歴史学博士らがあらゆ ..
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117:日本@名無史さん
18/08/22 20:47:49.26 .net
>>113
そういうことじゃなくて
日本人のイメージとして
朝鮮半島=北とコリア

118:日本@名無史さん
18/08/22 20:58:02.96 .net
そもそも高麗だよ。コリョ,コリアだから
朝鮮は平壌の地名から。李氏朝鮮の支配が長かったから,というか半島史の始まりだろう
韓は1897年〜 地名としては使えない。歴史がない

119:日本@名無史さん
18/08/22 21:02:11.07 .net
>>116
>韓は1897年〜 地名としては使えない。歴史がない
じゃぁ3世紀に「三韓」と記録した陳寿の三国志はオーパーツか?

120:日本@名無史さん
18/08/22 21:02:56.19 .net
>>114
国内だけで使うなら問題ないさ
問題なのはその国の研究者と共通認識を持たなきゃいけないってところだろ

121:日本@名無史さん
18/08/22 21:05:11.29 .net
そりゃ国を越えて会話する時は世界に合わせるべきだけど、日本のネット掲示板で韓半島は韓国人を疑うわ

122:日本@名無史さん
18/08/22 21:08:42.53 .net
>>112
コリアは高麗からきた名前だろ?
英語なら南北ぜんぶコリアだから
つか、韓という文字とコリアという英語名には関係ないだろ

123:日本@名無史さん
18/08/22 21:10:33.60 .net
>>117
三韓よりは韓国の方が広いよな

124:日本@名無史さん
18/08/22 21:11:14.66 .net
>>117
邪馬


125:国の記述もあるけど,日本ではないよね?



126:日本@名無史さん
18/08/22 21:11:29.73 .net
頭かたいね
中高の英語でコリアは韓国と習った
コリア旅行と言ったら韓国旅行
そもそも北が国として認められてなかったから

127:日本@名無史さん
18/08/22 21:13:00.23 .net
>>120
英語の話じゃなくて日本語の話してるんじゃないの?
日本の教育を受けていないから話が噛み合わないのでは?

128:日本@名無史さん
18/08/22 21:13:19.06 .net
>>115
ぶっちゃけ日本人の意識なんて関係ないよ
世界的な流れは、現地ではどう呼んでいるか
現地人はどう呼んで欲しがっているか
という方向だからね
グルジアがジョージアになったのはつい最近のことだよ

129:日本@名無史さん
18/08/22 21:15:39.40 .net
ここは日本です

130:日本@名無史さん
18/08/22 21:16:09.16 .net
なんだこいつ
英語英語
世界世界
日本から出て行けばいいのでは

131:日本@名無史さん
18/08/22 21:16:38.63 .net
北は国家として認められてないよね

132:日本@名無史さん
18/08/22 21:17:42.60 .net
植民地関係の話を持ち出すのはおかしい…

133:日本@名無史さん
18/08/22 21:18:38.41 .net
朝鮮「共和国と呼べ」 → 日本「嫌だ。」
支那「 中国と呼べ」 → 日本「ははー _o_ 」
マケドニア「マケドニアと呼べ」 → ギリシャ「認めない(怒」
台湾「台湾だー。」       → 北京政府「認めない(怒」

134:日本@名無史さん
18/08/22 21:20:25.44 .net
そもそも北は国連から認められてないよね

135:日本@名無史さん
18/08/22 21:21:21.67 .net
北朝鮮→おい共和国と呼べ
北→せめて朝鮮つけてください

136:日本@名無史さん
18/08/22 21:22:36.92 .net
>>130
あれ?このレスがAAと判定されてるようだけどなんでだろう?

137:日本@名無史さん
18/08/22 21:23:07.78 .net
>>130
中華人民共和国じゃなくていいの?

138:日本@名無史さん
18/08/22 21:23:25.82 .net
>>133
ははーの顔文字かな

139:日本@名無史さん
18/08/22 21:25:47.71 .net
朝鮮半島と呼んで欲しくない人たちと情報交換して時には一緒に研究する
日本国内で書いた論文も内容によっては韓国側で引用されることもある
というか対外交流を研究するなら最初から韓国でも広く読んでもらうことを念頭におく
こういった理由などで古代以前を対象にする考古学研究者は普通に韓半島呼称を使うようになってる
書店で売ってる専門書もそんな状況だから学生や向学心のある一般人にもわすがながら知られつつある
それを5ちゃんで使った奴がいる
いちいち目くじら立てることかな?

140:日本@名無史さん
18/08/22 21:26:25.02 .net
ズレてるなー

141:日本@名無史さん
18/08/22 21:26:48.97 .net
長文こそ目くじら立ててるように見える…

142:日本@名無史さん
18/08/22 21:27:51.80 .net
研究者は研究者同士で勝手にやればいい

143:日本@名無史さん
18/08/22 21:28:43.13 .net
やたら噛み合わない人は頭が良すぎるアスなんとかなのでは

144:日本@名無史さん
18/08/22 21:31:44.32 .net
コリアって言うと韓国のイメージあるやね
一般人に研究者の呼称を解説するまでは良いけど、途中から押し付けがましくなってきたのがウザイ
そっちはそっちでどうぞっていう

145:日本@名無史さん
18/08/22 21:51:19.11 .net
朝鮮半島とよびたい人はそうよぶ
韓半島とよびたい人はそうよぶ
お互いに強制はしない
これでしゅーりょー

