海经·大荒东经》のなかの
太陽神の羲娥”だと。名前入れ替えただけ。
さらには、もう一つの神は、“赫夜姬”,(かぐや姫)で、
八月十五日夜晚に、かんしている。
それも、中国神話の
著名な「嫦娥(羿の嫁さん)」と同じ月。
そのご、日本の月神になりました。

これらの山海経にかいてある文章を
紐解くと、日本と中国神話には、
名前、月、において、かなりの近似性あり。

917:日本@名無史さん
18/08/23 11:39:41.87 .net
さらには、山海経は、日本海溝についても
記述していると
コメントかいている。
そやから、日本に関して、かいた記述やろと。
地質に関して、話された箇所は、
日本以外ありえないなと。つまりは、
海溝ある場所は、
日本の東側、太平洋上やから。

918:日本@名無史さん
18/08/23 11:52:06.62 .net
大壑の漢字は、谷底を意味して、
文章には底がないよとかの
春秋時代の書籍の説明ある。
そして、辞典で、調べたら尾闾の
漢字は、扶桑国の東だよと
かいてある。
大荒东经》
中记有一则重要的地质结构资料,
说:东海之外有有一条“大壑”。
郭璞注引用汉代纬书指出:
“《诗含神雾》曰:东注无底之谷,谓此壑也。”
《列子·汤问》也记:
“渤海之东,不知其几亿万里,
有大壑焉。是为无底之谷,
其下无底,名曰归虚。
八纮九野之水,天汉之流,莫不注之。”
案“归虚”,在《庄子》书中则记作“尾闾”,
《庄子》郭象注云:
“尾闾,泄海水出外者也。
在百川之下,故称尾;
水聚簇之处,故称闾。”
《康熙字典》引《五音集韵》
:“尾闾在扶桑东。”

919:日本@名無史さん
18/08/23 13:42:37.79 .net
>>901は、前に周髀算経がどうのって言ってた人かな?
あの後読んでみたけれど、結局は現代の知識で影の長さが1寸の差になるところを
計算して、子午線に沿って距離を測ると短里になるっていう、谷本茂氏と同じ計算を
してるだけだったよ
読む意味なかった

920:日本@名無史さん
18/08/23 14:20:13.76 .net
>>902
周髀算経は、よく言われていたから、
重要度はそこやない。
淮南子にも、尺をかえて、
測ってた箇所あり、それも
計算していることなんよ。淮南子の
計算論文は、日本語で、見かけないからね。
それも短里になり、淮南子は、
古事記にも影響を与えているから、
そこの天文訓をよんで、
実践して、当時の倭人は、勉強
したんやないかという考察。
新しい視点は、淮南子の天文訓の
測り方。

921:日本@名無史さん
18/08/23 14:36:35.89 .net
>>901 これって、 蒙古語とか?
てか、潜水艦は厨共とか、北朝鮮まで関係ない。
漢や魏の潜水艦、海底調査すんの?
山海経だと、海神族って、半魚人だったりするw
へぇ〜〜、すごいね。

922:日本@名無史さん
18/08/23 14:37:00.34 .net
淮南子の天文訓には、下記の原文箇所あるから、1万2千里しかしらないわけないよな
と考察している。
为十万里,则天高也。若使景与表等,则高与远等也。
太阳每天行经九州、七舍,行程五亿万七千三百零九里,

923:日本@名無史さん
18/08/23 17:32:44.63 .net
淮南子は、墬形訓、時則訓、天文訓等が、それぞれかなり独立してるからな
互いの整合性はあまり考えていないと思う

924:日本@名無史さん
18/08/23 19:32:50.69 .net
淮南子 該当部分、読んできました。 ありがとうございます。 
魏志のような実際の紀行の可能性はほぼ無いんで、却下です。
梁書で・扶桑国が 2万里でした。
後漢書は430年で倭の五王の後。
梁書は600年代で遣唐使、裴世清よりあとだよ??
倭人情報が 邪馬台国と大和国で錯綜してます。
梁書は 記紀神話読んじゃって、それ前座のデタラメで混乱した風で面白いです。
来年の夏休みの宿題のテーマにします。 
♪ドン来い、チラ裏の皆様に感謝です。
時系列、時代背景を追って読むと、梁書は、
みんなと同じように 邪馬台国で何を間違えたかが推測出来て面白いんです。
扶桑国が倭国で日本国で九州で奈良 で、あっても整合性を取らなくて良いのが
馬鹿学者主導の、古代史、とか考古学なんだなwww
知ってた・・・ の、ような、発見のような・・・
倭人伝 評 は魏が初めて倭に 使譯 送ったって言ってないか?
♪ドン来いスレ、最高!

