邪馬台国畿内説 Part362 at HISTORY
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100:日本@名無史さん
18/07/16 09:40:01.97 .net
アマタラシ系はどうなったんだろう
少なくとも聖徳太子の時代迄は存在したはずだが
息長タラシ系はどうなったんだろう
最後は大津皇子かな
ももづたふ磐余(いわれ)の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ
金烏臨西舎 鼓声催短命 
泉路無賓主 此夕離家向
にほ鳥の息長川は絶えぬとも君に語らむ言尽きめやも

101:日本@名無史さん
18/07/16 09:40:39.57 .net
龍田神社
天武天皇4年(675年)4月10日に勅使を遣わして風神を龍田立野に祀り、大忌神を広瀬河曲に祀ったと『日本書紀』の記述が初見である。
祭神
天御柱命は級長津彦命(男神)、国御柱命は級長戸辺命(女神)のこととされている。
天武は息長タラシ系を滅ぼしたんじゃないかな
そして鎮魂したと

102:日本@名無史さん
18/07/16 09:44:58.58 .net
和歌の父母
難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花
安積山 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を わが思はなくに
難波、この、安積山(アサカヤマ)、山の井
重要なキーワードが散りばめられている

103:日本@名無史さん
18/07/16 09:50:17.03 .net
古代史に於いて、
上町台地〜泉北丘陵、ナニワ〜イズミ、大阪湾の汀はかなり重要なポジションにあると思うが、無視する人が多過ぎる

104:日本@名無史さん
18/07/16 09:50:26.81 .net
>>81
>古田第1書では「屯苑=屯した苑」という意味での引用をされたが、
文法メチャクチャだな

105:日本@名無史さん
18/07/16 09:51:48.85 .net
>>992
〉京都は畿内だから、京都説も畿内説の一つだろう。
桜井市が畿内の中心だとか思っている?<

畿内なんてなかったし、「南≠東」で、京都も桜井も×。
有り得る事は、どちらも倭国の「東征毛人五十五國」の中の一国。

106:日本@名無史さん
18/07/16 09:54:20.81 .net
もう一つ古代史で重要なのは、白と表現される勢力
イトシロ石徹白の地の役割ってなんだったんだろう
イトって何なんだろう
郡上市、白山中居神社の五段神楽の謂れは興味深い
五段神楽は、古代史上最大の王権をめぐる闘いに勝利した天武天皇の即位を称えて、
天下太平国家安全を五行相生の原理に基づいて宮廷の五節舞いと同様に天武期に越の宗廟(石徹白)と岩見、出雲等で舞われる様になった。
吉田神道は、宝暦騒動の頃に、朝廷を中心とした、天下太平国家安全を祝う祭りの性格を、一地方の単なる春祭りの神楽に移行され、五行舞を五段神楽に改められた。

107:日本@名無史さん
18/07/16 09:59:46.14 .net
>>993
>(屯宛の地は)「宣池」付近で、新野に「転


108:屯」した方がベターな地、 という事しか判らない。< >漢文が読めない? 襄陽から遠くなっちゃったらベターじゃないんだが < 要は襄陽への短時間性や至便性の問題。 距離は近くても山越えになったんでは、迅速な大軍移動など出来ない。



109:日本@名無史さん
18/07/16 10:02:15.25 .net
>>81
>宣池の名前を出した、という事は、宣池を中心とする散屯だ。
・・・
>新野と襄陽の間の山間部にいたのなら
支離滅裂だな
山間部なのか池なのか、ハッキリしろよ
だいたい新野と襄陽は川の上流下流だ
間の山間部とか、有るわけないだろ

110:日本@名無史さん
18/07/16 10:03:30.96 .net
>>998
>九州王朝説がどれほどトンデモか、よくわかる
お「短里」で、襄陽から20キロちょいのところに駐てた魏軍が
「緊急時に対応するため」3倍も遠くに引っ越しするなんて 支離滅裂だよ<
山越えよりも河川の舟行の方が、はるかに迅速に移動出来る。

111:日本@名無史さん
18/07/16 10:03:33.14 .net
>>97
何処にそんな山があるの?
なんて名前の山?

112:日本@名無史さん
18/07/16 10:07:34.56 .net
>>999
>それ、方角が反対です<
「行護軍将軍」は、当然、
「一か所にいる事」よりも、「駆けずり回る」事の方が仕事です。

113:日本@名無史さん
18/07/16 10:09:22.30 .net
>>1000
大和説は、「南→東」などのように、嘘つき騙しのトンデモだなあ。

114:日本@名無史さん
18/07/16 10:09:39.28 .net
>>101
長安を中心にな

115:日本@名無史さん
18/07/16 10:16:34.32 .net
>>67
>邪馬台国はヤマト国 生駒葛城山系の東側 ・・・<
邪馬台国なんて存在しないし、「南≠東」などに拠って×。

116:日本@名無史さん
18/07/16 10:24:13.32 .net
>>101
涼州軍閥と連戦したあと祁山の事件があったんだから、どう考えても夏候淵が駐屯していたのは長安だよ。
その間に洛陽に返って来たという記録も無い

117:日本@名無史さん
18/07/16 10:36:08.74 .net
>>68
>攻めてきたのは、出雲など山陰と尾張三河など東海の勢力だよ。
彼らが平和な世界を破壊したんだな。<

攻めて来たのは、九州倭国の「東征毛人五十五國」の軍。
「出雲など山陰」は、どちらかと言えば縄文毛人系で、独立的であった。

118:日本@名無史さん
18/07/16 10:46:27.01 .net
戦争殺戮大好きな反日古田の会

119:日本@名無史さん
18/07/16 10:52:47.99 .net
>>71
大和朝廷なんてなかったから、×。

120:日本@名無史さん
18/07/16 10:55:22.02 .net
>>73
邪馬台国も大和朝廷もなかったから、×。

121:日本@名無史さん
18/07/16 11:01:35.68 .net
>>101
甘粛省まで救援に行くのに邯鄲まで往復する時間が惜しいのだと
定説の長安じゃなくて洛陽で言わせるセンスが
実にあきれる
完全に脳がブッ飛んでるだろ