146:日本@名無史さん
18/08/22 21:53:40.44 .net
日本海とよびたい人はそうよぶ
東海とよびたい人はそうよぶ
お互いに強制はしない
これでしゅーりょー (しないんだなw)

147:日本@名無史さん
18/08/22 21:56:44.98 .net
>>131
北朝鮮は国連加盟国だぞ
韓国と同時加盟した
ただし、北は国連加盟国の中で唯一日本が国家承認してない
(国と認めていない)

148:日本@名無史さん
18/08/23 00:19:56.81 .net
現代の日本人のイメージは覆せないんじゃ
研究者うざー

149:日本@名無史さん
18/08/23 08:07:50.75 .net
>>122
文献学による推定では、壹は臺の誤写で正しくは邪馬臺国、そしてそれが通説になってるんだよ

150:日本@名無史さん
18/08/23 08:13:28.14 .net
>>141
コリアの名前のもとになった高麗は、高句麗の名前をもとにした国名(建国当初は後高句麗といっていた)
高句麗は半東北部の国で南部の国ではない(半島の根本がわ、中国の一部を含む)
コリアといえば韓国、というのは単なる勘違いだよ

151:日本@名無史さん
18/08/23 12:04:39.61 .net
ゲルマン海が北海になった経緯もあるし
トンへシーへの改名ありかもしれないと
最近は思えてきた

152:日本@名無史さん
18/08/23 12:05:50.00 .net
学校でコリアと言えば今は韓国を指すことが多いですと習った世代は多いと思う
いつまでやってんだアスペ…

153:日本@名無史さん
18/08/23 12:57:15.71 .net
よし。半島の北部をコリア南部をハン(韓)と呼び分けて民族統一を阻んでやろう。

154:日本@名無史さん
18/08/23 13:08:57.82 .net
東(トン)海(へ)海(シー) なんでしょうダブりw
韓国の領土は南北朝鮮です。(実効支配できているとは言ってない)
アスペは言葉の使い方が独特だから

155:日本@名無史さん
18/08/23 15:24:58.13 .net
>>149
俺はそんなこと習ってないし、そもそも地図を見れば北朝鮮もコリアだし
どう考えても日本の一部でだけ使われてる誤用だろ

156:日本@名無史さん
18/08/23 15:27:47.45 .net
朝鮮人はしつこいなあ

157:走 ◆VWCBut9QG7q4
18/08/23 16:19:53.67 4UQs6NUTZ
普通は韓国と北朝鮮だろう。
半島は朝鮮半島。NHK聞いていれば分かること。
それが日本の一般的認識。
以上。
終了も漢字が書けないあっちの人に惑わされることはない。

158:日本@名無史さん
18/08/23 22:16:09.07 .net
普段から人に呆れられて離れられていくタイプなんだろうな

159:日本@名無史さん
18/08/23 23:11:00.33 .net
朝鮮人は半島に帰れ

160:日本@名無史さん
18/08/23 23:14:09.72 .net
コリアの名前を独占したい韓人こそ半島に帰れや

161:日本@名無史さん
18/08/23 23:39:26.43 .net
どっちも出てって…

162:日本@名無史さん
18/08/24 02:24:37.59 .net
私は誕生してより、現在まで日本人ですけれども、日本列島に遮られた海を東海と呼ぶ事に、反対の気持ちはありません

163:日本@名無史さん
18/08/24 05:35:38.18 .net
ここ何スレだよ
主張を叫ぶスレなのか

164:日本@名無史さん
18/08/24 08:50:35.51 .net
南北統一したらどういう国号にすんの

165:日本@名無史さん
18/08/24 13:19:05.85 .net
日本史と一切関係ねえし

166:日本@名無史さん
18/08/24 13:27:26.06 .net
朝鮮半島を日本固有の領土と主張する事に,反対することは不可能です

167:日本@名無史さん
18/08/24 13:39:59.18 .net
しつこい朝鮮人ですね

168:日本@名無史さん
18/08/24 14:51:02.73 .net
歴史学博士はいなさそうな流れだから
誰も質問しに来ない…

169:日本@名無史さん
18/08/24 15:06:56.74 .net
>>150
ハン(怨)の民族の国らしい適切な呼び名だよな、大ハン(怨)民国、ハン民の国。

170:日本@名無史さん
18/08/24 15:08:36.92 .net
>>165
何スレも前に博士が来なくなって久しいから質問スレに合流しようと言って次スレ不要論を出す人が増えてた中で立ったスレだしな
質問が来ないのも仕方ないだろ

171:日本@名無史さん
18/08/24 17:14:36.43 .net
宮内チョンが大仙古墳を仁徳天皇の墓だと言い張って調べさせないないために
日本人が日本の真実の歴史を知ることができません
宮内チョン以外では仁徳天皇は実在していないないことでほぼ一致しているようですが
そうすると大仙古墳は何なのかというのは分かっているのでしょうか
その場合、それを発表すると宮内チョンから刺客を送られたとかの話はありますか
宮内チョンのその他の古墳破壊に関して市民によるよる監視組織は立ち上がっていますか?

