司馬遼太郎 Part13
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413:薩南
19/02/28 13:36:22.09 .net
☆ 野村忍介(おしすけ)
弘化3年(1846年)折田清太夫の第二子として薩摩国鹿児島郡鹿児島近在西田村(のちの鹿児島市常盤町)に生まれる。
戊辰戦争のときは、城下四番小隊(隊長は川村純義、監軍は永山弥一郎)の分隊長として鳥羽・伏見の戦いに参戦した。
次いで東山道軍が大垣、池上、内藤新宿を経て白河に進撃すると、これに続き四番小隊の小隊長として有数の激戦であった白河攻防戦で戦い、白河城陥落後は棚倉に転戦した。
会津若松城に進撃する際は、川村指揮の下で十六橋の戦いに勇戦、後に会津若松城包囲戦に参戦し軍功を挙げた。
明治4年、藩が御親兵を派遣した際、西郷隆盛に従って上京し近衛陸軍大尉に任じられたが、この航海中錯乱した者に斬りつけられ、鼻に刀傷を負った。このため「ハナ」というあだ名がついたとされる。
後に伊予大洲県に判事として派遣されるが、明治5年にこの職を辞し、鹿児島へ帰郷した。
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