♪邪馬台国ドンと来い!♪139 at HISTORY
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750:日本@名無史さん
18/08/20 19:34:11.45 .net
卑弥呼の墓は、
くまモン論者の地元、阿蘇高千穂の高千穂神社本殿背後にあった。
そこにあるご神体山こそ卑弥呼の塚、この神社の神域全体で径百歩。

751:日本@名無史さん
18/08/20 19:53:56.33 .net
>>720
小学生の喧嘩かよ。

752:日本@名無史さん
18/08/20 19:55:07.41 .net
>>721
>現在の標準的な編年では、卑弥呼は古墳時代に入る直前だから、平原1号墓でも年代が合わない
はい、また詐欺師の口上。
古墳時代に入る直前なら、弥生時代末期だろ。
弥生時代なら、大型墳墓である必要はない。

753:日本@名無史さん
18/08/20 19:56:35.19 .net
>>722
>説明された動機は、晋の高祖の功績を顕彰するために、誇張して盛ったってのしかないと思うが?
その通りだよ!
だから朝鮮半島南岸まで七千里、対馬海峡が三千里、九州上陸してから二千里で邪馬台国なんだ!
つまり邪馬台国は九州と書いてあるんだよ!

754:日本@名無史さん
18/08/20 19:57:30.75 .net
>>726
>北部九州から纏向遺跡まで500キロないから、軽く届くだろ?
届いて飛び出ているのに、「届く」で済ませているよね!

755:日本@名無史さん
18/08/20 19:57:31.66 .net
陳君が仲達ヨイショてなんや?(焼酎ふいた
つうかわえに詰まされた山海由来漢土外12000はもう諦めたんか?

756:日本@名無史さん
18/08/20 19:58:44.94 .net
>>733
>それを「実際の地理に当てはめてどうこういうのが無意味」だって言ってるんだよ
畿内説に不利だから当てはめたくない、というのが本音だろ。
九州なら当てはめてなんの矛盾もないのだから。

757:日本@名無史さん
18/08/20 19:59:27.73 .net
>>734
>卑弥呼の死亡時期と考えられる248年(249年?)は、標準編年では既に古墳時代
@(・●・)@

758:日本@名無史さん
18/08/20 20:01:44.33 .net
東夷伝長さ単位誇張されてるように読めるんは里だけちゃうよ?
おじいちゃんらまず三国志よく嫁

759:744
18/08/20 20:12:41.62 .net
追記
山海由来の小人の身長のことちゃうよ?あれは逆ベクトル
こよいはこのあたりでよかろかい?
じじいどもチェスト!

760:日本@名無史さん
18/08/20 20:17:50.69 .net
>>738
>古墳時代に入る直前なら、弥生時代末期だろ。
>弥生時代なら、大型墳墓である必要はない。
何度も書かせるなよ
吉備の楯築墳丘墓は二つの方形突出部を入れて墳丘長72メートル
出雲の西谷9号墓は四隅突出墓でその突出部まで入れるとおよそ60×50メートル
丹波の赤坂今井墳丘墓は東西36m、南北39m、高さ3.5mの墳丘部に加え四方に5〜9mの平坦部
てなサイズがある
纏向型前方後円墳は、弥生墳丘墓に入れる立場だけれど、
纒向石塚古墳で全長96メートル、
東田大塚古墳で墳丘長120メートルある
平原1号墓の墳丘サイズ14×12メートルというのは王墓だとしても、有力国の王墓としては、どうしても見劣りする
伊都国でも古墳時代に入って三雲遺跡群に作られる端山古墳は全長78.5メートルあるし
三雲南小路遺跡の墳丘サイズが周りの周溝で30メートル四方くらい
須玖岡本遺跡D地点墳丘墓も同程度のサイズ
吉野ヶ里遺跡の北墳丘墓でも南北約40m、東西約27mの長方形に近い形態、という大きさがある
これは全部、弥生時代だ
それに対して
平原遺跡の案内看板の解説文では、1号墓の墳丘サイズは長さ約13メートル幅8メートルの方形周溝墓
どう見ても見劣りする

761:日本@名無史さん
18/08/20 20:22:18.01 .net
>>739
>九州上陸してから二千里で邪馬台国なんだ!
魏晋里で二千里も行ったら、九州から飛び出すだろ?
>つまり邪馬台国は九州と書いてあるんだよ!
つまり、九州じゃ無理なんだよ
そして、念のため、九州説の捏造の短里とやらで考えても、
二千里で150キロ程度になる
北部九州の博多湾岸から、有明海まで50キロくらいだ
伊都国、奴国のあたりに邪馬台国を持ってくるのは無理だってことだ
そして九州説はそこからさらに、島廻り仮説とかいう、捏造を積み重ねるのだけれどね

762:日本@名無史さん
18/08/20 20:24:48.13 .net
>>740
>届いて飛び出ているのに、「届く」で済ませているよね!
>>715で、「畿内まで届くので」を
「一つの文に二つも詐欺を書き込む図太さ。」と根拠のない言いがかりをつけられたから、
届くことを示しただけだが?
>>740>>715を書いたんだろ?
自分で恥ずかしくないのか?
まあ、九州説の人間なら恥ずかしくないんだろうな
短里があるといって憚らないんだから

763:日本@名無史さん
18/08/20 20:25:53.25 .net
>>742
>九州なら当てはめてなんの矛盾もないのだから。
当てはめる前に、短里という単位の存在が矛盾だらけなんだよ
使う人がそもそもいないってところからおかしい

764:日本@名無史さん
18/08/20 20:25:56.55 .net
あれれ?かなあしかったんか?
わえの予想はずれまくりの大会やな

765:日本@名無史さん
18/08/20 20:27:45.57 .net
誤爆したかも?ごめん

766:日本@名無史さん
18/08/20 21:01:24.23 .net
>>746
>どう見ても見劣りする
郡使が行かなかった倭地の墓など、どうでもよい。

767:日本@名無史さん
18/08/20 21:01:59.46 .net
>>747
>魏晋里で二千里も行ったら、九州から飛び出すだろ?
最後の二千里だけ急に長里になるわけないだろ!