172:日本@名無史さん
18/08/24 18:49:50.85 .net
天皇は最古の在日

173:日本@名無史さん
18/08/24 19:14:28.62 .net
>>168
仁徳が実在じゃないと言ってるヤツは少数派だろ
仁徳の在位期と思われる時期と古墳の年代が百年ぐらい違うから別人の墓じゃないかと言われてるだけだ

>そうすると大仙古墳は何なのかというのは分かっているのでしょうか
仁徳より数世代新しい雄略の墓とかが候補じゃなかったか、候補を一つに絞り込めてないかもだが

174:日本@名無史さん
18/08/24 20:33:38.44 .net
仁徳天皇陵(大仙古墳)の被葬者は仁徳天皇に決まっているだろう
なので実在は確定事項。仁徳天皇陵じゃないと言ってるヤツは皆無だろ

175:日本@名無史さん
18/08/24 21:49:27.32 .net
あの古墳の被葬者が仁徳天皇だと推定したのは江戸時代の学者で、それ以前は被葬者不詳だった。
その後もしばらくは、間違っていると推定するべき証拠が足りなくてそのままだったが、20世紀も末近くになると、間違っていると推定せざるをえない論拠が多く蓄積されたので、いまでは仁徳陵と呼ぶことは減って大仙古墳というようになった。
被葬者が仁徳天皇である可能性は極めて小さいんだよ

176:日本@名無史さん
18/08/24 21:57:42.85 .net
仁徳天皇はどこに埋葬されてるのか?
という新しい疑問が

177:日本@名無史さん
18/08/24 21:57:50.43 .net
↑うそつきがいます

178:日本@名無史さん
18/08/24 21:59:43.12 .net
仁徳天皇陵の被葬者は仁徳天皇であって,仁徳天皇陵は実在してるだろう。
記紀や宋書のフィクションを話しているのではない

179:日本@名無史さん
18/08/24 22:01:20.74 .net
>>172
つ延喜式

180:宇野壽倫「クソ関東連合っ!!テメエらまとめてブチ殺すっ!!」
18/08/24 22:35:44.22 .net
宇野壽倫(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202号室)の挑発
宇野壽倫「関東連合文句があったらいつでも俺を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 関東連合の糞野郎どもは俺様がぶちのめしてやるぜっ!!
賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」 (挑戦状)

181:日本@名無史さん
18/08/24 22:36:48.12 .net
そう、延喜式見るからには10世紀にはあの古墳は仁徳天皇陵と考えられていたことは疑いはい

182:日本@名無史さん
18/08/24 23:34:34.82 .net
仁徳天皇は実在する。仁徳天皇陵という確固たる証拠があるのに何故否定しようという人が出るのか不思議。
『古事記』や『宋書』は偽史だと確定しているのに,何故小説を定本にするのよ?
物的証拠 ≫ 史料の筈

183:日本@名無史さん
18/08/24 23:43:09.78 .net
天皇陵古墳の中で考古学的知見と宮内庁の治定が合致してるのは1基か2基程度で大多数は間違った治定だと考えられている。
仁徳天皇陵もその人つってだけだよ
といっても、間違っていることが確定してる天皇陵も少ないんだけどさ
欽明陵とか継体陵とかは間違った治定であると確定のはず

184:日本@名無史さん
18/08/25 02:33:10.92 .net
欽明陵は五条野丸山だといいたいのだろうが
大々的に報道されたあとに地味に反論も提出され
現在地を推す意見も一定数あるので
現状ではとても間違い確定と言える状況ではないよ

185:日本@名無史さん
18/08/25 11:32:44.93 .net
かつて仁徳天皇陵と呼ばれていたものは、学校では大仙古墳と教えているそうです
天皇制によって作られる不正な社会で、豊かに暮らせている寄生虫が大勢いますので
「我々はこの国の正当な支配者なのだ」と言いたいがために歴史学部を認可せず
真実を隠しているので、日本人なのに日本の歴史が分からないという酷い状況にあります
寄生虫に奴隷にされていた悲しい歴史など知らない方がいいのかも知れませんが
この腐った不正な社会の原因を、いつかは広く知らしめる必要があるでしょう
真実が伝わらないように、情報を発信する人間を朝鮮系で固めてあります
NHKの歴史の番組で解説していた教授は、一目で朝鮮系と分かる顔でした
その人は、ある市民メディアに出演して、小声で仁徳天応は実在しないと言っています
御用学者として育成された者でさえ、理詰めで質問されればポロリしてしまいます
天皇なんてものは、ちょっと調べれば単なる寄生虫だと判ります
悪いやつほど長く生きながらえるのが世の常ですから
長く続いた天皇ほど極悪なものはないということになりますが
ここにいる人はマジで天皇は神さまとか思ってたりしますか?

186:日本@名無史さん
18/08/25 12:13:37.00 .net
天智天皇陵と今城塚古墳の(宮内庁の治定とは違う)継体陵以外で疑いの余地がなく確定できてる古墳なんてあったか?

