歴史学博士らがあらゆ ..
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192:日本@名無史さん
18/08/25 18:13:52.76 .net
>>188
八角形の形も天皇陵にふさわしいと言われてるけど。天武の棺は乾漆に遺体を納め、
持統の方は火葬されて金属製の器に収められている。古墳の時代が終わり仏教式になっていく
時代背景と合致する。

193:日本@名無史さん
18/08/25 23:06:22.83 .net
1憶歩譲ってやって、古墳が天皇の墓だったとする
それが1400年代あたりの極貧天皇だと、葬式もしてもらえず
腐乱死体のまま放置された天皇もいる
葬式をしてやろうという有力者も縁者もいない落ちぶれよう
これは何の役にも立たない天皇を人々が見放したということでしょうか

194:日本@名無史さん
18/08/26 00:16:57.76 .net
開墾の為に土が余ってた時代だからだよ

195:日本@名無史さん
18/08/26 01:10:03.12 .net
リニア開通で南アルプスの土が余るだろう。
ニートに職に与える為にも火葬はやめにして新たな古墳を作るべきだね。大和盆地なら土地も余っている

196:日本@名無史さん
18/08/26 09:35:05.89 .net
そもそも江戸時代中期以後は天皇を火葬にしてないだろ、やめるもなにもない

197:日本@名無史さん
18/08/26 11:43:37.33 .net
土葬の伝統は守るべきだよな?

198:日本@名無史さん
18/08/26 12:45:00.08 .net
飛鳥時代に法で定められた火葬が千年以上(?)続いた段階ですでに伝統だろ

199:日本@名無史さん
18/08/27 02:12:52.24 .net
>>194
この島国もう敷地が無いんで無理

200:日本@名無史さん
18/08/27 06:49:54.02 .net
在日イスラム教徒が土葬にしようとしてもめている。

201:日本@名無史さん
18/08/27 06:53:12.32 .net
ふるさとでどうぞ

202:日本@名無史さん
18/08/27 06:53:57.18 .net
>>194
もう天皇家も長いこと火葬

203:日本@名無史さん
18/08/27 23:50:07.45 .net
平安時代の貴族が仕事に就くのはだいたい何歳の頃だったのでしょうか?よろしくお願いします

204:日本@名無史さん
18/08/28 00:42:11.01 .net
>>200
誘導されたと書かないとマルチポストで怒られるよ。

205:日本@名無史さん
18/08/28 01:02:13.69 .net
>>201
ああうっかりしていましたすみません

206:日本@名無史さん
18/08/28 14:41:29.86 .net
マルチポストで、age質問
最低だな

207:日本@名無史さん
18/08/28 20:04:44.55 .net
>>203
申し訳ありません
>>1に常時age進行でとあったのでそうしてしまいました

208:日本@名無史さん
18/08/28 21:32:07.01 .net
貴族 元服でググられたらよろしいのでは?

209:日本@名無史さん
18/08/28 22:15:21.14 .net
>>205
出仕というのですねありがとうございました!

210:日本@名無史さん
18/08/29 10:42:53.17 .net
刃物がなかった頃の人間はどうやって爪を切ってたんですか?
爪研ぎがあったのか、もしくは伸ばしっぱなしですか?

211:日本@名無史さん
18/08/29 13:27:53.36 .net
この画像のような、丈長に似てるけど紙製ではない髪飾りのはなんという名称なんでしょう?
ポニテの根本についてるやつです
また、どうやってつけるものなんでしょうか?
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

212:日本@名無史さん
18/08/29 16:22:13.89 .net
時代考証なしに現代人が想像で描いた絵を基に質問されてもな…

213:日本@名無史さん
18/08/29 16:38:48.16 .net
>>207
黒澤明監督が侍の一日を描く映画を考えていた
最後にドラマチックな事が起こるけど、それまではずっと平凡な一日を描く
朝起きて、さて髪の手入れである
髷を結いなおすのは誰がやってくれていたのか
そもそも毎日結いなおすものなのか
色々調べてもわからない
当たり前の日常を書き残すことなど普通ないのだ
監督はこの作品をあきらめた
何でもパァーっとわかってしまうものではないのだよ

214:日本@名無史さん
18/08/29 17:55:12.76 .net
>>209
色んなキャラ似てるけど似たようなものが描かれてるから元ネタというか実際存在する飾りなのかなと
二次元だけの飾りなんでしょうか?

215:日本@名無史さん
18/08/29 18:47:38.45 .net
>>207
爪切り 歴史でググられたらよろしいのでは?

