邪馬台国畿内説 Part300 at HISTORY
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750:日本@名無史さん
17/11/22 08:10:00.65 .net
>>730
応神は武内宿禰の息子であり、応神は現在の天皇家の直接の祖であるから八幡の神として広く祭られていたのだと思う。

751:日本@名無史さん
17/11/22 08:13:36.23 .net
@阿波さんへ
淡路島は阿波説では邪馬台国の領土と考えてよいですか?

752:日本@名無史さん
17/11/22 08:16:12.19 .net
>>740 「武内宿禰」
矢武八幡神社は、徳島県板野郡矢武字鏡松に鎮座する。
当神社で注目すべきは、「往古、嵯峨御所から額(扁額か)が寄付された」とする伝承である。
「額は今存せざるも、ご寄付状は存在せり」(名勝案内)とみえ、その文書には「阿波国板野郡矢武村者上古竹内大臣為縁由地云々」とあって、竹内宿禰の由縁の地が寄付の理由であったと理解される。
また、名勝案内の「船の本」条(矢武村に西接する大山村西分)には「此地武内宿禰の旧領なればその遺址存せるならむ」とあり、船の本の聖地に斎田その他を設け、慶事や祭典の折には、村民挙げて奉祭したとされている。
つまり、現在の上板町大山から板野町矢武一帯は、竹内宿禰の領地、または所縁の地であったとする伝承が存在している。   @阿波

753:日本@名無史さん
17/11/22 08:21:19.29 .net
俺も倭の五王については良くわかん
倭の五王(讃、珍、済、興、武)は、古代日本の天皇の事なのか?
それとも何の関係も無いのか?
五王は朝貢してるから天皇家の人物だとしたら??
記紀は日本の独立宣言書?

754:日本@名無史さん
17/11/22 08:23:07.95 .net
倭の五王も九州の王でしょうね
ヤマト朝廷の成立は701年からでしょうね。

755:日本@名無史さん
17/11/22 08:24:06.15 .net
>>743
面白い発想
記紀=日本国独立宣言書
なんとなくわからないでもない
倭の五王は歴史上難題だな

756:日本@名無史さん
17/11/22 08:24:29.02 .net
宇佐神宮の社伝等の譽田天皇廣幡八幡麻呂も九州の王でしょうね

757:日本@名無史さん
17/11/22 08:27:17.52 .net
>>741
卑弥呼時代の国名が「邪馬台国」で、「倭国」はその後からと考えています。
淡路島は卑弥呼時代はせいぜい南淡までと考えます。   @阿波

758:日本@名無史さん
17/11/22 08:31:51.06 .net
歴代の天皇でシナから冊封受けた人物はいないのでは?
天皇家の人物としては「日本国王」称号を受けたのって護良親王くらいじゃないの?
後、足利義満とか豊臣秀吉とかの天下人かな?

759:日本@名無史さん
17/11/22 08:34:31.15 .net
>>740
神武の東征は応神の時代より後ってことだな。

760:日本@名無史さん
17/11/22 08:38:35.93 .net
>>736
ありがとう

761:日本@名無史さん
17/11/22 08:43:07.67 .net
>>749
イミフ

762:日本@名無史さん
17/11/22 08:44:56.37 .net
倭国が筑紫王朝のことなら、倭の五王も卑弥呼も九州でしょう。

763:日本@名無史さん
17/11/22 08:45:59.58 .net
このスレ 罵声が無くいいね
皆 我慢してるのかなWw

764:日本@名無史さん
17/11/22 08:55:34.40 .net
筑紫、阿波って文字を無視しているんだよ。
筑紫さんは倭国の中心を朝鮮半島の近くに持って来たがる、アレな人。
阿波さんはタチが悪い。
何もかも阿波起源にすることで、歴史の事実を隠蔽しようとする輩。
二千年近く代々そういうことをしてたんだろう。

765:日本@名無史さん
17/11/22 08:58:05.58 .net
記紀は神武東征を一番始めに持っていってるが実際にはそんな大昔じゃないってことだ。

766:日本@名無史さん
17/11/22 09:04:56.63 .net
>>753
常識人が多いからだよ
議論で、馬鹿、アホはいらない

767:日本@名無史さん
17/11/22 09:22:55.00 .net
>>726
和田家文書やろ?

768:日本@名無史さん
17/11/22 09:42:24.11 .net
>>754
> 阿波さんはタチが悪い。
>何もかも阿波起源にすることで、歴史の事実を隠蔽しようとする輩。
何もかも阿波起源となってしまうので、歴史の事実を糾そうとしているのですが
>二千年近く代々そういうことをしてたんだろう。
「阿波で千年、京で千年」と代々語り継がれてきています。   @阿波

769:日本@名無史さん
17/11/22 10:18:06.16 .net
>>729
>後漢書「邪馬台国は邪摩堆が訛った読みである」432年成立
これ唐代の注釈だろ
>邪馬台国は畿内である。
なんで突然幾内が出てくるの?
まず弥生時代に幾内にヤマトと呼ばれた土地があったことを立証しましょう

770:日本@名無史さん
17/11/22 10:19:53.47 .net
>>753
罵声を出してんのはあっちの >>1 だから

771:日本@名無史さん
17/11/22 12:19:43.65 .net
テンプレwikiレベルの知識身に着けてから
書き込む事、を義務付けてほしい
一応学問板だから

772:日本@名無史さん
17/11/22 12:32:27.79 .net
>>761
テンプレ作者に知識ないから無理

773:日本@名無史さん
17/11/22 13:21:07.27 .net
>>727
ありがとうございます。

774:日本@名無史さん
17/11/22 13:24:45.40 .net
>>746
ホンダワケは名前を取り換えた後の名ですよ

775:日本@名無史さん
17/11/22 15:05:03.40 .net
テンプレは知識をひけらかす場ではないから。

776:日本@名無史さん
17/11/22 15:52:49.19 .net
>>765
同意、
スレ主の意見を長々と述べたいならブログ
今のままで良いと思う

777:日本@名無史さん
17/11/22 15:55:39.60 .net
スレ主「テンプレオナニー最高」

778:日本@名無史さん
17/11/22 15:59:01.71 .net
>>767
ここは挑発に乗らないスレだよ

779:日本@名無史さん
17/11/22 16:07:47.61 .net
乗ったら負けるもんな
偽テンプレだから

780:日本@名無史さん
17/11/22 16:17:58.37 .net
倭の五王が中国に朝貢していた理由は下記の通りとじゃないかな
朝鮮半島諸国(特に高句麗)よりも上の立場を得る為。
高句麗の勢力が増して、倭国の半島への影響力低下が確定的になっていて焦っていた。
宋の冊封を受けて何とか高句麗よりも上の地位を得ようと働きかけたようだが、
それが叶わないとわかったので止めた。

