司馬遼太郎 Part13
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201:日本@名無史さん
18/03/24 23:42:26.33 .net
ところが、黒田清隆、川上操六、大寺安純等が相次いで逝き、このあとには野津道貫を失ひ、高島鞆之助は失脚して枢密院に葬らると共に陸軍より全然その存在を忘れらた。薩の陸軍の勢力は歳と共に衰退し、山県の第二次内閣より陸軍の実権はすべて長に帰して薩人は長人に仰ぐようになった。
薩の陸軍に取って最も大なる打撃は黒田、野津、高島よりも川上操六の死であった。参謀本部の設置に関しては山県の力が大きいが、これを今日の如く完全なる作戦計室の府にしたのは川上で、日清戦争の根本計画は殆んど彼の頭脳より出でたものだった。
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