925:日本@名無史さん
18/08/23 19:38:11.22 .net
>>907
>魏志のような実際の紀行の可能性はほぼ無いんで、却下です。
「女王國東、渡海千餘里、復有國、皆倭種。
 又有侏儒國在其南、人長三四尺、去女王四千餘里。又有裸國、K齒國復在其東南、船行一年可至。
 參問倭地、絕在海中洲島之上、或絕或連、周旋可五千餘里。」
この部分の2行目を「実際の紀行」だと考えているんだったら、相当だぞ?

926:日本@名無史さん
18/08/23 19:49:45.15 .net
>>908
又有侏儒國在其南、人長三四尺、去女王四千餘里。
又有裸國、K齒國復在其東南、船行一年可至
は、明らかに 張政、梯儁 の 記録ではないわけで
淮南子の記述では誰がこれを見たのかな?
參問倭地、絕在海中洲島之上、或絕或連、周旋可五千餘里
は、中国人の認識の巨大な倭国ではない、
九州の周回5千里の王が、女王国の卑弥呼でした。
247年以降、邪馬台国は三国志の中国統一には、屁の役に立ちません。
って、陳寿は『ちゃんと』書いてると思うよ。

927:日本@名無史さん
18/08/23 20:03:30.51 .net
>>909
女王國東 渡海千餘里 復有國 皆倭種 又有侏儒國在其南 人長三四尺
去女王四千餘里 又有裸國 K齒國 復在其東南 船行一年可至
は、女王國東や去女王と書いてるから倭人からの情報だろ。
參問倭地 絕在海中洲島之上 或絕或連 周旋可五千餘里
こちらは參問と書いてるから倭人からの聞き取りであることは間違いないな。

928:日本@名無史さん
18/08/23 20:23:33.09 .net
>>910
倭人からの情報?
まあ、黒曜石は神津島でも隠岐でも東北でも縄文海神は居る。
聞き取ることができる、使譯は 魏時の 張政、梯儁 である、
と書いてあるのが 陳寿の倭人伝なんだよ。
238年 の 梯儁の記録と
247年 の 張政の記録と
これが、皇帝の命で魏の軍船で行軍した将軍梯儁
郡の誤認調査Wで 倭人船に便乗した査察官の張政、
おまえら、これの行程は明らかに違う、って 判ってる?
倭人船は持衰の居る母港にかえる。 
伊都には港がある。張政は東南5百里歩かされた。
つまり、そういうことだろwww

929:日本@名無史さん
18/08/23 20:31:53.20 .net
>>909
>九州の周回5千里の王が、女王国の卑弥呼でした。
周旋は、元の場所に戻ったり一周したりしない
五千里も進めば、相当遠くまで行けるよ

930:日本@名無史さん
18/08/23 20:43:34.03 .net
>>910
>こちらは參問と書いてるから倭人からの聞き取りであることは間違いないな。
参問は、陳寿が大陸にいて参問するんだよ
倭人に聞く訳じゃない

931:日本@名無史さん
18/08/23 20:45:32.55 .net
切り方がおかしいな
女王國東 渡海千餘里 復有國 皆倭種
又有侏儒國在其南 人長三四尺 去女王四千餘里
又有裸國 K齒國 復在其東南 船行一年可至 參問倭地 絕在海中洲島之上 或絕或連 周旋可五千餘里
だね

932:日本@名無史さん
18/08/23 21:18:03.44 .net
>>914
裸國 K齒國 が同じ場所なのかか?
倭人伝は文節の切り方がすべて。
淮南子以降の伝説ミヤマの女王宮から4千里は、
張政も梯儁も行ってないんで、地図上の小人伝説の種子島かもしれない、
でも、鹿児島から東南船行一年が 小笠原以外には読めない。
山海経や淮南子、ググって読んだけど
句読点有るのか? ワロス。

933:日本@名無史さん
18/08/23 21:35:23.70 .net
帯方郡を出て
4千里で韓を過ぎ、南岸3千里を東に向かい 
狗邪韓國(巨済島以外有るのか?)
対馬海峡を 対馬、壱岐、九州北岸で
渡海、各千里で三千里
伊都には港が有るが、張政は5百里歩いた。
梯儁は博多湾岸の、伊都の港に上陸に決まってんだろ?
王対王 の 交流に検閲なんて、有るのかよ?
卑弥呼は雑魚。