187:日本@名無史さん
18/08/25 12:52:32.71 .net
天武と持統の野口王墓もだ。先に天武を埋葬してあとから持統の棺を入れた様子が判るので貴重。

188:日本@名無史さん
18/08/25 14:23:00.19 .net
↓のような教育を受けた人は来ないでください
韓日三十六年戦争の際に日本が韓半島から五十万人の若く美しい小中学生をはじめとする少女たちを処女供出として強制連行し監禁し強姦し尽くして
最後は銃殺や生き埋めや生きたまま鎖につないでガソリンをかけて焼き殺すなどして証拠を隠滅
生存者はわずか400人ほどだったという史実に対して
平和少女像は祈りを込めて世界中で設置されています
慰安婦像という呼び方は誤り
日本を攻撃する意味はかかけらもない
なお女性国際戦犯法廷は日本国王と日本国を
強姦及び性奴隷制度について人道に対する罪で有罪とする判決をくだしている
しかし安部糞大統領は100億ウォンの小銭でごまかそうとしている

189:日本@名無史さん
18/08/25 15:23:34.64 .net
韓日三十六年戦争などという実在しない架空の戦争の話をする人は日本史板に来ないでください
ここはフィクションの話をするところではありませんので。

190:日本@名無史さん
18/08/25 16:57:17.56 .net
>>148
それは逆だよな
朝鮮人である明治天皇が日本の少女数十万人を海外の売春宿に売り飛ばした
一人当たり、日本人の収入の10年分で売れた
船で運んだ三井・三菱は大儲けして財閥になった
現地に着いた少女は、全裸で犬のように売春宿の軒先に繋がれ
妊娠すると腹を蹴られてボロボロになって死んだ
これが昭和の戦前まで続いた

191:日本@名無史さん
18/08/25 17:19:56.33 .net
>>184
鎌倉時代の日記が疑いもなく信じられたのですか?

192:日本@名無史さん
18/08/25 18:13:52.76 .net
>>188
八角形の形も天皇陵にふさわしいと言われてるけど。天武の棺は乾漆に遺体を納め、
持統の方は火葬されて金属製の器に収められている。古墳の時代が終わり仏教式になっていく
時代背景と合致する。

193:日本@名無史さん
18/08/25 23:06:22.83 .net
1憶歩譲ってやって、古墳が天皇の墓だったとする
それが1400年代あたりの極貧天皇だと、葬式もしてもらえず
腐乱死体のまま放置された天皇もいる
葬式をしてやろうという有力者も縁者もいない落ちぶれよう
これは何の役にも立たない天皇を人々が見放したということでしょうか

194:日本@名無史さん
18/08/26 00:16:57.76 .net
開墾の為に土が余ってた時代だからだよ

195:日本@名無史さん
18/08/26 01:10:03.12 .net
リニア開通で南アルプスの土が余るだろう。
ニートに職に与える為にも火葬はやめにして新たな古墳を作るべきだね。大和盆地なら土地も余っている

196:日本@名無史さん
18/08/26 09:35:05.89 .net
そもそも江戸時代中期以後は天皇を火葬にしてないだろ、やめるもなにもない

197:日本@名無史さん
18/08/26 11:43:37.33 .net
土葬の伝統は守るべきだよな?

198:日本@名無史さん
18/08/26 12:45:00.08 .net
飛鳥時代に法で定められた火葬が千年以上(?)続いた段階ですでに伝統だろ

199:日本@名無史さん
18/08/27 02:12:52.24 .net
>>194
この島国もう敷地が無いんで無理

200:日本@名無史さん
18/08/27 06:49:54.02 .net
在日イスラム教徒が土葬にしようとしてもめている。

201:日本@名無史さん
18/08/27 06:53:12.32 .net
ふるさとでどうぞ

202:日本@名無史さん
18/08/27 06:53:57.18 .net
>>194
もう天皇家も長いこと火葬

203:日本@名無史さん
18/08/27 23:50:07.45 .net
平安時代の貴族が仕事に就くのはだいたい何歳の頃だったのでしょうか?よろしくお願いします

204:日本@名無史さん
18/08/28 00:42:11.01 .net
>>200
誘導されたと書かないとマルチポストで怒られるよ。

205:日本@名無史さん
18/08/28 01:02:13.69 .net
>>201
ああうっかりしていましたすみません

206:日本@名無史さん
18/08/28 14:41:29.86 .net
マルチポストで、age質問
最低だな

207:日本@名無史さん
18/08/28 20:04:44.55 .net
>>203
申し訳ありません
>>1に常時age進行でとあったのでそうしてしまいました

208:日本@名無史さん
18/08/28 21:32:07.01 .net
貴族 元服でググられたらよろしいのでは?

209:日本@名無史さん
18/08/28 22:15:21.14 .net
>>205
出仕というのですねありがとうございました!

210:日本@名無史さん
18/08/29 10:42:53.17 .net
刃物がなかった頃の人間はどうやって爪を切ってたんですか?
爪研ぎがあったのか、もしくは伸ばしっぱなしですか?

211:日本@名無史さん
18/08/29 13:27:53.36 .net
この画像のような、丈長に似てるけど紙製ではない髪飾りのはなんという名称なんでしょう?
ポニテの根本についてるやつです
また、どうやってつけるものなんでしょうか?
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

212:日本@名無史さん
18/08/29 16:22:13.89 .net
時代考証なしに現代人が想像で描いた絵を基に質問されてもな…

213:日本@名無史さん
18/08/29 16:38:48.16 .net
>>207
黒澤明監督が侍の一日を描く映画を考えていた
最後にドラマチックな事が起こるけど、それまではずっと平凡な一日を描く
朝起きて、さて髪の手入れである
髷を結いなおすのは誰がやってくれていたのか
そもそも毎日結いなおすものなのか
色々調べてもわからない
当たり前の日常を書き残すことなど普通ないのだ
監督はこの作品をあきらめた
何でもパァーっとわかってしまうものではないのだよ

214:日本@名無史さん
18/08/29 17:55:12.76 .net
>>209
色んなキャラ似てるけど似たようなものが描かれてるから元ネタというか実際存在する飾りなのかなと
二次元だけの飾りなんでしょうか?

