邪馬台国畿内説 Part ..
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771:日本@名無史さん
18/07/19 20:41:38.51 .net
 魏志倭人伝で、九州に上陸してすぐ
 末廬國から伊都国を、本当は「北東」なのに、「東南」陸行って間違ってるね
 魏志倭人伝では狗奴国は「南」なのに、後漢書では「東」度海千餘里至拘奴國になってるね
 どちらかは間違いだね
 隋書では、対馬から壱岐が「東」に間違ってるね
 旧唐書でも
 「皋遂命巡官崔佐時至牟尋所都陽苴?城,南去太和城十餘里,
  東北至成都二千四百里,東至安南如至成都,通水陸行」
 とあって、内容を確認すると
 陽苴?城は現在の大理白族自治州大理市で、そこから東北に2400里で成都、
 「東」に水行陸行を通して成都に至る如し(同じくらいの距離)で安南(ハノイ)に至る 
 となっているけれど
 実際には成都から安南は「東南」
 大陸の史書に、方角が間違っている例は、こんなにあるんだけどさ
 どうしてだろうね?
 探せばまだまだいくらでもあると思うよ
 大陸の正史は、国外のことには無頓着だからね

772:日本@名無史さん
18/07/19 20:42:24.71 .net
だから、ここの検証抜きの「東≠南」には何の意味もない

773:日本@名無史さん
18/07/19 21:07:10.28 .net
>>746
もうその事実だけでも九州説は唯一の拠り所を失うよなぁ

774:日本@名無史さん
18/07/19 21:13:17.38 .net
>>746
>魏志倭人伝で、九州に上陸してすぐ
>末廬國から伊都国を、本当は「北東」なのに、「東南」陸行って間違ってるね
末廬國から伊都国を、本当は「東南陸行→佐賀平野」なのに、畿内説は「北東→糸島」って間違ってるね
>魏志倭人伝では狗奴国は「南」なのに、後漢書では「東」度海千餘里至拘奴國になってるね
 
狗奴国はクナ国と読み、拘奴國はコウナ国と読む、どちらも正しいね

775:日本@名無史さん
18/07/19 21:21:41.25 .net
>>746
>魏志倭人伝で、九州に上陸してすぐ
 末廬國から伊都国を、本当は「北東」なのに、「東南」陸行って間違ってるね<
陳寿の行程記載は、
人類の常識通りに「出発説明+途中説明+到着説明」に順に記載しており、
末盧國からの「東南陸行五百里到伊都国」も、
「東南」が出発時点での出発方向で、目的地の伊都國は見えておらず、
「陸行五百里」が途中説明で、案内人や道標などの道なりに進むのであり、
「到伊都國」が到着説明になっており、
東南は、間違っていないね。
>魏志倭人伝では狗奴国は「南」なのに、後漢書では「東」度海千餘里至拘奴國になってるね
 どちらかは間違いだね <
後代の後漢書は、前史の魏志の記載を「自己解釈に拠る書き換え」をしているから、
後漢書は信頼性が低く、根拠にならず、後漢書の間違いだろうね。
 
>隋書では、対馬から壱岐が「東」に間違ってるね<
竹島 から「東」に進んで、済州島やツシマを見て、
そのまま東に直進して一支國に至ったのであり、何も間違っていないね。

776:日本@名無史さん
18/07/19 21:29:34.10 .net
>>750
>済州島やツシマを見て、
>そのまま東に直進して一支國に至ったのであり
「自己解釈に拠る書き換え」をしているね
信頼性が低く、根拠にならないな

777:日本@名無史さん
18/07/19 21:38:28.81 .net
>>746
>旧唐書でも
 「皋遂命巡官崔佐時至牟尋所都陽苴?城,南去太和城十餘里,
  東北至成都二千四百里,東至安南如至成都,通水陸行」 とあって、内容を確認すると
 陽苴?城は現在の大理白族自治州大理市で、そこから東北に2400里で成都、
 「東」に水行陸行を通して成都に至る如し(同じくらいの距離)で安南(ハノイ)に至る 
 となっているけれど
実際には成都から安南は「東南」<
「如至成都,通水陸行」は、地図を見れば判るけど、
大理から一旦「成都へ至る道沿いや川沿いに、東へ向かう水陸路を採って」おり、
昆明付近から川沿いに安南へ向かっているので、
「如至成都,通水陸行」は、通行路説明をしており、
「東至安南」の「東」は、間違っていなかった事になるね。
>大陸の史書に、方角が間違っている例は、こんなにあるんだけどさ どうしてだろうね?
 探せばまだまだいくらでもあると思うよ 大陸の正史は、国外のことには無頓着だからね<
結局、どれも「方向を間違っていなかった」のであり、
周髀算経や礼記の、
「午前と午後の太陽位置を結んで東西を決め、更にそれに直角に南北を決める」事や、
指南魚のような方位磁石を使える魏使らは、
東西南北を間違える事はなかったんだよね。

778:日本@名無史さん
18/07/19 21:42:12.90 .net
>>747
>だから、ここの検証抜きの「東≠南」には何の意味もない<
だから、検証の結果、中国の識者は、東西南北を間違える事はなかった訳で、
従って、「南→東」とした大和説者は、嘘つき騙しの詐欺師であった訳で、
だから、大和説は、×ね。

779:日本@名無史さん
18/07/19 21:50:14.56 .net
>>753
>だから、検証の結果、中国の識者は、東西南北を間違える事はなかった訳で、
あなた、検証なんて何もしてないでしょ
妄想しただけ
だって証拠を出してない
そんなことだから古田妄説は、×ね。

780:日本@名無史さん
18/07/19 21:53:06.62 .net
>>750
>「東南」が出発時点での出発方向で、目的地の伊都國は見えておらず、
はい
一寸千里とか使わなかったかった証拠
出ましたぁ
ww

781:日本@名無史さん
18/07/19 22:14:14.22 .net
「出発説明〜」であれば、「南→東」も否定できなくなる

782:日本@名無史さん
18/07/19 22:23:42.31 .net
>>753

で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と
龍信仰と亀卜は?

で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着したとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?

今言えウソブキ老いぼれ!

