邪馬台国畿内説 PA ..
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157:日本@名無史さん
17/06/30 20:14:57.06 .net
やはりキウスの日本語はおかしいな

158:日本@名無史さん
17/06/30 20:15:20.97 .net
まだここ埋まっていない
邪馬台国 畿内説Part219 [無断転載禁止]©2ch.net

159:日本@名無史さん
17/06/30 20:17:38.88 .net
まだここ埋まっていない
邪馬台国 畿内説Part219 [無断転載禁止]©2ch.net

URLリンク(lavender.2ch.net)

160:日本@名無史さん
17/06/30 20:25:14.43 .net
>>157
埋めるのにご協力願えませんか?

邪馬台国 畿内説Part219

URLリンク(lavender.2ch.net)

161:日本@名無史さん
17/06/30 20:41:50.71 .net
>>156
国譲りが現在の出雲の地で行われた、国(みやこ)を譲って出雲族は現在の出雲の地に退散した、どちらが正しいと思う?

162:日本@名無史さん
17/06/30 22:22:32.04 .net
なるほど、これは明快な質問だ。
国を譲って今の出雲に移動したのかもしれないな。
もともとは筑紫にいたのだろう。
それなら、国譲りの後にニニギが筑紫に降臨することの意味が通る。

163:日本@名無史さん
17/06/30 22:44:58.30 .net
八十島祭。
天皇の国土支配権の裏付けを企図する祭祀と書かれてある。なぜ大阪で行うのか?
元は大阪城の位置にあったとされる生国魂神社と関係あるのかな。
大阪城の下に何かあるのかな。

164:日本@名無史さん
17/07/01 00:02:04.00 .net
神武はいなかったと思う、実際に存在したのはニニギとニギハヤヒだけだろう。

165:日本@名無史さん
17/07/01 08:25:53.16 .net
>>164
ニニギとニギハヤヒは王だった。
イワレビコは王ではなく、都落ちした王族の生き残り。

166:日本@名無史さん
17/07/01 21:12:48.00 .net
地方豪族だろ
常世の国の

167:日本@名無史さん
17/07/01 22:45:31.89 .net
神武(崇神)が初めに上陸した場所だから。
上町台地の北端の丘地。

168:日本@名無史さん
17/07/02 22:48:34.06 .net
新生畿内説のスレ。
我こそはと思う者は、畿内説の何たるかを大いに語るがよい。

169:日本@名無史さん
17/07/02 23:20:09.93 .net
ニセスレw

170:日本@名無史さん
17/07/05 23:26:59.44 .net
>>167
当時の地形は、北端が大阪城ではない。
南方の北、今の新大阪から河内湖に入り、その東岸に上陸した。
長脛彦に使いを出し、逗留を許可されるが、無断で生駒越えを断行して
攻撃され、壊滅的打撃を受けて古代平野川沿いに杭全、阿倍野で上町
台地を越えて大阪湾から闘争を図る。長兄、次兄を失ってイワレ彦が
後継指名を受けて軍団の長になった。
最初から勇ましい軍団長だったわけではなく、行きがかり上後継者に
なった三男坊なのである。
こんなことを栄光の初代の記録に書く理由は何か?

171:日本@名無史さん
17/07/05 23:51:07.72 .net
大阪に至る前も、あっちふらふらこっちふらふらと、まるで当てのないような
長旅で、また大和での騙し討ちなど、おおよそ初代にふさわしくない印象である。
「東遷」説というのがまだ健在らしいが、神武記に関してはそんな雰囲気は
かけらもない。
まあそもそもがそんな計画的首都移転のような事がこの当時の日本に起こるはず
などないが。あるいは、モーゼの出エジプトのような苦難の逃避行?或いは漢の
洛陽遷都のような大動乱の末のイベントか?それとも、第二次大戦時のソ連の移
動首都クイブイシェフ?どれにも当てはまらない。
ローマからコンスタンチンへの遷都とは、まったく事情が異なる。
後の崇神、応神の頃の怒涛の軍事的拡大が「東遷」というならば、それぞれの時代
でも以前最大生産力と半島領土と利権を有する九州を捨て去る理由は、相変わらず
ない。高地性集落の東漸からは、相当の軍事的侵攻があったことは伺えるが、本拠
地を放棄する理由もないし、それを圧迫征服するような巨大勢力もない。また、宇
佐に応神と神功を脇神とする宇佐八幡を置いていく必要もない。
「東遷」とはそれらしく漢字を並べ立てた、漢文脈の中でのみ存在しうるレトリック
でしかない。ずっと下った時代でさえ、せいぜいが藤原→難波→平城→長岡→平安程
度で、完全に同じ経済文化圏でしかない。二重政治時代一度は鎌倉に移ったが、公式
的な国王は依然京都であり、その後室町にはまたも京都に戻ってしまう。
ことほど左様に遷都とは難しい。半島戦争を継続しながら一方で東方へ遷都など、
あり得ない。