215:日本@名無史さん
18/08/29 18:47:38.45 .net
>>207
爪切り 歴史でググられたらよろしいのでは?

216:日本@名無史さん
18/08/29 18:53:57.99 .net
>>211
日本の髪型としては髷を結うものであってポニーテールはないです。

217:日本@名無史さん
18/08/29 20:23:32.88 .net
ポニーテールはあくまでも表現だろうから重箱の隅をつつかんでも…

218:日本@名無史さん
18/08/29 21:01:13.64 .net
>>210
毎日結い直すものではない、定期的に結い直すが夜は結ったまま
髪が乱れないよう特殊なマクラを使っていた
髪型が身分標識だったから、身分に合わせた髪型しか選べなかった
それを管理する床屋が特殊技能の公職で、顧客管理の帳簿が重要な公文書(?)とかで、火事の時に特別行動(優先行動)が許されたらしいとか
監督が考えてた当時は研究書も乏しかったんだろうが今ではそれなりの資料が出回ってる気がする
>>214
当時の日本で許容されていた髪型では、こういう物を髪につけることはできなかったと思う

219:日本@名無史さん
18/08/29 22:07:21.27 .net
>>214
重箱の隅をつついたんじゃなくてイラストのような髪型は存在しないと言いたかった。

220:日本@名無史さん
18/08/29 23:53:43.15 .net
おもしろいなあ物知り多くて
髪型の話で思い出した
図書館かブックカフェで見た本だと思うけど、
たぶん江戸時代に変わった髪型が流行して
どんどん凝った髪型が出て来て一般人の手には負えない複雑さになっていって
遊女にはもちろん専属の髪結いさんがいるんだけど
贅沢にも庶民が髪結い師のとこに通いまくる現象が多発した時があったみたいなことが書かれていた
贅沢禁止令みたいなのが出ても通わざるを得ないみたいな
今だってお金を出して髪を結ってもらうのなんて七五三か成人式か結婚式くらいだから、その当時の髪いじりブーム?凄かったんだね
手に負えないってどんな髪型なんだよ

221:日本@名無史さん
18/08/30 00:02:41.25 .net
>>207
ハサミは今みたいに出回ってなかったと思うから
アイクチとかで切ったり何かでヤスって研いでたんじゃないのかなあ
夜に爪を切ると親の死に目に合えないとか言ったから、傷を負いやすい危険な作業だったんだろうね

222:日本@名無史さん
18/08/30 00:06:02.02 .net
刃物が無かった時代か、ごめん読み飛ばしてた
そこまで古い話だと生活の中で自然に爪が削れそうだから石器か何かで研ぐくらいだったのでは

223:日本@名無史さん
18/08/30 01:42:57.84 .net
>>207
失礼しました。私も刃物がなかった頃を読み飛ばしておりました
憶測ですが、ジャマなくらい伸びたら歯でかんでたのではないでしょうか

224:日本@名無史さん
18/08/30 02:02:23.16 .net
ワイルドw

225:日本@名無史さん
18/08/30 02:08:44.28 .net
Brown Morning Report でお馴染みだった髭剃りメーカーも無い時代だと
髭剃りとか頭剃りとか毎朝無駄に痛かっただろうねえ
侍も坊主も頭キズだらけだったんじゃないのか

226:日本@名無史さん
18/08/30 03:15:57.12 .net
日本の刃物は西暦5世紀に渡来人それは百済から日本に渡ったから韓鍛冶の技術が与えた事が由来です。
韓鍛冶は兵庫県に所属する三木市に痕跡があります。

227:日本@名無史さん
18/08/30 03:38:48.00 .net
かみそりは?

228:日本@名無史さん
18/08/30 05:56:23.76 .net
昔は毛を毛抜きで抜くのも多かった
月代の部分だとか、髪の生え際の産毛だとか
明治生まれの爺さんが髭を毛抜きで抜いているのは見たことがある

229:日本@名無史さん
18/08/30 06:02:28.12 .net
>>215
極く質素な暮らしをしていた人が髪結いを利用していたとは思えない
特に武士が街の床屋は利用しないだろうし、廻り髪結いを家へ迎えていただろうか
大変な田舎に住む人、独身の貧乏人、こう言った人達はどうやって髪を結っていたのか
黒澤監督描くところの七人の侍だとか桑畑三十郎だとかが髪結いを利用していたとは思いにくい

230:日本@名無史さん
18/08/30 06:23:23.60 .net
多分、自分でやっていたんだろうなとは思うが

231:日本@名無史さん
18/08/30 06:30:31.94 .net
爪を切るだとか、風呂に入るだとか、こういうのは文明生活者のやること
野生としての人類はそういうことやらなくても生きて行けるようには当然なっている

232:日本@名無史さん
18/08/30 06:48:47.78 .net
イヌの爪は地面を走ることで擦り切れる
ネコの爪は狩りのためにするどく伸び続けるから、ガシガシと爪とぎをしてすり減らさせる
ヒトの指の先端には当然骨が露出しているわけではないから爪がないとしっかりとものをつまんだりできない
申し訳程度の爪があるだけでも役に立たず、すり減