122:日本@名無史さん
18/07/16 11:26:14.51 .net
キナイコシは敗北しました

123:日本@名無史さん
18/07/16 11:30:42.00 .net
>>111
この人も脳死済みだな

124:日本@名無史さん
18/07/16 11:37:42.38 .net
どうも古田一派はなぁ
・・・
東南に何百mか進んだあと東北に何十kmか行くことを
「東南陸行」と称したり、みたいな
バランスの悪い思考をするねぇ

125:日本@名無史さん
18/07/16 11:38:42.57 .net
王都は纏向では無い 奈良は王家の墓
王都は京都できまり

126:日本@名無史さん
18/07/16 11:42:10.76 .net
あら、きょうとい。

127:日本@名無史さん
18/07/16 11:44:04.48 .net
>>74
〉第二の道とは、(中略)大和弥生社会がこの時期により大き な別の権力主体によって征服、あるいは包括、
刷新されるという苛酷な道であり、そこでは農業共同体構造の再 編は外的強力によって強制的に達成されたことになる。
旧稿において私は、(中略)第二の道を主張した。
しかしこのことが、私があたかも北部九州勢力の東遷論 者であるかに評価されることとなり、
5年後に刊行された橿原考古学研究所論集では改めて、いわゆる「東遷論」 一般には与するものではないことを明記した。<
つまり、寺澤は、「自昔・・・東征毛人五十五國」という一級史料事実を考慮しない騙しをしている、
という事のようだね。

128:日本@名無史さん
18/07/16 11:45:24.87 .net
>>75
天皇も皇后もいなかったから、×。

129:日本@名無史さん
18/07/16 11:47:25.99 .net
>>76
畿内も大和朝廷も皇后も皇子もいなかったから、×。

130:日本@名無史さん
18/07/16 11:50:23.08 .net
西洋史においては、
古代ギリシアにおけるエーゲ文明の成立から西ローマ帝国の崩壊(476年)まで

中国史においては
秦王朝の成立(紀元前221年)から、後漢王朝の崩壊(220年)

韓国・朝鮮史においては
新羅の成立(紀元前57年)から後三国時代の終わりまで(936年)

それに比べ日本の古代は新し過ぎる・・・・・・朝廷により抹殺されてしまった
よって、邪馬台国はヤマト王権と全く関係ない、ヤマト王権が抹殺した

131:日本@名無史さん
18/07/16 11:51:22.83 .net
>>116
史料は無視しないけど
珍解釈は考慮しないよ普通

132:日本@名無史さん
18/07/16 11:51:48.85 .net
>>77
畿内も邪馬台国も大和朝廷もなかったし、
「南≠東:に拠っても、×。

133:日本@名無史さん
18/07/16 11:53:25.69 .net
>>851(前スレ)
>だから、お前の漢文の訳が「張元済本の苑を全部宛に変えてあった」からおかしいんであって、
失礼だなぁ。
>>210(前スレ)
のは書き下しただけで訳していないよ。()内は理解しやすいように補足してあるだけ。

134:日本@名無史さん
18/07/16 11:53:41.12 .net
>>78
魏志での長里説のいかがわしさが、一気に吹き出したな。

135:日本@名無史さん
18/07/16 11:54:24.09 .net
>>117
九州王朝説は証拠も論理もなかったから、×。

136:日本@名無史さん
18/07/16 11:54:56.74 .net
>>123
どこに?

137:日本@名無史さん
18/07/16 11:55:11.78 .net
>>79
大和朝廷なんてなかったから、×。

138:日本@名無史さん
18/07/16 11:59:40.04 .net
>>82
畿内なんてなかったし、
卑弥弓呼も、「南≠東」に拠って、×。

139:日本@名無史さん
18/07/16 12:01:28.82 .net
>>83
畿内も大和朝廷もなかったから、×。

140:日本@名無史さん
18/07/16 12:01:50.55 .net
>>975(前スレ)
>そうだね。この男は、どうしても、書陵部本と張元済本の該当箇所の提示しないで、
>勝手に「間違えたまま」とするインチキ詐欺師であった訳だね。
提示するとかしないとか関係ないでしょ。
書写や刊行本を作るときの原理原則で「間違えたまま」になるのだからさ。
>結局この男も、唐代史家や現代大和説者らと同じく、「自己解釈に拠る書き換え」を肯定するインチキ詐欺師であった訳ね。
(再掲)書き換えはないんだよ。逆もないわけ。ただ誤記だけがある。
肯定してないでしょ。的外れな誹謗中傷だね。
>「海」と「馬」の誤記なんて、可能性が全くないよ。
そんなの希望だって。書写する人の能力に左右される。
>前代にあった、というのが史料事実であり、史料実態。
この男は、科学や学問には向いておらず、宗教や詐欺師に向いている男。
補強材料もないのに言い張っているだけでしょ。
学問には慎重さが必要なんだよ。
反論に誹謗中傷で返していて学問になるの?

141:日本@名無史さん
18/07/16 12:04:32.41 .net
>>122
つか、城もないよな山の中(笑)が荊予二州総司令官の治所だと言い張る人々って、どういう頭の構造しとんのかね

142:日本@名無史さん
18/07/16 12:05:11.00 .net
>>85
邪馬台国も大和朝廷もなかったし、
卑弥呼も「南≠東」に拠って、×。

143:日本@名無史さん
18/07/16 12:12:04.31 .net
>>67
鋭い。
その生駒葛城山系の東側に高天原が有るしね。
大和朝廷の発祥地だし。
そういうとアホがすぐに何遺跡なのかと聞いてくる。
日本では太古の王の痕跡は神社になってる。
式内社の中でさらに霊験あらたかな名神大社をみればいい。
遺跡云々は考古バカの言う事。

144:日本@名無史さん
18/07/16 12:38:20.79 .net
遺跡を云々しないのは只のバカの言う事。

145:日本@名無史さん
18/07/16 12:42:56.65 .net
畿内説って負けてない負けてないって掛け声だけだよな

146:日本@名無史さん
18/07/16 12:46:56.24 .net
>>133
名神大社の発掘などできないのだから考古バカは消えるが良い。
最も大事なのは神社伝承を含む文献史や地名の成り立ちなどの「謂れ」
日本は外国のように征服されて血筋を絶やされたような国ではないのだから、
卑弥呼に関係する信仰も伝承も残ってる。

147:日本@名無史さん
18/07/16 12:47:38.20 .net
>>134
他説に対する悪口雑言もあるよ

148:日本@名無史さん
18/07/16 12:53:01.26 .net
>>134>>136
そうだ、という証拠は?