783:日本@名無史さん
18/07/19 22:41:55.54 .net
「大和弥生社会の展開とその特質(再論)」
URLリンク(www.makimukugaku.jp)
もともと第一の道論は、奈良盆地の自然環境の卓越性を根拠に、生産力の先 進性をことさらに高く見積もり、前期古墳に見る隔絶性から前段階の強力な権力の存在を推定するという本末転倒の論理によって説明されてきた感が強い。
以降、第一 の道論は吉備連合論、河内(大和川水系)連合論、鉄ルート開発 ・ 確保論、倭国乱での巻き返し論等々を巻き込み、 修復を繰りかえしながら多くの論者によって支持され続 けてきた。
しかし証明のための論理や手法に根本的な改 善は見られない。
私は第一の道を否定する立場である。
第二の道とは、(中略)大和弥生社会がこの時期により大き な別の権力主体によって征服、あるいは包括、
刷新されるという苛酷な道であり、そこでは農業共同体構造の再 編は外的強力によって強制的に達成されたことになる。
旧稿において私は、(中略)第二の道を主張した。
しかしこのことが、私があたかも北部九州勢力の東遷論 者であるかに評価されることとなり、
5年後に刊行された橿原考古学研究所論集では改めて、いわゆる「東遷論」 一般には与するものではないことを明記した。
こうした小共同体の安定した強固にすぎる程の紐帯とそれを安住させ得る自然条件の卓越性、それゆえの保守的基盤と非闘争性をもつ大和の弥生社会が、
いわゆる「ヤマト王権」と呼ばれる政治的連合体の権力中枢を内的に生成させ、国家形態を「王国」にのし上げ得るだけの母胎にはたしてなりうるのだろうかという疑問をもつにいたった。
そもそも私は、橿原考古学研究所に入所し自らこのテーマを追い始めた1976 年頃から、大和弥生社会の自然的、社会的、
そして文化的安定性とそれゆえの緊張関係の欠除、いわば内陸後背地の保守的地域がそうした王権機構を生成するような母胎にはたしてなりえたのか、というこの疑問が終始脳裏を離れることがなかった。
(一)大和にとっての外的強力とはいかなる地域のいかなる集団であったか(権力中枢の系譜)、
(二)彼らの征服活動に興ずる必然性とその対象としての大和とりわけ東南部の重要性、
(三) 農業共同体再編の具体化と階級的支配関係の実体については、その後の論攷で私なりの一応の答えは用意することができた。

784:日本@名無史さん
18/07/19 22:46:02.13 .net
東遷説には与しない
by 寺澤 薫

785:日本@名無史さん
18/07/19 22:56:42.64 .net
>>759
お前みたいなのが攻撃するから、一応そういう建前にしておいただけだね。
だからこそ、結論を明言せずに、これまでの著作を読めばわかる、としか書けなかったんだよ。
誰が圧力をかけたんだ?

786:日本@名無史さん
18/07/19 23:05:00.71 .net
>>760
九州イタコw

787:日本@名無史さん
18/07/19 23:29:39.43 .net
寺澤説を要約すると
古墳時代社会への移行は、大和での純粋な内的発展や大和が主導的立場となる外部勢力との連合などによるものではなく、
大和が外部から圧力を受けることによって客体的に成し遂げられたものだが、ここでいう外部からの圧力とは移住によるものではない
てなとこだな
伊都クズには理解できないだろうがなw

788:日本@名無史さん
18/07/19 23:44:05.14 .net
東遷なんて言葉を見ると脊髄反射する輩が多いのだろう。
だが、人も物もない大和に強大な権力が自生するはずもない。

789:日本@名無史さん
18/07/19 23:45:36.15 .net
つまり古墳時代を成立させた勢力は、大和の外にいたんだよ。

790:日本@名無史さん
18/07/20 00:18:08.44 .net
でも大和には住み着いていない

791:日本@名無史さん
18/07/20 00:36:36.91 .net
最大勢力は大和に移住せず、大和の外から影響を与え続けたと言うこと。
寺沢氏は、東遷は否定するが、東征は否定していない。

792:日本@名無史さん
18/07/20 00:37:45.76 .net
そして大和は独自の銅鐸文化を捨て、博多湾沿岸の銅鏡文化、それも内行花文鏡を至高とする文化を受け入れた。

793:日本@名無史さん
18/07/20 00:38:58.09 .net
大和から筑紫へは土器(とその中身)が流入
筑紫から大和へは権威の象徴が流入
これは植民地と宗主国の関係そのままだよ

794:日本@名無史さん
18/07/20 00:43:24.51 .net
>>763
>人も物もない大和
論文原本がそのまま読めるんだから、素直に読みなよ
「こうしてみると、「ヤマト」国の重層構造は、「層富」国や
 「葛城」国に比べて明らかに層が厚い。国邑つまり「国」都が
 限定しにくい二国に比べると、「ヤマト」国の国邑は明らかに
 唐古 ・ 鍵遺跡なのである。このことは言い方を換えれば、
 「ヤマト」国の部族的国家としての結合性(結束性)や求心性の
 強さに比べると、他の二国の脆弱性や分立性が指摘できるかも
 しれない。藤田三郎氏はこの点に注目して、第V様式以降を
 念頭においての唐古 ・ 鍵遺跡を頂点とした奈良盆地のピラミッド構造を
 想定している(図13)55)。重要な指摘であろう。」
ちゃんと唐古鍵を国邑として、人も物もしっかり集積してるよ

795:日本@名無史さん
18/07/20 00:45:51.23 .net
>>752
>大理から一旦「成都へ至る道沿いや川沿いに、東へ向かう水陸路を採って」おり、
ウソつき
そんなところに水行路はない
水行は安南(ハノイ)に向かうソンホン川の下流部のみだ
ザラコクさんは「検証せずにいい加減をいう」の実例ww

796:日本@名無史さん
18/07/20 00:58:02.90 .net
>>769
>「こうしてみると、「ヤマト」国の重層構造は、「層富」国や
> 「葛城」国に比べて明らかに層が厚い。国邑つまり「国」都が
比較相手がショボすぎるだけだよ。
井の中の蛙だよ。
筑紫や吉備と比較しているわけではない。
葛城はないよな、程度の話。

797:日本@名無史さん
18/07/20 01:17:31.82 .net
狗奴国は与那国であり、先島諸島の東テイ(魚是)人の中心勢力
これが沖縄盟主の邪馬台国と対立していた

798:日本@名無史さん
18/07/20 03:53:25.23 .net
>>693
>お前は、ハイエナのプロぐに載っていないから、私が嘘を言ったのだろう、という宣伝をしたんだよ。
甚だしい被害妄想だな。そもそもこの件の情報はその人が出したものではないのか。
>ハイエナは、一枚或いは裏表で2頁の文字数の平均を求め、 それに三国志全体の厚みからの枚>数や頁数の概数を掛け算して、全体の文字数を概算したんだよ。
個人的な興味レベルの数字だな。
>「百度」ってなにか?は、知らんが、 合計が約70万字であったんなら、ハイエナの計算は、大体あっていたんだな。
やっぱり未確認か。
よくまぁ未確認の数字を根拠に使うね。
>宋明清代には、当然など写本そのものや、底本写本などは残されているされてもの。
>何百年も経った宮内庁本も残っていたんだろ?。
北宋の刊行本を作った頃には、まだ写本が残っていたようだ。
しかし金の侵攻(1127年)で北宋の刊行本も版木もほとんどが奪われ失われた。
地方で戦火を免れた北宋の刊行本から復刻したのが南宋の刊行本と言われている。
>「馬」根拠は、隋代以後に存在し、
>「海」根拠は3世紀の魏志にのみ存在し、隋代以後には存在しない、 という事で十分だな。
薄っぺらいな。誤字のある12世紀の刊本で判断出来ないだろ。