172:日本@名無史さん
17/07/05 23:57:23.35 .net
>>163
神武天皇が自ら日本列島自体の神を祀った云々に由来するのでは?
因みに、当時の場所が生国魂神社で、中世には石山本願寺〜大阪城天守閣が占めています。

173:日本@名無史さん
17/07/06 00:11:25.44 .net
>>165
ニニギ=ニギハヤヒ(ニギハヤヒの略称)
(大船団に数千人を伴って再渡来して九州の有明海から佐賀に上陸)/天火明(一度目の渡来時に号した。石見の五十猛海岸に上陸。出雲帝国のオオナムチ(帝王)から丹波を与えられた。)。
ニギハヤヒ/天火明=スサノオ/イザナギ/天御中主、、、

174:日本@名無史さん
17/07/06 00:20:38.46 .net
>>173
ニギハヤヒの御子がホホデミ(九州物部王家初代)。
神武天皇がホホデミの伝があるのもホホデミの子孫で当主(襲名した?)だからでは?
磐余彦、、、磐徐彦が原形では(大倭徐家の彦)?

175:日本@名無史さん
17/07/06 02:35:21.86 .net
ニセスレ

176:日本@名無史さん
17/07/06 03:51:29.32 .net
>>170
南方という地名は南潟
中島を挟んで北潟があり北岸である吹田の岸辺まで続いていた
南潟は淀川の氾濫原であって近世開削されて新淀川となる
いまの北区のあたりは大阪城(上町台地北端)から伸びる砂州であって
そこに難波堀江を開削して大和川を海に短絡させ古河内潟の水抜きに成功した
話はそれ以前
神武は砂州(難波之碕)を迂回して大阪城の東に上陸した
ここが白肩(潟)之津である
渡って生駒越えに失敗したあと上町台地を南下し狭山を通って水越峠をこえ奈良盆地に入った
別動隊は船で海を南下し吉野川を遡って宇陀から奈良盆地を攻めた

177:日本@名無史さん
17/07/06 04:13:52.33 .net
ニセスレ

178:日本@名無史さん
17/07/06 07:31:31.82 .net
ゴミニセスレ

179:日本@名無史さん
17/07/06 09:16:45.27 .net
>>170
>長脛彦に使いを出し、逗留を許可されるが、無断で生駒越えを断行して
なんだか妄想が入っているな。
そもそも戦闘前に交流がきちんとなかったから戦いになったわけで。

180:日本@名無史さん
17/07/06 09:18:49.27 .net
ニセスレ

181:日本@名無史さん
17/07/08 12:09:38.63 .net
>>179
何が妄想?
最初から在地の王たる大勢力と、後発のルンペン逃避行のような四兄弟の
せいぜいが二個中隊クラスの部隊とでは勝負にならない。
日下以西の土地はすべてこの大王の支配下にあったと考えてよく、南方を
水路湾内に侵入した時点で長脛彦の滞留許可があったはずである。
そこで「美し国」への侵入を勝手に図ったから先頭になった。そうとしか
読めない。

182:日本@名無史さん
17/07/08 12:18:32.15 .net
>>176
八尾に「竹渕」「竹渕神社」がある。
神武天皇が竹の淵に隠れて難を逃れたという古い伝承のある神社。
真実なら河内湖南岸の大和川河口から古代平野川沿いに陸路最短コースを取り
一直線に後の住吉神社を通って海路岸和田まで行ったと推測される。そこで
部隊長たる長兄五瀬の死を迎えるという、神武記通りの流れとなる。
神武軍は基本的に水路。
そんな陸路を長躯水越を越えて奈良まで行くなら、途中のクニはどうやって通過
するのか。また、記紀にある熊野の大迂回〜難路の北上〜奈良盆地南端に根拠を
得るまでの、神武記の白眉はすべて虚偽となるのだが?それに、部隊を分かつ程
の大部隊ならなんで長脛彦に四兄弟のうち三人を失う惨敗を喫したのか。
九州から来たので、装備的には優秀な部隊のはずである。