934:くまモン論者
18/08/23 21:43:14.15 .net
>>897
そっちも見てくるわサンクス
帯方郡だったり、楽浪郡だったり万二千里がアバウトなのはわかる

935:日本@名無史さん
18/08/23 21:46:48.71 .net
博多に行くなら博多湾の入り口の糸島に。
佐賀に行くなら唐津に行くのが正しいルートだね。

936:日本@名無史さん
18/08/23 21:50:43.46 .net
>>915
そこは、小笠原やないよ。みんな陥るが、
梁書は、書き換えてるよ。
やはり、魏志は、宋時代に、
一度清書されなおされとるんかな。
其南有侏儒國
人長三四尺
又南K齒國 裸國
去倭四千餘里
船行可一年至
― 『梁書』
卷五十四 列傳第四十八 諸夷傳 東夷条 倭[13]

937:くまモン論者
18/08/23 21:50:56.82 .net
>>899
天照大神の元ネタは羲和だと思うんだけどどうだろう?

938:日本@名無史さん
18/08/23 21:51:53.63 .net
東南とは、かいてないから、
南、南、と二回でて、
梁書は、説明おわりだわさ。

939:日本@名無史さん
18/08/23 21:53:09.42 .net
梁書はダメだよ
著者の勝手解釈がヒドすぎる

940:くまモン論者
18/08/23 21:56:49.03 .net
>>901
大壑って湯谷上有扶桑の湯谷に関係あんの?

941:日本@名無史さん
18/08/23 21:56:53.38 .net
>>920
中国の古代神話は、三足烏とかも
八咫烏かな?とおもうような繋がりあるしなあ。天照、月読なども、可能性ありそうだよなあ。

942:日本@名無史さん
18/08/23 22:00:04.94 .net
>>923
そうなんよなあ。
コメントに、
郭璞说:“汤谷,谷中水热也。”
《大荒东经》
:“汤谷”别名“温源谷”―温源即温泉。
温泉表記もあるんよなあ。

943:くまモン論者
18/08/23 22:03:56.94 .net
>>924
扶桑の神樹のとこにいたんだから三足烏は八咫烏にされとるな

944:日本@名無史さん
18/08/23 22:09:50.05 .net
>>926
コメントは、扶桑国は、日本を表していて、
fusanと発音し、富士山の女神もつながり、
仙人がすんでいたんではと。
徐福はそこに行きたかったんやないかと。
扶桑は、万木のもとやし、樹海も
今と変わらんやろうし。
で、日本海溝は、扶桑国の東にあると
いってるよ。

945:くまモン論者
18/08/23 22:18:51.10 .net
>>907
史記はどうかな?
陳寿は史記にある東方の三神山を意識してた事はないのかな?
例えば伊都国あたりを蓬莱山、水行二十日の投馬国が方丈山、水行十日、陸行一ト月が邪馬台国。倭国は三つの神山があるみたいな、、←ダメだこりゃ

946:日本@名無史さん
18/08/23 22:19:49.14 .net
太陽に関係する丹水ってでるんだが、
それは、赤ベニ色で、流れるので、
溶岩だろうと。
(富士山は、活火山やから1700年はじめ噴火)
で、そこには、“丹丘”,があり、
その上に、“羽人”がいる。それを
仙人としたんやないかと。
山海经》中与太阳有关的“丹水”,应当是指赤红、流动、沸腾的火山岩浆流。

947:くまモン論者
18/08/23 22:31:48.20 .net
>>925
温泉かー。
やっぱり火山大国 日本列島のことだね

948:日本@名無史さん
18/08/23 22:50:12.20 .net
>>930
そう思う。扶桑国は、
ひょっとしたら、紀伊半島から
東側かな。
こんな文章もあるなあ。
熊野と「金烏」(きんう:三本足のカラスであり太陽のこと)の縁はまことに深い。
太陽樹・扶桑のある所を湯谷(ようこく)と
言うが、不思議なことにわが国の能の一つに
「湯谷」(ゆや)というものがあり、
これは「熊野」とも書き、これで「ゆや」と読むのだ。