799:日本@名無史さん
18/07/20 03:58:04.83 .net
>>650
>お前ら大和説者や安部自民や右翼マスコミや右翼学会教育界などの右翼人種は、
>「南」を抹殺し、九州説を抹殺し、 「万世一系皇国史観によって殺人テロや侵略戦
>争」で近隣諸国民を抹殺する事が好きだねえ。
このスレで「抹殺、殺人テロ、戦争」を使っているのは一人だけだよ。
>「南」は、史料事実そのものだ。
そんなこと言い張っている奴が、史料批判なんか出来ないだろ。
相反する事を言っている自覚がないのかね。
>不可知部分が殆どである自然や歴史においては、「知り得た事実からの推論」が学問や科学の出発点だ。
妄想の出発点だ。非存在ならなおさら。
>学問の世界に、史料事実の否定抹殺や、
>「万世一系皇国史観」などのような「結論先にありき」の断定宗教思想を混ぜるなよ。
断定しているのは君だけだろ。
保留の意味がわからないのかな?
史料批判によって誤字と判断しているだけなんだがね。
せめて議論の作法やマナーを守りなよ。

800:日本@名無史さん
18/07/20 04:09:51.07 .net
>>658
>戦前の「万世一系皇国史観」の殺人抹殺テロや侵略戦争を連呼していれば、
>最後は勝ち残った勝者一人が残り、そのものの寿命が来れば、確実に人類滅亡になる。 怖いねえ。
>人は皆、一人では生きて行けないもの。人類も生物も皆兄弟。地球は全生物の財産。 奢る大和説者、久しからず。
すごい妄想だな。なにかの新興宗教なのかね。
このスレでそれを連呼しているのは君一人だけなんだが・・
欠史八代は造作だと思ってるのに、萬世一系と言われてもな。
>知り得た全ての情報の資料批判をして、客観性や信頼性を推し測って、
>それから帰納的確率的な推論をする事が、もっともまっとうなやり方だよ。
そんなやり方を指導する本があるならお目にかかりたいもんだ。
>その情報を、自説に都合が悪いからとして、否定曲解しているのが大和説者。
都合なんて誰も考えてないよ。
自分が結果ありきだから、他人も同じとは思わないでほしいね。
>お前や大和説者は、貴重な単一情報を、大和説にとっては都合が悪い、というだけで、否定抹殺している。
保留という言葉の意味が理解できないようだ。
単一情報を貴重と思い込む時点で「結果ありき」だとは思わないのか?
>史料批判に拠って、正しさの確率を推定するの。
単一情報では保留にするのが精一杯。
単一情報で正しさの確率?。数値なんか出せないだろ。「結果ありき」なんだよ。
>思想宗教的な結論先にありきでは、妄想がついて回るのは必然。
自分がそうだからといって、他人も同じと思わないでくれたまえ。

801:日本@名無史さん
18/07/20 04:17:22.36 .net
>>661
>王昶かどうか?は知らんが、「苑→新野に屯地を移す」話は、青龍3年であって、
>次の「襄陽付近での戦争」が起きたのは、241年であった筈。
王昶は青龍四年に司馬懿に推挙された。
正始中としか書かれていないため、「芍陂の役」の正始二年(241年)時点で王昶が洛陽に居たのか徐州に居たのかは判断できない。
正始二年(241年)時点では夏侯儒が征南将軍・都督荊豫諸軍事であることから、
王昶が征南將軍・假節都督荊・豫諸軍事にとなり宛に遷り上表文を出すのは、それ以降と思われる。
>襄陽付近での戦闘が始まれば、新野は、参戦してもしなくても危なくなる。
参戦すれば城ががら空き。
>司馬懿の援軍が来たのは、1年後であったんだろ?。
司馬懿の援軍は洛陽からで、一か月後。

802:日本@名無史さん
18/07/20 04:30:13.75 .net
>>665
>知らない。 娘はグーグルなら判るかも?と言ったが、目が悪くて、グーグルの出し方から判らない。
「googleマップ」と検索するだけだ。
中国の「百度地図」のほうが詳しいけどな。
>「三百里」情報そのものが、何らかの混乱があったかも知れぬ。
それはない。
>思想や宗教に拠っての、「結論先にありき」の記載の本は、 大多数の部分が、信頼性がない。
全否定を肯定するようだね。

803:日本@名無史さん
18/07/20 04:34:21.62 .net
>>676
>切り捨てなんてしないね。
>後代の「前代史書記載の書き換え」があった記載があれば、信頼性が半分しかない、として、
>参考資料しかない程度だ、言っているだけ。
「〇〇(文献名)」だからと一括りに切り捨ててるよね。
>後代史書の「勝手な書き換え」は史料事実であり、史料実態。
>そのような後代史書は、「半分×」であり、「全部×」ではない。
>当たり前の事。
君の言う史料実態と史料批判は相反してる。
都合の良いものは史料実態で〇。
都合の悪いものは史料批判で「半分×」。
批判に対する保険で「半分」にしているだけで、やっていることは「全部×」だよね。

804:日本@名無史さん
18/07/20 05:57:02.20 .net
>>381
邪馬台国は北緯32度付近の宮崎にあった
スレリンク(history板:540番)-545

805:日本@名無史さん
18/07/20 06:13:55.22 .net
奈良は墓地と考えるべきであろう
エジプトの王家の谷
王都は淀川水系沿い・・京都が有力

806:日本@名無史さん
18/07/20 06:15:13.33 .net
邪馬台国とは関係ないが

807:日本@名無史さん
18/07/20 07:06:18.74 .net
河内王朝 葛城王朝 三輪王朝・・・・・
初期ヤマト王権は畿内の連合体
邪馬台国⇒ヤマトとは考え無いほうが良いのでは???

808:日本@名無史さん
18/07/20 07:19:15.88 .net
法則
トンデモ説は理由を言わない

809:日本@名無史さん
18/07/20 07:27:40.66 .net
ああああ
纏向に住居跡がああああああ
欲しいーーーーーーーーーーーー

810:日本@名無史さん
18/07/20 07:36:08.33 .net
>>784
キウスさん、またイタコ病の発作ですか?