781:日本@名無史さん
17/11/22 16:25:13.21 .net
倭国は唐に支配されたということはないでしょうか(白村江から大宝元年まで)。
状況証拠として、
1、筑紫都督府が書紀に記載されている。
2、白村江で敗戦している。
3、百済貴族が倭国に大量に逃げ込み、唐はそれを問題にしている(禰軍墓誌)
4、倭国酋長が封禅の儀に参加させられている(旧唐書)。
5、大化・白雉元号のあと大宝まで元号が途絶えている(天武晩年の一年だけ例外)。
6、大宝元年くらいに国号を日本に変えた。
7、天智以降急速に律令化が進んだ。この間遣唐使がない(送史船を除く)にもかかわらず。
があげられます。
反論があるでしょうけれど、支配されたと考えれば、状況証拠はうなずけるものばかりですが????

782:日本@名無史さん
17/11/22 16:27:13.77 .net
>>769
貴方は何説に賛同しますか
少し、語っていきませんか

783:日本@名無史さん
17/11/22 16:38:06.70 .net
>>771
「朝見外交」をしていたのは事実ですが、
直接政治介入がされた痕跡もないのでそれを「支配」というの?
独立した国同士の外交ででしょう。
唐の取り方は

784:日本@名無史さん
17/11/22 16:42:54.04 .net
>>770
>倭の五王が中国に朝貢していた理由は下記の通りとじゃないかな
中国に朝貢した理由は、朝鮮半島を経由


785:オての鉄や文化交易・交易路の安堵じゃないのかな?   当然、利益なしでは頭を下げることはしない筈。 @阿波



786:日本@名無史さん
17/11/22 16:46:47.73 .net
失礼しました>>773です
唐の立場として倭国を属国としたかったのでしょう
倭国・百済遺民の連合軍が白村江の敗戦以降、
唐も倭国に攻め入って無いし、また倭国も攻め入っていません。

787:日本@名無史さん
17/11/22 16:53:41.44 .net
卑弥呼時代の国名が「邪馬台国」で、「倭国」はその後からと考えています。
「邪馬台国」と「倭国」の使い分けをどう考えますか?   @阿波

788:日本@名無史さん
17/11/22 16:59:18.69 .net
見に来てね
URLリンク(scoby.blog.fc2.com)

789:日本@名無史さん
17/11/22 17:03:48.68 .net
邪馬台国と魏はどちらが先に消滅したのでしょうか。
例えば晋王朝成立時、邪馬台国は晋とも交流があったのでしょうか。

790:日本@名無史さん
17/11/22 17:10:03.24 .net
魏志倭人伝くらい読んでから書き込んでくれ。

791:日本@名無史さん
17/11/22 17:10:36.74 .net
【白村江の戦いと倭国滅亡】
663年に白村江において行われた倭・百済と唐・新羅の決戦で倭国軍は大敗した。
自ら前線に赴いていた筑紫君薩夜麻が捕虜となり8年にわたり唐に抑留された。
筑紫には唐から郭務悰ら2000人の使節団が駐留したが、畿内大和ではなく筑紫を占領したのは、そこが倭国の首都だったからである。
668年、筑紫の使節団は帰国し、中大兄皇子は天智天皇として即位したが、その翌年には筑紫都督府が置かれ、同じ敗戦国の百済に置かれた熊津都督府と同様に唐の統治制度として機能し、倭国は独立国としての権限を喪失した。
旧唐書には倭国と日本国が分けて記載され、「日本は旧小国、倭国の地を併せたり」とある。
三国史記の新羅本紀には「670年、倭国が国号を日本と改めた」、新唐書にも670年に「日本と號す」とあるが、国内にはその記録がない。
671年に天智天皇が死亡、翌年にはその王子である大友皇子を殺した大海人皇子(天武天皇)が実権を握った(壬申の乱)。
天武天皇は対外的な国史としての日本書紀(漢文)を編纂させ、歴史上の天皇への漢風諡号の制定などを行った。
日本書紀の最大のトリックは、神武東征より後の筑紫倭国の歴史を抹消することであった。
日本書紀の編纂と並行して禁書令が出され、8世紀初頭に記紀以外の多くの古代の記録が失われた。
倭国の政治および文化を継承するために、筑紫から多くの文物、人物、建物、地名が平城京に移動された。
筑紫が679年に水縄断層系によるM7.1の筑紫大地震、畿内が684年に南海トラフ地震と推定されているM8.4の白鳳大地震により被災している。
筑紫は震災からの復興もままならなず没落したと考えられる。
701年の大宝律令で行政単位が評から国・郡に改称され、九州から関東までの中央集権国家としての畿内政権が誕生する。
この大倭の表記が大和とあらためられ、以前から筑紫倭国に対して近畿を示すために用いていた日本国が列島全体の統一王朝の国号となり、ヤマトは畿内の地名に変化した。
こうして筑紫倭国は滅亡し、その権益は唐に朝貢(遣唐使)を再開する畿内大和政権が継承した。

792:日本@名無史さん
17/11/22 17:11:30.47 .net
邪馬台国は倭国を卑下した差別した当て字なのですか?
邪・・・よこしま、正道で無い
馬・・・ 其地無牛馬虎豹羊鵲  馬が居ないのに敢えて馬と入れるイヤミ?