149:日本@名無史さん
18/07/16 12:53:23.09 .net
>>132
式内社の名神大社
でも
弥生集落遺跡でも倭国(阿波)。  @阿波  

150:日本@名無史さん
18/07/16 12:56:22.55 .net
>>135
式内社の名神大社
でも
弥生集落遺跡
でも
卑弥呼に関係する信仰や伝承 でも倭国(阿波)。  @阿波  

151:日本@名無史さん
18/07/16 13:07:50.46 .net
>>137
スレ読んでれば分かるよ

152:日本@名無史さん
18/07/16 13:13:29.54 .net
>>140
ほら、逃げた
やっぱりウソだったんだね

153:日本@名無史さん
18/07/16 13:28:21.55 .net
>>139
阿波の名神大社は3社
大和 50社 山城 29社 摂津 18社 筑前 16社 陸奥 15社
但馬 14社 近江 13社 紀伊 12社 河内 9社 尾張 8社

154:日本@名無史さん
18/07/16 13:31:42.71 .net
>>142の訂正
社 → 座

155:日本@名無史さん
18/07/16 13:59:11.16 .net
オナニーテンプレを見さされる側になってみろよ

156:日本@名無史さん
18/07/16 13:59:32.02 .net
>>141
どこが逃げてるのかな

157:日本@名無史さん
18/07/16 14:00:53.50 .net
>>142
それ全部、倭国(阿波)を発った忌部一族が興した所だね。  @阿波

158:日本@名無史さん
18/07/16 14:15:43.21 .net
>>89
>>新野と襄陽の間の山間部にいたのなら、新野よりも襄陽にずっと近くなり、<
>新野と襄陽の間に山間部とかないよw<

川が南北に流れ、東側が遠くからの山地があり、窪地に池にがあるんなら、
窪地付近は、最低山地だろうなあ。

159:日本@名無史さん
18/07/16 14:20:01.83 .net
>>103
>長安を中心にな<
長安は督すれば済むだけ。

160:日本@名無史さん
18/07/16 14:29:28.11 .net
>>147
Google Earthでも一目で確認できる山がない平地を山地と言張る反日どろぼう

161:日本@名無史さん
18/07/16 14:38:19.41 .net
>>135
記紀を読むといくつかの勢力が滅亡している。
最終的に現在の天皇家が生き残っているが、それだけ見て万世一系を唱えるのはナンセンス。
卑弥呼の王統だって消えてしまった勢力の一部であった可能性が否定できない。

162:日本@名無史さん
18/07/16 14:38:54.17 .net
>>105
>涼州軍閥と連戦したあと祁山の事件があったんだから、どう考えても夏候淵が駐屯していたのは長安だよ。
その間に洛陽に返って来たという記録も無い <
淵の任ぜられた「護軍将軍」は「都」にあって「司直」「武官選」を司る職である。
その上、『魏略』には太祖時点の史料がある。
魏略曰「曹公置都護軍中尉、置護軍将軍。亦皆比二千石、旋軍並止罷。」(「後漢書志」百官一、劉昭註)
これは「都に護軍中尉を置き、(都に)護軍将軍を置く。」の省略形であるから、護軍将軍の官は「都」に置かれているのである。
したがって山尾氏の立論の基礎たる在長安説は成立できない。

163:日本@名無史さん
18/07/16 14:39:17.99 .net
出雲には名神大社は2座しかないのに
式内社は187座と、大和 286座 伊勢 253座の次に多い

164:日本@名無史さん
18/07/16 14:42:52.11 .net
>>107
戦前の「万世一系皇国史観」の殺人テロや侵略戦争戦争大好きな、
キョクウの大和説者の会。

165:日本@名無史さん
18/07/16 14:43:20.87 .net
>>150
記紀
でも
式内社の名神大社
でも
弥生集落遺跡
でも
卑弥呼に関係する信仰や伝承 でも倭国(阿波)。  @阿波  

166:日本@名無史さん
18/07/16 14:48:42.34 .net
イタコ芸人なら阿波

167:日本@名無史さん
18/07/16 15:00:11.36 .net
>>150
>可能性が否定できない。
だーかーらー、「可能性が否定できない」って言い出したら、なんでもありにしか
ならないんだって
そうなったら、科学ではないし、議論も検証もできない
例えば「>>150は卑弥呼の生まれ変わりである。その可能性は否定できない」って言われても
確かに否定できないけれど、だからどうした、って話にしかならないだろ?
もうちょっと、他人を説得できる根拠を積んでおくれよ

168:日本@名無史さん
18/07/16 15:11:05.27 .net
>>152
>出雲には名神大社は2座しかないのに
>式内社は187座と、大和 286座 伊勢 253座の次に多い
倭国(阿波)では、式内社50座のうち、神話に登場する神名を冠した神社が13座
一方、式内社大和286座のうち、2座 出雲は187


169:座のうち、0座   推して知るべし  @阿波



170:日本@名無史さん
18/07/16 15:20:21.21 .net
>>157
>神話に登場する神名を冠した神社が13座
全国的に見て、神社名に神の名を冠するのは畏れ多かったんだろう
阿波の場合は有名人になりきるイタコ芸人の故郷だから

171:日本@名無史さん
18/07/16 15:21:08.64 .net
>>977 (前スレ)
>「屯苑≠屯宛」であり、「宣池付近の場所が宛と襄陽の間のどこか」という実態には、何ら変わりがない。
「苑」なんて地名ないし。田んぼしかないよ。
>書陵部本と張元済本の両方の該当箇所を見なくっちゃ、議論が進まない、という事を拒否するお前がインチキ詐欺師。
なぜこちらで何もかも準備しなきゃならないんだよ?
君の怠慢までこちらの所為にされてはたまらんね。
「今屯苑,去襄陽三百餘里,諸軍散屯,船在宣池,有急不足相赴,乃表徙治新野,習水軍於二州,廣農墾殖,倉糓盈積。 」
>いや、「屯苑」は、当然宛と襄陽の両方に対しての「屯所」。
「宛」に対して必要ないよ。