768:日本@名無史さん
18/08/20 21:14:04.31 .net
>>739
>九州上陸してから二千里で邪馬台国なんだ!
魏晋里で二千里も行ったら、九州から飛び出すだろ?
>つまり邪馬台国は九州と書いてあるんだよ!
つまり、九州じゃ無理なんだよ
そして、念のため、九州説の捏造の短里とやらで考えても、
二千里で150キロ程度になる
北部九州の博多湾岸から、有明海まで50キロくらいだ
伊都国、奴国のあたりに邪馬台国を持ってくるのは無理だってことだ
そして九州説はそこからさらに、島廻り仮説とかいう、捏造を積み重ねるのだけれどね

769:日本@名無史さん
18/08/20 21:34:06.71 .net
九州と畿内は別勢力。
畿内が邪馬台国であるわけなかろうに。

770:くまモン論者
18/08/20 21:45:39.45 .net
>>736
それもええな。
やはり卑弥呼が天照大神なのかな?

771:くまモン論者
18/08/20 21:47:35.18 .net
朝廷とゆかりの無い、九州の豪族の墳墓なんて残るわけもない。
暴いて略奪して更地にして新たな国司の墳墓にでもなってるんだろうね。
たぶん筑紫の君磐井の古墳の下あたりにあった。

772:日本@名無史さん
18/08/20 22:22:49.66 .net
>>726
長里を、使う前に、短里が、
淮南子にでていたやない。それまだ、
論破されてないよ。
反論まってる。

773:日本@名無史さん
18/08/20 22:39:43.20 .net
>>736
山門、今は山都に名前かえてるなあ。
しかし、重要なことは、
魏志倭人伝に、阿蘇の蘇を使う、
國が、2つ掲載されていて、
女王國から、北をみたら、との
説明なんよね。つまり、
張政なり、朝貢した倭人であれ、
認識していた地理感だな。
となると阿蘇よりすこし
南。山門もギリ入りますな。
で、山門から、山を登っていくと
高千穂。で。天孫族。そこから
川を反対側に、くだると神武さんの
ふるさと。高千穂から、
傾山に尾根伝いにいけば、宇佐にも近いしな。
木浦鉱山は、錫鉱山だから、
ここを、おさえている権利がなけるば、
国産鏡は、つくれないよ。

774:日本@名無史さん
18/08/20 22:41:21.56 .net
>>756
神域はこんもりとした丘で、径百余歩150mほど。
その頂付近にあるご神体山自体はそう大きくはない。
それをぐるり回れる小径もあるが、頂上へは立ち入りできかねる。
古代史上の卑弥呼は、じつは大和朝廷にとって決して無視できない存在だったのではないか。

775:日本@名無史さん
18/08/20 22:48:26.81 .net
木浦鉱山は、古代からの重要鉱山。
山都は、神武一族の阿蘇神社と深い関係ありと聞いた。。

776:日本@名無史さん
18/08/20 22:48:58.19 .net
中国の学者が、「魏志倭人伝」を
読んでいて、違和感ある箇所の
指摘が面白かった。
魏志倭人伝は、「今」という
感じを使いながら、説明している。
報告書なら、過去系なりに、まとめ
られていくのに、
今をつかうのは、
編集している際も、報告書があがって
きている状態だと。
なるほど、いわれてみたら、数カ所あるわけ
だから、そこらの箇所は、
随時、新しい情報があがりしだい、
記載した可能性あるな。
つまりは、それなりに、
交流は、あったわけだな。

777:日本@名無史さん
18/08/20 22:54:31.73 .net
>>761
宇佐神宮は、伊勢神宮ともならび、
重要な神社ですが、
実は、高千穂神社の跡目が
なくなった時は、わざわざ、
宇佐神宮から、人を出したんです。
わざわざ、宇佐神宮より、
人をだしてまでも、守る高千穂神社の
意味合いは、そこが、トヨなりの
源流かもしれませんね。
豊前のトヨ。

778:日本@名無史さん
18/08/20 22:57:33.25 .net
出雲国の同盟であった、紀伊や奈良地域は、
東海含めて、天照の関連神社は、あるが、
全て、男性で、女性の天照は、ないよな。

779:日本@名無史さん
18/08/20 23:01:45.06 .net
>>759
その後の中国の倭に関する
梁書かな、それに


780:は、阿蘇山を わざわざ説明しているよな。 三輪山とか甘南備山などの 表記はないんよな。お膝元の 三輪山を書いてないのも、 ヤマトが、当時は、奈良ではなかったかと。 邪馬台国のすこしの時期ね。



781:くまモン論者
18/08/20 23:22:09.76 .net
>>760
卑弥呼と記紀をリンクさせてくれそうだな。
なんだか面白そう

782:日本@名無史さん
18/08/20 23:57:03.60 .net
>>757
>朝廷とゆかりの無い、九州の豪族の墳墓なんて残るわけもない。
>暴いて略奪して更地にして新たな国司の墳墓にでもなってるんだろうね。
>たぶん筑紫の君磐井の古墳の下あたりにあった。
くまモン論者ともあろう者がそんなトンデモを書いてどうする
伊都国の三雲遺跡群の中にある端山古墳、築山古墳をどう考えるんだ?
ちゃんと残ってるぞ?

783:日本@名無史さん
18/08/21 01:38:23.16 .net
>>757
証拠が全く見つからないことの言い訳にしたいんだろうけど
伊都国や奴国で九州邪馬台国らしき痕跡が皆無なのはどう説明する?

784:日本@名無史さん
18/08/21 06:18:48.48 .net
>>768
伊都国は千戸程度だから、感田上原遺跡や帯田遺跡などがある「直方辺り」だろう。 
奴国は上本町遺跡・、下伊田遺跡・五徳畑ケ田遺跡・真崎遺跡などがある「田川辺り」。  

不弥国は
築城五反田遺跡、上別府沖代遺跡、安武・深田遺跡、安武・土井の内遺跡、赤幡森ヶ坪遺跡
などがある「築上町辺り」だね。  @阿波

785:日本@名無史さん
18/08/21 06:57:56.92 .net
>>768
皆無って、何が根拠だ?
集落遺跡も、豪華な王墓も複数ある。
外交に必要な硯もある。
伝承では金印もあった。