793:日本@名無史さん
17/11/22 17:13:55.73 .net
>>778
邪馬台国は都のあるところで、国号としては倭国だよ。
卑弥呼の次の壹與は晋に朝貢した。
倭の五王、日出ずる国の天子を自称した多利思比孤など、倭国の系譜は7世紀まで続く。
白村江で唐に負けて消滅した。

794:日本@名無史さん
17/11/22 17:16:02.89 .net
>>771
支配していたら、唐書にかかれているでしょう

795:1
17/11/22 17:17:22.67 .net
スレ主です
>>779
倭人伝を読んで無い方も、倭人伝の解釈に困る人も歓迎です
このスレをきっかけに邪馬台国に興味を持つのも良いでしょうから
その方が将来、邪馬台国の識者になるかもしれません
罵倒するのでなく「倭人伝の○✖に書いてあります」とか優しく接していただきたいと思います

796:日本@名無史さん
17/11/22 17:19:08.66 .net
>>778
トヨは晋と交易してますよ

797:日本@名無史さん
17/11/22 17:20:05.32 .net
>>784
ここはいいスレですね

798:日本@名無史さん
17/11/22 17:20:16.94 .net
>>782
列島の政権が「倭」を国号としたことはないと思うが

799:日本@名無史さん
17/11/22 17:21:17.72 .net
ただ紛らわしいんだよ、ニセスレにする必要はないんだよね

800:日本@名無史さん
17/11/22 17:28:27.87 .net
>>787
たしかに、倭は漢人がつけた名前で
日本は日本人側から名乗り直そうとした名前ですが
結局、日本という国号を正式に認めたのは唐人ですね
唐が倭を使い続けようと固執していたら倭のままだった。
英文で使われるjapanが嫌ですべての英文でnipponに変えようと思ったら
英語圏の人たちが了承しないと始まらないですから

801:日本@名無史さん
17/11/22 17:42:56.60 .net
>>788
立てた時点では、向こうが重複スレだよ。

802:日本@名無史さん
17/11/22 17:45:03.45 .net
>>787
卑弥呼を含め、何度も国書をやり取りしているのだから、そこには倭国王と署名したはず。
卑弥呼は国璽として使うために親魏倭王の金印をもらったいるわけだしね。

803:日本@名無史さん
17/11/22 17:59:33.76 .net
>>790
最近、向こうのスレ主のスレ立て早くなっているね
別人設定がくずれてきている

804:日本@名無史さん
17/11/22 18:15:09.89 .net
>>791
あくまで中国と通交するときに便宜的に利用しただけかもしれない
ただ倭人どうしのやり取りで使う国号が別にあったのか不明

805:日本@名無史さん
17/11/22 18:15:39.74 .net
>>790
こっちがニセスレだから仕方ない

806:日本@名無史さん
17/11/22 18:20:52.06 .net
ニセスレ認定してもニセスレにならない

807:日本@名無史さん
17/11/22 18:21:51.33 .net
>>791
「倭国王」じゃないね
「倭王」の印は押しただろうが

808:日本@名無史さん
17/11/22 18:23:08.39 .net
>>793
30国連合だったんだろうが、連合国名は特になかっただろう

809:日本@名無史さん
17/11/22 18:34:36.11 .net
>>797
30か国連合であったかも不明だろう

810:日本@名無史さん
17/11/22 18:40:41.14 .net
>>795
ニセなのは仕方ないたろう。
偽物のナリスマシが立てちゃったんだから

811:日本@名無史さん
17/11/22 18:42:20.71 .net
>>798
女王國が統属してたからな

812:日本@名無史さん
17/11/22 18:43:42.15 .net
>>799
スレは誰かによって占有されるものではないので
偽物もなにもない

813:日本@名無史さん
17/11/22 18:47:06.95 .net
>>800
倭人伝によれば明確に女王国に統属しているのは
あくまで伊都国一国だけだろう

814:subo
17/11/22 18:51:05.47 .net
>>780
白村江で百済は大敗し畿内ヤマトは壬申の乱で敗北し
筑紫倭國、新羅、唐の連合政権である天武政権になった

815:subo
17/11/22 18:52:54.56 .net
女王国に従属は20ヶ国以上あった

816:日本@名無史さん
17/11/22 18:53:04.92 .net
>>803subo
>筑紫倭國、新羅、唐の連合政権である天武政権になった
筑紫に倭国があった痕跡は?

817:日本@名無史さん
17/11/22 18:55:14.07 .net
>>803
百済も高句麗も唐によって王を立てられてる
結局新羅につぶされたけど

818:subo
17/11/22 18:58:09.64 .net
>>805
筑紫の都の痕跡は伊都厨やザラコクが詳しく説明してたと思うけど

819:subo
17/11/22 18:59:08.65 .net
源氏物語の舞台は大宰府の宮だそうな

820:日本@名無史さん
17/11/22 19:10:31.97 .net
>>802
皆(各国)統続女王国

821:日本@名無史さん
17/11/22 19:13:54.13 .net
>>809
各国という意味には必ずしもとれないが
そういう解釈もありかもね

822:日本@名無史さん
17/11/22 19:20:57.96 .net
>>807subo
>筑紫の都の痕跡は伊都厨やザラコクが詳しく説明してたと思うけど
suboさんの説明は?  筑紫に倭国、あったんでしょ?   @阿波

823:日本@名無史さん
17/11/22 19:21:38.25 .net
まさか伊都国王のみなさんとかw

824:日本@名無史さん
17/11/22 19:26:52.86 .net
だいたい考古学で発掘できる場所、
これは謂れのない所だし。
そこから出て来た例えば纏向遺跡の大型建物が卑弥呼の宮なんてありえない。
卑弥呼ほどの人物の宮なら何なりかメモライスされ今でも神社か寺になってるはず。
つまり考古学とはそれ以外の謂れのないカスしか発掘できないのだ。
それは平原も同じなんだけどね。

825:subo
17/11/22 19:30:58.76 .net
倭國というか奴国かな、邪馬台国の都は八女だろ

826:日本@名無史さん
17/11/22 19:51:29.22 .net
>>798
30かこくでも、王がいたのは伊都国と狗奴国だけ。
魏が倭国王と認めたのは伊都にいた邪馬台国の卑弥呼だけ。

827:日本@名無史さん
17/11/22 19:52:38.19 .net
>>814subo
>邪馬台国の都は八女だろ
八女に邪馬台国の都があった痕跡は?   @阿波

828:日本@名無史さん
17/11/22 19:53:36.23 .net
最初の王都として福岡平野に吉武高木遺跡(紀元前2世紀)、奴国と考えられている須玖岡本遺跡(紀元前2〜1世紀)があり、
後に高祖山をはさんだ西側の糸島平野に移動して伊都国とされる三雲南小路遺跡(紀元前1世紀の王・王妃墓)、井原鑓溝遺跡(紀元1〜2世紀の王墓)、平原遺跡(紀元2〜3世紀の女王墓)がある。
三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、太陽光を象った鏡であることがわかる。内行花文鏡は中国で王侯に下賜されていた形式であり、倭国が漢王朝の冊封の元での祭政一致王権をとっていたことがわかる。
昭和40年(1965年)に平原遺跡から出土した最大の内行花文鏡は国産と考えられている。その円周が漢代の8咫(直径1尺の円の円周が4咫)に相当することから、記紀などにおいてアマテラスがニニギに与えたとされる八咫の鏡であると考えられている。
かつては八咫は単に大きいことを意味するだけだという説もあったが、この鏡の出土により実際に円周がちょうど八咫である鏡が実在したことが確認された。
これらの王朝は高祖山の東側の福岡平野の奴国に成立し、後に西側の糸島平野の伊都国に移動しているが、出土品や墓制が同じであることから基本的には一連の王権であると考えられる。
三種の神器は現在の天皇家においても象徴とされており、倭国王権の起源は稲作伝来の地でもあるこれら博多湾・玄界灘周辺にあったことになる。
これが卑弥呼が女王となった倭国の姿である。