949:くまモン論者
18/08/24 10:06:05.80 .net
>>931
湯屋じゃねえよな、湯谷だよな。
三足鳥や八咫烏もいることだし

950:日本@名無史さん
18/08/24 10:06:27.38 .net
>>928
|∩`Д´) / '⌒☆
【段落9 おまけ】
評曰 史 漢著朝鮮両越 東京撰録西羌
魏世 匈奴遂衰 更有 烏丸鮮卑 爰及 東夷
使譯時通 記述隨事 豈常也哉
前漢の史記漢書は朝鮮両越を記録。 後漢は西羌を記録した。
魏世においては、匈奴遂衰 更有 烏丸鮮卑 爰及 東夷 なので
使譯 を派遣して それを隨事に記述した。 豈常也哉!
陳寿君は、中華思想や神仙、儒教より 漢による辺境調査記録や
実際に魏が調査探検した2回の使譯のそのままの記録を評価している。
で、後に、実際陳寿はそういう野郎だ、って評価を受ける。
♪蟻のぉ〜 儘のぉ〜
朝鮮進駐したその年に、帯方郡によって、
倭王として皇帝に取り次いだ邪馬台国女王卑弥呼は
調査の結果、大倭国の大女王ではありませんでした。 テヘペロ
って、陳寿君は倭人伝で、正直に書いちゃってます。
♪困っちゃうなぁ〜www

951:日本@名無史さん
18/08/24 10:55:45.63 .net
>>929
>太陽に関係する丹水ってでるんだが、
山海經、目を通してきましたが、丹木が何を意味するのかはよく分からないですね。
山海經で「丹」を検索すると、丹木の他には、丹粟、丹水、丹火と出てきます。
このうち丹火は、単に「赤い」火のようです。
丹水は、丹火と同じように「赤い」水ですね。
そして丹粟は、朱砂の別名で、粟粒に様に細かくなった丹(硫化水銀)ですね。
丹粟とセットで出てくる丹水もあり、丹粟を含んだ赤い水を指しているのかもしれません。
丹木が出ているところを見ると
又西北四百二十里,曰峚山,其上多丹木,員葉而赤莖,黃華而赤實,其味如飴,食之不饑。
丹水出焉,西流注于稷澤,其中多白玉。是有玉膏,其原沸沸湯湯,黃帝是食是饗。
是生玄玉。玉膏所出,以灌丹木,丹木五歲,五色乃清,五味乃馨。
となっていて、赤い茎赤い実と書いてあるのを見ると、要は赤い(丹色の)木なのでしょうが、
実の味が飴の如しとか、丹水が近くに出ていたりとか、五歳、五色の清、五味の馨、玉膏、黃帝是食是饗など、
神仙郷に近い表現になっていて、具体的な何かの木を表すものではなさそうです。
この文章、山海經の西山經・峚山の描写で、東夷のことではありません。

952:くまモン論者
18/08/24 12:08:07.79 .net
エルサかよ!!!!!w

953:くまモン論者
18/08/24 12:11:18.43 .net
>>933
なるほどさすが陳寿君
使訳によって時に通じ、事に随い記録したか。
豈常也哉!!!!!!

954:氷の女王@名無し
18/08/24 19:34:15.24 .net
>>11
スレが凍り付いとるな・・・
エサを変えるしかない、潮時か?
(⌒▽⌒)o/ ̄ ̄ ̄~ ⌒。チャポン!!
>>2  【張政の行程】
邪馬台国論争の諸々見ると、
末羅国が呼子になってる場合が多いと思うんですが、なんでですか? 秀吉?
伊都国から北西500里で、本当は伊都国にも港は有る。
張政の便乗した倭人船の母港だか、潮待ち占いの持衰を置いた港でしょ?
考古学史料も大分充実してきてるわけで、
唐津以西は卑弥呼の勢力圏じゃない可能性もあるけど、どうよ?
呼子に卑弥呼の鏡の軍事港都市遺跡でも出た?
伊都国は、今津湾、今宿港で 早良、福岡平野西山麓
末羅港は糸島北岸、芥屋浜かと思うんだけど、おかしいかな?


955:日本@名無史さん
18/08/24 19:46:29.13 .net
持衰が船に同乗したとかいうアホがいるけど、港町で待機に決まってるわな

956:日本@名無史さん
18/08/24 20:18:02.21 .net
>>938
>持衰が船に同乗したというアホ

其行來 渡海 詣中國 恒使一人 
不梳頭 不去蟣蝨 衣服垢汚 不食 肉 不近婦人 如喪人 名之為持衰 
若行者


957:g善共顧 其生口財物  若有 疾病遭暴害便欲殺 之謂其持衰不謹 船に同乗して、遭難の責任は取れないに決まってるんですが? <ソースを書きなさい! |∩`Д´) / '⌒☆ < ヤダヤダー!!



