日本語が古極東アジア語から分岐したという説 at HISTORY
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76:日本@名無史さん
17/11/12 00:39:26.01 .net
沿海州の人間と日本人では父親から受け継ぐY遺伝子より
母親から受け継ぐミトコンドリアDNAの方が違いが少ない
沿海州から来たのは主に女だ
遊牧民であるツングースが集団で海を渡って来たと考えるより
縄文人が黒曜石を売って女を買ってきたと考える方が自然だ
土器を作るのは女の仕事だしな

77:日本@名無史さん
17/11/12 07:15:31.06 .net
>>75
またチョンセン人とかまったく根拠不明なあおりするのやめろ。
ちなみに現地風に言うのなら”チョンセン”じゃなく”チョンソン”とか”チョソン”なw
確かに台湾を出発した当時はアウトリガーカヌーは無かったかもしれないが、2千ん百年移動している間に航海術を手に入れ、
船も進化したんだろう。
そのポリネシアンでさえ島伝いにフィリピン・インドネシア、そして進化した航海術で南太平洋へ散って行ったわけで、
ただ闇雲に民族移動したわけではない。
あと、大きな船を使うようになった”渤海使”とかの時代と3千年前の時代と一緒にすなよ。
ちなみに、前にお前が言ってた”銅鐸の絵の船”だが丸木舟じゃなく、その頃なら今の和船のようなものが既に造られてただろ。
”サハリン周りルート”が科学的とか言ってるけど、別に科学的もくそも、近くの海峡を渡り海岸伝いに南下してるだけで、
目的も何もただ食うために獲物を求めてじゃないの。
ただ”サハリン周り”だと北海道に足跡がないから可能性は薄いけどね。
それよりは”朝鮮東海岸ルート”の方が可能性は高いだろうね。
とにかく、荒海で長距離の日本海を渡るという説は、丸木舟では無理だろう。
せいぜい漂流民が日本の日本海沿岸に漂着する程度しか考えられない。

78:日本@名無史さん
17/11/12 09:03:43.89 .net
>>76
それだと、渡来系弥生人と縄文系弥生人は居住区を別にする必要がないはずだろ。
弥生期の渡来系弥生人と縄文系弥生人は居住区が別だったんだぞ。
渡来系弥生人と縄文系弥生人はお互いに別の人種だという認識から区別があった。
それは容貌の違いや言葉の違いから生じていたと考えられる。

79:日本@名無史さん
17/11/12 09:31:05.43 .net
>>77
そうカッカ、カッカと、火病を起こすなよチョンセン人のあなたw
チョンソン人もチョンセン人も変わらんではないかw

で、銅鐸は西日本では2Cで終焉を迎えるが、2Cまでに和船があったという証拠は?

それに、樺太に古代沿海州から寄港した痕跡って、ないでしょ。
朝鮮東沖ルートなら、弥生人は最初に島根に上陸せず、九州北部に上陸して
最初の弥生開始土器を遺すはずだろ?

それと、日本海は太平洋のような荒海ではなく、穏やかな海ですよ。
丸木舟はふつうに漕いで、時速10キロくらいの速度が出せるそうだよ。
半日漕いだら、120キロほどの移動が可能な訳です。
ウラジオストクから出雲まで、約800kmほどですから、1週間もあれば着いてしまう
という訳です。

80:日本@名無史さん
17/11/12 11:44:13.77 .net
>>79
どうしても俺を朝鮮人にしたいようだがw
その根拠は全く無いけどなw
単に自分の説と違う意見で、そこに朝鮮半島が絡んでくると朝鮮人になるのかよ?w
あんたもひたすらアホ妄想を繰り出す人間だなw
まあ、それはどうでもいいけど