216:日本@名無史さん
18/08/29 18:53:57.99 .net
>>211
日本の髪型としては髷を結うものであってポニーテールはないです。

217:日本@名無史さん
18/08/29 20:23:32.88 .net
ポニーテールはあくまでも表現だろうから重箱の隅をつつかんでも…

218:日本@名無史さん
18/08/29 21:01:13.64 .net
>>210
毎日結い直すものではない、定期的に結い直すが夜は結ったまま
髪が乱れないよう特殊なマクラを使っていた
髪型が身分標識だったから、身分に合わせた髪型しか選べなかった
それを管理する床屋が特殊技能の公職で、顧客管理の帳簿が重要な公文書(?)とかで、火事の時に特別行動(優先行動)が許されたらしいとか
監督が考えてた当時は研究書も乏しかったんだろうが今ではそれなりの資料が出回ってる気がする
>>214
当時の日本で許容されていた髪型では、こういう物を髪につけることはできなかったと思う

219:日本@名無史さん
18/08/29 22:07:21.27 .net
>>214
重箱の隅をつついたんじゃなくてイラストのような髪型は存在しないと言いたかった。

220:日本@名無史さん
18/08/29 23:53:43.15 .net
おもしろいなあ物知り多くて
髪型の話で思い出した
図書館かブックカフェで見た本だと思うけど、
たぶん江戸時代に変わった髪型が流行して
どんどん凝った髪型が出て来て一般人の手には負えない複雑さになっていって
遊女にはもちろん専属の髪結いさんがいるんだけど
贅沢にも庶民が髪結い師のとこに通いまくる現象が多発した時があったみたいなことが書かれていた
贅沢禁止令みたいなのが出ても通わざるを得ないみたいな
今だってお金を出して髪を結ってもらうのなんて七五三か成人式か結婚式くらいだから、その当時の髪いじりブーム?凄かったんだね
手に負えないってどんな髪型なんだよ

221:日本@名無史さん
18/08/30 00:02:41.25 .net
>>207
ハサミは今みたいに出回ってなかったと思うから
アイクチとかで切ったり何かでヤスって研いでたんじゃないのかなあ
夜に爪を切ると親の死に目に合えないとか言ったから、傷を負いやすい危険な作業だったんだろうね

222:日本@名無史さん
18/08/30 00:06:02.02 .net
刃物が無かった時代か、ごめん読み飛ばしてた
そこまで古い話だと生活の中で自然に爪が削れそうだから石器か何かで研ぐくらいだったのでは

223:日本@名無史さん
18/08/30 01:42:57.84 .net
>>207
失礼しました。私も刃物がなかった頃を読み飛ばしておりました
憶測ですが、ジャマなくらい伸びたら歯でかんでたのではないでしょうか

224:日本@名無史さん
18/08/30 02:02:23.16 .net
ワイルドw

225:日本@名無史さん
18/08/30 02:08:44.28 .net
Brown Morning Report でお馴染みだった髭剃りメーカーも無い時代だと
髭剃りとか頭剃りとか毎朝無駄に痛かっただろうねえ
侍も坊主も頭キズだらけだったんじゃないのか

226:日本@名無史さん
18/08/30 03:15:57.12 .net
日本の刃物は西暦5世紀に渡来人それは百済から日本に渡ったから韓鍛冶の技術が与えた事が由来です。
韓鍛冶は兵庫県に所属する三木市に痕跡があります。

227:日本@名無史さん
18/08/30 03:38:48.00 .net
かみそりは?

228:日本@名無史さん
18/08/30 05:56:23.76 .net
昔は毛を毛抜きで抜くのも多かった
月代の部分だとか、髪の生え際の産毛だとか
明治生まれの爺さんが髭を毛抜きで抜いているのは見たことがある

229:日本@名無史さん
18/08/30 06:02:28.12 .net
>>215
極く質素な暮らしをしていた人が髪結いを利用していたとは思えない
特に武士が街の床屋は利用しないだろうし、廻り髪結いを家へ迎えていただろうか
大変な田舎に住む人、独身の貧乏人、こう言った人達はどうやって髪を結っていたのか
黒澤監督描くところの七人の侍だとか桑畑三十郎だとかが髪結いを利用していたとは思いにくい

230:日本@名無史さん
18/08/30 06:23:23.60 .net
多分、自分でやっていたんだろうなとは思うが

231:日本@名無史さん
18/08/30 06:30:31.94 .net
爪を切るだとか、風呂に入るだとか、こういうのは文明生活者のやること
野生としての人類はそういうことやらなくても生きて行けるようには当然なっている

232:日本@名無史さん
18/08/30 06:48:47.78 .net
イヌの爪は地面を走ることで擦り切れる
ネコの爪は狩りのためにするどく伸び続けるから、ガシガシと爪とぎをしてすり減らさせる
ヒトの指の先端には当然骨が露出しているわけではないから爪がないとしっかりとものをつまんだりできない
申し訳程度の爪があるだけでも役に立たず、すり減