233:チてしまわないように爪は伸びる 歩くのも足の先端は爪が力を支えている これもイヌと同じですり減るから伸びるようになっている 結論:爪はすり減っていた



234:日本@名無史さん
18/08/30 07:39:47.11 .net
>>223
日本語が不自由な上に日本史の知識が足りないな

235:日本@名無史さん
18/08/30 07:55:07.20 .net
沖縄はもともと琉球王国が統治していた場所だから日本固有の領土ではない。

236:日本@名無史さん
18/08/30 10:42:23.81 .net
>>226
江戸の女性の話だと思うよ

237:日本@名無史さん
18/08/30 13:08:04.90 .net
韓をNGワードにするとスッキリ

238:日本@名無史さん
18/08/30 13:08:49.25 .net
>>225
口元は皮膚やらかいから痛そう…

239:日本@名無史さん
18/08/30 15:42:29.26 .net
>>226
庶民は椿油を使って自分で髪を結っていたよ
別にお座敷に出るわけでもないし
髪結いさんに結ってもらって一週間は髪をほどかないって
今の舞妓さんとかだよね

240:日本@名無史さん
18/08/30 16:58:37.14 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と単粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は単粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

241:日本@名無史さん
18/08/30 17:04:29.83 .net
誰に対する応答なのか

242:日本@名無史さん
18/08/30 18:04:08.06 .net
古代エジプトの壁画にはさみやピンなどが描かれており、また紀元前1000年頃の古代ギリシアのものとされるはさみが出土しており、古代から使われていたと考えられている。
元々は医療用もしくは羊毛の収穫に使われており、当初は握り鋏が用いられていた。
かしめ部がある形式(日本で「洋ばさみ」と呼ばれている形式)が登場したのは、西洋では古代ローマ以降、東洋では唐以降だと言われている。
日本では6世紀に中国を通して伝わったと考えられており、この時代の古墳からの出土例もある。古代・中世には主に握り鋏が用いられ、また金属製のものの他に木製のはさみも作られていた。
ただ裁断などの用途には小刀が用いられていたため、はさみの普及は職人や華道など限定的なものであった。
量産されるようになったのは江戸時代から、一般庶民に普及したのは江戸時代末期から明治時代ころといわれる。
明治時代から普及した背景には、衣服の洋装化により従来以上に複雑な布の裁断が必要となったことが一因となっている。

243:日本@名無史さん
18/08/30 18:09:51.76 .net
おばあちゃんが使ってたような
鉄の糸切りバサミで爪を切ろうとしてる古い絵あるよね
あれは江戸時代なのかな

244:日本@名無史さん
18/08/30 18:20:06.29 .net
>>237
沖縄君と同じでプロパガンダを連貼りする嵐だろ

245:日本@名無史さん
18/08/31 10


246::11:19.19 .net



247:日本@名無史さん
18/08/31 19:04:21.76 .net
ペリリュー島島民
陣地構築に徴用されていたが、日本軍が戦闘前に強制退避させたため死者・負傷者ともに0名とされる。
最後の日本軍関係者が死亡した年、ペリリューへ強制徴用され米軍に殺されたと証言する民間人を見つけ出したのが、、、N・H・K。
只の偶然だよ。

248:日本@名無史さん
18/08/31 19:27:09.06 .net
大日本帝国陸軍は大本営とか関東軍とか上層部は頭おかしいのが多いけど
現場指揮官には立派な人物も時々いる。そんな感じ。横須賀だったかの部隊は
玉音放送の後でも敗戦を認めずに武力抵抗してるおかしい指揮官が居たけど。

249:日本@名無史さん
18/08/31 19:40:36.93 .net
特殊工作員を養成していた陸軍中野学校から派遣された日本人のスパイが沖縄人になりすましてスパイ活動を行っていたのは歴史的事実。
NHKの取材陣が沖縄人から証言を得ているし、陸軍中野学校でスパイのエリートを養成していたのも軍の資料や軍関係者の証言で明らかになっている。

250:日本@名無史さん
18/08/31 20:43:01.85 .net
小園安名大佐
国民諸子に告ぐ。
神州不滅,終戦放送は偽勅,だまされるな。
いまや敵撃滅の好機,われら厚木航空隊は健在なり。
必勝国体を護持せん。勤皇護国。
皇軍なくして皇国の護持なし。
国民諸君,皇軍厳として此処にあり。
重臣の世迷言に迷わざることなく吾等と共に戦へ。
之真の忠なり。之必勝なり。

251:日本@名無史さん
18/08/31 21:50:20.76 .net
>>245
そうか横須賀じゃなくて厚木か。頭おかしいよなぁ。でもそういうのが多いから陸軍に殺されると昭和天皇は恐れていた。

252:日本@名無史さん
18/09/01 20:15:13.26 .net
気になる材料を羅列してみると、

渡来系弥生人骨は朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、ギリヤークなどの沿海州の
北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。

複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

253:日本@名無史さん
18/09/01 20:58:42.56 .net
>>247
弥生時代の初期に渡来した人の末裔がそのまま現代の日本人につながるのかは証明できてないのでは?
渡来が1回だけのはずもなく、次々といろんなところからやって来たはず
長い歴史の中で血筋が途絶えた集団もいたはず
個人的には菜畑遺跡に稲作を伝えた集団は、日本列島に稲作を広めた集団とは違うと思ってる
日本人のルーツの解明は考古学では限界があり、遺伝子で見ないといかんと思ってる

254:日本@名無史さん
18/09/01 21:13:17.47 .net
>>248
で、渡来が複数あった事の考古立証は?
菜畑遺跡に朝鮮南部から稲作を伝えた集団=朝鮮土器を作らない弥生人自身
日本列島に稲作を広めた集団=そんなものいない。リレー形式で拡散していっただけ。
デタラメばかり連発するC級材料の遺伝子がでしゃばるなカス!