81:日本@名無史さん
17/11/12 12:01:02.51 .net
>>80のつづき
>>79
樺太ルートはあくまで参考に話に出しただけ。
一週間も丸木舟で長距離を渡ろうと試みるかどうかよりも有りそうだというだけだよ。
日本海が太平洋よりも多少穏やかだろうが、
荒れれば一緒だろっつのw
人間の心理として、普通目に見える場所を目指すもの。
まして、沿海州から日本の方面には日本の沿岸近くなるまで島嶼は無いんだよ。
原始人が無目的に無謀な航海に出ることは
まず考えられない。
3千年前の沿海州の民は原始人だろ。
ポリネシア人のような航海術をもっていたとも
考えられない。
あと小さな丸木舟に数人分の一週間分の食料積めるのかよ?
水だって海の水飲める訳じゃないんだぜw
おまえの言ってることが、あまりに現実無視してるから指摘してるだけの話なんだぜw

82:日本@名無史さん
17/11/12 15:01:08.34 .net
>>81
だったら、例のポリネシア人やマダガスカル人は1ヶ月くらいの超長距離航海に
なる場所がたくさんあるけど、どう征したんだよ?
アウトリガーカヌーだろうが出せる速度は丸木舟と変わらないんだぜ。
彼らからしたら、一週間なんて序の口だと笑われる航海日数だよ。
奈良時代頃の古書に沿海州の粛慎(みしはせ)の海賊が佐渡島にやって来て、
佐渡島に滞在していた話があるが、彼らは魚をとって生で食べていたそうだよ。
航海時の食料は生魚だったようだね。

83:日本@名無史さん
17/11/12 21:03:58.47 .net
>>82
それは奈良時代じゃなくいわゆる”白鳳時代”だろ。
URLリンク(ja.wikipedia.org)(%E6%97%A5%E6%9C%AC)
これ見る限り、この”粛慎(みしはせ)”はほんとの粛慎じゃなくニヴフとかの可能性が高そうだしな。
新羅人に伴われてやって来たのはほんとの粛慎みたいだが、新羅経由なわけで。
で、今話題にしてるのはそれより2千年くらい遡る原始人の話だろがw
あと、ポリネシア人が遠洋航海出来るようになったのはアウトリガーカヌーを発明してからだろ。
あれなら食料も積めそうだしな。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

84:日本@名無史さん
17/11/12 21:45:50.22 .net
>>83
白鳳期だったか、チョンセン人のあなたw
ニヴフにしても沿海州の北方民族には違いない。
沿海州ツングースが遊牧民だと勘違いしている輩がいるようだが、沿海州ツングースは
基本的に半農半猟の集団。
ただ、これは内陸の方で、沿岸の方は海賊をする集団がいるくらいだから、
漁労民だったんじゃないかな。
縄文期に沿海州から骨製の釣り針が九州北部に伝わってきているくらいだし。
隠岐や男鹿半島の黒曜石がウラジオストクで出てくるんだから、
ダイレクトカム、ダイレクトゴーしか考えられんけどな。

85:日本@名無史さん
17/11/12 23:40:22.07 .net
ニヴフは樺太からアムール川下流域の集団みたいだから、佐渡島の粛慎の海賊は
地理的にニヴフじゃないんじゃねえかな?
やっぱ、沿海州南岸から東岸にかけての沿海州ツングースだろう。

86:日本@名無史さん
17/11/13 09:32:30.13 .net
>>85
オホーツク文化人はニブフだった考えられている。
北東北人の風貌とニブフは似ていると言われる。
青森出身のギリヤーク尼崎という前衛舞踊人が居たよね。
北東北人とニブフとか北方人種とは何らかの関係があった可能性はある。

87:日本@名無史さん
17/11/13 12:25:59.67 .net
>>86
東北北部にニヴフが渡来定着した証拠遺構もその生活痕たるオホーツク系土器も
オホーツク系農具もないでしょ。
可能性はほとんどないんじゃないか。
ニヴフが定着したなら、トンクルもあるだろうし。
北海道南部で土井ヶ浜弥生人骨そのものの弥生人骨が出土しているから、
東北北部も山陰・九州北部系弥生人から北方モンゴロイド形質の影響を
受けていると思われ。