233:チてしまわないように爪は伸びる 歩くのも足の先端は爪が力を支えている これもイヌと同じですり減るから伸びるようになっている 結論:爪はすり減っていた



234:日本@名無史さん
18/08/30 07:39:47.11 .net
>>223
日本語が不自由な上に日本史の知識が足りないな

235:日本@名無史さん
18/08/30 07:55:07.20 .net
沖縄はもともと琉球王国が統治していた場所だから日本固有の領土ではない。

236:日本@名無史さん
18/08/30 10:42:23.81 .net
>>226
江戸の女性の話だと思うよ

237:日本@名無史さん
18/08/30 13:08:04.90 .net
韓をNGワードにするとスッキリ

238:日本@名無史さん
18/08/30 13:08:49.25 .net
>>225
口元は皮膚やらかいから痛そう…

239:日本@名無史さん
18/08/30 15:42:29.26 .net
>>226
庶民は椿油を使って自分で髪を結っていたよ
別にお座敷に出るわけでもないし
髪結いさんに結ってもらって一週間は髪をほどかないって
今の舞妓さんとかだよね

240:日本@名無史さん
18/08/30 16:58:37.14 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と単粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は単粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

241:日本@名無史さん
18/08/30 17:04:29.83 .net
誰に対する応答なのか

242:日本@名無史さん
18/08/30 18:04:08.06 .net
古代エジプトの壁画にはさみやピンなどが描かれており、また紀元前1000年頃の古代ギリシアのものとされるはさみが出土しており、古代から使われていたと考えられている。
元々は医療用もしくは羊毛の収穫に使われており、当初は握り鋏が用いられていた。
かしめ部がある形式(日本で「洋ばさみ」と呼ばれている形式)が登場したのは、西洋では古代ローマ以降、東洋では唐以降だと言われている。
日本では6世紀に中国を通して伝わったと考えられており、この時代の古墳からの出土例もある。古代・中世には主に握り鋏が用いられ、また金属製のものの他に木製のはさみも作られていた。
ただ裁断などの用途には小刀が用いられていたため、はさみの普及は職人や華道など限定的なものであった。
量産されるようになったのは江戸時代から、一般庶民に普及したのは江戸時代末期から明治時代ころといわれる。
明治時代から普及した背景には、衣服の洋装化により従来以上に複雑な布の裁断が必要となったことが一因となっている。

243:日本@名無史さん
18/08/30 18:09:51.76 .net
おばあちゃんが使ってたような
鉄の糸切りバサミで爪を切ろうとしてる古い絵あるよね
あれは江戸時代なのかな

244:日本@名無史さん
18/08/30 18:20:06.29 .net
>>237
沖縄君と同じでプロパガンダを連貼りする嵐だろ

245:日本@名無史さん
18/08/31 10


246::11:19.19 .net



247:日本@名無史さん
18/08/31 19:04:21.76 .net
ペリリュー島島民
陣地構築に徴用されていたが、日本軍が戦闘前に強制退避させたため死者・負傷者ともに0名とされる。
最後の日本軍関係者が死亡した年、ペリリューへ強制徴用され米軍に殺されたと証言する民間人を見つけ出したのが、、、N・H・K。
只の偶然だよ。

248:日本@名無史さん
18/08/31 19:27:09.06 .net
大日本帝国陸軍は大本営とか関東軍とか上層部は頭おかしいのが多いけど
現場指揮官には立派な人物も時々いる。そんな感じ。横須賀だったかの部隊は
玉音放送の後でも敗戦を認めずに武力抵抗してるおかしい指揮官が居たけど。

249:日本@名無史さん
18/08/31 19:40:36.93 .net
特殊工作員を養成していた陸軍中野学校から派遣された日本人のスパイが沖縄人になりすましてスパイ活動を行っていたのは歴史的事実。
NHKの取材陣が沖縄人から証言を得ているし、陸軍中野学校でスパイのエリートを養成していたのも軍の資料や軍関係者の証言で明らかになっている。

250:日本@名無史さん
18/08/31 20:43:01.85 .net
小園安名大佐
国民諸子に告ぐ。
神州不滅,終戦放送は偽勅,だまされるな。
いまや敵撃滅の好機,われら厚木航空隊は健在なり。
必勝国体を護持せん。勤皇護国。
皇軍なくして皇国の護持なし。
国民諸君,皇軍厳として此処にあり。
重臣の世迷言に迷わざることなく吾等と共に戦へ。
之真の忠なり。之必勝なり。

251:日本@名無史さん
18/08/31 21:50:20.76 .net
>>245
そうか横須賀じゃなくて厚木か。頭おかしいよなぁ。でもそういうのが多いから陸軍に殺されると昭和天皇は恐れていた。

252:日本@名無史さん
18/09/01 20:15:13.26 .net
気になる材料を羅列してみると、

渡来系弥生人骨は朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、ギリヤークなどの沿海州の
北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。

複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

253:日本@名無史さん
18/09/01 20:58:42.56 .net
>>247
弥生時代の初期に渡来した人の末裔がそのまま現代の日本人につながるのかは証明できてないのでは?
渡来が1回だけのはずもなく、次々といろんなところからやって来たはず
長い歴史の中で血筋が途絶えた集団もいたはず
個人的には菜畑遺跡に稲作を伝えた集団は、日本列島に稲作を広めた集団とは違うと思ってる
日本人のルーツの解明は考古学では限界があり、遺伝子で見ないといかんと思ってる

254:日本@名無史さん
18/09/01 21:13:17.47 .net
>>248
で、渡来が複数あった事の考古立証は?
菜畑遺跡に朝鮮南部から稲作を伝えた集団=朝鮮土器を作らない弥生人自身
日本列島に稲作を広めた集団=そんなものいない。リレー形式で拡散していっただけ。
デタラメばかり連発するC級材料の遺伝子がでしゃばるなカス!