255:日本@名無史さん
18/09/01 21:27:05.84 .net
>>249
日本列島にそれまでいた縄文系のD系統を除いて、渡来系の遺伝子型が沿海州とは異なっているので
彼らが渡来系日本人祖先のメイン集団でないことは確定している
考古学は文化的痕跡を時系列に表しているが、日本人ルーツ解明には使えない

256:日本@名無史さん
18/09/01 22:39:52.27 .net
>>250
使えないのはYだろ。
デタラメばかり連発するゴミ材料。

土器、骨の形質 ← 永久に不変
Y ← 常に変化

どちらが使える材料の王者なのか一目瞭然。

257:日本@名無史さん
18/09/01 22:43:07.40 .net
遺伝子だけだといつ渡来したかもわからないしねー

258:日本@名無史さん
18/09/01 23:11:30.81 .net
>Y ← 常に変化
朝鮮半島では常に征服民族に男が皆殺しされるのでXだけ変化せず
Yは常に変化するということですね?
(この発展形が女だけ列島へ移民した渡来説)

259:日本@名無史さん
18/09/01 23:49:09.67 .net
日本の農耕は九州北部の菜畑遺跡や板付遺跡をその起源としている。
支配層は松菊里型住居という半島型の家屋にすみ、被支配層は典型的な縄文文化人だった。
この板付遺跡の人達が造っていた遠賀川式土器こそが、弥生式土器の雛形でもある。
話は簡単で韓半島から渡来した松菊里文化人が縄文文化人を奴隷にして始まったのが弥生文化。
板付遺跡のすぐそばに日向峠やクシフルタケという山がある。
日本に鏡や金属器や稲作文化を持ち込んで、弥生文化を開いた韓半島からの移住民の話が天孫降臨神話になった。
松菊里遺跡には車に乗れば百済の故地の扶余から20分ほどでいける至近距離。
百済が日本の文化の源流という事は明らかだ。

260:日本@名無史さん
18/09/02 01:14:48.27 .net
>>254
おまえリアルビビンバだろw
まず菜畑と板付では200年近くも時代差がある。
日本の農耕の起源は菜畑ひとつだけ。
それに板付が朝鮮半島から渡来した松菊里文化人の遺構なら、
何で松菊里土器遺構じゃないの?
何でそれまでの夜臼式土器に朝鮮土器の特徴を取り入れて遠賀川式土器なんか
作る必要があるの?
正々堂々と朝鮮土器を作ればイイじゃないの。
つまり菜畑はもちろん、板付の担い手も弥生人自身。
朝鮮南部から文化や技術をパクってきて、自らの生活に取り入れていただけ。

261:日本@名無史さん
18/09/02 14:50:12.25 .net
主君や盟友を裏切り殺害して敵に取り入ろうとして
逆にその敵の怒りを買って誅殺された日本史上の人物というと
どんな人達の名が挙がりますか?

262:日本@名無史さん
18/09/02 16:07:19.18 .net
小山田信茂。信長の武田討伐の折、主君武田勝頼をかくまう約束だったのに裏切って追い返した。
勝頼を殺すことはしてないが、総大将の織田信忠によって不忠として処刑された。

263:日本@名無史さん
18/09/02 17:48:23.80 .net
>>257
有難う御座います。

264:日本@名無史さん
18/09/02 19:07:53.12 .net
なぜ板付遺跡の人々は正々堂々と朝鮮土器を作らず、それまでの夜臼式土器に
朝鮮土器の要素を取り入れて遠賀川式土器なんか作る必要があったのか?
結局、作っているのが半島人ではなく、弥生人自身だったからである。

265:日本@名無史さん
18/09/03 00:28:15.43 .net
>>256
桐生六郎、河田次郎
ともに主人の首を頼朝に差し出して斬られる
なぜこんなことに興味をもたれたのですか?

266:日本@名無史さん
18/09/03 00:54:09.43 .net
>>260
有難う御座います。
中国史で頻繁に見かける出来事なので、日本史ではどうだったのか気になった次第です。
もっとも、中国史の場合、「不忠を咎める」というのは表向きの名目の場合が多かったようですが。

267:日本@名無史さん
18/09/03 03:44:13.68 .net
中国や韓半島で不忠が嫌われたのは朱子学からくる理学の影響。
倭人は道徳を情緒的に捉えたが儒教の本場である韓半島では道徳は形而上学の一つとして考えられていた。
日本人には形而上的な学問能力がなく、全てを形而下の次元で理解しようとした。
つまりは頭が悪いのだが、現代においても日本人はイデオロギーを形而上的なものとして考えず、建前としてしか見ていない。
日本人の底の浅さが何故なのか理解できた気がしている。

268:日本@名無史さん
18/09/03 10:39:07.87 .net
気になる材料を羅列してみると、

渡来系弥生人骨は朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、ギリヤークなどの沿海州の
北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。

複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

269:日本@名無史さん
18/09/03 10:40:11.04 .net
韓 でNG

270:日本@名無史さん
18/09/04 05:18:02.04 .net
在原業平は「中将」でしたが、律令制上の朝廷軍が「武官」の下に実際に配備されていたのはいつ頃までだったのでしょうか?
あと、後の軍事貴族は必ずしも官職的には「武官」ではなかったのでしょうか?