811:日本@名無史さん
18/07/20 07:43:28.87 .net
>>784



812:ヌ盆地にいくらでも集落があるだろう 東京都庁内に都職員の住居がないのがおかしい、って言ってるのと 同じ程度におかしなことを主張しているのは分かるかい?



813:日本@名無史さん
18/07/20 07:59:37.70 .net
>>748
「中国人指揮者は、東西南北を間違えなかった」という実態だけでも、
もう大和説は、拠り所を全て失うよなぁ。

814:日本@名無史さん
18/07/20 08:10:33.45 .net
>>751
>>済州島やツシマを見て、 そのまま東に直進して一支國に至ったのであり<
>「自己解釈に拠る書き換え」をしているね 信頼性が低く、根拠にならないな<
史料事実は、
「明年、上遣文林郎裴清使於倭國。度百濟、行至竹島、南望身冉羅國、經都斯麻國、迥在大海中。又東至一支國」
であり、
至った場所としては「行至竹島」と 「又東至一支國」しか書かれておらず、
その間は、「在大海中」であった事になり、
「対馬島から壱岐島」の東南移動は、していなかった事になるんだよ。

815:日本@名無史さん
18/07/20 08:16:29.96 .net
>>754
>>だから、検証の結果、中国の識者は、東西南北を間違える事はなかった訳で、<
>あなた、検証なんて何もしてないでしょ 妄想しただけ だって証拠を出してない<
知り得た範囲内の検証では、中国人指揮者は、誰一人、
東西南北を間違えた人はいなかった。
そんなことだから、大和説者や右翼学会教育界や右翼マスコミは、
「南→東」に拠って×は、

816:日本@名無史さん
18/07/20 08:23:54.64 .net
>>755
>>「東南」が出発時点での出発方向で、目的地の伊都國は見えておらず、<
>はい 一寸千里とか使わなかったかった証拠 出ましたぁ ww <
はい、一寸千里は、原則として、
南北間の(可視出来ない)千里単位の区間の計測であり、
可視出来れば、簡易三角測量などの方が有効。

817:日本@名無史さん
18/07/20 08:32:23.61 .net
>>756
>「出発説明〜」であれば、「南→東」も否定できなくなる<
投馬國の「南」は、移動記載ではなく、始めから四至方向の位置説明であったし、
邪馬壹國の行程説明の「南」は、その直前の不彌國で「萬二千余里」がほぼ終わっているから、
南方向に出発したらすぐに邪馬壹國の入り口に着いてしまって、
東には全く行っていないので、
大和説は全く×ね。

818:日本@名無史さん
18/07/20 08:42:53.41 .net
いつ覗いてもテンプレートが論破されているね、、、、

819:日本@名無史さん
18/07/20 08:43:44.50 .net
大和王権を扱う優秀な若手の学者達にとっては、纏向が邪馬台国の要素の存在しない遺蹟であることは常識なのだが、中には、邪馬台国を食い物にしている老学者からのハラスメントを避けるために、心にもない追従の意を発している者もいる。。。

820:日本@名無史さん
18/07/20 08:49:10.53 .net
>>793
ほらな
イタコ病

821:日本@名無史さん
18/07/20 08:52:39.13 .net
>>759
>(寺澤)(一)大和にとっての外的強力とは
いかなる地域のいかなる集団であったか(権力中枢の系譜)、<
寺澤は、意図的に、
中国史料記録に拠って「倭國は正北抵新羅の九州」にあり、
その倭國が「東征毛人五十五國」した事を、隠蔽し隠した話をして、
世間の人々を騙そうとしている詐欺師である。
>(二)彼らの征服活動に興ずる必然性とその対象としての大和とりわけ東南部の重要性、<
単に、倭国の東征の結果として、
倭国の地方の市を監督する「大倭」職の旧小国があっ


822:スだけである。 >(三) 農業共同体再編の具体化と階級的支配関係の実体については、 その後の論攷で私なりの一応の答えは用意することができた。< 大和は、出雲系の銅鐸祭祀の毛人住民がいた所に、倭国の東征の文化が取って代わっていった、 というだけ。



823:日本@名無史さん
18/07/20 08:57:08.69 .net
>>791
それだとぜんぜん「会稽東治之東」にならないから
古田説は全く×ね。

824:日本@名無史さん
18/07/20 09:00:50.50 .net
>>795
なんかもう宗教団体の教義を繰り返しスピーカーで街頭に流し続ける信者みたい

825:日本@名無史さん
18/07/20 09:03:12.46 .net
>>792
仕方ないよ、、、、
天皇家直近の国家機関を巻き込んだ、あの2013年の延べ何百時間にも及ぶ、箸墓の大規模調査で、畿内説を精力的に先導する考古学者たちが、意気消沈して古墳から戻ってきた姿は、僕も今でも目に焼き付いている、、、、
テンプレートは、その大規模調査で、リアルに破綻した説の、詐欺まがいの宣伝だから。

826:日本@名無史さん
18/07/20 09:03:31.67 .net
将来を嘱望されている、有能な若手学者がフェードアウトしていく、きっかけになった2013年の調査からこのかた、急に畿内説の素人や学芸員レベルの爺さんのネットでのつぶやきが危地外じみてきたね
有能な若手考古学者を繋ぎとめるために、ポストをちらつかせるのが常套手段だが、大和王権を扱う若手の学者たちは、邪馬台国問題からは距離を置きたがっている

827:日本@名無史さん
18/07/20 09:04:17.80 .net
2013年のあの日以来、小汚く年老いた奈良の自称考古学者が、優秀な若い古代研究家たちに、無茶な自説をゴリ押すための工作やパワーハラスメントを仕掛けることが多くなってきたが、しかし、一部の良識ある若者たちは結束して、真実を次世代に伝えようとしている。。。
すなわち、巻向は邪馬台国とは無関係であると、、、

828:日本@名無史さん
18/07/20 09:04:41.79 .net
>>752
>寺澤説を要約すると 古墳時代社会への移行は、
大和での純粋な内的発展や大和が主導的立場となる外部勢力との連合などによるものではなく、
大和が外部から圧力を受けることによって客体的に成し遂げられたものだが、
ここでいう外部からの圧力とは移住によるものではない
てなとこだな 伊都クズには理解できないだろうがなw<
寺澤の、
倭国の「正北抵新羅」や「東征毛人五十五國」や、
「倭国の地方の市を監督する旧小国」の無視隠蔽は、
寺澤も、「万世一系皇国史観」という「結論先にありき」の・・・・アホ人種であった、
という事を示すんだろうなあ。

829:日本@名無史さん
18/07/20 09:05:16.64 .net
不思議なんだよね。
2013年以来、学者は勿論、一般人にも、畿内説を連呼する狂人はいないのに、インタ−ネットの世界では、目立つのだよね。