255:日本@名無史さん
18/09/01 21:27:05.84 .net
>>249
日本列島にそれまでいた縄文系のD系統を除いて、渡来系の遺伝子型が沿海州とは異なっているので
彼らが渡来系日本人祖先のメイン集団でないことは確定している
考古学は文化的痕跡を時系列に表しているが、日本人ルーツ解明には使えない

256:日本@名無史さん
18/09/01 22:39:52.27 .net
>>250
使えないのはYだろ。
デタラメばかり連発するゴミ材料。

土器、骨の形質 ← 永久に不変
Y ← 常に変化

どちらが使える材料の王者なのか一目瞭然。

257:日本@名無史さん
18/09/01 22:43:07.40 .net
遺伝子だけだといつ渡来したかもわからないしねー

258:日本@名無史さん
18/09/01 23:11:30.81 .net
>Y ← 常に変化
朝鮮半島では常に征服民族に男が皆殺しされるのでXだけ変化せず
Yは常に変化するということですね?
(この発展形が女だけ列島へ移民した渡来説)

259:日本@名無史さん
18/09/01 23:49:09.67 .net
日本の農耕は九州北部の菜畑遺跡や板付遺跡をその起源としている。
支配層は松菊里型住居という半島型の家屋にすみ、被支配層は典型的な縄文文化人だった。
この板付遺跡の人達が造っていた遠賀川式土器こそが、弥生式土器の雛形でもある。
話は簡単で韓半島から渡来した松菊里文化人が縄文文化人を奴隷にして始まったのが弥生文化。
板付遺跡のすぐそばに日向峠やクシフルタケという山がある。
日本に鏡や金属器や稲作文化を持ち込んで、弥生文化を開いた韓半島からの移住民の話が天孫降臨神話になった。
松菊里遺跡には車に乗れば百済の故地の扶余から20分ほどでいける至近距離。
百済が日本の文化の源流という事は明らかだ。

260:日本@名無史さん
18/09/02 01:14:48.27 .net
>>254
おまえリアルビビンバだろw
まず菜畑と板付では200年近くも時代差がある。
日本の農耕の起源は菜畑ひとつだけ。
それに板付が朝鮮半島から渡来した松菊里文化人の遺構なら、
何で松菊里土器遺構じゃないの?
何でそれまでの夜臼式土器に朝鮮土器の特徴を取り入れて遠賀川式土器なんか
作る必要があるの?
正々堂々と朝鮮土器を作ればイイじゃないの。
つまり菜畑はもちろん、板付の担い手も弥生人自身。
朝鮮南部から文化や技術をパクってきて、自らの生活に取り入れていただけ。

261:日本@名無史さん
18/09/02 14:50:12.25 .net
主君や盟友を裏切り殺害して敵に取り入ろうとして
逆にその敵の怒りを買って誅殺された日本史上の人物というと
どんな人達の名が挙がりますか?

262:日本@名無史さん
18/09/02 16:07:19.18 .net
小山田信茂。信長の武田討伐の折、主君武田勝頼をかくまう約束だったのに裏切って追い返した。
勝頼を殺すことはしてないが、総大将の織田信忠によって不忠として処刑された。

263:日本@名無史さん
18/09/02 17:48:23.80 .net
>>257
有難う御座います。

264:日本@名無史さん
18/09/02 19:07:53.12 .net
なぜ板付遺跡の人々は正々堂々と朝鮮土器を作らず、それまでの夜臼式土器に
朝鮮土器の要素を取り入れて遠賀川式土器なんか作る必要があったのか?
結局、作っているのが半島人ではなく、弥生人自身だったからである。

265:日本@名無史さん
18/09/03 00:28:15.43 .net
>>256
桐生六郎、河田次郎
ともに主人の首を頼朝に差し出して斬られる
なぜこんなことに興味をもたれたのですか?

266:日本@名無史さん
18/09/03 00:54:09.43 .net
>>260
有難う御座います。
中国史で頻繁に見かける出来事なので、日本史ではどうだったのか気になった次第です。
もっとも、中国史の場合、「不忠を咎める」というのは表向きの名目の場合が多かったようですが。

267:日本@名無史さん
18/09/03 03:44:13.68 .net
中国や韓半島で不忠が嫌われたのは朱子学からくる理学の影響。
倭人は道徳を情緒的に捉えたが儒教の本場である韓半島では道徳は形而上学の一つとして考えられていた。
日本人には形而上的な学問能力がなく、全てを形而下の次元で理解しようとした。
つまりは頭が悪いのだが、現代においても日本人はイデオロギーを形而上的なものとして考えず、建前としてしか見ていない。
日本人の底の浅さが何故なのか理解できた気がしている。

268:日本@名無史さん
18/09/03 10:39:07.87 .net
気になる材料を羅列してみると、

渡来系弥生人骨は朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、ギリヤークなどの沿海州の
北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。

複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

269:日本@名無史さん
18/09/03 10:40:11.04 .net
韓 でNG

270:日本@名無史さん
18/09/04 05:18:02.04 .net
在原業平は「中将」でしたが、律令制上の朝廷軍が「武官」の下に実際に配備されていたのはいつ頃までだったのでしょうか?
あと、後の軍事貴族は必ずしも官職的には「武官」ではなかったのでしょうか?