172:日本@名無史さん
18/07/16 15:32:22.86 .net
>>151
>淵の任ぜられた「護軍将軍」は「都」にあって「司直」「武官選」を司る職である
夏候淵は「行」護軍将軍ですけど

173:日本@名無史さん
18/07/16 15:34:00.05 .net
>>978(前スレ)
>屯する場所を苑から新野に変更した、という事だから。
大軍を収容する宿舎とか必要なんだよ。
>水害の危険のあるところで多くの動物を飼育しないでしょ。だから不適切。<
>「宣池」がある場所。
結局「苑」の意味も理解しないで言い張るだけですか。
>全くのアホだなあ。新野は、宛と襄陽の真ん中辺なんだよ。だから、宛と襄陽の両方の変事に備えているんだよ。
吳の支配域からより遠い宛に、突然侵攻されないでしょ。
>書陵部本では、根拠になり難いし、 「四書文庫」なんて全く知らんが、また現代通説本ではないのか?。
「欽定四庫全書」と間違えたわ。

174:日本@名無史さん
18/07/16 15:34:07.28 .net
>>158
>全国的に見て、神社名に神の名を冠するのは畏れ多かったんだろう
訂正
倭国(阿波)では、式内社50座のうち、神話に登場する神名を冠した神社が「19座」
式内社以外でも、倭国(阿波)の神社の祭神はほとんどが古事記神話の神である。
一方、全国で倭国(阿波)にしか無い式内社が「13座」
この事実からも、古事記神話は倭国(阿波)で起きたことを記した記録。  @阿波

175:日本@名無史さん
18/07/16 15:37:48.75 .net
>>979(前スレ)
>漢代の記録や上表文などには、長里記録が当然残っている可能性もある事は、何度も言っているし、
>最近の古田史学では、短里の使用は明帝の頃からだった、という話もある。
>要は、魏使らの記録や陳寿の地の文では、原則として短里で記録記載されている、 という事だ。
定まっていないね。
可能性を何度も言っても何も変わらんよ。
具体例を示さないとね。
言い張れる材料がないなら断言するべきでないよ。

176:日本@名無史さん
18/07/16 15:43:47.15 .net
>>980(前スレ)
>まだ、「屯苑≒宣池付近」の場所は確定しておらず、未定なままだよ。
>判っている事は、宛と襄陽の間のどこか?であって、
>宛と襄陽の真ん中辺の新野よりは、宛や襄陽の緊急時に出動に不便な場所。」
襄陽から三百里なんだよ?
さてここで追加情報。
《晉書》卷一帝紀第一 宣帝
「太和元年六月,天子(明帝)詔帝(司馬懿)屯于宛,加督荊、豫二州諸軍事。」
司馬懿は明帝から宛に屯せよと命令されていた。
後任の「假節都督荊、豫諸軍事」である王昶が宛に屯するのは当然のことだよね。

177:日本@名無史さん
18/07/16 15:50:31.80 .net
>>162
日本の場合は平安時代中期に延喜式神名帳が編纂される時点で
○○(地名)神社といえば古来○○神を祀っている神社というのがわかったんだろうが
阿波は、この度建立した神社は犬神ではなくて○○神を祀ってますということを
地元民にもはっきりわかるように神社名にしたというのもあるだろう

178:日本@名無史さん
18/07/16 16:10:35.73 .net
>>165
記紀神話の倭国(阿波)以外、全国的に見て、神社名に神の名を冠するのは畏れ多かったんだろう  @阿波

179:日本@名無史さん
18/07/16 16:29:11.96 .net
阿波の神様は犬神様

180:日本@名無史さん
18/07/16 16:30:26.76 .net
>>156
だよな
「可能性が否定できない」・・・俺も時々使っちゃおうかなww

181:日本@名無史さん
18/07/16 16:42:23.73 .net
>>151
>淵の任ぜられた「護軍将軍」は「都」にあって「司直」「武官選」を司る職である
その夏候淵は定軍山で死んでるんですけど?

182:日本@名無史さん
18/07/16 16:44:47.75 .net
「想起される」
「推認できる」
「成り立つ余地があろう」
「保証されているようにさえ映る」
「可能性を考慮する必要がある」
「解釈もあり得よう」
スレ主が誤魔化し方のバリエーションをたくさん示してくれているな。

183:日本@名無史さん
18/07/16 17:06:38.37 .net
>>170
おお、結構厳密に言葉を使ってるな

184:日本@名無史さん
18/07/16 17:13:37.43 .net
>>171
厳密?  断定できる根拠がないときの言い回し

185:日本@名無史さん
18/07/16 17:16:49.72 .net
九州説は、なんでも断定しちゃうからねw
はっきりしていることと、解釈の余地があることは厳密に区別しないと
畿内説でも、「可能性がある」レベルのことはあるけれど、それはそこまでのことで
不確実なことを基礎にその次へ推論を進めたりはしない
そこの差が大きい、というが大きすぎるんだよ

186:日本@名無史さん
18/07/16 17:19:43.30 .net
>>151
>魏略曰「曹公置都護軍中尉、置護軍将軍。亦皆比二千石、旋軍並止罷。」(「後漢書志」百官一、劉昭註)
>これは「都に護軍中尉を置き、(都に)護軍将軍を置く。」の省略形であるから、護軍将軍の官は「都」に置・・・

こりゃ傑作だ
古田ってホント漢文読めないんだな
「都護軍校尉」を置いた話を「都に」置いたと誤読したのか
笑えるわー

187:日本@名無史さん
18/07/16 17:34:00.62 .net
俺がスレ主なら恥ずかしくて生きてられないだろうな
そういう図太さだけは感心する

188:日本@名無史さん
18/07/16 17:37:37.87 .net
>>175
なにが、はずかしいの?