830:日本@名無史さん
18/07/20 09:05:43.51 .net
畿内説は2013年、もろくも破綻した。
論争は、段々、九州説同士の戦いになってしまうではないのかな。
有力な候補地が目白押しで、なかなか、結果がでないだろうけどもね。
畿内説の掲示板で、それをやるのは、一々、畿内説信者へ、論争の途中経過を教えてあげる手間を省くため。

831:日本@名無史さん
18/07/20 09:06:08.92 .net
これは、誰の発表だろうか、、、
440 名前:日本@名無史さん 2018/07/18(水) 14:57:29.58
>>438
>女王國の投馬國は、不彌國から水行二十日の位置にあるから、南九州であり
それで道里が判明してると考えるなら、「女王国以北」と矛盾するので間違い
道里は判明してないのだと考えるなら、「計其道里」と矛盾するので間違い

832:日本@名無史さん
18/07/20 09:06:33.41 .net
>>804
少し、レベルの劣った発表ではないのかな。。。

833:日本@名無史さん
18/07/20 09:07:27.40 .net
2018/07/09(月) 09:15:15.35に、キナイコシが「なら、どうして古代中国人は
洛陽〜ベトナム北部は、1万6千里位だ、と
誰も言わないの?」と質問したな、、、、

834:日本@名無史さん
18/07/20 09:08:25.85 .net
キナイコシが発表した200年の時間差とは、どういうことだろうか。。。

835:日本@名無史さん
18/07/20 09:11:22.36 .net
キナイコシに元気がなくなったな。。

836:日本@名無史さん
18/07/20 09:11:40.24 .net
新野の「屯」軍のことで、優れた考古学者達に打ちのめされ、恥を掻かされたキナイコシが、魏志倭人伝の究明に対して、やる気を失ったのではないのかな。。。

837:日本@名無史さん
18/07/20 09:12:19.10 .net
>>801
>寺澤の、
>倭国の「正北抵新羅」や「東征毛人五十五國」や、
>「倭国の地方の市を監督する旧小国」の無視隠蔽は、
>寺澤も、「万世一系皇国史観」・・・
いや、そんな古田説特有の不合理なゴリ推し珍解釈
まともな歴史研究者は全員無視してるし
「万世一系皇国史観」とかも無関係

838:日本@名無史さん
18/07/20 09:15:45.80 .net
>>809
こういう、いつもウソつく人って
扱いが楽だよね
つまり自分が打ちのめされ恥かいて、やる気失って
荒らし専門に堕落したって
告白だから

839:日本@名無史さん
18/07/20 09:17:21.81 .net
>>804
それが九州説の致命傷だったらしいですね。

840:日本@名無史さん
18/07/20 09:17:22.98 .net
まともな歴史研究者にとっては、纏向が邪馬台国の要素の存在しない遺蹟であることは常識なのだが、中には、邪馬台国を食い物にしている老学者からのハラスメントを避けるために、心にもない追従の意を発している者もいる。。。

841:日本@名無史さん
18/07/20 09:17:58.31 .net
>>805
そうだね、、、
もっとも、僕たちの魏志倭人伝の翻訳でも、投馬国は女王国以北になるのだけれどもね。。。

842:日本@名無史さん
18/07/20 09:18:18.79 .net
>>814
ただし、畿内説を宣伝するキナイコシの440番の発表は、キナイコシの頭の悪さを発表してしまっているな。。。

843:日本@名無史さん
18/07/20 09:18:46.94 .net
>>815
そうだな。。。
女王国から船で東南に1年という道里を、明らかにした国のことも、魏志倭人伝に書かれているのになw

844:日本@名無史さん
18/07/20 09:19:13.81 .net
>>816
なるほど、、、
つまり、畿内説を宣伝するキナイコシの440番の発表は、キナイコシの頭の悪さを発表してしまっているのだね。。。

845:日本@名無史さん
18/07/20 09:20:08.96 .net
>>806
どうして、キナイコシは古代中国人の誰一人として、「洛陽〜ベトナム北部は、1万6千里位だ、」と言わなかったと考えてしまう狂人なのかな。。。

846:日本@名無史さん
18/07/20 09:20:31.60 .net
>>818
そうだね。。。
キナイコシは全ての古代中国人の生涯を、自分が把握したと夢想しているのではないのかな。。。

847:日本@名無史さん
18/07/20 09:20:49.53 .net
>>807
中国の正式な歴史書に書かれた倭人と中国人の交流の間隔時間のことではないのかな。。。

848:日本@名無史さん
18/07/20 09:21:54.81 .net
>>820
キナイコシはその期間の間にある帥升のことを知らなかったのではないのかな。。。

849:日本@名無史さん
18/07/20 09:22:21.87 .net
>>821
帥升とは何者だろうか。。。

850:日本@名無史さん
18/07/20 09:23:29.76 .net
>>769
〉「こうしてみると、「ヤマト」国の重層構造は、「層富」国や
 「葛城」国に比べて明らかに層が厚い。国邑つまり「国」都が
 限定しにくい二国に比べると、「ヤマト」国の国邑は明らかに
 唐古 ・ 鍵遺跡なのである。このことは言い方を換えれば、
 「ヤマト」国の部族的国家としての結合性(結束性)や求心性の
 強さに比べると、他の二国の脆弱性や分立性が指摘できるかも
 しれない。藤田三郎氏はこの点に注目して、第V様式以降を
 念頭においての唐古 ・ 鍵遺跡を頂点とした奈良盆地のピラミッド構造を
 想定している(図13)55)。重要な指摘であろう。」
ちゃんと唐古鍵を国邑として、人も物もしっかり集積してるよ<
これも×だろうなあ。
葛城も唐子鍵も、元は銅鐸祭祀的な出雲系が中心であった事がははっきりしており、
東南部の「脱銅鐸」の倭国の民の流入地域とは、別部族であり、
欠史八代の間に、婚姻に拠って、一時的な平和な時代があったらしい、
という事も否定出来ない。