271:日本@名無史さん
18/09/04 08:16:53.00 .net
>>265
律令制の朝廷軍(軍団)は桓武天皇の時に廃止され、代わって健児の制が布かれた。軍団は徴兵制だが
健児は自分で訓練する時間と経済力のある郡司の子弟や田堵(有力百姓)から選抜され、常設ではなく
必要が生じたときに動員されて臨時軍を編成した。1000人規模の軍団から国ごとに30人とか多くても100人と
最低限度の規模になり、朝廷が事実上軍事力を放棄したため、9世紀から10世紀を通じて、日本列島は
事実上の無政府状態に陥った。

272:日本@名無史さん
18/09/04 10:33:14.40 .net
>>266
有難う御座います。
そこでリアルにヒャッハーな乱世を生き抜くためにこうなったという認識でOKでしょうか?
 ↓
・世俗の権力者及び寺社系の旧来勢力が私兵を囲う
・強盗団を作って殺られる前に殺ってしまえ的な新興勢力が勃興
・私兵団や強盗団に対抗するために庶民が武装して自警団化
 ↓
それぞれのカテゴリ間で殺し合いや取り込み・糾合が発生し後の武士の源流となる

273:日本@名無史さん
18/09/04 10:44:42.16 .net
>>266
つづき。無政府状態の中で自力救済の必要から郡司・富豪層が武装勢力化した。この武装勢力はのちの
悪党と同様、ときに群盗や海賊行為などであばれまわったりもした。国司が地方行政を遂行するためには
これらの勢力を取り込む必要があったので在庁官人にして実務を任せるなどしてその武力を国衙の軍事力として
取り込んだ。これを国衙軍制と呼ぶ。こうして成長した地方の軍事勢力が国司として下ってきたり、放浪してきた
下級貴族と結びついて軍事貴族が発生する。
軍事貴族は身分が低いので初めは朝廷に取り立てられることは少なかった。平将門は検非違使の尉に
なれなかったし、藤原秀郷も出世できないから在庁官人をやめて地元で暴れまわって武名を轟かせていた。
将門と並び称される藤原純友はもともと伊予掾として瀬戸内海の海賊を取り締まっていたがそのまま土着して
海賊の大親分になって乱を起こした。将門と純友は別々に乱を起こしたけど同じ時期に起きたので承平天慶の乱と
まとめて呼ぶ。その背景には地方で地力をつけながらも朝廷に認められない不満があった。それを理解した
朝廷は承平天慶の乱を平定した者たちを取り立て、藤原秀郷を国司や鎮守府将軍にしたり待遇改善した。

274:日本@名無史さん
18/09/04 10:44:49.88 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

275:日本@名無史さん
18/09/04 11:06:57.42 .net
>>267
>・世俗の権力者及び寺社系の旧来勢力が私兵を囲う
世俗の権力者が郡司・富豪ですね。
>私兵団や強盗団に対抗するために庶民が武装して自警団化
庶民は属する武装勢力なり寺社なりに保護されると思います。

276:日本@名無史さん
18/09/04 20:17:21.78 .net
>>266
>朝廷が事実上軍事力を放棄したため、9世紀から10世紀を通じて、日本列島は
>事実上の無政府状態に陥った。
というのは言い過ぎかと
諸国の国衙・郡家に治安維持を丸投げしただけでは
まあ山賊海賊が各地で暴れる時代になったのはたしかだけど、あの山賊海賊も政府関係と裏でつながってるヤツらが多かったでしょ
>>267
その「庶民が武装化、自警団化」ってのは実際に起こったのは南北朝期の惣村で武士の源流とは無関係
武士の源流は軍事貴族で朝廷関係だ、基本的に都から出てる。

277:日本@名無史さん
18/09/04 20:21:58.46 .net
>>268
郡司・富豪層って、旧国造系の古代豪族子孫が基本でしょ
公地公民制で領地領民を形式上は手放してても、実際の運営は引き続いて郡司が担当していて、国司は間接的な関与だったのでは。
酷使としての仕事に郡司が加わるようになったのは郡司の解体が進んで郡を直接統治できなくなったので国司の内部に組み込まれざるを得なくなった、
領地の直接支配の主体が郡から国(国司)に移行したことの反映でしょ