829:日本@名無史さん
17/11/22 21:17:39.88 .net
>>817
伊都国説は、一大率がなぁ。。。

830:日本@名無史さん
17/11/22 21:18:59.35 .net
>>796
倭国の王を倭王というんだが。
三国志でも史記でも、漢王とか呉王の表現であり、漢国王とか呉国王とは言わない。
倭王は当然、倭国の王のこと。

831:日本@名無史さん
17/11/22 21:26:41.77 .net
>>772
南倭半島がチャイナに支配されたのは本当

832:日本@名無史さん
17/11/22 21:28:06.45 .net
>>819
違うよ
「倭」というのは中国側からの一方的な呼称
列島側は30か国に分裂しており、伊都国、邪馬台国とかがあり女王国が統属していただけ
中国側からは列島の連合国を「倭国」と便宜的に読んでいただけ
「倭王」も中国側からの便宜的呼称であって、列島側は名乗っていない
魏志も「倭国伝」じゃなくて「倭人伝」だろ

833:日本@名無史さん
17/11/22 21:28:50.69 .net
>>771
>>780
南倭半島がチャイナに支配されたのは本当

834:日本@名無史さん
17/11/22 21:30:55.54 .net
テリトリーについて。卑弥呼の西暦200年ごろまでにヤマト大和邪馬台は北九州を征服済み
(1)+(2)=女王国の勢力範囲
(1)+(2)+(3)=倭国
(1)+(2)+(3)+(4)=倭人が住む地域
(1)女王国
邪馬台国、投馬国、斯馬国、己百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、
好古都国、不呼国、姐奴国、對蘇国、蘇奴国、 呼邑国、華奴蘇奴国、
鬼国、爲吾国、鬼奴国、 邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、奴国
(2)女王国以北(女王国に服属)
対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国
(3)女王国と対立してる国
狗奴国
(4)倭国に含まれないが倭人が住む地域
女王国の東側の海から1000里の国
(5)倭人ではない人種が住む国
侏儒国、裸国、K歯国

835:日本@名無史さん
17/11/22 21:35:20.20 .net
卑弥呼を共立した30ヶ国がどの国か記述はない。唯一女王国の端の可能性がある投馬国くらいか。
対馬〜不弥国は、一大卒支配下の女王国の属領。伊都国は女王国の属国。これらの国は女王国に含まれない植民地みたいなもの。
卑弥呼を共立した30ヶ国を合わせて、親魏倭王卑弥呼を王とする国=女王国、倭国という認識だろう。

836:日本@名無史さん
17/11/22 21:35:35.99 .net
>>821
朝貢するときには、倭国女王(倭国王)として朝貢したんだよ。
詭弁を弄するのは畿内説の義務か何かなのかね?

837:日本@名無史さん
17/11/22 21:37:04.84 .net
>>824
20カ国のリストがあるじゃん。
それに狗奴国や投馬国などを加えて、本州や四国の国も合わせるとおよそ30だ。

838:日本@名無史さん
17/11/22 21:38:28.78 .net
>>824
壱岐も対馬も伊都も倭人の国なのだから、含んだに決まっているだろう。
わけわからん。

839:日本@名無史さん
17/11/22 21:41:09.86 .net
>>826
そのリストは女王国の傍国。
女王国の境界の外にある国。
女王国ではない。

840:日本@名無史さん
17/11/22 21:42:35.27 .net
>>827
伊都国が倭人の国など何処にも書いていない。

841:日本@名無史さん
17/11/22 21:43:37.27 .net
>>814subo
>邪馬台国の都は八女だろ
「白村江の敗戦当時」、八女に邪馬台国の都があった痕跡は?   @阿波

842:日本@名無史さん
17/11/22 21:44:06.07 .net
>>825
どこにもそんなこと書いてないけど

843:日本@名無史さん
17/11/22 21:44:29.05 .net
卑弥呼を共立した国は30ヶ国。
倭地にある国は100ヶ国。
日本列島の大部分は女王国ではない。
九州も例外ではない。

844:日本@名無史さん
17/11/22 21:46:23.53 .net
>>829
すごいね、倭の中心の国は朝鮮人が作ったとかw

845:日本@名無史さん
17/11/22 21:47:35.00 .net
倭国大乱もあり、魏志倭人伝当時、日本列島統一には程遠い状態。
飛び石状に卑弥呼共立で30ヶ国が纏まり、核が一つできただけ。

846:日本@名無史さん
17/11/22 21:48:03.45 .net
>>832
倭地の総国数は不明だろ
元100国の朝貢国が魏志の頃は30か国になったということしか分からないよな

847:日本@名無史さん
17/11/22 21:48:13.06 .net
倭半島
【三国史記】脱解尼師今が立った、一説に吐解という。時に年六十二歳、姓は昔。
妃は阿孝夫人。脱解は、本来は多婆那国で生まれた。
その国は倭国の東北一千里に在る。初め、その国王は女国の王女を
娶って妻とした。
懐妊から七年、大きな卵を産んだ。王が言うには「人にして卵を生む
のは不祥である。適当に廃棄せよ」。その王女は忍び難く、絹布に卵を
包み、宝物と一緒に棺(ひつぎ)の中に安置し、海に浮べ、その行く
先を(潮流に)任せた。

848:日本@名無史さん
17/11/22 21:48:35.25 .net
倭半島
【解説】多婆那国ですが、実在する国と考えた場合、倭国の東北一千里ですから、
日本列島以外に想定できません。具体的には、丹波国が有力です。
8世紀に丹波国は丹波と丹後に分割されます。 
卵や棺(ひつぎ)は当然、「船」を意味します。卵生・箱舟神話です。
三国遺事には「船」と明記されています
以上のように、新羅の第四代王の昔脱解は、倭国の丹波(現在の丹後半島)から出航し、
対馬島を経由し、金官国への侵入に失敗した後、慶州に至り、倭人大臣から城を奪い、
ここで新羅王に成った日本人でした。
新羅は日本に人質を送っていただけで無く王自体が日本人だったわけです。

