司馬遼太郎 Part13 at HISTORY
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981:日本@名無史さん
19/04/02 18:48:24.33 .net
☆ 淵辺群平
天保11年(1840年)鹿児島高麗町で生まれる。
徳田小藤次邑興が薩摩に伝えた兵学合伝流を伊地知正治から学び、軍略に長じていた。
明治10年3月、鹿児島へ帰り、弾薬をつくり、新兵を募集し、鹿児島の守備を固めるなど後備につとめた。
4月、別府晋介・辺見十郎太とともに新募の2大隊1500名を率いて北上した。
淵辺は神瀬に本営を置き、人吉を経て八代方面へ向かい、政府軍の背面を衝いた別府・辺見を応援したが、薩軍が川尻戦に敗れ熊本城の囲みを解くに及び、人吉に退却した。
4月21日、淵辺は鵬翼隊大隊長となり、戦線を立て直して大野方面で戦った。
5月30日、淵辺は人吉の危急を聞き、河野主一郎とともに救援に赴いたが、政府軍の勢いの止めがたきを見て球磨川に架かる橋を焼き落とそうしたとき、銃撃を受けて重傷を負い、後送された吉田で帰らぬ人となった。享年38。
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