278:日本@名無史さん
18/09/04 20:56:49.20 .net
>>268 >>270
有難う御座います。
朝廷による中央集権制に綻びが出て以降の地方赴任に関しては、
中央政府での出世がほぼ絶望的な階層の貴族が地域の利権や土着勢力をゲット出来て
むしろ美味しかったのではないかと思ったのですが、彼等なりに中央政府の蔑視・冷遇は不満だったのですね。
例えば、太宰権帥の場合、天神様ほどひどい場合(事実上監禁状態)でなければ、
やらかし左遷組でも貿易統制(実質海賊)で甘い汁吸ってた場合があるようですし。
>>271
有難う御座います。
当時の日本は「無政府状態」というより
「中央集権制の綻びから地方勢力が力を付けて勝手に振る舞い始めた」
という解釈でよろしいでしょうか?
あと、源流でないまでも自警団ルーツの庶民達は武士化自体はしたのでしょうか?

279:日本@名無史さん
18/09/04 21:10:18.96 .net
庶民のちからが弱かったから自警団自体が成立してない

280:日本@名無史さん
18/09/04 21:27:55.55 .net
>>271-1
俺も理解が足りないので必要があったら補足してください。

281:日本@名無史さん
18/09/06 00:33:28.52 .net
脱活乾漆像のダッチワイフって、
なんで無いの?
(´・ω・`)

282:日本@名無史さん
18/09/06 11:09:33.46 .net
被差別部落の成立と武士階級の成立に関係ありそう

283:日本@名無史さん
18/09/06 19:24:51.25 .net
そりゃまったく無関係ではないだろうがな、武士階級の成立に、より関係が深いのは摂関家の成立とか院政の成立とかの方だろう

284:日本@名無史さん
18/09/07 01:16:19.39 .net
穢れは公家化の反作用では?
奈良に多いのは平城京南辺があったから

285:日本@名無史さん
18/09/07 05:41:55.69 .net
エタの集落内に士農工商に相当するカテゴリが存在した場合もあると聞いたのですが、
本当にそんな集落があったのでしょうか?
士・・・名字帯刀の管理者
農・・・皮革生産者
工・・・皮革加工者
商・・・皮革販売者
(ただし、寺院は無く僧侶は寄り付かない。)
という形だったそうですが。

286:日本@名無史さん
18/09/07 05:46:14.85 .net
>>280
誰から聞いたの

287:日本@名無史さん
18/09/07 08:12:24.38 .net
単純に作業が分担化されてただけじゃないの?
それを後世の都合でカテゴライズされてたって言ってるだけのような気もする

288:日本@名無史さん
18/09/07 09:52:31.08 .net
分担化する都合が分からないんですけど?
僧侶が出てくるあたりからも後世ではなくヒンズー教ジャーティの影響だと思う

289:日本@名無史さん
18/09/07 09:59:16.25 .net
は?

290:日本@名無史さん
18/09/07 11:15:39.03 .net
エタに限定する必要が無い話だな

291:日本@名無史さん
18/09/07 15:08:14.52 .net
うん
単に職業が分化してただけだよな
もっとも、庶民の身分・階級も実は農工商に身分分けされてなくて同一身分だったみたいだし、
それと同じことではある
村を治める庄屋が苗字帯刀で、しかし武士ではないというのも同じ。

292:日本@名無史さん
18/09/07 21:26:05.78 .net
気になる材料を羅列してみると、

渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。

複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

293:日本@名無史さん
18/09/08 05:29:05.00 .net
日本は139年前の1879年3月27日に琉球王国を武力併合しているから安倍内閣の閣僚は口が裂けても「沖縄は日本固有の領土」とは言えない。
事実、歴代内閣で「沖縄は日本固有の領土」と発言した閣僚は一人もいない。
もし仮にそのような発言をする閣僚が現れたら、「ではなぜ沖縄の前身である琉球王国を武力併合したのか?」と追及されて、その閣僚は我々沖縄県民に謝罪しなければならず、対応次第では辞任に追い込まれることになる。

294:日本@名無史さん
18/09/09 21:27:57.12 .net
>>39
本人はオシャレと思ってたんだから、黙っといてやれよ。

295:日本@名無史さん
18/09/10 09:19:51.90 .net
京都市内における在日差別の歴史は
部落差別の延長線上にある
中世以前の歴史が薄い関東と
古代からの歴史的連続性の強い関西で
差別主義の違いがあるのはどういう事か

296:日本@名無史さん
18/09/10 19:09:30.88 .net
そのままだろ。
渡来人=朝鮮人への差別の伝統だろ

297:日本@名無史さん
18/09/10 19:42:14.46 .net
<昭和天皇は米軍による沖縄の長期占領を望んでいた>
戦後の1946年、大日本帝国憲法から日本国憲法に変わって天皇が政治に介入できなくなったにもかかわらず、その翌年の1947年に、昭和天皇は政治に介入した事実がある。
当時、昭和天皇は宮内庁御用掛を務めていた寺崎英成に「米軍による沖縄の長期占領を望む」という自身の希望を伝え、その天皇のメッセージがGHQの政治顧問だったウィリアム・シーボルトを介して米国国務省にも伝わっていているが、
サンフランシスコ講和条約第3条により北緯30度以南が米国施政権下に置かれたことは、まさに昭和天皇の望みが見事に叶えられたものといえる。
昭和天皇が米国に伝えたとされる「天皇メッセージ」の原文は雑誌「世界」(岩波書店、1979年4月号)で詳しく取り上げられていて、後に「分割された領土」という書名で岩波現代文庫からも発行されている。
参考文献↓
「分割された領土」(岩波