183:日本@名無史さん
17/07/08 12:23:12.59 .net
また、足の遅い陸路でそんな長距離移動をするとなると、長脛彦の追撃を
なぜ受けなかったのか。やはり水上移動だからこそ、なんとか殲滅を免れ
たのであろう。
実際記紀にはない神武一行の行軍の記録が和歌山にはいくつも残されている。

184:日本@名無史さん
17/07/08 12:30:35.42 .net
ニセスレはニセスレらしくトンデモ満載でんがな

185:日本@名無史さん
17/07/08 13:49:39.39 .net
そうか?トンデモ満載なのは本スレも同じじゃないか?

186:日本@名無史さん
17/07/08 15:32:03.57 .net
畿内は国津神を祭る神社が多い。
なのに神武が大王になった。
想像するに国津神を祭る氏族のうち裏切った氏族がいる。

187:日本@名無史さん
17/07/08 15:36:25.31 .net
>>185
おまえが荒らしに行くからな

188:日本@名無史さん
17/07/08 16:07:51.43 .net
ハズレ

189:日本@名無史さん
17/07/08 18:50:13.11 .net
>>186
ひんと。
金鵄(トビ)。頭ヤタガラス。

190:日本@名無史さん
17/07/08 18:54:05.95 .net
ニセスレはニセスレらしくいこう

191:日本@名無史さん
17/07/08 19:41:41.68 .net
本スレとやらはテンプレが最強の妄想

192:日本@名無史さん
17/07/08 19:42:52.09 .net
>>183
長髄彦は守る側だから、追撃なんてしないだろう。
神武が侵略者。
ただし弱っちい。

193:日本@名無史さん
17/07/08 19:44:50.08 .net
>>181
>水路湾内に侵入した時点で長脛彦の滞留許可があったはずである。
ここがおかしいんだよ。
まともな交渉はニギハヤヒを介してしか行ってないよ。

194:日本@名無史さん
17/07/08 20:12:43.45 .net
ニセスレ

195:日本@名無史さん
17/07/08 22:42:01.51 .net
神武がニギハヤヒと対峙した時、八咫の鏡など三種の神器ではなく天の羽羽矢を天神の証として示した。
八咫の鏡は筑紫伊都に置いてきたのだ。
そして八咫の鏡は、4世紀の景行天皇の時に筑紫の女王である神夏磯姫の所有物として記録されている。
筑紫に王権はあり続けたのだ。

196:日本@名無史さん
17/07/08 23:00:14.52 .net
神武東征(実際は吉備東征、伊勢西征)のようなヤマト征伐、外部勢力によるヤマトへの侵入が考えられるタイミングは2世紀末しかないんだよ。
その時代の王は卑弥呼。神武が実在したとしても卑弥呼配下の一武将でしかない。
卑弥呼と元から対立していたのは狗奴国、卑弥弓呼。
卑弥弓呼は3世紀中頃までは存在するしね。
ニギハヤヒがヤマトの地を譲るとか作り話としか考えられない。
ニギハヤヒの実在すら怪しい。
ニギハヤヒの末裔を名乗った集団は、狗奴国を裏切って卑弥呼側に寝返った奴らだろうね。

197:日本@名無史さん
17/07/08 23:12:29.56 .net
肥国出身の卑弥呼の王政に対して、神武ら天孫族は筑紫を離れた。
ニギハヤヒのもとに身を寄せるが、ニギハヤヒが国を譲ったなどとは書いていない。
ただ単に居候しただけである。
自分のアイデアに矛盾するものはなんでも否定するとは、能無しである。

198:日本@名無史さん
17/07/08 23:13:39.74 .net
>>196
筑紫と畿内を分けて考えることができないと、グチャグチャになるという良い例である。