958:日本@名無史さん
18/08/24 20:40:32.74 .net
この 持衰 については 極めて重要な 情報源の推測 が可能です。
中国人で、これを見る可能性が有るのは、
倭人船に便乗で、邪馬台国の査察に来た、張政だけです。
陳寿は東夷伝序文でも倭人伝評でも、
倭国に渡った使譯は、極めて貴重と評価しています。
漢時の情報は、黒曜石以来の縄文海神がもたらした倭人側渡来情報なのでは?
漢の倭奴国王 は 魏の女王国 に含まれる、九州の相当の小国だよなw

959:日本@名無史さん
18/08/24 20:41:16.81 .net
>>939
読解力が無いのかな?
自分が批判されてるとか思っちゃった?

960:日本@名無史さん
18/08/24 20:55:40.14 .net
>>941
思ってないw 誰 じゃなくて、
推論に対する批判 の理由を求めてます。
先生のレスは、当然、批判のうちに入っていません。
考古学の推論は決して結果を伴わない。
という、鉄則はこのスレの諸先生から学び、理解してます。
ご教示、ありがとう、ネ。

961:日本@名無史さん
18/08/24 22:03:40.38 .net
>>931
>扶桑国は、ひょっとしたら、紀伊半島から東側かな。
扶桑国は播磨國(兵庫県西部)のことである。
 
梁書諸蕃夷扶桑國伝
扶桑国は、大漢國(梁の都 建康(南京)) の東2万余里(1500km)にあり、
金銀銅が豊富に産出するが鉄は産出しない。播磨地域の特徴。
又扶桑国の王は乙ケ(億計 仁賢天皇)である。仁賢天皇は播磨國出身。

962:日本@名無史さん
18/08/24 22:24:13.11 .net
播磨の金銀銅は熱水鉱床から採れる。

963:宇野壽倫「クソ関東連合っ!!テメエらまとめてブチ殺すっ!!」
18/08/24 22:35:21.14 .net
宇野壽倫(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202号室)の挑発
宇野壽倫「関東連合文句があったらいつでも俺を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 関東連合の糞野郎どもは俺様がぶちのめしてやるぜっ!!
賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」 (挑戦状)

964:くまモン論者
18/08/25 02:13:24.76 .net
改行等に問題が有ればご指摘ください。
弟子@名無史が対応しますw

965:くまモン論者
18/08/25 02:15:50.92 .net
寝ぼけとるな

966:くまモン論者
18/08/25 02:17:59.85 .net
>>938
ふぁ?!?
船に乗ってたんじゃないのか

967:くまモン論者
18/08/25 02:21:34.27 .net
>>940
弟子ちゃん 漢時の情報ってなに?

968:くまモン論者
18/08/25 02:29:40.22 .net
万葉集にこんな歌があった。
梳毛見自 屋中毛波可自 久佐麻久良 多婢由久伎美乎 伊波布等毛比氐
櫛も見じ 屋内も掃かじ 草枕 旅行く君を 斎ふと思いて
櫛も手にせず 家の中も掃かないでおきましょう 草枕 旅行く君を 慎み祝おうと思って
これは天平勝宝四(752)年閏三月に、衛門督大伴古慈悲宿禰の家で入唐副使大伴胡麻呂宿禰等に 餞 をする際に詠まれた歌で、大伴宿禰村上と大伴清継らが伝誦したものである。作者は不明で、送別の席で無事を祈った歌。
この歌からは櫛を使って髪を梳かないこと、家を掃除しないことであたかも時間を止めたようにすることが、旅をしている人の無事を祈る行為として認識されていたんやね。
倭人伝持衰の髪を梳かず 虱 も払わず、衣服は垢のついたまま、肉食をせず、女性に近づかず、あたかも服喪中のように過ごし続けるという感じはなんだか似てる希ガス

969:日本@名無史さん
18/08/25 09:02:12.83 .net
>>949
淮南子 山海経のイメージだったけど
歴史として厳正な倭人伝だと漢の倭奴国、帥升情報とかの出展
興味をそそるのは、太伯を知ってる謎の倭人と刺青の考察のソースかな?
>>5 の、情報のソースはいろいろみたいだけど
倭人の服や刺青のイメージは縄文人のような?
卑弥呼とかは、弥生渡来人って気がするんだけど、
土器厨先生とかは、服飾とか笊と手で飯喰うとか、どうすんのかな?
東夷伝序文の 俎豆之象 存中國 は、倭人には無し、だったりねw
金印の57年から卑弥呼の190年辺りまではあまり変わらなかったように思う。
現実的に日本統一王朝時代=古墳時代に入るのは、
魏と邪馬台国の外交が終了する、248年以降wなんじゃないのかな。 
日本史 古墳時代の始まり 247年 本州勢力、九州筑紫平定


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