851:日本@名無史さん
18/07/20 09:23:48.99 .net
>>816
おまえ、相当アタマ悪いだろ
そこに戸数かいてないぞ

852:日本@名無史さん
18/07/20 09:24:28.52 .net
もうそろそろ、次のスレッドを作成したほうが良いのではないのかな。。。

853:日本@名無史さん
18/07/20 09:24:51.43 .net
キナイコシはテンプレートが論破された時は、なかなか次のスレッドを作成しないな。。。

854:日本@名無史さん
18/07/20 09:25:13.17 .net
狂人のキナイコシはテンプレートが論破され時は、悪口しか言わなくなるな。。。

855:日本@名無史さん
18/07/20 09:25:36.23 .net
>>827
反論することを諦めてしまったのではないのかな。。。

856:日本@名無史さん
18/07/20 09:29:38.59 .net
>>802
観光関係の宣伝目的ではないのかな。

857:日本@名無史さん
18/07/20 09:31:29.08 .net
寺澤氏とは、何者だろうか。。。

858:日本@名無史さん
18/07/20 09:32:23.41 .net
>>830
観光関係の宣伝係ではないのかな。

859:日本@名無史さん
18/07/20 09:38:07.59 .net
図星を突かれて、焦っているのではないのかな。

860:日本@名無史さん
18/07/20 09:40:43.81 .net
寺澤芳雄 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)寺澤芳雄
寺澤 芳雄(てらさわ よしお、1928年2月24日 -2016年9月29日)は、日本の英語学者、東京大学教養学部名誉教授。中世英語、英語史専攻。 目次. 1 来歴; 2 著書; 3 共編著; 4 翻訳. 来歴[編集]. 東京生まれ。1953年東大英文科卒、同大学院修了、1969年東大 ...
寺澤芳男 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)寺澤芳男
寺澤 芳男(てらさわ よしお、1931年10月3日 - )は、日本の実業家、政治家。 野村證券副社長、ローンスタージャパン会長、東京スター銀行会長、多数国間投資保証機関長官(初代)、参議院議員(1期)、経済企画庁長官(第49代)、参議院外務委員長等を歴任 ...

861:日本@名無史さん
18/07/20 09:41:13.16 .net
寺澤氏とは、何者だろうか。。。

862:日本@名無史さん
18/07/20 09:41:51.91 .net
>>770
>>大理から一旦「成都へ至る道沿いや川沿いに、東へ向かう水陸路を採って」おり、<
>ウソつき そんなところに水行路はない
水行は安南(ハノイ)に向かうソンホン川の下流部のみだ
ザラコクさんは「検証せずにいい加減をいう」の実例ww<
Yahoo地図での、
URLリンク(map.yahoo.co.jp)
で確認すると、大理から東方には、揚子江の四川盆地に繋がる川が何本も見えており、
特に、南華〜楚雄には揚子江に繋がる東流の川の存在がはっきり描かれている。
そして、楚雄から東に峠を越えれは、昆明になる。
従って、大理から楚雄のルートは、「如至成都」の通水陸行ルートになっている。

863:日本@名無史さん
18/07/20 09:44:47.13 .net
[寺澤 wiki]で検索すれば、良いのではないのかな。。。

864:日本@名無史さん
18/07/20 09:46:01.42 .net
寺澤ひろみ - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)寺澤ひろみ
寺澤 ひろみ(てらさわ ひろみ)は、日本のハーモニカ奏者。父はベーシスト、複音ハーモニカ奏者の寺澤博義。 目次. [非表示]. 1 来歴; 2 受賞歴; 3 アルバム; 4 テレビ・ラジオ. 4.1 現行; 4.2 過去. 5 著作; 6 脚注; 7 外部リンク. 来歴[編集]. 東京都江戸川区出身。
寺沢徹 - Wikiwand
www.wikiwand.com/ja/寺沢徹
寺澤 徹(てらさわ とおる、1935年1月4日 - )は、東京都生まれの元マラソン選手で、元マラソン世界最高記録保持者。 ... 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』. 寺澤徹, Portal:陸上競技. 寺澤徹, 1964. 選手情報. フルネーム, 寺沢徹. ラテン文字 ...

865:日本@名無史さん
18/07/20 09:52:44.56 .net
どういうことだろうか、、、
寺澤説を要約すると 古墳時代社会への移行は、
大和での純粋な内的発展や大和が主導的立場となる外部勢力との連合などによるものではなく、
大和が外部から圧力を受けることによって客体的に成し遂げられたものだが、
ここでいう外部からの圧力とは移住によるものではない

866:日本@名無史さん
18/07/20 09:55:42.44 .net
>>838
外部からの圧力とは、九州の帥升による、生口捕獲の攻撃ではないのかな。。。

867:日本@名無史さん
18/07/20 09:56:25.62 .net
>>835
>揚子江の四川盆地に繋がる川が何本も見えており、
>特に、南華〜楚雄には揚子江に繋がる東流の川の存在がはっきり描かれている。
「川があるから水行」ってのは、何も検討してないってことだ
大陸中華の民族は騎馬民族だから、川があっても移動にはあまり利用しない
川沿いに道を作って陸路で移動するのが基本
黄河やその支流の渭水クラスの大河なら、水運に使われるが、その場合は
漕運という用語を使う
この記事での水運は、ソンホン川の下流部分のみで、成都までに水行区間はない
でたらめを書いてもダメだよ

868:日本@名無史さん
18/07/20 10:01:58.80 .net
寺澤氏とは、何者だろうか。。。

869:日本@名無史さん
18/07/20 10:02:51.66 .net
[寺澤 観光]で検索すれば、良いのではないのかな。。。

870:日本@名無史さん
18/07/20 10:05:32.83 .net
>>777
>>お前は、ハイエナのプログに載っていないから、私が嘘を言ったのだろう、という宣伝をしたんだよ。<
>甚だしい被害妄想だな。そもそもこの件の情報はその人が出したものではないのか。<
甚だしい曲解捏造だなあ。文句があるんなら、ハイエナのプログで質問してみな。
>>ハイエナは、一枚或いは裏表で2頁の文字数の平均を求め、 それに三国志全体の厚みからの枚>数や頁数の概数を掛け算して、全体の文字数を概算したんだよ。<
>個人的な興味レベルの数字だな。<
ハイエナは、ついうっかり、「大和説に不利になる事」を報告してしまった。
>>「百度」ってなにか?は、知らんが、 合計が約70万字であったんなら、ハイエナの計算は、大体合っていたんだな。
>やっぱり未確認か。 よくまぁ未確認の数字を根拠に使うね。<
倭人伝の「校勘文字数」の確率とほぼ一致していたから、信頼性はあった。

871:日本@名無史さん
18/07/20 10:06:17.88 .net
ハイエナ氏とは、何者だろうか。。。

872:日本@名無史さん
18/07/20 10:06:19.22 .net
>>777
>>宋明清代には、当然写本そのものや、底本写本などは残されているされてもの。 何百年も経った宮内庁本も残っていたんだろ?。<
>北宋の刊行本を作った頃には、まだ写本が残っていたようだ。<
写本は一種の「お宝」であり、出来るだけ保存しておくものだ。
>しかし金の侵攻(1127年)で北宋の刊行本も版木もほとんどが奪われ失われた。
地方で戦火を免れた北宋の刊行本から復刻したのが南宋の刊行本と言われている。<
宋明清の校勘学者が、(張元済のように)校勘の判断に「残存写本」や「古本」を求めない、って事が有り得ない。
>>「馬」根拠は、隋代以後に存在し、「海」根拠は3世紀の魏志にのみ存在し、隋代以後には存在しない、 という事で十分だな。<
>薄っぺらいな。誤字のある12世紀の刊本で判断出来ないだろ。<
お前は「海」の文字記載の説明が全く不可能なアホなんだろ?。