199:日本@名無史さん
17/07/08 23:37:41.74 .net
ニセスレを立ててる奴が誰かよくわかるスレ

200:日本@名無史さん
17/07/08 23:45:42.59 .net
都合が悪いと中傷して捏造するしか能がない畿内説。

201:日本@名無史さん
17/07/08 23:54:02.13 .net
>>199
誰かって>>1以降読めば
卑弥呼=媛蹈鞴五十鈴媛命のトンスル東遷厨のキチガイ爺じゃん

202:日本@名無史さん
17/07/08 23:55:38.65 .net
そうだな

203:日本@名無史さん
17/07/09 00:02:32.53 .net
畿内説の内輪揉めw

204:日本@名無史さん
17/07/09 11:04:39.63 .net
卑弥呼=媛蹈鞴五十鈴媛命
どう見ても畿内説だな。

205:日本@名無史さん
17/07/09 11:45:49.12 .net
ナリスマシくん必死

206:日本@名無史さん
17/07/09 11:49:37.15 .net
誰が誰になりすましていることを想定しているのかイミフ

207:日本@名無史さん
17/07/09 11:49:59.62 .net
イスケヨリかわいいよイスケヨリ

208:日本@名無史さん
17/07/09 12:38:41.85 .net
>>206
誰が誰にかって>>1以降読めば
卑弥呼=媛蹈鞴五十鈴媛命のトンスル東遷厨のキチガイ爺が名無しの畿内説にじゃん

209:日本@名無史さん
17/07/09 12:42:04.01 .net
なんだ、ただの全爺病か。

210:日本@名無史さん
17/07/09 12:43:02.75 .net
畿内説同士で仲良くしないと、九州説どころか阿波説にも負けるぞw

211:日本@名無史さん
17/07/09 13:34:07.61 .net
畿内説じゃないし

212:日本@名無史さん
17/07/09 13:40:15.52 .net
卑弥呼=媛蹈鞴五十鈴媛命
どう見ても畿内説だな。
仲良くしろよ。

213:日本@名無史さん
17/07/09 13:59:53.43 .net
カモ

214:日本@名無史さん
17/07/09 18:32:11.00 .net
>>196
現に天孫降臨神社があって、その過去帳に正確に記録されている。
神武より実在度は上。

215:日本@名無史さん
17/07/09 19:17:39.56 .net
>>210
>畿内説同士で仲良くしないと、九州説どころか阿波説にも負けるぞw
九州説も、畿内説同様、阿波説の遊び相手なんですよ。  @阿波