189:日本@名無史さん
18/07/16 17:43:42.02 .net
見てると、九州説の人にとって、このスレのテンプレが
本当に邪魔でしょうがないみたいだねww
まあ、たいていの戯言は既に論破済みで、そのまとめになってる
つまり、九州説の存立余地が皆無なことを示すテンプレになってるからね

190:日本@名無史さん
18/07/16 17:48:06.54 .net
>>110
>甘粛省まで救援に行くのに邯鄲まで往復する時間が惜しいのだと
定説の長安じゃなくて洛陽で言わせるセンスが 実にあきれる 完全に脳がブッ飛んでるだろ<
軍事行動の中心となるべき「行護軍将軍」だから、どこにでも行くさ。

191:日本@名無史さん
18/07/16 17:49:16.71 .net
>>174
古田信者は基礎学力ないから、往々にしてこういうアホをやる

192:日本@名無史さん
18/07/16 17:49:51.44 .net
>>111
大和説者らは、全員、という脳病で廃人済みだな。

193:日本@名無史さん
18/07/16 17:54:58.10 .net
>>113
>どうも古田一派はなぁ ・・・ 東南に何百mか進んだあと東北に何十kmか行くことを
「東南陸行」と称したり、みたいな バランスの悪い思考をするねぇ<
そんな事、言わないねえ。
「東南」は出発時点での出発方向記載、
「陸行」は、途中移動の説明の「陸行五百里」の記載の一部。
そして、途中どう進むのか?は、案内人や道標任せ。

194:日本@名無史さん
18/07/16 17:57:29.38 .net
>>114
>王都は纏向では無い 奈良は王家の墓 王都は京都できまり <
王都が、邪馬壹國女王之所都の事を言ってんなら、
「南≠東」で×。

195:日本@名無史さん
18/07/16 18:00:48.21 .net
>>178
長安で八面六臂の活躍した話のすぐあとに甘粛で発生した事件対応の話題だろ
長安での話だと分からない奴は、チエオク

196:日本@名無史さん
18/07/16 18:04:53.62 .net
>>182
「南≠東」は「会稽東治之東」で×。

197:日本@名無史さん
18/07/16 18:08:07.48 .net
>>181
>そして、途中どう進むのか?は、案内人や道標任せ
そんな記事で邪馬台国の位置がわかるという奴は
頭ヘンだよね
つまり九州説はアホということで結論なー

198:日本@名無史さん
18/07/16 18:10:33.24 .net
>>176
たとえば、スレに粘着していて気に入らないレスにけちをつける狭量なところ

199:日本@名無史さん
18/07/16 18:11:12.92 .net
>>173
九州説の場合、魏志倭人伝など文献で確認できることは断定的に書いているよ。
そうしないと史学としては前に進まないからね。
畿内説が文献を無視している一方で、文献に書いていないようなことも断定的に書くのと大違いだ。

200:日本@名無史さん
18/07/16 18:14:49.25 .net
>>122
>>だから、お前の漢文の訳が「張元済本の苑を全部宛に変えてあった」からおかしいんであって、<
>失礼だなぁ。 >>210(前スレ) のは書き下しただけで訳していないよ。()内は理解しやすいように補足してあるだけ<
変な男。
「書き下し」文なんて「訳」文であって、元の漢文ではないよ。
そして結局お前は、
張元済本の「苑」となっている漢文の方は提示したが、
「宛」となっていたという主張した書陵部本の漢文を未だに提示していない。
という事は、書陵部本の方も「苑」となっていて、
お前がウソを付いていた事になって、提示出来なかったんではないか?。

201:日本@名無史さん
18/07/16 18:17:11.03 .net
>>124
大和説は、結局、証拠も論理も全て否定されたから、×。

202:日本@名無史さん
18/07/16 18:17:28.46 .net
>>186
彼がそんなことしてるって証拠は?

203:日本@名無史さん
18/07/16 18:19:31.94 .net
>>188
>「宛」となっていたという主張した書陵部本の漢文を未だに提示していない。
そんな本がある、という話そのものが
ザラコクの捏造じゃないの?

204:日本@名無史さん
18/07/16 18:21:41.20 .net
>>187
>九州説の場合、魏志倭人伝など文献で確認できることは断定的に書いているよ。
じゃ、断定だけして、確認した証拠を出さないのは何故?

205:日本@名無史さん
18/07/16 18:34:25.76 .net
>>190
>>176が証拠になってますよ

206:日本@名無史さん
18/07/16 18:38:14.45 .net
>>192
魏志倭人伝や記紀は自分で確認できるだろ?

207:日本@名無史さん
18/07/16 18:39:33.63 .net
>>187
>九州説の場合、魏志倭人伝など文献で確認できることは断定的に書いているよ。
wwwwwwww腹筋クラッシャー再び!
短里や島巡り仮説が、文献で確認できるんだよな!!!
もう、大笑いw

208:日本@名無史さん
18/07/16 18:44:36.12 .net
スレ主って何してる人なんだろ、相当暇だよね

209:日本@名無史さん
18/07/16 18:46:51.50 .net
>>129
>>そうだね。この男は、どうしても、書陵部本と張元済本の該当箇所の提示しないで、 勝手に「間違えたまま」とするインチキ詐欺師であった訳だね。<
>提示するとかしないとか関係ないでしょ。<
張元済本の原文に方は提示していたけれど、書陵部本のに原文の方は、まだ提示していないよ。
>書写や刊行本を作るときの原理原則で「間違えたまま」になるのだからさ。<
書写は、全書写で0.5%位の間違いがあるが、版刻では、原則として間違いは0.5%以下だよ。
>>結局この男も、唐代史家や現代大和説者らと同じく、「自己解釈に拠る書き換え」を肯定するインチキ詐欺師であった訳ね。<
>(再掲)書き換えはないんだよ。逆もないわけ。ただ誤記だけがある。肯定してないでしょ。的外れな誹謗中傷だね。<
写本では誤記があるが、後代史書では唐代史家らも現代大和説者らも、「意図的な書き換え」だよ。
>>「海」と「馬」の誤記なんて、可能性が全くないよ。<
>そんなの希望だって。書写する人の能力に左右される。<
字形も意味も違い過ぎるから、誤記ではなく、意図的な書き換え。
>>>>アホ男に言っても判らんのだろうが、 後代にあった文言よりも、後代にはなかった文言の方が古文。<
>>>誤記なら前代にも存在しないでしょ。<
>>前代にあった、というのが史料事実であり、史料実態。この男は、科学や学問には向いておらず、宗教や詐欺師に向いている男。<
>補強材料もないのに言い張っているだけでしょ。 学問には慎重さが必要なんだよ。 反論に誹謗中傷で返していて学問になるの?<
後代の知見に拠る書き換えがあった、という形になっている事が史料事実なの。

210:日本@名無史さん
18/07/16 18:50:08.95 .net
>>130
>つか、城もないよな山の中(笑)が荊予二州総司令官の治所だと言い張る人々って、どういう頭の構造しとんのかね<
「屯苑」だから、「屯」所だよ。