271:日本@名無史さん
18/09/04 08:16:53.00 .net
>>265
律令制の朝廷軍(軍団)は桓武天皇の時に廃止され、代わって健児の制が布かれた。軍団は徴兵制だが
健児は自分で訓練する時間と経済力のある郡司の子弟や田堵(有力百姓)から選抜され、常設ではなく
必要が生じたときに動員されて臨時軍を編成した。1000人規模の軍団から国ごとに30人とか多くても100人と
最低限度の規模になり、朝廷が事実上軍事力を放棄したため、9世紀から10世紀を通じて、日本列島は
事実上の無政府状態に陥った。

272:日本@名無史さん
18/09/04 10:33:14.40 .net
>>266
有難う御座います。
そこでリアルにヒャッハーな乱世を生き抜くためにこうなったという認識でOKでしょうか?
 ↓
・世俗の権力者及び寺社系の旧来勢力が私兵を囲う
・強盗団を作って殺られる前に殺ってしまえ的な新興勢力が勃興
・私兵団や強盗団に対抗するために庶民が武装して自警団化
 ↓
それぞれのカテゴリ間で殺し合いや取り込み・糾合が発生し後の武士の源流となる

273:日本@名無史さん
18/09/04 10:44:42.16 .net
>>266
つづき。無政府状態の中で自力救済の必要から郡司・富豪層が武装勢力化した。この武装勢力はのちの
悪党と同様、ときに群盗や海賊行為などであばれまわったりもした。国司が地方行政を遂行するためには
これらの勢力を取り込む必要があったので在庁官人にして実務を任せるなどしてその武力を国衙の軍事力として
取り込んだ。これを国衙軍制と呼ぶ。こうして成長した地方の軍事勢力が国司として下ってきたり、放浪してきた
下級貴族と結びついて軍事貴族が発生する。
軍事貴族は身分が低いので初めは朝廷に取り立てられることは少なかった。平将門は検非違使の尉に
なれなかったし、藤原秀郷も出世できないから在庁官人をやめて地元で暴れまわって武名を轟かせていた。
将門と並び称される藤原純友はもともと伊予掾として瀬戸内海の海賊を取り締まっていたがそのまま土着して
海賊の大親分になって乱を起こした。将門と純友は別々に乱を起こしたけど同じ時期に起きたので承平天慶の乱と
まとめて呼ぶ。その背景には地方で地力をつけながらも朝廷に認められない不満があった。それを理解した
朝廷は承平天慶の乱を平定した者たちを取り立て、藤原秀郷を国司や鎮守府将軍にしたり待遇改善した。

274:日本@名無史さん
18/09/04 10:44:49.88 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

275:日本@名無史さん
18/09/04 11:06:57.42 .net
>>267
>・世俗の権力者及び寺社系の旧来勢力が私兵を囲う
世俗の権力者が郡司・富豪ですね。
>私兵団や強盗団に対抗するために庶民が武装して自警団化
庶民は属する武装勢力なり寺社なりに保護されると思います。

276:日本@名無史さん
18/09/04 20:17:21.78 .net
>>266
>朝廷が事実上軍事力を放棄したため、9世紀から10世紀を通じて、日本列島は
>事実上の無政府状態に陥った。
というのは言い過ぎかと
諸国の国衙・郡家に治安維持を丸投げしただけでは
まあ山賊海賊が各地で暴れる時代になったのはたしかだけど、あの山賊海賊も政府関係と裏でつながってるヤツらが多かったでしょ
>>267
その「庶民が武装化、自警団化」ってのは実際に起こったのは南北朝期の惣村で武士の源流とは無関係
武士の源流は軍事貴族で朝廷関係だ、基本的に都から出てる。

277:日本@名無史さん
18/09/04 20:21:58.46 .net
>>268
郡司・富豪層って、旧国造系の古代豪族子孫が基本でしょ
公地公民制で領地領民を形式上は手放してても、実際の運営は引き続いて郡司が担当していて、国司は間接的な関与だったのでは。
酷使としての仕事に郡司が加わるようになったのは郡司の解体が進んで郡を直接統治できなくなったので国司の内部に組み込まれざるを得なくなった、
領地の直接支配の主体が郡から国(国司)に移行したことの反映でしょ

278:日本@名無史さん
18/09/04 20:56:49.20 .net
>>268 >>270
有難う御座います。
朝廷による中央集権制に綻びが出て以降の地方赴任に関しては、
中央政府での出世がほぼ絶望的な階層の貴族が地域の利権や土着勢力をゲット出来て
むしろ美味しかったのではないかと思ったのですが、彼等なりに中央政府の蔑視・冷遇は不満だったのですね。
例えば、太宰権帥の場合、天神様ほどひどい場合(事実上監禁状態)でなければ、
やらかし左遷組でも貿易統制(実質海賊)で甘い汁吸ってた場合があるようですし。
>>271
有難う御座います。
当時の日本は「無政府状態」というより
「中央集権制の綻びから地方勢力が力を付けて勝手に振る舞い始めた」
という解釈でよろしいでしょうか?
あと、源流でないまでも自警団ルーツの庶民達は武士化自体はしたのでしょうか?


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