216:日本@名無史さん
17/07/09 20:55:04.52 .net
阿波さんは一人で孤軍奮闘しているんでしょ?
強がりは止めておくことですね。

217:日本@名無史さん
17/07/09 21:55:54.45 .net
でもニセスレで言ってちゃ意味ない

218:日本@名無史さん
17/07/09 21:56:44.06 .net
>>216
奮闘なんかしませんよ 遊び相手に。  @阿波

219:日本@名無史さん
17/08/09 19:24:30.85 .net
偽スレだけど繋ぎあげ

220:日本@名無史さん
17/08/09 20:26:20.78 .net
邪馬台国畿内説というより大和を中国人が蔑称で邪馬台国って言ってたのが正解だと思う

221:日本@名無史さん
17/08/09 20:28:24.34 .net
卑弥呼みたいな蔑称日本人が名乗る訳ないしおそらく公子を卑弥呼って中国人が蔑称付けた

222:日本@名無史さん
17/08/09 20:33:12.57 .net
日御子、火巫女あたりだろう。

223:日本@名無史さん
17/08/10 03:24:06.48 .net
卑近という言葉もあるからなあ

224:日本@名無史さん
17/08/10 07:54:35.06 .net
iPhoneだとひのみこで日御子と変換できる。

225:日本@名無史さん
17/08/13 21:44:51.93 .net
ホト(媛)タタラ五十鈴媛命は大倭国の初代大王天村雲命(神武天皇のモデルの一人目)の后。
父親は出雲帝国の東王家、富/向家の当主で帝国の第8代の副王、役職名はスクナヒコで在った
八重波津身命。
(東王家の宮殿は神魂神社の場所そのもの。別邸の一つが三保神社(ここには古志の沼名川媛と御子の建御名方富命(富家の出身を表す)と御女の三保須須美命がお暮らしでこちらに逗留中の八重波津身命が
謀略を以て渡来人らに殺害された事で后の沼名川媛は御子の建御名方富命を連れて実家の古志国に帰郷(建御名方富命は長じると信濃地域に入って平定、開発。諏訪家(出雲の分家)を建る)。
ただ、御女の三保須須美命は父親の慰霊の為に三保の屋敷に居残って父親の御霊祭祀したのが三保神社の起こりという。所以に事代主神社の総本宮と言われる))
(古代出雲帝国では東西の2王家が並立して歴代の主王のオオナモチと副王のスクナヒコを交代で就任する習わし)
東王家、富/向家の八重波津身命と后の摂津三島(大阪府高槻市辺り)の生玉依媛命との御子が、
天日方奇日方命と媛(ホト)タタラ五十鈴媛命と五十鈴依媛命
出雲某大事件?により八重波津身命が殺害されたため、
生玉依媛命も摂津の三島の実家に子どもたちと共に帰郷(逃避)
いくら母親の実家とは言え、出雲の高貴な血筋の御子がいつまでも母方のじいさん婆さん、いとこ(当主?)らの下で居候の肩身の狭い生活をする訳にも行かず、
天日方奇日方命は出雲帝国の植民地の一つで在った大和の葛城地域に移住して
登美家(元々、富家出身ゆえ)と号して独立。
父親の御霊を神祠に祀り氏神とした(鴨都波神社(葛城の下鴨神社))
それを頼って同じく出雲某大事件で殺害されたオオナモチ(主王)の八千矛命の子孫ら(多祁津媛命との御子の味耜高彦の御子、多祁津彦ら)も葛城の南部に移住してきて
高鴨(賀茂)家と号して、味耜高彦他を神祠に祀り氏神(高賀茂神社ほか)とした。

226:日本@名無史さん
17/08/13 22:08:00.24 .net
>>225
因みに、秦国からの渡来人某らから時代は紀元前の3世紀終わり頃の中国の秦帝国末期〜劉邦が建国した前漢帝国の頃の事だった(約2300年〜2000年前)と推定〜同定できます。
因みに、前漢帝国が滅亡して外戚の王蒙が「新」帝国を建てた(前漢帝国を乗っ取り)のが西暦の紀元元年なので、
歴史上のベンチマークとして分りやすいかと思います。
この新帝国も15年程で崩壊。「中原に鹿を逐う」権力勢力争いを制して後漢帝国を建てたのが前漢の王族の末裔の更に分家の分家、、、末端の小さな田舎の領主の更に四男で在った劉秀。光武帝。
この時代、西暦一世紀には仏教と共になんと成立間もないキリスト教(景教)が中国に伝来

227:日本@名無史さん
17/08/22 20:32:59.24 .net
巫女として著名な「卑弥呼」は、古代韓国語で「ビミファ」と読まれ,ビミは「日」「光」,そして「蛇」の意味があり,ミファは神と言う意味となる,邪馬台国は韓人国歌だろう

228:日本@名無史さん
17/08/22 20:44:58.58 .net
>>227
古代語は倭と半島であまり違いがなかったらしい。
だからと言って、国はちゃんと別だった。
同じなら同じと魏志に書かれたはず。

229:日本@名無史さん
17/08/22 22:18:21.50 .net
甕棺族を倭国大乱で半島卑弥呼族が勝利しのかもね

230:日本@名無史さん
17/08/22 23:19:11.55 .net
甕棺天孫族を追い出して、肥国卑弥呼が伊都に入った。

231:日本@名無史さん
17/08/22 23:20:27.92 .net
追い出したなら追い出された先に甕棺墓が出土するはず

232:subo
17/08/22 23:26:06.76 .net
前原あたりは波多、波多江、波多津、秦だらけだぞ、徐福様を馬鹿にしてるのか

233:subo
17/08/22 23:27:18.36 .net
徐福はイザナギ、お辰はイザナミである

234:日本@名無史さん
17/08/23 01:06:32.49 .net
>>231
むむ、考慮しよう

235:日本@名無史さん
17/08/23 11:23:38.60 .net
徐福が出た段階で、「ああ、高卒のバカなんだな」と。

236:日本@名無史さん
17/08/23 16:09:13.43 .net
高卒(笑)が学説を語れる国

237:日本@名無史さん
17/08/23 23:28:37.43 .net
>>1に「狂人は書き込み禁止」って書いてあるのに…
ここでいう狂人の定義は「神話と歴史の区別のつかない人」なw

238:日本@名無史さん
17/08/25 20:00:56.74 .net
畿内説のスレで畿内説の問題点を指摘したらレッドカードなんだとさ。
畿内説は批判に耐えうる説ではないということだ。

239:subo
17/08/25 23:46:37.27 .net
>>235
徐福様に失礼である、ばかもん!!!