849:日本@名無史さん
17/11/22 21:50:36.49 .net
>>833
伊都国は倭国に含まれないないからな。
倭国の中心でもない。

850:日本@名無史さん
17/11/22 21:50:50.97 .net
>>824
>卑弥呼を共立した30ヶ国
「旧吉野川流域北岸勢力 弥生時代集落」
東州津遺跡・大柿遺跡・昼間遺跡(正力地区)・昼間遺跡(天神前地区)・昼間遺跡(西貝川地区)・足代東原遺跡・吉水遺跡・拝原東遺跡
・西長峰遺跡・北原〜大法寺遺跡・黒谷川宮ノ前遺跡・黒谷川郡頭遺跡・桧はちまき山遺跡・光勝院寺内遺跡・カネガ谷遺跡・桧銅鐸出土
「旧吉野川流域南岸勢力 弥生時代集落」
ウエノ遺跡・マチ遺跡・須賀遺跡・相知遺跡・井出上遺跡・稲持遺跡・貞光前田遺跡
「鮎喰川下流域勢力 弥生時代集落」
樋口遺跡・延命遺跡・矢野遺跡・名東遺跡・鮎喰遺跡・庄遺跡・庄蔵本遺跡
「勝浦川流域勢力 弥生時代集落」
勢合銅鐸出土地
「那賀川流域勢力 弥生時代集落」
若杉山遺跡・福寺山遺跡
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)だけ。   @阿波

851:日本@名無史さん
17/11/22 21:53:51.32 .net
明治まで沖縄や北海道は日本でなかったのと同じ。
当時九州北部は倭国に含まれてなかっただけ。
卑弥呼を共立した国に征服され、属領属国にされてたんだね。

852:日本@名無史さん
17/11/22 22:01:49.68 .net
2世紀まで伊都国は伊都国として、日本列島における大陸からの窓口として栄えてたんだよ。
伊都国は伊都国としての歴史やプライドがあるだろう。
無理矢理倭国に入れようとする必要はない。

853:日本@名無史さん
17/11/22 22:01:58.89 .net
属国でも倭国だろ

854:日本@名無史さん
17/11/22 22:02:22.89 .net
明治まで沖縄や北海道は日本でなかったのと同じ。
当時畿内は倭国に含まれてなかっただけ。
卑弥呼を共立した国に征服され、属領属国にされてたんだね。

855:日本@名無史さん
17/11/22 22:03:49.85 .net
奴国も遠賀川流域の国として倭国以上の長い歴史があるだろう。
倭国に無理に入れる必要はないんだよ。

856:日本@名無史さん
17/11/22 22:03:53.31 .net
伊都国(倭奴国)は倭を代表して金印を授かった国だよ。
伊都国を抜きにして倭国は成り立たない。
もちろん、倭国王(卑弥呼)は伊都国にいた。

857:日本@名無史さん
17/11/22 22:04:32.08 .net
ていうか女王が各国を統属してただけ、倭国内もくそもない

858:日本@名無史さん
17/11/22 22:04:58.75 .net
>>844
なんで奴国が遠賀川流域なんだよ。
本当に畿内説は他の地域の地理も歴史も考古学も知らない井の中の蛙なんだな。

859:日本@名無史さん
17/11/22 22:05:56.30 .net
「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
この文章の前後の文章は全て女王国か女王卑弥呼に付いての説明文であり、主語が書かれていなくとも主語は女王国か女王卑弥呼だと読み手には分かるようになっている。
それ以外の主語の場合は「諸國畏憚之」のように主語が明記されている。
「一大率常治伊都國」と主語が明記されていないので「常治伊都國」の主語も女王卑弥呼である。
なので「女王卑弥呼が伊都国で常に治めている」との意味になる。
では何を治めているのか?
女王卑弥呼が治めているのは自女王國以北の諸国である。
「常治伊都國」は「(女王卑弥呼が)伊都国で(一大率を使い自女王國以北の諸国を)常に治めていた」の意味であり 主語の女王卑弥呼と()内が省略されている。
治の類似の用法は漢書西域伝に見られる。
「大宛国 王治貴山城 去長安 万二千五百五十里…」
大宛国について、王は貴山城に治す、と王の所在を明らかにしている。
では「自女王國以北」とはどこか。
以北はその出発地を含む。出発地は「自女王國」とある。
つまり、女王国とその北にある国々を、そこに置いた一大率で支配したのである。
要するに女王国と伊都国は念を押して言い換えただけであり、一大率は伊都国にあり、伊都国が女王国、女王の都するところ、邪馬台国であるということである。
「於國中有如刺史」・・・刺史は各地の行政機関内に常駐している監察官
「女王国(を含めたそこ)から北の諸国には、(女王卑弥呼が)特別に一大率を配置して検察させており、諸国は(一大率を)畏れ憚っている。
(女王卑弥呼が)伊都国で(一大率を使い女王国から北の諸国を)常に治めていた。
これは魏で皇帝が刺史を州に派遣し検察させて洛陽で治めているのと同じようだ」の意味となる。
女王国が伊都より東にあったら、文章の意味が通らない。
畿内説では、一大率が支配していたのは奈良(女王国)およびその北である京都や丹波になってしまう。
女王国以北はおよそ里程や概要を記すことができるとされているが、里程が記載されているのは対馬海峡と福岡県内の国だけだからである。
すなわち女王国以北(女王国を含む)は伊都から北であり、女王国(邪馬台国)が伊都国であることを示している。

860:日本@名無史さん
17/11/22 22:07:29.74 .net
金印は、漢委奴国。
何処にも倭国など書いていない。
漢の伊都国だろうね。博多湾の国として当時は栄えたんだろう。
倭国とは関係ない。個人的には同盟は結んでいたと思うが。

861:日本@名無史さん
17/11/22 22:07:33.01 .net
>>848
伊都基地
伊都国ブログのまとめコピペ

862:日本@名無史さん
17/11/22 22:12:38.06 .net
>>838
從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里
到其北岸狗邪韓國七千餘里の「其」は何を指してるのか?
当然「倭国」を指すのは明確
親切に「到」で国境の説明がしてあるね

863:日本@名無史さん
17/11/22 22:12:48.29 .net
>>849
字を省略しているだけ。
倭奴国は倭国の中枢。

864:日本@名無史さん
17/11/22 22:14:19.50 .net
>>851
つまり狗邪韓国や倭国の北岸。
ちなみに南岸は倭奴国(後漢書による)。
つまり倭国とは、対馬海峡の国。

865:日本@名無史さん
17/11/22 22:20:44.53 .net
次スレどうする?