873:日本@名無史さん
18/07/20 10:07:16.66 .net
三国志とは、何だろうか。。。

874:日本@名無史さん
18/07/20 10:14:23.70 .net
>>845
説明なんて、いくらでもできる
あんまり説明する意味がないだけ

875:日本@名無史さん
18/07/20 10:15:28.43 .net
三国志の文字数は、魏志倭人伝の文字数の何倍なのだろうか。。。

876:日本@名無史さん
18/07/20 10:22:39.71 .net
驚いたな。。。三国史の誤字の確率は、そのまま魏志倭人伝の誤字の確率だったのだな。。。

877:日本@名無史さん
18/07/20 10:28:04.73 .net
計算すると、0.5%以下なのだね。。。

878:日本@名無史さん
18/07/20 10:29:45.97 .net
魏志倭人伝の誤字の確率が、0.5%以下だと、魏志倭人伝の翻訳にどんな影響があるのだろうか、、、

879:日本@名無史さん
18/07/20 10:30:02.89 .net
>>774
>>お前ら大和説者や安部自民や右翼マスコミや右翼学会教育界などの右翼人種は、
「南」を抹殺し、九州説を抹殺し、 「万世一系皇国史観によって殺人テロや侵略戦
争」で近隣諸国民を抹殺する事が好きだねえ。<
>このスレで「抹殺、殺人テロ、戦争」を使っているのは一人だけだよ。<
人種差別的な侵略戦争を煽っている者は、何人もいるよ。
>>「南」は、史料事実そのものだ。<
>そんなこと言い張っている奴が、史料批判なんか出来ないだろ。 相反する事を言っている自覚がないのかね。<
確率が99.5%以上であるから、「史料事実」だよ。
>>不可知部分が殆どである自然や歴史においては、「知り得た事実からの推論」が学問や科学の出発点だ。<
>妄想の出発点だ。非存在ならなおさら。<
非科学 非学問の「思想宗教の絶対断定」主義の嘘つき騙しの出発点だな。非存在ならなおさら。

880:日本@名無史さん
18/07/20 10:31:42.53 .net
>>774
>>学問の世界に、史料事実の否定抹殺や、「万世一系皇国史観」などのような「結論先にありき」の断定宗教思想を混ぜるなよ。<
>断定しているのは君だけだろ。<
「南→東」などの嘘つき騙しの断定をしているのは、キミら大和説者だけだよ。
>保留の意味がわからないのかな? <
大和説者は、「保留」ではなく、「南→東」などの史料事実の否定曲解を断定している。
>史料批判によって誤字と判断しているだけなんだがね。<
99.5%以上正しい、と判ったものを、「誤字だ」と判断されてもねえ。
>せめて議論の作法やマナーを守りなよ。<
せめて、「南→東」などのような明らかなウソを付くような事を止めて、学問的科学的な議論の作法やマナーを守りなよ。

881:日本@名無史さん
18/07/20 11:33:21.87 .net
>>775
>>戦前の「万世一系皇国史観」の殺人抹殺テロや侵略戦争を連呼していれば、 最後は勝ち残った勝者一人が残り、そのものの寿命が来れば、確実に人類滅亡になる。 怖いねえ。
人は皆、一人では生きて行けないもの。人類も生物も皆兄弟。地球は全生物の財産。 奢る大和説者、久しからず。<
>すごい妄想だな。なにかの新興宗教なのかね。<
大和説者という新興宗教の論理の結末を説明して上げただけ。
>このスレでそれを連呼しているのは君一人だけなんだが・・<
何を講釈したって、お前や大和説者は、全て「南→東」などの史料事実の否定曲解の嘘つき騙しである事がバレているんだから、何の価値もないねえ。
>欠史八代は造作だと思ってるのに、萬世一系と言われてもな。<
欠史八代の否定も、史料事実の否定の嘘つき騙しになるなあ。
>>知り得た全ての情報の資料批判をして、客観性や信頼性を推し測って、
それから帰納的確率的な推論をする事が、もっともまっとうなやり方だよ。<
>そんなやり方を指導する本があるならお目にかかりたいもんだ。<
当然自然科学者や九州説者は、原則として全員、史料事実からの帰納的確率的な推論をしている。

882:日本@名無史さん
18/07/20 11:35:03.96 .net
>>775
>>その情報を、自説に都合が悪いからとして、否定曲解しているのが大和説者。<
>都合なんて誰も考えてないよ。 自分が結果ありきだから、他人も同じとは思わないでほしいね。<
幾ら弁解したって無駄。大和説者は、全員、「南→東」という史料事実の否定曲解をしている嘘つき騙しの詐欺師なんだから。
>>お前や大和説者は、貴重な単一情報を、大和説にとっては都合が悪い、というだけで、否定抹殺している。≪
>保留という言葉の意味が理解できないようだ。<
保留という時点で、「南→東」の嘘つき騙しを肯定している。
>単一情報を貴重と思い込む時点で「結果ありき」だとは思わないのか?<
存在確率が99.5%以上の情報を、貴重だとするのが当たり前。
>>史料批判に拠って、正しさの確率を推定するの。<
>単一情報では保留にするのが精一杯。 単一情報で正しさの確率?。数値なんか出せないだろ。「結果ありき」なんだよ。<
99.5%以上の確率のある史料事実を、「保留」にするのが、インチキ騙し。
>>思想宗教的な結論先にありきでは、妄想がついて回るのは必然。<
>自分がそうだからといって、他人も同じと思わないでくれたまえ。<
他人が、自分等の「南→東」などの嘘つき騙しを肯定する嘘つきだ、などとは思わんでくれ。

883:日本@名無史さん
18/07/20 14:21:06.51 .net
>>843
今どきは電子テキストで三国志全文読めるんだから、字数くらい自分で数えてみなよ
三国志(原文)を全文検索
URLリンク(www.seisaku.bz)
そういう手間もかけずに適当な思い付きを書き込み続けているから、
軽蔑され続けているんだよ、ザラコクさんはww

884:日本@名無史さん
18/07/20 14:23:58.83 .net
近い将来、畿内説で決着を見たときには、魏志倭人伝の南は何らかの理由で
本当は東だったものが間違って記載されていたことが確認されるわけだ
進化論は間違っていると言い続ける、聖書原理主義者ってのは今でもいるから
そうなってもザラコクさんは意見を変えないんだろうけれどww
古田武彦氏原理主義なんて、つまらないものだけれどなぁ