211:日本@名無史さん
18/07/16 18:53:46.17 .net
>>132
>鋭い。 その生駒葛城山系の東側に高天原が有るしね。 大和朝廷の発祥地だし。
そういうとアホがすぐに何遺跡なのかと聞いてくる。
日本では太古の王の痕跡は神社になってる。 式内社の中でさらに霊験あらたかな名神大社をみればいい。
遺跡云々は考古バカの言う事。<
大和朝廷なんて存在していなかったから、この男も、考古バカだ、という事。

212:日本@名無史さん
18/07/16 18:56:25.66 .net
>>139
>卑弥呼に関係する信仰や伝承 でも倭国(阿波)。  @阿波<
「南≠東」に拠って、×。

213:日本@名無史さん
18/07/16 19:06:47.05 .net
>>198
「苑」が「屯」所なら治所を移すという話と繋がらない

214:日本@名無史さん
18/07/16 19:09:09.84 .net
>>198
あのね
「乃表徙治新野」
って書いてあるでしょ
つまり今まで屯していたのは州治なの
郡太守より格上の刺史よりまた格上の
2州を統括してる征南将軍仮節都督諸軍事の治なんだよ

215:日本@名無史さん
18/07/16 19:10:06.28 .net
>>153
>記紀を読むといくつかの勢力が滅亡している。
最終的に現在の天皇家が生き残っているが、それだけ見て万世一系を唱えるのはナンセンス。
卑弥呼の王統だって消えてしまった勢力の一部であった可能性が否定できない。<
卑弥呼の東海姫氏は、倭王武の次の倭國王哲で倭王は終わって臣下になったが、
松野連家や紀氏として新撰姓氏録に存続し、
松野氏姫氏系図では、関ヶ原で負けた宇喜多に仕えた記載の後、消失したが、
尚も、熊本などに「松野」姓の人々が存続しているらしい。

216:日本@名無史さん
18/07/16 19:19:38.12 .net
昨日のNHKを見ても、日本人は黒潮の民と言えるかもな

217:日本@名無史さん
18/07/16 19:24:04.23 .net
>>156
>だーかーらー、「可能性が否定できない」って言い出したら、なんでもありにしか
ならないんだって そうなったら、科学ではないし、議論も検証もできない
例えば「>>150は卑弥呼の生まれ変わりである。その可能性は否定できない」って言われても
確かに否定できないけれど、だからどうした、って話にしかならないだろ?
もうちょっと、他人を説得できる根拠を積んでおくれよ<
だーかーらー、自然や歴史における学問や科学においては、
「確率の高さ」が問題であり、
議論価値がある。

218:日本@名無史さん
18/07/16 19:29:53.69 .net
>>205
算出根拠のない確率って・・・

そりゃ価値ねーよ

w

219:日本@名無史さん
18/07/16 19:43:31.77 .net
>>204
黒潮でどこから来たの?
やはり呉の太伯の末裔?

220:日本@名無史さん
18/07/16 19:44:56.95 .net
>そして、途中どう進むのか?は、案内人や道標任せ
そんな記事で邪馬台国の位置がわかるという奴は
頭ヘンだよね
つまり畿内説はアホということで結論なー

221:日本@名無史さん
18/07/16 19:47:37.53 .net
>>159
>>「屯苑≠屯宛」であり、「宣池付近の場所が宛と襄陽の間のどこか」という実態には、何ら変わりがない。<
>「苑」なんて地名ないし。田んぼしかないよ。<
張元済本における史料事実だよ。
>>書陵部本と張元済本の両方の該当箇所を見なくっちゃ、議論が進まない、
という事を拒否するお前がインチキ詐欺師。<
>なぜこちらで何もかも準備しなきゃならないんだよ? 君の怠慢までこちらの所為にされてはたまらんね。
「今屯苑,去襄陽三百餘里,諸軍散屯,船在宣池,有急不足相赴,乃表徙治新野,習水軍於二州,廣農墾殖,倉糓盈積。 」<
これはこれは、有難うございます。
という事は、やっぱり書陵部本でも「苑」であった、という事であり、
始めに書陵部本は「宛」になっている、と言っていたお前は、ウソを付いていた訳だ。
>>いや、「屯苑」は、当然宛と襄陽の両方に対しての「屯所」。<
>「宛」に対して必要ないよ。<
三国時代にあっては、どこからの急襲があるやも知れず、守備兵だけでは足りない事は幾らでも有り得るよ。

222:日本@名無史さん
18/07/16 19:47:47.43 .net
追い詰められるキナイコシ

223:日本@名無史さん
18/07/16 19:52:11.07 .net
>>160
>>淵の任ぜられた「護軍将軍」は「都」にあって「司直」「武官選」を司る職である<
>夏候淵は「行」護軍将軍ですけど<
当然都に勤務待機していて、事あらば、どこにでも行く、
とう事が仕事だから「行」なんだけど。

224:日本@名無史さん
18/07/16 19:52:29.26 .net
ザラコクさんは本当に邪魔
出雲と吉備、美作あたりの四隅突出墓の時代の関係とかを論じたいのに、
ザラコクさんがバカ過ぎてそこまで手が回らない

225:日本@名無史さん
18/07/16 19:55:49.99 .net
>>208
>>そして、途中どう進むのか?は、案内人や道標任せ
>そんな記事で邪馬台国の位置がわかるという奴は
>頭ヘンだよね
やっとザラコクさんも分かったか!
そうなんだよ! 古田史学の会が主張するような
出発方向だけの記載で「案内人や道標任せ」だったら、邪馬壹国の位置が
分かるはずないよな
ザラコクさんは、出発方向が記載されていて、その後は案内人や道標任せで行くって
主張していてかつ位置が分かるっていってるけどさww

226:日本@名無史さん
18/07/16 19:58:01.02 .net
>>213
ごめん、>>208はザラコクさんじゃないかな?
ザラコクさんと同レベルのオウム返しだからザラコクさんかと思ったww