88:日本@名無史さん
17/11/13 14:44:40.65 .net
>>87
>ニヴフが定着したなら、
 トンクルもあるだろうし。
おまえ、あのさあ・・・
トンクルって中国人の胡弓の模倣だろw
いくら古くたってニブフが中国人と接するようになってから出来上がったものなわけでw
アイヌのトンコリだって樺太アイヌしか持ってない楽器なんだからさ。
日本の北東北にニブフが来たとしたって数千年前の話なわけで、その頃トンクルなんて楽器あるわけ無いだろってのw
君、真面目にレスしろよw

89:日本@名無史さん
17/11/13 19:48:45.83 .net
>>88
いや、真面目なんだが。
ニヴフが北海道に進出したのが5C以降だから、それ以降を想定して話をしたんだよ。
トンクルは胡弓じゃくて胡琴の模倣で、もともと胡琴は中国の楽器ではなくて、
モンゴルあたりの楽器で、モンゴルから満州経由でアムールに伝わっている。
アイヌのトンコリは江戸時代は北海道でも使われていた。
大正時代までは北海道にも奏者がいたのではないか?

90:日本@名無史さん
17/11/14 07:09:11.77 .net
>>89
こちらも少し言葉の誤用があった。
馬頭琴(モリンホール)
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)モリンホール
二胡
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)二胡
胡弓(日本)
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)胡弓
トンクル
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)トンクル_(楽器)
こう見ると、トンクルは中国の二胡にそっくり。
二胡自体は宋代あたりに広まったものらしいから、トンクルもそれ以降に作られたことがわかる。
北海道のオホーツク文化は5c以降だとされているから当然その時代にはトンクルなど無いわけで、数千年前のニブフがトンクルを持っているなどない。
だから、トンクルを指標に持ち出すこと自体間違っている。
ちなみにトンコリは北海道の宗谷地方に一時的にあったようだが、近代までに途絶えてしまったようだ。
北海道の奏者もカラフトアイヌからの伝承者なわけ。
カラフトアイヌもソ連の政策で戦後日本に追い出されたんだよ。

91:日本@名無史さん
17/11/14 18:11:17.75 .net
>>90
数千年前に東北北部にニヴフが渡来定着したなら、その前にまずは地理的に
北海道北部に渡来定着するはずじゃないか?
東北北部に数千年前の渡来人の痕跡遺構もないしな。
沿海州南岸あたりとの交流交易はあっただろうけど、定着遺構まではないだろ。
だから、北海道南部でも人骨が出ている山陰・九州北部系の弥生人の後裔な
だけのように思われ。
土井ヶ浜弥生人は沖縄の貝の腕輪を舟で北海道南部まで行商していたんだよ。

92:日本@名無史さん
17/11/15 22:32:24.81 .net
このスレを見て勉強になった事は、みんな朝鮮人と言われるのが嫌だという事だ

93:日本@名無史さん
17/11/16 03:25:10.76 .net
倭人は呉のタイハクの末裔ですよ。

94:日本@名無史さん
17/11/16 08:37:31.70 .net
>>93
呉の王族なんかが渡来定着したなら、証拠や痕跡がガッツリと遺っているはずだよな?

で、呉の王族が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる中国系土器と中国系農具は?

.

95:日本@名無史さん
17/11/16 13:04:30.31 .net
そもそも古極東アジア語がアイヌ語、日本語をベースにしてるんだろ?
日本が漢字を導入して漢文が日本語で読めて
日本語を漢字表記できる時点で別の言語文明が生まれてるんだよ。 
朝鮮語は古極東アジア言語と関りは有るかも知らんが文明に逆行で土人化しただろ?

96:日本@名無史さん
17/11/16 14:44:16.54 .net
>>95
>そもそも古極東アジア語がアイヌ語、日本語
 をベースにしてるんだろ?
それじゃ本末転倒だろw
なんで逆行すんだよ?
そもそも古極東アジア語なんてえ言葉はないだろってのw
あくまで仮説の言葉に過ぎないわけで。
日本語はピジン言語と言われているんだから。


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