786:日本@名無史さん
18/08/21 06:58:51.30 .net
あ、くまモンは熊本か。
あそこは狗奴国だろ。

787:日本@名無史さん
18/08/21 07:08:45.42 .net
熊襲国なら日向大隅だね。
これがクナ国だろう。

788:日本@名無史さん
18/08/21 07:23:35.03 .net
>>770
>集落遺跡も、豪華な王墓も複数ある。

その伊都国や奴国の「集落遺跡」ってなに?  お墓はいいからね。  @阿波

789:日本@名無史さん
18/08/21 07:26:29.03 .net
>>772
>熊襲国なら日向大隅だね。
>これがクナ国だろう。

狗奴国(日向大隅)の王都集落遺跡はなに?  @阿波

790:日本@名無史さん
18/08/21 07:33:08.15 .net
クナ国は畿内ぐらいの版図があったんじゃないかな
畿内征伐でなにわ、北河内、ヤマトは卑弥呼を共立した勢力に降った
魏志倭人伝当時、邪馬台国ヤマトの南の狗奴国は南河内と和泉かな
国作りしたのに侵略されて、気の毒だな

791:日本@名無史さん
18/08/21 07:36:51.53 .net
>>775
>魏志倭人伝当時、邪馬台国ヤマトの南の狗奴国は南河内と和泉かな

狗奴国(南河内と和泉)の王都集落遺跡はなに?  @阿波

792:日本@名無史さん
18/08/21 07:55:49.11 .net
どれもこれも妄想ばかり。  @阿波

793:日本@名無史さん
18/08/21 08:31:57.76 .net
>>734
西日本の3世紀の墓がぜんぶ前方後円墳かい?
調べたら一目瞭然でしょ

794:くまモン論者
18/08/21 08:33:08.39 .net
>>767
前方後円墳は畿内にあった狗奴国の支配下の広がりを表しているんだろう。
端山古墳や築山古墳然り。
260年ごろには伊都国は狗奴国の支配下に入るからね。

795:くまモン論者
18/08/21 08:35:12.46 .net
>>771
はあああああ?!??
熊本は邪馬台国だと言ってるだろぶっころすぞ(*´ω`*)

796:くまモン論者
18/08/21 08:37:53.91 .net
>>777
キリ番おめw

797:日本@名無史さん
18/08/21 08:40:06.68 .net
>>780くまモン論者

どれもこれも妄想ばかり。  @阿波

798:日本@名無史さん
18/08/21 09:09:28.39 .net
>>770
伊都国は邪馬台国ではない
奴国は邪馬台国ではない
伊都国や奴国を邪馬台国と呼んでる特殊な人は邪魔だから引っ込んでてくれるか

799:日本@名無史さん
18/08/21 09:48:53.10 .net
>>780
菊池彦はどうするんですか?

800:日本@名無史さん
18/08/21 10:19:36.79 .net
菊池氏は11世紀に熊本平野に下向して、土着した一族
以降、領地を「菊池」と表した。
其官・狗古智卑狗は三世紀であり、この菊池氏とは無関係。
倭人伝によれば、
邪馬台国と狗奴国は、常時戦争状態にあったようなので、近接していたと考えるべきであろう。
邪馬台国を熊本平野+阿蘇一帯とすれば
狗奴国は、熊本緑川とその周辺の広い湿地帯を挟んだ南にあったと考えれば、立地的に符合する。
現在の、御船・甲佐・宇土・宇城・八代であり、大古墳などの遺跡も少なくない。
なお景行天皇記によれば、
この御船の地の後方の朝来山には、逆賊180人がこもって従わなかったので、
熊本・火の君の祖の建緒組を遣わしてこれを誅したとの記述もある。
まさに 邪馬台国 対 狗奴国 の抗争事件であった。

801:日本@名無史さん
18/08/21 10:29:05.08 .net
>>778
>西日本の3世紀の墓がぜんぶ前方後円墳かい?
>調べたら一目瞭然でしょ
なら、調べて具体的に指摘してよ
ただ、古い発掘成果のまま、最近の編年観での評価をしていないのもあるから
きちんと調べた上で報告してね
沼津の高尾山古墳あたりで西暦230年頃という推定年代が出てるよ

802:日本@名無史さん
18/08/21 10:30:30.27 .net
>>779
>260年ごろには伊都国は狗奴国の支配下に入るからね。
これ、どこから来た妄想だ?
根拠は何?
具体的に教えて?

803:日本@名無史さん
18/08/21 10:33:34.19 .net
>>780
>熊本は邪馬台国だと言ってるだろ
熊・隈のKUMAと、狗奴国のKUNAでは子音が変わるから、関係ないよな
日本語に限らず、動詞の活用その他で母音が変わっても同じ単語と認識されるが
子音が違えば別の単語になる
熊本が狗奴国というのは、音韻的には根拠薄弱すぎる
まあ、熊本が邪馬台国というのも厳しいけれどww

804:日本@名無史さん
18/08/21 10:35:23.24 .net
>>785
>狗奴国は、熊本緑川とその周辺の広い湿地帯を挟んだ南にあったと考えれば、立地的に符合する。
>現在の、御船・甲佐・宇土・宇城・八代であり、大古墳などの遺跡も少なくない。

狗奴国(御船・甲佐・宇土・宇城・八代)の王都集落遺跡はなに? 
どれもこれも妄想ばかり。  @阿波

805:日本@名無史さん
18/08/21 10:45:08.95 .net
やや後世の史料になるが、
大宰府に伝わる9世紀の翰苑には、「南、邪馬嘉国」の記事がある。
邪馬台国が訛って、いったん○○○国となり、更に好字令によって「邪馬嘉国」になったのであろう。
そしてさらにこれが現在の、熊本県 山鹿市 として伝わるものと思われる

806:くまモン論者
18/08/21 11:36:44.61 .net
>>782
はあ

807:くまモン論者
18/08/21 11:38:40.90 .net
>>784
狗古智卑狗は河内彦だな

808:日本@名無史さん
18/08/21 11:42:28.63 .net
笠井もアレだったが、その@弟子たちも役に立たんな
王都の遺跡の一つや二つ、自分で探して自慢して見せろ

809:くまモン論者
18/08/21 11:43:30.39 .net
>>787
 泰始二年十一月己卯 倭人來獻方物
これが邪馬台国の最後の消息だからな。
そのあとは421年の倭王讃になる