227:日本@名無史さん
18/07/16 20:06:34.26 .net
>>161
>>屯する場所を苑から新野に変更した、という事だから。<
>大軍を収容する宿舎とか必要なんだよ。<
だから「苑」では散在していた。
>>>水害の危険のあるところで多くの動物を飼育しないでしょ。だから不適切。<
>>「宣池」がある場所。<
>結局「苑」の意味も理解しないで言い張るだけですか。<
「神宮外苑」位しか、直ぐには思いつかないよ。
>>全くのアホだなあ。新野は、宛と襄陽の真ん中辺なんだよ。だから、宛と襄陽の両方の変事に備えているんだよ。<
>吳の支配域からより遠い宛に、突然侵攻されないでしょ。<
青龍三年では、まだ蜀もあったのではないか?と思うし、
呉も遠回りして宛を攻撃する事もないとは言えない筈。
>>書陵部本では、根拠になり難いし、 「四書文庫」なんて全く知らんが、また現代通説本ではないのか?。<
>「欽定四庫全書」と間違えたわ。<
四庫全書では、また、後代権威学者の「自己解釈に拠る書き換え」が十分に有り得る書だな。

228:日本@名無史さん
18/07/16 20:12:42.21 .net
>>215
>十分に有り得る書だな。
「十分に有り得る」ww
いつもの根拠なしご都合解釈w

229:日本@名無史さん
18/07/16 20:25:10.64 .net
>>163
>>漢代の記録や上表文などには、長里記録が当然残っている可能性もある事は、何度も言っているし、
最近の古田史学では、短里の使用は明帝の頃からだった、という話もある。
要は、魏使らの記録や陳寿の地の文では、原則として短里で記録記載されている、 という事だ。<
>定まっていないね。<
魏使らや陳寿らは、定まっていたという事であり、
魏の役人たちは、漢代記録や上表文は、そのまま記載し、
魏代初期の記録は、長里と短里の両方があった可能性がある、という事だ。
>可能性を何度も言っても何も変わらんよ。 具体例を示さないとね。
言い張れる材料がないなら断言するべきでないよ。<
いずれもYahooでの議論になった例であり、
textreamに変わってから、
古い議論が全部出せなくなり、抹殺されて消失してしまったし、
もう一々覚えていないから、出せないし、出さないよ。

230:日本@名無史さん
18/07/16 20:26:27.72 .net
ザラコクさんの得意技 半分×書ww
原典の典拠を示しての反論をされると、半分×書ということにして、
その記述を間違いと言い出す
その一方で、同じ書でも都合のいいことは正しいという なぜなら×なのは
半分であって正しいことも書いてあるのが当然
何が正しくて、何が書き換えられた部分なのかは、ザラコクさんが決めるww
チェリーピッキングもここに極まれりだな

231:日本@名無史さん
18/07/16 20:49:52.27 .net
>>217
>もう一々覚えていないから、出せないし、出さないよ。
覚えてない程度のものは、どうせたいしたことはないんだよww
結局、根拠も理由もなく言い張るだけってことだなw
九州説クオリティ、乙!

232:日本@名無史さん
18/07/16 20:51:42.67 .net
>>164
>>まだ、「屯苑≒宣池付近」の場所は確定しておらず、未定なままだよ。
判っている事は、宛と襄陽の間のどこか?であって、
宛と襄陽の真ん中辺の新野よりは、宛や襄陽の緊急時に出動に不便な場所。<
>襄陽から三百里なんだよ?<
長里であれば、ほぼ宛に届いてしまって散屯する必要もないし、宣池もあった筈だが見つからないから、
長里ではない。
>さてここで追加情報。
《晉書》卷一帝紀第一 宣帝
「太和元年六月,天子(明帝)詔帝(司馬懿)屯于宛,加督荊、豫二州諸軍事。」
司馬懿は明帝から宛に屯せよと命令されていた。
後任の「假節都督荊、豫諸軍事」である王昶が宛に屯するのは当然のことだよね。<

後代の唐代に書かれた晋書では、
「宣帝之平公孫氏也、其女王遣使至帶方朝見」などの例に拠って、
後代の「自己解釈に拠る書き換え」をしている史書である事になり、
信頼性が落ち、
そんな半分×書での「屯宛」では、根拠になり難いな。

233:日本@名無史さん
18/07/16 20:59:08.03 .net
>>169
>>淵の任ぜられた「護軍将軍」は「都」にあって「司直」「武官選」を司る職である<
>その夏候淵は定軍山で死んでるんですけど?<
「行」していた時に亡くなったのであり、
長安に常駐していなかった、という事の証拠にもなる事だよ。

234:日本@名無史さん
18/07/16 21:01:08.52 .net
>>220
>そんな半分×書
半分×書なんていうチェリーピッキングがデフォルトのザラコク理論ww

235:日本@名無史さん
18/07/16 21:03:59.97 .net
>>221
そういう意味じゃなくて、
「都護軍将軍」は、「都」「護軍将軍」と切ったらダメなんだよ
「都護」の「軍」の「将軍」なんだからさww

236:日本@名無史さん
18/07/16 21:04:05.40 .net
>>171
>>「想起される」
「推認できる」
「成り立つ余地があろう」
「保証されているようにさえ映る」
「可能性を考慮する必要がある」
「解釈もあり得よう」
スレ主が誤魔化し方のバリエーションをたくさん示してくれているな。⇔
>おお、結構厳密に言葉を使ってるな<
殆ど皆、「確率は低いですが」と白状しているように、見える。

237:日本@名無史さん
18/07/16 21:16:23.20 .net
>>173
>九州説は、なんでも断定しちゃうからねw<
九州説者は、殆ど全て、確率が非常に高い(例えば「99.5%」位)事を根拠にするが、
大和説者は、「南→東」などのような、
確率が極めて低い(例えば0.5%以下)の事を根拠にしている。
>はっきりしていることと、解釈の余地があることは厳密に区別しないと
畿内説でも、「可能性がある」レベルのことはあるけれど、それはそこまでのことで
不確実なことを基礎にその次へ推論を進めたりはしない<
ここでもこの大和説男は、
「畿内」なんて存在もしていない(確率が殆ど0%)文言を、
あたかも確率が高くて存在していたかのような言い方をして、
国民を騙そうとしているから、
「南→東」などの騙しと同じく、
嘘つき騙しの詐欺師。