298:現代文庫)



299:日本@名無史さん
18/09/10 21:39:59.75 .net
>>291
京都はもともと秦氏などの渡来系の町だよ

300:日本@名無史さん
18/09/11 09:22:58.48 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

301:日本@名無史さん
18/09/11 09:23:39.16 .net
古墳時代の服装の復元図とかで、筒袖に肘のあたりを紐で締めてあるけれど、どうやって結ぶの?
URLリンク(i.imgur.com)
こういうヤツ。
一人では着られないという前提?

302:日本@名無史さん
18/09/11 09:32:24.43 .net
>>14
アニミズムですよ、先生

303:日本@名無史さん
18/09/11 15:29:25.08 .net
>>293
桓武天皇の生母高野新笠は渡来系だから平安京への遷都となった。

304:日本@名無史さん
18/09/11 16:17:33.82 .net
別スレより
>京都は韓国語起源の地名をまだ沢山保持しています。
>京都市の中心の烏丸は河原洲のマウルです。
>秦氏は川が流れていた場所に村を建設しました。

305:日本@名無史さん
18/09/11 17:09:46.82 .net
URLリンク(www.kahaku.go.jp)
URLリンク(pbs.twimg.com)
URLリンク(www14.plala.or.jp)
赤色→北海道、沖縄、北東北、鹿児島
橙色→南東北、関東、新潟、九州
黄色→近畿、朝鮮半島
(国立科学博物館)

306:日本@名無史さん
18/09/11 18:54:38.34 .net
韓国語っていつ生まれたん?

307:日本@名無史さん
18/09/11 22:12:24.36 .net
金星の太陽は西から上って東へ沈む。他の惑星と反対の方向に自転しているからだ。
このように、太陽が西から上って東へ沈むのは「ケースバイケース」でしかない。
大陸と日本列島の位置関係で何がどちらから伝来するかは、それこそケースバイケースだから、
まあ適切な例えと言えなくはないな

308:日本@名無史さん
18/09/12 03:12:26.64 .net
プロバイダ責任制限法という法律にもとづいて、サイト管理者に対し、発信者情報開示請求の仮処分を行う必要があります。
これによって、だいたい2〜3週間くらいで、発信者のIPアドレス、タイムスタンプ、携帯端末の個体識別番号(iモードID,EZ番号など)が開示されます。
これらの情報を元に、相手が使っているインターネットプロバイダが特定できるので、今度はプロバイダに対して発信者情報開示請求訴訟を起こします。
この訴訟手続き内で適切に主張と立証活動をすれば、2、3回の弁論の後、判決が言い渡されてプロバイダに対して発信者情報開示命令が出されます。
これにより、相手の氏名やメールアドレス、住所などが開示されるので、犯人を特定することができます。
犯人が特定できたら、その情報を元に相手に対して名誉毀損にもとづく慰謝料請求手続きなどをすすめることが可能になります。

309:日本@名無史さん
18/09/12 15:03:45.50 .net
気になる材料を羅列してみると、

渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。

複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

310:日本@名無史さん
18/09/12 17:27:24.34 .net
>>241
博士じゃないけど横から
行動要領が残っていて、住民を投降させたのち情報収集と対敵協力者の監視が任務。
久米島の残地要員は「絶対に自決してはならぬ」と説得し住民保護の任務を果たしている。

311:日本@名無史さん
18/09/12 22:13:33.33 .net
王政復古の大号令の時に



312:津久光ではなくて 息子の藩主忠義が上洛したのはなぜでしょうか?



313:日本@名無史さん
18/09/12 23:00:02.60 .net
沖縄県知事選挙で佐喜真候補はなぜ辺野古移設問題の是非を語らないのか。
その理由は簡単。
マスコミ各社の世論調査の結果で分かるように沖縄は圧倒的に辺野古移設反対が多いからだ。
だから佐喜真候補が「辺野古移設容認」あるいは「辺野古移設が唯一の選択肢」などと言ってしまうと、その瞬間に「沖縄の民意を無視した候補者」と有権者に見られ、厳しい戦いを強いられるからである。
また、佐喜真候補は保育料の無償化などを公約に掲げているが、「保育料の無償化は辺野古移設への協力を前提に支給される交付金」を眼前にチラつかせて選挙に勝とうとする姑息さが見え隠れする。
争点を明確にしない戦法は自公の常套手段でいつものこと。
騙されてはいけない。

314:日本@名無史さん
18/09/13 00:08:53.24 .net
沖縄くんはついに日本史スレで選挙運動までやっちゃいましたね
そこまで苦しいのですか?