810:くまモン論者
18/08/21 11:47:54.48 .net
>>788
その通りです!!
熊襲こそ邪馬台国の末裔のような希ガス(ソースなし

811:日本@名無史さん
18/08/21 11:59:27.09 .net
>>794
>泰始二年十一月己卯 倭人來獻方物
>これが邪馬台国の最後の消息だからな。
西暦266年の晋への朝貢記事だね
これ、台与の朝貢とは限らないっていうのはいいかな?
この266年の朝貢を「女王」とする史料は日本書紀しかない
神功皇后紀
六十六年。是年、晉武帝泰初二年。晉起居注云「武帝泰初二年十月、『倭女王』遣重譯貢獻。」
これに釣られて、みんなこれを台与の朝貢だと考えているけれど、他の史料では
「倭人」としか書いてない
これをどう考えるべきか

812:日本@名無史さん
18/08/21 12:02:23.74 .net
>>794
安帝紀義熈九年(是歳)(413)  高句驪、<倭國>、及西南夷、銅頭大帥、並獻方物。

813:日本@名無史さん
18/08/21 12:08:10.88 .net
九州説の人に訊きたいんだが、
唐代にも東夷伝里あるいは短里があったと主張するのかしないのかどっちなんだい?

814:くまモン論者
18/08/21 12:23:25.17 .net
>>796



815:、なのよ。 この辺は微妙だな。 弟子ちゃんの意見を聞きたいところ



816:くまモン論者
18/08/21 12:35:14.51 .net
>>797
なんだよw
わざわざありがとう

817:日本@名無史さん
18/08/21 14:18:26.33 .net
>>795
伊都説でも、卑弥呼は肥国出身の女王で、熊襲はその眷属だと思っているけどね。

818:日本@名無史さん
18/08/21 14:48:42.18 .net
名字の起源:隈、
>現佐賀県と長崎県にまたがる肥前国彼杵郡隈村が起源(ルーツ)である、
桓武天皇の子孫で平の姓を賜った家系の平氏(桓武平氏)。
現福岡県南部である筑後の豪族、
現京都府北西部と兵庫県東部である丹波氏・神代氏族。
語源は、動物の熊、山麓から峰へと続く稜線、曲がった谷間、角などからきている。地名としては、愛知、福岡、熊本、大分に存在する。<
上のように熊本(隈本)の語源になった隈(くま)の起源はわりあい新しい。
これと、熊襲のくま・球磨のくまなどが同類かどうか、慎重に考慮すべきではないか。

819:日本@名無史さん
18/08/21 15:12:13.11 .net
神武天皇の東征開始点の日向だが、日向三代関連の地元の人物は
神「阿多」都比売をはじめ、「阿多」周辺の人物だと分かる
日向といいつつ、今の鹿児島県薩摩半島まで含めた日向を考えないと
いけないのではないかな

820:日本@名無史さん
18/08/21 18:27:15.37 .net
>>802
>現京都府北西部と兵庫県東部である丹波氏・神代氏族
ここの神代は、くましろとも読むらしい。初めて知ったわ。

821:日本@名無史さん
18/08/21 18:35:00.62 .net
神と熊は同じ意味だよね。
熊襲は倭国王族の尊称だよ。

822:日本@名無史さん
18/08/21 18:36:13.61 .net
【壹與と與止日女】
肥前国一宮である與止日女神社(佐賀県佐賀市大和町川上)があり、かつては河上神社と呼ばれていた。
その祭神は與止日女命(ヨドヒメ)といい、世田姫(ヨタヒメ)、淀姫(ヨドヒメ)、豊姫(ユタヒメ)とも呼ばれる。
與止日女神社を流れる佐嘉川は江戸時代の治水工事までは佐賀平野において筑後川に流入していた。
魏志に記された末盧国に比定される松浦にも淀姫神社(長崎県松浦市志佐町)があり、そこから松浦川を上った上流にも河上大明神こと淀姫神社という神社がある(佐賀県伊万里市大川)。
與止日女神社の末社は福岡県から熊本県、長崎県、対馬まで分布している。
後に淀姫神社は畿内にも勧請され、豊臣時代の淀川や淀姫の名前の由来でもある。
かつて豊前国一宮は今の宇佐八幡宮(大分県宇佐市)ではなく香春三山の香春宮(香春神社、福岡県田川郡)であったとされており、三の岳の祭神が豊比v命といい、同一人物の可能性がある。
この領域は邪馬壹国連合の一部であり、その主である與止日女命は卑弥呼の権威を受け継いだ壹與そのものだろう。
熊襲の由来が卑弥呼の敵であった肥後の狗奴国であれば、卑弥呼のいた筑後でも伊都国のあった筑前でも狗奴国のあった肥後でもなく、肥前から壹與が共立されることでバランスを取り、狗奴国が和解して倭国が統一されたと考えることができる。
この與止日女神社の西に大願寺廃寺跡(佐賀市大和町大字川上大願寺)という遺跡がある。
ここに熊襲の王であるクマソタケル、名をトロシカヤ(取石鹿文)という人物の墓が伝わる。
この地に伝わる伝承では、筑紫を根城としていたトロシカヤが筑紫の穴倉陣で小碓命に襲われて肥前川上に脱出してくる。
小碓命は船で肥前堀江、蠣久と追跡し、大願寺の山中でトロシカヤの宮の新築祝いに女装して潜入し、トロシカヤを暗殺する。
死の間際にトロシカヤはクマソタケルの名を返上してより小さな地域の王の名であるカワカミタケル(川上梟帥)と名を改め、小碓命にヤマトタケル(倭建命)の名を献上する。
ここで重要なのは熊襲がこの時代に筑紫を拠点に九州北部を治めていて、倭国の王家そのものと考えられる点である。
また、その本拠地は壹與と見られる人物の本拠地でもある。狗奴国として分裂していた肥国王統から女王壹與を迎えることで、倭国は安定を手に入れたのである。

823:くまモン論者
18/08/21 18:38:08.88 .net
>>801
淀姫さんが卑弥呼になんのね。
阿蘇の乙姫はどう思う?