866:日本@名無史さん
17/11/22 22:22:41.45 .net
>>852
願望でしかない。
倭国とは倭人を中心とした国。
博多湾には倭人の痕跡はほとんどない。

867:日本@名無史さん
17/11/22 22:24:53.74 .net
>>855
倭人伝にそんなこと書いてない

868:日本@名無史さん
17/11/22 22:27:40.02 .net
倭半島も北九州も畿内も倭人伝のテリトリー

869:日本@名無史さん
17/11/22 22:35:41.86 .net
>>855
いや、ありえる説だよ
「旧唐書」の倭国伝に、倭国とはいにしえの倭奴国であると記されてるからね
他にも
・漢に委ねる奴国
・委奴国=伊都国
説があるね
他にもあるかもしれんが

870:日本@名無史さん
17/11/22 22:38:33.68 .net
>>858
説になってない
説の意味わかってない

871:1
17/11/22 22:39:37.62 .net
スレ主です
>>854さん 他 皆さん
次スレのタイトル考えてもらえませんか
今考えています
私の候補は
「ニコニコ邪馬台国畿内説 Part301」
「@@邪馬台国畿内説@@ Part301」
皆さん 次回のスレタイ考えてくれませんか 

872:日本@名無史さん
17/11/22 22:44:25.71 .net
>>859
間違っているというなら、「説」の意味を説明せよ

873:日本@名無史さん
17/11/22 22:52:39.50 .net
>>861
説の意味がわからない確定

874:日本@名無史さん
17/11/22 22:55:58.46 .net
次スレのスレタイ
俺は
「まろやか邪馬台国畿内説 Part301」を提案する

875:日本@名無史さん
17/11/22 22:58:15.64 .net
邪馬台国畿内説 Part301(ゆるり進行スレ)

876:日本@名無史さん
17/11/22 22:59:13.92 .net
次スレ
「カキコミは自由に語ってください。
なおできれば前スレを埋めてから書き込んでください。」
「wikiを読んでから書き込みを行ってください」に変えてほしい

877:日本@名無史さん
17/11/22 22:59:46.86 .net
邪馬台国畿内説(避難スレ) Part301

878:次スレのスレタイ
17/11/22 23:02:17.17 .net
次スレのスレタイ
「ユルリと邪馬台国畿内説 Part301」
「ゆるりト邪馬台国畿内説 Part301」
ダメかな〜〜

879:日本@名無史さん
17/11/22 23:05:01.20 .net
>>860 スレ主さん
貴方に私はお任せします

880:日本@名無史さん
17/11/22 23:10:27.04 .net
301はもうあるから、ルールを厳格に適用するなら302だな。

881:日本@名無史さん
17/11/22 23:13:49.25 .net
「ゆるりト邪馬台国畿内説 Part301」に1票入れときます
トは統一
「ゆるりと邪馬台国畿内説 Part301」
「ユルリト邪馬台国畿内説 Part301」

882:日本@名無史さん
17/11/22 23:15:03.89 .net
またニセスレ立てる気か
悪質すぎる

883:日本@名無史さん
17/11/22 23:17:28.39 .net
もしくはコテハン禁止スレにする
基地たちは出禁
コテハンは向こうのスレでやってもらう

884:日本@名無史さん
17/11/22 23:19:02.23 .net
このスレ好きだな
スレタイまで皆で考えるの民主的と言うかなんと言うか
阿部(スレ主)一強じゃないんだ

885:日本@名無史さん
17/11/22 23:20:10.47 .net
九州説禁止でいい。
九州説は九州説スレで話せばいい。

886:日本@名無史さん
17/11/22 23:22:45.76 .net
>>869
勘違い part29?はここが速いから

887:日本@名無史さん
17/11/22 23:25:26.27 .net
俺、風呂入るが
「ゆるりと邪馬台国畿内説 Part301」に票を入れとく

888:日本@名無史さん
17/11/22 23:32:15.33 .net
>>860
もう一つのスレが301をすでに出してるので
こちらが重複スレになりそうですがそれはどうすればいいのでしょう。

889:日本@名無史さん
17/11/22 23:37:04.82 .net
302にすればいいのです。

890:日本@名無史さん
17/11/22 23:43:20.61 .net
ゆるりと邪馬台国畿内説 Part302

891:日本@名無史さん
17/11/22 23:59:33.89 .net
>>878
前スレが終わってないうちに新スレ立てるのはどういうわけでしょう

892:日本@名無史さん
17/11/23 00:04:15.41 .net
もうすぐ終わるからだよ。

893:日本@名無史さん
17/11/23 00:16:45.98 .net
ニセスレ立てんなよ

894:日本@名無史さん
17/11/23 00:21:30.89 .net
キウスがここぞとばかりに自演多投してるな

895:日本@名無史さん
17/11/23 06:21:45.50 .net
邪馬台国は九州だと思います。宮崎県近辺?
@魏志倭人伝の記述
「女王国の東(方)に、千余里を渡海すると、また国がある。みな倭種である。」
・・・九州と四国の関係に当てはまる。近畿説では当てはまる海がない。
A魏志倭人伝の記述
「女王国より以北は、その戸数・道里は略載するを得べきも、その余の旁(わきの国々)は、遠絶していて、つまびらかにしようとしてもできない」
・・・畿内説なら、九州から邪馬台国まで「余の旁(わきの国々)」を通ることになる。通り道なのに「遠絶していて、つまびらかにできない」って変。
余の旁が、遠絶しているなら、遠絶の先にある邪馬台国はさらに遠絶となる。これも変。
B魏志倭人伝の記述(移動動手段)
「一海を渡る」「陸行」「水行」しかない。一海を渡るとの表現は末盧国が最後。九州説、畿内説いずれも末盧国は九州で異論はないと思われる。
「一海を渡る」と「水行」と表現を分けていることから、「水行」を「渡海」と解釈することは困難。「水行」は河川を利用した移動と思われる。
末盧国以降で、「陸行」「水行(河川移動)」で畿内までは行けない。
これらのことから考えると、邪馬台国は九州と考えられる

896:日本@名無史さん
17/11/23 07:04:09.30 .net
「水行」って河川移動の事だけじゃなくて海岸沿いを伝って船で移動する場合も含まれるみたいだよ。
つまり右手(或いは左手)側に陸地を見ながら移動するのが「水行」で全くの沖合いを行くと「海を渡る」なんだって。

897:日本@名無史さん
17/11/23 07:19:59.18 .net
>>885
に賛同
また、瀬戸内海は海と言うより大陸から見れば川のようなものと違うかなぁ

898:日本@名無史さん
17/11/23 07:26:53.57 .net
>>886
黄河の河口の幅は17〜18km
長江の河口の幅は40kmくらいのようです。

899:日本@名無史さん
17/11/23 07:28:43.39 .net
ちなみにアマゾン川は雨季の河口最大幅は400kmくらいなんだって!!