315:日本@名無史さん
18/09/13 01:29:43.59 .net
玉城デニー氏が収支報告書を修正
URLリンク(www.sankei.com)
総裁選後、首相に次なる懸案…沖縄県知事選 中国メディアの主張と重なる「オール沖縄」
URLリンク(www.zakzak.co.jp)

316:日本@名無史さん
18/09/13 03:20:17.53 .net
>>299
関西の人は韓国系と縄文系の混血人種です。
それは学問の成果が証明済です。

317:日本@名無史さん
18/09/13 07:51:34.73 .net
>>309
そもそも縄文人そのものが混血だし

318:日本@名無史さん
18/09/13 08:59:09.26 .net
縄文人にも人種が複数あるしな

319:日本@名無史さん
18/09/13 11:30:57.50 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

320:日本@名無史さん
18/09/14 19:07:28.13 .net
日本は139年前の1879年3月27日に琉球王国を武力併合しているから安倍内閣の閣僚は口が裂けても「沖縄は日本固有の領土」とは言えない。
事実、歴代内閣で「沖縄は日本固有の領土」と発言した閣僚は一人もいない。
もし仮にそのような発言をする閣僚が現れたら、「ではなぜ沖縄の前身である琉球王国を武力併合したのか?」と追及されて、その閣僚は我々沖縄県民に謝罪しなければならず、対応次第では辞任に追い込まれることになる。

321:日本@名無史さん
18/09/14 19:27:58.29 .net
沖縄が日本固有の領土であるなら琉球王国はなかったことになる。
しかし、文部科学省検定済みの教科書(清水書院の日本史B163ページ)には「琉球王国は独立国だった」「江戸幕府は琉球を異国と位置付けていた」と書かれている。
よってその琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土とは言えない。

322:日本@名無史さん
18/09/14 20:24:00.49 .net
>>295
そのお姿は、そこそこ身分が高そうだし!

323:日本@名無史さん
18/09/14 20:49:13.01 .net
皮肉なことに沖縄が日本固有の領土でないことは、日本政府が1879年3月27日に沖縄の前身である琉球王国を武力併合したことで自ら証明してしまった。

324:日本@名無史さん
18/09/14 22:25:15.43 .net
かつて北海道開発庁と沖縄開発庁というのがあったのは北海道と沖縄がもともと日本の主権(統治権)が及ばない地域だったことと関係している。
ちなみに両庁とも現在は内閣府に統合されている。

325:日本@名無史さん
18/09/14 23:15:17.91 .net
琉球王国の首都だった首里城(琉球王府)の前に並んでいる日本軍の兵士たち。
URLリンク(youtu.be)
日本の明治政府は1879年3月27日に軍隊を動員して琉球王国を武力併合している。
よってその琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土とは言えない。

326:日本@名無史さん
18/09/14 23:37:12.44 .net
軍隊(十人ちょっと)
たいした軍隊も連れずに役人が来て薩摩の次は明治政府だからって言ったら抵抗もせずに従っただけじゃん
どこが武力併合だよ

327:日本@名無史さん
18/09/15 01:47:27.68 .net
日本でも同時配信されてる韓国ドラマ「ミスター・サンシャイン」ってのが、韓国内で話題なんですが
「日韓併合は日本人ではなくて韓国人のせい」という内容


328:で 「韓国の支配層は日本を宗主として招き入れた」と、そういう内容で放送中なんですが もう日本は、真実を伝えるべきじゃないんですかね? 韓国が自虐史観を持ってるのに、日本がいまだに日韓併合は日本も悪いところがあるというのはおかしくないですか? 100パー韓国が悪いと言うべきなのでは?



329:日本@名無史さん
18/09/15 01:50:04.06 .net
>>320
角が立つから敢えて低姿勢なんじゃ
こういう日本的な考えは世界じゃ通用しないけども

330:日本@名無史さん
18/09/15 01:52:36.51 .net
日本は属国だからだろう

331:日本@名無史さん
18/09/15 01:53:30.12 .net
>>321
一応、保守派(野党)の東亜日報の論説を載せておきます
でもこれが史実なんだから、日本も堂々と韓国が悪いと、教科書にでも載せるべきですよ

<日本とは逆に、韓国は自国の歴史の卑下に精通しているようだ。下半期話題作で人気を集めているドラマ「ミスターサンシャイン」。
1900年代初めを背景にしたこの時代劇は、放映直後、劇中の人物とストーリーラインをめぐる歴史歪曲と植民史観論議に巻き込まれた。
日本の侵奪を正当化するようなドラマ設定と批判だ。
親日派で登場する悪役の立場を「わからなくもない」風に合理化したのに対し、(朝鮮の)支配階級は無能と貪欲の化身として描いているからだ。
青瓦台(大統領府)に強力な措置を請願が入り、製作スタッフが「混乱を招いて謝罪したい」と、いくつかの内容を修正するに至った。


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