240:subo
17/08/25 23:47:38.95 .net
>>236
自説を語らんかい

241:日本@名無史さん
17/08/26 19:55:51.05 .net
やっとマクモニーグルの本読んだわ
卑弥呼の墓は下関の安徳天皇稜なんだって

242:日本@名無史さん
17/09/07 12:16:39.89 .net
次はここか

243:日本@名無史さん
17/09/07 12:54:18.91 .net
ここはアンチが建てたニセスレだろ

244:日本@名無史さん
17/09/07 13:07:46.57 .net
何を持ってニセというのか。
無駄なテンプレを貼りまくれば本物になれるのか。

245:日本@名無史さん
17/09/07 13:10:08.57 .net
「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
この文章の前後の文章は全て女王国か女王卑弥呼に付いての説明文であり、主語が書かれていなくとも主語は女王国か女王卑弥呼だと読み手には分かるようになっている。
主語が女王国や女王卑弥呼でない場合は読み手に知らせる為に「諸國畏憚之」のよう主語が明記されている。
「一大率常治伊都國」と主語が明記されていないので「常治伊都國」の主語も女王卑弥呼である。
なので「女王卑弥呼が伊都国で常に治めている。」との意味になる
では何を治めているのか?
女王卑弥呼が治めているのは書かれているように自女王國以北の諸国である。
女王卑弥呼は一大率を使い自女王國以北の諸国を治めていた、つまり
「常治伊都國」は「(女王卑弥呼が)伊都国で(一大率を使い自女王国の北側の諸国を)常に治めていた。」の意味であり 主語の女王卑弥呼と()内が省略されている。
治の類似の用法は漢書西域伝に見られる。
「大宛国 王治貴山城 去長安 万二千五百五十里…」
大宛国について、王は貴山城に治す、と述べて王の所在を明らかにしている。
女王卑弥呼は一大率を使い自女王國以北の諸国を治めていた。
以北はその出発地を含む。
陳寿は畳み掛けて同じことを別の言い回しで念を押すのが好きらしく、自女王國とも書いており、これも女王国から、という意味である。
つまり、女王国とその北にある国々を伊都国とその北の国々に置いた一大率で支配したのである。
まわりくどい表現だが、要するに女王国と伊都国は念を押して言い換えただけ。
ここからわかることは、一大率は伊都国にあり、伊都国が女王国、女王の都するところ、邪馬台国であるということである。

246:日本@名無史さん
17/09/07 13:10:26.24 .net
「於國中有如刺史」・・・刺史は各地の行政機関内に常駐している監察官
まとめると意味は
「女王国(を含めたそこ)から北の諸国には、(女王卑弥呼が)特別に一大率を配置して検察させており、諸国は(一大率を)畏れ憚っている。
(女王卑弥呼が)伊都国で(一大率を使い女王国から北の諸国を)常に治めていた。
これは魏で皇帝が刺史を州に派遣し検察させて洛陽で治めているのと同じようだ。」の意味となる。
女王国が伊都より東にあったりしたら、文章の意味が通らない。
畿内説では、一大率が支配していたのは奈良(女王国)およびその北である京都や滋賀になってしまう。
女王国以北はおよそ里程や概要を記すことができるという文章と大いに矛盾してしまう。
里程などが記載されているのは、対馬海峡と福岡県内の国だけだからである。
それらの国々を、陳寿は女王国以北(女王国を含む)と呼んでいた。
これは、女王国(邪馬台国)が福岡県内であることを示している。

247:日本@名無史さん
17/09/07 13:14:32.39 .net
>>244
畿内説じゃない奴が畿内説スレ建てたら
ニセスレだよな。

wwwwwwwww

248:日本@名無史さん
17/09/07 13:21:55.05 .net
>>247
ヒデ爺、はやくスレたてしろ、

249:日本@名無史さん
17/09/07 13:29:36.54 .net
正直、立てた人が開口一番で狂人がなんだかんだと言ってるようなスレは、早く消えてほしい。

250:日本@名無史さん
17/09/07 13:47:49.33 .net
>>245,246
違うね

251:日本@名無史さん
17/09/07 13:51:14.71 .net
違うな。

252:日本@名無史さん
17/09/07 14:14:42.89 .net
>>250 >>251
何が違う?