824:日本@名無史さん
18/08/21 18:45:25.19 .net
いや、淀姫さんは壹與。
その名の通り。
どうせ二人は親族だから似たようなものだけど。
乙姫さんは親戚だけど、中国には名前が知られずに終わった。
他にも九州には女性首長は無数にいるし。

825:くまモン論者
18/08/21 18:53:28.09 .net
そこをなんとか!!
親戚なら脈はありそうだなw

826:日本@名無史さん
18/08/21 18:57:38.89 .net
狗奴国も、本来は倭国の一部なのでしょう。
王位を巡って反目したくらいの話で、異国ではない。
だから、次の代の壹與では一つにまとまったのでは?という話。
少なくとも、熊襲梟帥の伝承は福岡と佐賀なので、熊襲を必要以上に南に想定する必要もなし。
熊襲は邪馬台国王家の王の名前でよろしいかと。

827:くまモン論者
18/08/21 19:13:43.08 .net
>>810
だよな。
仲哀天皇も橿日宮(香椎)で熊襲の矢に当たり死んだいう話もあるぐらいだからな。

828:日本@名無史さん
18/08/21 19:15:08.93 .net
熊襲というのは景行天皇記で初めて出てくるまつろわぬ一族と思っていたけど、
それでいいのかなあ
だとすれば、
景行天皇は邪馬台国東遷後の筑紫倭王で、熊襲なる一族は、じつは邪馬台勢力の残党だったということが考えられるのでね。

829:日本@名無史さん
18/08/21 19:51:01.07 .net
で、九州倭国とやらでの、景行天皇の墳墓はどれ?

830:日本@名無史さん
18/08/21 20:50:58.60 .net
景行天皇の時代の筑紫女王は、景行天皇と共闘した神夏磯姫。
榊に八咫の鏡など三種の神器を掲げて登場し、筑紫の梟帥の称号が与えられている。
その年代は、神功皇后の二世代前とすると4世紀はじめ、つまり卑弥呼の死後60〜70年後くらいのことになる。
筑紫梟師や熊襲梟師などの梟帥も倭王の称号の一つだったのだろう。

831:日本@名無史さん
18/08/21 20:53:53.81 .net
景行天皇は時代が下ることになるが、
博多〜八幡あたりを地盤とした昔の倭奴国勢力の流れとみて、
お墓もその地域内にあるのではないか。(なお、必ずしも前方後円墳ではなかろ)

832:日本@名無史さん
18/08/21 20:58:29.24 .net
で、九州倭国とやらでの、景行天皇の墳墓はどれ?

833:日本@名無史さん
18/08/21 21:06:29.22 .net
景行天皇が都と定めた豊前国京都郡(福岡県行橋市)にあるだろう。
景行天皇は九州の外から来たから、本来の倭王宗家の人物ではないはず。

834:日本@名無史さん
18/08/21 22:52:33.63 .net
>>817
>景行天皇が都と定めた豊前国京都郡(福岡県行橋市)にあるだろう。
で、九州倭国とやらでの、景行天皇の墳墓は「具体的には」どれ?

835:日本@名無史さん
18/08/21 22:54:20.08 .net
古墳時代で、九州でも各地域の盟主墓が前方後円墳として造営されている状況下で、
倭王の「大王墓がない」ってどういうことなのかな?

836:日本@名無史さん
18/08/21 23:04:20.22 .net
どうでもいいだろ。
金印と八咫の鏡があれば。

837:日本@名無史さん
18/08/22 06:46:56.64 .net
>>820
それも無いので九州はダメだな

838:日本@名無史さん
18/08/22 08:19:35.51 .net
要するに景行天皇記は
九州にあった「倭国」の実力者たちによる九州島の再建・再編・再統一の物語

839:日本@名無史さん
18/08/22 09:50:29.92 .net
>>796 >>799
神功皇后記の238から266の邪馬台国の朝貢は
三国志読んだ記紀の著者が神功皇后の事績に付け足しただけ。
266は、事実自体が曖昧。 半島倭人国は存続してるし、九州でもいいけど
邪馬台国以外または分裂後の倭人海洋国が、新皇帝に国交を求めたのでは?
神功−卑弥呼壱与との時系列も 倭人伝によって
記紀になる、朝廷系王朝は未成立〜成立期、魏外交も無理。
神功皇后記 事績と西暦 東夷状況
346近肖古王百済建国 356奈勿王新羅建国 これを保護、後援して、
355 に、征東大将軍 営州刺史 楽浪王 となった高句麗を
楽浪帯方から追討している。 
倭の五王はこの時の高句麗冊封を知り半島利権を求めた外交。
神功皇后は 366〜369で 将軍を派遣し新羅百済戦争に介入
神功皇后記自体ラノベだが、238年に大和朝廷の女王は居ないんでないかな?

840:日本@名無史さん
18/08/22 09:52:02.76 .net
神イサオ?
実在しないと書いてあるはず、
そろそろ頭の病院に行ったほうが良い

841:日本@名無史さん
18/08/22 09:53:22.71 .net
日本でも有名な妖怪(神?)
というのは実在している

842:日本@名無史さん
18/08/22 10:00:26.76 .net
時系列?(年代などの意味らしい)がデテラメだという話

843:日本@名無史さん
18/08/22 10:06:05.81 .net
>>823
神功皇后紀に付け足したのは三国史記の記事の方じゃね

844:日本@名無史さん
18/08/22 10:12:17.94 .net
これも凄い話、
神功(いさお)が実在しないという事は、
神功(いさお)以前も実在しないという事になるでしょ?
その子供(子孫や末裔)も実在しない

845:日本@名無史さん
18/08/22 10:27:32.63 .net
実在していても良いけど、
朝鮮人だと書いてあるはず、書いてない?

846:日本@名無史さん
18/08/22 10:32:23.36 .net
百済というのは、むかーしの中華〜ロシア、書いてあるはず

847:日本@名無史さん
18/08/22 10:36:42.44 .net
ネットで調べてみた?良いことを言ってる人がいる
>また、倭人、倭ですが、これは蔑称で中国や韓国が日本を軽蔑しているのです。
↓これは逆
>倭乱の乱とは巨下が君主に対して暴力を振るう事なんですよ。
>神功皇后により三韓が日本の版図であったなら朝鮮征伐が正しいんですから。

848:日本@名無史さん
18/08/22 10:44:11.13 .net
『ボーボボ 田ぼ』
木ノ下大八というキャラが出て来るんだけど、
あんた誰?みたいな事を言っていたり

849:日本@名無史さん
18/08/22 10:55:45.34 .net
「神」は「くま」とも読むそうな
熊襲は、神祖の卑字書き換えだったのかもしれぬ

850:日本@名無史さん
18/08/22 12:35:43.60 .net
>>823
日本語がわかりにくい。

851:日本@名無史さん
18/08/22 12:37:38.12 .net
熊は部族のトーテムじゃないかな。
鷲、鰐、鯰などもそうだろうな。

852:日本@名無史さん
18/08/22 12:53:53.27 .net
>>835
でも日本はあまりトーテムを重視していない文化のように思うんだが?