900:日本@名無史さん
17/11/23 07:32:05.20 .net
>>886
卑弥呼時代、まだ瀬戸内海は大陸との交易路としては、使


901:「物にならなかったけどね。   @阿波



902:日本@名無史さん
17/11/23 07:57:00.40 .net
魏志倭人伝に「倭人は手掴みで食事する」とあるとのこと。
魏志倭人伝には「邪馬台国」という言葉は一ヶ所しか出て来ず「倭国」と記述されているとのことです。後は「女王国」ですとか。
この「女王国」とは「邪馬台国」で「倭国」というのは「邪馬台国」を含む当時の日本の総称でしょうか?ということは「手掴みで食事する」
という習慣は当時の邪馬台国を含む日本全体の文化でしょうか?

903:日本@名無史さん
17/11/23 08:02:05.44 .net
>>890
よくわからん記述なんだよな
土器で煮物等したら、熱くて手掴みなんかできっこないよな

904:日本@名無史さん
17/11/23 08:03:37.27 .net
アホか
冷めてから手掴みすりゃいいだろが

905:日本@名無史さん
17/11/23 08:07:54.14 .net
古代日本の遺跡から銅鐸、銅剣、銅鏡などがたくさん出土するのはなぜですか?
当時の権力の象徴だったとか、中国からの贈り物だったとかは分かるのですが、なぜそれが剣や鏡や鐸なのでしょう
か?
農耕が大切な時代ですから、極端な話し鍬や鋤などの実用品もいいですよね?
根本的になぜなのか?分かるかた教えていただきたいです。
よろしくお願いいたします

906:日本@名無史さん
17/11/23 08:18:08.20 .net
>>862
なんだ、説明できなきゃ意味ないじゃん
批判してるのだから、なぜ「説」でないか?理由を述べなきゃ
否定だけなら簡単

907:日本@名無史さん
17/11/23 08:22:20.69 .net
>手掴み
既に、この頃には「おむすび」、「おにぎり」が有ったんだろうなー
稲作(米)と手掴み食事文化と来れば、、、

908:日本@名無史さん
17/11/23 08:25:20.45 .net
>>892
お粥だと冷めても箸が必要だ。
確かに謎だ。

909:日本@名無史さん
17/11/23 08:28:59.47 .net
>>893
中国の古代史のドラマを見ていたら、エライ人たちはみんな剣を帯びていたな。
あれが鍬ではサマにならない。
あと、一般の兵士は矛を持って立っていた。

910:日本@名無史さん
17/11/23 08:30:06.03 .net
>>889
外洋と内海ではリスクがかなり違う
船の喫水(水につかってる船底からの高さ)が浅い古代船で、
座礁して沈没するリスクも少ない 瀬戸内海航路が安全
よって、古代より瀬戸内海航路はあったと考える 
そして使者OR案内人が瀬戸内海航路を選択したと考える

911:日本@名無史さん
17/11/23 08:31:16.98 .net
>>896
アホか
お粥だとヘラでいいだろ、木の板か葉っぱで充分

912:日本@名無史さん
17/11/23 08:33:35.98 .net
>>989
アホか
瀬戸内海こそ座礁する危険が高い難航路だろが

913:日本@名無史さん
17/11/23 08:35:04.05 .net
「箸」墓にしたい
瀬戸内海から畿内に来てほしい
結論ありきのアホ推論

914:日本@名無史さん
17/11/23 08:45:50.29 .net
>>885
当時、関門海峡は陸続きだったという話もあるね

915:日本@名無史さん
17/11/23 08:45:56.61 .net
>>898
>座礁して沈没するリスクも少ない 瀬戸内海航路が安全
瀬戸内海の潮流がどんなものか知った上での意見ですか?
瀬戸内海を「通し航行」するとなれば、何度も汐待しなければなりません。
汐待には停泊施設、宿等の汐待施設が必要です。
瀬戸内海を支配し、各所に汐待施設を設置できたのは、卑弥呼時代には無理です。   @阿波

916:日本@名無史さん
17/11/23 08:47:09.91 .net
>>891
インド人

917:日本@名無史さん
17/11/23 08:49:06.38 .net
ニセスレやめろ
ニセスレやめろ
ニセスレやめろ

918:日本@名無史さん
17/11/23 08:49:26.89 .net
ニセスレやめろ
ニセスレやめろ
ニセスレやめろ

919:日本@名無史さん
17/11/23 08:51:01.62 .net
>>902
冗談ですね。

920:日本@名無史さん
17/11/23 08:52:54.56 .net
>>898
瀬戸内海は各島間の海峡の潮流が早すぎて手漕ぎ舟は通れなかった
航行できるようになったのは4〜5世紀くらいからと言われている

921:日本@名無史さん
17/11/23 08:56:27.84 .net
>>907
本居宣長が書いてるのよ
縄文海進があるまでは瀬戸内海も水たまりだったし

922:日本@名無史さん
17/11/23 08:57:16.00 .net
>>900
急ぐか安全を取るかの違いじゃないだろうか?
汐待ちぐらいしても安全を取るのでは?
>汐待には停泊施設、宿等の汐待施設が必要です<
停泊・・大型船なら必要だが、せいぜい長さ30Mぐらいの船では?
施設・・陸行一月も野宿だと思うので問題ないのでは?