253:日本@名無史さん
17/09/07 14:30:14.58 .net
「特置一大率(檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史)」
一大率以降は一大率の説明文だね

254:日本@名無史さん
17/09/07 14:40:16.34 .net
女王が置いた一大率の説明文ですからね
自女王國以北 特置一大率・・・女王が自女王國の北側に一大率を特別に置いた。
檢察諸國・・・女王が諸国を検察させていた。
常治伊都國 於國中有如刺史・・・女王が伊都国で(一大率を使い)治めていたのが刺史のようだ。

255:日本@名無史さん
17/09/07 14:44:39.83 .net
>>254
違うね

256:日本@名無史さん
17/09/07 14:48:29.96 .net
倭人が韓国南部(任那日本府)を支配していたんだよ

そして韓国南部からは日本産のヒスイが多く出土してる
つまり奴隷貿易だよね
日本→ヒスイ→韓国
日本←農業奴隷←韓国
こういう貿易が成立してた
奈良の渡来人は農業奴隷の末裔だよねえ

257:日本@名無史さん
17/09/07 14:48:54.00 .net
違うな

258:日本@名無史さん
17/09/07 14:49:02.20 .net
農業奴隷が奈良に住み着いて豪族になったんだよお
近畿地方にあった鉄器工房は2世紀〜3世紀に破棄されてるもんね
そりゃ奴隷に鉄器持たせるわけにはいかないからねえ
古墳も九州の古墳からは金属器やヒスイがたくさん出てくるのに
奈良の古墳からは木製品と土器しか出てこないんだよお
被支配地域だってわかるよねえ

259:日本@名無史さん
17/09/07 21:36:09.82 .net
>>256
違います
韓国からの渡来人が天皇でした
倭奴は被支配層
貴族は扶余族

260:日本@名無史さん
17/09/08 09:05:21.05 .net
私どもが行った現代日本人頭骨の分析から見ても、近畿人、特に畿内人は目立って朝鮮の集団に近いという意味で『特殊な日本人』ともいえる
(埴原和郎・国際日本文化研究センター名誉教授)
畿内古代人は韓国朝鮮現代人に類似する畿内現代人と同じグループに属している
(池田次郎・京都大学名誉教授)
大阪を中心とする近畿地方の人たちは、百済地方の人たちと匹敵するほど頭の形が丸い
(欠田早苗・兵庫医科大学名誉教授)
関西人には細い目をした髭の薄いのっぺり顔が多いが、沖縄の人は眉や髭が濃く、ぱっちりした二重まぶたの人が多い
(中橋孝博・九州大学大学院教授)
熊本は古来より北からの流れと南からの流れが見事に交錯してきた美人の産地
(松下孝幸・土井ヶ浜人類学ミュージアム館長)

261:日本@名無史さん
17/09/10 16:57:02.17 .net
暇つぶしに偽スレでもどーぞ

262:日本@名無史さん
17/09/10 17:04:40.27 .net
昨日の27時間テレビではスルーされてたな

263:日本@名無史さん
17/09/11 23:31:12.31 .net
>>259
古代中国からの渡来人某(と引率してきた数千人)と出雲の分家宗像家の市杵島媛命が結婚して生まれた某氏が天皇家(と貴族の祖)

264:日本@名無史さん
17/09/12 06:43:55.81 .net
この国はある意味では北朝鮮以上の国民を騙す国家だと思う 北朝鮮以上に国民を騙し詐欺師の様に搾取する
★★★★政治家・マスゴミ・が隠す日本の真実!★★★★
URLリンク(www.youtube.com)
  ↓       ↓            ↓
URLリンク(www.youtube.com)
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

265:日本@名無史さん
17/09/12 20:45:22.81 .net
畿内には大きな国があったのは確かだろうがそれは魏志に書かれている邪馬台国とは別の国


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