853:日本@名無史さん
18/08/22 13:06:53.91 .net
>>819
>倭王の「大王墓がない」ってどういうことなのかな?
結局九州説は、九州王朝が古墳時代にも存続していたというしかないのだが、
九州には大王墓級の古墳が一つもない
そして、倭王武の上表文の「東征毛人五十五國『西服衆夷六十六國』渡平海北九十五國」が
うまく説明できなくなる
倭の五王の時代に九州王朝がないのなら、卑弥呼の時代にも九州王朝はないと考えるのがもっとも
尤度が高い

854:くまモン論者
18/08/22 13:31:12.59 .net
>>823
266年には卑弥呼はいないはずだもんな。
ここは台与のはず。
しかし266年の朝貢は台与の女王から10年以上経ってる。
台与じゃなくて倭人海洋国?の可能性もあるのねw
神功皇后がいたならば七支刀も銘文をどう読むのかだな。
晋の泰始四年(268年)か東晋の太和四年(369年)

855:日本@名無史さん
18/08/22 14:02:02.38 .net
七支刀が268年か369年か と言うのは、まじめな議論だったのかな?
三国志韓伝によれば、張政来日の247年には馬韓の韓王朝は滅亡してる。
その後、馬韓辰韓には漢四郡撤退付近まで王は無い。
346近肖古王百済建国 356奈勿王新羅建国
この建国前後で、日本の王が漢四郡地域の高句麗追討に尽力したわけで
この保護に対して、韓が朝貢外交を始めた対中でも
日本の傀儡属国化したから、皇太子も人質に出して
七支刀だの仏教だのの中国側からの下寵品を献上してるんですが?
268年なら、266年の司馬炎戴冠のお土産で七支刀貰ったとか?
倭王の壱与ちゃんも参列したんじゃないのかな? (ヾノ・∀・`)ムリムリ
皇帝の自慢ネタの史書にも、お土産記録無しだけどwww

856:くまモン論者
18/08/22 14:55:37.62 .net
瞬殺されたったwwwwwwwwwwww
二運繰り下げるのね

857:くまモン論者
18/08/22 15:05:33.53 .net
弟子ちゃん、これって倭王旨なん?

858:日本@名無史さん
18/08/22 16:02:06.92 .net
>>841
記紀 神功皇后は 366〜369で 将軍を派遣し新羅百済の戦争に介入
で、七支刀をポッポしゃんしたんだから、神功皇后でしょwww
369年=神功皇后49年 で 神功皇后は69年まで在位
でも、実際の歴史では神功皇后じゃダメ なら、応神天皇で良いかも?
景行天皇、神功皇后=ヤマトタケル で、九州、国内統一
仲哀天皇=神功皇后?、神功皇后=応神天皇 で、半島進出
で、
413から仁徳天皇が倭王讃として、南朝外交始めたかな?
でも、中国書が実話で、記紀は天皇の実在、在位も適当、って読みしか無理でしょ。
牛馬の移入や、鉄の国内生産の富国強兵実現後に対中外交始めたのは事実なわけで、
アホの始皇帝風古墳も まねっこなわけでw
天皇が国内でも漢字一文字の王名名乗ってたとしても、記紀より事実っぽい。
讃、珍、済、興、武って名前、
倭人伝の 中国人が和音名に当て字、ってムードの固有名詞とは、違うと思う。
外交文書には、署名も在ったのでは、ないかな?

859:日本@名無史さん
18/08/22 16:15:22.40 .net
>>803
阿という漢字の成り立ちをみたら、
そりゃ神に近い。クマとも呼ぶし。
阿蘇は、クマソ。

阿という字は、阜と可からつくら
れている。阜は、土塁、土を意味して、
可は、担架や担ぐ意味。
然るに、人工的に積み重ねて来た土山
の意味がある。その名をつけるには、
位が高いものになるはな。

字从阜从可。
“阜”意为“土堆”,
“可”意为“肩挑、担荷”。
“阜”与“可”联合起来表示
“人工堆积起来的土山”。
本义:曲阜
(沙发形的土山,三围形的土堆

860:日本@名無史さん
18/08/22 16:30:46.29 .net
>>836
>>835
>でも日本はあまりトーテムを重視していない文化のように思うんだが?
古事記や古伝には出てくるよ。
仏教導入の頃には廃れたんだろう。

861:日本@名無史さん
18/08/22 16:33:03.20 .net
>>837
>倭の五王の時代に九州王朝がないのなら、卑弥呼の時代にも九州王朝はないと考えるのがもっとも
直前の後漢代に伊都に倭王家があったのだから、倭国乱を挟んだ2世紀末に共立された卑弥呼がいたのも伊都であったと考えるべきだ。

862:日本@名無史さん
18/08/22 16:33:35.52 .net
鳥居、鳥の格好で舞う巫女、玉座や神輿に飾られている鳳凰
鳥トーテム
日本書紀にも色々な鳥が登場するし
天満宮とか牛トーテムだし

863:日本@名無史さん
18/08/22 17:07:22.46 .net
筑紫王家は鷹、豊国王家は鰐、肥国王家は熊と鯰、出雲王家は鷲がトーテムかと。
なんで肥国に2つあるのか知らんけど。

864:日本@名無史さん
18/08/22 17:09:31.55 .net
>>847
>筑紫王家は鷹、豊国王家は鰐、肥国王家は熊と鯰、出雲王家は鷲がトーテムかと。
こういうのはどこに出ているの?