885:日本@名無史さん
18/07/20 14:48:27.68 .net
進化論は間違ってるけどなぁ。

886:subo
18/07/20 14:52:10.48 .net
>>857
んなわけなかろうもんw

887:日本@名無史さん
18/07/20 15:10:30.0


888:6 .net



889:日本@名無史さん
18/07/20 15:45:37.36 .net
畿内説テンプレは、
・曹魏のことは言うが、後漢時代に台頭した曹操と、彼が公孫康に開かせた倭地倭人倭国支配のための帯方郡役所のことは頭にない。
・大和のことは言うが、倭王卑弥呼が共立されたという倭地倭人倭国の所在も考えない。
・末蘆国より東南五百里の佐賀平野は、北東五百里の誤りだという
・不彌国から南へは、東の誤りだという
要するに
出発点の曹魏と終着点の大和だけ認め、それ以外の途中経過はみーんな誤りだー、と大声で叫んできたに過ぎない
畿内原理主義者は、最初から最後まで、頭からつま先まで、完全に破綻している。

890:日本@名無史さん
18/07/20 16:12:36.34 .net
>>776
>>王昶かどうか?は知らんが、「苑→新野に屯地を移す」話は、青龍3年であって、
次の「襄陽付近での戦争」が起きたのは、241年、という話であった筈。<
>王昶は青龍四年に司馬懿に推挙された。<
何に推挙されたの?。上表文を書いたのは、何時なの?。
>正始中としか書かれていないため、「芍陂の役」の正始二年(241年)時点で王昶が洛陽に居たのか徐州に居たのかは判断できない。
正始二年(241年)時点では夏侯儒が征南将軍・都督荊豫諸軍事であることから、
王昶が征南將軍・假節都督荊・豫諸軍事にとなり宛に遷り上表文を出すのは、それ以降と思われる。
上表文を出したのは、「苑」の屯があってからだよ。
>>襄陽付近での戦闘が始まれば、新野は、参戦してもしなくても危なくなる。<
>参戦すれば城ががら空き。<
参戦した、という記録がない。
>>司馬懿の援軍が来たのは、1年後であったんだろ?。<
>司馬懿の援軍は洛陽からで、一か月後。<
情報として受け止めておくよ。

891:日本@名無史さん
18/07/20 16:25:01.07 .net
>>861
>畿内説テンプレは、
>・曹魏のことは言うが、後漢時代に台頭した曹操と、彼が公孫康に開かせた倭地倭人倭国支配のための帯方郡役所のことは頭にない。
そりゃ狂人以外の全世界の人の頭に無いだろう
「(曹操)が公孫康に開かせた倭地倭人倭国支配のための帯方郡役所のこと」
なんてな

892:日本@名無史さん
18/07/20 16:37:21.78 .net
>>777
>>知らない。 娘はグーグルなら判るかも?と言ったが、目が悪くて、グーグルの出し方から判らない。<
>「googleマップ」と検索するだけだ。<
操作が困難。
>中国の「百度地図」のほうが詳しいけどな。<
現在中国版のグーグルmapのようだね。
>>「三百里」情報そのものが、何らかの混乱があったかも知れぬ。<
>それはない。<
「屯苑」と書かれているから。
>>思想や宗教に拠っての、「結論先にありき」の記載の本は、 大多数の部分が、信頼性がない。<
>全否定を肯定するようだね。<
史料事実の記載、と思われるものは、全否定しないよ。

893:日本@名無史さん
18/07/20 16:38:17.41 .net
畿内説が破綻したことがはっきりした今、纏向遺蹟とは何だったのか研究すれば良いのではないのかな。。。

894:日本@名無史さん
18/07/20 16:45:41.22 .net
なんだ
畿内大和の連中は、帯方郡が設立された経緯さえ知らんのか
朝鮮半島の郡役所のごときが〜〜〜、と思って小ばかにしてきたんだなwww

895:日本@名無史さん
18/07/20 17:10:22.93 .net
>>866
>なんだ
>畿内大和の連中は、帯方郡が設立された経緯さえ知らんのか
九州説の連中よりは詳しいよww

896:日本@名無史さん
18/07/20 17:22:07.76 .net
>>778
>>切り捨てなんてしないね。 後代の「前代史書記載の書き換え」があった記載があれば、信頼性が半分しかない、として、
参考資料しかない程度だ、言っているだけ。<
>「〇〇(文献名)」だからと一括りに切り捨ててるよね。<
「後代の自己解釈に拠る書き換え」文書は、半分×書だし、
「後代の思想宗教的な結論先にありき」で、
99.9%以上の確率のある文字を否定曲解する嘘つき騙し文書である、
とはっきり分かった文書は、
ほぼ一括りに×だよ。
>>後代史書の「勝手な書き換え」は史料事実であり、史料実態。
そのような後代史書は、「半分×」であり、「全部×」ではない。 当たり前の事。<
>君の言う史料実態と史料批判は相反してる。
都合の良いものは史料実態で〇。
都合の悪いものは史料批判で「半分×」。
批判に対する保険で「半分」にしているだけで、やっていることは「全部×」だよね。<
いや、前項の通り、要は、
思想宗教的な「結論先にありき」での、
確率の高い史料事実や史料実態を否定曲解するような、嘘つき騙しの書は、
ほぼ全て、否認する、という事。

897:日本@名無史さん
18/07/20 17:26:05.93 .net
>>782
>河内王朝 葛城王朝 三輪王朝・・・・・ 初期ヤマト王権は畿内の連合体 <
畿内なんて存在もしなかったし、
米田に依って、河内と三輪の連合は否定されている。
>邪馬台国⇒ヤマトとは考え無いほうが良いのでは???<
邪馬台国なんて存在もしないし、
「南≠東」に拠っても×。

898:日本@名無史さん
18/07/20 17:28:01.03 .net
>>783
法則。
トンデモ大和説は、「南→東」などの理由を言わない。

899:日本@名無史さん
18/07/20 17:30:14.99 .net
>>785
「万世一系皇国史観」の大和説さん、
またヘイトスピーチ病の発作ですか?。

900:日本@名無史さん
18/07/20 17:35:44.94 .net
>>786
>奈良盆地にいくらでも集落があるだろう
東京都庁内に都職員の住居がないのがおかしい、って言ってるのと
同じ程度におかしなことを主張しているのは分かるかい?。<
古代のような「交通機関が未発達な時代」には、
卑弥呼の都としては、
「以婢千人自侍、唯有男子一人給飮食、傳辭出入」や、
「居處宮室樓觀、城柵嚴設、常有人持兵守衞」の後が全くなくっちゃ、
卑弥呼の都はならない、
と言ってんだよ。

901:日本@名無史さん
18/07/20 17:39:07.35 .net
>>794
ほらな、
また「万世一系皇国史観」病の大和説者のヘイトスピーチ病。


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