923:日本@名無史さん
17/11/23 09:08:43.11 .net
>>910
30メートルって、けっこう大きな船だよ。
潮待ち港が瀬戸内海に整備されたのは4〜5世紀以降だろ。
それまで瀬戸内海航路は主力ではなかったんだよ。
卑弥呼の頃の倭国の交通は日本海航路。
考古学的にも日本海航路を経由したと思われる物資の移動が多い。
朝鮮やロシア沿海州とも交易していたらしいし。
その要は対馬海峡であり、対馬海峡に遊撃できる博多港を手に入れた者が、倭国の代表として外交と貿易を一手に担えた。
これが一大率を使った筑紫倭国の女王卑弥呼の邪馬台国の姿だよ。

924:日本@名無史さん
17/11/23 09:09:49.54 .net
魏使の船は呼子までしか着てませんからね。

925:日本@名無史さん
17/11/23 09:14:40.24 .net
唐古・鍵遺跡の土器の破片
櫂が7本、櫓らしきものも見え真ん中には帆が張られている(帆ではなく旗という説もある)
中国の古代の船にも海川問わず帆が着いている。使者は帆が着いた船で来たに違いない。
また、当時の航海技術が、今日に比べて相当幼稚なものだった事ははっきりしている。
まっすぐに伸びた瀬戸内海では迷う必要が無い

926:日本@名無史さん
17/11/23 09:16:55.74 .net
>>912
なおさら 倭船なら瀬戸内海は経験値から余裕だと思う

927:日本@名無史さん
17/11/23 09:17:21.40 .net
瀬戸内海や日本海なんて先まで魏使は行ってませんから。

928:日本@名無史さん
17/11/23 09:21:27.14 .net
>>910
>汐待ちぐらいしても安全を取るのでは?
だから、汐待出来るようになったのが卑弥呼時代よりずっと後なんですよ。   @阿波

929:日本@名無史さん
17/11/23 09:24:20.14 .net
>>913
手漕ぎではムリと結論済み

930:日本@名無史さん
17/11/23 09:25:12.98 .net
>>913
関門海峡を通れない

931:日本@名無史さん
17/11/23 09:25:27.48 .net
>>915
>瀬戸内海や日本海なんて先まで魏使は行ってませんから。
太平洋を通って倭国(阿波)まで来てますよ。   @阿波

932:日本@名無史さん
17/11/23 09:25:55.36 .net
どうだったんだろう?
末盧国から不弥国までは陸行 次に水行
@使者が伊都国、奴国に立ち寄るので魏船を不弥国で待機させた
A不弥国からは倭船で投馬国、邪馬台国

933:日本@名無史さん
17/11/23 09:26:30.82 .net
記紀にも関門海峡を通る記事はない

934:日本@名無史さん
17/11/23 09:28:12.59 .net
倭船に下賜品は載りきらないよ

935:日本@名無史さん
17/11/23 09:38:08.66 .net
倭船も魏船と遜色なかったのでは? 現に倭国(阿波)と交易しているから。   @阿波

936:日本@名無史さん
17/11/23 09:39:39.74 .net
魏志倭人伝にも関門海峡が描かれていない。
壱岐対馬は細かく描写されているのに。
魏の使いも倭船で来たんだよ。
倭国は海運国家だったんだ。
船も我々が思うより進歩していたのかもね。

937:日本@名無史さん
17/11/23 09:39:41.13 .net
>>918
関門海峡は船で無理なのだろうか?
不弥国の比定地が問題になるだろうが

938:日本@名無史さん
17/11/23 09:45:08.05 .net
>>924
> 魏の使いも倭船で来たんだよ。
>倭国は海運国家だったんだ。
>船も我々が思うより進歩していたのかもね。
私もそう思います。   @阿波

939:日本@名無史さん
17/11/23 09:45:14.40 .net
不弥国は香椎宮あたりだろう。
関門海峡は仲哀が掘削したらしいし。

940:日本@名無史さん
17/11/23 09:53:43.89 .net
関門海峡
行き
陸地から汐待すれば良い
帰り
忌宮神社の沖合の満珠島、干珠島が関門海峡の入り口と目されているので
おそらく、この島の周辺で汐待したのであろう

941:日本@名無史さん
17/11/23 09:58:53.39 .net
>>927
何の冗談だよw

942:日本@名無史さん
17/11/23 10:21:00.26 .net
邪馬台国なら既に畿内で結論ついてるよ。

943:1
17/11/23 10:23:04.92 .net
どなたか次スレを立ててくれませんか
いつものことですいません・・・原因不明のホストエラーとなってしまいます
スレタイは・・「ゆるりと邪馬台国畿内説Pprt 301」もしくはお任せします
<下記 貼り付けてください>
邪馬台国畿内説のスレです。
前スレ スレリンク(history板)

1、内乱の激しい中国や、2世紀末の倭国大乱の影響を避けるため、都を、大陸からより離れた奈良盆地の纒向にした。
大和は、瀬戸内海に近く、交通の要衝である。人口も多く、日本の中心に位置しており、都にふさわしい。
2、倭国の大乱は全国的な内乱である。その結果、3世紀には、中部日本と西日本とを統一する大和朝廷が成立した。女王国の出現は、このような広い領域を支配する国家の誕生であった。
3、卑弥呼が魏からもらった鏡は三角縁神獣鏡である。その証拠に、卑弥呼の時代である「景初三年」の銘が入っているものが出土している。
三角縁神獣鏡は、畿内から数多く出土するが、九州や関東からも出土するので、古墳時代の前、すなわち鏡が輸入された卑弥呼の時代には、大和の勢力が九州や関東に及んでいた、と見るべきである。
4、朝鮮から邪馬台国にいたる行程記述は、、伊都国以降も一直線に繋がったもの(順次式)と見るべきである。
不弥国から東は、船で行った。航路としては、瀬戸内海ルートだけでなく、日本海ルートを通った可能性もある。 この場合、投馬国として、出雲や但馬を比定する。
5、「女王国の東に、千余里を渡海すると、また国がある。みな倭種である。」との記述は、
伊勢湾や琵琶湖を渡ったむこうにも、倭人がいたことを述べている。
他説も歓迎です カキコミは自由に語ってください 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
なお個人攻撃や、不快感の与えるようなカキコミは止めて下さい
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
できれば前スレを埋めてから書き込んでください。

944:1
17/11/23 10:29:01.16 .net
だらしのないスレ主ですいません
        ヨロシクお願いします

945:日本@名無史さん
17/11/23 10:34:42.34 .net
満珠島・干珠島
忌宮神社の飛び地境内であり、
祭神の神功皇后が住吉大神の化身である龍神から授けられた二つの玉、
潮干珠(しおひるたま)・潮満珠(しおみつるたま)から生まれたという伝説がある島。
また、彦火火出見尊が海神より授かった潮満瓊(しおみつたま)と潮涸瓊(しおひのたま)を
両島に納めたという伝説もある。

946:subo
17/11/23 10:35:19.28 .net
関門海峡の開通は仲哀天皇の頃で確定してるんだよな

947:日本@名無史さん
17/11/23 10:36:39.57 .net
大平洋ルート 賛成
投馬国は日向
そこから南へ行き黒潮で紀伊半島南部
陸行1月で纏向


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