865:日本@名無史さん
18/08/22 17:18:39.12 .net
記紀やら古伝やら神社の名前やらを拾うんだよ。
肥前河上神社の守り神は鯰だろ。
豊玉姫の正体は鰐だろ。
出雲がわざわざ関東まで来て立てた宮は鷲宮だ。
そういったものを集めると、概ねわかるよ。
鳳凰は実在しない生物だから、もっと後世に成立したのだろうけど。

866:日本@名無史さん
18/08/22 17:21:06.13 .net
鳳凰なんて庭鳥だからな

867:日本@名無史さん
18/08/22 17:27:02.28 .net
>>849
>出雲がわざわざ関東まで来て立てた宮は鷲宮だ。

なにをトンデモ言ってんの?  倭国(阿波)忌部の祖「天日鷲尊」だよ。  @阿波


868:日本@名無史さん
18/08/22 17:31:24.38 .net
>>849
>豊玉姫の正体は鰐だろ。
そこから、豊国王家は鰐、まで行くのは論理の飛躍じゃないのか?

869:日本@名無史さん
18/08/22 17:33:53.11 .net
>>852
>そこから、豊国王家は鰐、まで行くのは論理の飛躍じゃないのか?

トンデモ説とはそんなものと心せよ。  @阿波


870:日本@名無史さん
18/08/22 17:44:02.95 .net
仲哀天皇を出迎えた熊鰐も、筑紫岡田宮つまり北九州市の豊国の王家の名前だよ。
(筑紫とつくけど本質的には豊国)

871:日本@名無史さん
18/08/22 17:58:36.60 .net
扶桑国って、どこですか?

872:日本@名無史さん
18/08/22 18:05:05.37 .net
等間隔の地名だと想定すると、せいぜい小倉の岡田宮かな。

873:くまモン論者
18/08/22 18:53:16.94 .net
>>842
倭王旨は中国風一字名称か。サンクス

874:日本@名無史さん
18/08/22 18:55:40.83 .net
>>854
>(筑紫とつくけど本質的には豊国)
洞海(くきのうみ)から筑紫だし、その西側の岡(遠賀)を豊国というのは無理じゃないか?

875:くまモン論者
18/08/22 18:58:44.68 .net
>>855
出どころは『梁書』巻54 列伝第48 諸夷 海南 東夷 西北諸戎 扶桑國かな?
倭国の僧 慧深の作り話?!?

876:くまモン論者
18/08/22 19:08:21.63 .net
扶桑の元ネタは呉歌かな?
それが晋の白紵舞歌になったみたいだ。
これは一部分
東造扶桑游紫庭西至昆崙戲曾城
ここに出てくる紫庭が筑紫に関係あるとおもんだけどね。(賛同者なし

877:日本@名無史さん
18/08/22 19:33:07.00 .net
>>858
豊国は遠賀川流域文化圏でしょ。
律令制の豊後とかは忘れてね。

878:日本@名無史さん
18/08/22 19:39:48.20 .net
>>857
王が家臣に姓を与えることは判るが
中国側が 讃、珍、済、興、武って名前を付けるかな? 
そういう解釈は アホ学者 なのでは?
卑弥呼、壱与、帥升は一応は日本の女王、王として中国側で記録されてる。
奴国王升米 都市王牛利 巳百支王掖邪狗 載斯烏越 狗奴王卑弥弓呼
これは、統一王ではない大夫だが、異国の時の王名はそのまま記録されるべきだろう。
讃、珍、済、興、武が元号ではないとすれば、諡号ではない現王名が有るはずで
倭の五王も和名はホムタワケとかタリシヒコとして、これは天帝個人名で誰も呼ばない。
ヒロヒトとか、どこの朝鮮? アメリカ進駐軍だよwww ←これヒド
時代的に 讃、珍、済、興、武は、対外だけに限らず、漢字の姓を与えてる豪族間でも
今の天皇として、漢語風王名を表意文字で名乗ってる、であろうと思うのですが・・・
記紀作者の知らない、そもそも無かった王名や諡号に比定するより、
実史に近づけると思うべなwww

879:日本@名無史さん
18/08/22 19:40:47.43 .net
>>860
大変面白いと思います。

880:日本@名無史さん
18/08/22 19:53:31.95 .net
香椎の語源が越であると言われるくらい、九州北部から日本海沿岸の、倭の原初の勢力は越だと思われる。
それがずっと東に追いやられ、出雲が勢力を持つのだけれど、その出雲も排除される。
豊国はもともと志賀島の綿津見神や大山祇だけれど、やはり東に追いやられる。小倉あたりで止まるのは筑紫の天孫族との姻戚関係が強かったからかと。
そして倭の中心地の博多湾、豊葦原中国には筑紫の王国、伊都国が成立した。
これで、日本海沿岸の国である倭の政治力学に従って西高東低に筑紫、豊国、出雲、越が並ぶ理由がわかる。
その序列に並ばずに、天孫族に代わって倭国天下=伊都を取ったのが、肥国王家の熊襲の卑弥呼なんだろう。

881:日本@名無史さん
18/08/22 19:58:44.13 .net
日本海沿岸ではない大和は倭国の序列の枠外。
吉備や阿波などの瀬戸内海のアウトロー勢力にすら含まれず、ドロップアウト組が吹き溜まりをなしていたのが大和盆地。
それが天下の覇権を取るには、白村江の敗戦による国体の崩壊と、唐に取り入る狡猾さが必要だった。
律令制による全国支配の強化と同時に、記紀の編纂により7世紀以前の歴史を改竄し、邪魔な史書は焚書した。

882:日本@名無史さん
18/08/22 20:00:55.15 .net
>>860
筑紫の地名命名の由来は最も遅くて 筑紫の君
247年邪馬台国平定なら、新領主=一大率=刺史 
が任命され氏姓を与えられた。
でもまあ、300年以降かと? ←根拠無し
これはだれか? 奴国王升米でも狗奴王卑弥弓呼でもOK。
記紀は何も知ってない唯の馬鹿。
問題は、大和朝廷が
東造扶桑游紫庭西至昆崙戲曾城
を 筑紫命名の それ以前に読んでいたかどうか?
が、歴史かと?

883:日本@名無史さん
18/08/22 20:01:23.12 .net
>>865
>律令制による全国支配の強化と同時に、記紀の編纂により7世紀以前の歴史を改竄し、邪魔な史書は焚書した。
都合が悪い所に来るとこれだから、どうしたってトンデモの域を出ないんだよなぁ

884:日本@名無史さん
18/08/22 20:07:49.12 .net
7世紀より前の文書がほぼ皆無で、8世紀初頭に禁書の詔勅が出ているのは事実だよ。

885:日本@名無史さん
18/08/22 20:32:03.06 .net
>>868
>7世紀より前の文書がほぼ皆無で、8世紀初頭に禁書の詔勅が出ているのは事実だよ。
前にもどこかで聞いたけれど、
原典を調べたらただの拡大解釈=恣意的なご都合解釈だったように記憶してるんだが?