そこの差が大きい、というが大きすぎるんだよ

238:日本@名無史さん
18/07/16 21:28:05.31 .net
170日本@名無史さん2018/07/16(月) 16:44:47.75>>171
「想起される」
「推認できる」
「成り立つ余地があろう」
「保証されているようにさえ映る」
「可能性を考慮する必要がある」
「解釈もあり得よう」
スレ主が誤魔化し方のバリエーションをたくさん示してくれているな。

239:日本@名無史さん
18/07/16 21:30:41.54 .net
>>174
>>魏略曰「曹公置都護軍中尉、置護軍将軍。亦皆比二千石、旋軍並止罷。」(「後漢書志」百官一、劉昭註)
これは「都に護軍中尉を置き、(都に)護軍将軍を置く。」の省略形であるから、護軍将軍の官は「都」に置・・・<
>こりゃ傑作だ 古田ってホント漢文読めないんだな
「都護軍校尉」を置いた話を「都に」置いたと誤読したのか 笑えるわー <
この男も、・・・・だな。
行護軍将軍が、「行=地方で行動する」」護軍将軍、を意味するように、
都護軍校尉が、まさか「都護」の軍校尉ではあるまいし、
「都を護軍する校尉」の意味であっても、
何らおかしくない。

240:日本@名無史さん
18/07/16 21:31:31.26 .net
>>227 

で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と
龍信仰と亀卜は?

で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着したとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?

今言えサギジジイ!

241:日本@名無史さん
18/07/16 21:34:21.88 .net
>>176
>>俺がスレ主なら恥ずかしくて生きてられないだろうな
そういう図太さだけは感心する<
>なにが、はずかしいの?<
「確率が少ししかない」という事を意味する言い回しばかりであったから。

242:日本@名無史さん
18/07/16 21:38:20.83 .net
>>177
見てると、大和説の人にとって、このスレのテンプレが、
本当に邪魔でしょうがないみたいだねww。
まあ、たいていの戯言は既に論破済みであり、その事の言い訳になってる。
つまり、大和説の存立余地が皆無なことを示すテンプレになってるからね。

243:日本@名無史さん
18/07/16 21:41:28.35 .net
>>179
大和説信者は基礎学力や脳がないから、
「南→東」などの明確な嘘つき騙しだけではなく、
往々にしてこういうアホもやる。

244:日本@名無史さん
18/07/16 21:49:31.75 .net
>>183
>長安で八面六臂の活躍した話のすぐあとに甘粛で発生した事件対応の話題だろ<
長安に常駐していなかった、という事の証拠だろ?。
>長安での話だと分からない奴は、チエオク<
夏侯淵が長安に常駐していなかった、という事が分からない奴あh、チエオク。

245:日本@名無史さん
18/07/16 21:53:05.65 .net
>>184
>「南≠東」は「会稽東治之東」で×。<
「会稽東治之東」が九州でほぼぴったりだから、
「南≠東」が〇。

246:日本@名無史さん
18/07/16 21:57:15.00 .net
奈良は京都から見て村はずれ


247: 村はずれに墓は作る 邪馬台国の王都は京都 奈良は墓地



248:日本@名無史さん
18/07/16 21:58:07.87 .net
>>185
>>そして、途中どう進むのか?は、案内人や道標任せ<
>そんな記事で邪馬台国の位置がわかるという奴は頭ヘンだよね
つまり九州説はアホということで結論なー <
魏使らが、案内人も道標も無しに「女王之所都」まで行った、なんていう奴は、
頭が変だよね。
つまり大和説や反古田狂はアホということで結論なー。

249:日本@名無史さん
18/07/16 21:59:33.96 .net
インダス文明しかり
黄河文明しかり
大河に文明は起こる
大和川なんて屁
淀川水系に大国は有ったのだよ

250:日本@名無史さん
18/07/16 22:06:02.12 .net
ただし邪馬台国とは関係ないけどね。

251:日本@名無史さん
18/07/16 22:15:15.44 .net
>>188
>変な男。
>「書き下し」文なんて「訳」文であって、元の漢文ではないよ。
はぁ?「書き下し文」と「訳」の区別もつかなければ、漢文を読めるわけがないですな。
>「宛」となっていたという主張した書陵部本の漢文を未だに提示していない。
>という事は、書陵部本の方も「苑」となっていて、
>お前がウソを付いていた事になって、提示出来なかったんではないか?。
失礼だなぁ。そんな主張してないよ。
ずっと誤字だと言ってるだけなんだが。

252:日本@名無史さん
18/07/16 22:18:26.81 .net
>>197
>書写は、全書写で0.5%位の間違いがあるが、版刻では、原則として間違いは0.5%以下だよ。
数字の根拠なし。
>写本では誤記があるが、後代史書では唐代史家らも現代大和説者らも、「意図的な書き換え」だよ。
そんなこと言ったら《三國志》の刊行本でもあり得るでしょ。
気に入った文献だけ「書き換え」が無くて、気に入らない文献は「書き換え」が有ると勝手に認定しているだけだね。
>字形も意味も違い過ぎるから、誤記ではなく、意図的な書き換え。
そんなの希望だって。
>後代の知見に拠る書き換えがあった、という形になっている事が史料事実なの。
君の仲間内だけだろ。

253:日本@名無史さん
18/07/16 22:18:46.61 .net
卑弥呼の墓は、日本で最も聖なる土地にある、日本で最も古い神社の境内にある。
高天原(御所市高天)にある高天彦神社だ。
鳥居をくぐった境内に、径百余歩の塚(小山)があり、
魏志倭人伝の記述通り、その周囲に奴婢が埋葬されている。
埋葬された奴婢とは土蜘蛛だ。
URLリンク(www.progoo.com)
卑弥呼やその一族は、死後に高天原の神々になったのだ。

254:日本@名無史さん
18/07/16 22:20:27.15 .net
>>209
>張元済本における史料事実だよ。
他で確認も出来ないし、地名かどうかも分からんだろ。
>という事は、やっぱり書陵部本でも「苑」であった、という事であり、
>始めに書陵部本は「宛」になっている、と言っていたお前は、ウソを付いていた訳だ。
失礼だな。なっているなんて言ってないよ。
そちらの勝手な決めつけだ。
こちらはずっと誤記と言ってきたよ。
>三国時代にあっては、どこからの急襲があるやも知れず、守備兵だけでは足りない事は幾らでも有り得るよ。
適当な思いつきだろ。


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