司馬遼太郎 Part13 at HISTORY
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50:日本@名無史さん
18/03/19 23:11:11.99 .net
左宗棠はロシアに対する陸上の備えの重要性を主張する塞防派の代表格であり、イギリスに対するために海軍を重視する海防派の代表格である李鴻章とは政治的に対立関係にありました。
新疆に関しても、弱体化した支配を立てなおそうとする左宗棠と、海軍に集中するために防衛の難しい新疆をロシアに割譲しようとする李鴻章との間では意見の相違があったのです。
論争は翌光緒元年(1875年)、軍機大臣文祥が賛成したため海防・塞防どちらも行う方針で決定され、欽差大臣に任命された左宗棠はヤクブ・ベクの乱により清の支配力が弱体化した新疆の軍務を担当し、新疆東部における清の数少ない拠点ハミで屯田持久策を採り、出兵を整えました。その後の展開は、>>47に書いてあるとおりです。


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