886:日本@名無史さん
18/08/22 20:46:01.26 .net
400年以降で公文書
500年以降で仏教他、文、書、が残せたことは間違いない。
大和朝廷は白村江以降で南朝との対隋唐敵対の国交史を消し去っている。
当時の焚書は、どう考えても、王家断絶より簡単である。
聖徳太子の史書は本当に残ってないのかな? 
ある、に一票www
↑これは オイオイ。

887:日本@名無史さん
18/08/22 21:23:23.39 .net
>>996の続き
また転写保存
国民の3割が、未だに、
「戦前の万世一系皇国史観」の安部文部省や右翼マスコミや、
キョクウの学会教育界の宣伝に騙されて躍らされて、
嘘つき騙しの大和説信者になったままである。

888:日本@名無史さん
18/08/22 21:24:11.75 .net
>>859
ありがとう!
扶桑”の神话と
富士山信仰に、関係があるみたいで、
それが、《山海经》の中の
海外东经と大荒东经の2つの章に
かいてあるとのコメントみてからね。
きになっていた。
その章は、日本の地理などを
書いているとその人は言ってたなあ。

889:日本@名無史さん
18/08/22 21:33:10.29 .net
>>860
扶桑国は、メキシコやと、いった
フランス人De.Guignesさんは、1761年に発表。
しかし、ドイツ人の
H.J.Klaproth1831年に、メキシコとか
ありえません。といってる。
扶桑国は、そだねー、多分
日本かサハリンの樺太島やなあと言ってた。
で、さらに時代は流れ、中国の
朱谦之(1941年,《扶桑国考证》)、
邓拓(《谁最早发现美洲》,1961)
などで、扶桑国と古代日本は、関係あると
発表し、賛同をえている。

890:日本@名無史さん
18/08/22 21:34:43.58 .net
>>869
和銅元年正月(708年) の詔に「亡命山澤。挾藏禁書。百日不首。復罪如初。(禁書を隠し持って山野に逃亡している者は、100日以内に自首しなければ恩赦を与えない。)」とある、記紀以前に多くの史書があったんだ。

891:日本@名無史さん
18/08/22 21:36:02.03 .net
結局、そのコメントを書いた人は、
扶桑国を日本に関係しているとしたら、
山海経が、実は一番最初に、
日本を詳しくかいたもんやから、
価値あるもんやね?といってる。

892:日本@名無史さん
18/08/22 22:07:08.41 .net
帝氈iていしゅん)は、
上古の中国神話に登場する東方の天帝
(帝舜と同じといわれる殷の祖神)。
(太陽の女神)と
(月の女神)は帝氓フ妻である。
日本語ウィキには、書いてないんだが、
程俊が、黒歯をつくり、姜姓(部族 農の神)
をうみだした。その姜一族は、
山東省にいて、お歯黒だった。

893:日本@名無史さん
18/08/22 22:22:51.64 .net
江南あたりから、東南に2000里に、
毛人のしまあるよと。
毛人に、ついての説明あって、背が低く、穴に住んで、多毛で、
羽衣の服をきているとあるな。
倭の表記につながるな。
《山海经》郭璞注说:
去临海(位于浙东)郡东南二千里,有毛人在大海州岛上。为人短小而体尽有毛,如猪熊,穴居,天衣服。

894:日本@名無史さん
18/08/22 23:14:56.35 .net
>>874
禁書とはあるが史書とは書いてないぞ

895:日本@名無史さん
18/08/22 23:21:10.80 .net
それ以外の何を禁ずるのでしょうか?

896:くまモン論者
18/08/22 23:33:30.36 .net
>>863
どうもありがとう////

897:くまモン論者
18/08/22 23:49:56.35 .net
>>866
日本書紀の天地開闢ところは淮南子のパクリで、神功皇后紀に魏志を記事を引用している事はもう調べはついている。
肝心の宋書と日本書紀はよくわからないorz

898:くまモン論者
18/08/22 23:56:12.05 .net
>>872
よかった。
それより富士山信仰とか面白そうだぞおいwww

899:日本@名無史さん
18/08/23 00:04:37.87 .net
>>879
禁書といえば魔導書

900:日本@名無史さん
18/08/23 00:18:01.64 .net
扶桑、富士とK齿国
“富士山”、このことばは、fujisang
“扶桑”を中国読みしたら、fusangと似ているとし
(山海経における扶桑は、扶桑のウィキに
のってるので、見てほしい)
重要なのは、富士山のように太陽がのぼり、
日出づる国を、連想できること。
で、コメントには、
黒歯国の北側に、扶桑国があるとあり、
ほなら、黒歯国は、比定できるんかい?
と話をすすめていってる。

901:日本@名無史さん
18/08/23 00:24:07.86 .net
>>881
>日本書紀の天地開闢ところは淮南子のパクリ
つうか、魏志倭人伝の東方世界観も淮南子が下敷きだろ?

902:くまモン論者
18/08/23 00:26:27.58 .net
万葉集で大友旅人が竹林の七賢人のことを歌っているから、当時の知識人たちは晋書あたりはもう読んでそう。
となると晋書よりだいぶ前にできた宋書は当然読んでるとみたw

903:日本@名無史さん
18/08/23 00:31:22.44 .net
それで、まず黒歯国とは、
なんぞや?と話をしてくれて、
せれは、周書・王会に、記載されている。
周成王のとき、黒歯国が、朝貢しにきて、
白鹿と白馬を献上しているとある。
鹿を献上することは、鹿を神の化身とか
その国の風俗文化を表している。
とコメントしている。

904:日本@名無史さん
18/08/23 00:45:35.20 .net
山海経の海外東経の冒頭に書いてある
「海外とは、東南から東北に至るもの」
が、日本が、正にその方位の範囲に入ると
かいている。

905:くまモン論者
18/08/23 00:49:27.14 .net
>>876
そういえば太公望呂尚は姜族だったな。


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